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一人を救える者が世界を救うのか?/シンドラーのリスト

 
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夜ふけ。ある「戦い」を終え、やや茫然自失気味のおのれにひと鞭くれてやろうと思い、『シンドラーのリスト』のDVDを引っ張りだした。備忘録をめくると最後に『シンドラーのリスト』をみたのは2001年の1月1日であった。12年ぶりにみる勘定だ。

12年前、吾輩はなぜ21世紀幕開け初日に『シンドラーのリスト』をみたのか? 備忘録には次のように記してある。

「新しい世紀のはじまりに、前世紀に起こったことどもに思いを馳せるのもまんざら悪くない。すくなくとも、やれIT革命だ、やれ株価が上がった下がった、やれ省庁再編だなどと浮かれ騒いでいる場合ではないということだ。未解決・未決着・積み残し・やり残しの問題は山のようにある」

なるほど、ごもっともなことを書いたものだ。

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第二次大戦中のナチス・ドイツによるホロコーストを背景に、ドイツ軍との取引で巨万の富をえた実業家、オスカー・シンドラーが私財をなげうって1200人余のユダヤ人たちを死の淵から救いだすという「美談」が『シンドラーのリスト』の主題である。だが、吾輩は『シンドラーのリスト』に「美談」では片づけられない重さ、のっぴきならないものを感じた。吾輩が感じたものをたどってゆくと、それは「救いとはなにか」というこの映画の通奏低音へとたどりつく。

映画の終わりちかく、シンドラーの仕事上の片腕でもあったベン・キングスレー演じるアイザック・スターン(のちの名ヴァイオリニスト)がユダヤの格言を万感の思いを込めてシンドラーに伝える。

一人を救える者が世界を救える。

監督のスピルバーグ自身がユダヤ系であることから考えて、エクソダス以来の民族の「血の慟哭」をスピルバーグは描きたかったにちがいない。同時に、『シンドラーのリスト』は20世紀という「慟哭の時代」を生きたわれわれ20世紀人に「救いとはなにか」という問いを突きつけもする。

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ラスト・シーン。イツァーク・パールマンが奏でる魂の奥深くまでしみこんでくる哀切痛切なヴァイオリンの音色。

「シンドラーのリスト」によって生き延びた人々、その子孫と、彼・彼女を演じた役者たちとが手を携え、シンドラーの墓標に石を手向ける。どの顔にも一様に深く刻まれた皺。癒えぬ傷、痛み、悲しみ。そして嘆き。永遠に消し去りえぬ恐怖の記憶、怒り。

「沈黙の隊列」は延々とどこまでもつづき、途切れることはない。このラスト・シーンは映画史上、至高のものであるように思える。だれも、なにも語らず、語ろうともせず、「沈黙の隊列」のみが深く、静かに、なにごとかを問いかけてくる。
 
おまえはだれを、なにを救えるのか?

その答えは「荒野の果て」に一人ぬかずき、涙とともにパンを喰らい、血へどを吐いた果てにみつけださねばならぬ類いのものだろう。あるいは、『シンドラーのリスト』をみた者が一人でみつけだし、答えるべきものだ。

さて、まずは勉強だ。知ることと感じることからすべては始まる。学ばない者と鈍感な者には世界はその扉を開かない。

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 Theme from Schindler's List (Violin Solo by Itzhak Perlman)
 

by enzo_morinari | 2013-03-04 08:34 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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