山岳犬ダフィーの冒険 #1

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17年間、矢のように駆け抜け、登りつめた山岳犬ダフィーに捧ぐ。


7月8日、山岳犬ダフィーと魔の山に登った。


冬眠を忘れた熊との遠い春の日のいくつかの思い出と山岳犬ダフィーの登場

遠くに巨大な岩山が見える。一枚岩。ひとつの岩の塊。標高1420m。外周21.42km。16億5千万年前、先カンブリア時代の中期に誕生した。

剥き出しの岩肌に薄いオレンジ色の夕陽が照りかえっている。魔の山は花崗岩でできあがっている。カタジュタ、ウルルと同じだ。樹木はただの1本もない。わずかに群生するヘリトリゴケのほかには草木1本生えていない。禿げ山だ。住人たちはこの岩山を「魔の山」あるいは「魔物の棲む岩」と呼んでおそれている。

夜中、耳を澄ますと魔の山から絹布をゆっくり引き裂くような音が聞こえてくる。岩山の頂上で魔物が笛を吹いているのだ。満月の夜、その笛の音に魅入られた住人の何人かが岩山を登り、行方をくらます。市長の号令で捜索隊が組織され、徹底的な捜索が行われたこともあるが蜘蛛の子一匹見つかっていない。

岩山に生き物はいない。いるのは魔物だけだ。あるのは風の音だけだ。風のないときは容赦のない静寂が支配する。行方をくらました者はすべて魔物に喰われたのだという者もいれば、大陸のギャング団にさらわれたのだという者もいる。真実は誰にもわからない。

都市の中心に聳える岩山はいったいなにを象徴しているのか。災いがあるからという理由で誰もこの岩山に手を出さない。岩山を切り崩し、土地をならせば広大な「投資対象として極めて魅力的なエリア」ができあがる。過去に何度か大手のデベロッパーが開発を試みたがことごとく失敗に終わった。

担当者の不審死。開発業者の倒産。悲運は家族にまで及んだ。現在までのところ、魔の山は手つかずのままである。国内のみならず、外国資本の開発業者が入れ替わり立ち替わり買収交渉したが岩山の所有者は決して買収に応じなかった。カネのにおいを嗅ぎつけた多くの政治家が硬軟取り混ぜたやり口で交渉の進展を図ったが無駄骨に終わった。闇の組織、裏社会の大物たちが束でかかっても魔の山の所有者は首を縦にふらないどころか会うことすらしなかった。岩山の所有者が崩壊する時間男、ルーイン・マンこと冬眠を忘れた熊だった。

冬眠を忘れた熊は正体不明の人物である。この街に冬眠を忘れた熊の本当の名前を知る者はいない。私も知らない。冬眠を忘れた熊とはある土地取引をめぐる騒動を収める交渉の過程で知り合った。互いに「双方代理」をやって、法外の報酬を得た。交渉の最中の「ディーラーとプレイヤーを同時にやれば勝利は100%だ」という私のひと言を冬眠を忘れた熊は聞き逃さなかった。その夜に冬眠を忘れた熊が訪ねてきた。「組もう。俺がディーラーでプレイヤー。あんたもディーラーでプレイヤー。ほかのやつらは全員プレイヤーだ。賭け金はすべていただく」

庭に眼を移す。季節外れにすっかり葉を落とした欅の樹の近くに裸足の男が立ちつくしている。冬眠を忘れた熊だ。「勇者」の名声を持つ男。彼を「崩壊する時間男」「沈黙の殺戮者」「乱暴者」「無作法者」と呼ぶ者もいる。私は冬眠を忘れた熊を「友」と呼ぶ。心なしか背中の翼が萎れて見える。額の2本のツノは小さい。冬眠を忘れた熊は戸締まりをしていない扉を開け、がらんとした部屋に入ってくる。翼は折り畳まれて皮膚に溶け込み、ツノは跡形もなく消えている。いつものことだ。星野コカブの小賢しい陰謀によって大熊座のα星とβ星の間から目当てのポラリスが消えて半年。羽田空港1丁目天空橋の陰気な橋守がコビト王の「獅子の心臓」を止めた影響で株式市場が売り相場一色の中、冬眠を忘れた熊は裸足でやってきた。

セイヨウトネリコの樹がやっと実を結んだ朝に冬眠を忘れた熊の最愛の妻がひっそりと死んだ。出産後間もない死だった。彼女は長い間、冬眠を忘れた熊のこどもを産むことを望んでいた。やっと授かったこどもだった。冬眠を忘れた熊は深く傷ついている。何者も冬眠を忘れた熊を癒すことはできない。冬眠を忘れた熊にかける言葉はない。最愛の妻が死んで1年が経つのに冬眠を忘れた熊は妻の遺骨をいまだ手放せずにいる。生まれた子といっしょに抱いて眠るそうだ。遺骨の中のひとかけらをペンダントにして肌身離さず身につけている。「この骨は死んだ女房の痕跡だ。この骨に触れているかぎり、おれと女房は繋がっている。これはおれの武器でもある。最終兵器なんだ。この骨のかけらを握りしめれば、おれはまだ息ができる。まだ生きつづけることができる。この骨を身につけているかぎり、怖いものはなにもない」

***

「ありのままを話してくれ。おれはやっとこさっとこここにたどりついたんだ」

そう言って、冬眠を忘れた熊は「呪われたアルマジロ」の署名がある小切手を差し出した。0が10個近く並んでいる。贅沢をしても100年は遊んで暮らせる額だ。

「なにかのまちがいじゃないのか? 0の数が多すぎる」
「いいんだ。当然の報酬さ。命を賭けたんだからな。賭け金が高ければ分け前も跳ね上がるものと相場は決まっている」
「わかった。遠慮なく受け取っておく」
「また頼むこともある」
「人殺し以外ならなんでもやるよ」
「いい心構えだ。ところで、こんなものを手に入れたんだがどう思う?」

冬眠を忘れた熊は不思議な色の鉱物をファイストス円盤を模したホンジュラス・マホガニー製のテーブルの上に乱暴に置いた。

「ランボー・ストーン。どうだ? いい色だろう? ランボー・ストーンには砂漠の商人どもの夢と栄光と挫折が含有されている」

***

「こんど、魔の山で星を眺めながらひと晩過ごそうぜ。あそこは本当に星がよく見える。あそこだけ空気が澄んでるんだ」
「いまからすごくたのしみだ」
「魔物がやってくるが、ただ挨拶にくるだけだ。なにも悪さはしない」
「紹介してくれよ。魔物の友だちはまだ一人しかいない」
「一人しかいない魔物の友だちというのはおれのことか?」
「そのとおり。あんただ」

冬眠を忘れた熊はとてもうれしそうだった。

「さて、晩めしはなにが喰いたい?」
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の敬虔なる信者であるパスタファリアンの我々としては、ここはなんと言ってもパスタ・アリメンターレだろう」
「パスタ・アリメンターレはなにがいい? スパゲッティ、ペンネ、ラザニア、ラビオリ、タリアテッレ、マカロニ、ブカティーニ、カネロニ、ヴェルミチェッリ、ニョッキ。ピザだって焼けるぜ。奮発して石窯を作ったんだ。マルゲリータ、マリナーラ、クアットロ・フォルマッジ、クアットロ・スタジョーニ、ボスカイオラ、ロマーナ。なんだってこいだ」
「いまさらリストランテを始めるなんて言いだすんじゃないだろうな?」
「さっきもらったギャラでやるという手もある」
「そうだな。スパゲッティ・アル・ペスト・ジェノヴェーゼでもいいし、絶望のパスタ=スパゲッティ・アーリオ・オリオ・ペペロンチーノでもいいし、リングィネでもいい。天空の地平線をゆく星どもを眺め、観察するにはうまいものをしこたま喰わなけりゃな」
「そのとおりだ」

***

「肉が入っていないじゃないか」
「菜食主義者に転向したものでね」

私が言うと冬眠を忘れた熊は歯を剥き出して笑った。冬眠を忘れた熊には脱帽だ。私は冬眠を忘れた熊に胸の内を明かすことにした。本当のことを包み隠さず打ち明けよう。丸裸の自分を見せるのだ。危険な賭けではある。冬眠を忘れた熊はもともと飾りけのない人物だが剣呑すぎる。抜き身のナイフだ。冬眠を忘れた熊は剥き出しの刃を向ける。私が世間に秘密を公表して以来、予想どおり風当たりはさらに強くなった。

「話はわかった。胸をはだけろよ。ちょっと気になることがある。おまえの呼吸音」

冬眠を忘れた熊はスピーカー・ケーブルの被覆を剥きながら出された料理を次から次に平らげた。

「最近、胃腸の調子が悪いので『熊の胆』を飲んでるんだ」
「そうじゃない。おまえの病いの根はもっと深く深刻だ。    長くねえぞ、このままじゃ」

そう言うと冬眠を忘れた熊はニンニクをアルミホイルに包んでオリーブオイルとともに蒸焼きにしたものを音を立てて食べた。

冬眠を忘れた熊は胸を張った姿勢を保ったまま、素手で出された料理を食べつづけた。冬眠を忘れた熊のがさつな振る舞いはいまにはじまったわけではない。それは冬眠を忘れた熊の誇り、矜持の表れでもあっただろう。

冬眠を忘れた熊が「冷酷」「傲慢」「乱暴者」「無作法者」だという噂を広める者たちはよく胸に手を当てるがいい。おまえたちは冬眠を忘れた熊を貶められるほどのことをしてきたのか? ただ狡猾、要領よく立ちまわってきただけではないのか? 敵前逃亡、戦線離脱した者たちを咎めることもなく、莫大な負債をたった一人で背負ったのは誰だったか? 冬眠を忘れた熊だ。飢えたカラスのような群衆にただ一人耐え、抵抗したのは誰だったか? 冬眠を忘れた熊だ。真冬の山で倒れた者を担いで麓の町まで運んだのは誰だ? 冬眠を忘れた熊だ。貧しき者たちを圧迫する為政者たちに抵抗の刃をただ一人向けたのは誰だ? 冬眠を忘れた熊だ。つぶしが利くというだけの理由で冬眠を忘れた熊に困難な仕事を押しつけたのおまえたちではないのか? 風向きが悪くなると冬眠を忘れた熊にすがりつき、風向きが変わると冬眠を忘れた熊に背を向けたのは誰だ?

おまえたちの現在の不遇はもはや冬眠を忘れた熊にはいささかも関係がない。私は冬眠を忘れた熊に対する世間の絶え間ない誹謗中傷にはこれ以上耐えることができない。我慢も忍耐ももはや限界だ。冬眠を忘れた熊はただきれいごとを避けてきただけだ。おまえたちは丸裸、赤剥けの魂を殺そうとしていることに気づかない。いや、冬眠を忘れた熊はすでに何度も死んだ。何度も死に、何度も生き返った。自分だけの力でだ。おまえたちはそのときなにをしていんだ? 冬眠を忘れた熊に助けられ、命拾いをしたおまえはなにをした?

傷。傷痕。傷跡。忘れてしまうほど古い。そして、途中で数えるのを断念してしまうほど多い。そんな「傷」をえぐりだされる出来事があった。これまでの人生において傷つけられたことを思い出し、傷つけたことを思いだす。それを避ける術を知らず、傷の意味もわからなかった。信用している人物がまったく別の顔を見せるのは恐ろしいことだ。私が悪いのだろうか。悪くないとしたら誰が悪いのだろうか。私は悪くない、相手も悪くない。すると、「ああ、まちがいだったのだな」と思うしかなくなる。まちがいだったとしても傷ついた原因を探しだすか作りだすかしないと納得できない。そこで、「生まれてきたこと自体がまちがいだったのだ」と問題の取りちがえを起こす。まちがいを「自分の存在」にまで還元してしまう。「なぜだ?」と問いかけることもできなかったし、誰かに打ち明けることもできなかった。明らかにすれば私の「世界」は崩壊すると思っていた。今でもそう思っているので私は沈黙する。語りつくせぬことについては完全な沈黙を守る。

久しぶりに愉快な食事だった。時計を見ると10時を少し過ぎている。二人とも3本のワインとスペイサイド・モルトの名品をブレンドしたダグラス・レインのScally Wagでやんちゃ坊主のように酔った。

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「さて、それではお星様でも眺めるとするか。天空の地平線をゆく星どもを。BGMはわかってるよな?」

オーディオ装置をセットし、部屋の灯りを落す。窓を開け放す。ウッドデッキに長椅子をふたつ並べる。iTunesで「星と月と人生」をキーワードにしたプレイ・リストをかける。冬眠を忘れた熊と並んで正面の東の夜空に眼をやる。リンダ・ロンシュタットの『When you wish upon a star』が流れはじめる。キース・ジャレット、ケニーG、ルイ・アームストロングとつづく。

北東から南東にかけた空に北斗七星、春の大曲線、春の大三角形がある。北斗七星の柄杓の先端から牛飼い座のアークトゥルス、乙女座のスピカをたどり、獅子座のデネボラへ。大三角形の頂点のデネボラから天頂に向かって視線を延ばす。途中、土星にちらっと眼をやる。デネボラの西に並んでいる星たちがつくる「獅子の大鎌」。1等星レグルスがひときわ輝いている。「獅子の大鎌」から左下にある四角形がライオンの胴体だ。デネボラはライオンの尻尾。胴体からは足も伸びているはずだが、けたたましい光があふれかえる街中で見るのは難しい。獅子の雄々しい姿を想像する。今夜はライオンの夢が見れたらいい。勇ましく夜空を駆け上がるライオン。一番好きな星座だ。昨年に続いて今年も土星が獅子座の中にいる。昨年は前足のあたりだったが、いまは後ろ足のあたりで輝いている。

しし座β星のデネボラがおとめ座のスピカにしきりにウィンクしている。そんなことをしたって無駄だ。とんがり屋さんの真珠姫はライオンの尻尾なんかに見向きはしない。真珠姫がへそを曲げないうちにやめておいたほうがいい。とんがり靴で蹴り飛ばされるのが落ちだ。真珠姫にあさっての方角にでもいかれたら、美しい大曲線も大三角形も台無しだ。麦の収穫に忙しい熊森が怒りださないうちにやめておくほうが身のためだ。

「デネボラの野郎め。相変わらず馬鹿なやつだ。身のほどもわきまえずに。大事なのは身のほどをわきまえるってことなのにな」

冬眠を忘れた熊の言うことはいつも簡潔で的確で正しい。

「おおぐま座とこぐま座の話を知ってるか?」
「うん」
「あれは悲しい話だ」
「そうだ。とても悲しくてつらい話だ」

ある日、ゼウスが森の妖精カリストに恋をする。やがて二人の間には男の子が生まれる。男の子の名はアルカス。これを知ったゼウスの妻ヘラは嫉妬に怒り狂い、カリストを熊にしてしまう。時が経ち、青年となったアルカスは森で大きな熊に遭遇する。アルカスは渾身の力をこめて限界まで弓を引き、狙いすまして矢を放つ。その熊はヘラに姿を変えられたアルカスの母親のカリストだった。一部始終を見ていたゼウスは驚く。カリストに矢が命中する直前にゼウスは二人を天へと昇らせる。母親のカリストがおおぐま座、息子のアルカスがこぐま座。以来、おおぐま座は子を思う母親のようにこぐま座の周囲を回りつづけている。この話にはいくつかの象徴的な問題が潜んでいる。ひとつはゼウスの「不倫」の問題。ふたつはヘラの「嫉妬」の問題。みっつは放たれた矢が命中するまでの刹那に救い出されるという「時間」の問題。ゼウスの不倫、浮気はいまに始まったことではない。手当たり次第である。大体、世界中の神話には神々の奔放な性が描かれている。親子婚。兄弟婚。いとこ婚。目眩がするほどゼウスを中心とする神々の相関図は混みいっている。混みいっているだけではなく欲望と嫉妬と思惑が坩堝の中で煮えたぎっている。人間どもの不倫だの浮気だのなど他愛ない。いざとなればゼウスの必殺技、最終兵器がある。そうだ。デウス・エクス・マキナ、機械仕掛けのゼウスだ。いざとなったらゼウスが現れてすべての問題を解決してしまうのだ。


「おまえは最高の友だ。まだ死んでほしくない。女房のことだってまだおれの中では決着がついていないってのにおまえにまで逝かれちまったらまたおれは元の木阿弥、修羅に戻らなきゃならない。もう人を生きたまま死人にするのも回復不能の傷を負わせるのもたくさんなんだ。だから、だから...もう少し生きてくれ。そして、おまえさんのうまいめしを月に一度は喰わせてくれ。な? いいだろう?]
「わかった。ありがとう、友よ」
「うむ。物わかりのいいやつだ。いい子だ」

それだけ言うと、冬眠を忘れた熊は代赭色の翼をおもむろにひろげ、北の方角へものすごいスピードで去っていった。風が冬眠を忘れた熊を押す。

「とにかく生き延びろ、冬眠を忘れた熊。おれも生き延びる。がんばれ冬眠を忘れた熊!」

叫んだが、風が容赦なくかき消す。風の中のライオンはふりかえらない。その後、冬眠を忘れた熊がどのような人生を生きたのか風の便りはない。そして、2000年10月11日の夕暮れどき、冬眠を忘れた熊からの伝言を携えて山岳犬ダフィーはやってきた。


***


間降魔賀市北部の無限台形地の中心を占める斜峰高原にあって、周囲を睥睨するがごとく傲岸不遜きわまりもない風情を醸しながらひと際高く聳える山。ひとはその山を「間の山」と呼び、間者や間の悪い者や間抜け者や間男どもを容赦なく放り込んだ。

人々は彼らを「マモノ」と呼んで激しく忌み嫌った。逢魔が辻を過ぎ、魔の刻を迎える頃になると間の山の麓から糸を引くような声や絹布を引き裂くような鋭く悲しげで、しかも狂気を孕んだ声が聴こえてくる。マモノたちの悲嘆と憎悪と愁訴の声だ。マモノたちからはいっさいの「間」が剥奪され、彼らはひとかけらの「間」もない亜空間に磔にされている。

古来、この種の刑罰は主に「天津神」に関わる悪事を犯した者に対して行われる咎、刑罰であった。『いろは歌』に歌いこめられた「咎なくて死す」という怨念はまさに「マモノ」として追放された者の怨み節である。

「魔」とは元々「間」のことであり、魔物は人と人の間、人の心の隙間に入りこむ物の怪のたぐいであった。人間とは「間のひと」、魔物なのだ。では人間を「間のひと」とみた者はだれか? そして、どこへ行ってしまったのか?

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さて、間の山の麓にはオーベルジュ・ル・リキューという名の埴谷自同律の不快式癲狂院が存在する。収容されているのは主に触法精神障害者である。閉鎖病棟ばかり42棟を擁する巨大な敷地には間の山から伐り出されたユグドラシルの巨木がイシス・ウルドの泉を模した最盛期チェネレントラ・ルネサンス様式の噴水を取り囲むかたちで聳え立っている。この噴水には「オー・ド・ヴィ」という名がついているが、収容されている患者たちは密かに「モリの泉」、すなわち「死の泉」と呼んでおそれている。なんとなれば、「モリの泉」こそはオーベルジュ・ル・リキュー内で秘密裡に行われている秘儀、「ヤーウェ・キノシソス」で生け贄にされ、王水によってどろどろに溶かされた患者の遺体(遺体? 液体のたぐいである)が流される場所だからである。

利休の待庵を模した茶室とみせかけた院長室ではきょうも「ヤーウェ・キノシソス」で生け贄にする者の選定が行われている。理事長、院長、事務長、婦長、警備主任。彼らは間の山からやってきたマモノたちである。そのことを知るのはごく限られた者だけだ。

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(参考)
いろは歌

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ
 
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-16 17:30 | 山岳犬ダフィーの冒険 | Trackback | Comments(0)

コアントローポリタンの女

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どこにも行きたくない者にとっては世界のどこであろうと地の果てだ。E-M-M


電話の呼び出し音。世界の果てにあるヒッコリーの森の木樵小屋からだ。木樵の家族の笑い声。薪割りの音。小鳥たちのさえずり。しかめっ面をした騎兵隊長のナッツクラッカー大佐がクルミを割っている。ヒッコリーの老木が倒れる音もする。

夢か? いや、すべてが夢というわけではない。電話は確かに鳴っている。神経を逆撫でする呼び出し音が少しずつ大きくなる。眠りが醒めてゆく。しかし、眠りは充分ではない。もっと眠れ。眠りつづけろ。起きるな。世界の果ての森から、そう命じる者がいる。ヒッコリーの森の番人だ。このままでは1日が台無しになってしまう。たいていのことは1本の電話から悪い方向に向かうのだ。

重い泥濘の底から錆ついた意識が徐々に浮かびあがってくる。頭が痛む。ずきずきする。目蓋が重い。熱い。沸騰寸前。眼球が飛び出しそうだ。首筋が少し焦げている。やけどでもしたのか? ピンク・ドラゴンに火焔を吹きかけられたか? それとも、地獄の業火に焼かれたのか? 焼きたてのピッツァ・クワットロ・フォルマッジをぶつけられたのでなければいいが。あれはあとで臭くていけない。洗濯屋のおやじの仏頂面など見たくない。嫌味ったらしいうえに退屈な軽口を聞かされるのも御免だ。ぶつけられるならピッツァ・マルゲリータがいい。O Sancta Simplicitas! なにごともSimple is Bestだ。さらに電話の音は大きくなる。

ひどく喉が渇いている。唾も出ない。口の中にゴビ砂漠でも入っているようだ。月の出ていないざらざらした舌の上を2頭のフタコブラクダが通りすぎる。砂漠の商人たちのキャラバン隊は喉仏を越え、オアシスを目指して先を急ぐ。

死ぬ前の幻覚か? こうやって人間は死んでゆくのか? なんて死に様だ。大脳と小脳が脈打つ。O.K. 死神さんよ、いつでもいいぜ。心残りはいくつかあるが、一番残念なのは世界の終わりを見届けられないことだ。あとのことはひと山いくらで叩き売るがいい。死ねば「世界の終わり見届け同盟」も即刻解散だ。

猛烈な吐気が襲ってくる。地獄の亡者どもが胃を鷲づかみにしている。吐気と痛みに思わず唸り声が出る。すべては昨夜飲んだスピリタスのせいだ。

スピリトゥス・レクティフィコヴァニ。ポーランドの火の酒。世界最高純度のニュートラル・スピリッツ。無水アルコールまであと3歩。いや、2歩。

「燃料」と「危険物」の表示がある。火の酒どころか、悪魔の酒だ。ポーランド西部ヴロツワフのポルモス・アクワヴィト蒸留所製。アクワヴィト? 生命の水? 冗談じゃない。死の水だ。alc/vol 96%の酒など飲むものではない。人生をまっとうに平穏無事にやりすごしたければ飲んではいけない酒だ。それを1本半。マイク・ハマーはギャングの手下にスピリタスで酔いつぶされた挙句にイースト・リバーに投げ込まれ、魚のエサになりかけた。マイク・ハマーよ。あんたに悪運がなければ二度とヴェルダの「100万ドルの脚線美」は拝めなくなっていたところだぜ。ずいぶんと肝を冷やさせてくれたものだ。

ニューヨーク市マンハッタン三番街西24丁目レキシントン大通りのマイク・ハマー。よく聴け。大審問官はスピリトゥス・レクティフィコヴァニだ。裁くのはあんたじゃない。毒蛇もそうそう隙を見せはしない。

He will kill you, Deadly. 血にまみれた手を広げてよく見るがいい。もはやあんたの手の中に「復讐」の二文字はない。小石の礫で巨人ゴリアテの骨は軋み、若い羊飼いに首を刎ねられる。戦いは剣と槍の力だけで決するとはかぎらない。剣とサンダル。槍と知恵。闇に支配された裏通りは血まみれの夜明けとともに赤く染まる。デルタ係数が冷厳冷徹に死者をカウントする。手加減はない。容赦もない。些細なことで銃弾の日々は永遠に終わりを告げる。もう愛しき者の接吻は燃えない。大いなる殺人のあとには大いなる眠りが待っているものだ。

電話の呼び出し音はさらに大きくなる。そうか。明方近くに帰ってきて、着替えもせずにベッドにもぐりこんだのだ。少しずつ記憶がよみがえってくる。ほかの記憶は失っても、飲んだ酒の種類と飲んだ酒の量は忘れない。特技と言っていい。いったい今は何時なんだ? 眼がかすんで時計の針が読み取れない。いい年齢をしてまったく馬鹿な飲み方をしたものだ。

思いきってベッドから抜け出し、キッチンに向かう。電話は鳴りつづけている。悪意さえ感じる。ほっておけ。今日は臨時休業にする。美人秘書もモーレツ社員も命知らずの手下もいないがボスはこの私だ。ルールは私が決める。私が掟だ。

冷蔵庫を開け、『ジャールートの泉の水』を取り出して飲む。1ℓをいっきに飲みほす。もう1本出して半分飲む。生きかえる。死にかけていた細胞どもが息を吹きかえす。

ジャールートの泉の水 ── 素晴らしい水だ。「生命の水」と呼ぶにふさわしい。木っ端役人どもにいいように操られて棺桶に片足を突っ込んだ国の放射能まみれの水とは大ちがいだ。

正しいプリンシプルとまともな神経の持ち主は姑息で卑劣な木っ端役人どもが好き放題やっているGDP世界第3位(PPP世界第19位)の国の水など飲むべきではない。原理原則が揺らぐ。魂が腐る。そんな水がふさわしい輩はほかにいくらでもいる。

『ジャールートの泉の水』はカサブランカの旧市街で酒場を経営するモロッコ人の戦友が送ってくれた。

時代が変わり、世界が変わり、時がいくら過ぎゆきても、
我々の友情に潤いと信頼とアッラーの思し召しが常にありますように。
As Time Goes By & Here's looking at you, Kid!


