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Show-Do No Raku-Go/噺のほか#3 蛤女房はとても幸せそうに突然黙り込む

 
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げにおそろしきもの。そは貝なり。井原西鶴『日本永代蔵』


春先からつづいていた饅頭がこわくって仕方ない日々が終わったすぐあとに、禁酒番の目を盗んで1番に電話して水カステラ2番と火焔大根を買ってくるようにおさんどんに言いつけた。昼のお餐を恵ミルクと水カステラと火焔大根のじゃんじゃん焼きですませてから、愛宕山を越え、芝金杉町のてれすことすてれんきょうとばばくろうとおっきゃらまあの区別さえつかないぞろっぺいどもを蹴散らし、芝大門を抜けて浜離宮を横切り、海っぱたまで一目散。波打ち際でしばらく四方八方の潮の塩梅をうかがって見当をつけてから、老松越しに一丁入りした芝浜で天秤棒の先に結えつけた天網をぼて振り稼業で身につけた要領でもんどり打ちながら打ち、頃合いをみて手繰ったところが、巨大な蛤がひとつ獲れたので、取るものも取りあえず風になってしまうほどの勢いで恋女房の待つみみずく長屋に急いだ。

恋女房の蛤の君は光格天皇の御代、天明の京都大火で御所が炎に包まれたあとに蛤御門の門番から身を起こして房州一の蛤売りになった蛤翁を御先祖さまに持つやんごとなきお方だ。下にも置けぬ。だから、いつも正一位貽貝大明神の祠に祀ってある。
「蛤の君、蛤の君。ただいま帰りました」
「そも我が父は京都の産にして姓は安藤、名は鶴夫、字名を五光、母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜、丹頂の鶴の夢を見てはらめるがゆえにたらちねの胎内を出でしときは鶴太と申せしがそれは幼名、成長ののち、これを改め忠雄と申しはべるなぁりいー」と口上しながらコンクリートの塊でスウェー・バック付きのトリプル・クロスカウンターを繰り出してきた。埒があかないこと冠木門の桟にとまっていた明烏が幇間のおつむをてんつくてんつく突きまわすような塩梅ときたもんだ。

仕方ないので獲ってきた大蛤を廚の水場で杉桶に井戸水を張って放ったところが、しこたま真水を飲み込んだ大蛤の野郎めがいかにも苦しそうに潮をぴゅうと噴き上げる。それを見てとった蛤女房殿、なにを思ったか又候着物の裾を紮げて股がってきた。

「これからのちの我がおもてを見ること罷りならぬものなりー」

それからこっちは前に後に上に下に右に左に嵐の中の小舟のようにゆっさゆっさずんずんごしごしぎゅるぎゅるぎゃんぎゃん。この世のものとも思えぬ心地よさが脳天を突き抜けて果てた。薄目をあけて蛤女房殿の貌を見れば、なんとなんと建礼門院さまではないか。これは夢まぼろしかと金壺眼をごしごし擦るけれども事態は一向に変わらない。建礼門院さまは顎を突き出し、白い喉元をみせてうっとりとしている。

「善き哉、善き哉。善き哉、善き哉。善き哉、善き哉。善き哉、善き哉。善き哉、善き哉。このまぐわい善き哉 ── 、善き哉 ──」

しばらくそう声をあげたあと、蛤女房殿、とても幸せそうに突然黙り込んだ。

「ときに奴。おぬし、先ほど、我がおもてを見たな?」
「見てません」
「Don't Talk Deliriously!」
「I'm Sorry, I'm Sorry, I'm Sorry」
「I'm 総理と言ったら今度こそ殺す」
「Yes, Sir!」

蛤女房殿、建礼門院さまは夏の陽盛りを浴びてしんとしているお庭をじっと見つめている。口元が幽かに動いている。

「なにもない。記憶もなければ時間もないところにわたくしは来てしまった」

夏の陽盛りを浴びてしんとしているお庭を、建礼門院さまの大蛤のぱくぱくいう音が幽けく渡っていく。それから先のことは酢豆腐の竃に頭をぶっつけて気を失ったので、まったくおぼえていない。

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by enzo_morinari | 2013-09-01 18:15 | Show-Do No Raku-Go | Trackback | Comments(0)
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