30数年におよぶかかわりの中で、それがK先生の私に対するただ一度きりの「お説教」だった。K先生からは数多くのことを学んだ。K先生はいつも私の少し前を歩いていてくださった。そして、ときどきこちらをふりかえり、控えめに手を差しのべ、歩むべき道筋に導こうとしてくださった。しかし、私はK先生の手を振り払う愚を犯しつづけた。あのとき差しのべられたK先生の手を握っていたらと思うこともなくはないが、それは一時の気の迷いと諦めるしかない。K先生はすでにして鬼籍に名を連ねてしまったのだ。もう言葉を交わすことも、酒を酌み交わすことも、「思い出話」に花を咲かせることもできない。世界のすべては刻々と二度と取り戻すことのできない遠い場所へ去ってゆくのだ。私にできることと言えばK先生とK先生にまつわる記憶の断片を語り継ぐくらいである。
今夜はK先生の好きだったJ.コルトレーン、中でもとりわけて愛聴されていたアルバム『CRESCENT』を繰り返し聴こう。そして、2曲目の『WISE ONE』のときには声をあげて哭くこととしよう。WISE ONE 。賢明なる者の死にこそふさわしい。