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プリーズ・ミスター・ポストマン/ある古い友人への私信と指針

 
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辺見庸さんは世界の宝だろう。吾輩が信を置く数少ない言説者、表現者の筆頭だな。癌と闘病中であることを知ったときは男泣きした。もう、辺見庸の持ち時間は限定されたわけだからな。

いとうせいこう? ありゃ駄目だ。ガジンと同世代だったな。浅草時代におなじマンションに住んでやがった。浅草の大店の小娘を連れ回してやに下がっているような野郎だった。それになんだ? いい齢ぶっこいてあのおかっぱ頭は。業界人ぶるセンスもお話にならんしな。「自宅闘争」がどうたらこうたら言っているような輩などひと山いくら以下だ。蛸以下だ。永遠に世界を「異化」できないし、イカさないってこったな。野郎が「過去のひと」「あのひとは今」になるのも時間の問題だろう。いとうせいこうが忌み嫌い、蔑み、小馬鹿にしまくっている蛭子能収と同類、同じ穴の狢という了解で十分だろう。

そして、そうだな。「50年の感想」というような地平から「ポスト3.11」をグリップしようとすると痼りのように吾輩の中に残るいくつかのフェーズがある。

米ソ対立をめぐる冷戦。これがまずひとつ。チェルノブイリ原発事故によってついにリアリティを持って立ち現れた黙示録的世界。これがふたつ。WTCへの神風攻撃によってみえたアノミー・ワールド乃至は血が貨幣を喰い破る世界。これがみっつ。世界と国家と人間と知のありようを劇的に変えたインターネット・ワールド。これがよっつ。そして、最後、五つめと六つめが東北の地を襲った重金属の塊のような洪水とF1のメルトダウンだ。五つめと六つめについては直後に吾輩の現前にリアルさ、生々しさをもって迫ってきた。詳しいことは、『沈黙ノート』の『この洪水ののちに「希望」を語ることは野蛮である。』に書いてある。これが吾輩の「ポスト3.11」の出発点となるだろうな。

F1メルトダウンによって「未来を語る意味」は失われたというのが吾輩の揺るがぬ立ち位置だ。少なくとも東日本においてはな。だが、そうであってもなお、われわれはやはり、明日世界が滅びるとしても林檎の樹の苗を植えなければならない。なににしても希望への想像力はどのような姿格好の現実であれ、生き抜く力にはなるからな。すでにして「虚無への供物」はたっぷりと捧げてきたんだ。そろそろ「希望からの報酬」を受け取っていい時期だろう。罰も当たるまい。(参考:『沈黙ノート』の『十万の十字架と幾千億の墓標と』)

それとあれだな。インターネットが日本に本格的に普及し始めた1995年(ガジンと出合った年でもあるわけだが)以降、ずっと吾輩をとらえているテーマ、「アノニマス」「匿名」「架空」による革命だな。これについては『Anonymous Revolution』でぽつぽつと言語化しつつある。

「変化」という点において言うならば、インターネットの普及以降のここ20年は過去の100年、200年、あるいはそれ以上にも匹敵すると言っていい。モノや移動や関係や国家や情報、さらには世界、人間の意味すらが変わってしまった。国境の意味も失われつつある。

J.M.フコ流に言うならば、それまでの世界や人間や価値の概念は「砂上の楼閣」が打ち寄せる波にかき消されるようにきれいさっぱり解体された。解体されたことに気づかぬ鈍ら者はいるし、解体されたことに気づきながら知らぬ存ぜぬを決め込む太々しい守旧派も多い。

厄介なのはそのような者たちが「カビの生えた権力の座」に居座っていることだが、それも時間の問題だ。「解体以後の世界」への流れはもうだれにも止められはしない。王蟲の怒濤の死の行進をだれも止められないように。青き衣を身にまとった「その者」が果たして現れるのか、「その者」が「魚のしるしを持つ者」であるのか、「その者」が人間を世界を「青き清浄の地」へと導いてくれるのかはいまの段階ではわからない。そうあればいいが。「その者」の降り立つ金色の野が地上にまだ残っていればいいが。

いまの段階で「リアル」と呼ばれている世界がいつまでリアルさを持ちつづけられるのかさえわからなくなってきている。リアルさと世界性ということで言うならば、リアルな世界より「ヴァーチャル」と呼ばれる世界のほうが遥かにリアリティと世界性を持っているというのが吾輩の考えだ。そして、吾輩がひそかにその実現を願う「一大スペクタクル」は、現在の段階でリアルと言われる世界ではなく、ネットワーク、ヴァーチャルで起こる可能性のほうが高いだろう。

