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蘭奢待の女 扇子とセンスとパラダイムとエピステーメーと

 
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京都嵯峨野に工房を構える孤高の扇子職人の手になる渋扇のいくたりかを入手した。七寸五分の渋扇。扇骨は本煤竹、扇面は本手漉きの嵯峨野和紙、かなめは錫、手描きの景色、矯め皺の景色。いずれも素晴らしい。文句のつけようがない。溜息が出るほどだ。本伽羅が実にほどよく薫きこめてある。扇ぐと仄かで品のよい甘い香りをともなって清風が起こる。蘭奢待ほどではないが濃厚濃密さが奥のほうにひっそりとある伽羅。

おもしろいので、『海を殺した女』で物書きの端くれとなり、末席についたガジンに目利き、見立てをさせることにした。ガジンは鼻が利くだけでなく、審美眼、観察力、鑑識に秀でているので、果たしてガジンがいかような目利き、見立てをするものか、心が躍り、浮き立った。

早速、電話する。呼び出し音3回目でガジンは電話に出た。めずらしいことだ。よほど心の塩梅がよいとみえる。事の成りゆきを話すと、ガジンは愛想もへったくれもなく、ぶっきら棒に「今から行く」とだけ言って電話を切った。来たら、薪雑把でぶっ叩いたうえに、雑袍に包んで外縁川に放りこんでやる。

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「こりゃ、すごい。無駄も華美も思わせぶりもなにもない。なにもないというところがすごい。無の美。あるいは捨象、切り捨ての美だ」
「ほほう。では、こいつが中国製の100円ショップものだと言ったらどうする?」
「それはないね。絶対にない。中国製の100円ショップものに伽羅が薫きこめてある道理がない」
「ところが ──」
「ところが?」
「中国製の100円ショップものだ」
「うそだろう?」
「うそだ」
「やっぱり」
「さて、せっかく遠路はるばる来たんだ。ここからどこかへ着地しようじゃねえかよ」
「だな。じゃ、センスの話にしようぜ。相手は扇子なだけに」
「そのまんまじゃねえかよ」
「そのまんまだろうとなんだろうと、おれは今ちょうど、センスのことについて考えているところなんだ」
「ほうほう。で、答えは出たのか?」
「出た。センスの悪い輩とは金輪際関わらない」
「そりゃ、大正解だ」
「うん」
「センスの悪い奴はなにをやっても駄目だからな。センスの悪いやつは大抵の場合、恥知らずだし」
「だな」
「で、センスとはなんだと思う?」
「さて、そこだよ。そこ。センスってのは一体全体なんなんだ?」
「情報と知見の組み合わせ方だ」
「情報と知見の組み合わせ方」
「そうだ。情報と知見の組み合わせ方がセンスの善し悪しを決定する。情報弱者、デジタル・ディバイドは論外として、いまや情報、知見はPCとネットの応分のスキルさえあれば大概は手に入れられる。センスの問題はそこから先に、得た情報、知見をいかに組み合わせるかということだ」
「だな」
「そして、その組み合わせ方の善し悪しはすべて内なる真言が決定する。内なる真言を持たない者は情報弱者と五十歩百歩ってこった」
「センス、パラダイム、エピステーメー。それらの中にあるモノとコトを統合するのが内なる真言ということだな」
「まさにな」
「で、この扇子は内なる真言を持つ者の作ということでFAなわけか?」
「だ。おまえにも1本くれてやる」
「ありがてえ。最近、妙にいやな汗をかくことが多かったもんでね。遠慮なくもらっとく」
「もらっとく? ただで?」
「カネとんのかよ!」
「おれのマネー・センス/ゼニカネの作法についちゃあ、よく知っているはずだ」
「ひでえ!」
「ダーティ・センス、ヒール・センスについても」
「相変わらず鬼だなあ」
「鬼こそは無駄無様不調法不作法を一切合切省いた者のことである」
「鬼のいぬ間に命のセンス磨きをしなきゃな」

二人同時に笑い声をあげたとき、伊達帯に鳥獣戯画の描かれた京扇子を白刃のように挟んだ蘭奢待の女が格子戸の隙間から入ってきた。とうの昔に死んだ女。亡者。鬼。

蘭奢待の幻惑蠱惑の濃密な香りが部屋を押しつぶしそうなほどに広がった。また命が削られる ──。

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蘭奢待の女

沈香も焚かず屁も放らぬ木偶の坊、野暮な有象無象の輩には縁のない話である。

どうしても解せない女が一人だけいる。その女は伽羅と名乗った。薄桃色の名塩雁皮紙でできた名刺には楷樹明朝体で「古木静香」とあった。名刺には伽羅の香が薫き込められていた。名刺の裏には所属する句会の名がみえた。たいそう名の知れた句会だ。そこで何度も賞を取ったことが見てとれた。「伽羅」は雅号の類いだろう。

伽羅は蘭奢待のひとかけらを持っていた。入手の経緯については最後まで口を閉ざしつづけた。最後までというのは伽羅はすでに死んでこの世にはいないからだ。伽羅を写した画像が2枚だけある。すべてを私にさらしきったにもかかわらず、伽羅は写真を撮るとなると顔が映ることをかたくなに拒んだ。

