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ある新米非常勤講師と青白く輝く新月とコルトレーン

 
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ジョン・コルトレーンの『Crescent』をずっと聴いている。青白い炎がゆらめくような静かな熱情。変貌しつづけるコルトレーンが唯一立ち止まったときの記録。1曲目の『Crescent』につづいて『Wise One』がかかる。賢者。賢き者。マッコイ・タイナーの静謐なピアノのあとにさらに静謐なコルトレーンのテナー・サックスのソロ。遠い昔のいくつかのシーンが静かによみがえってくる。

高校2年の秋。文化祭をめぐる緊急臨時生徒総会でのことだ。私は文化祭のテーマをめぐって、学校側、生徒会と対立し、生徒会規則に則って臨時生徒総会の招集を求めた。

高校解体! ○○高を日本のカルチェラタンに! それが私と私の悪童仲間、一味が掲げた文化祭のテーマだった。学園紛争が尻すぼみの格好で終熄し、浅間山荘事件も忘れ去られようとしていた時代。このようなテーマが学校側に認められようはずもないことはわかっていた。わかってはいたが、ふやけた空気、ぬるま湯のような雰囲気をぶち壊したいという思いが強かった。わずか数日でもいい、受験にかかわることのすべてを忘れて学校全体をなんでもありの解放区にしたかった。

当然、目論見はことごとく粉砕され、裏切り者、脱落者、傍観者を生んだ。そして、幾人かの仲間が去っていった。私は最後まで残った悪童仲間とともに校舎の屋上に立て籠ることを企て、最初に新米非常勤講師に相談した。新米非常勤講師は苦笑しながらも嬉しそうだった。

私が通っていた高校は教員も生徒も「偏差値」と「東大合格者数」しか頭にないつまらぬ輩ばかりだったが、新米非常勤講師はちがった。志があった。「読むべき本」「観るべき映画」「聴くべき音楽」、そして「考えるべき事」のリストが新学期の最初の授業の冒頭に渡されるのみで、教科書のたぐいはいっさい使わず、黒板に板書もしなかった。

毎回、あるテーマをめぐって、その意味、成り立ち、背景、問題点などについて自説を展開し、生徒とディベートすることが新米非常勤講師の授業スタイルだった。教科書を持参しない私には都合がよかったばかりでなく、すこぶる楽しい時間であった。中間、期末の試験は白紙の藁半紙が配られ、自由課題で書きたいことを書くというものだった。返された答案用紙には赤ペンで寸鉄釘を刺す講評が書きこまれていた。

新米非常勤講師のそのようなやり方は姑息臆病小心な職業教員どもの格好の標的にされたが、新米非常勤講師はまったく意に介さぬ様子だった。それもまた私にはたまらなく痛快だった。私のこましゃくれて悪意に満ちた質問の数々に新米非常勤講師は丁寧に答えてくれた。

やったことだけが残るのです。恥じることはありません

土曜の放課後の職員室。消沈する私と数人残った私の悪童仲間に新米非常勤講師は言った。そして、私たちを自宅へ招いてくれた。

自由が丘の駅にほど近い住宅街の一角に新米非常勤講師の自宅はあった。広い敷地に建つ母家の外観は黒死館もかくやとでもいうべき古色蒼然としたものであって、外壁を越えて生い茂る庭の木々は鬱蒼としていた。

新米非常勤講師の部屋は「知の洞窟」といった様相を呈していて、風に揺れる欅の梢を眺めるために残された50センチ四方ばかりの窓を除けば、壁はすべて天井に届くほどの書棚に占領されていた。カビ臭かったが、生き生きとしていた。熾き火の熱のようなものが新米非常勤講師の部屋にはあった。

酒を飲ませてもらい、晩めしにもあやかった。そして、「人生いかに生きるべきか」に端を発したことどもについて明け方まで語り合い、大笑いし、胸震わせ、放歌高吟し、ついには全員で雑魚寝した。あやうくも懐かしい忘れがたき思い出である。

以後、新米非常勤講師の自宅を訪ねるたび、私は断りもなく目についた書籍、ビニル・レコードのたぐいを持ち去り、新米非常勤講師がそれを咎めることはなかった。私の手元にはいまも、返しそびれたまま光陰を経た新米非常勤講師の本とLPレコードがある。

「あんたは教員じゃない。教師だ。まぎれもない教師だ。教師の中の教師だ」

私が言うと、その新米の非常勤講師は人目も憚らずに声をあげて泣いた。

「ここにいるほかの有象無象は員数合わせの教員にすぎない。員数合わせの輩どもから学ぶことなどない」

生徒総会は静まり返った。

「おれの言うことに異議のあるやつは今言っとけ。生徒も教員どももだ。あとで陰でこそこそしやがったらただじゃおかねえからな。一番恐ろしいのは失うもののない奴だ。俺様だ。おぼえとけ!」

しばし待つ。1000人を超える小僧小娘、教員全員が惚けたように俯いていた。私が唯一、「教師」と認める新米非常勤講師を除いて。

新月が青白く輝く夜だった。新月。Crescent/クレセント。白刃の切っ先のような青白い新月。その切っ先を突きつけられる。おまえはそれでいいのか?

