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世界の終わりとスキーター・デイヴィスの死

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 スキーター・デイヴィスの死を知ったのは2008年、彼女が死んでから4年も経ってからだった。『The End of the World』を何年かぶりで聴いたついでに近況をググってみたら、彼女は2004年の秋に死んでいた。臨終の地はテネシー州ナッシュビル。72歳。乳癌。インターネットがもたらした死の知らせ。インターネットがなければ訪れなかった死の知らせ。
 茫然とした。右の耳たぶが熱くなり、心臓がどきどきし、立ち上がれず、しばらくはキーボードに触れることすらできなかった。私にとってスキーター・デイヴィスはいまも『The End of the World』を歌う若く美しいスキーティであり、哀しくせつなくあてどなく儚い「世界」を象徴していた。彼女の歌も歌声も私にとってはある種の「世界観」の礎だった。そんな彼女が私のあずかり知らぬ事情を抱えこみ、3度も離婚し、私が足を踏み入れたことのない場所で、私が気づかぬうちに死んでいたという事実に私は激しく動揺し、混乱した。大切ななにものかが失われたみたいだった。深い闇が際限もなく広がる宇宙のただ中に自分ひとりだけが取り残されたような気がした。敗戦処理を言い渡されたピッチャーが無意味なビーンボールを投げつづけるような気分で42回つづけて『The End of the World』を聴いた。聴き終えてiTunesを終了し、コンピュータをシャットダウンしてから少しだけ泣いた。いや、「少しだけ」というのはフェアじゃないな。42回分の『The End of the World』にふさわしい量の涙を流した。
 スキーター・デイヴィスが死んでから今日まで私はいったいなにをしていたんだろう? スキーティだけではない。三島由紀夫が自裁してから、ジョン・レノンがIMAGINE HEAVENしてから、小林秀雄がみまかってから、マイルス・ディヴィスがBye Bye Blackbirdしてから、アイルトン・セナが流星になってから、数えきれないほどの朝と夕焼けはなぜなにごともなかったように私に訪れたんだ? なぜ心臓は動いているんだ? なぜ太陽は昇った? なぜ星は輝きつづけた? なぜ波は打ち寄せる? なぜ鳥たちはさえずる? なぜ涙は涸れないんだ? なぜきょうはきのうのつづきなんだ? わからない。私にはわからない。わかりたくもない。
 スキーティの歌はナイーヴさがナイーヴなまま保たれていた季節、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しくかなしくあてどなく儚げに輝いていた世界とつながっている。なんの前触れもなく、その「季節」と「世界」は失われてしまった。そのようにして世界は終わり、何度でも終わり、いつか本当の終わりを迎えるんだろう。それでいい。そのほうがずっといい。いまはただ静かにスキーティの死を悼みたい。すぐそこまで来ている「世界の終わり」の足音に静かに耳をかたむけながら。
 
by enzo_morinari | 2013-01-02 07:00 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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