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『シンドラーのリスト』を奏でる少女

 
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蝋燭のあかりは細く小さくていい。E-M-M


1994年の早春。横浜山手・根岸台の洋館。ひどい寒さと強い風の日だった。場ちがいな集まりに来てしまったことに後悔しはじめていた。ワインなどではなく、強い酒が飲みたかった。安く強い酒を。一人で。嘘くさい笑い声など聴きたくもなかった。腑抜けて引きつったようなお愛想笑いに唾を吐きかけたかった。もちろん、世界にも。一人になりたかった。

宴の終わり近く。うんざりした気分を打ち消すように一人の少女が思いつめた面持ちでホールの中央に進みでた。少女は古く時代がかったフリルのついた赤いドレスを着ていた。年の頃、10歳前後。少女からおとなへのとば口に震えながら立ちつくしているように思われた。

少女はあちこちニスの剥げた古色蒼然としたヴァイオリンを抱えていた。かき抱いていた。大切なものを何者にも触れさせまいとする強固な意志の力が感じられた。私は少女の瞳の中に強く深い絶望と怒りと憎悪を読み取った。ペグの天使の彫刻が憤怒の形相をしているかにみえた。

少女は自分の祖母が長い癌との闘病の果てに数日前に死んだことを話しはじめた。そして、ホロコーストについて言及し、死んだ祖母がユダヤ系ポーランド人であり、自分はユダヤ系フランス人の母と日本の外交官とのあいだに生まれたのだとも。

愚にもつかぬ談笑の種々がぴたりと止んだ。軽佻浮薄な宴の場は一気に静まり返り、凍りついた。その場にいる者のすべての視線が少女に注がれた。固唾を飲みこむ音があちこちから聴こえてきた。

S.スピルバーグの『シンドラーのリスト』が興行的に大成功を収め、アカデミー賞をほぼ総なめにして間もない時期でもあって、少女の切々たる話は上っ調子な宴の場を深い沈黙の館へと変えた。

「お願いです。どうか、わたしたちの悲しみと苦しみを忘れないで。聴いてください」

少女は話の最後に引きしぼるように言ってからメントニエラに小さくて華奢なあごをのせ、眼を閉じ、弓を祈りを捧げるように持ちあげた。そして、『シンドラーのリスト』を奏ではじめた。少女がヴァイオリンを弾く姿は強く深い痛みをともなう祈りの姿ででもあるように思われた。

少女のリコッシェ・サルタートとポルタメントのかけ方は独特で、ところどころにハイフェッツの憤怒のごとき鋭いイディオムを思わせるものがあった。フラウタートで奏でる音には目を見張るほどの柔らかさと悲しみとがあった。フラジョレットは思わず引きこまれるくらいに澄んだ音だった。グレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律の一部が引用されたときにはわが耳を疑った。

フロッシュが何本も切れて生き物のように揺れ、舞った。先端のスクリューでなにかしらのど真ん中、土手っ腹を貫かれているような気分だった。あとで、少女のヴァイオリンの師匠筋にエリック・フリードマンがいると知り、なるほどと納得した。

全体として技巧は稚拙きわまりもなかったが、魂に届く音だった。激しく揺さぶられた。嗚咽し、涙を流す者が何人もいた。

いまでも『シンドラーのリスト』をみた冬の夜には少女のことが頭をよぎる。ギロチンの刃先のような鋭利で凄味のきいたヴァイオリンの音色とともに。そして、少女と『シンドラーのリスト』の赤い服の女の子とが重なる。四半世紀も昔のことだ。

25年の歳月を経て、彼女も今では母親となっているだろう。2014年の冬、ソチ五輪。彼女は赤い衣装を身にまとった氷の上の少女、ユリア・リプニツカヤの『シンドラーのリスト』の舞いを、キャンドル・スピンをどのような思いでみていたか。こどもたちに『母が教えてくれた歌』を聴かせているだろうか。彼女の心に薄闇の中の細く小さな蝋燭の炎は灯っているだろうか。そうあればいい。人間はひとつの命さえ救うことはできないが、どうか、そうあってほしい。

25年のあいだに蝋燭のあかりはどうなったか。冷酷と強欲と無関心と見て見ぬふりはなにひとつ変わっていない。変わっていないどころか、さらに巧妙に狡猾に陰湿陰険になっているように思える。いずれ蝋燭の小さな炎は消えるだろうが、それまでは、細く小さく灯りつづけてほしいものだ。


蝋燭のあかりは細く小さくていい。

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Itzhak Perlman (Violin)
Luka Sulic (2CELLOS)
Simone Lamsma (Violin)/Davida Scheffers (English Horn/Cor Anglais)
 
by enzo_morinari | 2018-12-08 20:53 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)
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