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流儀と遊戯の王国/ハートのかたち ── ゴクドーを待ちながら

 
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品性と品格を失わないかぎり、困窮も困難も困憊も孤独もやりすごせる。その余のことはすべて過程のひとつにすぎない。E-M-M


上野・稲荷町の交差点に年老いた香具師がいる。名を工藤といい、人々は彼を親しみと畏敬の念をこめてゴクドーと呼んだ。


ゴクドーは永寿病院の正面玄関脇で商売をしている。啖呵売だ。ビール・ケースを台にしたラワン材の合板に下卑た鮮紅色の布をかけた売り台にはレイバン風のサングラスや出自不明の時計や怪しげな置物や猥せつきわまりない玩具などが並べてある。

ゴクドーはいつもボルサリーノのソフト帽をかぶり、チョーク・ストライプの、紺のダブル・ブレステッドのスーツを着ていた。ゴクドーの全身には白粉彫りで桜吹雪の刺青が彫られていて、素面のときにはわからないが、酔うと桜の花びらが薄紅に染まる。

二十歳の頃、ドス一本で反目する暴力団事務所に単身乗り込み、八人を血祭りに上げた武勇は歳月を経てもなお世代を超えて語られつづけた。左頬にあるこめかみから唇の脇にかけた傷跡はそのとき受けたものだが、武勇の壮絶さとあいまってゴクドーに揺らぐことのない迫力をもたらした。

「あんたはインテリゲンチャか?」とドスのきいた声で年老いた香具師はたずねた。
「どうかな。自分でもよくわからない」
「インテリゲンチャは信用できねえ」
「どうして信用できないのさ?」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「そうだ。きょうのおまんまのためのうそならいいんだけどな。インテリゲンチャのうそはカッコつけるためのうそだ。カッコつけるためのうそくらいカッコわるいものはねえよ。反吐が出る。それはそうと、あんちゃん、これを買いなよ」

年老いた香具師は言い、やつれたボストン・バッグから色鮮やかな箱を取り出す。手に取ってみると、それはUSプレイング・カード社製ティファニー・ブランドの未開封のプレイングカード・セットだった。しかも、最初期の。めったにお目にかかれないしろものだ。

「いくらで買う?」
「1万円」
「殺すぜ」
「こわいな」
「トランプでおれに勝ったらこいつをあんたにくれてやるってのはどうだ?」
「負けたら?」
「負けることを考えて勝負なんかできるかよ」
「負けることも考えなきゃ生きてはいけない」
「うまいことを言うじゃねえか。で、どうする? やるのか? やらないのか? あん?」
「負けたら?」
「有り金をぜんぶ置いてきな」

財布の中身を数える。3万円足らずだが、2週間生き延びるためのなけなしのカネだ。

「わかった。勝負しよう」
「なにで勝負する? ポーカーか? 51か? ジン・ラミーか? ババ抜きか? 七並べは七面倒くせえし、神経衰弱は性に合わねえぜ」

ゴクドーは笑いを噛み殺しながら言った。

「ポーカーで」
「二人でやるポーカーくらいつまらないものはねえが、いいだろう。コールもレイズもフォルドもなし。ブラフはこれっぽっちも意味がない。カードを切り、カードを引く。それだけの勝負だ。1回勝負でいいな?」

うなずくと、ゴクドーは上着の胸ポケットからタリホーの真新しいカードを取り出した。シャッフルしてから売り台の上に並べる。スペード、クラブ、ダイヤ、ハートのエースからキングまで。

スペードは兵士の剣、クラブは農夫の棍棒、ダイヤは銀行家の貨幣、ハートはキリストの聖杯。13枚ずつ4列に並べられたカード。合計52枚。52通りの人生。

カードをシャッフルするゴクドーは瞑想する修行僧のようだ。カードが配られる。手の中で広げる。ハートの9からキングまでがきれいにそろっている。

ストレート・フラッシュ、1/72193の奇跡だ。そのままオープンすればまちがいなく勝負には勝てる。しかし、それではいけないように思えた。それはたぶん誇りの類に属する問題だ。あるいは矜持、あるいは名誉、あるいは流儀。

迷う。稀少なティファニーのプレイングカード・セットが手に入るチャンスだ。こんなチャンスは二度とない。さらに迷う。

But that's not the shape of my heart

STINGの『Shape of My Heart』のリフの一節が不意に浮かぶ。『LEON』のラスト・シーンがよぎる。

レオンは九死に一生すらもかなわぬ死地に向かって勝負に出た。一人の女の子のために。一輪の花のために。いまだ味わったことのないささやかな幸福のために。悪徳刑事役のゲイリー・オールドマンが首をコキコキと鳴らす。鍋つかみのブタくんは主人を失おうとしている。一鉢の鉢植えを抱えて脇目もふらずに歩く少女。レオンは新しい、もっと別の世界に向けてゆっくりと歩みをすすめる。

新しい、もっと別の世界の扉まであと少し、あと数歩。その刹那、扉は閉じられる。

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Shoot Out, Shut Out, Shut Down.