へたくそな手書きのメッセージが記された『カサブランカ』の絵葉書付き。砂漠の民の友情は歳月を経ても変わらない。

エマヌエル・カントが不寝番をしていそうな殺風景な仕事部屋に入る。ブラインド越しにふやけた陽の光が射し込んでいる。デスクの椅子に座る。電話はまだ鳴っている。鳴り響いている。しつこい奴だ。喧嘩でも売っている気か? 喧嘩ならいつだって買ってやる。

「黙れ! とっとと失せやがれ!」

怒鳴りつけても凄んでも電話は鳴りやまない。鳴りやむ気配もない。しかし、電話には出ない。今日は臨時休業と決めてある。すでにロング・バケーションの真っ最中だ。ミスター・ペーパーバックに変身して、パンナム・エアのアトランティック・バード号でニュープロビデンス島に乗り込み、海岸でモヒートをちびちびやりながら『ナッソーの夜』を読むのだ。そのあと、アンドロス島のウェルター級アマチュア・チャンプだった男がやっているレフトフック・バーで島一番のギムレットを2杯飲んでから、夜はブルネット・グラマーとお愉しみという筋書きだ。

スー族の勇者、稀有なる男、クレイジー・ホースになるという手だってある。質素な身なりをして、何者にも腕をつかませず、自分のための物は持たない。弱き者を助け、貧しき者に分け与える。不思議な力を持つ石は耳の後ろに挟んである。リトル・ビッグホーンで262人の男たちを死に追いやった見栄っ張り大馬鹿長髪野郎のカスター中佐は何度でも地獄に送ってやる。老いぼれのクルック将軍はパウダー川に放り込む。そして、最後はロビンソン砦に突撃だ!

「ホカ・ヘー! おれにつづけ! 今日は戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!」

しかし、電話は鳴りやまない。人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。しかたなく受話器を取る。聞いたことのない外国語 ── たぶん、外国語だ ── で嗄れ声の女がまくしたてる。女の声がびりびりと鼓膜に響く。

何語だ? ラテン系か? エスペラントではない。エウスカラでもない。ヴォラピュク語か? ソルレソル語? 面倒なので思いつくかぎりの肯定の言葉を並べてやる。イエス、ウィ、シー、スィン、ヤー、ダー、アノ、マリスタ、ヌダロギ、ンディヨ、エヴェット、ホウッケノ、ジハ-ン、キュッラ、ダウモ、スウィマ、スウェン、ティ-ム、ズ-ガッ、ハイ、モケソケ ──。

「モケソケ」と言ったところで、「オキュオキュ」と明るい声が返ってくる。トレーン語だったのか。突然、電話が切り替わり、馴染みのある言葉が耳に飛び込んでくる。

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聞き覚えのある声。1週間前になにも告げずに姿を消した女だ。私の声を聞いたとたんに女は電話口で泣きはじめる。ひとしきり泣くと、次は怒鳴る。叫ぶ。酔っている。ひどい酔い方だ。いったい、どれくらい飲めばそれほど酔うのか。もちろん、私が言えた義理ではないが。

女はありったけの罵詈雑言を交えて私の不実をなじる。責め立てる。たぶん、私がなにか悪いことをしたんだろう。私はよく悪いことをする。悪い人間だと言われる。いまに始まったことではない。急に女が黙りこむ。PCを起動する。HDを読み込む小気味いい音。目蓋に熱っぽさは残っているが意識は冴え冴えとしている。酒の酔いと電話口で泣く女のこと以外はきれいさっぱり頭の中から追い出したせいだ。電話の向こう側から街の音が聞こえはじめる。

エンジン音。クラクション。ブレーキ音。衝突音。駅のアナウンス。駄々をこねる子供。雑踏。雨音。爆発音。怒鳴り声。また別の怒鳴り声。犬が吠える。罵り合う声。また別の罵り合う声。ゲンスブールの古い歌。サイレン。生きている街の音。時報。2時だ。ゲンスブールの別の古い歌。

女は一体全体どこから電話してきてるんだ? いまどき、ゲンスブールの歌が続けて流れる街などこの世界にあるのか? そんな街は決定的になにかが狂っている。大事なネジが何十本も抜け落ちている。生きていくうえで絶対に必要な大切ななにものかが欠落している。住んでいるのは裏切りと背信と不道徳をなんとも思わぬ恥知らずばかりのはずだ。

恥知らずほど手に負えない者はいない。恥を恥と思わない者に比べれば愚か者のほうが経験から学ぶ分だけまだ救いがある。恥知らずどもがいくら乙にすましていてもおまえたちのやってきたことはすべてお見通しだ。

女の泣き声がまた聞こえはじめる。泣きじゃくる。女の繰り言。溜息。悲鳴。懇願。猫なで声。怒鳴り声。沈黙する私。さらに沈黙する私。雨音が大きくなる。泣き声も大きくなる。泣き声がやむ。女が息をのむ音。女が口を開く音。

「帰りたい。どこでもいいから、いますぐ帰りたい。ここはひどい街」
「いま君はどこにいるんだ?」
「遠いところ。すごくすごく遠いところ。あなたに言ってもわからない」
「ニューヨークも遠いし、パリも遠いし、ニュープロビデンス島も遠いし、ロビンソン砦も遠いし、チェルノブイリも遠いし、トーキョーも遠いし、たぶん冥王星はもっと遠い。いまの僕には眼の前のセブン-イレブンだって遠いよ。どこにも行きたくない者にとっては世界のどこであろうと地の果てだ」
「混乱させないで」
「君は初めから混乱してたじゃないか」
女がなにかを飲む音。耳を澄ます。女はなにかを飲んでいる。
「いま、酒を飲んだな?」
「そうよ。フレッシュ・レモンとクランベリー・ジュースとコアントローのノワールとクラッシュ・アイスを混ぜたものを飲んだの。『S & TC』のキャリー・ブラッドショーがいつも飲んでいるカクテルよ」
「『S & TC』ってなんだ? キャリー・ブラッドショーって誰だ?」
「『Sex and The City』よ。アメリカの人気ドラマ。キャリー・ブラッドショーは『S & TC』の主人公。サラ・ジェシカ・パーカーが演ってるの」
「知らないね。知りたくもない。どうせ、恥知らずな女が恥知らずなことをする罰当たりで破廉恥な話だろう? そして、酒屋には恥知らずな酒ばかりが並んでるんだ。醸造用アルコールたっぷりのな」
「見たこともないのにどうしてそんなことが言えるのよ」
「見なくたってわかる。鼻だけはよく利くもんでね」
「いいから黙ってあたしの話を聴いて」
「朝陽のように爽やかで、明るい表通りに面したオープン・テラスの店で二人でお茶を飲みたくなるくらい気分がよくて、夢見のいいのを頼む」
「この街ではね、コアントローポリタンでは『Sex and The City』を毎週見て、いつもこのカクテルを飲んでなきゃいけないのよ。そういう決まりなの」
「そんな馬鹿げた話があるもんか。コアントローポリタンなんて街は聞いたこともない。これまでに世界中をほっつき歩いてきたこの僕がだ」
「馬鹿げてても本当のことなんだから仕方ない。あなたが知らなくてもコアントローポリタンは実在するし、『Sex and The City』を毎週必ず見る人たちがいるの」

コアントローポリタン」をネットで検索する。767件のヒット。「COINTREAUPOLITAN」でも検索。22200件のヒット。

カクテルの名前じゃないか。馬鹿馬鹿しい。老舗のコアントローもどうかしてる。鼻持ちならない広告屋だかプランナーだかのボンクラどもにまんまと乗せられて、がっぽりふんだくられた挙句の馬鹿馬鹿しいパブリシティものにすぎない。ひとかけらの価値もない。

フレッシュ・レモン? クランベリー・ジュース? ヘミングウェイもフィリップ・マーロウも飲まないカクテルであることだけは確かだ。見向きすらしまい。リップ・ヴァン・ウィンクルさえ鼻白む。マイク・ハマーなら袋だたきのうえに鉛の弾を弾倉が空になるまで撃ち込む。

「話はわかったから帰ってきなさい。そして、酒を飲むのはもうやめるんだ」
「あなたにあたしの何がわかるっていうのよ。うだつの上がらない中年のアル中には何も言われたくない」
「そうか。それなら、好きにするがいいさ」
「リップ・ヴァン・ウィンクルなんかに負けない。負けるもんですか ── 」

電話はそれで切れた。

コアントローポリタン」について調べる。ディータ・フォン・ティース? 恥知らずの馬鹿女じゃないか。別れた元旦那はマリリン・マンソンとかいう虫酸が走るような下衆野郎だったはずだ。お似合いといえばお似合いだ。変態ポルノを見せつける親戚? 服を脱がせて囚人ゲームに興じる隣人? ベトナム戦争で一般市民を殺した父親? 地下にマスターベーション部屋をつくっていた祖父? そんなものはいまどきセブン-イレブンのレジ横に山積みで置いてある。

トラウマを売り物にする奴にろくな者はいない。スピリタスを2、3杯も飲めばすぐにも忘れてしまう程度のつまらぬことを後生大事に抱え込んだ上に他人に見せびらかす類いだ。どれほど大きくて深い傷であろうと、傷も傷痕も誰にも見えないようにひっそりと隠しておかなければならない。それが人生の流儀、作法というものだ。世界に対して同情を要求する資格があるのは、夕闇迫る雨のバス停で傘もレインコートもないまま震えて立ちつくす女の子だけだ。

また電話が鳴る。受話器を取る。さっきの嗄れ声女だ。

「モケソケ」
「オキュオキュ」

すぐに電話が切り替わる。街の音。女の荒い息づかい。息のにおいと熱までが伝わってきそうだ。

「助けて」
「どうすればいい?」
「とにかく助けて」
「だから、何をすればいい?」
「こうして話してくれるだけでいい」
「電話代が高くつきそうだな。これ、コレクトコールだろう?」
「電話代がなによ! あたしがいままであなたにどれだけつくしてきたか考えたこともないくせに!」
「わかったよ。コアントローポリタンの話を聞かせてくれ」
「あたしの話をちゃんと聞いてくれる?」
「聴くさ。ちょうど退屈しはじめたところだし」
「あたしを退屈しのぎに利用するってこと?」
「まあまあ。そう尖るなって」
「コアントローポリタンに着いた日に、観光案内所でピンク色の小さなトランクをもらったのよ。コアントローポリタンに来たら誰でももらえるの」

ピンク色のトランク・ケース? ひどい趣味だ。目の前に300kgの金塊を積まれてもお断りだ。

「中になにか入ってたのか?」
「もちろん。コアントローのノワールとブランが1本ずつ。シェイカーとカクテル・グラスとロング・グラス。それとディータ・フォン・ティースのDVDも。トランクは彼女の直筆サイン入りよ」
「そんなもの、いますぐ捨てちまえ」
「捨てられるわけないじゃない。そんなことしたら、すぐに捕まっちゃうわ」
「君の話はどこまでが冗談で、どこまでが本気なんだか、さっぱりわからない」
「全部本気で本当よ」
「コアントローポリタンではコアントローポリタンを常に飲んでなけりゃいけなくて、薄気味の悪いピンク色のトランク・ケースを捨てると逮捕されてしまうというのもか?」
「そうよ。それだけじゃない。コアントローポリタンでは世界中のあらゆる言語が通じない時間帯が1日のうちに3回あるのよ。すごく不便。コアントローポリタンの通りには ── 」

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女は喋りつづけているが机の上にそっと受話器を置く。とても素面では聞いていられない。酒の用意だ。ここは誰がなんと言おうとスピリタスとコアントローにする。食器棚からグラスとペイルを出す。冷凍室から氷を出す。氷をペイルにぶち込む。

音楽をかけよう。なにがいい? リー・ワイリーの『Night in Manhattan』だ。小さな音で。ごく小さな音で。リー・ワイリーの『Night in Manhattan』を繰り返し聴けば、気分はいまよりずっとよくなるはずだ。

いままでだってそうだった。リー・ワイリーの『Night in Manhattan』のおかげで最終の銀座線に飛び込むのを思いとどまったことさえある。恋のいくつかが成就するのにも貢献してくれた。贅沢を言わなければ、そしてほんの少し工夫すれば ── 聴く音楽をなににするかという点についてちゃんと考えるというような些細なことで ── 人生のあらゆる局面は幾分かでも気分のいいものにできる。酔っぱらって訳のわからないたわごとを延々と喋りつづける女の長電話に付き合わされる類いの困難な局面さえもだ。そのちょっとした工夫をしないのは、生まれついての怠け者か救いようのない愚か者だ。

ブラインドを閉じる。照明はつけない。アンプリファイアーの真空管の光で充分だ。

McIntosh MC275 のスウィッチを入れる。電気という血液を流しこまれた4本の Western Electric KT-88 Vintage がゆっくりと焦らすように色づいていく。艶かしい。ロシア製の KT-88 のときは音がザラついて聴けたものではなかった。1週間前、WE社製の KT-88 にチューブ・ローリングした。耳を疑うほど音の艶と透明感に差がある。エージングが充分ではないのでやや御機嫌ななめだが、時間の経過とともに本来のパフォーマンスを聴かせてくれるはずだ。

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Play it. 1曲目は『Manhattan』。1950年、マンハッタン島ミッドタウン東52丁目フィフス・アヴェニューのリー・ワイリーが歌いはじめる。まだジャンキーもショッピングバッグ・レディもホームレスもいない頃のフィフス・アヴェニュー。数多くの矛盾と困難と困憊を孕みつつもアメリカにはまだ「ドリーム」が存在し、「希望」とやらが世界に対してなにがしかの力を有していた時代だ。

モノーラル録音。音質は悪い。ノイズも多い。ややハスキーで愁いを含んで仄かに甘い歌声。小粋で洒落たフレージング。独特のヴィブラートが心地いい。そして、なにより気品がある。いまどきの DIVA やら歌姫やらの有象無象には望むべくもない気品だ。ヘレン・メリルが「ニューヨークの溜息」なら、さしずめリー・ワイリーは「マンハッタンの吐息」だろう。

ジャケットを手に取る。ドレス・アップした男女のモノクロ写真。一緒に夜のマンハッタンを歩いているような気分になる。ジョージ・ガーシュインやアービング・バーリンのスタンダード・ナンバーもいい。サイ・ウォルターの上品で洗練されたピアノ。ボビー・ハケットの哀愁を帯びたコルネット。文句のつけようがない。

ビリー・ホリディは年に1度か2度でいい。エラ・フィッツジェラルドはときどきうまさが鼻につく。しかし、リー・ワイリーはエブリデイ・エブリタイム・オーケイだ。

ノックの音。3回。少し間を置いて2回。誰だ? スケジュール表を見る。依頼人だ。キャンセルはできない。急いで玄関に向かう。ドアを開ける。眼の下に濃い隈を貼りつけた男が立っている。女房に逃げられた男だ。男を招き入れる。仕事部屋に入る。ソファをすすめる。

「奥さんからその後連絡はありましたか?」
「はい」
「ほお。それは驚きだ」
「私も驚いています」
「このあとのご予定は?」
「特にありません。家に帰って、一杯飲んで、食事をして、寝るだけです」
「よかったら、いっしょに飲みませんか? お話しは飲みながらでも」
「いいですね」

男のグラスを用意し、私が飲んでいるのと同じものを作る。

「スピリタス & コアントローです」
「大好きです」
「本当に? 冗談でしょう?」
「いえ。家ではいつもこれです」

男はグラスを手に取り、揺らし、香りを嗅ぎ、口をつける。かなりの酒飲みだ。一連の動きでわかる。曲が『How Deep is The Ocean』にかわる。

「リー・ワイリーですね。大好きです。女房も大好きでした ── 」
「気が合いますね。すみません。いまちょっと電話中だったもので。済ませてしまいますから飲んでてください」

受話器を取る。

「あたしをほったらかしにしてどこに行ってたのよ。事件でも起こったのかって心配しちゃったじゃない」
「ちょいとした野暮用でね」
「ねえ。すごく恐い。街中がクリスタライズ・スワロフスキー・エレメントだらけなの。全身をローズ・アラバスターのスワロフスキーで飾り立てた女の人ばかりよ。みんな黒髪で、左目尻の下あたりに付けボクロしてるし。あちこちで輪になってバーレスクを踊ってる。どうなっちゃってるんだろう」
「これから君を血祭りに上げたあと、丸焼きにして喰っちまおうって魂胆さ」
「やめてよ!」
「やめないよ」

コアントローポリタンもピンク色のトランク・ケースもスワロフスキーも黒髪も付けボクロももうどうでもいい。それらは私の世界とはちがう世界のことであり、女の事情だ。

グラスに氷を放り込み、スピリタスとコアントローを同時に注ぐ。肩と顎の間に挟んだ受話器が落ちそうになる。大ぶりのグラスになみなみと注いだスピリタスとコアントローを半分ほどひと息で飲む。悪魔の雫が胃から血管を伝い、全身に広がっていく。

「あなたも飲んでるの?」
「いま飲みはじめた」
「ギムレット? マティーニ?」
「いいや。カクテルなんて手間のかかる面倒なものじゃない」
「わかった。マイヤーズ・ラムね」
「ちがう。スピリタス & コアントローだ。昼間から往来で酔いどれているコアントローポリタンの女を相手に長電話をするにはお似合いだろう」
「スピリタスはやめときなさい」
「世界中のスピリタスとコアントローを全部飲みつくしてやるさ」
「懲りないひと」
「そのうち、聖なる酔っぱらい帝国の皇帝になってみせるからたのしみに待ってるんだな。メイドか召使いか洗濯女でよければ雇ってやるよ」
「せめて秘書ぐらいにしてよ」
「お生憎様。秘書はすでに100万ドルの脚線美をもった仏文科出たての可愛らしいお嬢さんが面接待ちだ。眼の前のソファに座ってあくびをしてる。いま、ブラウスのボタンをひとつ外したところだ」

男にウィンクする。男は必死に笑いをこらえている。

「バカッ! あなたって最低の男ね!」

また電話が切れる。

「済みました」
「お忙しいようでしたら出直しますが」
「お気になさらずに。用件をさっさと片づけてしまいましょう。で、奥さんですが ── 」
「なんでも、現在コアントローポリタンという街にいるそうです。帰りたいけれども帰れないと。すごく恐ろしい目に遭っているようです」

自分のグラスと男のグラスにスピリタスを溢れるほど注ぐ。コアントローは必要ない。コアントローなどもうたくさんだ。スピリタスを2本も飲めばすべての災難と厄介事はきれいさっぱり消え失せるはずだ。1950年、マンハッタン東52丁目フィフス・アヴェニューのリー・ワイリーが囁くように歌っている 。ときに、静かに沈んでゆくことも必要だ。

Whether you are here or yonder
Whether you are false or true
Whether you remain or wander

Oh, how I'd cry,
If you got tired,
And said Good-bye

More than I'd show,
More than you'll ever know ──


(To Be COINTREAUED)


More Than You Know - Lee Wiley

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# by enzo_morinari | 2018-07-16 16:10 | コアントローポリタンの女 | Trackback | Comments(0)

オマンユもスピリッツもニオイだ! ビバ! オマンユ・スピリッツ!

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ウィスキー、ブランデー、ウォトカ、スピリタス、ジン、焼酎を水で薄める薄らバカがいる。溺れて死ねばいいのに! ディキシーランド・ジャズの対極で溺死すればいいのに!

オマンユもギュードンもおつゆたっぷりがいい! ビバ! オマンユ・ギュードン! ギューギューサイコー!
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-16 16:05 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

ギャツビーの女 ── クールボアジエをもう1杯

 
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夏服を着た女たちが歩く明るい表通りからは悪意と憎悪の毒矢が放たれる。 E-M-M


週末、金曜の昼下がり。都会の喧騒が消えうせた宝石のような時間。オフィス・ビルの壁面のガラスが夏の初めの空と雲と光を映している。仕事は午前中にすべて片づけた。仕事もプライベートもすべては順調で、なにひとつ思いわずらうことはない。これから日曜の夜にベッドにもぐりこむまで、夏の始まりにふさわしいとびきりの時間をすごせる幸福で心は夏の雨上がりの空のように晴々としていた。

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オープン・テラスのテーブルの上に読みはじめたばかりのアーウィン・ショーの短編集を置き、ウェイターが注文を取りにくるのを待つ。通りに目をやると、クレープデシンやコットンリネンやピケやコードレーンやシアサッカーの夏服に身を包んだ女たちがややあごを突きだして歩いている。どの女たちの顔をみても週末の夜のお愉しみを目前に美しく健康的で、適度にエロティックで、いきいきとしている。「いい週末を」と思わず声をかけたくなる。

澄んだ空気。
にこ毛のような陽の光。
そして、夏服を着た女たち。

これから日が暮れるまでの数時間を自由に贅沢にすごそう。気持ちはさらに浮き立ってくる。

「クールボアジエをクラッシュ・アイスに注いで、それをエヴィアン・ウォーターで割ったものを」

新米のウェイターが怪訝な表情を浮かべたので、私は伝票とボールペンを受け取り、注文を記した。新米ウェイター君に安堵とともに爽やかな笑顔がもどる。

薄手の大きなバカラの丸いグラスを琥珀色の液体が満たしている。グラスの淵に鼻を近づけ、芳醇馥郁たる葡萄の精の香りを愉しんでからひと息で半分ほど飲んだ。爽やかで、しかも豊かな味だ。決して上等とはいえないBOZEのコンパクト・スピーカーからジューン・クリスティの『サムシング・クール』が聴こえはじめる。夏の初めの空と雲をみる。流れゆくひとかけらの雲が、遠い昔に私を通りすぎていった女たちの顔にみえる。さらにクールボアジエをもう1杯。動悸がたかまる。

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その昔、いつでもどこでも、『サムシング・クール』を口ずさんでいる女の子がいた。彼女は冷凍室の中でさえ、「なにか冷たいものをおねがい」と言いそうだった。彼女の名前は? 思い出せない。クールボアジエをもう1杯。背筋を冷たい汗が一筋、流れ落ちる。

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『クール・ストラッティン』のジャケット写真みたいに魅惑的な脚線美をいつも誇らしげに見せびらかす女もいた。彼女が自信たっぷりに気取って街を歩くと、男たちは立ち止まり、慌てて振りかえり、そして、遠ざかる彼女の後姿と脚線美を溜息まじりに見送ったものだ。彼女の名前は? 思い出せない。クールボアジエをもう1杯。軽い眩暈に夏の初めの街が揺れる。

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「マイルス・ディヴィスは嫌いだけど、『クールの誕生』は好き」と言いながらLPレコードを乱暴にターンテーブルにのせる女もいた。私は彼女の手荒さに辟易したものだ。彼女の名前は? 思い出せない。クールボアジエをもう1杯。グラスを持つ右手がふるえだす。

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初めて見にいった『グレート・ギャツビー』で意気投合し、「あなたがギャツビーで、わたしがデイジー。そうすれば二人の復讐と幸福と享楽と放埓は完結するのよ」と言って、熱烈なキスをプレゼントしてくれた女もいた。彼女の名前は? 思い出せない。クールボアジエをもう1杯。全身が泡立ちはじめた。

女たちの悪意と憎悪の毒を含んだ矢が次々と飛んでくる。その毒矢は決して的を外すことはない。しかも、彼女たちのすべては遠い記憶の淡い薄桃色の雲の中に隠れていて姿をみせることはない。

心の中にみるみる黒い雲が湧き上がってくる。寒気さえ感じる。初めの頃の浮き立つような気分はとうに消え失せていた。

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街が黄昏はじめた頃、やっと彼女は現れた。淡い水色のクレープデシンのドレスに身を包んで。彼女のあたたかくやわらかな笑顔だけがいまの私を彼女のいる世界に引きもどしてくれる。そう思い、私は心の底から安心し、彼女に感謝した。

「あなたと初めて見にいった映画、おぼえてる?」と彼女は突然言った。

「ごめん。忘れちゃったよ。きみとは映画ばかり見てるから」
「『グレート・ギャツビー』よ」
「まさか ──」
「本当だってば。初めてのデートで、二人で見る初めての映画ですもの。忘れたりするもんですか」

私は立ち上がり、もう何杯目なのかさえわからなくなってしまったクールボアジエを毒杯でもあおるような気分で飲み干し、夏服を着た女たちが涼しげな表情を浮かべて行きかう街の中へ、ゆっくりと、本当にゆっくりと漕ぎ出していった。


Something Cool - June Christy
Cool Struttin' - Sonny Clark
Birth of the Cool - Miles Davis

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# by enzo_morinari | 2018-07-16 04:10 | コアントローポリタンの女 | Trackback | Comments(0)