「三日月じゃなくて新月」と新米非常勤講師は言った。「そのほうがずっといい」
「だな。ところで、これからどうするよ。おれはすでに退学する覚悟はできている。あんたは?」
「私もです。でも、森鳴さんは絶対に学校をやめないでください。絶対に。絶対という言葉を使うのは信条に反しますが、絶対に」
「あんたがいない学校で学ぶことに意味などない。大学へ行くについては、大検取って受験という手だってある。世界なんてのはすべてどうということのない過程の寄せ集めでできあがってるんだ。例外なく、だれもが行き着く先は一緒だしな」

そこでやっと新米非常勤講師は笑った。

「森鳴さんこそが私の教師です」
「今頃になって気づいたのか? にぶい野郎だ」
「すみません」
「謝って済むならマッポ、デコスケは用無しだ」
「でも、森鳴さんを警察に迎えに行くのはいつも私でしたよ」
「過ぎたことは忘れるんだな」
「忘れられないことだってありますよ」
「たとえば?」
「言いたくありません」
「言いたくなくても言うんだ」
「どうしてもですか?」
「どうしてもだ。それがおれと付き合うための掟である」
「わかりました」
「言うのか?」
「はい」
「本当は言いたくないんだよな?」
「はい」
「じゃあ、言わなくていい」
「いいんですか? 掟は?」
「世界には例外という便利なものがあるだろう」
「なるほど。さすが森鳴さん」
「でも、いつか聴かせろよ。あんたの言いたくなくて忘れられない思い出を」
「はい。いつか必ずお話しします。森鳴さんだけには是非とも聴いてもらいたい」
「うん。わかった。── 泣くなよ。湿っぽいのはごめんだ」
「わかってます」
「泣いてるじゃねえかよ」
「うれし涙です」
「そうか。うれし涙か。じゃ、泣きたいだけ泣いてよろしい。涙が涸れるまで泣け。おれのために泣け。少しはあんたのためにも。そして、死んだあんたの友人たちのためにも」
「えっ?!」
「すべてはお見通しだ」
「ありがとうございます。友人の...」
「黙れ。みなまで言うな。すべてはお見通しだって言ったろう?」
「はい」

沈黙。深く鋭く青白い炎のように研ぎ澄まされた沈黙。新月は身じろぎもせずに輝いている。風が耳元で少し鳴る。

「月の輝く夜だなあ」
「本当に」
「一杯飲むか?」
「それはちょっと」
「飲ませろよ」
「ヤバイですって」
「鞄に酒入ってるのもお見通しだがな」
「げっ」
「出しな」
「出しません。でも、落とします」

新米非常勤講師はトリスのポケット瓶を地べたにそっと置いた。親指の腹でキャップを回転させて弾き飛ばし、ひと息で半分ほど飲んだ。そして、新米非常勤講師にポケット瓶を渡した。新米非常勤講師はちびちびと嘗めるように飲んだ。

「コルトレーンの『Crescent』と『Wise One』が聴きてえな。今夜の月とあんたのために」
「ありがとうございます」
「泣くなよ」
「泣きません」
「泣いてるじゃねえか」
「汗です。眼からしょっぱいものが出ているだけです」

その後、今日に至るまで、最期まで新米非常勤講師の口から「言いたくなくて忘れられない思い出」が語られることはなかった。だれにでも言いたくないことのひとつやふたつはあるものだ。それはさておき、新米非常勤講師はこの夏、 あの夜とおなじ白刃の切っ先のような青白い新月が輝く夜に、”例外なく、だれもが行き着く先” へ先に行ってしまった。私の先を越すとはふざけた奴だ。しかも、私になんの断りもなく。心得ちがいも甚だしい。まったくもって腹立たしいかぎりだ。私の教育、指導が足りず、至らなかったのでもあるか。

世界はまた一人、教師を失った。師と呼ぶに値する者を。それでもなお、万象は幽けき沈黙を守っている。

Wise One ── 賢明なる者の死にこそふさわしい。

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 Wise One - John Coltrane Quartet
 Crescent - John Coltrane Quartet
 Crescent (Full Album/1964) - John Coltrane Quartet
 
by enzo_morinari | 2018-10-24 04:54 | 昭和の寓話 | Trackback | Comments(0)
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