人気ブログランキング | 話題のタグを見る

賤妾は君と共に糜をくらわん

賤妾は君と共に糜をくらわん_c0109850_9314419.jpg

表題の「賤妾は君と共に糜をくらわん」は『楽府詩集』の中にある「東門行」という歌の一節である。「糜」とは粥のこと。『楽府詩集』は中国の北宋の時代(12世紀くらい)に編纂された愛唱歌集のごときものであって、前漢以前の大昔から唐末五代にかけての勅撰楽章や民間に伝わる流行歌などを集めている。今風に言うならば『My Favorite Songs Book』『お気に入り歌集』ということにでもなるのだろうと思う。 

さて、「賤妾は君と共に糜をくらわん」であるが、これは「だんなさま、わたくしはあなたといっしょにお粥をすすることができればそれでじゅうぶんなのです」といった意味である。全体では十五句の雑言体の歌だが、吾輩が感じ入った部分の読み下し文と現代語に訳したものを記す。すべて書き出そうにもJISコードに入っていない漢字がほとんどで書き出しようがない。

剣を抜きて東門に去かんとすれば舎中の児母衣を索きて啼く。他家はただ富貴をのみ願うも賎妾は君と共に糜をくらわん

夫が武具の仕度を整えて東の門から出発しようとしている。妻とこどもが名残り惜しげに服の袖を引っ張り泣いている。そのとき、「よその家の奥様がたは夫の出世と名声名誉ばかりを望んでいらっしゃいますが、わたくしは旦那さまとお粥をすすることができれば満足でございます」と妻が言った。(『楽府詩集』巻三十七「東門行」より抜粋のうえ読み下し及び現代語訳)

戦乱の世。夫は剣を取り、ひと山当てようと家を出る。その夫を引き留めようとする妻。妻たるもの、夫の出世を望まない者はない。しかし、「わたしはかつかつの生活でいい、あなたといっしょにお粥をすすることができれば満足なのです」とこの妻は哭きながら叫んだのだ。戦乱の世には農民が家を捨てて武装集団に身を投じることが多かったというから、この歌のシーンもまた当時としてはどこにでもある風景だったろう。だが、「どこにでもある風景」が吾輩にはたいそうしみた。とりわけ、「賎妾は君と共に糜をくらわん」の一行にはぶちのめされた。衝撃であった。涙が滂沱のごとくあふれた。胸のど真ん中がずんずんした。親不孝ばかりか、子不孝、はては女房不孝のかぎりをつくしてきた我が身ながら、いや、であればこそしみた。福島瑞穂や辻元清美、田嶋陽子といった類いの亡国のバカおんなどもにこの奥さんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。もちろん、偶さか縄縛の槌が下らぬことをいいことに恥も知らぬげに不貞と不逞のかぎりをつくす者どもにもである。

吾輩は妾の子だ。母親が彼女のおだん、つまりは吾輩の生物学上の父親に接するときの、見ているこちらがせつなくなってしまうほどの献身ぶり、へりくだりぶりはこどもの頃からイヤというほど目にし、焼きついている。母は決して口には出さなかったが、「あなたが立派に志を貫いてくだされば、それでわたしは満足なのです」という思いは吾輩にはわかった。生物学上の父親がどこまで彼女の「思い」を理解し、受け止めていたかはいまとなってはわからない。だが、彼がどう思っていようと吾輩の母親は「いっしょにお粥をすすることができればそれでいい」とさえ言わずに、言いたくとも言えずに世間様に陰口をさんざっぱら叩かれつつ、生きた。生き抜いたことであった。吾輩はそんな母親を誇りに思う。報われることの少ない人生を生きた母と、母の生まれかわりかとも思えるわが人生の同行者の虹子に次のうたを贈る。


つよく生き やさしく咲けよ女郎花 死ぬまで恋女房殿に惚れ候
 
by enzo_morinari | 2013-01-14 22:30 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(1)
Commented by r_magnolia at 2013-01-15 01:47
しみる。
しみる話だなー。
でも私だったら我儘だから、安記のお粥といいそう^^;

一山当てようという男性って今もいるけど、
そういう人とは怖くて一生を共にできないな。
昔の男はそういう人、多かったのだろうな。。。
私は相方のKと一緒に、納豆と白いご飯が食べられればそれでいいな。
<< 二度と取りもどすことのできない... 家族になろうよ/『家族』という物語 >>