これから起こることは「東西冷戦の終結」や「ベルリンの壁崩壊」とはスケールもレベルも質もまったく異なる。その一大スペクタクルをこの目で見届けられるかどうかは吾輩に残された持ち時間から勘案して微妙なところではあるが。時間というのはまことに恨めしいものだ。できうれば、100年後、200年後、さらには1000年後の人々にはそのことに対する評価をしてもらいたいものだ。動きつづけ、前進しつづけるものにしか力は宿らないのだということについての評価を。

人物についてはスティーブ・ジョブズだな。スティーブ・ジョブズ。シリア系アメリカ人。メソポタミアの民。文明発祥の地が使わした者。スティーブ・ジョブズの死によって世界は希望、創造、前進といったタームのいくぶんかを失った。スティーブ・ジョブズが死んで600日足らずだが、世界はまだその喪失の意味、重さに気づいていない。100年後の世界も気づいていないかもしれない。1000年後の人類(まだ人間が地球の王として存在していればの話だが)がようやく本当の評価を下せるようなレベルになれるのではないかな。まあ、そういうことだ。

残されたいくばくかの日々よ、貧しくあれ。貪欲であれ。愚かであれ。ジョブズはディスプレイ、タッチパネルの向こう側からじっと見ている。聞き耳を立てている。ってこったな。 

さて、ここで「思いだしたくもない過去」と「ずっと目を背けつづけ、しかし、いつか向かい合わなければならない日々」を突きつけてくれたおかえしに剽軽なリゴレットを三幕全部裏声で歌ってやろう。

帝政ロシアのサンクトペテルブルクと無政府インターネットブログ、ラスコーリニコフ/スヴィドリガイロフとアダチ/ニナガワ、そして無核と有核。吾輩は広瀬隆の『東京に原発を!』を契機としてドスト氏の読み方が劇的に変わった。F1のメルトダウンでそれは決定的になった。すなわち、ドスト氏が抱えていた「危うさ」「ヤバさ」より、われわれ世紀末人、21世紀人が直面している「危うさ」「ヤバさ」のほうがはるかにリアルで強烈だということだ。すべての元凶である「官僚/木っ端役人」どもによる官僚ファシズムはドスト氏が生きていた19世紀末よりますます強固に頑迷になっているし、守旧派どもはさらに巧妙狡猾の度を深めている。

「一杯の紅茶」のために実存をさらし、賭けるのとは比べものにならないほど複雑で胡乱で剣呑で狷介で厄介な時代をわれわれは生きている。そして、吾輩は結論した。「おれが生きている時代からみれば、フョードル爺さんなど甘ちゃんだ」とな。その「危うさ」「ヤバさ」を知らず知らずのうちに感じとっているから世の大衆どもはどいつもこいつも不機嫌なつらをしていやがるんだとな。

白いカローラに乗る大衆どもがどれほど不機嫌になろうが、どれほど下衆外道なことをしでかそうが吾輩の知ったこっちゃないが、せいぜい大衆どもがのたうちまわり、もがき苦しみ、むごたらしく死んでいくリアルについては微に入り細に入り、じっくり見届けようと思っている。半笑いではなく大笑いでな。

老婆言:法律家的文体を身につけることをすすめるぞ。参考図書は團藤重光先生の『刑法綱要』がよろしかろう。あと、「刑事訴訟法」は物語の贅肉を削ぎ落とし、ブレを排除するためのヒントを教えてくれる。文武両道軒は「刑事訴訟法」からストーリーの骨格の作り方を学んだ。犯罪の端緒から判決の確定まで。手続き法であるから思想も哲学も、ましてや文学も詩もないが、もっともごっつい「死刑」のリアル・ストーリーのことは書いてある。法律の条文は文体に品格風格厳粛威厳重厚荘重を持たせるためのいい修行場だ。「あれも修行、これも修行」ってこったな。 吾輩は憲法、刑法、民法、刑事訴訟法、民事訴訟法、刑事訴訟規則、民事訴訟規則、商法(特に会社法並びに手形法及び小切手法)、民事執行法のあらかたは大脳辺縁系ならびに大脳新皮質に読み込んである。

持続する志を持ち、死滅する鯨の背に乗り(まちがってもセガには乗るな!)、終りなき厳粛な綱渡りをつづけることを祈る。
 
by enzo_morinari | 2013-05-02 18:33 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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