ヤマシタタツローとヨシダミナコとタケウチマリヤのパイでπな危険な関係のブルース
ヨシダミナコが好きだ。世界で通用する日本のヴォイス・パフォーマー、音楽家はヨシダミナコだけだとすら考えていた時期もある。忘れかけていた季節を思い出させてくれるのはいつもヨシダミナコだった。音源は残らず持っている。直筆の「御礼状」だって3通ある。へたくそな字だ。独特な字、風変わりな字、クセのある字、一度見たら忘れない字。言い方はいろいろあるだろうが、へたくそであることにかわりはない。
1987年のクリスマス・イヴ、驟雨にかすむ精霊の降りる街。ヨシダミナコは「いいレストランがあるの」と私を誘い、街一番のレストラン『STAR GAZER』の人気メニュー「冷めないチャイニーズ・スープの関係」を教えてくれた。12月の雨はとても冷たくて、「冷めないチャイニーズ・スープの関係」はとても温かくて、心がポカポカになった。
「ちょっと失礼」と言い残して席を立ったヨシダミナコが戻ってくることはなかった。隣りのテーブルではローラ・ニーロがロバート・デ・ニーロのマネををしておどけていたがおもしろくもなんともなかった。「青い眼の毛唐はすっこんでろよ」と言ってやったらその10年後に死んでしまった。私はこういうことがよくある。不思議だが現実だ。
私はゆっくりと「冷めないチャイニーズ・スープの関係」を味わいながらときどき窓の外をみていた。大昔にかなしくさびしくつらい思いをさせた女がレストランの通りを挟んで向かい側にあるセブンイレブン精霊の降りる街店から出てきた。「あたしはあんたに初めて会ったときに夢からなにから全部あんたに持ってかれちゃったんだ」と言って泣いた女だ。
コンビニ袋がすけてクリスマス・ケーキの赤い箱がみえる。女はひどくやつれていた。本来の齢より20歳くらい老けている。髪の毛は乱れ放題で白いものが目立つ。身なりからはいい暮らしをしているようにはとうてい思えなかった。
何度も店を飛び出し、彼女に声をかけたかった。ただ声をかけたかった。ほかにはなにもない。謝罪でも慰めでもなくただ彼女の声を聴き、すこしだけ微笑みあい、握手をして、お互いにもう二度と会うことはないとわかっているのに「またね」と言う。それだけのことがしたかった。
そのうちにオンボロのホンダN360が彼女の前に停まり、ドアがあいた。女は運転席の男に疲れたような笑みをみせてから車に乗り込んだ。雨は雪にかわった。降りだした雪のゆくえを追っているあいだに再び雪は雨にかわった。すべてはヨシダミナコが仕組んだことだと気づくのはずっとあとになってからだった。
ヨシダミナコが目黒の蒼い路地奥にあるライヴ・ハウス BLUES ALLEY でアコーディオンのカワイダイスケとやった DUO LIVE のときは席まで来て、「あたしが歌ってるときはタバコやめてね。マイヤーズ・ラムがお好きなケッペキにいさん♪」と思うままな愛を告白された。ヨシダミナコに「恋の手ほどき」をしたのはなにを隠そうこの私である。「わたしはあなたの影になりたい」とさえ言わしめた。
週末の扉の冬の厄介さに悩む彼女を品川駅の京浜急行の改札口で3時間も待ちぼうけさせたことだってある。1985年の夏の盛りの7月25日、強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフト・サイド先にある星の海で時さえ忘れてスター・ゲイザーとともに泳いだ。
そんなこんなのすったもんだを経たきのうの夜ふけ、『AIRPORT』を繰り返し聴いていた。20回目だか30回目の「見送る夜のエアポート」のパートで世にもおそろしい光景が突如として浮かんできた。「見送られているのはヤマシタタツローじゃねえか!」と。あの妖怪砂かけ婆もごめんなさいしちゃうような、真夏の炎天下にさらされて溶解寸前の生牛レバーのような御面相のエキセントリック・ハゲのヤマシタタツローが夜の空港でヨシダミナコに見送られている図。
はっ! そういえば顔面溶解男には『Endless Game』という曲があったな。軋む心の音は、震える白い指先はヨシダミナコのではなかったのか?