忘れえぬ喰いもの ── 隠し味は一粒のダイヤモンド/La Mère et La Mer 母なる海の日に寄せて

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中学2年の秋。

「塩の、お、むす、び、と、プ、レー、ン、オ、ムレ、ツ、と、冷た、い、だ、い、こ、ん、と、おと、うふ、と、あ、ぶらげ、の、お、み、お、つけ、が、食べ、た、い」

死の床で母親は息も絶え絶えに言った。片手で持てるくらいに小さくなった母親の小さな言葉は秋の初めの薄闇の中にゆっくりとゆっくりと消えていった。

私は仲たがいしている隣家に出向き、事情を話し、下げたくもない頭をなんべんも下げ、米と味噌と玉子と煮干しと大根を借り、町外れの豆腐屋まで自転車を飛ばし、豆腐を半丁と一枚10円の油揚げを頼みこんで半分だけ買った。

めしを炊き、大根を刻み、油揚げを刻み、豆腐を賽の目に切り、煮干しで出汁を取り、玉子を割り、味噌を裏漉しし、にぎりめしを握った。溢れでそうになる涙をこらえながらの作業は困難を極めた。

口を満足に開けぬほど衰えた母親が食べられる大きさのにぎりめしを握るには私の手は大きすぎた。私は寿司を握る要領で俵型のにぎりめしをひとつだけ握った。炊きたてのめしはひどく熱かったが、その熱さは母親のぬくもりとも思えた。思いたかった。

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すっかり支度ができあがり、寿命寸前、最後の唸り声をあげる日立の旧式ポンコツ冷蔵庫から大根と油揚げの味噌汁を取り出した。そして、にぎりめしと玉子1個で焼いたオモチャみたいに小さなオムレツと冷やした大根と油揚げの味噌汁をひびの入った鎌倉彫りの盆にならべ、母親を抱き起こし、少しずつ少しずつ食べさせた。母親が食べることのできた総量は私の掌の一握りにも満たないわずかなものであったが彼女は満足げだった。

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「おいしい。すごくおいしい。ありがとう。ありがとう。ありがとう.....」

母親は言い、久しくみせることのなかった輝くような笑顔をみせた。その笑顔は薄闇に浮かぶ椿の花のようだった。翌日、母親は春の陽炎のようにひっそりと息を引き取った。その生は波乱と忍従と孤独と困難と困憊に彩られていたが、安らかな死であることを願った。いまも願う。

以来、にぎりめしを握ることも、オムレツを焼くことも、冷たい大根の味噌汁を作ることもない。もちろん、寸分たがわずに再現することはできる。再現することはできるが、あのときの「最後のひと塩」に値する一滴、一粒は再現できない。「最後の晩餐」「ダイヤモンド」はたった一度、たった一粒だからこそ価値がある。

人は生まれ、生き、喰い、死ぬ。単純きわまりないが、そこには深淵、困難、そして慈味、慈愛がいくつも潜んでいる。つまり、どのような人生であれ、相応の「味わい」が用意されているということだ。

人が一生のあいだに食卓に向かう回数は8万回にも及ばぬ。私に残されたのは2万回足らずの食卓だ。残ったすべての食を「一期一会」「最後の晩餐」と覚悟を決めて喰らおうと思う。もちろん、最高の隠し味は空腹、そして、予告なくこぼれ落ちる一粒のダイヤモンドである。


母のうた
(補遺)
ガッカイ歌だろうが軍歌だろうがチンピラ音楽だろうがオンチだろうがウンチだろうがウツボだろうがウツケだろうがモモイロだろうがピンクだろうがムラサキだろうがボーコーだろうがコーボーだろうがショーガイだろうがブスだろうがトリカブトだろうがソーカだろうがオームだろうが童話だろうがZ日だろうが893だろうがいいものはいい。話は簡単である。
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-15 09:52 | 忘れえぬ喰いもの | Trackback | Comments(0)

成熟と喪失 ── はるか遠い日の夏の思い出

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我は悲の器なり 我において何ぞ御慈悲ましまさずや Gen-Shin
我が心は石に非ず 転ずべからず Shi-Kyo
末世の衆生に親子のかなしみ深きこと Kon-Jaku
天人五衰の悲しみは人間にも候けるものかな Hey-Ke
生あるものは必ず滅す 楽しみ尽て悲しみ来る Hey-Ke
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる Chu-Yah

日本ですごす最後の夏になるので、ずっと夏にまつわることを考えている。夏のにおい、夏の色、夏の音、夏の風景、夏のかなしみ。そして、夏の思い出。さよなら、日本の夏ということである。

夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)はこどもの頃から好きな歌だった。歌詞もメロディもいい。夏の盛りがやってきて、入道雲が湧きあがった空を見ると『夏の思い出』を口ずさんでいる。

しかしながら、こどもの頃、夏は苦手だった。夏の暑さと湿気がつらかった。いまからは信じられないことだが、私は腺病質のこどもで、同級生が夏の訪れを心待ちにしてはしゃいでいるのを横目で見ながらだれにも気づかれないようにため息ばかりついていた。夏休みが来てもちっともうれしくなかった。市民プールのそばを通ると胸が疼くように痛んだ。水しぶきの音や歓声や笑い声が鋭利なナイフとなって侵入し、私の中のなにもかもをズタズタに切り刻んだ。蟬しぐれさえ悪意の棘の塊りに感じられた。夏はなにかしらの実体をともなって突き刺さってきた。夏休みは空を見上げて雨の気配を探り、雨を心待ちにする日々だった。夏のあいだ、にわか雨や夕立ちは私にとってはかけがえのない救いの慈雨/恵みの雨/Gentle Rainに思えた。

春も夏も秋も冬も週に1度は熱発を起こしていた。40度の発熱はざらだった。最高は42度。世界がグニャグニャに歪み、のたうちまわって見えた。よくぞ生き延びたものだ。

エアコンなどまだ普及していない時代。窓を開け放し、カタカタと異音を発する日立のうぐいす色の扇風機をつけっぱなしにして部屋にこもり、本を読んだり考えごとをしたり言葉あそび(宇宙しりとり/回文/アナグラム/空耳/地口)をしているうちにいくつもの夏が過ぎていった。

そんな私がひと夏の冒険旅行に出たことがある。小学校5年の夏休みのことだ。私はその当時、あるよんどころのない事情で母親から離れ、一時的に生物学上の父親のもとで暮らしていた。

生物学上の父親はそのころ羽振りがよく、有栖川宮記念公園にほど近い元麻布に豪邸をかまえ、「闘う家長」として彼の両親、彼の妻の両親、兄弟姉妹、そして子供たちとともに暮らしていた。

居心地は最悪のはずだったが彼らは私を大歓迎し、愛でた。それでも、こども心にも自分が場ちがいなところに転がりこんでいることはわかっていた。しかも、私が世界で一番憎み、いつか殺してやろうとさえ考えている男の家に。

私は極力彼らと顔を合わさぬように食事や入浴や用便のとき以外は図書室のある地下に逃げこんでいた。食事を図書室に運んでもらったりもした。のちに恋愛関係となる生物学上の父親の妻は私のわがままをいやな顔ひとつせずに聞きいれてくれた。図書室は内側から鍵がかけられたので好都合だった。なにより、蔵書の質と量がすごかった。

学校や町の図書館の本はあらかた読んでいたので新しい本に飢えていた。そんな中、図書室で小田実の『何でも見てやろう』をみつけ、夢中で読んだ。『何でも見てやろう』を読み進みながら一刻も早く旅に出なければならないと私は思うようになっていた。

私が冒険旅行を宣言したとき、生物学上の父親とその家族どものほとんどは猛反対したが、いつも私をからかってばかりいた腹ちがいの兄公(ニコ)だけが唯一味方についてくれた。その当時、ニコは東大仏文科の学生で、孤立無援の一匹狼としてきな臭い日々を送っていたように記憶する。

顔は青ざめ、頬はこけ、眼だけがぎらついていた。長めの前髪がいつも顔にかかっていた。おおかた、『異邦人』のムルソーだか『罪と罰』のラスコリニコフだかを気取っていたのでもあろうが、男っぷりはそこそこのもので、家に連れてくるガールフレンドは美人ばかりだった。そんなニコは私の冒険旅行をめぐる家族会議のあいだ私のすぐ横にいてずっと私の背中に手を置き、さすってくれた。そして、「負けるな」「やっつけてやれ」と小声で私を励ました。最高の応援歌だった。

やると決めた以上、だれが反対しようが問題点/瑕疵/不合理を指摘されようが異議を唱えようが邪魔をしようが妨害しようが決行し、実現するという私の気質はこの頃にはすでにできあがっていて、綿密な旅程表と装備品リストと「旅の目的」をもとに手加減なし容赦なし譲歩なしで反論するともはや異を唱えられる者はいなかった。

旅の目的はただひとつ。なんでも見ることだ。じかに見て聞いて嗅いで味わって触って感じること。私が求めていたのは手づかみ/赤むけのリアルだった。それは今もなんら変わっていない。変えない。

大のおとなどもを説き伏せたときのうれしさ。そして、ニコの満足げな表情はいまも忘れえぬ。

出発の朝、大きくて重いリュックサックを背負い、だれにもなにも告げずに家を出た。見送りはない。見送りなどいらなかった。見送られたくなかった。

雲ひとつない朝だった。7時前なのにすでにまぶしかった。門を出ると「待てよ」と声がした。ふりかえるとニコが立っていた。ニコはまぶしそうに私を見ていた。ニコは私の肩に手を置くと、小さな声で「がんばれ」とひと言だけ言い、私の手にそっと数枚の1万円札を握らせた。私がうなずくとニコもうなずいた。私はくるりと踵を返し、早足で歩きだした。ニコの視線を感じながらさらに早足で歩いた。300m先の曲がり角で家のほうを見るとニコはまだ立っていた。思いだすたびに胸が熱くなる「300mの夏」だった。

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私の冒険旅行はひと夏をかけて北海道を1周するというものだった。フェリーで苫小牧に上陸し、あとはユース・ホステルを泊まりつぐ。何度か野宿もした。

生物学上の父親の故郷である室蘭の絵鞆半島をハルカラモイ、測量山を皮切りに電信浜、地球岬、トッカリショ岬を経てイタンキ岬まで「地質地層探索の旅」をした。全行程徒歩。きつい道中道行きだった。北海道本土に多くみられる更新世中期の火山岩類と絵鞆半島の中新世中期から鮮新世の火山岩や火山砕屑岩類をじかに目にし、比較できたのはよかった。この経験はのちにフィールドワーク、リアリズムという私の人生においてきわめて重要なタームの基礎を形づくるもののひとつとなった。

旅はもちろん面白かったし、たのしかった。多くの発見やたくさんの人々との出会いがあった。襟裳のユース・ホステルではオートバイで日本全国を旅している大学生と仲良くなった。オートバイの後部座席に乗せてもらい、次のユース・ホステルまで送ってもらった。あのときの大学生がいまもオートバイで日本中を駆けめぐっていたらうれしい。

土砂降りの雨の中でバスを待っているとき、長距離トラックが急停車し、「乗ってきな」と言ってリーゼントのあんちゃんがドアを開けた。私は少し迷ったが、彼の顔色がすごくよかったので助手席に飛び乗った。私が札幌で降りるまでカーステレオからはずっとエルビス・プレスリーの曲が流れていた。

新冠のユース・ホステルでは仲良くなった高校生のグループやヘルパーのひとたちと競走馬の牧場までハイキングに行った。馬たちは茶目っ気たっぷりで、柵のそばまで行くと鼻息を猛烈に荒くしながら近寄ってきた。

旅の終り、別れの前夜。判官館の浜辺に出て焚火を囲んでいろんな話をし、歌をうたった。『今日の日はさようなら』をみんなで歌ったときには、今日、このたった今、この瞬間、自分の目の前にたしかにいて、歌い、笑い、話している人々と会うことは2度とないのだと思いいたって涙が止まらなかった。親和欲求と共感性が極端に薄く乏しい私が生まれて初めて「かなしい」と思った瞬間だった。このとき、「かなしい」という感情はいくら手をつくそうと押しとどめることも取りもどすこともできない事態に直面したときに起こることを知った。

どのように手をつくそうと押しとどめられず、取りもどせないと思い知ったときに「かなしみ」はやってくる。いまみている夏の青い空は一刹那ののちには手の届かないところに流れ去って、おなじ青い空は二度とみることができない。宇宙森羅万象はすべて「二度とないこと」を孕みつつ有為転変しながら生起している。そのことのかなしみを深く知ったときに「心映え」が生まれもする。

倫理学者の竹内整一によれば、「かなしみ」の「かな」とは、「○○しかねる」の「かね」とおなじところから出たものであり、それはなにごとかをなそうとしてなしえない張りつめたせつなさ、緊張感であり、自分の力の限界、無力性を思い知りつつもなにもできないでいるときの心の状態を表す言葉であるという(『「かなしみ」の哲学/日本精神史の源流を探る』/NHKブックス 2009年)。

あの夜、一緒に『今日の日はさようなら』を歌った人々は今どうしているか。その後、どのような日々、どのような人生を送ったのか。銀の匙1杯分でも4tトラックの荷台1杯分でもいいからとにかくなにがしかの幸福を感じることはできたか。ひもじい思いはしなかったか。悲嘆に暮れなかったか。悲運にまみれはしなかったか。困窮困憊に打ちひしがれはしなかったか。重篤な病に臥せなかったか。中にはすでに死んだ者もいるかもしれない。なにがどうあろうともすべてはかなしみのうちにある。

それらはなにがしかのかたちで私の財産となっている。しかし、あの遠い日の夏のいちばんの思い出は論理によっておとなたちを説き伏せたという経験だった。

夏。それはまぎれもなく経験の季節だ。経験の数だけひとはなにごとかを獲得し、同時に、おなじ数だけなにごとかを喪失する。ひとはそれを成熟と呼ぶ。

2度と見ることのできない遠く青い空、2度と見ることのできない夢見るように咲き乱れる花たち、2度と見ることのできない石楠花色の黄昏。そして、2度と会うこともない人々 ── はるか遠い日の夏の思い出である。


さよなら、日本の夏。2度と会うこともない。

夏の思い出
夏の思い出 - 鮫島有美子
夏の思い出 - 南澤大介& 加茂フミヨシ
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-14 01:42 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

早く家に帰りたい。

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腹ちがいの兄がいる。年齢はひとまわりほどもちがう。私は兄を親しみをこめて「兄公」と呼んだ。ニコと呼ぶこともあった。「アニコウ」の略称。それと兄公の名前が「勝利」だったからだ。ロシア語のニコライ、ギリシャ語のニコラオスは「(対人的な)勝利」を意味する。さらにはほとんど笑ったことがないから皮肉をこめて。ニコと呼ばれるのを兄公はすごく喜んで、そのときだけは私のほかに人がいなければとても魅力的な笑顔をみせた。「ニコ」のいわれを話すとさらに喜んだ。

「すごいな」
「ニコよりIQが高いだけの話さ」
「かわいくないな」
「かわいくないけど大好きだろう?」
「まあな」
「本当はかわいくてしかたないだろう?」
「うるせえ!」

兄公は私の大嫌いな「団塊の世代」に属するが、群れない男だった。徒党を組むことを極端に嫌った。学生運動やら全共闘運動やらで徒党を組む同世代の人間を憎悪し、軽蔑していた。三島由紀夫が東大の五月祭に来て全共闘の学生たちと討論するイベントで芥正彦に殴りかかったのはニコだ。ニコは「ゴミアクタの野郎め。女をくいものにしやがって」と言って憤慨していた。さらには「あんなA( )Cのいやなやつはいない」とも。

孤独孤高孤愁のひとだった。孤独。孤高。孤愁。激烈。孤立無援。それがニコをほぼ正確にあらわす言葉である。

日本刀をひと振り携え、単身京浜安保共闘のアジトに乗りこんで大立ちまわりを演じて逮捕されたこともある。殺人未遂/住居侵入/器物損壊等々の重罪にもかかわらず執行猶予付き判決だった。死人怪我人が出ていないことと検察官も裁判官も「義挙」と受け止めたからだろう。検察官は論告求刑で執行猶予付き判決を求めた。異例中の異例だ。現在では考えられないが、時代ということもあったんだろう。

釈放されて帰ってきた日は野毛のジャズ喫茶ちぐさに一緒に行った。吉田衛さんがまだお元気で達者だった頃。日野皓正が店の自作巨大スピーカーのキャビネットに座り、ほっぺたをパンパンにふくらませてコルネットを吹いている写真が大きなパネルで壁にかけられていた。

「どうだった? おもしろかった?」
「デコスケは馬鹿ばっかりでつまらない」
「馬鹿は警察官だけじゃない」
「だな。なんでやったんだって訊くから、太陽がまぶしかったからだって言ってやった」
「ふん。警察官は『異邦人』を読まないよ。警察官という生きものはカミュどころか本を読まないし、ものを考えたりもしない。あいらの脳みそは筋肉でできている。国家の暴力装置というのはそういうものだから」
「訳知ったようなことを言いやがって」
「そうでなきゃ、デモ隊に水平撃ちなんかしない」
「なるほどな」
「で、学校はどうするの?」
「やめるよ。最初からそのつもりだ。死人が出ると思ってたからな。死人どころかネズミ1匹いやしない。逃げ足の速いやつらだ」

ニコはそう言って吉田衛さんにジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』をリクエストした。ニコは結局、東大の仏文科を2年で中退した。やめずに卒業したところで、残りの2年間は時間の無駄になるだけの話だったが。学校側は停学という寛大な処分で済まそうとした。しかし、ニコは家族の説得にはいっさい耳を貸さず、さっさと退学届を提出した。

「安田講堂に火をつけときゃ金閣寺放火犯の林承賢のようになれたのにな。”象牙の塔の破壊者”って」

退学届を提出した日、ニコはそう言ってすごく大きな笑い声をあげた。

兄公は私を「シュート」と呼んだ。なぜ「シュート」なのか。私がサッカーに夢中になっていたことと、「秀れた弟/秀弟/シュウテイ→シュート」だと兄公は私には目もくれずに朝日ジャーナルを読みながら答えた。遠い昔々、大昔のことだ。ニコとシュート。いいコンビだった。


ビートルズが解散して兄公どもが嘆き、サイモン&ガーファンクルに慰めてもらった時代がかつてたしかにあった。

思えば、私の「青春時代」の中心である1970年代は自衛隊市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の自裁/東京事変の衝撃で幕をあけた。エルビス・プレスリーは自室に閉じこもってドーナツを頬張り、キノコ頭の4人組は「なるようになるさ」と言い放ってさっさと大衆に背を向けた。せめてもの救いはサイモン&ガーファンクルが得体の知れない明日に怯える孤衆予備軍に向け、逆巻く渦にも負けない橋を架けてあげようと慰めてくれたことだった。その橋が胡散臭くてひと筋縄ではいかない厄介で剣呑な橋であることに気づくのはずっとあとになってからのことだ。

だが、その慰めも長くは続かなかった。そのような時代を経て、木綿のハンカチーフが真っ赤なドレスと真っ赤な靴に変わり、「のんびりゆこうよ~おれたちは~」などと暢気にほざき、ガス欠したポンコツのフォルクス・ワーゲンを押す鈴木ヒロミツの横を「かわいいあの娘はルイジア~ンナ」というどこかぎこちないキャロルの和製ロックンロール風演歌に発情したクールスが駆け抜け、ウェストコーストの薄っぺらで上げ底の波がなんとなくクリスタルでただ居心地がいいだけの街に押し寄せようとしていた。そのあとには、ごていねいにも風の歌を無理矢理聴かされて故障しかかった不全感の塊のようなスパゲティ・バジリコとピンボール・マシンにこっぴどい目に遭わされたナイーブなロースハムが用意されていた。羊と双子とセックスの混じったにおいのするひとの弱みにつけこむ時代がやってくるのは数年後だ。

1970年代末、街には『ホテル・カリフォルニア』の物悲しい旋律がいつも流れていたと記憶する。当時は「アイデンティティ」だの「共通体験」だの「同苦」だの「共通感覚」だのといった言葉がある種のファッションのように語られていたが、私はそれらの言葉に対してなんとはいえない軽薄さ、皮膚が毛羽立つような異和、上滑りしたお祭り騒ぎのごとき印象をぬぐえなかった。

「身体は1立方メートルにも満たないちっぽけな器にすぎない」と抜かすいけ好かない気取り屋がいた。

「キュウリ1本作るのにどれだけの石油が消費されるか、そういうところから発想するべきだ」

三四郎池のほとりで鳥取のクソ田舎出身のいけ好かない気取り屋が言った。砂丘で食ってるクソ田舎野郎がなにをぬかしやがるかと思った。おめえはマスクメロンの網目の数でも勘定してやがれよ。

「じゃ、おまえ、手拍子100回やったらエネルギーの無駄づかいか? 足踏み鳴らしつづけたら浪費か? じゃ、音楽は生まれてきてごめんなさいだな」
「おれは土人の音楽は聴かない」

唖然とした。立てつづけにゲップが出た。昼めしで食べたメンチと消化液の混ざったいやなにおいが鼻先にまとわりついた。このクソ田舎出身のいけ好かない気取り屋の言で唯一いいところは、あらゆる資源が消え失せたときにわれわれはどんな音楽をどんなふうに奏でるのかということを考える端緒をもたらしてくれたことだ。

クソ田舎出身のいけ好かない気取り屋は現在、文科省の初等中等教育局教育課程課教育課程企画室で「表現及び鑑賞の活動を通して音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育てるとともに音楽活動の基礎的な能力を培い豊かな情操を養う」ことを謳い文句に日本の音楽教育を台無しにし、死に至らしめるべく日夜口出し手出し利権漁りに邁進している。

そのような時代のまっただ中にニコはなんらの前触れもなく行方をくらました。40年近い歳月を経て、2008年のクリスマス目前、ニコは私の前に姿を現した。やはり、なんらの前触れもなく。私の誕生日祝いにとラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の稀覯本を携えて。

「やっと”早く家に帰りたい”と思ったから帰ってきた。40年かかった」

ニコはそれだけ言うと私を抱き寄せ、強い力で抱きしめた。黒ばらのジャコーのポマードのにおいがした。私が口をひらきかけると、「わかってる。なにも言わなくていい」と言ってさらに強く私を抱きしめた。

「ニコと吹かれたい風があったんだ。ニコと眺めたい星や夕陽や虹や空があったんだ。ニコと飲みたい酒があったんだ。ニコと食べたいものがあったんだ。ニコと聴きたい音楽があったんだ。ニコの声を聴きたかったんだ。ニコに聴いてもらいたいことがあったんだ。何度も何度もニコの名前を呼んだんだ。いくつ夜を越えてでもニコに会いたかったんだ」と言いたかったが言わなかった。言えなかった。ニコはすべてわかっているから。ニコもおなじ気持ちだと思ったから。

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いくつかある音楽に関する「原風景」のうち、こどもから少年へのとば口に立っていた頃のものは、ビートルズのメンバー4人の顔が配置された『LET IT BE』とサイモン&ガーファンクルの『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』の2枚のジャケットが無造作に置かれた兄公の机である。そのかたわらには吉本隆明の『共同幻想論』とJ.P. サルトルの『存在と無』とアラン・ロブ=グリエの『Dans le Labyrinthe(迷宮のただ中にて)』『Projet Pour une Révolution à New York(ニューヨークの革命計画)』が、これもやはり無造作に、というよりも放り投げてある。いま思えば、ニコもいっぱしの哲学青年もしくは文学青年を気取っていたことがわかるが、当時のニコはいつも眉間に皺をよせ、深い陰翳が顔に宿っていた。

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うつむき加減にぼそぼそと話すニコの姿を思いだす。私以外の一族の者たちすべてがニコに怯えていた。ニコは「恐怖の王」として君臨し、何者の干渉も介入もゆるさなかった。恐怖の王は私にだけはやさしく、あたたかだった。そのニコもいまでは視力を失い、闇の世界の住人である。ブックエンドがわりの「魚のしるし」はなぜ失われたのか? ニコがいま聴いているのは「沈黙の響き」でもあるのか。美しいものだけを見たいから目を閉じたのか、ニコ。

当時、ニコが繰りかえし繰りかえし聴いていたのがサイモン&ガーファンクルの『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』に収録されているA面4曲目の『Homeward Bound』だった。繰りかえし繰りかえし『Homeward Bound』を聴いていたニコのそのときの気持ちを本人に直接たずねてみたい気もするが、ひとにはなにかしら他者に触れられたくない心の闇がある。そっとしておこうと思う。「沈黙の響き」がニコを慰め、癒すことを祈りながら。

ニコはどこに行っていたんだろう?
ニコはどこに帰りたかったんだろう?
ニコはなにを考えていたんだろう?
ニコは闇の中になにをみているんだろう?

