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Tais-toi! パリの「初語」と世界の天井と病としての過剰

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わたくしの初語は「Tais-toi!(うるさい!)」である。生後5ヶ月のことだ。母親を含め、周囲の者どもはわたくしの初語の早さにたいそう驚いたようだ。異国の地で一人、シングル・マザーとして生き、日々の暮らしを立てていた母親の苛立ちがわたくしの初語に現れたのだと思うが、それは無理からぬことである。いずれにしても、わたくしと母親の環境がうるさかったことはまちがいない。

母親によれば、1歳の誕生日前から、わたくしはただ座して、ひたすら喋りつづけたという。ただ座して、ひたすら喋りつづける乳児。ときに腕組みをし、ときに両手を頭の後ろで組み、ときに虚空を見上げながら。このときすでに、わたくしのマドレーヌ現象は始まっていたと考えてよい。

話の内容はその日の天候、光の具合、誰と誰がやってきてあれこれについて話していた、誰それの顔はいい顔だが誰それの顔は変、誰それの声はいい声だが誰それの声は悪い、朝ごはんは色どりがよくない、一人のときが一番気持ちよく、楽しい、しかし、ずっと一人でありつづけることはできないといったようなことを途切れることなく喋りつづけ、ついには喋り疲れて大きな鼾をかいて眠りにつく。その様子が母親の当時の日記に克明精緻に記されている。

母親はわたくしのマドレーヌ現象をたいへんに心配し、パリ16区の市民病院をたびたび訪れ、相談した。もちろん、診断などできようはずはない。世界の天井と言えども、すべてを受け止められるわけではないのだ。

遠い日、病としての過剰について小1時間にわたって考えたことがある。その思考の過程は思考実験とでも呼ぶにふさわしく、当時、即物的な俗物、無名の小僧っこにすぎなかったわたくしにはけっこうしんどかった。答えはなかなか出なかった。

考えあぐね、立ち止まり、気分転換、思考転換のつもりで因数分解の問題と戯れている最中、不意と毒くらわば皿までという言葉が浮かんだ。霧はいっきに晴れた。そして、以後、毒くらわば皿まではわたくしの裏座右となった。8歳の秋のことである。

わたくしは過剰である。過剰な知識欲、過剰な権力欲、過剰な金銭欲、過剰な性欲、過剰な食欲、そして、過剰な破滅欲。さまざまな過剰がないまぜとなって、わたくしのマドレーヌ現象は生起している。もちろん、養老猛司が指摘するように大脳生理学的な問題も影響してはいるだろう。しかし、ある未知の組織 ≒ 新脳はわたくしの意識が、あるいはわたくしの命が持つ「業」が自ら選んで作りだしたというのがわたくしの考えだ。


(補遺) 
いわゆる「マドレーヌ現象」について
発語または記述の際、ある「言葉」「事態」「現象」「音」「匂い」「味覚」「感触」等を契機端緒として、連関の有無を問わずに言葉、発想が連続継起していく表現行動の一形態。その際、記述、発想、発語の跳躍、跳梁は、当該現象が長引くのに比例して、さらに跳躍量を増すことが認められる。

養老猛司博士は「大脳辺縁系の下部にわずかに認められる未知の組織 ≒ 新脳が他の組織を刺激し、言うところのマドレーヌ現象を誘発させていると思料されるが、その機序はあきらかではない。扁桃体と海馬の大きさは平均値の2.4倍である」と述べている。さらに、「また、マドレーヌ現象時、2種類の独立した脳波を検知した。ひとつはレム睡眠時の波形を示し、いまひとつはあたかも”読書している”ときのような波形を示した。これらについてはさらなる観察、分析が必要である」とつけ加えている。

Tais toi petite folle - Helena Lemkovitch
 
by enzo_morinari | 2018-09-24 17:02 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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