真相を突き止めるべく『AIRPORT』と『Endless Game』を交互にエンドレス・リピートして聴いた。3回目のセットですべてはわかった。もうなにもかもがいやになったのでオートマティスムする。『不思議なピーチパイ』『セプテンバー』をはじめとするタケウチマリヤの音源(ビニルのLPレコード、CD、MP3ファイル等々)はすべて廃棄する。水曜日の生ゴミの日に象牙海岸沖の悪夢の島行きだ。
背景音楽:Dan Fogelberg『Same Old Lang Syne』/The Pogues『Fairytale of New York (Christmas in the Drunk Tank)』/Art Blakey & Jazz Messengers『Les Liaisons Dangereuses』/吉田美奈子『AIRPORT』/山下達郎『Endless Game』/竹内まりや『不思議なピーチパイ』
星の海で泳いでいたヨシダミナコ(Reunion/再会#1)
ヨシダミナコとの「再会」はまったくの偶然だった。最後にヨシダミナコと会ったのは大ドンデン返しに向かって超特急ニッポン号が沸騰する蒸気を吹き上げながら爆走していた時代のただ中だった。私はすったもんだのすえに独立し、代々木に小さな事務所を開いていた。カネはあったがとにかく「時間」がなかった。仕事は黙っていても次から次へ、スペシャル・デリバリーで舞い込んでいた。私はいつしかなにものかを失い、すり減り、疲れ果てていった。
ヨシダミナコは別れの言葉ひとつなく、きれいさっぱり、なんの痕跡も残さずに私の元を去っていった。ヨシダミナコがいなくなっても私はなんとも思わなかった。本当のところを言えば気づきすらもしなかった。
ヨシダミナコがいなくなったことに気づいたのは6ヶ月も経ってからだ。6ヶ月のあいだに事務所の窓の真正面に見えるハナミズキの樹は淡い新緑から黄色く色づきはじめていた。季節は春から夏を経て秋にかわっていたのだ。仕事は停滞しはじめ、カネがまわらなくなり、ついには土壇場に追いつめられた。愚かにも私はそのような状況になってはじめてヨシダミナコの失踪に気づいたのだ。ヨシダミナコの消滅は心底こたえた。
ヨシダミナコとの再会を取り持ってくれたのは「海星」というめずらしい名前の人物である。海星氏の暗躍ぶりについては巷間よく知られている。再会したとき、私たちはしばらく沈黙し、たがいの「空白」についてすばやくさぐりあい、はにかみ、あきらめ、納得し、微笑みあった。
「やあ。ずっと会いたかったんだ」
深い闇の中で、ひときわまばゆく輝く星を凝視するヨシダミナコに声をかけた。長い沈黙のあと、彼女はやっと口をひらいた。
「夜をゆく雲の上には うるわしい星座がまたたく」
そのとたんに私たちのまわりは慈愛と荘厳と豊穣とにみたされた。そして、とどめようもなく、魂の奥底からあふれだすかのごとく、たくさんの涙がでた。2000トンくらいでた。涙の海ができて溺れそうだったが涙をぬぐおうとは思わなかった。私とヨシダミナコはおなじ星を見つめつづけた。短いけれど宝石のような時間がすぎた。
「星の海をゆけ」
最後にそれだけ言うとヨシダミナコはきらめき揺れつつめぐりゆく星座のただ中へ、冴えわたる冬の星の海へ、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと漕ぎだしていった。
背景音楽:吉田美奈子『星の海』
時をみつめていたヨシダミナコ(Reunion/再会#2)
ヨシダミナコはいつも、夜明け前、突然やってくる。精霊が舞い降りるように軽やかに。あるいは星の海を泳ぐようにかかえきれないほどの静寂を連れて。
「いったいぜんたい、どこで、なにをしていたんだよ」
声をかけても、ヨシダミナコは静かに微笑んでいるだけだ。星への階梯が音もなくたたまれはじめるとヨシダミナコはやっと口をひらいた。
「時をみつめていたのよ。それだけ。ほかにすることなんてなにひとつない」
「きみの言うとおりだ。ほかにすることなんてなにひとつない。おれも同じさ」
ヨシダミナコはまた不思議な微笑を浮かべるとうす桃色の翼を小刻みにふるわせ、来たときとおなじように軽やかに静かに舞い上がった。
「次はいつ会えるのかな?」と言いかけてやめた。そんなことは誰にもわかりゃしない。ヨシダミナコにさえもだ。いままでヨシダミナコがいた場所をみるとうす桃色の羽根が一枚残されていた。私は注意深くひろいあげ、いつものように「ヨシダミナコの忘れ物箱」にしまった。ヨシダミナコはやってくるたび、かならずなにかを忘れていく。困ったものだ。
背景音楽:吉田美奈子『時間をみつめて』
ヤサシサの雨にうたれていたヨシダミナコ(Reunion/再会#3)
ヤサシサの雨にうたれていたヨシダミナコは権之助坂の途中で立ち止まり、カワイダイスケ・ファンキー・オーケストラと立ち話を始めた。私はヤサシサの雨にうたれながら何度もこのまま死んでしまいたいと思った。ヨシダミナコは軽やかな笑い声を上げ、肩を左右に振り、ソウルトレイン・ヘアを揺らした。
たった一人の楽団、カワイダイスケ・ファンキー・オーケストラはといえば満足げにヨシダミナコをみつめ、ヨシダミナコの笑い声に耳を傾け、ヨシダミナコのソウルトレイン・ヘアにそっと指を通した。権之助坂途中の蒼い路地にある記憶の劇場の舞台で歌うヨシダミナコの声は透明で強くてコヒーレントでリニアリティがあってマットンヤ・ユミーンを小馬鹿にしていて世界に冠たる顔面力の持ち主ヤマシタタツローを心の底から憎んでいて9月のピーチパイ女を象牙海岸まで蹴り飛ばそうとマージービート通りの片思いくんたちに電波指令を送っていて物凄い勢いで深かった。
カワイダイスケ・ファンキー・オーケストラは誠実にヨシダミナコと対話を続けながら、ヨシダミナコ同様、オリジンを失わなかった。すばらしいことだ。ヨシダミナコとカワイダイスケ・ファンキー・オーケストラのオリジン・ダイアローグを必死に追う私は考えていた。女神はじかに生で見て聴いて味わうべきだと。音源はヨシダミナコに関する限り、最終手段である。
背景音楽:吉田美奈子+河合大介 DUO『2007年05月26日 目黒BLUES ALLEYにおけるLiveの盗み録り音源』
参考意見:ウジTVボンクラ軽部真一のインタビューなんか受けてんじゃねーぞ、顔面溶解男!