そんなことを考えながら、今夜は『Homeward Bound』を繰りかえし繰りかえし聴こうと思う。「帰りたい場所」なら手持ちはいくらでもある。「帰りたいけれど帰れない場所/遠くから、はるか遠くから思いを寄せつづけるしかない場所」もいくらでもある。聴いているうちに本当の「帰るべき場所」がみつかるかもしれない。そうあってほしい。峠のあずま屋でも埴生の宿でもなつかしくない家でもいい。早く家に帰りたい ──。


Homeward Bound - Simon & Garfunkel
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# by enzo_morinari | 2018-07-13 01:47 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

風にそよぐサポナリアの花影で。

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風について考えられるのは、人生の中のほんの一時期のことなのだ。 HALKIMBO-M


シャボン草が芽吹き、花咲き、梅雨の合間に淡く遠慮がちな青空がのぞくとシャボン玉を飛ばす。頬をかすめる風。風にそよぐシャボン草。シャボン草の花の間近で弾けるシャボン玉。すべては風のいたずら、風の気まぐれ、風の意志によるものだ。

風に魅かれる。みえない風に。樹々や草花が揺れる姿やさざめく音、波しぶきが舞い上がるようすを通してしか、頬を撫で、ときに切り裂き、耳元をかすめるときにしかわからない風に。こどもの頃からだ。風が元いた場所を探して海辺の街にたどり着いたこともある。風のゆくえを追って赤城山の麓まで行ったことさえある。なにか問題に直面するとすぐにインドに行ってしまう「インド屋」がいるように、私は煮詰まると風に吹かれる「風屋」であり、星を眺める「星屋」なのだ。七里ヶ浜駐車場レフトサイドに吹きつける強い南風には何度も勇気づけられ、怒鳴られ、励まされ、叱咤され、泣かされ、背中を押され、抱きしめられた。夜空の星に願いごとをしたのは数えきれない。願いごとはすべてかなえられた。近々、「夕焼け屋」になろうと企んでいる。虹が風や星や夕焼けのようにお手軽だったなら「虹屋」にもなりたい。

東京地検特捜部に召しとられたのがきっかけで、東京拘置所前の池田屋で三日坊主修行して「めし屋」になろうと考えた時期がある。めし屋の名前は「プリズン」だ。品書きも考えた。逮捕(鯛のあら炊き)/ガサ入れ(赤座海老の素揚げ)/面会(ニタリ貝の素麺仕立て)/保釈(氷下魚の干物)/未決拘留(ミルベンケーゼ/ダニ入りチーズ)/執行猶予(シコイワシの湯引き)/起訴(木曽産開田きゅうりの酢の物)/論告求刑(ロンゴロンゴウオのカルパッチョ)/判決(棒棒鶏)/控訴(香のもの)/上告(烏骨鶏の丸焼き)/再審(サヨリの石焼き)/冤罪(鮃の縁側)といったところ。「監獄レストラン アルカトラズ」の安田にこのアイデアをパクられたときはタイーホしてやりたかった。自己破産しやがってザマーだ。野毛の飲み屋街にあるめし屋の「小半」の女将にはずいぶんと世話になった。

「小半」は刺身が安くてイキがよかった。スケトウダラの卵と白子を炊きあわせた「たらこ夫婦善哉」がとりわけて好きだった。薄味で昆布と鰹の出汁がたっぷりきいていてコクがあった。牛蒡や人参や大根にも鱈子と白子と出汁の旨味がしみて格別だった。滋味。豊穣。野趣。顔も腹もからだも思わず笑みがこぼれる逸品。大ぶりの器にみっつもよっつも食べた。食べすぎて痛風発作が起きたのは42度。とんだ風っぴきだ。風に吹かれるのは好きだが、ふたつの風には吹かれたくないものだ。池波正太郎も同意見だったが死んでしまった。開高先生も。中上健次も。ふたつの風の会会員で生き残っているのは大江健三郎だけだ。

本棚をざっと見渡すと、タイトルに「風」のついた書物が多い。『風の歌を聴け』『風の谷のナウシカ』『風の博物誌』『風博士』『汐風の街』『風に吹かれて』『南風』『風の又三郎』『風のちから』『風の音楽』『狂風記』、そして『風に訊け』。スキーの板はKAZAMAだし、バイク・グッズは風魔だ。風車の弥七は縁もゆかりもないが遠くも近くもない親戚である。

風に吹かれるのは気持ちいい。流れに流されるのもやっぱり気持ちいい。ときどき立ち止まればいいんだ。ほんの少しだけ。風に立ち向かったり、流れに逆らって前に進むのは百年に一度でいい。本当の孤独は百年に一度味わえば、それでじゅうぶんだ。その孤独に出会うまでは、風に吹かれたり、風の歌に耳を澄ましたり、夜空の星に願いごとをしたり、夕焼けに心をふるわせたり、虹の彼方に夢を託したり、野うさぎの走りに目を奪われたり、人間が歩いてきた道の数を数えたり、ダニー・オキーフとジャクソン・ブラウンの歌う『The Road』を聞きながら自分が歩くべき道を探したり、脇道にそれたり、道草をくったり、遠まわりしたり、近道を探したり、背伸びをしてた自分の影を歩道の上に見つけて泣いたり、名前のない馬イージーライダー号にまたがって自分のためのウッドストックを探したり、廃墟に変わり果てた「僕らの家」を再訪したり、ホテル・カリフォルニアでチェックアウトしようと悪あがきしたり、ならず者を気取って手に入らないものばかり求めてないものねだりしたり、Late for the sky/最終便に間に合わなかったり、明け方の空を見るのに遅れたり、空への旅立ちに遅れたり、初恋カプセルからあふれる想いを伝えるためにいくつもの夜を越えたり、迷宮のシャイニング・クリームリンスを髪の毛につけて凍りついたり、祇園町で舞妓と散歩中に迷子になったり、東方見聞録をガイドブックに旅に出て途方に暮れたり、「大化の改新、虫5匹」とつぶやいたり、因数分解の問題を解いたり、原子周期表を暗記したり、グレープフルーツ・ムーンや酔いどれの月や収穫の月を見上げたり、酔いどれ船と洗濯船とバトー・ムーシュと補陀落渡海船を乗りくらべたり、乗鞍岳にアウター53T×リア15Tでアタックしたり、床一面を南京豆の殻で5cmの厚さに埋めつくしたり、25mプール1杯分のビールを飲みほしたり、「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」とほざいたナイーブロースハム系ウガンダ人のスパゲティ・バジリコ野郎、ハルキンボ・ムラカーミに25mプール1杯分のスーパーウルトラエクストラスペシャル・スメル・ドリアン・スムージーを頭からかけたり、キラー通りの立ち飲み屋C.O.D.の壁に「タヒね! ハルキンボ!」と落書きしたり、19歳の地図に×印をつけたり、TSUNAMIと忘れられたBIG WAVEと稲村ジェーンをまちがえたり、シンデレラ・エクスプレスに乗って帰るいとしのエリーを東京駅13番線ホームで「語りつくせぬことについては沈黙せよ」というヴィトゲンシュタイン先生の言いつけを守って見送ったり、悲しいほどお天気なのに神宮外苑の銀杏並木をじょうずに描けなくて心のギャラリーに居座ったり、芝浦沖の東芝EMIポイントではるかな船旅のあいだに綴った航海日誌を煌めく海に捨てたことを思いだしたり、シーズンオフの心にグレイス・スリックの肖像を描いたり、「9月には帰らない」と言ったのに『September』をずっと口ずさんだり、14番目の月なのにフルムーンだと思いこんで月見酒を飲みすぎたり、最後の春休みに届いた青いエアメイルを涙でにじませたり、山手のドルフィンで海を見ていた午後に100均で買っただっさいサングラスでガラス玉の涙を隠して「恋人と来ないで」と紙ナプキンに赤い口紅で書いて伝言ゲームみたいに新しい恋人ができた元カノに懇願したり、雪月花のときにもっとも愛する者を想ったり、雪を抱き、月を見上げ、花を愛で、かなしくも薄れゆく面影に涙したり、春休みのロッカー室に忘れ物を取りに行ったときに偶然会った同級生の女の子に肩に顔をうずめられて「あの日にかえりたい」とつぶやかれて女の子のうなじに息を吹きかけたり、恋人に化けたサンタクロースに人混みに流されて変わってしまったことを叱られたり、2000tの雨に打たれていればいい。そのほうがずっといい。

かっこつけなくていい。いい人ぶらなくていい。常識人ぶらなくていい。我慢も忍耐も辛抱も必要ない。タスクもノルマもマニュアルもルーティンもデューティもオブリゲーションもIt's up to you to finish the taskも糞食らえ。善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をやだ。

「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も物静かに退場しろ。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだって? 捨てて道がひらけるだと? 寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない自分自身のリアルをグリップすること。それが意味を持つ。

なにも足さない。なにも引かない。あるがままそのまま。運がよければ天上からRibbon in the Skyが聴こえてこないともかぎらない。かつて、偏屈収穫の月爺さんのニール・ヤングは「変わりつづけていたからこそ変わらずに生きてこれた」と言った。偏屈収穫の月爺さんもたまにはいいことを言う。CSN&Yとニコレット・ラーソンのことについては言いたいことが山ほどあるが、この言葉に免じてゆるす。心が風邪をひいた日のためにも。本当の答えはいまも風に吹かれている。

ダニー・オキーフは『The Road』の中で歌っている。

別の街に行けば別の道がある。道があれば旅はつづく。

強固な意志を持ちつづけるかぎりにおいて、あらゆることは開かれている。道がつづくかぎり旅はつづく。道が行き止まり、行き暮れたら新しい道を探し、また歩きだせばいい。その道が細く険しく曲がりくねった暗い1本道だとしても歩けぬことはない。ほかのだれでもない「自分の道」なんだから。

世界にあるすべての道を歩くことはできないし、知ることはできないし、数えきることはできないが、自分の歩く道くらいなら必ずどこかにある。厄介事は歩きながら考えればいい。冬は必ず春になるし、朝の来ない夜はないし、やまない雨はないし、朝日のあたる家はどこかにあるし、世界はいつだって夜明けを待っている。

ときどき立ち止まり、風の歌に耳を澄まそう。答えは風の中でみつけよう。本当の答えはみつからないとしても、風はなにかしらの答えらしきものは孕んでいるはずだから。そして、風のように生き、いつの日か風になろう。


Blowin' in the Wind/風に吹かれて - Bob Dylan
Blowin' in the Wind/風に吹かれて - Peter, Paul and Mary
Wind Song/風の歌 - Sunsay and John Forte
Ribbon In The Sky - Stevie Wonder
Harvest Moon/収穫の月 - Neil Young
心が風邪をひいた日 - 太田裕美
The Road - Jackson Browne
The Road - Danny O'Keefe
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-11 08:30 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

夏への階梯 ── さよなら、夏の日/たったひとりの勝者とたくさんの敗者

 
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逝く夏の陽を浴びて燃えたつ花たちよ
その束の間に消えゆく恋と知りながら
E-M-M

時が止まればいい
僕の肩でつぶやく君を見てた
明日になればもうここに僕らはいない
めぐるすべてのもの 急ぎ足で変わっていくけれど
さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら僕らはおとなになっていくよ
TATTOO-Y


夏の一日を荒川土手に遊ぶ。自転車にまたがるのは2週間ぶりだ。はじめは全身がこわばったようで、思うように操縦できなかった。ハンドリング、ブレーキング、ギアチェンジが心もとない。ペダリングもぎこちない。踏むのではなく、回す。それができない。ややビビりながら車道左側端を走る。目が思うように動かないので周囲の状況が的確に把握できない。車道では邪魔者、歩道では悪者の自転車にとって道は戦場であるから、周囲の状況すなわち戦況を的確に把握することは生きのびるために必須のエレメントだ。それでも、平井大橋を渡るころにはいつもの7割くらいの調子が戻っていた。残るは心肺機能の復活だ。心肺機能が戻り、激坂を42本登ればマルコ・パンターニの魂が宿る。

いっきに荒川土手につづく坂道を駆けあがる。目の前に河川敷の広大な緑にあふれた光景が広がる。夏の青い空と緑と川面を渡ってくる風。全身がはじけてしまいそうなほどに気分が高揚する。

しばらく土手のてっぺんに座って風に吹かれていた。夏草の青い匂いがする。メロン水の匂いがする。甘酸っぱい匂いがする。スイカの匂いやトマトの匂いや麦の匂いや電気ブランの匂いさえする。笑い声や怒鳴り声やカッキーンという音やサワサワサワーという音やブーンという音やひゅるるるぅという音が聴こえてくる。

風は実に様々な匂いや音を運んでくるものだ。風がすべてを運ぶ。この点に関して、ライアル・ワトソンはいくぶんか信用してもいい。ライアル・ワトソンが風とともに去って10年。そろそろ、再評価してもいい頃合いだ。首吊りの足を引っ張り、死者を鞭打つのは臆病姑息な下衆外道のすることである。とりあえずは『風の博物誌』から。この際、ライアル・ワトソンの著書は松岡正剛の工作社をのぞけば、河出を筆頭にポンコツ出版社ばかりから出ているが、ライアル・ワトソンへの遅れ馳せの香典/三途の川の船賃代わりにめぼしいものを買おう。グリセリンの結晶化に関する都市伝説に、100匹目の猿は頭の毛を3本増やしてから暫定的便宜的恣意的双曲線関数的にコミットメントする。

思うぞんぶん風に吹かれ、風の歌を聴き、風の中に答えを見つけてから、土手の草むらを河川敷に向かって一直線に駆けおりる。ロードレーサーにはふさわしくないが、わが愛馬である哲の馬、Cinelli Supercorsaはいたってゴキゲンである。荒川の上流へ向けて哲の馬を走らせていると、サッカーのグランドや野球のグランドがいくつも見えてきた。しかも、そのすべてのグランドはゲームの真っ最中だった。

そのうち、いちばん白熱している少年サッカーの試合を見物することにした。文字通りの意味で「高みの見物」を決めこんだ。自分はいずれのチームにもなにひとつしがらみはないのだし、どちらが勝っても負けてもいっさいかかわりがない。初めはそう思っていた。ところが、試合に出場しているこどもたちの家族とおぼしき人々の会話を聞いているうちに、俄然、ゲームにのめりこんでしまった。なんでも、そのゲームはなんとか地区(よく聞き取れなかった)の決勝戦で、勝てば本選(これもなんの「本選」なのかはわからずじまいだった)への出場権を獲得できるらしい。

「雨の日、風の日、雪の日。一日も休まないで練習してきたんだものねー。勝たせてあげたいわよねー」

スポーツとは生まれてこのかた御縁のなさそうな体型をしたジャンボなママさんが言った。このママさんは応援団長でもあるらしく、試合の最中、ものすごい大音量で檄を飛ばしまくっていた。

ゲームはあきらかにジャンボ・ママさんチームの劣勢だった。相手チームの個人技を中心にすえた洗練された試合運びに対して、ジャンボ・ママさんチームのプレイは野性味はあったが、それは所詮、百姓一揆的なサッカーにすぎないように思われた。

ゴールキーパーのファイン・セーヴの連続でジャンボ・ママさんチームは辛うじて失点をまぬかれ、前半が終わった。ゴールキーパーの少年はよほどつらかったのか、ベンチに戻ってくるなりコーチに抱きつき、大声で泣きじゃくった。私はこの時点でジャンボ・ママさんチームの勝利はないことを確信していた。だが、しかし ── 。

後半に入ってもジャンボ・ママさんチームの劣勢はかわらなかった。百姓一揆的蹴球V.S.ソフィスティケーテッド・フットボール。憎らしいほどに相手チームは巧く、速く、強かった。だが、なぜかゴールを割ることができない。気まぐれな勝利の女神はちょっとだけいたずらをしたかったのかもしれない。そして、奇跡は起こった。

ファイン・セーヴを連発していたゴールキーパーが渾身の力を込めてボールを蹴る。ボールは真っ青な空に向かって永遠に上昇をつづけてゆくかと思われるような勢いでぐんぐん伸びてゆく。

ボールがひとくれの雲にまぎれて消えたかと思ったその直後、ディフェンスとゴールキーパーの中間地点にボールは落下してゆく。そこに味方のフォワードが怒濤のごとく走りこんでいた。彼は一瞬、ゴールキーパーのほうに目をやり、そして落ちてきたボールをダイレクトで蹴った。蹴ったというよりも触れたと言ったほうが事態を正確にあらわしている。

前進守備のゴールキーパーの頭上をゆるやかな弧を描きながら、ボールはゴールに吸いこまれていった。

歓声。怒号。落胆。いろいろなものが一瞬に吹きだした。タイム・アップまで5分を切っていた。このとき、だれもがジャンボ・ママさんチームの勝利を確信したはずである。だが、しかし ── 。

混乱の中で、相手チームの選手たちは冷静だった。個人技と正確なパスまわしで敵の陣営深く入りこみ、セオリーどおりにゴール前で待ち受けるセンターフォワードに正確無比なセンタリングを上げる。豹のような面差しのセンターフォワードはあたりまえのようにジャンプし、頭ふたつ分抜きんでた状態で頭をひと振りした。ボールは一瞬止まったかのように見えて、物凄いスピードでゴールキーパーの真横を抜け、ゴールネットに突き刺さった。

悲鳴。落胆。怒声。残り時間2分。

「PK戦に持ち込めー!」

ジャンボ・ママさんが叫んだ直後だった。ついに、あるいはやっと勝利の女神が微笑んだ。それまで冷静なゲーム・メイキングでチームを動かしてきた相手のミッドフィールダーがセンターラインを越えたあたりで全身をバネのようにしならせてボールを蹴った。

ボールは弧を描くことすらせずに一直線にジャンボ・ママさんチームのゴールに吸いこまれていった。ゴールキーパーは最後の最後にきて、身動きひとつできなかった。ゴールインと同時にホイッスルは鳴り、ゲームは終わりを告げた。

全身でよろこびをあらわす勝者。
泣きじゃくり、うずくまる敗者。
たったひとりの勝者とたくさんの敗者。

そのことを思って、私はしばらくその場を立ち去ることができなかった。どうしても、たったひとりの勝者とたくさんの敗者たちの涙のゆくえを見届けられなかった。視界がくもっていたから。彼らの涙のいく粒が「Bon Voyage!」の祝福の声とともに希望の船出を果たし、いく粒が悲しみの航海をするのかはわからないけれども、旅はつづく。いつの日か旅の円環は閉じられる。何十年か先、もっと遠い日の夏に、彼らがふと立ち止まり、今日のこの日を、流した涙のことを思いだしてほしい。今日のこの日を、流した涙のことを忘れずにいる君たちでいてほしい。たとえ、孤独と困難と困憊と悲運の日々を生きているとしても。

さよならだけが人生だし、今日の日には毎日さよならをしなければならないし、腹の立つことばかりだし、東京電力の請求葉書には毎月舌打ちをするし、東京ガスもイワタニだかサガミだかのプロパンガスも料金高すぎだし、家賃と光熱費と水道代とスマホ代と保険料と年金掛け金と税金を払うために生きて仕事してるようなものだし、世界はどうしようもなくどうかしているけれども、腹がへったらめしを食えばいい。泣きたいときは涙が枯れ果てるまで泣けばいい。そして、眠くなったら寝ればいい。そうこうしているうちに人生とやらいう厄介で七面倒くさいゲームの終わりを告げるホイッスルが鳴る。一発逆転も延長戦もないゲームだがちょっとした工夫と知恵でwktkにできないこともない。

人生は緩慢で気色悪く、頻繁に脱輪し、あちこちに落とし穴が息をひそめていて、おまけに報酬はたかがしれている。それでも、そうであっても、いつか2000tの雨がすべてを洗い流す。そして、人生は思っているよりはるかに甘ちょろくてシンプルでイージーだ。長くても100年のベリーベリー・ショートショート・ストーリー。眉間にシワを寄せて顔をしかめて辛気くさく深刻に考えるほどのことはない。いざとなったらリセットボタンを押してしまえばいい。Take it easy. めし+揚げ玉+出汁つゆでテイク・イット・イージー天丼の一丁あがりだ。


荒川を渡ってきた風が目の前で向きを変え、風の歌となにかしらの答えを音もなく持ち去って、勝者も敗者もいない静かなグランドを吹きぬけていく。またひとつ、夏の終わりが近づいたように思えた。すべては2000tの雨が洗い流してしまうとも知らずに。

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さよなら夏の日 - 山下達郎
さよなら夏の日 - MrSiokaze (Classical Guitar Solo)
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-10 08:51 | 夏への階梯 | Trackback | Comments(0)

今夜、宇宙を横ぎって/銀河鉄道の夜を越えて ── なにものも私の世界を変えることはできない

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ディラックの海のほとりで宇宙を見わたす夜。

宇宙の音に耳をすます。磁気圏と太陽風のせめぎあいが生む暁合唱団の鳥の囀りのようなコーラス、巨大な波がうねるようなプラズマ波のリズミカルな不協和音、ヴァン・アレン帯を重力波が突きぬけるときのバリバリと耳をつんざく音、ブロードウェイの銃弾を全身にまんべんなく等間隔で42発浴びた『Radio Days』のウディ・アレンが、雨の朝、カッサンドラーの悪夢にうなされながらニューヨーク市マンハッタンのBullets Over Broadway Hospitalで末期にカイロの紫のバラを胸に抱いて発したフラゴナール・アゴナール・レスピレーションの音、『ラジオの時間』に周波数をあわせるときのホワイト・ノイズ、『今夜、宇宙の片隅で』の台本読みの声、白鳥座銀河第三象限の停車場で輝く有機交流電燈のアーク放電音、初恋カプセルから聴こえる「あといくつ銀河鉄道の夜を越えれば言葉にできるの?」というギャラクティカな問い、[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]が時を刻む音、ミントジュレップを一杯引っかけたあとにアーキオプテクスの樹の上で震えながら途方に暮れている仔猫ちゃんの鳴き声、アカンソステガ・ディアトリマ・ハイエノドント楽団の1000人のヴァイオリン弾きたちが演奏する1000台のヴァイオリンによるMistyYou Go to My HeadI've Got a Crush on Youに聴き惚れる浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られたアンドレ・ブルトンのいまにも指のあいだから滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切りとられた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせる溶けだしたベーコンに捧げる接吻の音、宇宙吟遊詩人がモノリスにもたれて詠い奏でる『スペース・オデッセイ』、オリオン座暗黒星雲のゴドルフィン・アラビアンが猫に挨拶をしたときの頭星雲が宇宙卵でイースター・エッグダンスをしながら踏むピアッフェの音、プラント・プラネタリアンがスペース・フラワーベッドに新種のスーパーノヴァ・コスモス・シード42を播種する音、金属を研磨する音、天体の極域で発生する知性/創造性の極北極光のエレクトロフォニック・サウンド、宇宙を支配する巨大な意志の力が宇宙風の乱数表をめくる音、宇宙風になびく42列横隊に整列した薄桃色のコスモスがケイオスと対峙しながら発する調和と秩序の音、黒体輻射のブラック・ノイズ、青の時代のピカソがチェレンコフ光に照らされる貧しい年老いたギター弾きを描くときの筆づかいのキュビスム・サウンド、リズミック・コズミック、ハッブル・バイブレーション、されどわれらがプラネタリウム・デイズ ──。

宇宙の音に耳をすましながら、宇宙創生150億年の歴史がからだを駆けめぐるのを感じる至福と恍惚と高揚。五体五臓六腑の熱は宇宙が燃えさかっていたころの名残りであり、自分が宇宙そのものであると確かに了解する。今、この瞬間、なにものも私の世界を変えることはできない。

「あしたは七夕、星祭り、Star Festivalね。雨が降らなければいいけど。あした、会えたらいいんだけど…」と虹子からLINEにメッセージが入った。

虹子と最後に会ったのは春の盛りの頃だから、かれこれ1ケ月半になる。電話すらしていなかった。顔も声も匂いもぬくもりもおぼろにかすみかけている。

「今夜、宇宙を横ぎって会いにいくよ。きっといく」

こどもたちのはしゃぐ声や鳥たちの囀りや小鳥の羽ばたく音やポルコロッソがグーグーうなる声が一気に押し寄せてくる。言葉の精であるW-42が耳元でささやく。

「言葉たちが無限の慈雨のようにあふれだす。心を開けば悲しみや喜びがさざ波となって伝わってくる。望んで言葉にすれば世界はだいじょうぶ」

宇宙のあちこちで散乱する光を見ていると、光たちは閃くように私を呼びながら遠ざかってゆく。沈黙ノートのページをめくる音や「オクザキ! 天皇を撃て!」の大号令とともに高らかに吹き鳴らされる神軍ラッパやゆきゆきて神軍が行進のときに地面を踏み鳴らす音や語りつくせぬことについての沈黙の響きや饒舌な沈黙や黄金にはほど遠い沈黙やマドレーヌ現象やマドレーヌ・トークやマドレーヌ・ライティングやTHUGZ4LIFEやクリフォード・ブラウンの言いだしかねたいくつかのことやチャーリー・パーカーの饒舌やマイルス・ディヴィスの孤独と静寂に満ちたつぶやきやカリブのサクソフォーン神ロリンズの孤愁を秘めた豪放やケイデンス142/1minの回転音やアレ・キュイジーヌやベンガベンガベンガやチュパイマコーやコギト麦で焼いたエルゴスム・パンやキーヨ・エスタス・キーヨや白鳥座銀河第三象限の停車場で輝く有機交流電燈の謎や淪落する少女の叫び声や笑う戦争の犬の笑い声や愛のささやきや嵐の朝に別れを告げる声や惜別の辞や愛別や離苦や起承転結や序破急や憎悪と憤怒と怨嗟の罵りや涙の落ちる音や1983年夏のクラクションや1973年のピンボール・マシンの電子音や餅5個を立てつづけに食べて死んだロバーツ秋山の死を悼む悲しみの嗚咽や乳首の席がえのために死にゆく人々の死ぬ瞬間や天国の階段をのぼる足音や天国の扉が開く音や利己的な遺伝子の身勝手なふるまいやベアリングとブッシュの軸受戦争や古書と硝子片と鬱積する自同律の不快と霧雨のような恋人とくすんだ愛欲と詩の果ての孤独と大賢者たち(バタイユ/ラカン/ソシュール/レヴィナス/エーコ/ブラン ショ)の長く大きなため息や宇宙際タイヒミュラー理論に架ける橋建築の槌音や降る星のような慈しみの雨音や喜びの歌や街の雑踏やフクシマ・ピープルとロンゲラップ・ピープルの絶望と悲嘆やチェロキー・ピープルとロヒンギャとセルクナムの血と涙の旅路の慟哭やハインの祭の遠い太鼓の音やTEPCO Atomic Wonderlandの愉快な仲間たちの反省と品性のかけらもない下卑た高笑いやチェルノブイリ・チルドレンの確かな痛みをともなう不安や巨大地震と大津波に根こそぎにされた北の国の人々の落胆やコンテンポラリー・ハウスにも及ぶレッドテープ/繁文縟礼やポンテ・アパートの銃声やヨハネスブルグ・キッズの飢餓の苦しみやピョンヤンのコッチェビ・キッヅの骨の軋みや七つの大罪企業のほくそ笑みや国と国民を貪り喰い痩せ細らせ侵食するカスミガセキシロアリのしたり顔と中身ゼロの言説やエキセントリック口元の辻元清美の恥知らずぶりや米中露のワールド・パイ/トルタ・ムンディアル山分けに関する円卓会議やムスリムと十字軍の2000年戦争開戦の砲声や沈黙の春や草花と樹木のさんざめきやトトロのオカリナや真っ黒クロスケの秘密会議や猫バスのクラクションやラピュタの飛行音や無数の飛行機乗りたちの無音の編隊飛行や王蟲の怒涛の進軍や巨神兵の呻き声やナウシカが乗るメーヴェの風切り音やアシタカがタタリ神をなだめる真言やもののけ姫のサンが山野を駆けぬける音や森を歩くシシガミの生と死を司る者ののみが知るかなしみやダイダラボッチの夜ふけの足音やコダマとコロボックルと妖精たちが戯れるたのしげな声やセクース依存症にしてナイーブな肉屋のナイーブなロースハム好きのハルキンボ・ムラカーミのノーベル・プライズ・サプライズ・スクリームや風の歌や大地の歌や星々の瞬きが渾然一体となって一大叙事詩/シンフォニーのようにこだまする。

