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辺見 庸を前倒し野辺送りする/非在の葬列の向こう側で生前追悼(2018年8月18日午後4時4分44秒現在、生存未確認飛行物体相馬野馬追矢追純一済み)

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悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ。それを今も探している。辺見 庸

明日は保証するものではない。追悼すべきものである。E-M-M


辺見 庸からは魂と眼差しの研ぎすまし方と事実/事態/事象/現象との向きあい方を学んだ。まだ学ばなければならないことは山ほどあるのに辺見 庸は逝ってしまった。

知るかぎりにおいて、この国で唯一、大震災と真正面から向きあった辺見 庸。眼の海の死者たちにふさわしい言葉をじゅうぶんにあてがい、それでもなお言葉を探しつづけた辺見 庸。辺見 庸は眼の海の海底/黄泉の水底/地獄の奈落でも言葉を探しつづけるんだろう。

開高健先生も大森荘蔵先生も中上健次大兄も共同幻想本舗の吉本隆明もすでに身罷った。この先、だれからなにから学べばいいのか。途方に暮れている。生まれて初めて途方に暮れている。ひと気も街あかりもない秋の終わりの冷たい雨が降りしきる夕暮れの停留所で傘も長靴も雨具もなしにいったいいつ来るかもわからないバスを待っている小学校1年生のような気分だ。つまり、さびしい。つまり、心細い。しょうがないから、鱈と豆腐と白菜と長葱の烏合ウゴウゴルーガ烏滸蝦蟇地獄鍋でも食おう。

酒も飲む。秋ではないから静かには飲まない。飲めない。酒グレたあとは街場に出てひと暴れふた暴れする。肉体言語闘争/ストリート・ファイトのスキルが錆びついていないかの検証だ。還暦の前祝いにはお似合いだろう。辺見 庸を前倒し野辺送りし、非在の葬列の向こう側で生前追悼したんだから整合性もある。問題は本気/殺す気/手加減なし容赦なしでやるか準備運動/肩ならし程度にするかである。暴力反対反対論者としての態度はすでにして決まっている。

21日+1日検事パイもションベン刑もつまらないから10年満期で出所70歳を当てこんだ殺害態様にするか。いい仕事/本筋仕事の前にはG. マーラのシンフォニー第5番第4楽章アダージェットとS. ラフマニノフの交響曲第2番第3楽章アダージョを繰り返し聴く。それですべてがくっきりとする。粒立ちと解像度とダイナミック・レンジが上がる。

さて、サンドバッグはどいつだ? あしたはどっちだ?

大木伸夫の『涙の酒』はいい歌だ。


死者にことばをあてがえ 辺見 庸
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)え

砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ

浜菊はまだ咲くな
畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけのふさわしいことばが
あてがわれるまで


*辺見 庸『眼の海』より

Gustav Mahler - Adagietto (Sehr langsam) from Symphony No. 5 in C Sharp Minor - Mov. 4 - Herbert Von Karajan; Berliner Philharmoniker
 
by enzo_morinari | 2018-08-16 08:00 | He Died As He Lived | Trackback | Comments(0)
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