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2013年2月29日午前3時2分の『Late For The Sky』#1

 
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われわれはナイフとなって村々の果実に侵入する。Saint-Pol Roux


吾輩はほとんど眠らない。正確には15時間くらいに1度、40分から50分ほど眠る。この眠りはとても深い。吾輩の眠りは徹底的に深く、地震が起きようが火事場で泥棒がチャンチキおけさを歌って踊ろうが雷が鳴ろうが親爺が怒鳴ろうが目覚めない。

3.11の大震災のときは東京にいたがちょうど眠っていた。猛烈な揺れに慌てた虹子が吾輩を起こそうと叩いたり蹴飛ばしたり水をぶっかけたりしたが吾輩は起きなかった。そのときの揺れは本当にひどいもので、70kg近くもあるKRELLのパワー・アンプがオーディオ・ラックから飛び出すほどだった。それでも吾輩は目を覚まさなかった。それほど吾輩の眠りは深い。

吾輩は起きているときは常に「なにか」を考えているか思い出しているか思い描いているか書いているか読んでいるか聴いているか味わっているか触っているかメイク・ラヴしているかだ。大脳辺縁系はいつもフル回転、フル・スロットル状態である。ぼーっとすることなどない。

吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質では吾輩乃至は吾輩の周囲・周辺で生起するあらゆる事態、事象、現象を常に計測し、観察し、記憶し、解釈し、言語化することが行われている。そして、ここが厄介なところなのだが、吾輩は一度記憶したことを決して忘れない。忘れようとしても忘れることができない。その記憶にまつわる関連情報もいっしょに記憶する。それらがなにを意味し、吾輩にとって危険か安全か有意か無意か快か不快かといったことも含めて記憶してしまう。そして、決して忘れない。事象やら現象が生起した当時のまま、新鮮なまま記憶は残る。時間が経っても変化はない。

吾輩の記憶に経年劣化はない。おぼろげになったり曖昧になったりしない。鮮烈鮮明なまま。鮮度はそのままだ。100の喜びは100のまま、100の怒りは100のまま、100の憎しみは100のまま。

吾輩の怒りを買った相手がほとぼりも冷めた頃だろうと考えて吾輩にコミットメントしてこようものなら吾輩は峻烈きわまりない怒りをその相手にぶつける。ゆえに、吾輩は一度嫌いになったもの、不快に感じたコト/モノを断じて赦さない。これが「手加減なし。容赦なし」という吾輩のスタイルの元となっているものと考えられる。そう。吾輩には「ゆるす」「水に流す」「なかったことにする」という仕組みがないのだ。

いかなる謝罪も贖罪も吾輩には意味を持たない。これはどうしようもない。吾輩を突き動かす大脳辺縁系ならびに大脳新皮質は一度「答え」「結論」を出してしまえば、のちにその「答え」「結論」が編集、修正されることはない。「情けをかける」あるいは「酌量する」ということもない。0か1か。まさにディジタルである。吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質を燃やしてしまうか吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質に保存されている各記憶ファイルを消去、デリートするしかない。

このことについてはこどもの頃から随分と悩んだ。「なぜおれは他者をゆるすことができないのか?」と。得た答えは「何者も吾輩に関わるべきではない」「極力、他者とは関わらない」ということだった。そうしなければ「ふたつの不幸」が生まれると吾輩は考えた。

成長するにつれて吾輩はある「方法」を編み出した。別の人格をつくるという方法を。それは「おおらかで気のいいナイス・ガイ」というキャラクターだった。他者と関わるときは努力して「おおらかで気のいいナイス・ガイ」で接する。「おおらかで気のいいナイス・ガイ」を演じる。それは少し疲れるやり方だったがほかに方法はなかった。それはほぼ成功した。吾輩はよほどのことでなければ怒らなくなり、憎まなくなった。しかし、大脳辺縁系ならびに大脳新皮質がフル・スルロットで動いていることに変わりはなく、オーバー・ヒート寸前の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質をクール・ダウンするための「眠り」「睡眠」は短時間で深い。なにが起ころうと目を覚まさない。

そのような吾輩が目を覚ました。虹子もおねいちゃんたちもキッズどもも弟子たちもみな寝静まった深夜にだ。時計をみれば3時をすぎている。3時2分。眠りについたのは2時40分を少し過ぎた頃だったから、あと20分から30分は目覚めないはずだった。しかし、吾輩は目を覚ました。ジャクソン・ブラウンの『Late For The Sky』が突如として聴こえてきたのだ。しかも、吾輩の頭の中、脳内から。

