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STREET4LIFE#4 Riding in my own sweet way.

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自転車乗りには哲学的な自転車乗りとそうでない自転車乗りがいる。E-M-M

水曜日の朝のトレーニング。ジノはバイクをピストからロードレーサーに乗り換える。ジノのトレーニング用のバイクはピュア・ポリッシュブラックのピナレロのカーボンフレームにカンパニョーロのスーパー・レコードをアッセンブルしてある。ハンドル、クランク、シートポストにいたるまでパーツはカーボンファイバーとチタンのものに換装している。総重量5.7kg. ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャに出場するプロの自転車乗りが乗るクラスのハイ・パフォーマンス・バイクだ。

行きつく場所、たどりつく果て。
語りうることと語りえぬこと。
漕ぐ果てにあるもの、あるいはないもの。
語る果てにあるもの、あるいはないもの。

ジノは九段坂をアウター・ギアのまま登りながら心の中でそっとつぶやく。右手の靖国神社をすぎてすぐのT字路を左折し、内堀通りを目指す。まだ街は夜明け前の静寂のうちに沈んでいる。ジノの水曜日の朝のトレーニングは内堀通りを反時計まわりに30周回することである。距離にして約150km。トレーニングの実施は季節、天候、体調、その余の事情にはいっさい影響されない。毎週水曜日の早朝、5年間かわらずに続けている。

27周回目。半蔵門をすぎ、ギアを2段上げて国立演芸場、最高裁判所を横目に加速し、三宅坂をやりすごす。いま、この瞬間、両の手指、上腕、背筋、臀筋、大腿四頭筋、膝関節、下腿三頭筋、足首、そして足底筋にかかる負荷こそがまごうことなき「生」の証しだ。

サイクル・コンピュータをみる。80km/hオーバー。ギア比53T×12T。ケイデンス124rpm。ハートレート・モニターは毎分178回の心拍数を示している。液晶ディスプレイのインジケータがひっきりなしに点滅し、心臓の過負荷を警告する。しかし、ジノはペダルを漕ぐ力をゆるめようとはしない。それどころか、さらにケイデンスを上げようと試みる。カンパニョーロ社製のカーボン・クランクが軋み、撓む。

意識が遠のきかける。それでもジノはペダルを踏みつづける。内堀通りがゆるやかに左にカーブし、桜田門前、警視庁本庁舎屋上のパラボラ・アンテナの一部が視界のすみに入ったとき、ジノの意識は完全に消失した。

ブレーキ・レバーを引こうにももはやブレーキ・キャリパーを有効に作動させるだけの余力は残っていない。レバーを握りしめ、丸裸の筋肉の力を「梃子の原理」によって増幅する。増幅された力は1mmにもみたないインナー・ケーブルを通じてブレーキ・キャリパーに入力される。これらが間断なくなされなければ、カタログ・スペック上、いかにすぐれた制動力を持つ機材であってもその能力を発揮することはできない。すなわち、自転車は1ミリたりとも止まらないというわけだ。同様に、ペダルを踏みこみ、引きあげ、クランクをまわしてチェンにエネルギーを伝達しなければホイールは回転せず、前へは進めない。つまり、自転車とは身体の延長、身体の一部分を構成しているとも言えるのだ。

タイヤは限界性能を超えようとしていた。カーブの頂点で親指の爪ほどの面積で地面をグリップしているミシュラン・プロレース2-20Cが悲鳴をあげはじめる。鈍い擦過音を発しながら車線1本分右にふくらむ。もしもこのときペダリングが止まっていればタイヤはグリップを失い、車体もろとも遠心力によって外側にはじき飛ばされたはずだが、ジノは失神しながらもペダルを踏みこんでいた。

後続の大型車両から悪意にみちたクラクションが鳴る。急ブレーキの鋭い音とゴムの焦げる匂い。そして、罵声。

「これで、やっと死ねるんだ」

そう思った刹那、ジノの胸の奥深くをよぎったのは「言葉の祖国」にたどりつくための地図ではなかったか。残念ながらそれはジノにしかわからない。だが、けっきょく、きょうもまたジノは死ななかった。いつものことだ。

正気を取りもどし、しらみはじめた空に一瞥をくれ、東京の中心にドーナツ状にあいた「聖なる空虚」の周囲をジノは疾走する。

ゴールなど見えようはずもない。内堀通りは環状道路だが、その「円環」は閉じられていないからだ。走りつづける道はけっして引返すことのできない細く長い一本道である。

人はみな途中で死ぬ。例外はない。目的地にたどり着いてから死ぬことなど誰にもできない。つまり、THE END や FIN の文字が都合よく用意されてはいないということだ。もちろん、ゴールはない。

より速く、より遠く。自転車乗りはこのふたつを実現するためにこそ身体を鍛え、食事を制限し、夜明けとともに走りだす。彼らが目指す「速さ」は具体的な数値ではない。彼らは「現在」「今」よりも速く走ることを目的とする。

自転車乗りたちは「此処」ではない「彼処」、「此岸」ではない「彼岸」、「近く」ではない「遠く」を日々夢想し、憧れ、やがて夜明けとともに漕ぎだす。「今」の連続の果てにある「スピードの王国」を夢み、遠く遥かなる「彼岸」に向けて世界中の名もなき自転車乗りたちはきょうもまた走る。走りつづける。ジノは水平線に現れた日輪を凝視し、つぶやく。

Riding in my own sweet way. 世界中の名もなき自転車乗りに、きょうもいい風が吹きますように。


なにものもカンピオニッシモ・ファウスト・コッピの憂鬱を回収することはできない。


In Your Own Sweet Way - Miles Davis
 
by enzo_morinari | 2018-08-13 18:07 | STREET4LIFE | Trackback | Comments(0)
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