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法の庭先#1 裁判はゲームである。

 
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法学の徒であった頃はほぼ毎日東京地裁か横浜地裁、さらには東京高裁、最高裁判所、果ては東京簡裁、横浜簡裁にまで足を運び、裁判(公判/審理)を傍聴した。重大事件にかかる裁判が地裁支部で行われているときは、東京地裁八王子支部や横浜地裁小田原支部、横須賀支部、川崎支部にまで出かけた。

裁判は民事事件、刑事事件ともにすぐれて時代を映す鏡である。事件は現場で起こっているだけではなく、時代とともに動いている。また、法の庭にはフィクション、ポエム、お伽噺、神話/伝説といったたぐいのものはない。すべてが冷厳冷徹なリアリズムによって成り立っている。男女の痴情のもつれに端を発する殺人事件、離婚訴訟と損害賠償請求訴訟、先祖伝来の土地をめぐる国との所有権確認のための訴訟、訴訟マニアの奇想天外きわまりもない本人訴訟(主に「印紙代」が低額ですむ簡裁案件に多い)、相続をめぐる兄弟姉妹による醜悪なる骨肉の争い等々、枚挙にいとまがないほどである。1970年代の裁判において「インターネット」という言葉が登場しないのは無論のこと、「情報」「ネットワーク」「プロバイダ」「コンピュータ」という言葉を目にし、耳にすることも皆無だった。

コンビニエンスに時代を知りたければ、裁判を傍聴するのがよい。無料。ロハ。土日、祝祭日以外、定休日なし。暇つぶしにもうってつけである。冷暖房完備。図らざる物語付き。食堂は安くてマズい。Ψ(`▽´)Ψ

裁判所に行けば正面玄関を入ってすぐにその日の裁判スケジュールが掲示してある。事件名、当事者名、担当裁判官名、代理人名、公判回数等の一覧だ。これを眺めているだけで楽しめれば一丁前の「裁判マニア」である。傍聴するに値する公判がどれか、公判一覧を見ておおよその見当がつくようになればたいしたものである。

日本の法曹はおおむね面白味に欠ける。弁舌に爽やかさとドラマトゥルギーがない。滑舌悪し。早口。抑揚皆無。民事事件の訴状、刑事事件の起訴状、準備書面、証人訊問、反対訊問、検察官の論告求刑、弁護人の弁論、そして、裁判官の判決書。すべてが無味乾燥で、ときには「てにをは」「句読点」の用法が風変わり乃至は完全に故障しているものさえある。

概ね、彼らの言語表現には「句読点」がきわめて少ないか、あるいは最後まで句読点なしという剛の者すらいる。その点、「訴訟国家」である欧米の法曹はちがう。役者とみまごうほどの見姿、大袈裟なジェスチャー、一大叙事詩/吟遊詩人もかくやとでも言うべき弁論。日本のエクリチュール裁判/欧米のパロール裁判。比較文化論としておもしろいテーマ/切り口ではある。

ニューヨークとLAで下級審、上級審をかなりの回数にわたって傍聴した経験から言うならば、法曹のレベルはあきらかにアメリカ合衆国の勝ちである。ネゴシエーション(交渉術)とディベート・デイズをこどもの頃から生きてきた国民に沈黙寡黙を美徳とする国民が勝てるはずもない。土台、基礎がまったくちがうからだ。

「察する」だの「空気を読む(KY)」だのというのは一切通用しない。欧米にも「同調圧力」に似たものはあるにはあるが、日本のように物事の道筋を決定してしまうような力はない。言ったこと、表現したことのみが意味を持ち、価値を評価され、物事を動かす。

裁判(Trial)は民事事件/刑事事件の別を問わずにすべからくひとつのゲームである。裁判が民事、刑事、行政訴訟のいずれも、とてもよくできたゲームであることを知ると退屈な人生の日々にたのしみが増える。

自分の人生とはいささかも関わりがなく、ゲーム(裁判)がどのように進行し、どのような結末(判決)を迎えようと自分にはなんらの影響も受けない。たとえそのゲームが「殺人」という重大事にかかわるものであり、結末が被告人/被害者あるいは被害者遺族に大きな影を落とし、人生を激変させるとしてもだ。その一部始終を岡目八目、外野を決めこんで直接的に見物できるのだ。

法の庭における秩序を乱さないかぎり、追い出されること(退廷命令)もない。「疑わしきは被告人の利益に(いわゆる「推定無罪」)」や「一事不再理(確定判決がある場合には再度実体審理することを禁じる刑事司法の大原則のひとつ。憲法第39条等)」や「二重処罰の禁止(同一の犯罪で二度有罪にはならない。Double Jeopardy/ダブル・ジョパディ)」「毒樹の果実の法理」等々はゲームを面白くするための知恵の産物、調味料だと思えばいい。刑事訴訟法や民事訴訟法、この二法にかかわる諸規則はゲームブックである。

レフェリー、ジャッジの裁判官(裁判官は英語では「Judge」、「法を示す者」「正しい判定をする者」の意。仏伊西葡語ともに綴りは異なるが語源はラテン語の「Judicare」である。独語の裁判官をさす「Richter」は「Richtig」、すなわち「正しい」を語源としている。カール・リヒターもスヴャトスラフ・リヒテルも先祖には裁判官がいたのだろう)、敵キャラの検察官検事、主人公キャラの代理人弁護士、被告人、被害者、原告/被告、証拠、証言。これらの登場人物らが丁々発止の訊問や反対訊問等々を通じて人間、人生の綾を垣間見せながらゲームは進行し、「判決」というエンディングを迎える。

基となるストーリー(事件)と登場人物(事件関係者)のパーソナリティがつまらなければ、そのゲームはただ退屈で凡庸な駄作ゲームになるし、元々の事件が凡庸であっても、登場人物のキャラが立っていればゲームは名作となることもある。

「裁判員制度」の導入によって、無作為に選ばれた一般人が「裁く側の者」として裁判に加わるようになったが、これは笑止千万である。法の素人であり、社会情勢に安易に流される大衆に「正しい判断」ができるとは到底思えないからだ。百害あって一利無しの典型である。早急に制度自体の見直しを図るべきである。

また、東日本と西日本ではエンディング(判決)の相場が異なるところも見もののひとつだ。東日本圏では相場が高く、西日本圏では相場が安い。具体的には似たような凶悪な刑事事件の事案について、東日本圏では「極刑(死刑)」の判決が下され、西日本圏では「無期懲役あるいは長期の有期刑」が言い渡される傾向があるということだ。
 
by enzo_morinari | 2018-10-30 18:28 | 法の庭先 | Trackback | Comments(0)
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