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遠い日の夏、山手のドルフィンで海を見ていた午後の思い出

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Once upon a time in The Dolphin, We See the Sea in Sweet Sorrow Afternoon.


昔々の大昔の小さな泡のようには消えなかった恋の話である。小さな泡のようには消えなかったけれども、終わった恋であることにかわりはないし、深傷を負ったし、痛みの痕跡は胸の奥のほうにわずかに残っている。痛みはいまも残っているが回復不能というわけではない。

山手のドルフィンから三浦岬は見えない。晴れた午後だろうと天気雨だろうとゴッデスにライトニング・ボルトが落ちようと水平線がみるみる煙ろうと夏の初めの通り雨が降ろうと相模線が脱線して茅ヶ崎の白いハウスをなぎたおそうと血が先に出ようと片時雨だろうと14番目の月が欠けようとサーフ&スノー日和だろうと見えない。春夏秋冬、1年中見えない。窓に頬を寄せようが飛ぶカモメがジョナサン・リヴィングストン・シーガルだろうがドルフィンの前に雨のステーションができようがシンデレラ・エクスプレスに弾き飛ばされた灰皿が直撃して死のうがかもめホテルといるかホテルといないかホテルと田舎ホテルとラブサイケデリコ・ホテルが合併しようがペンギンズ・バーでベックソお荷物/劣化皇太后の浜崎あゆみがアルバイト先のコストコの3サイズ小さい制服に相撲取り肉塊を無理矢理押しこんだパッツンパッツン状態でディナーロール36個を一気喰いし、巨大ティラミスをむさぼり喰いながらドスコイドスコイと四股を踏んで息も絶え絶えに口パク/18番パクリで『Sweet Memories』を歌おうがバナナ烏賊とバラライカがララバイをめぐってヴァルヴァ合戦しようが見えないものは見えない。断固として見えない。見えたら、それは日系ウガンダ人呪術師にして不全感回収業者であるハルキンボ・ムラカーミの呪いである。走行中に突如車内の照明が消える地下鉄銀座線の大猿の呪いに匹敵する狷介胡乱さである。

山手のドルフィンは小さなレストランではないし、古い暖炉も真赤なバラも白いパンジーもないし、ブルーの絨毯は敷きつめられていないし、メニューに貨物船が航行できるような巨大なソーダ水はないし、ドルフィンの紙ナプキンはインクがにじまない。ドルフィンの3階にあるトイレの入口を入って左側の壁に「ユーミンのうそつき!」と落書きしたのは17歳の私である。

「ねえ、約束して。忘れないって。もう二度と会えないかもしれないけど、忘れないって」と彼女は言った。目には涙がにじんでいた。彼女の涙をぬぐうことすらできない自分の不甲斐なさが腹立たしかった。彼女と出会った高校生の頃からおなじだ。30歳を目前にしたおとなの男の態度ではない。情けないもいいところだ。

「忘れないよ。きっと忘れない」

そう答えるのが精一杯だった。夏が終わる頃には彼女はもうこの世界にいないからだ。彼女との14年4ヶ月の日々がよみがえる。正確には14年4ヶ月と24日だ。宝石のような14年4ヶ月と24日。かけがえのない14年4ヶ月と24日。二度と取りもどすことのできない14年4ヶ月と24日 ──。

世界がゆれる。にじむ。崩れてゆく。見ると、彼女は店の紙ナプキンになにかを書いている。息が荒い。肩で息をしている。この瞬間にも彼女の残り時間は容赦なく削られてゆく。刻々と削られてゆく残り時間に耐えられなくなって彼女は自ら死を選んだ。自ら死を選んだけれども、それは彼女にとって「よりベターな選択肢」だったんだろう。「よりベターな選択肢」というのは高校生の頃からの彼女の口ぐせだった。

彼女はしばらく窓に頬を寄せていたが、カモメは1羽も飛んでいなかった。貨物船も見えなかった。この期に及んでも、やはり三浦岬は見えなかった。

高校2年の秋。2限目の古典特習の終鈴が鳴り終わらないうちに学校を抜けだし、授業をサボった。京浜東北線の根岸駅から歩いて不動坂のゴツゴツした急坂を息をきらして登った。不動坂の崖に彼岸花が群生していた。横浜市営バス103系統の路線バスが脇をかすめていった。根岸森林公園になる前の根岸競馬場跡地の廃墟のような観覧席跡に忍びこみ、彼女がつくったお弁当を2人ならんで食べた。塩ジャケはしょっぱかったし、厚焼きタマゴは甘すぎたし、タラコは焼きすぎだった。でも、おいしかった。お腹いっぱいになった。