オーケイ。今夜、宇宙を横ぎって会いにいくよ。銀河鉄道の夜を越えて。銀河鉄道と流星号を乗りついで。エイトマンより速く。鉄人42号より強く。アストロ・ボーイより馬力をかけて。マジンガーΩよりPatek Philippe&Co/Abraham-Louis Breguet/Vacheron Constantinに。


Α-Ω-Α∞Ω
これより、終りの始まりが始まる。


Across The Universe - The Beatles
When You Wish Upon a Star - Linda Ronstadt
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-06 16:09 | ディラックの海の青いほとりで | Trackback | Comments(0)

ナチュラル・ボーン・キラーは深淵の底で嗤う ── 溶ける魚たちが蝟集する磁場のただ中に立っていた遠い日の夏

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忘れもしない。1965年12月3日の夕方のことだ。私は7歳で、自分がNBKであることにすでに気づいていて、8歳の誕生日を22日後に控え、おまけに恋をしていた。恋の相手は同級生の母親だ。私は彼女とほぼ毎日、情交を結んだ。自分の部屋で。あるいは彼女の家で。あるいは海辺のホテルや山あいの旅館で。いくらからだを重ねても、どれほど激しくつながっても空っぽだった。彼女はもっと空っぽだった。

えられる快楽にたいした価値があるとはとうてい思えなかった。このていどの快楽のために嘘をついたり、家庭を崩壊させたり、殺人を犯したりするのはばかばかしいと思った。そんなのは愚か者のすることだと。世界も人間も人生もばかばかしいのだということはとうに気づいていたが。


溶ける魚たちが蝟集する磁場のただ中に立っていた遠い日の夏

アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を初めて読んだときはビックリした。ビックリしすぎて、そのとき飲んでいたコカコーラ・レッスン用のコークのファミリー・サイズを吹き出し、鼻コークし、緑がかったコカコーラ・レッスン用コーク瓶を落としてしまうほどだった。

夏の終りだった。地面に撒きちらされたコークに「レコード針を大切にしよう!」というプラカードを掲げて気勢を上げるミシンに恋する蝙蝠傘色の蟻どもがたかった。蝙蝠傘色の行列行進は夏の果てと世界の果てと世界の終りまでもつづいていた。スキーター・デイヴィスの『The End of the World』が大音量で聴こえていた。

スプートニクの鯉人間は天空を無限軌道に沿って無限周回しはじめ、ガガーリンの貌はコートダジュール色に青ざめ、IBMのディープ・ブルーに横恋慕したアオザメのディープ・スロートが「また別の生き物」のように蠢いて世界に愉悦を撒きちらし、散種させ、四月の魚/Poisson d'Avril溶ける魚/Poisson Solubleの暗闘が佳境を迎えようとしていた。置閏バカラ秘法によって封印された永遠の12歳のDisséminationでDiatonicでDominantな夏が終りを告げる泡の弾ける音が聴こえる日が17520日後に迫っていた。

あの遠い日の夏から無限大ウィジャボードによる自動書記は1513728000秒つづいているが、本当の答えはまだ出ていない。

等差数列の解法にも飽きて、フェルマーの最終定理の証明作業に取りかかっているとき、突然、バロック調の旋律が頭の中に鳴り響いた。つづいて、ヘタクソな歌。

In my life, I've hated them all.

1ヶ月後、真冬の三渓園で同級生の母親はビートルズの『Rubber Soul』を私によこした。彼女が私に『Rubber Soul』をくれた理由はわからないし、興味もないが、『Rubber Soul』のB面4曲目の『In My Life』を聴いたときはすごく驚いた。1965年12月3日の夕方に頭の中で聴こえたのと寸分たがわなかった。HatedがLovedに変わっているほかは。ジョン・レノンの歌うヘタクソな歌の歌詞はこうだ。

In my life, I've loved them all.

「人生において、私はすべてを愛した」だって? ウソをつけ! ウソをつけ! おれは生まれてこの方、すべてを憎み、嫌ってきたぞ! 私はそう叫んで同級生の母親の目の前でビニルのレコード盤を叩き割り、アルバム・ジャケットを引き裂いた。それが同級生の母親との恋の終りだった。

「昨日はトラブルなんかはるか遠くにあって、悩みはなにもなかったのに…。でも、わたしはまだあなたとの昨日までのような日々を信じてるのよ」

同級生の母親はそれだけ言うと部屋から出ていった。次の日、国道16号線を走る横浜市電に飛びこんで命を絶った。彼女はNBKではないが殺人者だ。自分を殺したたけではないからだ。彼女は身ごもっていたのだ。夫の子を身ごもっていたのか。それとも私のか。いまとなっては真相を確かめるすべはない。すべては闇の奥にある。何者も闇の奥に足を踏み入れることはできない。

たぶん、彼女は死ぬ理由かきっかけが欲しかったのだろうが、もはや終わったことだ。彼女が死を選択した本当の理由がわかったところで、冬が春に逆もどりするするわけではないし、明日が追悼されるわけでもない。鳥はいつか飛び去り、二度と帰ってはこないものだ。年老いたヤードバードは人生の確認作業を怠ったせいで乗り換えに失敗した。No Confirmation, No Life.

私はすでにして170cmを超える巨大児で、いつも眉間にS字の皺を寄せていた。だれも私に近寄らなかった。近寄らせなかった。母親でさえ私に怯えていた。

私は常に苛立ち、不機嫌だった。私に近づこうものならだれであろうと怒鳴りつけるか足蹴にするか顔面に拳を叩きこんだ。炸裂。そうだ。まさに炸裂というのがふさわしい。私は予想もしない場所、状況で頻繁に炸裂した。他者は怯え、傷つき、震え、涙を流した。親和欲求も共感性も皆無である私はそのことをなんとも思わなかった。弱い者は怯え、傷つき、震え、泣く。それが世界のありようだ。そう考えていた。

月に1度ほど生物学上の父親を名乗る男がやってくると私の苛立ちと怒りはさらに増した。包丁を持ちだして生物学上の父親を名乗る男を追いまわし、切りかかったのは1度や2度ではない。殺すつもりだった。警察を呼ばれたこともある。

「いつか殺してやるからな。クソじじい」

そう心の中でつぶやきつづけた。殺し方は日に日にリアルになっていった。図書館で「殺人」についての資料を虱つぶしに読んだ。凶器、急所、人体の関節の仕組み、死体へのナイフの入れ方、肉の削ぎ方、出血が少なくて済む方法、絞殺のやり方、殺害方法、解体、死体処理等々。

王水の作り方は念入りに学習した。小学校5年の夏休み、夜ふけの小学校の理科室に忍びこみ、薬品棚の鍵をピックで開錠して塩酸と硝酸と塩化アンモニウムと硝酸アンモニウムを盗みだした。

秘密の実験は1回で成功した。マルシン・ハンバーグと鈴広の蒲鉾と鯵の骨と自分の髪の毛を王水に浸すと跡形もなく溶けた。すごくいやなにおいがしたが、実験結果を大学ノートにまとめ終えてしまうと身震いするような力がからだの奥深くから湧き起こった。全身に力が漲った。小学校の校庭の攀登棒を降りているときに経験した初めての射精の快感よりも強烈だった。宇宙の果てまでひとっ飛びでいけるように思えた。反復横跳びを1分間に4200回できると思った。

実験器具は春から少しずつくすねていた。そのときに手に入れたカセロールはいまもスープを作るときに使っている。シャーレはサラダ皿、三角フラスコはワインのデキャンタ、ビーカーはワイン・クーラーとして、それぞれ現役だ。パスツール・ピペットとメスシリンダーと上皿天秤と坩堝はオブジェがわりに仕事机の上に置いてある。彼らのおかげで殺風景な仕事部屋は眺めのいい部屋になっている。

そのような次第で、「生物学上の父親を名乗る男殺害」は私の中で既成事実となった。もはや、実際の殺害行為は余興のようなものにすらなっていた。決行は真冬。気温が低い分、死体の腐敗が進んで悪臭を放ちはじめるまでの時間を稼げるからだ。

死体をバラバラにし、王水で溶かし、真冬の海に捨てる。話も実行行為もきわめて簡単だった。動機? 動機などいくらでもあとからつくられるものだ。犯した殺人について「太陽がまぶしかったから」とエトランジェーであるよそ者ムルソーは答えた。さらには、1杯の紅茶のために老婆を殺した者もいる。1杯の紅茶のためなら世界が滅んでもいいと考える者さえいる。

「おれはいつかあいつに殺される」

生物学上の父親を名乗る男が母親に話すのを聞いたときはうれしかった。うれしくて、つかまえたカブトムシやクワガタや玉蟲や王蟲やカミキリムシを虫かごから逃がしてやったほどだ。YOKOHAMA Insect Zoo閉園だ。それだけではない。インピーダンスとレジスタンスとリアクタンスが箪笥の上でダンス・ダンス・ダンスしていたが、からかった椰子オウムに仕返しですべて喰われてしまった。以後、私は仕返し、リベンジを鸚鵡返しと呼ぶようになった。単1型1.5vの乾電池を5本直列につないだ簡易なバッテリーを作り、標的にセットしてスウィッチを入れると標的はどれくらいの電気抵抗を示すか? 驚くべきことに、標的は「痛いか?」とたずねると「痛いです」と鸚鵡返しに答える。「これがおれの鸚鵡返しだ」と言うと、「これがあなたの鸚鵡返しなんですね」と再び鸚鵡返しに言うので乾電池の数を倍に増やしてやった。悲鳴をあげるだけで、もう鸚鵡返しはできなくなった。仕返しの完了だ。

夏休みあけに学校は大騒ぎになったが、後の祭りだ。だれもが私を疑ったが知らぬ存ぜぬを決めこみ、黙秘権を行使した。

「Nemo Tenetur se Detegere/Aussageverweigerungsrecht/Droit au silence/Right to Remain Silentを行使する」
「え?」
「黙秘権を行使するって言ってんだ!」

怒鳴ると同時に眉間に渾身の力をこめた。眉間の中心にできるS字の刻みがくっきり盛り上がった。私の眉間からはなにかしらの物理力が出ている。取り調べ担当の教員は深々とため息をついて「もういいよ」と言った。ため息も声も震えていた。私の眼差しと眉間から出る物理力は対象物を殺ぐ。射ころす。

「どれだけおれの時間を無駄にすれば気がすむんだ? あーん? 時間はおれの所有物件だ。所有権に基づく損害賠償請求訴訟を横浜地方裁判所に提起するからな。訴状も準備書面もとっくに起案済みだぞ。ダメージはいくらにするかな。あんたの年収100年分にするかな」

私がそう言うと、教員は飛びのくように椅子から立ちあがり、走り去った。昼のふやけた光に夜の闇の深さがわかってたまるか! 私は世界中のふやけたやつらに向けて白刃を突きつけるような気分で言った。『昼の光に夜の闇の深さがわかってたまるか!』はのちの小学校の卒業文集の私のテクストのタイトルとなった。

『昼の光に夜の闇の深さがわかってたまるか!』はジアゾ式複写機で青く焼かれ、横浜南部エリアに大量に出まわり、公立私立を問わずに教育機関に少なからぬダメージを与えた。政治の季節の最終期という状況とも関係しているのだろうが、小中高大学の生徒学生が学校側と団交/闘争するときの理論武装のためのテクストになった。クリティカル・ヒットだった。愉快痛快だったが印税のたぐいは私のふところには入っていない。知的所有権の侵害であることはあきらかだが見逃した。

ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』で予言したとおり、世界はコピーされ、流通し、消費される時代になったのだ。権力もこの流れに沿ってコピーされ、流通し、消費される。アウラでさえもだ。

三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で東京事変を起こすのはその年の11月25日だが、私は『昼の光に夜の闇の深さがわかってたまるか!』の中で三島由紀夫の蹶起をほぼ正確に言いあてていた。しかも、肯定的に。そのことが理由と考えられるが、楯の会の会員から接触があった。楯の会への入会を強くすすめられたが断った。入会を断る理由について「群れるのは大嫌いだ」と言うと、楯の会会員の東大文学部の学生は飼い主にこっぴどく叱られたゴールデン・レトリーバーの仔犬のような顔になった。

私は世界に怒り、世界を憎んでいた。憤怒と憎悪。それが私のゆるぎないありようだ。生きるつづけることはゴム底靴のようにばかばかしいし、銀行の恋人たちのように帳尻も割りも合わず、人生も人間も舌平目のように薄っぺらいし、フラウンダースの犬鰈のようにせつなくかなしい。

生物学上の父親を名乗る男の予感が現実になるのは35年後のクリマス・イブだ。長い。35年あれば『今夜、宇宙の片隅で』を鼻歌まじりで歌いながら宇宙の果てまで行って還ってこられる。冥王星の税務署を巨大なレジャー・コンプレックスにリノベーションすることも可能だ。「ありがとう」が魔法の言葉だと言い張る阿漕で愚鈍で愚劣で狭量で腹黒で偽妄で卑欲な最低血圧142の寝たきり車椅子婆さんを改心させることもできる。

1週間に8日では足りない。1週間に150億年くらいでちょうどいい。そうすれば、夜鷹の鳴き声はキシキシせずに、もっと澄んでピシッとする。ハチスズメやカワセミに負い目引け目を感じなくてすむ。星になれたからいいようなものだが。

美醜は表裏一体だ。世界は美しいものと醜いものがせめぎあって成り立っている。豊かさと貧しさもだ。飽食と飢餓も。世界と人間と人生に関する結論は、すべてはばかばかしいということにつきる。そのことに気づくのに、母親の腹を切り裂いてこの世界にやってきてから7年かかった。正確には6年と9カ月29日17時間42分だ。人生はなにごとかを成し遂げるには短すぎるし、なにもしないには長すぎる。そして、なにごとかを待つにはあまりにも長すぎる。しかし、啓示と福音と訪れは突然やってくる。


The Beatles - In My Life

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# by enzo_morinari | 2018-07-06 05:05 | ナチュラル・ボーン・キラーは嗤う | Trackback | Comments(0)

2B or not 2B#3 鉛筆舞踏/姿の見えぬ物の怪が使う妖かしの術の類について

 
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かつて、「ガミ術」と「コンレイ術」というふたつの妖術の類を使う物の怪に3年ほど苛まれつづけた。その物の怪は夜中の2時頃になると現れた。もっとも、「現れる」と言っても姿形が実際に見えるわけではない。視覚的には在らぬが確かにすぐそばに在る。そういうことである。あのような存在態様もまたこの宇宙にはあるということだろう。

エネルギー体だの精神的存在だのというスピリチュアル系の人々がよく言う存在とは異なる。明らかに異なる。その物の怪に聖性などは微塵もないし、かと言って取り立てて邪悪、禍々しいというのでもない。どちらかと言えば皮肉屋の剽軽者という印象だ。小鬼、天邪鬼といった「小者」である。

ときどき、邪気のないいたずらを仕掛けてきた。揶揄うこともあった。随分と皮肉も言われた。いずれもいたずら小僧のレベルだった。だが、連日つづくうちに、こちらはほとほと疲れ果てていく。それが3年もつづいた。

物の怪が現れる前兆は机の上の筆記具(2Bの鉛筆であることが多かった。)がぴょこんと立ち上がることだった。立ち上がったあと、鉛筆乃至はボールペンもしくはシャープペンシルはしばらくスローモーションのように揺れていた。物の怪が鉛筆などに憑依したか、それともなければ、鉛筆どもを操っているというようなことと解される。

揺れる鉛筆の様子は南国の舞踏のようにもみえた。と、おなじく机上の大学ノートが申し合わせてでもいたかのようにゆっくりと開かれる。鉛筆はつつっと大学ノートに近づき、ページの上へとジャンプする。大学ノートは鉛筆の到来を待ちかねてでもいたように嬉々としてページの四隅をぱたぱたさせた。そして、筆記が始まる。まさに自動書記が。その自動書記の内容は同級生が小学校時代に誰それとダブルデートをどこそこでしたとか、誰それが激しい腹痛を起こして救急車で搬送されるとか、誰それが夏休み前に転校するとかいった他愛のないもの。次の試験の問題と解答。給食の白身魚のフライにかけられたタルタルソースが原因で食中毒が起こるといった予知予言めいたもの。

鉛筆舞踏による記述は時間的に過去へと遡る内容もあれば、未来に起こることの「予知」「予言」に類するものもあった。ちがう小学校出身であるダブルデートの当人に「いつどこそこでダブルデートをしただろう?」と言うと、当人たちは腰を抜かすほど驚いていた。また、転校するという記述のあった同級生にそのことを問うと、「転校のことはまだ家族しか知らないのになぜおまえが知っているんだ?」と訝しがられた。ある者が意中の相手にどこそこの公衆電話から告白の電話をしたという記述も、本人に確認したところ、やはりそのとおりだった。試験の問題と解答も全問全解答ではないが記述のとおりだった。救急車による救急搬送も食中毒の件も。

実を言えば吾輩が日々書き連ねているテクストのあらかたは、この「コンレイ術」を用いて出来あがっている。そう。吾輩はいまや物の怪から伝授された妖術、「ガミ術」と「コンレイ術」の使い手になったのだ。コンレイ術が始まる気配なので、「ガミ術」については機会を改める。

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# by enzo_morinari | 2018-07-05 08:36 | 2B or not 2B | Trackback | Comments(0)

MEDLERの木箱とフシギの地下室#1

 
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MEDLERの木箱CLOSED SHOPを見下ろす小高い丘の頂上にある。私がMEDLERの木箱の存在を知ったのはCLOSED SHOPの永久無欠名無しの店主であり、宇宙獣蒐集家としても知られる森蔵書郎翁を通じて世界遺産文明製品の世界的企業であるMEDLER社から古代オリエント世界に関する調査報告書作成の依頼を受けたのがそもそもの始まりだった。

MEDLERの木箱にはヴォイニッチ手稿42ページ下段右の「図像ナンバー42」と寸分たがわない蔦がからまりついていて、これをMEDLERの木箱から引き剥がそうとすると行為者に対して猛然と攻撃を仕掛けてくる。この一事をもっていつからかMEDLERの木箱に容易に手出しをする者はいなくなってしまった。

MEDLERの木箱にからみつく蔦の存在については古代オリエント世界の現地調査中に収集した『メディア王国衰亡記』中にもいくつかの記述が散見される。蔦は「バクテリア・マルコメギアナコウチ」と呼ばれ、メディア王国最盛期には現在のイラン高原一帯に繁茂しており、飢饉時の人民の非常食となっていた。

メディア王国最盛期の王、キュアクサレス2世は年代記の『シャッタッリダの風』の中で「バクテリア・マルコメギアナコウチ」について触れ、「バクテリア・マルコメギアナコウチなかりせば余の統治はならず、国の弥栄はなかったであろう」と述べている。

きょうは夕方からCLOSED SHOPの地下室で森蔵書郎翁と月に一度の「秘密の時間」がある。少し睡眠を取って体調を整えておかなければならない。「秘密の時間」には満天日和世界から不思議な魔物たちが大挙してやってくるからだ。かれらには一分の隙もみせられない。油断すれば満天日和世界に連れ去られてしまう。まだ満天日和世界に行くわけにはいかない。こちらの世界でやらなければならない仕事が残っている。

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# by enzo_morinari | 2018-07-05 01:45 | MEDLERの木箱とフシギの地下室 | Trackback | Comments(0)

鉄砲と語尾#1 ワンマンバスのボタン7回連続押しと乳首の席替えと餅五個と孤独な群衆と往還の思想

 
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視えない鉄砲の衝撃と聴こえない語尾の苛立ち


テッポウエビのチャカはそのハサミから発する衝撃波で獲物を仕留める。視えない銃こそがチャカの最大の武器である。視えない銃で孤独な群衆の視えない自由を打ち抜くことがチャカの最終目標だ。チャカの相棒であるギンガハゼのゴビーはいつもチャカに寄り添い、そのおこぼれにあずかっている。

ゴビーはまったく冴えない奴だが、その語尾の蠱惑ぶりは瞠目に値する。ゴビーの語尾の不明瞭さ、滑舌の悪さはメコン川流域、チャオプラヤー川流域、マレー半島ハリマオ・マスカレード帝国、果てはマリアナ海溝の最深部にまで及んでいる。第1回IPPONギランバレー渓谷グランプリにおける真の勝者がゴビーであることを知るのはチェアマン松本(マッチ売りの少女の実父)のみである。決勝戦で敗れたホリケンの主たる敗因はワンマンバスのボタン7回連続押しのやりすぎであり、乳首の席替えのやりすぎであり、井川遥にフラれすぎであり、餅五個の食いすぎである。

滑舌の悪い芸人選手権の初代チャンピオン、諸見里大介はゴビーの一番弟子である。ゴビーに比すれば諸見里大介などVIRONのクレーム・ブリュレ並みに滑らかな滑舌である。あごのシャクレ具合はシャルレのマルチ商法なみにひどいものではあるが。

ゴビーは世界中に話者が128個体しか存在しないアヌス語と、おなじく2個体しか存在しないチェンバル語のネイティブ・スピーカーでもあって、トゥーレット・チック諸島の盟主として比類なきシェンシェイ国家を築きあげたチェンバル王国の年代記である『シャシシュシェ書』と同戦記である『チュチュガムシシェン記』のウチナンチュー語への翻訳は骨折り損のくたびれ儲けにもほどがある労作である。

その反面、ソーセージ男として名高いセイ・フジモト、ツジカ・オルコ、トット・トカエレ・クワバラとのゴビ砂漠中央部に威容を誇るデンシェツの長屋で共同生活を営むも、分担家賃の1万トロワグロを払うことができずに砂嵐の朝、酷寒のミル・プラトーよりも苛酷なゴビ砂漠に放り出された。

ゴビーを救ったのは冷蔵庫聖獣、マイ・ミスター・ギターマンドリルとして知られるカヅミドガタナ・ワナベータトチカキリンである。絶望に打ちひしがれ、歯を剥き出して威嚇するバブーンの三人組に「シェンシェイ! うしろのひとが吐いてます!」と申し向けられて途方に暮れているゴビーにカヅミドガタナ・ワナベータトチカキリンはEarly 19 Century Heavy Gaugeの3弦とサバレス社の古典弦COTENPAN CLASSICとオプティマ社のCustom Light OPTIMA Gold Strings 09-46 2028 CLELを無理矢理組み合わせる荒技を繰り出して歯剥き出しバブーン三人組を瞬時に撃退した。

オベーションかつイバニーズな一撃を喰らった歯剥き出しバブーン三人組は無惨にも辻元清美クラスの剥き出し状態となり、脇目もふらずにクロネコヤマトのゴビ・デポに向けて敗走した。以後、彼らの行方と配送先は杳として知れない。

自分だけイクのはもってのほかだが、行きっぱなしもたいへんによろしくない。行ったら還ってこなければならない。良寛さんもそう言っている。手毬は突けば戻ってくるのが道理である。

「もっと突いてッ! もっと突いてッ!」も「イクッ! イクッ! イッちゃうッ!」もたいへんに結構であるけれども、イクときは一緒が理想である。そして、放蕩息子は帰還する。カレー市民には難儀するが、カレイの煮付けはうまい。マコもメイタもシロシタもたいへんによろしい。ラバー・ソールは履き心地がオール・ユー・ニード・イズ・ラブである。


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# by enzo_morinari | 2018-07-04 01:46 | 鉄砲と語尾 | Trackback | Comments(0)

サブカルチャー? それってうめえのか? 北島三郎カルチャーあるいはサブ/薔薇族/カルメン・マキのカルメ焼き/アブドラ・ザ・ブッチャーの省略形か?

