わたしはナボコ・ジュリア。17歳。きのう、右腕にフラクタル模様のタトゥーをいれた。高速で針の束が肌に突き刺さるあの感じ。きっと虜になる。
パパはフランス人。大学で幾何学を教えてる。ずっとパリにいる。若い愛人といっしょに。その若い愛人はパパの大学の教え子でもあるんだけど、ものすごいブスだ。
こっそりパパの携帯電話を見たら待受画面は愛人の画像だった。NOKIAのちょっとシックな携帯電話を思わずぶん投げてやりたくなるくらいのブス。
パパは年に1度、わたしの顔を見に東京にやってくる。でも、わたしは意地悪してパパと会ってもまともに口をきいてあげない。
ママは日本人。活け花の先生をしている。ママもやっぱり若い恋人がいる。ダガートさんだ。ダガートさんはかなりの美形。ナイフの切っ先みたいなあごをしている。それがちょっとセクシーなのよね。内緒だけど、一度だけダガートさんとはエッチした。彼、ママに仕込まれて鞭や縄を使ったSMプレイにハマっちゃったって笑ってた。
「ジュリアちゃん。ぼくはね、縄文人なんだよ」
「なにそれ?」
「いつか教えてあげるよ、ジュリアちゃん」
「教えてくんなくていーし」
「ジュリアちゃんは半分ママの血を受け継いでるんだもん。じゅうぶんに素質あるんだけどもね」
ダガートさんはそう言って薄気味悪い笑い声をあげた。ママ、だいじょうぶ?
ときどき、自分のアイデンティティってなんだろうと考える。わたしのルーツをたどると三代遡っただけでクラクラしてくる。ユダヤ人、ポーランド人、スウェーデン人、イタリア人、ドイツ人、イギリス人、スペイン人、そして日本人。戦争のときはさぞや悩んだろうな。わたしの御先祖様たちは。どっちにつけばいいんだって。フィヨルドみたいに複雑に入り組んだ家系。考えたって答えなんか出ないことはわかってるから、深くは考えない。
わたしは学校で毎日先生に叱られる。自分ではそんなつもりはちっともないのに叱られる。!マーク5個付で。20個付のときもある。きょうは7個ついてた。
「マドモワァゼル・マンデルブロ、しゃんとしなさい!!!!!!!」
叱られたときは飯田橋の外堀に身投げしちゃおうと思うくらいしょんぼりする。でも、死んじゃったらママが作ってくれるクレーム・ブリュレを食べられなくなるし、外堀の臭くて汚くて緑色した水を飲むのはいやだなと思って死ぬのはいまのところ我慢している。でも、わたしの本当の気持ちを言えば、こうだ。
み ん な 死 ね ば い い の に !学校の近くにミイラ職人がいる。潮田さんだ。潮田さんは家から一歩も出ないのでヒキコモリの潮田さん、「ヒキ潮さん」と呼ばれている。
ヒキ潮さんはわたしたちのグループを「ジュリア集合」と名づけてくれた。意味不明。「ジュリアがいつも中心にいるから」と言ってるけど、本当の理由はもっと別なところにあるはずなんだ。まあ、とりあえずお礼に履き古しの靴下をあげといた。ヒキ潮さんはすごく喜んで、「ヴィンテージもののミイラの左の薬指」をくれた。ちょっとだけうれしくて、ちょっとだけ自由になれたような気がした。
わたしはときどき、無性になにかに縛られたくなる。おともだちは校則にいちゃもんをつけてばかりいるけど、ばっかみたい。「ばっかみたい」って言ったら、「ばっかみたい」って思うあんたがばっかみたいって言われた。「ばっかみたいって思うわたしがばっかみたいって言うあんたがばっかみたい」って思ったけど言うのはやめた。この御時世、校則に縛られるくらいどうってことないじゃんね。わたしはもっと別のものにうんと縛られたいのに。もっとがっつりした、きりきりひりひりしたものに。
右手の甲を見る。中心にうっすらと痣がある。痣はテツにつけられたんだ。痣ができたときのことを思いだすとせつなくなっちゃう。せつなさをたどっていったら、いつのまにか柿の木坂交差点の陸橋の真下に立っていて、そこには笑顔満載のテツが…。不思議ね。
遠くで年老いた柴犬が「ライ麦風味のライムライトなラムネよこせよ!」と吠えていた秋の夕暮れ。わたしは富士見町界隈では知らぬ者のない縄師、テツと恋に落ちたの。
テツは榛色の瞳がとても素敵で、今週は54歳で、来週から56歳で、「齢の決算書」づくりと因数分解と三角関数と群論の「剰余代数」が得意で、システム手帳に両界曼荼羅ばかり描いていて、東急ハンズで調達した材料だけで東京のど真ん中に原子力発電所を建設しようとして松永安左エ門と広瀬隆に2プラトン喰らったのが自慢で、七並べとジン・ラミーと神経衰弱とマージャンがべらぼうに強くて、宇宙を支配する巨大な意志の力とおともだちで、ウィングチップ・シューズにさよならばかりしていて、神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチで午睡するのが好きで、縄目のついた左腕がいつも腫れ上がっている。わたしはそんなテツが愛しくてしかたない。
待ち合わせのとき、テツは白いカローラに乗って颯爽とやってくる。紀の善の抹茶ババロアと氷宇治とカスミ草を後部座席に山ほど積んで。
「待たせたね! ハニー!」それがテツの決まり文句。ハニーって…。やめてよね。恥ずかしい。でも、ちょっとうれしい。うれし恥ずかしのお年頃なのよ、わたしは。テツは待ち合わせの時間を絶対に守らないので、わたしは言ってやるの。
「お・そ・す・ぐ・る!」でも、わたしは怒ったふりをするだけ。テツのお腰にぶら下がっている赤い麻縄を見るとわたしはすぐにくにゃくにゃちゃんになっちゃう。これって業だわね。
わたしとテツの恋路を邪魔するのがビートニク・ガールだ。警友病院の通りの角にある「米米倶楽部」という米屋のお嫁さん。ミタカ米穀の一人娘だって。「あたしは嫁津波よ!」が口癖の変なひとなの。なにが嫁津波よ! 空気嫁って言ってやりたいわよ! でも、わたしは生まれついてのビビリ屋なので絶対にそんなことは言えない。