Q1 次のメニューにどんな調味料をかけますか?
・目玉焼き・・・モンゴル産岩塩 『蒼き狼』
・納豆・・・調味せず。納豆は完全食である。「なにも足さない。なにも引かない。」が正しい。(粂納豆を常食している)
・冷奴・・・調味せず。豆腐は完全食である。「なにも足さない。なにも引かない。」が正しい。せいぜいが山葵のおろしたて添付。(『風に吹かれて豆腐屋ジョニー』いいよ、『風に吹かれて豆腐屋ジョニー』)
・餃子・・・喰わない。だから、わたくしはニオワナイ。
・カレーライス・・・ワダカンの醤油をひと垂らし。 (普段はスパイスを碾き、小麦粉を炒り、自家製ペーストを作るが、その気力がないときは市販品のカレー・ルーを用いる。いいものがずいぶんと出回っている。好み・嗜好に応じて、異なるブランドのものを混合使用することをお勧めする。ちなみにわが家ではS&Bのディナー・カレー中辛、こくまろ甘口、ZEPPIN辛口をブレンドしている。たいへんに満足のいくものができあがる)
・ナポリタン・・・喰わない。わたくしは「まがいもの」を口にしない。ナポリタンはパスタでもなければクチーナ・イタリアーナでもない。料理ですらない。ただの「サテンめし」にすぎない。タバスコと粉チーズ(断じて、「パルミジャーノ」とは呼ばせない!)をふりかけまくってかきこむがお似合いの食料である。飼料である。食の対象とはならぬシロモノだ。
・ピザ・・・喰わない。わたくしは「ピザ10回」の例のアレには騙されない。
・生キャベツ・・・なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。
・トマト・・・ なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。(愛弟子のポルコロッソの大好物でもある)
・サラダ・・・なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。 あえて調味するならバルサミコをひとふり。
・カキフライ・・・虹子特製のウスター・ソース(いずれ商品化する)
・メンチカツ・・・御殿場・山崎屋のメンチカツならエリー特製のとんかつソース(いずれ商品化する)
・コロッケ・・・モノマネはきらいだ。
・天ぷら・・・モンゴル産岩塩『蒼き狼』(ときとして玉露抹茶と混合)
・とんかつ・・・虹子特製のとんかつソース(いずれ商品化する)にワダカンの醤油をひと垂らし。
・ご飯(米)・・・モンゴル産岩塩『蒼き狼』
・パン・・・パン・ド・ミーならグリエし、パン・トラディスィヨネルならそのままで、オリオ・ディ・オリーヴァにモンゴル産岩塩『蒼き狼』を少々混合させ、前記パンをつけて喰らう。
・ひらめの刺身・・・栄醤油の「甘露醤油」にひらめの肝をといて。
・牛丼・・・喰わない。満腹感製造工場の「食わせ物」を喰わねばならぬ理由など微塵もない。
・烏賊そうめん・・・栄醤油の「甘露醤油」に当該烏賊のワタをといて。またはモンゴル産岩塩『蒼き狼』
Q2 周囲に意外だと驚かれる「好きな組み合わせ」はありますか?
胡瓜をごく薄く輪切りにしたものと鯵のタタキと九鬼の太白純正胡麻油と信州一味噌(白)を混合させ、富士の地下で磨きに磨かれた天然水の冷水で稀釈撹拌し、かち割り氷をぶち込む。これをごくごくがぶがぶと喉を鳴らし、一心不乱に飲む。漁師と百姓と木樵とマタギと仙人と氷の微笑のそれぞれの気分が味わえる。
Q3 それが一般的だとは知っていて苦手な組み合わせはありますか?
ない。万物は歓喜とともに食するに値する。
Q4 レパートリーの数は?
数えきれない。わたくしは万物、森羅万象を調理し、調整し、調味する者である。
Q5 最後に作った料理は?
赤ピーマンのムース(サイス・マサオ直伝)、エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソース(サイス・マサオ直伝)、クー・ド・ブフ・プレゼ(牛のしっぽの赤ワイン煮込み/ベルナール・パコー直伝)、焼きめし(ハルキンボ・ムラカーミが腰を抜かし、羊男を縛り上げたうえに丸刈りにして丸焼きにし、クレタとマルタのエーゲ姉妹からクレハとサランのラッパー姉妹に鞍替えするほどの傑作であった)。
Q6 最後に買った食材は?
豊後牛のしっぽ、金華豚のチャーシュー、伊達の玉子、相模湾産桜えびの干したもの、長ネギ
Q7 思い出に残る自作料理は? 三つ挙げてください。
母親の死の直前、彼女の所望によるにぎりめし(塩化ナトリウム以外の「しょっぱいもの」が畢生のにぎりめしを生んだ)、おなじく、オムレツ(塩化ナトリウムはもはや必要なかった)、おなじく、大根の味噌汁をじゅうぶんに冷やしたもの(味噌以外の「しょっぱいもの」の「偶然の降臨」が最高にして最後の仕上げとなった)
Q8 好きなお店は?
六本木/海南鶏飯食堂(インドネシア料理/マンダリン料理)/六本木高校の壁面がモダン・アートのような借景となっている/オーナーの小西氏はマッキャン&エリクソン博報堂のNO1営業マンだった。そばにいるだけで元気になるスコブル付きの好人物。チーフ・ウェイトレスのガチャピンは才色兼備にして気立てよし。一度、本気で口説き、あと一歩のところまでこぎつけたが小西氏に懇願され撤退。人生、なかなか思うようにはいかないものである。/いまや消滅したが、(「バブル期から90年代半ばまで」という限定付きで)南青山/AOYAMA KIHACHI(「無国籍料理」という名のトーキョー・キュイジーヌ。根津美術館の目と鼻の先にあった。現在のKIHACHI系列店は足を運ぶに値する料理もサーヴィングもないと断言しておく。アニエス・ベーだのAfternoon TeaだのTO THE HARBSだのサザビーズだのスタバだのの舶来かぶれ商売に余念のない双子の片割れのスズキ・リクゾーの「悪しき商魂」にクマガイ・キハチが影響されたのだと推測される。余命は短かかろう)、箱根/オーベルジュ・オー・ミラドー(宿泊施設付きフレンチ・レストラン。オーナー・シェフのムッシュ・カツマタの実兄は六本木プリンスのメイン・レストラン「トリアノン」で長くシェフ・ソムリエをつとめた人物にしてソムリエ世界一である。タサキ・シンヤなどという小僧っ子とは品格・品性・見識のレベルがちがう)、浅草・鮨一心(寿司)、雷門・柿汁(和食)、目黒/勝丸(支那そば屋/「昔の東京ラーメン」古川橋のたもとの掘建て小屋に毛の生えたような店でやっていた頃からのファンである) 、東駒形/もつ焼きとん平(もつ焼き屋)、浅草/天健 (てんたけ/かき揚げ丼)、鎌倉・七里ケ浜/珊瑚礁(ビーフ・サラダと海老みそカレー。創業者のアロハ髭おやじには10代の頃からずいぶんと世話になった。日本に最初にサーフボードを持ち込んだ人物にしてガラッパチ。心臓発作で「うーっ」と唸ったきりアディオース。早すぎる死だった。この国は惜しい人物を失った。)
かくして、本日も東京は美味礼讃に余念のない天使の厨房のごとくに天下太平楽である。