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現代日本をダメにしたのは団塊の世代と木っ端役人とサブカルチャーである。


サブカルチャーは団塊世代のポンコツボンクラヘッポコスカタンどもが本音は「女にモテるから」という愚鈍愚劣低劣で卑しい動機をゲバルト棒やデモやストライキやバリケードや大衆団交で偽装して行った学生運動/学園紛争/全共闘運動といったたぐいのキャラメル・ママごとによって準備されていた。

「革命/闘争」という美名に隠れて団塊世代のポンコツボンクラヘッポコスカタンどもがやっていたのはリアリティのかけらもない日本国語とも思えぬ未消化の言葉/砂漠のような観念語の羅列と腰と腹の座らぬゲバルトとA( )Cである。その醜悪さは近代ゴリラである三島由紀夫が東京大学に乗りこんで全共闘の小猿どもと行った討論ショー『討論 三島由紀夫 V.S. 東大全共闘/美と共同体と東大闘争』の際に、学生結婚したことをひけらかすために生後間もない赤ん坊を抱いてきた全共闘C、A( )Cの権化であるゴミアクタ・マサヒコに象徴されている。ゴミアクタ・マサヒコの本質はそのツラ/顔相/貧相/人相/相貌を見ればすべてわかる。街金/闇金/高利貸しに追い込みかけられてんのか? スケコマシ/女たらしの下衆外道ゴミ屋!

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自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省)で勃発した東京事変を遡ること1年半。1969年5月13日。文武両道軒・三島由紀夫は東京大学教養学部900番教室で東京大学全学共闘会議、いわゆる全共闘の若造青二才どもと対峙していた。五月祭の呼び物イヴェントに三島由紀夫がやってきたのだった。

「近代ゴリラ」と記された三島由紀夫のパロディ立て看板を指差し、苦笑する三島。会場入口前の立て看板をみる三島由紀夫の顔には、その日の対論が戦いにはならないことへのあきらめの表情が浮かんでいる。

「諸君がひと言、天皇と言ってくれたら、私は共闘する」と三島由紀夫は誘い水をかけたが、東大全共闘のポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもはへらへらと半笑いを浮かべるのが精一杯だった。

中でもとりわけて不愉快なやつが、学生結婚し、子供がいることをひけらかすべく赤ん坊を抱いて参加し、無礼無作法にも「おれ、つまんねえから帰るわ」とほざき、途中で戦線離脱した「学生C」、つまりは現在、うさん臭く鼻持ちならないことこのうえもない前衛劇団を主催してふんぞり返っているゴミアクタマサヒコである。このたぐいの輩の遺伝子が現在の2ちゃんねるあたりに象徴される「下衆外道臆病姑息小児病」を生んだと断言しておく。

東大全共闘の小僧っこ猿どもが近代ゴリラに必死で楯突こうとする姿は滑稽でさえあるが、勝負は近代ゴリラに軍配である。相手は醜の御楯として出立たんとする者だ。志なき小僧っこ猿どもの鈍ら刀など鼻から刃が立つはずもない。

三島由紀夫 V.S. 東大全共闘
エクリチュールの巨人 V.S. エゴイズムの群れ
覚悟性 V.S. 逃走性乃至は放棄性
近代ゴリラ V.S. 小猿集団
憎悪する母性 V.S. キャラメル・ママ


この討論集をこのようにとらえ、さらに勝ち/負けという単純な二項対立図式で読み解くのも一興で、あきらかに「志」のちがいがディベートの中身に出ている。

日本国語とも思えぬ未消化の言葉/砂漠のような観念語を吐き出す小僧っこ猿どもと、少なくとも「痛みとしての文化」を含めた、たおやめぶり/ますらおぶりの言葉の森を渉猟してきた者との戦いは戦闘がはじまる前から勝敗はわかりきっている。というよりも、そもそも小僧っこ猿どもは土俵にのぼることすらできていないのだ。

『共同幻想論』を小脇に挟んだところで、国家の「こ」の字も知らぬような者どもの行為/行動/言説はなにも動かせないし、変えられない。団塊世代のポンコツボンクラヘッポコスカタンの挙げ句の果て/なれの果てが一連の連合赤軍事件である。50年経とうが100年経とうが、ほっかぶりをゆるしてはならない。

さて、このごろではとんとお目にかかることのなかった「サブカルチャー」なる死語/オワコン語を目にし、耳にしたのは言語消滅危険度の調査とアヌス語習得のためにインドネシアのパプア州ジャヤプラの北部海岸とアヌス島をフィールドワークをかねてヴァガボンド・ジャーニーしたときである。

初見から「コイツは胡散臭い。口もクサい。性根が腐っている」と睨んでいた人物は、自己紹介の際になにを言いだすかと思えば、「サブカルはCOWCOWよりあたりまえ体操がうまい! サブカルは鉄の迷信をアイアン・メイデンのように溶かす! サブカルがLOHASを生んだ! スローフード・ムーブメントはサブカルが支えている! サブカル・ドリンクのい・ろ・は・す以外の飲み物は不可! サブカル・フードAlghe salata e cavolo di piatto all'acetoだけ食べて愛と平和と健康を手に入れよう! サブカル最高! サブカル無敵! サブカル万能! サブカル万歳! 人間はサブカル・カンガルーの脚なのだ!」とほざいた。あいた口にナフサが流しこまれたような気分だった。そのクサくて腐った口にTRUMP NAFTAを捻じこんでやりたかった。

そのたわけ者は酒席で泣き言を垂れ流し、女々しさを武器にし、文化人/インテリを気取り、息を吐くようにウソ/インチキ/マヤカシをほざいた。恥ずかしくて言えないことを平気の平左衛門で口にした。「本業:物書き/作家/小説家」といった具合に。「てにをは/句読点」さえまともに使うことのできない輩が物書き/作家/小説家とは恐れいるが、なによりもそのたわけ者が醜悪なのは自らの弱さ/不幸/不遇/不運/困窮/困憊を他者を欺き、たらしこみ、たぶらかすための「武器」にしているところにある。四流大学の哲学科出のたわけ者にダマされる者の愚かさにも大いに呆れた。

そのたわけ者は過去にエロ/風俗系の性欲/情欲という「弱み」につけこむ悪徳を生業としていた。末路がいかなるものになるのかはすでにしてあきらかである。

そのたわけ者にわたくしが言いたいのは「吊れよ、切れよ、飲めよ、被れよ、飛べよ、墜ちろよ」ということにつきる。
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-03 02:51 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

ひとつの椅子とみっつの椅子#1

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20世紀初頭にカジミール・セヴェルィーノヴィチュ・マレーヴィチュが 79.5cm × 79.5cm のキャンバスに漆黒の正方形を描いて以来、世界は解読不能の「深層」を孕むようになった。そのことはいまも変わっていない。世界に起こることのすべてはマレーヴィチュ『漆黒の正方形』の延長線上にある。 79.5cm × 79.5cm 的世界はいまも世界のありとあらゆるところに深淵の口をあけている。勇気のある者はその深淵を覗きこんでみるがいい。私は覗きこんだ。そして、彼女と出会った。
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彼女の部屋の中央にはアイリーン・グレイの Classic Modern End Table T-701 Type2 が置いてある。ル・コルビジェの尊大で仰々しいソファがこれみよがしにあるよりはましだ。女の子の部屋にル・コルビジェの家具があったら私はすぐに退散しなければならない。死んだ父の遺言だからだ。

彼女の部屋には徹底的にモノがない。テレビがない。冷蔵庫がない。本棚がない。花瓶がない。コーヒー・カップはひとつ。グラスもひとつ。ナイフもフォークも箸もひとつ。同じシャツと同じパンツが1週間分。例外はiPadとiPhoneとiPodだ。iPadは第1世代から第6世代まで。iPhoneは初代の iPhone 1 から最新の iPhone Xc まで。iPodにいたってはすべてのモデルが全色そろっている。iPadとiPhoneとiPodは彼女の「特別な場所」に安置されている。午前中、もっとも陽の光が当たる場所だ。

iPadとiPhoneとiPodはそれぞれ等間隔で並んでいる。1mmの狂いもない。そのことについて彼女は昼下がりの表参道の交差点で信号待ちしているときに大声で言ったものだ。

「人間は1mmの誤差にこだわって生きるべきなのよ」

なるほど。しかし、昼下がりの表参道の交差点で信号待ちしているときに大声で言うべきことじゃない。

彼女の部屋にモノがないのにはちゃんとした理由がある。いつでも引っ越しできるようにだ。

「モノがきらいなの。まだわたしがモノに囲まれて生きていた頃、引っ越しでひどい目に遭ったのよ。引っ越しというのは人間の本性を剥き出しにする」
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ベーゼンドルファーのグランド・インペリアル290が5台は置けそうなリビング・ルームとフランクフルト式キッチン。だだっ広い。ベッドなし。いったいどうやって寝ているんだ?

「寝ないのよ」

彼女は不眠症だ。意識して眠らないそうだ。

「眠ると死んじゃうの。ところで、あなたはいま、セックスのときはどうするんだ?って考えたでしょ?」

そのとおりだった。

「立ったままするのよ。やり方はいくらでもある。いまからする?」

私がうなずくと、彼女は表情ひとつかえずに服を脱いだ。彼女は脱いだ服をとてもきれいにたたんで T-701 Type2 の上に置いた。

「あなたもさっさと脱ぎなさい」

私は着ているものを身分証を提示するような気分で順番に脱いだ。彼女はじっと見ている。彼女の真似をして服を丁寧にたたむ。T-701 Type2 に置こうとすると彼女が制した。

「T-701 Type2 はわたし専用よ。世界中の誰もわたしの T-701 Type2 を使うことはできない」

彼女は眉ひとつ動かさずに言った。

「服の脱ぎ方で男の中身はほとんどわかる」
「ぼくはどうだった?」
「カルシウムとドラマツルギーが足りない。ずいぶんとつまらない人生を生きてきたようね」

彼女の言うとおりだった。彼女はつま先から頭のてっぺんまで品定めでもするように注意深く私を見たあと、ものすごく機械的に私の前にしゃがみ込んだ。

彼女の T-701 Type2 には指紋ひとつついていない。シミひとつない。いまにも動きだしそうだ。実際に動いた。T-701 Type2 を眺めながらボブ・ディランの『激しい雨』を口ずさむと彼女がたずねた。

「なにそれ? 気持ち悪い歌」
「ボブ・ディランの『激しい雨』だよ」
「ボブ・ディラン? 知らない」

彼女がボブ・ディランを知らないことは私の彼女に関する評価を上げた。ボブ・ディランをありがたがる人物にろくなやつはいない。これは経験則だ。転がったことも転がろうとしたこともなく、七里ガ浜駐車場のレフト・サイドで強い南風に吹かれたこともないやつがボブ・ディランを聴いたところで手に入れられるのはせいぜい庭付き一戸建て住宅的な退屈きわまりない幸福だ。そして、彼らはライフ・スタイル自慢に日も夜もない日々を送る。ひとかけらの光も差しこまない穴蔵でこれまでに人間が歩いてきた道の数を死ぬまで数えているほうがまだましだ。
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Black Square, 1915, Oil on Canvas/Kazimir Severinovich Malevich

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# by enzo_morinari | 2018-07-02 19:32 | ひとつの椅子とみっつの椅子 | Trackback | Comments(0)

牌の痕 ── そして、銀座2丁目の路地裏に朝がきて、男たちはそれぞれの戦場へと帰還した。

 
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泡の時代のまっただ中、1988年の冬。クリスマス・ソングが街のあちこちから聴こえていた。私は血煙を上げながら仕事をしていた。カネはうなるほどあった。いずれ、世界一の大金持ちになってやると思っていた。愚かだった。舞い上がっていた。奢りたかぶっていた。生涯最高最悪にして忘れえぬ麻雀の対戦が迫っていた。

その頃、私は30歳になったばかりの若造だった。怖いもの知らずの小僧っこだった。心をゆるしたごく少数の年上の理解者をのぞけば、だれにも頭を下げなかった。傲岸不遜を絵に描いたような輩だった。周囲はそれをゆるし、私はそれを当然のことと受け取った。嫌なやつも甚だしいといまにして思うが、当時は露ほどの反省もない日々を生き、浮かれ騒いでいた。

麻雀牌に初めて触れたのは7歳の秋。おとなたちのやっている麻雀をひたすら観察し、麻雀のルール、約束事、掟をおぼえた。すぐに麻雀に取り憑かれた。

麻雀卓を囲んだのは麻雀牌に触れてから2ヶ月後の正月である。勝った。勝ちつづけた。最初は笑っていたおとなたちの顔色が少しずつ変わっていき、遂には真顔になった。怒ってわけのわからぬ奇声を発する者まで現れた。

結局、私の圧倒的な一人勝ち。ほかの3人は箱テンだった。ただ勝ったことが嬉しかったのではない。対戦者を完膚なきまでに叩きのめしたことが嬉しかった。私のそのメンタリティは生来のものである。手加減なし。容赦なし。いまもそれは変わっていない。

麻雀は運と記憶力と構成力と観察力のゲームである。麻雀の上手下手を技術力の高低のように言う者が時折いるが、私はその考えを取らない。運が7割。あとの3割は記憶力と配牌から和了までをいかに組み立てていくかという構成力と対戦者の心の動きを見抜く観察力である。運、ツキのないときはいくらやっても勝てない。

私は運気を読むことに長けていた。これも生来のものだ。運、ツキがないと思ったら、どんなに誘われても断る。これは麻雀に限ったことではない。もちろん、運気、潮目を見誤るときはある。最大の誤謬はバブルの時代の引際を見誤ったことである。そして、すべてを失った。

その泡の時代の全盛期。ある画商から麻雀の代打ちを依頼された。私が麻雀が強いことは関係者の間ではつとに知れ渡っていたのだ。儲けは折半。つまり、山分けである。負けた場合も同様である。レートは1000点棒1本が100万円。箱テンを喰らえば3000万円が消えてなくなるというとんでもない麻雀である。だが、強い運気を感じた。私は二つ返事で代打ちを引き受けた。必ず勝てるという確信に近いものがあった。

ゲームは12月23日の昼から始まった。場所は銀座2丁目の裏通り、とある雑居ビルの一室。秘密クラブだった。扉は分厚い鋼鉄製で、何重にもセキュリティが施されていた。豪奢な調度類と快適な空調、そして至れり尽くせりの響応。ソファにはマッサージ機能までが備わっていた。およそ麻雀をやるうえで考えうる最上の設備と環境だった。ここでいままでにいったい何百億のカネが動いたのかと考えると自然に武者震いが起った。

対戦者はいずれも初対面だった。どいつもこいつも顔をてらてらてかてかさせ、ダブル・ブレステッドのスーツを着込み、ヴェルサーチのド派手なネクタイを締め、カルティエやらデュポンやらダンヒルのライターをかちゃかちゃ鳴らしていた。「こんなやつらなら、ひとひねりだ」と私は思った。だが、それは大きなまちがいであったと気づくのに時間はかからなかった。

麻雀は短編小説を紡ぐのに似ている。配牌は書き出し。但し、これには自分の経験、知識、考え、配慮、好き嫌いは及ばない。ただ厳密には、自分の持っている運気、ツキが目の前の14牌乃至は13牌を配すると言えなくもない。幸運か天運か強運か、はたまた悪運か悲運か。それはこの際、問題ではない。この段階の最高の運は和了していること。すなわち、天和である。天和を和了すると命運が尽きて命を失うなどというのは妄言である。麻雀ごときで命を失うような命運なら尽きてしまったほうがよっぽどいい。

次は第1ツモもしくは対戦者の捨て牌による和了である。ツモって和了すれば地和。対戦者の捨て牌で和了すれば人和。ルールにもよるが、いずれも役満貫である。

そして、いよいよ次のフェーズからが麻雀本来の醍醐味である。牌をツモる。手牌の組合せは98,521,596,000通りある。役の高低の別はともかく、98,521,596,000通りの中に和了は存する。すでに手の内にある牌の順列組み合わせ、確率、場に捨てられたそれぞれの牌種、ゲーム全体の流れ、対戦者の顔色、表情、仕草、発言、そして自分の勘の冴え、閃きの確度等々について勘案する。それも短時間のうちに。ここでモタつくとゲーム全体の流れを乱し、自分の運気にも影響を及ぼしかねない。

私は確率論的にもっともツモる確率の高い牌種から順番にプライオリティをつけ、どの牌をツモったらどの牌を捨てるかツモる前に決めておくからツモと同時に打牌を行う。対戦者へのプレッシャーの意味合いもある。もっとも、対戦者のポン、チーによってそれが乱されることもある。これはいたしかたない。なにごとも思うようにはいかないというのは麻雀においても言えることである。そして、和了へ向けて物語はつづく。

臨機応変、変幻自在にストーリーを変えながら和了することができればそれは物語のひとつのオチである。当初に想定したとおりの役で和了できたときの快感はたいへんなものだ。和了がれなければオチなし。どんなに手役がよくても、たとえ、九蓮宝燈を聴牌していても和了できなければオチのない役立たず、駄作以下ということになる。

さて、箱テン3000万円麻雀は静かに幕を開けた。ゲームは対戦者全員気負いもなく、スムーズに進む。つまらぬ鳴きがないのはいい傾向だった。「喰いタンヤオなし。役の完全先付け」ルールが功を奏した格好だ。

私の下家がいきなり清一色をツモ上がり。レイトン・ハウスの専務だった。名うての地上げ屋。顔に覚えはある。1200万円を手にしても眉ひとつ動かさず、涼しい顔をしている。クールだった。

1荘。2荘。3荘。4荘。5荘。6荘。7荘。8荘 ── 。一進一退の攻防がつづいたが、私はジリ貧だった。終局し、集計のたびに数百万円の札束がボストンバッグから消えていく。焦りがなかったといえば嘘になる。だが、必ず勝利できるという確信に微塵も揺らぎはなかった。

「最近の地上げはどうですか?」と株式投資コンサルタント会社の社長が言った。
「ほんなもん、ぼちぼちですわ」と第一不動産の常務が答えた。締まりのない関西弁に虫酸が走る。私がもっとも忌み嫌うタイプの男だった。
「赤坂9丁目の物件、どないしましょ?」
関西弁男がレイトン・ハウス専務に言った。レイトン・ハウス専務はカプリを1本抜き出して火をつけ、深々と吸い込んだ。そして、答えた。
「仕事の話はやめましょう。きょうは遊びにきたのでね」

箱テン3000万の麻雀が遊びか。やはり、クールなやつだ。この男とはいい付き合いができると思った。暗黙のうちに、私とレイトン・ハウス専務VS関西弁男と株屋という対立図式が出来上がった。負けは数千万にのぼっていたが、不思議な闘志が湧いた。どのような戦いにも戦友は必要である。

そして、ついに最終荘。南場最終局、起家。配牌はマンズ気配濃厚。ドラの五萬と南はトイツだ。アンコにすれば、それだけで四翻。ソーズとピンズの端牌が混ざっている。清一を狙うか。ドラをアンコにして南一翻を加えたうま味を活かすか。迷った。大いに迷った。そして、決めた。

打牌、五萬。誰ともなく、「えっ」という嗚咽が洩れる。流局はすでに8度。親である私の卓の右隅には8本の100点棒と12本のリーチ棒。1280万円が無造作に並んでいる。リャン翻縛り。これで、安い手役で上がる道は閉ざされた。

最終章は静かに進んだ。緊張が徐々に高まる。中盤すぎ、それまでの5巡、ツモった牌をすべて牌中に収めていた関西弁男がドラ切り。表情と顔色と仕草から見て、かなりの好手であることがわかる。レイトン・ハウス専務がすかさずチー。これで流れが変わった。

私は勝負に出た。意識は冴え冴えと澄みわたり、すべての流れが見通せた。勝てると思った。勝ったと思った。

待ちに待ったカンドラの九萬が入る。六萬九萬の聴牌。次巡、六萬をツモり、和了。ツモピンフサンショクドラ1。親マン。凡庸きわまりない。和了役と点数と負けている分を差し引きする。負け越し。場を見る。私が喉から手が出るほど欲しいのは九萬だ。

四枚のうち、私の手牌の中に1枚。そして、場に2枚。残るは1枚。どうしても欲しい最後の1枚。牌の山に眼を凝らす。次のツモは海底牌だ。

考える。再度、海底牌に眼を凝らす。考えをめぐらす。だめだ。こんなつまらぬ手役できょうの物語を終わらせるわけにはいかない。こんなことのために困難な戦いをつづけてきたのではない。これは誇りに関わる問題である。

さらに、海底牌を見る。じっと視る。凝視する。見えている部分をすべて視る。そして、私はこの和了を捨てることに決めた。

ゆっくりと和了牌の六萬に指を伸ばし、掴み、打牌した。天の意思も大地の歌も人間の息づかいも河の流れも海のうねりもすべて視えた。心は穏やかで晴れ晴れとしていた。

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「男前リーチ!」

私は打牌と同時に宣言した。対戦者の驚く表情が愉快でならなかった。最後のツモ、最後の九萬にすべてを託す。

場が一気に緊張する。下家のレイトン・ハウス専務は淡々とした表情でツモり、迷うことなく現物牌を捨てる。同じく、株屋も現物打牌。さんざん迷ったあげく、関西弁男は六萬を打牌した。「ドラ4やったのになあ」の女々しく醜い言葉とともに。

そして、そのときはきた。私は海底牌から一刹那さえ眼をそらさず、手を伸ばし、やさしく指先で牌にふれ、その感触を味わった。指先から温かく深く確実なものが流れ込んでくる。眼を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出した。牌を持つ腕をゆっくりと振り上げ、振り下ろす。私は牌面を確かめることもなく、人差し指と中指と親指でつまんだ牌を卓上に叩きつけた。

「ツモッ!」

リーチ一発ハイテイツモピンフジュンチャンサンショクイーペーコードラ5。

門前清自摸和海底摸月平和三色一盃口同順純全帯ヤオ九ドラ5(興味のある方はこの和了を計算していただきたい)。さらに、オーラスの変則青天井&倍々ルール。

勝った。対戦者の感嘆の声と深い溜息。逆転勝利。しかも大逆転勝利。結局、私の懐には2億円近いカネが転がり込んだ。もちろん、そのカネも数ヶ月後には泡と消える運命ではあったが。しかし、反省も後悔も一切していない。反省やら後悔は頭のよろしい方々にすべてお任せしてある。私の係ではない。

さて、なぜ私は最後の九萬に賭けて、あえて和了牌である六萬を捨てたのか?

牌の痕である。九萬牌の右上隅についていた微小微細な痕によって、私は私がツモる海底牌が九萬の最後の一枚であることをわかっていたからである。

長く険しい戦いを終え、我々は明け方の銀座に出た。4人とも実に晴れ晴れとした顔をしていた。銀座4丁目の交差点まで歩き、握手を交わし、いつかの再会と再戦を約束した。そして、それぞれの戦場へと帰還した。

再会も再戦も果たされぬまま四半世紀以上の歳月が過ぎた。そのあいだに泡は弾け、一人は自死、一人は自己破産、レイトン・ハウス専務は国外逃亡中である。私が麻雀卓を囲むことはもはやない。私の傷は癒えた。牌の痕もいつか消える。奇跡は二度あるものではない。

1988年冬、泡の時代のクリスマス・イヴ。和光前で聴きたかったのはナット・キング・コールの『メリー・クリスマス・トゥー・ユー』だったが、聴こえてきたのはビング・クロスビーの歌う『ホワイト・クリスマス』である。ツモったのは白ではないし、雪も積もらなかった。この人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。
 
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# by enzo_morinari | 2018-07-02 00:41 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(3)

究極のマティーニと古い友情の終わらせ方

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古い戦友の命日。戦友との思い出がぎっしり詰まった酒場に足を運んだ。20年ぶりだ。戦友は探偵で、腕っぷしはめっぽう強いが泣き虫で、酔いどれの誇り高き男で、運に見放されていて、美人に目がないくせに女にはからきし弱く、「いつかゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲む。そして、死ぬ」が口ぐせで、ネイビーの、ペンシル・ストライプのダブル・ブレステッドのスーツしか着ない男だった。救いは彼が律儀で不器用で無愛想なうえに、うそがへたくそなことだった。

「究極のマティーニを。古い友情を終わらせたいんだ」
「タンカレーでおつくりいたしますか? プードルスとボンベイ・サファイアもございますが」
「いや。牛喰いで」

ニッカーボッカー・ホテルの名物バーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはとても礼儀正しくうなずいた。きれいに霜のついたバカラのカクテル・グラスの名品、The Long Goodbyeが目の前に置かれた。

ボンデージ、ウッド・ノットがひとつもない濃い赤褐色のホンジュラス・マホガニーの1枚板のカウンターの上でThe Long Goodbyeが静かに息づいている。彼女が私に別れを告げるころには、私は彼女を何度も何度も抱きしめ、唇を寄せ、5粒ばかりの涙を彼女の中に落としているにちがいない。そして、したたかに酔いどれるのだ。今夜はそんな気分だ。誇りのたぐいはとっくの昔に行方不明なのだし、いまさら酔いどれたところで胸を痛めてくれる愛しい女もいない。かつての愛しい女は「さよなら」のひと言さえ残さずに金持ちの年寄りの愛人になった。それでいい。すこぶるつきのクールさだ。こちらはクールなタフ・ガイなんだ。勝負は互角という寸法である。

それにしても、よりにもよって、「長いさよなら」とはな。「さよならは短い死だ」と言いつづけた探偵は強くもなれず、生きていくための資格を手に入れることさえできないまま本牧の路地裏で冷たい肉の塊になって死んだ。もう20年になる。探偵のことはときどき思いだすが、いつもというわけではない。

友よ。My Private Eyesよ。あんたは死に、おれは生きながらえ、偉大な眠りにはとんと御無沙汰だ。不眠はもう10年もつづいている。あんた同様、おれはいまだに強くもなれず、やさしさの意味すらわからないでいる。なんてマイ・フーリッシュ・ハートな人生なんだろうな。笑ってくれ。

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私が遠い日の友との思い出に耽っているさなかに上っ調子にバカ笑いしながら若いカップルがやってきた。男はコークハイを注文し(コークハイだって!?)、女はテキーラ・サンライズを注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニは眉を一瞬しかめ、ため息をひとつ、小さくついた。

女の顔を見ると虫酸が走った。他人の手帳を盗み見ることにひとかけらの呵責も感じない魂のいやしさのたぐいが顔にあらわれていた。おまけに、使っている香水は濃厚なうえに動物的なにおいで甘ったるかった。第一、明らかに分量が多すぎる。香水のシャワーでも浴びてきたのかとたずねたくなるほどだ。

ここは場末の安キャバレーではない。ここは何人もの本物の酒飲み、一流の酔いどれが巣立っていった酒場なんだ。ある種の人々にとっては聖地でさえある。香水女は臆面もなくそれらを蹂躙しようとしている。抑えようのない激しく強い怒りがこみあげてきた。

おまえは店のすべての酒の香りを台無しにする気か? この店にある酒は蒸留という名の試練をくぐり抜け、いくつもの季節を樽の中でやりすごし、ときに天使に分け前を分捕られ、磨きに磨かれてやっと陽の目を見たんだぞ!