幻聴でもなんでもない。その『Late For The Sky』はビニルのLPレコードを再生したものだった。それもかなり聞き込んでひどいスクラッチ・ノイズがある『Late For The Sky』だ。針飛びを起こす寸前の箇所は4箇所あった。そのLPレコードは吾輩の所有しているLPレコードではない。

『Late For The Sky』はジャクソン・ブラウンのアルバムの中でも特に好きなアルバムなので、LPレコードで3枚、CDで2枚持っている。普段はMP3ファイルに変換した音源をiTunesかiPodで聴いていた。LPレコードも曲のどのあたりにスクラッチ・ノイズがあるかはおぼえている。持っている3枚のLPレコードはいずれも針飛びを起こさないコンディションを保っている。

これらのことから吾輩が出した結論は「聴いたことのないLPレコードによる『Late For The Sky』が脳内から聴こえた」ということであった。そして、遠い昔に吾輩の元を去った女の亡霊が身の毛もよだつような姿でやってきた。
 
by enzo_morinari | 2013-02-20 17:31 | 『LATE FOR THE SKY』の夜 | Trackback | Comments(7)
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Commented by monknori at 2013-03-02 16:10
存在しない2013/2/29の午前3時2分についての非常に個人的な偶然と疑問:このブログを書かれたのが2013/2/20。monknoriの2013/2/20の作品を私は2013/3/1の午前3時頃なぜか6時設定でアップして睡眠。土星が回っているのを目撃してすべてが動いているということを感じながら目がさめる。と、私のブログへのコメントを発見する。私は亡霊ではないけれどそして何も関係のない出来事だらけのなかで「一瞬(たぶん)」をずれまくって経験したような気がしています。失礼しました。
Commented by enzo_morinari at 2013-03-02 18:04
「共時性」あるいは「同在性」、もしくは「共同主観性」乃至は「因果律」というようなところからわたくしとあなたとの間に起こった問題を考える必要があると思うんですね。そして、わたくしは次の2点を指摘しておきたいと思います。ひとつはフロイトとユングのあいだに起こった出来事です。フロイトがユングといるときに周囲の物、置き時計やら万年筆やら置物やらがビュンビュン飛び交っちゃうわけです。フロイトは非常に驚くわけですが、ユングは平然としている。フロイトがユングに「なぜきみは平然としていられるのだ?」とたずねると、「いつものことです」とユングは答える。そこでフロイトはさらに驚く。二人の訣別の原点はこの出来事にあるのではないかとわたくしは考えています。
Commented by enzo_morinari at 2013-03-02 18:04
そしてふたつめは、わたくしは「2013年2月29日午前3時2分の『LATE FOR THE SKY』」を2013年の2月20日に再度公開することによってなんらかの「共時性」「同在性」「共同主観性」にかかわる問題が起こるとわかっていたわけです。2012年の秋頃のことです。つまり、ここで「因果律」がねじまがったか逆進するかしたのだというのがわたくしのいまのところの了解です。現在の時点でわたくしが申し上げられるのはここまでです。「最終解答」のごときものは『演劇部の美人部長M子とすごした1975年10月14日(火曜日)の放課後の音楽室』で語られるのではないかと考えます。
Commented by enzo_morinari at 2013-03-02 21:16
ちょっとこれは「判じ物」みたいであれなんですが、演劇部の美人部長である「M子」はのちに何度目かのわたくしの配偶者となるわけですが、わたくしは彼女のことを「モンコ」、ときには「モンクッコ」と呼んでおりました。ちょっとこれ、ぞくっときちゃいますね。わたくしとしては。
Commented by monknori at 2013-03-03 12:09
自分以外の誰もわからないわかりえないことってありますね。私がMONKNORIというなまえになった由来もからんできています。とりあえず、帰宅時間はゲーデルに聞いてみます。気に入っています、これ。
Commented by monknori at 2013-03-04 17:46
最終回答っていうのが存在するのですね。共時性がこういう形で起こることにとても興味深く思っています。本当に私がMONKNORIを名のるようになったいきさつも偶然が重なっています。
Commented by MONKNORI at 2013-03-05 21:08
2012年の秋というのが気になります。
モンコっていうの、へーって思っていましたら、こどもの私はまわりも自分もノンコって言ってました。私のイメージではひらがなですが。
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