フェンス越しにフェンスの向こう側のアメリカである米軍軍属居住エリアのカラフルなペンキがペイントされたハウスを眺め、M16自動小銃をかまえたMPに追い返され、立ち去るときに、Kiss My Ass Hall! Monkey Donkey Yankee! と捨てぜりふをぶちかましてやった。そして、彼女と全力疾走でドルフィンまで逃げた。うしろから、Fuck You! Jap! Fuck You! Nip! Fuck You! Yellow Monkey!という怒鳴り声が聴こえた。M16自動小銃の照準はまちがいなく私の頭に合わされていたはずだ。かなりビビったが、冥王星の税務署正面玄関までだって走れるほど気分は高揚し、全身に力が漲っていた。

初めてドルフィンに行ったがメニューにソーダ水はなかったし、三浦岬は見えなかったし、カモメも飛んでいなかった。彼女が止めるのにもかまわず、3階のトイレの壁に「ユーミンのうそつき!」と落書きした。はるか遠い日の思い出。2人とも若かった。若すぎるほどに。空を見上げて雨の気配をさぐる永遠の夏休みのような日々だった。そのような日々が永遠につづくものと思っていた。当然のように。

彼女は陶器のように白くて細くてつるりとした指先で紙ナプキンを私のほうに滑らせた。紙ナプキンには青いインクで「忘れないで」と息も絶え絶えに書かれていた。彼女は「忘れないで」の5文字を書くのに5回手を止めて4回深く息を吸った。こどもの頃から書道を習っていて字がじょうずなはずの彼女の書いた文字はひどくぎこちなかった。ふるえていた。わなないていた。「忘」の文字は途切れ途切れに書いたのが手に取るようにわかった。苦しそうだった。涙でにじんで文字がかすんでみえた。

「忘れないよ。きっと忘れない」

私は繰り返した。やっと。絞りだすように。彼女は私の涙を白くて細くてつるりとした指先でぬぐってから、「ごめんね。本当にごめんね」と言った。

「なんで謝るんだよ。謝るなよ。頼むから、謝ったりしないでくれよ。...忘れないけど、つらいし、痛いだろうな」
「痛いのは苦手だもんね。高校生の頃から。インフルエンザの予防接種のたびにあなただけ大騒ぎしてた」

そう言ってあごを少しあげて笑う彼女の喉元は指先とおなじように白くて細くてつるりとしていた。

夏がくるたびに確実な痛みをともなってせつなかったドルフィンの午後を思いだす。もう、30年が経つ。30年のあいだに数えきれないほどの夏と秋と冬と春が通りすぎていった。多くの人々と出会い、少しの友だちが残った。酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学んだ。

元町POPPYの専務と齢の差/世代の壁を超えて仲良しになり、3年後に野辺送りした。やさしい雨の降る美しい葬列だった。葬列の向こう側ではPOPPYのロゴが入ったレジメンタル・タイがかすむように揺れていた。

『犬の聖歌』を知って愛唱歌/座右の銘とし、最良の友となる世界にただ1頭のミニチュア・セントバーナードのトパンガと出会い、美しい友情を育み、虹の橋へ見送った。憎悪の巡礼/ルサンチマンの旅の日々が始まった。

ほっかむりはゆるさない。なかったことにはしない。水にも流さない。ほとぼりは冷めない。冷めないどころかいや増す。吐いたツバは飲みこませない。倍返しではない。百倍返しだ。

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30年のあいだに、生きつづけるというのは取り残されることであると学んだ。マル・ウォルドロンがビリー・ホリディに先立たれ、取り残された痛みを『Left Alone』で慟哭きながら演奏していた。1988年の8月15日から1989年の8月15日までのあいだ、毎日毎日朝も昼も夜も『Left Alone』を聴いた。

出だしのAsのジャキー・マクリーンが吹くパピポーを聴いて352回泣いた。セルマーのAsを買って『Left Alone』を耳コピーして吹いた。出だしのパピポーはジャキー・マクリーンと寸分たがわずに吹けるようになった。

葬送/野辺送りの調べのようなマル・ウォルドロンのピアノにつづくジャッキー・マクリーンの出だしの1章節を聴いただけで完全にノックアウトだった。より厳密に言うならば、ジャッキー・マクリーンの最初の3音。パピポー。あの3音だけで脳味噌を鷲づかみにされ、ぐらぐら揺さぶられた。

『Left Alone』におけるジャッキー・マクリーンの影響で、最初に手に入れたサクソフォーンはアルト・サックスだった。「パピポー」の「ピ」のところは左の親指でオクターブ・キーを押さえて1オクターブ上げる。単純。シンプル。O Sancta Simplicitas!

