Good Artists Copy, Great Artists Steal. P-D-J- F-d- P-J-N-M-d-l-R-C-C-d-l-S-T-R-y-P
TOKYO OLYMPIC 1964のときは6歳、小学校1年生だった。COCA COLAのオリンピック・グッズ懸賞に応募して、各競技種目の選手を模したプラスチック製の白い小さな人形のセットが当たった。フェンシグ、重量挙げ、サッカー、競泳、体操、陸上競技等々。それらの人形を使って日がな一日ひとり遊びをした。彼らを登場人物として思いつくまま物語をつくり、物語の進行に合わせて動かしたりもした。
近所の郵便局でTOKYO OLYMPIC 1964のポスターを間近でみたときは腰が抜けるほど驚いた。全身に鳥肌が立った。肌の色のちがう鍛えあげた男たちがスタートした瞬間をとらえた生々しい写真をメイン・ヴィジュアルにしたポスター。ポスターから彼らがいまにも飛びだしてくるのではないかと思うほどの迫力だった。TOKYO OLYMPIC 1964のポスターはそれまで目にしてきたどのポスターともちがった。それまで目にしてきたすべてのポスターが古臭くつまらないものに思えた。
私はそのTOKYO OLYMPIC 1964のポスターを長い時間、惚けたように見ていた。見かねた郵便局の局長がポスターを壁から剥がし、私にくれた。それが亀倉雄策との初めての出会いだった。
数年後、神奈川県の小学生絵画コンクールで県知事賞を受賞したとき、神奈川県庁でコンクールの審査員長だった亀倉雄策と会った。亀倉雄策はまばたきもせずに私をみつめ、抑揚のない声で「じょうずだね」と言ってから私の左耳に顔を寄せ、耳打ちした。
「大泥棒」
コンクールに応募した私の作品(ポスター)は亀倉雄策のTOKYO OLYMPIC 1964のポスターのコンセプトをそっくりそのまま盗み、人間を草花と樹木の切り抜きをブリコラージュしたものにし、日の丸を四葉のクローバーの葉っぱをここだけ油絵の具を使って手描きで置き換えたものだった。キャッチコピーは、
みんな生きるのに一所懸命なんだ。私は亀倉雄策の耳に顔を寄せてそっと耳打ちした。
「おじさん。凡人は模倣し、天才は盗むんだよ」
私の言葉を聴いた亀倉雄策のぎょっとした顔はいまでも鮮明におぼえている。しかし、亀倉雄策をめぐる話はこれでは終わらない。終わらないが、それは20年後のまた別の話である。