人気ブログランキング |

風にそよぐサポナリアの花影で。

c0109850_1691398.jpg


風について考えられるのは、人生の中のほんの一時期のことなのだ。 HALKIMBO-M


シャボン草が芽吹き、花咲き、梅雨の合間に淡く遠慮がちな青空がのぞくとシャボン玉を飛ばす。頬をかすめる風。風にそよぐシャボン草。シャボン草の花の間近で弾けるシャボン玉。すべては風のいたずら、風の気まぐれ、風の意志によるものだ。

風に魅かれる。みえない風に。樹々や草花が揺れる姿やさざめく音、波しぶきが舞い上がるようすを通してしか、頬を撫で、ときに切り裂き、耳元をかすめるときにしかわからない風に。こどもの頃からだ。風が元いた場所を探して海辺の街にたどり着いたこともある。風のゆくえを追って赤城山の麓まで行ったことさえある。なにか問題に直面するとすぐにインドに行ってしまう「インド屋」がいるように、私は煮詰まると風に吹かれる「風屋」であり、星を眺める「星屋」なのだ。七里ヶ浜駐車場レフトサイドに吹きつける強い南風には何度も勇気づけられ、怒鳴られ、励まされ、叱咤され、泣かされ、背中を押され、抱きしめられた。夜空の星に願いごとをしたのは数えきれない。願いごとはすべてかなえられた。近々、「夕焼け屋」になろうと企んでいる。虹が風や星や夕焼けのようにお手軽だったなら「虹屋」にもなりたい。

東京地検特捜部に召しとられたのがきっかけで、東京拘置所前の池田屋で三日坊主修行して「めし屋」になろうと考えた時期がある。めし屋の名前は「プリズン」だ。品書きも考えた。逮捕(鯛のあら炊き)/ガサ入れ(赤座海老の素揚げ)/面会(ニタリ貝の素麺仕立て)/保釈(氷下魚の干物)/未決拘留(ミルベンケーゼ/ダニ入りチーズ)/執行猶予(シコイワシの湯引き)/起訴(木曽産開田きゅうりの酢の物)/論告求刑(ロンゴロンゴウオのカルパッチョ)/判決(棒棒鶏)/控訴(香のもの)/上告(烏骨鶏の丸焼き)/再審(サヨリの石焼き)/冤罪(鮃の縁側)といったところ。「監獄レストラン アルカトラズ」の安田にこのアイデアをパクられたときはタイーホしてやりたかった。自己破産しやがってザマーだ。野毛の飲み屋街にあるめし屋の「小半」の女将にはずいぶんと世話になった。

「小半」は刺身が安くてイキがよかった。スケトウダラの卵と白子を炊きあわせた「たらこ夫婦善哉」がとりわけて好きだった。薄味で昆布と鰹の出汁がたっぷりきいていてコクがあった。牛蒡や人参や大根にも鱈子と白子と出汁の旨味がしみて格別だった。滋味。豊穣。野趣。顔も腹もからだも思わず笑みがこぼれる逸品。大ぶりの器にみっつもよっつも食べた。食べすぎて痛風発作が起きたのは42度。とんだ風っぴきだ。風に吹かれるのは好きだが、ふたつの風には吹かれたくないものだ。池波正太郎も同意見だったが死んでしまった。開高先生も。中上健次も。ふたつの風の会会員で生き残っているのは大江健三郎だけだ。

本棚をざっと見渡すと、タイトルに「風」のついた書物が多い。『風の歌を聴け』『風の谷のナウシカ』『風の博物誌』『風博士』『汐風の街』『風に吹かれて』『南風』『風の又三郎』『風のちから』『風の音楽』『狂風記』、そして『風に訊け』。スキーの板はKAZAMAだし、バイク・グッズは風魔だ。風車の弥七は縁もゆかりもないが遠くも近くもない親戚である。

