その涙の分だけ夢に出会える。その笑顔の分だけ夢が描ける。
そのやさしさで幸せに近づける。その自分らしさだけが君を救える。D-T
J.S.バッハの『マチュウ・パッション』をフーリエ変換しつつ聴き終えて、「死の必然」の仕組みを完璧に理解するという第一主題部に深く共鳴し、通奏低音のピンク・ノイズと倍音のホワイト・ノイズ、そして、変奏のブラック・アウトが頭の中で残響しつづける木曜の午睡。
いつものようにドクターペッパー自動販売機の夢をみていた。ドクターペッパー自動販売機のMr. D-P-Vはいつもどおりに無口でスクエアで臙脂色だった。
ドクターペッパー自動販売機のMr. D-P-Vが置かれている家は向日葵が開花していることと自動車が1986年型の白いサニーからシルバー・メタリックの PORSCHE356 ROADSTER にかわっていることのほかはすべていつもどおり。電信柱も上空10000メートルを飛行するボーイング 787-8 ドリームライナーも角の加藤たばこ屋にA4コピー用紙のピンチヒッターとして婿養子に入ったビッグフェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドもその愛人の日飛ハーフのクミちゃんもならず者命知らずのファニカとチャンチャンも過不足なくそれぞれの役回りをいつもどおり淡々と演じていた。
見上げる夏の空は意外にも青く強く澄んでいた。ドクターペッパー自動販売機のMr. D-P-VとPORSCHE356 ROADSTERと夏の青く強く澄んだ空を順番に眺める。金属的な熱を額のあたりに感じて空を見上げるとボーイング 787-8 ドリームライナーが飛翔していた。巨大な熱源だ。
カーボン・ファイバーでできたワイドボディーの美しい機体にしばしみとれたあと、熱源について考えてみる。真剣にだ。暇つぶしでも退屈しのぎでもなく真剣に。ある意味では命がけで。ボーイング 787-8 ドリームライナーの中の乗員と乗客は命がけで高度10000メートル上空を移動しているのだから、それが礼儀というものだ。
「音速」と口に出してみた。「スーパー・ソニック」とも。少しだけくちびるが気持ちよかった。音速。1225km/h。秒速340.277778メートル。ベリリウム換算縦波12890m/s。それらの冷厳冷徹なリアリティにわずかな妄想を加えることで予想もしなかった眩惑の領域に足を踏み入れることができる。たとえばこんなふうに。
ホワイト・ノイズとブラック・アウトが交錯し鬩ぎあうアルファ・ポイントを目指してまっしぐらに疾走すること。
揺りかごを揺らすうす紫色の手に握られた白と黒のナイフでみずからの頸動脈を平然と一直線に切り裂いた女との再会を夢想すること。耳を澄ますと、明日には幾千億の死にざまをさらす蝉どもが息もできぬほどに鳴き盛っていた。そして、ドリーミーな意志のスタイルを持つ女、2013年の夏からすべての熱を奪い去るファム・ファタールが肩を叩いた。ヒマラヤ矢車菊のように深くて神秘的な瞳でじっとみつめられると全身が小刻みに振動した。
その涙の分だけ夢に出会える。その笑顔の分だけ夢が描ける。2013年の夏からすべての熱を奪い去るファム・ファタールは身じろぎひとつせずにそう言った。「夢はとっくの昔に粉々に砕け散った。跡形もなくだ。今では手持ちの夢はひとつもない」と私は答えた。
「その粉々に砕け散った夢のかけらを一緒に探して、ひとつ残らずひろい集めるのよ。そして、ジグソーパズルを完成させるの。夏が終わるまでにね。それがあなたの夏休みの宿題」
遠くで運命の泡が弾けたような音がシテ島の左岸からして夢からさめた。いつもよりずっとまぶしい窓辺に目をやると、2013年の世界中の夏からすべての熱を奪い去るファム・ファタールが立っていた。ヒマラヤ矢車菊のように深くて神秘的な瞳でじっと私をみつめて。
2CELLOS - Benedictus