世界が閉じてゆくさなかにレオンの見た血潮はハートの赤だった。凍りついたレオンの心に一瞬垣間見えた色。

私はハートの9を切り、ハートのエースを待つことに決めた。ハートのエースがそろえばもっとも美しくもっとも強いハンド、ロイヤル・ストレート・フラッシュだ。

目の前で確かに起きた1/72193の奇跡を捨てて1/649740の可能性に賭けることの愚かさはじゅうぶんにわかっている。理屈でわかってはいても私を突き動かすものがあった。私を愚行へと走らせるなにものかが。

ハートの9を切り、カードの山から1枚引く。胸が高まる。心臓が速く強く脈打つ。血がたぎる。ゴクドーを見る。ゴクドーは迷っている。眉間に深く皺が寄っている。眼を閉じる。眼を開く。あごを引き、うつむく。低く唸る。

ゴクドーを待ちながら、私は考えていた。自分の人生、生きざまを。愚行と蛮行の数々を。人生の貸借対照表を。齢の決算書を。

安全と安定のために頭を下げていれば、「常識」とやらに身を委ねていれば、小利口に立ちまわっていれば、長いものに巻かれていれば、大樹の陰に身を寄せていれば、自分の本当の気持ちとは裏腹の偽りの微笑を浮かべていれば、媚びていれば、おもねり、へつらっていれば、きれいごと・おべんちゃらを並べていれば、語りつくせぬことについて沈黙を守っていれば、新しい、もっと別の世界へ足を踏み入れようとしなければ容易に手に入れられていたはずの半分満ち足りて半分幸福で死ぬほど退屈な生活を。裏切りと嫉妬と欲得と怯懦と保身に彩られた者たちの陰湿で陰険で訳知ったような醜悪きわまりもないすまし顔・したり顔を。私とはちがう陣営に巣食う者どものいやしくあさましいほくそ笑みを。STINGは歌う。

それらは私の心のかたちではない

迷った末にゴクドーは2枚切り、2枚引いた。私が引いたのは最弱のカード、クラブの2。ノーペア。ハイカード。役なし。ブタ。手札を見せる。ゴクドーもほぼ同時に手札を見せた。エースのフォーカードだった。

「あんたはなにを待っていたんだ?」
「ハートのエース」
「おれもだよ。フルハウスを捨ててフォーカードに賭けた。ハートのエースは引いたカードの2枚目だ。あんたが引かなきゃ来なかった。 ── ところで、待っていたのはそれだけか?」
「人生の答えも」

ゴクドーは少し考えてからきっぱりと言った。

「人生に答えなんかねえよ。生まれる。生きる。死ぬ。それだけの話だぜ」
「生きる意味は?」
「そんなものは青臭いインテリゲンチャのたわごとだ」

ゴクドーの言葉が福音や啓示の類に思われた。そのとき、ゴクドーは私が捨てたカードを裏返して眼を見開いた。

「ストレート・フラッシュだったんじゃねえか ── 。たいした極道だぜ」

私は財布から運転免許証とカード類を抜いてゴクドーに差しだした。しかし、ゴクドーは受け取らず、かわりにティファニーのプレイングカード・セットをよこした。

「あんたの勝ちだ。いい勝負だった。これだけはおぼえときな。結果の背後には隠された法則が存在する」

別れ際、ゴクドーは押し殺したような声で私の背中に向かって言った。

「あんたはなにを待っているんだ? あんたはいったいどこに行きたいんだ? あんたは ──」

風がゴクドーの声を掻き消す。ゴクドーの言葉は聴きとれない。それでいい。ふりかえらずに歩く。先には引き返すことのできない細く暗い一本道がつづいている。

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Shape of My Heart - STING
 
by enzo_morinari | 2018-06-21 15:44 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)
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