キセキ盛り。だれに気兼ねすることもなくそう呼びたいと思う。その「キセキっぷり」は沖縄の青空のように突き抜けていた。あるいは天までも届くほどに。
「バカ盛り」は日本中、世界中にいくらでもあるが、波布食堂の肉そばはまごうかたなき「キセキのしるし」を体現している。よって、
キセキ盛り。三日分の野菜と三日分の麺。野菜炒めの巨峰をいくらほじくり返しても麺が現れない。波布食堂の食いものを数えるときは「一座、二座」と数えなければならない。神の座を数えるのとおなじように。聳えたつ神の座をみて「バカなの?」と問う者がもしいるとしたら、吾輩は即座にその者に言う。「黙れ、ヒポ野郎!」と。幻師にしてゲンゲンムシのmaki+saegusaなら波布食堂の神の座を即座に「キセキだ!」と言ってイースター島までひとっ飛びするだろう。新ワラシベ・システムによって磨きに磨かれた「
鶏あわせ」をきつく抱きしめながら。
波布食堂でめしを喰うということはまちがいなくひとつの「労働」である。しかも、楽しくて心が浮き立っておなかがいっぱいになる労働。「港湾労働者那覇埠頭休憩所」の名に恥じない食いものである。
食後、埠頭を渡ってくる風に吹かれながら沖縄の青空を眺めれば、また別の「キセキ」に出会える可能性イラヨーホイ級である。
思いだしたらなぜだか泣けてきた。ティダの光を浴びたい。おふくろ様に会いたい。おふくろ様には会えないので、古謝美佐子と夏川りみの『童神』を順番こに繰り返し聴くことにしよう。そのうち、おふくろ様がティダの光の中にひょっこり現れるかもしれない。