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三浦木花咲耶姫一家のミット&ファブルな日々

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三浦半島に木花咲耶姫一家というヤクザの組織がある。暴力団対策法による指定暴力団の指定は受けていない。なにしろ、木花咲耶姫一家は親分の三代目木花咲耶姫、木花木実以下全員女。構成員3名しかいない弱小組織である。どこの系列にも属さない独立組織。一本独鈷。

木花咲耶姫一家の本部事務所は江川造船所が特注で建造した和船の漁船である。船長室と操舵室の神棚には花の命は短きがゆえに一日の花を摘めと毛筆書きされた掛け軸がかかっている。号には初代木花咲耶姫 木花草女とある。

大抵は毘沙門湾の南側に停泊している。煮炊きをする際は毘沙門洞窟弥生時代住居跡を使う。いずれも違法係留、不法侵入だが、そこはそれ、ヤクザである。違法不法は承知の上、ヤクザがいちいち法律を守っていてはおまんまにありつけない。おまんこも干あがる。おとこ日照りになる。

そもそも、ただでさえ、まともにめしが食えていない。全員、体脂肪率は1桁である。ダイエット希望者は木花咲耶姫一家に体験入門することをすすめる。ダイエットだけでなくサヴァイバル術も身につく。釣りもうまくなる。草むしりや農耕作業も。天地返しはどこに出ても恥ずかしくないスキルが身につく。

早い話が木花咲耶姫一家は漁業(密漁含む)と農作業手伝いがシノギの中心/オギノ式の要である。半農半漁。狩猟採取生活。原始にして原初。退行にして太古。鼓童とサムルノリは赤の他人。

ごくたまに陸に上がった漁師や農閑期の百姓/果樹農家を相手に手本引きの花札賭博を開帳する。当然、イカサマはある。札の絵柄を瞬時に変えてしまうのだ。花札だけにお手のものだ。花のことなら木花咲耶姫一家。花も売る。春も売る。

賭場は毘沙門洞窟弥生時代住居跡である。篝火、焚き火の中での博打は幽幻である。ゼニカネも有限である。


私? 天照大神である。四の五の言うなら隠れちゃうよ。真っ暗になっちゃうよ。いいの? いいの? どうなの?

さて、いったいいつからこの国にはヤクザがいなくなってしまったのだろう。暴力団員と呼ばれる一群の人々はいても、ヤクザと呼びうる人物を見なくなって久しい。愚連隊の王・モロッコの辰、東西に並ぶ者なき素手ゴロの王者・花形敬、下谷の万年東一。

かつてこの国が貧しく、誰もが飢えていた時代に一陣の風のように時代を駆けぬけ、消えていった無頼漢たちがいる。彼らは愚連隊とも呼ばれて、眉を顰められる存在ではあったが、生命力に充ちていた。悪辣ではあったが、悪事悪辣を通して人々に生きることのダイナミズムを吹きこんだ。

いつしか、この国は豊かさを美徳のひとつに数えるようになり、安定を手に入れ、それと引きかえに生命力を失った。街から愚連隊の姿は消え、クレゾールの匂いのする衛生的な街が全国にできあがった。我々が手に入れ、失ったものはなんだろう? それは骨太な、生きることにかかわる単純明快な「欲望」であった。

ヤクザの由来については様々の説がある。とりわけ、折口信夫の『ごろつきの話』はとても参考になる。

八九三と書いてやくざと読ませる。これは八と九と三の数字を足すと花札のオイチョカブの最低の数、ブタになるところから、役に立たないこと、まともでないこと、つまらないことを意味し、使いものにならない中途半端な人間を表わしている。また、役座とも書く。地域の調整役とでもいった意味合いが込められているのだろう。

ヤクザのことを任侠、侠客、博打うち、博徒、極道とも言う。博打うちは文字どおりだが、生きるか死ぬかという究極の選択を常に迫られるヤクザ本来の生き方を表現しているように思える。同様に、極道も道を極めることの困難と孤独を言い表わしているように思える。

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by enzo_morinari | 2018-10-03 13:16 | 木花咲耶姫一家のミット&ファブルな日々 | Trackback | Comments(0)
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