女の首根っこをつかまえてそう叱り飛ばしたかったが我慢した。香水女の指は太く短く、金輪際ナイフとフォークを使った食事をともにしたくないタイプの人物だった。いや、ナイフとフォークを使った食事だけではない。女が私の半径50メートル以内にいるだけで確実に食欲を失う。この広い宇宙にはテーブル・マナー以前の輩が確かに存在することを私はこのとき初めて知った。

私の知る世界、生きてきた日々、失った時間や友情や愛をことごとく踏みにじり台無しにするおぞましい力をその若い女は持っていた。めまいさえ感じたとき、マルティーニ・エ・ロッシーニが毅然とした態度で言い放った。

「申し訳ございません。現在、当店はエクストラ・ドライ・タイムでございます。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニか、少々お時間が早すぎますが、ギムレットなら御用意できます。コークハイは元町の信濃屋さんの真裏に当店よりずっといい、お若い方向けの店がありますから、そちらへどうぞ」

「お若い方向けの店」とマルティーニ・エ・ロッシーニが言ったところで私はあやうく吹き出しそうになった。「お若い方」を「愚か者」と言い換えればジグソー・パズルの完成である。

シュレディンガー・キャットを見つけだすよりむずかしそうなジグソー・パズルの本当の完成はもうすぐだった。マルティーニ・エ・ロッシーニは言葉をいったん引き取った。香水女はショッキング・ピンクのハイヒールの踵を床にせわしなく打ちつけた。苛立っている。ざまあない。ここはおまえたちのような無作法者が来るところではない。マルティーニ・エ・ロッシーニは仕上げにかかる。

「テキーラ・サンライズはカリブ海のニュー・プロビデンス島経由でアカプルコ・ゴールド・コーストに出張中です。滞在先は年端もいかない少年少女をかどわかすことで悪名高いチンピラ音楽のメッカ、ホテル・ザ・ローリング・ストーンズと聞きおよんでおります。したがいまして、どうぞお引き取りください。次にお越しの際はフレグランスは控え目に。清楚で上品な香りのもの、たとえばJean Patouの JOY かEau de Givenchy、Miss Dior、Lily of the Valleyあたりをお勧めいたします。それとこれは極秘情報ですが、今夜あたりから大声でしゃべったりバカ笑いすると島流しになるそうですよ。お気をつけください」

マルティーニ・エ・ロッシーニが言うと、若い男は未練たらしく女々しい舌打ちをし、香水女は手持ちのうちでもっとも悪意と憎悪と愚劣が盛りこまれた引きつった作りものの笑顔を見せ、さっさとマルティーニ・エ・ロッシーニにさよならを告げた。

そう、マルティーニ・エ・ロッシーニが言うとおり、いまこの時間、黄昏と闇の狭間の時刻、世界中のすべての酒場は1日のうちのもっとも聖なる時間、エクストラ・ドライ・タイムを迎えているのだ。聖なる時間を迎えている酒場は無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける者の相手などできない。無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける愚か者どもに供するグラスはひとつもないし、注ぐ酒は1滴たりともない。世界はそんなふうにできあがっているのである。

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「お待たせいたしました。当店自慢のウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニでございます」

マルティーニ・エ・ロッシーニは言って、The Long Goodbyeの横に屈強な牛喰いどもが好む酒、ビーフィーター・ロンドン・ジン47度の扁平な瓶を置いた。鮮紅色の衣装をまとった牛喰いがこちらを睨みつける。

「ありがとう。ある探偵と飲み明かした夜以来だよ。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニは」
「承知しております。この街は惜しい人を失いました。もう20年になりますね」
「おぼえていてくれたんだね」
「ほかのことは全部忘れてしまいましたがね」
「いい奴は死んだ奴だというのはいまも変わらない」
「まったくそのとおりです。ところで、お客様。警官にさよならをする手段は掃いて捨てるほどもありますが、友情を終わらせる方法はこの世界にはございませんよ」
「わかってるさ」
「お友だちはベルモットの瓶を横目で眺めながら、あるいはモンゴメリー将軍で、ときどきはベルモットのコルクで拭いたグラスにジンをそそいだものを召しあがってらっしゃいました」

私は開きかけた唇を閉じた。心はドライどころか潤んでいた。なにか口にすれば大洪水に押し流されてしまうように思われた。酔いどれの気高き誇りを持つ男の無邪気な笑顔と800万をはるかに超える死にざまを生きた孤愁を思った。

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マルティーニ・エ・ロッシーニは私の胸のうちを見透かすようにマッキントッシュの古い真空管アンプリファイアーMC275のヴォリュームを少しだけ上げた。1949年10月14日、N.Y.C. Down Beatのエラ・フィッツジェラルドが『As Time Goes By』を囁くように歌いはじめた。

霧は深く、時はいくらでも好きなだけ過ぎていくが、夜はまだ始まったばかりだ。もちろん、ギムレットにも早くはない。やがて、古い友との友情の日々を思う長い夜がやってくる。急ぐ理由はなにひとつない。時は過ぎゆくままにさせておけばいいし、霧は深いままでいい。酒も傾ける盃もたんまりある。おまけに「究極のマティーニ」を知る伝説のバーテンダーは目の前でグラスを磨いている。これ以上の贅沢は世界への宣戦布告も同然である。50歳。もう敵は作らなくていい年齢だ。

私は2杯目の「究極のマティーニ」を注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニはきれいに霜のついたThe Long Goodbyeに静かにビーフィーター・ロンドン・ジンを注ぎながら、「これはわたくしから天国のご友人に」と言ってグラスを私のほうへ滑らせた。「ご友人が横目で見るためのベルモットはこちらに」と言い、伝説のバーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはノイリー・プラットのゆるやかにくびれたボトルを脇に置いた。

マルティーニ・エ・ロッシーニの目からグラスに小さなダイヤモンドがひと粒こぼれ落ちたような気がしたが、それはたぶん、気のせいだ。本物のプロフェッショナルはそんなヘマを犯したりしない。究極のマティーニがかすかにしょっぱかったのも、やはり気のせいにちがいない。長い夜にはいろいろなことがあるものと相場は決まっている。

友よ。My Private Eyesよ。グレープフルーツのように丸い酔いどれの月は見えているか? 酔いどれ船の甲板の居心地はどうなんだ? ノイリー・プラットの位置はこれでいいか?

Across the Deep River and into the Deep Forest. 深い河を渡って緑濃い森にはたどり着けたのか? それとも、ゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲んでいるのか?

今宵、酔いどれの月はグレープフルーツのように丸く、遠い。再会までにいったい何杯の「究極のマティーニ」を飲み干し、いったい何回、酔いどれの月を見上げればいいんだ? 友よ ── 。


As Time Goes By
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-30 09:09 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(2)

カサブランカごっこ#1 月の輝く夜に

 
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忘れちゃいけない。キスはただのキス、ため息はただのため息。恋の基本はいつだって変わらない。月の光もラブ・ソングもなつかしい光のシミも時代おくれにはならない。どれほど時を経ても。Her-Hup


トーキョー砂漠のど真ん中にある酔いどれ王国唯一の酒場、「リックのアメリカ酒場」から聴こえる「君の瞳に乾杯!」の号令とともにカサブランカごっこは始まった。カサブランカごっこは痩せ我慢のゲームだ。

「きのうはなにをしてたの?」と女が懇願するようにたずねる。
「そんな昔のことは忘れた」と男は無表情に素っ気なくこたえる。
「あしたはどうするの?」と女は追いすがるようにさらにたずねる。
「予定は立てない」と男はさらに素っ気なくこたえる。

そこへ、別の若い女がやってくる。男の手を強く握り、涙さえ浮かべている。彼女の年下の夫が抱える借金のことを相談しているようだ。男は若い女をなだめすかし、きっぱりと言い放つ。

「お嬢さん、だれもがなにかしら問題をかかえている。きみだけじゃない。自分で解決しなさい」

若い女はがっくりと肩を落とし、うなだれてその場を離れる。男は配下の者を呼び、若い女の夫の借金についてたずねる。そして、小切手帳を白い富良野フラノのジャケットの内ポケットから取り出し、借金の額に大卒の月給3ヶ月分を加えて小切手に書きこむ。裏書きには「北の国から ゴローより」と書いた。

「これできれいにしてやれ。残った分は彼女に渡すんだ」

男の手下は足早に去る。

「さて、ゲームをつづけよう」

女は男の言葉を受けて、席を立ち、ホール中央の移動式ピアノに向かう。女に気づいて目を見張り、驚くピアノ弾き。

「あの曲をお願いよ、ピアノ弾きさん。パリの思い出の曲を」
「おぼえておりません」
「あいかわらず嘘がへたくそね。『As Time Goes By』よ、サム」
「どんな曲でしたか?」
「こうよ」

女は『As Time Goes By』のメロディを口ずさむ。ヘタクソだ。室温が5度下がる。少し間を置いたあと、ピアノ弾きは仕方ないといった表情をみせてから囁くようにピアノを弾きはじめ、歌いだした。

 You must remember this.
 A kiss is still a kiss, a sigh is just a sigh.
 The fundamental things apply
 As time goes by…


酒場の亭主が血相を変えて素っ飛んでくる。

「その曲は禁止したはずだぞ、サマンサ・タバサ! あ。まちがえた…」

間髪入れずに監督役の男の声。

「カ────ット!」

続いてアシスタントの声。

「一旦、休憩入りまーす」

長い夜になりそうだったが、美しいグレープフルーツ・ムーンの夜だ。急ぐ必要はこれっぽっちもない。疲れたら、なつかしい光のシミを数えながら、煌々と輝くグレープフルーツ・ムーンを見上げればいい。カサブランカごっこはまだ始まったばかりだ。


 As Time Goes By - Dooley Wilson (サム)
 As Time Goes By - Frank Sinatra
 As Time Goes By - 101 Strings Orchestra
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-30 06:46 | カサブランカごっこ | Trackback | Comments(0)

幾千億の朝、幾千億の波。そして、幾千億の太陽#1 七里ガ浜甘夏納豆売り

 
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波を待っていた。七里ガ浜駐車場前の幅40メートルのサーフポイントで。そこだけまともな波の立つ場所で。海の中で海藻どもがゆらゆらとダンスしていた。びっしりと海藻がへばりついた大きな岩がいくつも海底に転がっていた。いまにも動きだして踏みつぶされそうに思えた。巨岩どもは薄笑いを浮かべてこちらの様子を観察分析し、手ぐすね引いて隙をうかがっているみたいだった。

私は17歳、高校2年生だった。学校が終わると掃除当番も補習もすっぽかして七里ガ浜の山の上にある食堂に直行した。預けてあるサーフボードを受け取るためだ。その食堂こそがアロハ髭デブおやじの店、『珊瑚礁』だ。

低気圧が近づいていい波が入る日は学校をサボるか、1時限目か2時限目には早退した。ずいぶんと親戚の叔父さんや叔母さんには死んでもらった。いないはずの兄弟姉妹を交通事故や不慮の事故に遭わせたことは数知れない。担任も心えたもので、「兄弟と親戚がたくさんいて賑やかでいいな」と皮肉を言うくらいで、それ以上追及されることはなかった。閻魔帳にもズル休みズル早退のことを書き込んだりせずにすませてくれた。

その日は茅ヶ崎の老舗のサーフショップを通じて特注したライトニング・ボルトのサーフボードが出来上がってくる日だった。当然、親戚の叔母さんには死んでもらった。ズル休みだ。朝から京浜東北線と東海道線を乗り継いで茅ヶ崎に向かった。

サーフボードは予想以上の出来栄えだった。トリプル・フィン。リーシュ・ホールなし。いま思えば斬新だ。革新、革命とさえ言いうる。ジェリー・ロペスの派手でアクロバティックなライディングがもてはやされていたサーフィン新石器時代だ。あの時代にトリプル・フィンのサーフボードに乗っていた波乗り野郎は世界に10人もいなかったはずだ。私のオーダー・シートを見るサーフ・ショップのオーナーもしきりに首を傾げていた。

「トリプル・フィン? なにこれ?」
「フィンがみっつ」
「やってくれるかな。かなり複雑だ。強度と剛性の問題もあるし」
「なんとかやってもらってよ。波乗りの神様のお告げなんだ。”トリプル・フィンの板を作れ。祈れ。そして稲村ヶ崎の伝説の大波に乗れ。”って」
「ベース・カラーはピュアブラック?」
「漆黒。真っ黒けっけってこと」

オーナーは呆れ顔だ。

「で、稲妻はピュアホワイト」
「そう。純白。真っ白けっけ」

そこでオーナーはやっと笑った。「真っ黒けっけと真っ白けっけ」

「そう。まさにおれのこと」
「よく言うよ。時間はきっちりもらうよ。この商売をはじめて20年になるけど、こんな複雑なオーダー・シートはみたことない。ボルトのシェイパー、ビルダーも目を丸くするぜ。やつらはきっと言うはずだ。”オー! マイ・ガッド! ディスオーダーだ! ディザスターだ!”」
「災厄って? それならいっそういい。ざまあみろだ。先っぽの角度と底のベルヌーイ・ラインの本数を増やして、形状ももっと複雑にしてやろうかな」
「おいおい。かんべんしてくれよ、樽くん」
「へへへ」


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サーフボードは完成するまでに3ヶ月かかった。ちょうど今頃、太平洋高気圧がデカいツラをして日本列島に張り出し、期末試験の結果は幸運にも学年で1番で、おまけに七里ガ浜駐車場レフトサイドでバッテリー上がりを起こしたパウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14の脇で困り果てていた女子大生をレスキューしたのがきっかけで、その女子大生とステディな間柄になっていた。女子大生は慶応の仏文科の3年生だった。5歳歳上。グレース・ケリーと仁科明子を足してカイエンヌ・ペッパーをふりかけたようなクール・ビューティだった。

とにかく春先からずっとツイていた。街中での「肉体言語闘争」、早い話がストリート・ファイトは連戦連勝。京急金沢八景の駅前でYTCのポンコツヘッポコスカタン5人を相手に完勝した一戦はのちのち、横浜南部エリアの不良少年どもに長く語り継がれる「伝説」となった。

横浜駅西口で朝鮮学校の生徒とすれちがうと向うから道をあけるほどだった。私の武勇とクレイジーぶりを聞きつけた腕に覚えのあるやつが、次々に戦いを挑んできたが、私は彼らをことごとく完膚なきまでに粉砕殲滅した。私が勝ちつづけることができたのは、「失うものなどなにもない」と覚悟を決めていたからだと思われる。失うものがある者は、どこかで「手加減」をし、手を抜くが、私はちがった。手加減なし、容赦なし。対戦相手が死んでもかまわないとさえ考えて戦いに臨んでいた。素手ゴロならだれにも負けないとさえ思った。内藤のジュンちゃんことカシアス内藤に横浜中華街の「レッドシューズ」でコテンパンに叩きのめされるまでは。

ツイていたのは肉体言語闘争、ストリート・ファイトだけではなかった。宝くじで1000万円当たった。GINZA NOWの勝ち抜き腕相撲で42人抜きした。最後はバズーカ牛島という横須賀工業高校の番長に負けた。その後、バズーカ牛島とは親友になったが、先頃、肝臓がんで死んでしまった。男にも女にもよくモテた。まさに選り取り見取り。乾く暇なし。オバケのパー券をばらまいてシコタマ儲けた。とにかくツイていた。ツキまくっていた。マブダチのヨシノ・コージが殺されるまでは。だが、それはまた別の話だ。

サーフボードを砂浜に突き刺すとモノリスみたいに見えた。太陽の位置、陽の光があたる加減や強さのちがいで白く見えることもあった。あるいは透明にも。ブラック・ライトニング・ボルト。あるいはホワイト・ライトニング・ボルト。存在の耐えられない透明な波乗り板。真っ黒けっけで真っ白けっけ。数々の矛盾を孕みつつ世界に確かに存在し、生きている私にはぴったりのサーフボードだった。

何人かのサーファーがやってきてはああでもないこうでもないと私のサーフボードについて話し、当然、彼らには「答え」も「結論」も、それらに類することも見つからずに去っていった。

「おまえらごときにわかるわけねえよ」

内心鼻高々の私は心の中でそうつぶやいた。プロ・サーファーのヨシノ・コージも私のサーフボードの噂を聞きつけてやってきた。ヨシノ・コージは天才肌の波乗り野郎だった。私ともけっこう仲がよくて、七里ガ浜のヨシノ・コージの家のウッドデッキで何回かイケナイ・ルージュ・マジック・スモクをやったこともあった。

ヨシノ・コージは体質的にイケナイ・ルージュ・マジック・スモクが利きやすいようで、すぐにオーバードーズになった。オーバードーズ状態になるとヨシノ・コージはかならず「乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン♪ 波に波に波に乗れ乗れ♪」を歌いながら完全オリジナル振り付けの波乗りダンスを踊った。それは見ものと言ってもいいくらいに見事な波乗りダンスだった。ヨシノ・コージの波乗りダンスの評判を聞きつけた史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーが哲学猫のデンケン・フォン・エクスペリメントと箱猫のシックスボックス・キャットと境界線上の猫のサウスオブボーダー・キャットを連れて見学にやってくるほどだった。

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七里ガ浜駐車場前の幅40メートルほどのサーフポイントは波の力と気圧と風向きと潮の条件が整うとすばらしい波が立った。ただし、条件が整うことは滅多になかった。宝くじに当たるよりは確率が高いことはまちがいなかったが。その日も膝クラスのしょぼくれた波ばかりが七里ガ浜の浜を洗っていた。

「きょうはあきらめろ。待ってもいい波はこない」

すぐうしろから嗄れてドスのきいた声がした。珊瑚礁のアロハ髭デブおやじだった。

「それにこんなチャラチャラした板は七里の波に合わない。稲村ジェーンにもな」
「そういうもんかなあ」
「そういうもんだ。おまえは波乗りを始めて何年になるんだ? 2年か? 3年か?」
「3年半」
「そうか。ということはヨチヨチ歩きの時代は終了したんだな? そろそろ、本物の板に乗る時期だ」
「本物の板ってどんなのだよ」
「ロングボード。9フィート7インチ」
「化けもんじゃんかよ」
「そうだ。稲村の化け物クラスの波を乗りこなすにはこっちも化け物を用意しないとな」
「なるほど」
「おまえが波乗りをやる目的はなんだ?」
「おもしろい。気持ちいい。ほかにあるのかよ。波乗りやる理由が」
「大事なのは目的だ。目的と行動。これが人間を作りあげる。目標目的が明確でなければえられる結果はゴミ同然だ」
「哲学だな」
「哲学じゃない。知恵だ。知恵と経験。そして目的。わかるな?」
「うん」
「いい子だ。褒美におれの板をやる。9フィート7インチのロングボードを。伝説のボード・シェイパー、トパンガ・ケイヨンロードの渾身の傑作ボードを」
「冗談だよな?」
「おれは冗談とマッポと腐った牛乳が大きらいだ」
「奇跡だ」
「奇跡なんかじゃない。事実だ。そして、好意」
「おれのことが好きってこと?」
「まあな。早い話がそういうことだ。おまえは筋がいい。人間の筋が。人生を生きることの筋が」
「なんだか、ちょっとうれしいな」
「そして、次の稲村ジェーン、伝説の水曜日の大波に乗れるやつがいるとすればおまえだと思うからだ」
「稲村ジェーン。伝説の水曜日の大波」
「そうだ。だから、今から本物のサーフボードで本物の波に乗る訓練をしておくんだ」
「オーケイ。本物のサーフボードで本物の波に乗るんだな。わかった。熱いぜ、おやじ」
「ついでと言っちゃあなんだが、七里ガ浜甘夏納豆売りをしてきてくれ」
「なんだよ! バーターだったのかよ!」
「ただで手に入るものにロクなものはない。おぼえとけ」

私は渋々重さが10キロ近くもある青いクーラーボックスを肩からぶら下げてビーチを歩きはじめた。クーラーボックスの中身はアロハ髭デブおやじ特製のアイスキャンディーだ。パイナップル味とマンゴー味とレモン味とミント味とライム味。「七里ガ浜甘夏納豆売り」は稲村ヶ崎から七里ガ浜の果てまでを5回往復する。

「アイスキャンディーいかがっすかー。パイナップル味とマンゴー味とレモン味とミント味とライム味とマンコ味とチンコ味のアイスキャンディーいかがっすかー。七里ガ浜甘夏納豆売り特製のアイスキャンディーはいかがっすかー。七里ガ浜ロコのロコモーティヴなアイスキャンディーはいかがっすかー」

肩に食い込むクーラーボックスのベルトは痛いし、砂に足が取られて歩きにくいし、真夏の果実が一瞬にして蒸発してしまうくらい太陽は情け容赦もなく熱いし、喉は乾くし、なんの脈絡もなく慶応ガールが達するときの喘ぎ声が頭の中で繰り返し聴こえて激しく勃起するしで、その日の「七里ガ浜甘夏納豆売り」は実に散々だった。

稲村ヶ崎から七里ガ浜の果てまでを5往復して売れたアイスキャンディーはミント味とライム味が3本ずつ。「マンコ味とチンコ味のくれ」と言ってきた唐獅子牡丹の刺青をみせびらかすチンピラには鳩尾に膝蹴りを入れてやった。唐獅子牡丹野郎と一緒にいた腐ったキャベツのような珍妙きわまりもない線彫りの刺青を右の太ももに入れた痩せっぽちはひと睨みで5メートルくらい吹っ飛んだ。二人とも、以後はまっとうな社会的適合者になったはずだ。特に唐獅子牡丹野郎は生涯に渡って鳩尾に痛みを感じつづけ、唐獅子牡丹に別れを告げてから満願寺唐辛子売りとして浅草あたりの露天商組合の古株として生きていることが予想された。

ワルはおれにまかせときゃいいだよ、チンピラくん。まったくどこまでも世界はバカバカしさと徒労と腰のすわらない愚か者で出来あがっているものだと強く思われた。10キロ近くもある青いクーラーボックスを肩からぶら下げて。夏の陽に灼きつくされながら。

仲間内ではいつからか、誰いうともなくこの「苦行」「拷問」「磔刑」を「七里ガ浜甘夏納豆売り」と呼んでいた。イエスだってブッダだって孔子先生だってこの苦行には根を上げたはずだ。それくらいきつかった。夏も太陽も海も冥王星の周回軌道の外まで蹴り飛ばしてしまいたかった。The End of The Worldが来たってかまわないとすら思った。「Why does my heart go on beating? Why do these eyes of mine cry?」と口に出すと、少しだけ楽になった。肩に食い込むアイスキャンディーの重さはちっとも変わらなかったが。それが世界を成り立たせている「仕組み」の一端だ。

無性に高中正義の『伊豆甘夏納豆売り』を聴きながらキンキンに冷えた7UPを飲み、甘夏味のかき氷が食べたかった。だがそれは、「七里ガ浜甘夏納豆売り」をしているときには、ブラジリアの空からスモッグが消えて、「ブラジルの青い空」が見えることを望むくらい馬鹿げていた。実際、あの頃、七里ガ浜周辺で日々起こっていたことどもはどれもこれもどうしようもなく、救いがたいほどに馬鹿げていたが、そのことに気づいていたのは私とアロハ髭デブおやじだけだった。


