心の耳でなければ聴きとれない音楽がある。Forest Seeker
ザ・フォーク・クルセダーズが歌っている『イムジン河』(作詞 朴世永/作曲 高宗漢/日本語訳詞 松山猛)はいわくつきの楽曲だ。東芝音楽工業(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)から発売される予定だったが、政治的配慮から発売中止された。なにが政治的配慮だ。忖度か? 斟酌か? 酌量か? ただ臆病風に吹かれ、小心姑息なだけだろう。腰抜け腑抜けめがよ。原発音頭でも出してチャンチキオケサやってるがお似合いだ。
ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』は、すでに13万枚が出荷されていたが、3万枚が未回収に終わった。未回収分3万枚のうちの1枚が貧乏長屋の仏壇の抽斗に入っていた。
イムジン河。知らない河だった。ポータブル・レコードプレイヤーで聴いた。悲しげな旋律曲調。水鳥は自由にイムジン河を越えて飛んでいけるのに自分はイムジン河を渡れないという歌詞がこども心にもたいそうしみた。ボリュームを大きくして聴いていると、貧乏長屋の住人のうちの何人かがやってきて、聴かせてくれというので四畳半の狭い部屋に入れてやった。
会津ほまれや白い酒(いま思えばマッコリかどぶろくだったんだろう)や焼酎や理研の人造酒/合成酒やトリス・ウィスキーやサントリー・レッドで酒盛りがはじまった。来訪者どもは『イムジン河』を何度も何度も聴きながら、朝鮮漬け(キムチ/カグテキ/ナムル等々)や唐辛子まみれの魚介やお好み焼き(チジミ)を肴にして飲み、食い、大声でくっちゃべり、ハングルで怒鳴り合い、歌い、泣いていた。ヨッパライ酔いどれ酔漢どもは小学生の私に酒をすすめた。ふざけたやつらだったが、たのしかった。やつらとはたのしい思い出しかない。
貧乏長屋には在日朝鮮人/在日韓国人が大勢住んでいたのだとわかるのはずっとあとだった。「文句があるなら国へ帰りやがれ!」と言うと、「おまえらに連れてこられたんだよ!」と言い返してきた。満面の笑顔で。「おまえらのアボジ/オモニ、ハラボジ/ハルモニが日本に連れてこられたとき、おれは産まれてねえよ!」と言うと、「わかってるよ。もう終わったことだ」と言ってすごくさびしそうな顔をした。そのさびしげで悲しそうな顔を見ると瞼が強く押された。いまもはっきりとおぼえている。大酒と貧弱な食生活と重労働が祟ったんだろう。どいつもこいつも若死にした。気が向くと久保山の墓地にお参りにいき、マッコリとキムチとムクゲの花を供える。そして、『アリラン』『トラジ』、そして『イムジン河』をいれたCD-ROMをかける。昭和の貧しくも楽しかった日々がよみがえる。
バイアスのかかった退屈で辛気臭くてつまらぬ100万言の言説よりも3分足らずの歌のほうがはるかに強度がある。心を打つ。魂が抜け、心の耳を持たぬ居残り佐平次やアメンボ小僧のたぐいの輩には聴きとることはできまいが。
イムジン河 ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)悲しくてやりきれない ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)