1990年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、遠くでぱちんと音がした。進行方向左手に2階建ての白い洋館が現れた。渚ホテルだった。
私はそうすることがあらかじめ決められていたように車を停めた。海に向いたテラス席に座り、よく冷えたビールをグラスに1杯飲み、軽めの食事をし、海を眺め、潮風の匂いをかぎ、陽の光のただ中にしばし身を置くだけのつもりだった。
ビールを飲み、サーモンの冷製と仔牛のカツレツを食べ、きらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動を眺めながら潮風の匂いをかいだ。普段なら1杯のビールごときで酩酊するはずはないが、そのときは長時間の運転と旅先で起ったガール・フレンドとの致命的な諍いと訣別によって疲れ果てていたのだと思う。たった1杯のビールは体のすみずみにまでいきわたり、私は酔った。
いずれ、秋口までの仕事はすべて片づけてあるのだし、夏のあいだはいくらでも自由な時間がとれる。第一、東京に帰ったところでガール・フレンドはすでに消滅しているのだ。私は宿泊を決め、手はじめに白ワインと生牡蠣を注文することにした。ウェイターを手招きすると彼はとても気持ちのよい笑顔を見せながらやってきた。
ぴんと伸びた背筋。染みひとつない白いシャツ。趣味のいい靴は完璧に磨き上げられている。「シャブリと生牡蠣を」と私は言った。途端にウェイターの顔が曇った。そして、ぴしゃりと言った。
「1926年の創業以来、そのような酒は渚ホテルではご用意しておりません」
「それでは辛口の白を。グラスはきれいに霜のついたものを」
「かしこまりました」
遠ざかるウェイターの背中に冷ややかな軽蔑と悪意を感じて少し後悔したが、陽の光はどこまでも澄んで、ワインはシャブリほどの切れ味はないにしても良心的だった。
夏の終りとしては上々の午後だった。夏の名残りを惜しむにはうってつけのようにも思われた。
チェック・インするために建物の中に足を踏み入れたときから「ようこそ、渚ホテルへ」という声が聞こえた。声のしたほうを見ても誰もいない。「ようこそ、渚ホテルへ」という声は私の滞在中ずっと聞こえつづけた。
3日目の朝、食堂でバタ付きパンと温かいグリーンアスパラのサラダとエッグ・ベネディクトを食べていると、顔の右側に大きな痣のある女が向かいの席の男に小声で囁いているのが聞こえた。
「所詮、みんなここの囚人なのよ。自分の意思で囚われたとはいえね」
太り肉の男が答える。
「本当は元いた場所に戻る道筋を探さなけりゃならないのにな。多分、受け入れるのが運命なんだ。好きなときにチェック・アウトはできるけど、決して立ち去ることはできない」
私は心底恐ろしくなって、食事を途中でやめて自室に戻り、手早く荷物をまとめてからフロントに向かった。
「チェック・アウトを」
私はコンシェルジュに向かって吐き出すように言った。ダンヒルのフレグランスの燻したコケモモのような匂いのする年配のコンシェルジュは表情ひとつかえず、私の眼をじっと覗きこみながら答えた。
「料金はけっこうです。当渚ホテルは1989年の冬に閉館しております」
Eagles - Hotel California