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成熟と喪失 ── はるか遠い日の夏の思い出

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我は悲の器なり 我において何ぞ御慈悲ましまさずや Gen-Shin
我が心は石に非ず 転ずべからず Shi-Kyo
末世の衆生に親子のかなしみ深きこと Kon-Jaku
天人五衰の悲しみは人間にも候けるものかな Hey-Ke
生あるものは必ず滅す 楽しみ尽て悲しみ来る Hey-Ke
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる Chu-Yah

日本ですごす最後の夏になるので、ずっと夏にまつわることを考えている。夏のにおい、夏の色、夏の音、夏の風景、夏のかなしみ。そして、夏の思い出。さよなら、日本の夏ということである。

夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)はこどもの頃から好きな歌だった。歌詞もメロディもいい。夏の盛りがやってきて、入道雲が湧きあがった空を見ると『夏の思い出』を口ずさんでいる。

しかしながら、こどもの頃、夏は苦手だった。夏の暑さと湿気がつらかった。いまからは信じられないことだが、私は腺病質のこどもで、同級生が夏の訪れを心待ちにしてはしゃいでいるのを横目で見ながらだれにも気づかれないようにため息ばかりついていた。夏休みが来てもちっともうれしくなかった。市民プールのそばを通ると胸が疼くように痛んだ。水しぶきの音や歓声や笑い声が鋭利なナイフとなって侵入し、私の中のなにもかもをズタズタに切り刻んだ。蟬しぐれさえ悪意の棘の塊りに感じられた。夏はなにかしらの実体をともなって突き刺さってきた。夏休みは空を見上げて雨の気配を探り、雨を心待ちにする日々だった。夏のあいだ、にわか雨や夕立ちは私にとってはかけがえのない救いの慈雨/恵みの雨/Gentle Rainに思えた。

春も夏も秋も冬も週に1度は熱発を起こしていた。40度の発熱はざらだった。最高は42度。世界がグニャグニャに歪み、のたうちまわって見えた。よくぞ生き延びたものだ。

エアコンなどまだ普及していない時代。窓を開け放し、カタカタと異音を発する日立のうぐいす色の扇風機をつけっぱなしにして部屋にこもり、本を読んだり考えごとをしたり言葉あそび(宇宙しりとり/回文/アナグラム/空耳/地口)をしているうちにいくつもの夏が過ぎていった。

そんな私がひと夏の冒険旅行に出たことがある。小学校5年の夏休みのことだ。私はその当時、あるよんどころのない事情で母親から離れ、一時的に生物学上の父親のもとで暮らしていた。

生物学上の父親はそのころ羽振りがよく、有栖川宮記念公園にほど近い元麻布に豪邸をかまえ、「闘う家長」として彼の両親、彼の妻の両親、兄弟姉妹、そして子供たちとともに暮らしていた。

居心地は最悪のはずだったが彼らは私を大歓迎し、愛でた。それでも、こども心にも自分が場ちがいなところに転がりこんでいることはわかっていた。しかも、私が世界で一番憎み、いつか殺してやろうとさえ考えている男の家に。

私は極力彼らと顔を合わさぬように食事や入浴や用便のとき以外は図書室のある地下に逃げこんでいた。食事を図書室に運んでもらったりもした。のちに恋愛関係となる生物学上の父親の妻は私のわがままをいやな顔ひとつせずに聞きいれてくれた。図書室は内側から鍵がかけられたので好都合だった。なにより、蔵書の質と量がすごかった。

学校や町の図書館の本はあらかた読んでいたので新しい本に飢えていた。そんな中、図書室で小田実の『何でも見てやろう』をみつけ、夢中で読んだ。『何でも見てやろう』を読み進みながら一刻も早く旅に出なければならないと私は思うようになっていた。

私が冒険旅行を宣言したとき、生物学上の父親とその家族どものほとんどは猛反対したが、いつも私をからかってばかりいた腹ちがいの兄公(ニコ)だけが唯一味方についてくれた。その当時、ニコは東大仏文科の学生で、孤立無援の一匹狼としてきな臭い日々を送っていたように記憶する。

顔は青ざめ、頬はこけ、眼だけがぎらついていた。長めの前髪がいつも顔にかかっていた。おおかた、『異邦人』のムルソーだか『罪と罰』のラスコリニコフだかを気取っていたのでもあろうが、男っぷりはそこそこのもので、家に連れてくるガールフレンドは美人ばかりだった。そんなニコは私の冒険旅行をめぐる家族会議のあいだ私のすぐ横にいてずっと私の背中に手を置き、さすってくれた。そして、「負けるな」「やっつけてやれ」と小声で私を励ました。最高の応援歌だった。

やると決めた以上、だれが反対しようが問題点/瑕疵/不合理を指摘されようが異議を唱えようが邪魔をしようが妨害しようが決行し、実現するという私の気質はこの頃にはすでにできあがっていて、綿密な旅程表と装備品リストと「旅の目的」をもとに手加減なし容赦なし譲歩なしで反論するともはや異を唱えられる者はいなかった。

旅の目的はただひとつ。なんでも見ることだ。じかに見て聞いて嗅いで味わって触って感じること。私が求めていたのは手づかみ/赤むけのリアルだった。それは今もなんら変わっていない。変えない。