風に吹かれるのは気持ちいい。流れに流されるのもやっぱり気持ちいい。ときどき立ち止まればいいんだ。ほんの少しだけ。風に立ち向かったり、流れに逆らって前に進むのは百年に一度でいい。本当の孤独は百年に一度味わえば、それでじゅうぶんだ。その孤独に出会うまでは、風に吹かれたり、風の歌に耳を澄ましたり、夜空の星に願いごとをしたり、夕焼けに心をふるわせたり、虹の彼方に夢を託したり、野うさぎの走りに目を奪われたり、人間が歩いてきた道の数を数えたり、ダニー・オキーフとジャクソン・ブラウンの歌う『The Road』を聞きながら自分が歩くべき道を探したり、脇道にそれたり、道草をくったり、遠まわりしたり、近道を探したり、背伸びをしてた自分の影を歩道の上に見つけて泣いたり、名前のない馬イージーライダー号にまたがって自分のためのウッドストックを探したり、廃墟に変わり果てた「僕らの家」を再訪したり、ホテル・カリフォルニアでチェックアウトしようと悪あがきしたり、ならず者を気取って手に入らないものばかり求めてないものねだりしたり、Late for the sky/最終便に間に合わなかったり、明け方の空を見るのに遅れたり、空への旅立ちに遅れたり、初恋カプセルからあふれる想いを伝えるためにいくつもの夜を越えたり、迷宮のシャイニング・クリームリンスを髪の毛につけて凍りついたり、祇園町で舞妓と散歩中に迷子になったり、東方見聞録をガイドブックに旅に出て途方に暮れたり、「大化の改新、虫5匹」とつぶやいたり、因数分解の問題を解いたり、原子周期表を暗記したり、グレープフルーツ・ムーンや酔いどれの月や収穫の月を見上げたり、酔いどれ船と洗濯船とバトー・ムーシュと補陀落渡海船を乗りくらべたり、乗鞍岳にアウター53T×リア15Tでアタックしたり、床一面を南京豆の殻で5cmの厚さに埋めつくしたり、25mプール1杯分のビールを飲みほしたり、「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」とほざいたナイーブロースハム系ウガンダ人のスパゲティ・バジリコ野郎、ハルキンボ・ムラカーミに25mプール1杯分のスーパーウルトラエクストラスペシャル・スメル・ドリアン・スムージーを頭からかけたり、キラー通りの立ち飲み屋C.O.D.の壁に「タヒね! ハルキンボ!」と落書きしたり、19歳の地図に×印をつけたり、TSUNAMIと忘れられたBIG WAVEと稲村ジェーンをまちがえたり、シンデレラ・エクスプレスに乗って帰るいとしのエリーを東京駅13番線ホームで「語りつくせぬことについては沈黙せよ」というヴィトゲンシュタイン先生の言いつけを守って見送ったり、悲しいほどお天気なのに神宮外苑の銀杏並木をじょうずに描けなくて心のギャラリーに居座ったり、芝浦沖の東芝EMIポイントではるかな船旅のあいだに綴った航海日誌を煌めく海に捨てたことを思いだしたり、シーズンオフの心にグレイス・スリックの肖像を描いたり、「9月には帰らない」と言ったのに『September』をずっと口ずさんだり、14番目の月なのにフルムーンだと思いこんで月見酒を飲みすぎたり、最後の春休みに届いた青いエアメイルを涙でにじませたり、山手のドルフィンで海を見ていた午後に100均で買っただっさいサングラスでガラス玉の涙を隠して「恋人と来ないで」と紙ナプキンに赤い口紅で書いて伝言ゲームみたいに新しい恋人ができた元カノに懇願したり、雪月花のときにもっとも愛する者を想ったり、雪を抱き、月を見上げ、花を愛で、かなしくも薄れゆく面影に涙したり、春休みのロッカー室に忘れ物を取りに行ったときに偶然会った同級生の女の子に肩に顔をうずめられて「あの日にかえりたい」とつぶやかれて女の子のうなじに息を吹きかけたり、恋人に化けたサンタクロースに人混みに流されて変わってしまったことを叱られたり、2000tの雨に打たれていればいい。そのほうがずっといい。

かっこつけなくていい。いい人ぶらなくていい。常識人ぶらなくていい。我慢も忍耐も辛抱も必要ない。タスクもノルマもマニュアルもルーティンもデューティもオブリゲーションもIt's up to you to finish the taskも糞食らえ。善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をやだ。

「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も物静かに退場しろ。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだって? 捨てて道がひらけるだと? 寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない自分自身のリアルをグリップすること。それが意味を持つ。

なにも足さない。なにも引かない。あるがままそのまま。運がよければ天上からRibbon in the Skyが聴こえてこないともかぎらない。かつて、偏屈収穫の月爺さんのニール・ヤングは「変わりつづけていたからこそ変わらずに生きてこれた」と言った。偏屈収穫の月爺さんもたまにはいいことを言う。CSN&Yとニコレット・ラーソンのことについては言いたいことが山ほどあるが、この言葉に免じてゆるす。心が風邪をひいた日のためにも。本当の答えはいまも風に吹かれている。

ダニー・オキーフは『The Road』の中で歌っている。

別の街に行けば別の道がある。道があれば旅はつづく。

強固な意志を持ちつづけるかぎりにおいて、あらゆることは開かれている。道がつづくかぎり旅はつづく。道が行き止まり、行き暮れたら新しい道を探し、また歩きだせばいい。その道が細く険しく曲がりくねった暗い1本道だとしても歩けぬことはない。ほかのだれでもない「自分の道」なんだから。

世界にあるすべての道を歩くことはできないし、知ることはできないし、数えきることはできないが、自分の歩く道くらいなら必ずどこかにある。厄介事は歩きながら考えればいい。冬は必ず春になるし、朝の来ない夜はないし、やまない雨はないし、朝日のあたる家はどこかにあるし、世界はいつだって夜明けを待っている。

ときどき立ち止まり、風の歌に耳を澄まそう。答えは風の中でみつけよう。本当の答えはみつからないとしても、風はなにかしらの答えらしきものは孕んでいるはずだから。そして、風のように生き、いつの日か風になろう。


Blowin' in the Wind/風に吹かれて - Bob Dylan
Blowin' in the Wind/風に吹かれて - Peter, Paul and Mary
Wind Song/風の歌 - Sunsay and John Forte
Ribbon In The Sky - Stevie Wonder
Harvest Moon/収穫の月 - Neil Young
心が風邪をひいた日 - 太田裕美
The Road - Jackson Browne
The Road - Danny O'Keefe
 
by enzo_morinari | 2018-07-11 08:30 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://enzogarden.exblog.jp/tb/29626104
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 成熟と喪失 ── はるか遠い日... 夏への階梯 ── さよなら、夏... >>