「つまらんダジャレを言ったのはだれじゃ?」と言った直後に自分の顔を鏡で見たらキサーマの千鳥ノブだった。ダジャレをめぐる冒険は、概ね浅草雷門の柿汁の健康ランド・マイスターの大将からくすねた牡蠣の殻をケースとして下記のことどもを経巡るRolex Explorer IIのごとき冒険である。時間は命を削るものと知るべし。
言葉遊び
ライム
Rhyme
皿の上のサラダ
さらさらサルサを踊る気はない。
さらさらサラダを食べる気はない。
サラマンダー
サラリーマン
サローヤン
猿飛佐助
J.P. サルトル
猿山のボス1日にラムネを12本飲む。睡眠時間は30分を4セットであるから、差し引きするとほぼ2時間に1本ラムネを飲んでいる計算になる。ただし、10個10円のアメ玉が3個で30万円になるすさまじい逆スケール・メリット世界に生きる者にはソンナノ・カンケー・リレーション・ナッシングだ。
ラムネを飲むと韻を踏む。韻を踏むと気分はOnになる。気分がOnになると1日にラムネを12本飲む原因になったあるDirty Old Poncoz Guyの野暮天づらを思いだす。
そのDirty Old Poncoz Guyは長野出身で、私より16歳年上だった。長野高校あるいは松本深志高校を卒業し、慶應の文学部仏文科卒というふれこみだったが、実際は南安曇農業高校中退の絵に描いたような田舎者/Gran Ploucだった。
私が興味を引かれたのは、信州の山猿の田舎者/Gran Ploucがなぜ慶應の文学部仏文科卒を名乗るに至ったのかという動機の部分である。
Dirty Old Poncoz Guyはなにかにつけてポール・ヴェルレーヌの『秋の歌/Chanson d'automne』を原語で諳んじた。流暢なフランス語に聞こえた。そればかりか、『秋の歌/Chanson d'automne』の冒頭部分が、第2次世界大戦末期、ノルマンディー上陸作戦の際にフランスのレジスタンスに送る暗号として使用されたことをめぐる物語を微に入り細に入り、ときにレベルの低いエスプリもどきを交えて話した。
この話は信州の山出しの田舎者/Gran Ploucの激痛の日々とその死の物語である。
俺ら東京さ行ぐだ 吉幾三(1984)