大のおとなどもを説き伏せたときのうれしさ。そして、ニコの満足げな表情はいまも忘れえぬ。

出発の朝、大きくて重いリュックサックを背負い、だれにもなにも告げずに家を出た。見送りはない。見送りなどいらなかった。見送られたくなかった。

雲ひとつない朝だった。7時前なのにすでにまぶしかった。門を出ると「待てよ」と声がした。ふりかえるとニコが立っていた。ニコはまぶしそうに私を見ていた。ニコは私の肩に手を置くと、小さな声で「がんばれ」とひと言だけ言い、私の手にそっと数枚の1万円札を握らせた。私がうなずくとニコもうなずいた。私はくるりと踵を返し、早足で歩きだした。ニコの視線を感じながらさらに早足で歩いた。300m先の曲がり角で家のほうを見るとニコはまだ立っていた。思いだすたびに胸が熱くなる「300mの夏」だった。

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私の冒険旅行はひと夏をかけて北海道を1周するというものだった。フェリーで苫小牧に上陸し、あとはユース・ホステルを泊まりつぐ。何度か野宿もした。

生物学上の父親の故郷である室蘭の絵鞆半島をハルカラモイ、測量山を皮切りに電信浜、地球岬、トッカリショ岬を経てイタンキ岬まで「地質地層探索の旅」をした。全行程徒歩。きつい道中道行きだった。北海道本土に多くみられる更新世中期の火山岩類と絵鞆半島の中新世中期から鮮新世の火山岩や火山砕屑岩類をじかに目にし、比較できたのはよかった。この経験はのちにフィールドワーク、リアリズムという私の人生においてきわめて重要なタームの基礎を形づくるもののひとつとなった。

旅はもちろん面白かったし、たのしかった。多くの発見やたくさんの人々との出会いがあった。襟裳のユース・ホステルではオートバイで日本全国を旅している大学生と仲良くなった。オートバイの後部座席に乗せてもらい、次のユース・ホステルまで送ってもらった。あのときの大学生がいまもオートバイで日本中を駆けめぐっていたらうれしい。

土砂降りの雨の中でバスを待っているとき、長距離トラックが急停車し、「乗ってきな」と言ってリーゼントのあんちゃんがドアを開けた。私は少し迷ったが、彼の顔色がすごくよかったので助手席に飛び乗った。私が札幌で降りるまでカーステレオからはずっとエルビス・プレスリーの曲が流れていた。

新冠のユース・ホステルでは仲良くなった高校生のグループやヘルパーのひとたちと競走馬の牧場までハイキングに行った。馬たちは茶目っ気たっぷりで、柵のそばまで行くと鼻息を猛烈に荒くしながら近寄ってきた。

旅の終り、別れの前夜。判官館の浜辺に出て焚火を囲んでいろんな話をし、歌をうたった。『今日の日はさようなら』をみんなで歌ったときには、今日、このたった今、この瞬間、自分の目の前にたしかにいて、歌い、笑い、話している人々と会うことは2度とないのだと思いいたって涙が止まらなかった。親和欲求と共感性が極端に薄く乏しい私が生まれて初めて「かなしい」と思った瞬間だった。このとき、「かなしい」という感情はいくら手をつくそうと押しとどめることも取りもどすこともできない事態に直面したときに起こることを知った。

どのように手をつくそうと押しとどめられず、取りもどせないと思い知ったときに「かなしみ」はやってくる。いまみている夏の青い空は一刹那ののちには手の届かないところに流れ去って、おなじ青い空は二度とみることができない。宇宙森羅万象はすべて「二度とないこと」を孕みつつ有為転変しながら生起している。そのことのかなしみを深く知ったときに「心映え」が生まれもする。

倫理学者の竹内整一によれば、「かなしみ」の「かな」とは、「○○しかねる」の「かね」とおなじところから出たものであり、それはなにごとかをなそうとしてなしえない張りつめたせつなさ、緊張感であり、自分の力の限界、無力性を思い知りつつもなにもできないでいるときの心の状態を表す言葉であるという(『「かなしみ」の哲学/日本精神史の源流を探る』/NHKブックス 2009年)。

あの夜、一緒に『今日の日はさようなら』を歌った人々は今どうしているか。その後、どのような日々、どのような人生を送ったのか。銀の匙1杯分でも4tトラックの荷台1杯分でもいいからとにかくなにがしかの幸福を感じることはできたか。ひもじい思いはしなかったか。悲嘆に暮れなかったか。悲運にまみれはしなかったか。困窮困憊に打ちひしがれはしなかったか。重篤な病に臥せなかったか。中にはすでに死んだ者もいるかもしれない。なにがどうあろうともすべてはかなしみのうちにある。

それらはなにがしかのかたちで私の財産となっている。しかし、あの遠い日の夏のいちばんの思い出は論理によっておとなたちを説き伏せたという経験だった。

夏。それはまぎれもなく経験の季節だ。経験の数だけひとはなにごとかを獲得し、同時に、おなじ数だけなにごとかを喪失する。ひとはそれを成熟と呼ぶ。

2度と見ることのできない遠く青い空、2度と見ることのできない夢見るように咲き乱れる花たち、2度と見ることのできない石楠花色の黄昏。そして、2度と会うこともない人々 ── はるか遠い日の夏の思い出である。


さよなら、日本の夏。2度と会うこともない。

夏の思い出
夏の思い出 - 鮫島有美子
夏の思い出 - 南澤大介& 加茂フミヨシ
 
by enzo_morinari | 2018-07-14 01:42 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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