吸いつくような肌をした女だった。化粧は頬紅を薄くさしているだけなのに匂い立つように美しく映えていた。快楽快感への探究心がきわめて旺盛で、まだ三十前だというのに四十女のように熟れた乱れ方をした。それがこちらの気をさらにかき立てるので責めかたにも熱が入る。伽羅はこちらの責めかたしだいで実に色々の態をみせた。嗚咽のような声を長く細くあげつづけるかと思えば、腹をすかせた獣のように獰猛でおそろしげな声を部屋中に響かせる。そして、いくらでも果て、いくらでも求めてきた。伽羅の中は造りも具合もすこぶる複雑にできていて、一種名状しがたい動きと吸いつき方をした。一度伽羅を抱けば、大方の男は伽羅の虜になることは容易に想像がついた。まあ、はやい話が魔性の女、ファム・ファタール/運命の女とでもいうことだ。

伽羅とはある新月の集まりで会った。退屈きわまりのない集まりで、あくびをひとつふたつしたとき伽羅のほうから声をかけてきた。

「わたくしももうみっつあくびをかいてしまいました」と伽羅は涼やかでいながら、どこか深い淫蕩を感じさせる面差しをあえかな月あかりに照らして言った。私は生唾を飲みこんだ。

「よろしければごいっしょに悪さをいたしませんか?」
「悪事は大好物だ」と私は答えた。

伽羅と初めて会ってから交わるまで一時間と経っていない。そして十五日間、私と伽羅はひたすら交わりつづけた。旅館の女将とは馴染みだったのでなにひとつ問題はなかった。交わりつづけ、腹がへると店屋物をとって喰った。喰いながらも私と伽羅は交わった。ずっとつながっていたいと思った。伽羅もおなじことを言った。

三日目にいっしょに風呂に入った。ならんで鏡をのぞいたら、そこには亡者の顔がふたつならんでいた。ふたりして笑った。

「鬼まではまだまだだ。もっとやりまくらなきゃな」と私は伽羅のかたちのいい乳房をもみしだきながら言った。

「ええ、そうね。鬼になりませんとね。もっともっといたしましょうね。なんなら、死ぬくらいまで」
「おまえ、イクときは死ぬ死ぬって何遍も言ってるぜ」
「あら。そうでした?」

そう言うと伽羅は乳白色の喉元をみせてとても品のいい笑い声をあげた。寝物語に私は伽羅にたずねた。

「おまえさんが入っている句会の爺さんどもとは懇ろになっているのかね?」
「ええ。ほとんど。猩猩爺さまばかりであちらのほうは満足させていただけないんですけどもね。わたくしに狂っていく姿をみているのがたいそうおもしろくって。中には田畑家屋敷を処分してわたくしに貢いでくださるおばかさんもいらっしゃいます」
「ふん。みずから首をくくったような爺さんもいるんだろう?」
「ええ。なんでもお見通しですのね」

なんとも恐ろしげな女だ。

私と伽羅はけっきょく、十五日間おなじ旅館のおなじ部屋でひたすら交わった。昼間でもろくに陽の射さない部屋が夜には月あかりがよく入ってきた。月あかりに照らされる伽羅はこの世のものとは思えぬほどに妖しく美しかった。

「そろそろ、仕舞いにいたしませんこと?」
「そうだな。今夜は十五夜だしな」
「おなじことを考えておりましたよ。次はまた新月の夜にでも」
「いや、次はない。おまえとはこれでおしまいにする」
「あら。よろしいの?」
「まだ死にたくはないんでね。おまえはいっしょに死ぬ相手をさがしていたんだろ?」
「ええ。よく御存知で。では、これでしまいにいたしましょう。これ、おしるしに差し上げます」

伽羅は懐から渋茶色の黒谷和紙に丁寧にくるまれたものをよこした。濃密な香りがあたりに立ちこめた。

「なんだ?」
「蘭奢待でございます。わたくしと思っておそばにおいてやってくださいませな」
「蘭奢待? なんでおまえのごとき魔性の者、物の怪が持っているんだ?」
「それだけは申し上げられません。堪忍してくださいませよ」
「どうにも解せない女だな、おまえは。この私としたことがあやうく取り殺されるところだった」
「うひょひょひょひょ。まあ、あなたさまも似たようなものじゃございませんか。蛇の道は蛇でございますよ」
「たしかにな。ところで、ひとつだけたずねるが、おまえの御先祖は足利か? それとも ──」

私が言うと伽羅はそれまでみせたことのない禍々しい顔つきになった。鬼の貌だ。

伽羅が神田和泉町の数寄焼き屋の若旦那と無理心中したのはそれから三日後のことだった。伽羅がくれた蘭奢待は長い年月のうちにどこかにまぎれてしまったが、家の中にあることだけはわかる。いつも当時のままの妖しく甘く濃密な香りが家の中に立ちこめているからだ。伽羅。それにしても解せない女だ。

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by enzo_morinari | 2018-11-18 03:35 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)
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