ある友人の結婚披露宴で「結婚が人生の墓場であるとは古来よりの定説なので、これに従い、セメタリーへ入定せんとする長年の友人である君に葬送/野辺送りのうたがわりに贈る」と前置きスピーチし、『Left Alone』を吹いた。大顰蹙だった。当然だ。和気藹々とした空気が『Left Alone』のメロディが会場に響きわたると同時に一変した。泣きだす者もいた。その友人は先頃、癌との長い闘病の末に死んだ。奥方を一人残して。

レフト・アローン。ジャッキー・マクリーンのアルト・サックスが哭いている。マル・ウォルドロンのピアノも哭いている。ベースもドラムスも哭いている。

『Left Alone』はビリー・ホリデイ作詞/マル・ウォルドロン作曲。ビリー・ホリデイに先立たれ、取り残されたマル・ウォルドロンの慟哭だ。

マル・ウォルドロンは1957年、31歳のときにビリー・ホリデイの伴奏者に大抜擢され、1959年に彼女が他界するまで影のように寄り添った。『Left Alone』のジャケットを見ると、ビリー・ホリデイがまるで亡霊のようにマル・ウォルドロンの脇に立っている。

ある時期、知り合って間もない人物の魂の質を見きわめるために、なんらの前置き、説明なしで『Left Alone』を聴かせていた。男も女もだ。

哭くかどうか。哭けば合格。ソウル・ブロー。魂風呂にだって一緒に入る。哭かなければ不合格。以後は一切つきあわない。傲岸不遜きわまりないが、人物の魂の質を見きわめることについてのやり方は、いまも当時とそれほど変わっていない。当時とちがうのは生身の人間とはよほどのことがなければ顔を合わせなくなったことだ。

師匠や弟子や相棒や親友や仲間が随分と死んだ。平均寿命の半分も生きなかった者たちばかり。生き急いででもいたか。中には死に急いだ者もいる。

人間は死ぬし、病気になるし、衰えるし、変節するし、手の平を返すし、背を向けるし、裏切る。生きつづけるというのは誰かに取り残され、死ぬというのは誰かを取り残すことでもある。誰もが取り残されたくないし、取り残したくない。おそらくは、そのような地平から心映えというようなものは生まれてくるんだろう。Sweet, Bitter Sweet. 甘く、ときに苦く、ときに甘い。人生という厄介なゲームはそう思っておくくらいでちょうどいい。リズムは3拍子。ヴィヴァーチェとアダージョとダ・カーポをうまく組み合わせて。ときにピアニッシモ、ときにフォルティッシモで。最後はデクレシェンドで物静かに退場。フェードアウト。照明落ちる ──。

***

30年。生まれたばかりの赤ちゃんは区役所の戸籍係として住民全員の戸籍と住民票と個人情報を把握し、リアルな核の時代がやってきてアトミック・エイジの守護神は去り、ソ連とベルリンの壁は崩れて東西冷戦は終結し、狂ったカルト集団によって地下鉄でサリンがばらまかれ、慟哭とメガ・デスの20世紀は終わりを告げ、厳粛な綱渡りをしていた鯨たちは持続する志を失って死滅寸前、視えない蜘蛛の糸が隅々に張りめぐらされて人間と世界を雁字がらめにし、1000年単位の憎悪と憤怒と怨念の塊がアッラーフ・アクバルというタクビールの下にマンハッタン島のWTCに突っこみ、大地は激しく揺れ、大津波はすべてを飲みこみ、ドストエフスキーはすっかり力を失って、福島のF1, F2, F3, F4はシビア・アクシデントを起こして「黙示録的世界」は現実のものになった。永遠につづく世紀末の始まり。終わりの始まり。

風向きは悪くなるいっぽうのように思える。あしたを信じることはできないし、信じたくもない。経験の「け」の字も知らないような若造小娘甘ちゃんが「もうそろそろ限界」と依存根性丸出しでほざく寝言たわ言とはレベルもラベルもちがう時代になった。追悼するための明日ならなんとか待てる。「もう待てない」と言って東京事変を起こして自裁自死した文武両道軒三島由紀夫の数々の言説がやけに現実味をもって迫ってくる。諸行無常屋の武田泰淳はこの時代をなんとみるか。読み解くか。哀しい視線の小林秀雄は。精度のいい照準で狙いすます江藤淳は。ポンコツボンクラヘッポコスカタン銭ゲバの糸井重里にくいものにされた共同幻想本舗の吉本隆明は。

人間も世界ももうだめかもしれないと思う。いっそ、世界も人間も滅びてしまえばいいとさえ思う。そう思うたびに彼女の「ちゃんとして!」という声が聴こえてくる。遅刻ばかりしている私を叱る学級委員の頃の彼女の声が。「ちゃんとするのよ! 森鳴燕蔵!」という彼女の凜とした声と胸の奥がくすぐられるような笑顔が ──。

