森が死ぬとき人も死ぬ。 Hopi Prophecies
森は最良の医師である。 14 Wolves in Yellowstone National Park
人間だけが「大いなる循環」の環の埒外にいる。 Forest Seeker
1本のブナの木が地形/地質/水質/風向き/生態系/植生/文化/風土をかえる。 Forest Seeker
1本のブナの木が絶妙の調和を生みだす。人間は調和を乱すことはあっても作ることできない。 Forest Seeker
森は宇宙のすべてを記憶している。 Forest Seeker
王蟲の死の行進は倒木更新である。 Forest Seeker
人間は百年で死ぬ。樹木は千年かけて森になる。森のひと
自分が世界からいなくなったあとの世界のありようを考えるとうれしくなる。自分がいようといまいと生きていようと生きていまいとビクともしない世界の強靭にして強固なありように。森のひと
泣け! もっと泣け! プフの森のために泣け! ブルーヘブンの森とイコロの森のためにも泣け! 世界中のありとあらゆる森のために泣け! 癒せ! Forest Seeker
なるようにしかならなくても、自分が死んでこの世界からいなくなったあとも、ヒグマやエゾシカやキタキツネやエゾリスやナナホシテントウやカタツムリや名も知らぬ虫たちやスギナや矢車草やエゾエンゴサクや福寿草やウバユリやヘレボルスやエビガライチゴやフォンシオンやタツタ草やサンギナリアやおきな草や野バラやヤブツバキやツワブキやグースベリーやパンタグリュエル草やSanguinaria Canadensis Flore Plenoやハルニレの木やブルーヘブンの森やイコロの森たちが残ってくれたら、それでいい。葉っぱちゃん(Plant Planetarian)
空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、左の前歯がするりと抜けた。森の奥からパット・メセニーの”Travels”が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。森のひとも左の前歯が抜け落ちていた。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手をやすめて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらが幽けき明滅を繰り返している。(虹のコヨーテ)
縄文杉の孤独について考えつづけた時期がある。大震災の5年前、2006年の春から秋にかけて。十里木時代である。森のひとのモデルになった人物とのやりとりは以下のとおり。
「千年生きた樹は土に還るのに千年かかる。なぜだと思う?」
森のひとは暖炉に薪をくべながらたずねた。私は答える。
「マルタ島のインフェルミエーラが新しい命を千年かけて育てるため」
「マルタ島の看護婦って?」
「Nurse Log. 倒木更新」
「ははは。なるほどね。でも、半分正解」
「残りの半分は?」
「千年分の記憶を反芻するためさ。千年かけて朽ち果てながらね。反芻するたびに世界中の樹木たちの痛みは回収され、癒される。そして、癒し終えたあと、跡形もなく消える」
「ということは、世界で一番孤独なのは縄文杉だ」
「縄文杉はなぜ孤独?」
「自分以外のすべてが朽ち果て、跡形もなく消えていくのを見つづけてきたからです。たったひとりで。これからもずっと。...縄文杉は死にたいと思ったことはないのかな」
「死を願うのも、みずから死を選ぶのも人間だけだ。愚かにもね」
「ですね」
「旅のさなか、旅の途中」
「え?」
「旅はつづく。円環はいつか閉じられる。円環が閉じられるまで旅はつづけなくちゃならない。つらく寒くひもじく、孤独と困難と困憊にまみれた旅であってもね」
そのとき、暖炉の薪が大きな音を立てて爆ぜる。私はすごく驚くのだが、森のひとは平然としていた。
「世界中の樹木たちが喜んでる」
それだけ言うと、森のひとは静かに目を閉じ、うつむき、寝息を立てはじめた。
森のひとは大震災の3年後、癌との10年に及ぶ孤独な闘病の果てに、巨木がゆっくりと倒れるように死んだ。静かで穏やかで厳かで深く潔く屈託のない死に顔だった。その亡骸は遺言どおり、世界樹ユグドラシルの根方に埋葬された。
幾千億の香りたつヒッコリーのチップと冷たいリラの花びらとともに。
私とのやりとりのとき、森のひとはすでに自分の死期を正確に読みきっていたように思える。「生まれる。生きる。死ぬ。それだけのこと」というのが森のひとの口ぐせだ。
いまでもときどき、
縄文杉の孤独について考える。そして、森のひとは自分の死期を知りながらいったいなにを反芻していたのだろうかとも。もちろん、答えなど出ない。答えは永遠の闇の奥にある。やはり、森のひとは心の中で、あるいは口に出して「生まれる。生きる。死ぬ。それだけのこと」と繰り返し言っていたのか。「旅のさなか、旅の途中」とも。
そのとき、暖炉の薪は爆ぜただろうか? 森のひとの好きだったパット・メセニーの”Travels”は愛機であるTANNOYのRoyal Oakからどんなふうに聞こえていたのか? やはり、答えは永遠の闇の奥にある。
森のひとはカーツ大佐が息をひそめて棲まう縄文杉の千年の記憶の孤独の森を亜音速の千鳥足で疾走する。その魂が安らかな寝息を立てるのは世界樹ユグドラシルの樹上であり、裸身白湯巻き姿のテンギャン・クマグス先生が腕を組んで仁王立ちする松の古木の粘菌の巣であり、
ぼのぼのやシマリスくんやアライグマくんやスナドリネコさんやしまっちゃうおじさんが住む海と山と川と森と空が出会う場所にあるトパンガの丘の大きな木であり、『ダニーボーイ』が聞こえ、マザー・ツリーのコールドクリームのにおいのするクモモの木の揺りかごの中であり、ガンプの森のマラソンの小径であり、ロイヤル・オークの木陰であり、Flower Travellin' Bandの”SATORI”がペイズリー・フラクタルに流れる神の草のフラワー・トップスであり、ゴータマ・シッダルータが降魔成道を果たして悟りを開いたブッダガヤーのインド菩提樹の根方であり、シューベルトの『冬の旅第5曲 リンデンバウム』のE線上であり、テネレのアカシアの木の墓標であり、ハイペリオンの115.55メートルの頂点であり、海賊パンターニの魂が宿るラルプ・デュエズ峠のトウヒの林であり、フォーティンゴールの櫟の木の年輪であり、ニーチェが思索する
かく語るゾロアスターの糸杉に匿された秘密の塔のアヴェスターの中心であり、天空神ランギヌイと地母神パパトゥアヌクの息子の森の神タウリの樹皮であり、メキシコ落羽松のトゥーレの木の板根であり、世界の果てにあるヒッコリーの森の木樵小屋の屋根裏部屋であり、ユタ州のフィッシュレイク国立森林公園にある100万年前に誕生してひとつの根系でつながって拡張しつづけている5万本におよぶアメリカ山鳴らしの群生林
風にそよぐ巨人の私は拡張するという呟きであり、最古の木オールド・ティッコの小枝の先であり、鬼ごっこ好きの双葉の頃より芳しい栴檀のような延陽伯お手植えのケサハドフウハゲシュウシテショウシャガンニュウスヨッテクダンノゴトシスタンブビョーに干された金太郎をタグって現れる垂乳根であり、諸行無常の響きを奏でる祇園精舎の鐘の音の聞こえる沙羅双樹の花影である。
森のひとの魂は世界のありとあらゆる名もなき樹木たちに宿る。王蟲の骸を苗床として森が死ぬとき人は死ぬことを証明する旅はつづく。いつか必ず円環は閉じられる。Travels - Pat Metheny Group (Travels/1982)