日々、時々刻々、またみることもないわけいってもわけいっても青い山は遠ざかり、すべては二度と取りもどすことのできない遠い場所に向かって299792.458km/sで音もなく去っていくが、彼女との日々が色あせることはない。もちろん、あの遠い日の夏のドルフィンで海を見ていた午後も。どうか、そうあってほしい。あと10年。いや、あと5年でいいから。

***

約束は守っているよ。これからもずっとね。きみとの約束の紙ナプキンは『MISSLIM』のアルバム・ジャケットと一緒にしまってある。ときどき、取りだしたくなるけど我慢する。涙で文字がにじんで読めないのがわかってるから。

『MISSLIM』はビニルのLPレコードもCDもあるけど、聴いていない。聴かない。聴けない。心が折れるにちがいないから。あのあと、ドルフィンには行っていない。

きみによく似た女の子1号はこの春、やはり、きみによく似た女の子4号を産んだ。33歳と0歳のきみによく似た女の子。DNAの新しい物語のはじまり。遺伝子の船に乗って君へと受け継がれ、君から受け継がれたオデュッセイア/イーリアスをもしのぐ壮大な叙事詩はつづく。

きみがおばあちゃんとはね。おれはおじいちゃんだけど。なんだか、すごくへんな感じだ。きみによく似た女の子2号と3号は去年、そろって人生の同行者をみつけた。それぞれ、サンディエゴとパリに住んでいる。そこでも、いずれまた別のDNAの新しい物語がはじまるはずだ。いい物語になればいい。いい物語になることを願う。きみも少し力を貸してやってくれ。なにも足さず、なにも引かない程度におれも力を貸す。年老いた背中、しぐれゆくうしろ姿を見せることくらいしかできないけどね。

きみによく似た女の子1号2号3号にはただの1度も涙を見せずにきょうまで生きてきた。自分で自分をほめてやりたい。きみにも「よくがんばったね」って頭を撫でてもらいたい。昔のように。いい子いい子って。でも、そろそろ、泣いてもいいだろう。そして、いつかきみによく似た女の子たちに、きみと出会い、ともに歩き、ともに笑い、ともに泣き、ともに生きたすべての日々を、遠い日の夏にきみとドルフィンで海を見ていた午後のことを話そうと思う。みんなで『海を見ていた午後』を繰り返し聴きながら。いままで我慢してきた涙を思うぞんぶん流しながら。涙のステップを踏んで。きみと最後の最後にドルフィンに行った7月27日の午後の数時間、ドルフィンを借りきって「『海を見ていた午後』の午後」というのもいいな。ずっとエンドレス・リピートで『海を見ていた午後』をかけてもらって。どうしようもなく痛くてせつなかった1988年7月27日の午後に頬ずりし、どうしようもなく痛くてせつなかった1988年7月27日の午後を追悼し、埋葬し、あきらめきれずに掘り起こし、また頬ずりし、埋めもどし、埋葬するために。

きみにも聴こえたらいい。きみにも届けばいい。きみに届け。なんならおれが届けにいく。スペシャル・デリバリーで。バイシクル・メッセンジャー仲間のあいだで「平地最速」と言われたおれがピックアップし、ドロップオフする。外堀通りのセンターラインを走りに走って、路線バスとダンプカーとタクシーを風よけに使って、赤坂のサントリー本社から汐留の電通まで3分で届けたおれが。真冬のラルプ・デュエズの峠で、たった1度だけ海賊マルコ・パンターニの魂が宿ったこのおれが。マドレーヌ峠で失われた時と1杯の紅茶と誇りを取りもどすために、ファウスト”カンピオニッシモ”コッピとエディ・メルクスとフェリーチェ・ジモンディとベルナール・イノーとミゲル・インドゥラインとランス・アームストロングとヤン・ウルリッヒで構成される幻のプロトンを置き去りにして大逃げをうったこのおれが。

この夏が終わる前にドルフィンに行ってみよう。ひとりで。なつかしい根岸線に乗って。不動坂を登って。『海を見ていた午後』以後にメニューに加わったというドルフィン・ソーダの中に貨物船を通して。小さな泡のゆくえを見届けて。ドルフィンからは見えない三浦岬を思い描いて。窓越しに横浜港を飛ぶカモメを追いかけて。2人で何度も何度も聴いた『MISSLIM』のアルバム・ジャケットときみとの約束の紙ナプキンを窓辺にそっと立てかけて。2人の思い出の痕跡をたどって。


恋は遠い日の花火ではない。
 

Once upon a time in The Dolphin, We See the Sea in Sweet Sorrow Afternoon
 
by enzo_morinari | 2018-07-27 12:55 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)
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