伊豆甘夏納豆売り/高中正義

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# by enzo_morinari | 2018-06-27 22:07 | 幾千億の朝、幾千億の波 | Trackback | Comments(0)

ペーパーバック・トラベラー#4 1983年夏のクラクション

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曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配をさぐる日々。かつて、 われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。


1983年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、ビーチサイドFMにセットしていたカー・ラジオから稲垣潤一の『夏のクラクション』が聴こえてきた。進行方向左手に2階建ての白い洋館が見えた。渚ホテルだった。右手にはきらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動。そうすることがあらかじめ決められていたようにクルマを停めた。そして、渚ホテルのペーブメントでUターンした。怪訝な表情を浮かべるベルボーイをバックミラー越しに見ながら、再び134号線に出て七里ガ浜駐車場をめざした。

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力を失いはじめた夏の終りの太陽を反射してコマ落しで輝く凪いだ逗子の海を左手に見ながらカルマンギヤ type14を走らせる。

20歳の誕生日。5歳年上のガールフレンドはGloverallのネイビー・ブルーのダッフルコートとBarneys New Yorkのタイクーン・カシミアのマフラーとNORTH FACEのペッカリー革の手袋をプレゼントしてくれた。そして、イグニッション・キーを私のブレザーコートの胸ポケットに滑りこませた。パウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ type14。彼女の愛車だ。彼女のいたずらっ子のような表情がよみがえる。

「えっ?」
「いいの。わたしの家はおカネの置き場所に困るくらいの金持ちだから。兄貴からちょっとゴキゲンなクルマをお下がりでもらっちゃったし。ね? だから、気にするのはちょっとだけにして。そのかわり、助手席にはわたし以外女の子を座らせちゃダメよ。わかった?」
「...うん。わかった」
「それと、名義変更の書類は全部そろってるからね。名義変更その他の費用分の印紙も。グローブ・ボックスに入ってる。あとはあなたが印鑑証明と車庫証明をとって陸運局に行くだけ。一緒に行ってあげるけど」
「ありがとう」

ガールフレンドは鼻にかわいらしい皺を7本寄せ、「セーフティー・ファーストでお願いしますわよ、カミカゼ・ドライバーさん。ナビゲーションはおまかせあれね」とおどけて言った。いまから思えば、彼女のおどけ方は『Driving Miss Daisy 』に出ていたジェシカ・タンディが演じる主人公のMiss Daisyみたいだったが、『Driving Miss Daisy 』が公開されるのはそのときから11年後だ。

アクセルペダルをゆっくりと踏みこむ。RUFチューンのポルシェ356のエンジンとギアボックスに換装されたカルマンギヤ type14は腰の座ったレスポンスを示す。アクセル開度に敏感に反応するウェーバーのキャブレターの甲高い吸気音が小気味いい。

走行性能にかかわるフレームとパワーユニットと制動系と駆動系以外、エクステリアとインテリアをすべて未使用の純正部品でレストレーションされたカルマンギヤ type14は1955年当時と変わらないコンディションを保っている。走りの性能については少なく見積もっても当時の倍以上だった。まさに、モンスター・カルマンギヤだ。

景色が少しだけ速く流れはじめる。来たときとは道も風も陽射しも潮のにおいもちがって感じられた。走りなれた道はいつもより滑らかで、風はビロードで撫でられているみたいに心地よかった。陽射しはビル・エバンスがおどけて弾く『South of the Border』みたいに軽快で健やかで、潮のにおいはわずかにSEX WAXの甘いにおいを含んでいて、細胞のひとつひとつに沁みわたった。

ウィンドウを全開にし、エアコンを切り、ヴォリュームを上げる。それは1983年の夏に別れを告げるために必要な儀式のように思えた。5年のあいだずっとガールフレンドの指定席だった助手席は空っぽだった。ナビーゲーター不在。途方もない欠落と欠如と喪失と空虚が襲いかかってくる。車の中には彼女がつけていたフレグランス、Eau de Givenchyの残り香 ──。

彼女は逗子海岸から小坪トンネルを抜けて材木座海岸につづくカーブが好きだった。いつつの夏がすぎた海沿いのカーブ。小坪トンネルを抜けて視界に材木座海岸が広がると彼女はいつも歓声をあげた。Eau de Givenchyの香りがする無邪気な彼女が好きだった。

完璧なレストレーションとメンテナンスが施された白いシルビアCSP311。すぐ上のお兄さんから譲りうけた彼女の愛車だ。1回やや短く。2回短く。インターバルは正確に0.35秒。それが彼女のクラクションの鳴らし方だった。いつでもどこでもだ。

雨の日も風の日も雪の日もピーカンの日も台風が来ている日も雷の夜も寒いから2人でいるときも心さびしいときも。湘南でも伊豆でも苗場でも志賀高原でも第3京浜でも東名高速でも中央高速でも首都高でも山下公園通りでも元町でも本牧でも青山通りでも神宮外苑でも渋谷のパルコ前の公園通りでも内堀通りでも外堀通りでも晴海通りでも銀座でも。

ガールフレンドはTime Keepの天才だった。彼女に心拍数を計測されたことは142回。彼女は趣味をたずねられると即座に「時間と宇宙森羅万象を計測すること」と答えた。「君の瞳に乾杯」と言うと「わたしの瞳の直径はわかってるの? 睫毛の長さは? 眉毛の太さは?」とたたみかけてくる。セックスの回数と持続時間と射精した精液の量はすべてパウダー・ブルーのコノリー革の手帳に記録されていた。

ガールフレンドは毎日欠かすことなくジョギングがわりに素数の階段を昇り降りした。週に1回は複素数の螺旋階段も。月に1度は虚数の鏡の前でヒンドゥー・スクワットを42回1セットを30セット。ガールフレンドの体脂肪率はひと桁だ。

素数の階段を頂上まで登りきり、最後は転げ落ちる夢を1日おきに見ると鳩尾にアッパーカットを叩きこまれたシーズーのような表情をして言った。好きな言葉はふたつ。Festina LenteとAs time goes by/「悠々として急げ」と「時の過ぎゆくままに」だ。彼女は世界中のすべての命数法と数詞を諳誦できた。「宇宙森羅万象の究極の答えは42よ」というのは彼女の口ぐせだ。ガールフレンドが『時をかける少女』の話を始めると必ず日付がかわるまでつづいた。

「ヨシヤマカズコは足がおそい。鈍足もいいとこよ。あんなんじゃ時間とかけっこできない。アインシュタインについても言いたいことはいっぱいあるけど、きょうのところはやめとくわ。時間がないから。本来、ないはずの時間に追いかけられるなんてバカバカしいにもほどがあるけど、ないからこそ追いかけられるのよ。そんなわけで、わたしは生まれてからずっと忙しい」

遠い日の冬の夜、「世界が孕むある種のやさしさ」についてガールフレンドが話していたことを思いだす。

銀座線の車内で外国人観光客とうちとけたホームレスとおぼしき老人が、彼らとの記念撮影を求められたときに寂しそうな笑いを浮かべながら野球帽で顔を隠す場面に彼女は遭遇する。

ガールフレンドは思う。「老人が顔を隠した事情についてその日出るはずだった月のように世界にやさしさが満ちていればいい」と。

思い出し、涙がはらはらといくらでも出た。聴いていたキース・ジャレットの『My Wild Ilish Rose』のせいでもないし、回収できなかった「すっかり冷えきった爪先」のせいでもないし、「森のひと」と30年早く出会えていたらと考えていたからでもない。涙の理由らしい理由がみつからないので、今日のところは「世界の共同主観的存在構造」のせいであるということにしておこうと思う。

世界はユークリッド幾何学かつリーマン幾何学平面上にあるニュートン力学が支配する空間にいくぶんかの混沌が織りこまれたユークリッド幾何学並びにリーマン幾何学またはニュートン力学によって大方の説明がつく非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙でできあがっているが、きっといつの日か「お住まいは?」と尋ねられて「非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」と大手を振って答えたいとガールフレンドは真顔で言ったことがある。そのときは、彼女の言っていることの意味はわからなかったし、いまもわからないが、ユークリッド幾何学とリーマン幾何学とニュートン力学について勉強するきっかけになった。かくして、私は現在、非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙に生きている。

1983年の夏を境にガールフレンドの白いシルビアCSP311をバックミラー越しに見ることもインターバル0.35秒のクラクションを聴くことも心拍数を計測されることも『時をかける少女』の話とアインシュタインの舌に生えた苔の話を聴くこともなくなった。以来、今日まで、間延びしてひどくのっぺりとした時間がすぎている。いくらFluctuat nec mergitur, Festina Lente, As time goes byとつぶやいても、1回に65刹那が詰まっているFinger SnapとTut-Tutをセットにして1日中やっても七里ガ浜駐車場レフト・サイドで強い南風に吹かれても事態はなにひとつ変わらなかった。変わらないどころか、悪くなるいっぽうのようにも思える。

「あなたは平気で傷口に塩を擦りこむのね。それだけじゃなくて反律のナイフでさらに傷口を広げて、その傷口に牛喰いが飲むような強いジンを1時間あたり842cc流しこむ」

ガールフレンドはそう言って、大きな瞳から大きな涙をひと粒だけこぼした。あの大きな涙の粒は1時間あたりどれくらいの量が流れたんだろうか? 彼女は自分の流した涙ひと粒の量の平均値と総量を把握できていたんだろうか? 涙の理由と涙の平均値と総量はともあれ、別れに涙はつきものだ。特別なことではない。

ガールフレンドの涙のゆくえを最後まで見届けなかったことを後悔しているとき、クラクションが聴こえた。1回やや短く。2回短く。インターバル0.35秒。彼女のクラクションだ。しかし、バックミラーを見ても周囲を見まわしても彼女の白いシルビアCSP311はない。クラクションは前後左右のいずれでもなく、上から聴こえた。それも近くではなくて、はるか彼方の天空から。あらぬ彼方から。遠くで弾けた泡みたいな音で。クラクションの背後には無限大の太鼓の通奏低音。ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン......

気のせいか? それともただの空耳? 夏の終りの134号線を走っているのに、寒くて暗い宇宙にただ1人取り残されているような気分だった。稲垣潤一が「夏のクラクション Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart/夏のクラクション 風に消されてもう聴こえない Leave Me Alone, So Lonely Summer Days... 」と歌っていた。驚いたことに、ビーチサイドFMは『夏のクラクション』を3回立てつづけにかけた。風の歌はちっとも聴こえないし、風向きはまったく変わらないし、風は答えらしいことをなにひとつ孕んでいない。どうかしてる。本当に世界はどうかしてる......。

ガールフレンドの涙の理由もわからず、彼女の涙のゆくえを見届けることも回収することもないまま35年の歳月が流れ、そのあいだに数えきれぬほどの秋やら冬やら春やら夏やらがすぎていった。3年目で数えるのはやめた。たぶん、35年のあいだに季節は4242回くらい通りすぎていったのではないかと思う。芽吹き、花開き、実を結んだプルメリアは420を超えているはずだ。420のプルメリアの中には伝説になったものもあるかもしれない。「赤いスイートピーの化身であるプルメリアは小麦色のマーメイドになり、風の使者に恋をした彼女が流した涙は太平洋に流れこんだ。裸足の季節になると白いパラソルを抱えて青い珊瑚礁を駈けぬけるダイアモンドの瞳を持つ彼女のことを思いだす。彼女の甘い記憶は渚のバルコニーの蒼いフォトグラフ・ルームに残っている」という伝説に。

多くの人々と出会い、多くの友だちができ、少しの友だちが残った。神風タクシーのドライバーをはじめて2年めの冬にはネズミ交通チューズ・チーズ地区の選TAXIの竹野内枝分運転手と首都高中央環状線でカーチョイスをやって死にかけたり、カスミガセキシロアリ交通のペルーの元反政府ゲリラの役所コージーと赤坂見附のコージーコーナーのコーナーをどちらがコージー冨田らしく抜けられるかをジャンボ・シュークリーム42個と古事記の原本と松尾嘉代の赤い腰巻きを賭けて古式ゆかしくコジキ競争したり、風の歌と羊博士と世界の終りとクレタとマルタと208と209を探す旅の途中で何度も不思議な経験をしたり、ムネーモシュネーに記憶術を伝授したり、World Order Foundationに監視されたり、謎の組織のメンバーに尾行されたり、ハレ・クリシュナの熱心な信者ともつ焼き屋で飲んだくれたり、クリシュナ意識国際協会日本支部にハレー彗星を直撃させたり、浅草の新門辰五郎に目の敵にされたり、薔薇十字団とイルミナティとフリーメーソンと少年探偵団の争いを仲裁したり、年老いたバーニーズ・マウンテンドッグに言い寄られたり、光の速度を42回超えたり、宇宙の果ての向こう側を見たり、エヴェレットの多世界解釈を実体験したり、重力場を作りだす技術によって「量子異常による対称性の破れ」の研究を飛躍的に発展させたり、その過程でヒッグス粒子とグラヴィトンを発見したり、ディラックの海の青いほとりでナポレオン狂のナポレオン・フィッシュと権平狸好きのゴンベッサ・コンテッサのキメラを釣り上げたり、瞬時にイースター・エッグ/隠しコマンドを見つけだす裏ワザを開発したり、三社祭の宮入りで一之宮から丸金の若衆を引きずり下ろしたあとで鳳凰の尾羽を3本毟りとったり、富岡八幡宮の千貫御輿に押しつぶされそうになったり、非破壊検査のために烏骨鶏の卵の上で三点倒立したり、ジョン・タイターにAPPLE Lisa 4200をプレゼントした。そして、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学んだ。酒について学んだのは「酒を飲むと酔う」ことと「酒は飲んでも飲まれてはならない」ことと「酒は売るもの。飲ませるもの」ということのみっつだ。

どれほど酒を飲んでも、たとえJ's Barの床一面を厚さ5cmのピーナッツの殻で覆いつくし、25mプール1杯分のビールを飲みほしても、若芽の芽吹きの少ないさびしいキタコブシの林で、長いあいだぶら下がったままだれにも気づかれずに時折吹く風に揺れている若い女を回収することはできないし、どこにも行けないし、約束の地にはたどりつけないし、失われた時間を取りもどすことはできない。それが1986年4月26日1時23分(UTC+3)時点において得た結論だった。
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ガールフレンドは幼稚舎から大学/大学院まで慶応だった。大学院で量子力学と100万年時計の研究をしていた。博士論文は『チェシャ猫とシュレディンガー・キャットと箱猫は美しい友情を結べるか?』『現在/過去/未来の意味をわかっていない渡辺真知子は迷宮のクリームリンスに迷う』の2本だ。

正真正銘のお嬢様。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。

勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。まちがっても、大酒にまみれても「鼻息」などという言葉を口にしなかった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。

ガールフレンドの自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。

ガールフレンドの家には何度か行ったが、いつも居心地が悪かった。彼女の父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」と彼女はこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。

ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前に彼女は息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。

「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる」

そして、私はガールフレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。ガールフレンドの言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。

青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらL.L.のアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。

『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんなふうにものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったが。

『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私には新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。

山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんなふうにして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)

さて、ガールフレンドとの最後のやりとりだ。

「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの」
「わかってるよ」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん」
「ごめんね」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ」
「でも ── 」
「デモもストライキもない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、セブンイレブンのレジ横に山積みしてあるような話だ」

言ったあと、3サイズと1/2大きいレイバンのサングラスがあればいいのにと心底思った。この店には新しい恋人と来ないだけじゃない。だれとも来ない。真夏の葉山でも一色海岸でも森戸海岸でも逗子海岸でも材木座海岸でも稲村ヶ崎でも七里ガ浜でも江ノ島でも茅ヶ崎でも会いたくない。写真はきれいさっぱり捨てる。電話番号はこの場で忘れる。そう言いたかった。本当の気持ちとは裏腹に。でも、言えなかった。どうしても言えなかったんだ。歯を食いしばったり、拳を握りしめたり、眉間にしわを寄せたり、顔をしかめたり、目をきつく閉じたり、深呼吸したり、街の雑踏に耳をすましたり、「大化の改新、虫5匹」とつぶやいたり、因数分解を暗算で解いたり、原子周期表を諳んじたり、『方丈記』と『草枕』と『堕落論』を暗唱したけど言えなかった。『My Foolish Heart』のリフの一節を口笛で吹くのが精一杯だった。気まぐれなんかじゃない。朝には消えてしまうひと夜の夢でもない。愚かなりわが心......

この一件以来、正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。

そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。2000tの雨に打たれながら悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000tくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。2000tの雨もいつかやみ、空を見上げて雨の気配をさぐる日々が来るのだということも。

なにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。

いまではトップスのカレーもチョコレート・ケーキも食べない。彼女もそうだといい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかっているが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたダッフル・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。

その後、彼女からは1度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字がにじんでいた。にじんでいたのは雨のせいだけではない。手紙の最後には私のことを思い出した回数の合計と年平均数が記されていた。ちょっとうれしかった。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。

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あした晴れて、いい風が吹いたら、134号線をドライブしよう。窓を開け放し、たっぷり風に吹かれよう。封印していた『夏のクラクション』を繰り返し聴こう。そして、「1983年の夏」を終わらせよう。35年ぶりの『夏のクラクション』はどんなふうに聴こえるかな。「1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒」だったら少しうれしいんだけどな。

小坪トンネルを抜け、カーブが終わって材木座海岸が見えたら2018年夏の湘南の海に気持ちのいい挨拶をしよう。稲村ジェーンにはそっとウィンクしよう。物の怪のようなオニユリが群生して濃密な甘い香りが立ちこめる稲村ガ崎の突端の断崖から由比ガ浜を見下ろすというのもわるくない。

強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場のレフト・サイドで波を見よう。世界中の名もなき波乗り野郎たちのために、ときどき、いいオフショアが吹けばいい。セブンイレブンでビールと白ワインとブロック・アイスを買って2018年夏のウェルカム・パーティをやろう。珊瑚礁でピッチャー・サイズのジョッキをひとつ借りてブロック・アイスを全部ぶちこみ、白ワインでみたそう。

やがて、ずっと遠くで夏のクラクションが鳴り、僕らの夏は終りを告げる。そのとき、35年を経て1983年の夏も終りを告げる。そして、2018年の夏がはじまる。

この夏はどんなクラクションが聴けるかな。あの頃のように聴こえたらいい。1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒で。風の歌なんか聴こえなくてもいいから、風向きなんか変わらなくてもいいから、風の中に答えなんかなくてもいいから、いい風の吹くいい夏になればいい。もちろん、彼女にも。『ぼくのなつやすみ』のラストシーン、青い空に向けて飛翔するロケットに涙するすべてのひとにも。ついでに、これを読んでいるあなたにもね。

ハクション! ん? だれか噂しているのか? 134号線のロング・ドライブに連れていけって? わるいけどほかをあたってくれ。この広い世界には歯の浮くような甘言を耳元で囁いてくれるタラ師コマ師サオ師がゴマンといるから。合言葉は「1回速く短く。2回強く長く。3回奥まで」だからね。気がすむまで、真夏の果実が熟れすぎてトロトロになるまで、そして、ギラギラ太陽が黄色く見えるまで、いっぱいイッてね。イキまくってね。(はあと)

ハークション! 夏でもないのに夏風邪ひいたか? 夏風邪の先どりか? HACで龍角散ダイレクト・スティックミント買ってこよう。稲垣潤一が「Baby もう一度 オナラしてくれ あの日のようにイカせてくれ」って歌ってる。とんだところで空耳アワーだ。したのはオナラじゃなくてクシャミだけどね。ついでだから、1発カマしとこ。orz〜「イカせてくれ」なんて、そんなあ...イヤラスィィィィツ・ハート! 夏のハークション! ハクション! ハクション! 1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒で。やっぱり、夏風邪を先どりしたみたいだ。


海沿いのカーブを君の白いクーペ 曲がれば夏も終わる…

夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart

夏のクラクション
あの日のように聴かせてくれ 跡切れた夢を揺り起すように

夏のクラクション
風に消されて もう聴こえない
Leave Me Alone, So Lonely Summer Days...



夏のクラクション/稲垣潤一

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やがてクラクションが鳴り、夏が過ぎて、ひんやりとした秋の風空っぽのコパトーンのボトルの転がっている海辺ペーブメント・ローズの植え込みプラタナスの枯葉舞う街路賑わう大通り避暑地のあかりシャッターの下りた店の角や消された静かな駅の伝言板や陽よけやデッキチェアや夢の痕跡一緒に帰れなかった二人かなしい恋をうらむ女の子いつまでもバカな娘でいたかったOLシーズンオフの心の中を吹きぬけても、いつかまたどこかで夏のクラクションは鳴り、僕らの夏はやってくる。そう。きっとまた、いつかどこかで。(シーズンオフの心には)

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# by enzo_morinari | 2018-06-25 03:18 | Paperback Traveler | Trackback | Comments(2)

皇帝のいない7月の小学校の校庭の隅っこの砂場夕暮れとポルコロッソ・オヴィディウス

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小学生の頃、よく砂場で遊んだ。50年近くも前のことだ。砂場はこどもの王国だった。砂場仲間の一人がポルコロッソだった。ポルコロッソは小学校3年の夏の初めに大阪から引っ越してきた。痩せっぽちで臆病で泣き虫だったが、砂地に鉄腕アトムや鉄人28号やエイトマンやウルトラマンや少年ジェッターやオバQを巧みに描いてみせる砂場の王でもあった。みんなポルコロッソが大好きだった。

だれかが「腹へった」と言うと、つられて全員が空腹を訴えはじめる。すると、ポルコロッソが「ちょっとだけ待っとってな」と言って駆けだす。新聞紙の包みを小脇に抱え、息を切らして戻ってくるポルコロッソをわれわれは歓声とともに迎える。新聞紙の中身が「お好み焼き」とわかっているからだ。ポルコロッソの家はお好み焼き屋だったのだ。具はキャベツとネギだけで、おまけに包んでいた新聞紙のインクの匂いがしたが、どんな御馳走よりもうまかった。指先についた甘辛いソース。夢中でなめた。一番大きなのを手に入れようと血眼になり、わずかばかりの大きさのちがいが原因で取っ組み合いのケンカさえした。

下校時刻。拡声器から『ダニーボーイ』が流れだすと、われわれはしぶしぶ帰り支度をはじめる。鬼瓦のような御面相の教頭先生が見まわりにやってくるからだ。そのような日々が永遠につづくものと思っていたが、まちがいだった。ポルコロッソが転校したのだ。

別れの朝、黒板の前に立ちつくすポルコロッソは拳をきつく握りしめ、歯を食いしばり、大粒の涙をいくつもこぼした。そして、声をあげて泣いた。ポルコロッソは最後の最後まで泣き虫のままだったが、その小さな肩で途方もなく重いものを背負いこんでいるように見えた。

教室の窓からポルコロッソを見送った。ポルコロッソは砂場に行きかけ、立ち止まり、思い直したようにまっすぐ校門に向かった。ポルコロッソはみるみる小さくなり、やがて春の雨の中にかすんで消えた。

2000年の夏の盛り。小学校の閉校式典のとき、同級生たちと再会した。何人かにポルコロッソのことを言ってもおぼえていなかった。いくつもの季節を経て、砂場遊びとお好み焼き争奪戦と夕焼けに心ふるわせた日々は跡形もなく消え失せていた。初夏の風に音を立てて揺れていた麦畑もいつかは色あせ、あとにはマンションや工場やファミレスやコンビニが建ちならんでしまうのだ。

式典が終わり、校庭の隅っこの砂場に向かった。砂場の横の貯水槽のへりに寄りかかった。足下の小石を蹴り、煙草を1本だけ吸った。砂場には入らなかった。砂場に足を踏み入れれば、かけがえのないなにごとかが失われ、壊れてしまうように思えたからだ。

時間はゆっくりと流れた。そして、校庭の隅っこの砂場に夕闇が迫ってきた。眼を閉じても、耳を澄ましても、いくら待ちつづけても『ダニーボーイ』は聴こえてこなかったが、ポルコロッソのお好み焼きのソースとインクの混じった匂いが宝石のような日々とともによみがえった。

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夕焼け小焼け
故郷の空/NHK東京放送児童合唱団
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-24 18:26 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

パリ北駅発、現象。バラ色の人生。

 
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パリ北駅4番線ホームにおける知覚の現象学的手法

遠い異国から来た若者はすでに列車の中だ。遠い異国から来た若者は生涯最高にして最悪の旅に出ようとしている。遡ること数時間前。わが要塞、わが知の胎内。わが知覚の現象学的手法が誕生する場。

朝、いつものように眠られぬ夜をやりすごし、ベッドから抜けだすと遠い異国から来た若者が居間の中央に正座し、神妙な面持ちで吾輩を待っていた。

「おはよう。どうした? こわい顔して」
「お暇乞いを申し上げにまいりました」
「死ぬのか?」
「死にゃしません」
「なんだ。つまらない」
「わたしが死ぬとおもしろいですか!」
「うん」
「ひどい!」
「うん。吾輩がひどいのは有名だ」
「鬼ですね!」
「うれしいことを言ってくれるじゃねえか。あと1、2週間いろよ。アゴアシは面倒みるから」
「もうなにがなんだかわけがわかりません!」
「またまたうれしいな。わけがわかることくらい面白くないことはないからな」
「しばらく放浪することにしました」
「ほう。そりゃまたなんで?」
「あなたの、いえ、先生の背中すら見えない自分が情けないからです」
「なるほど。いい心がけだ」
「ありがとうございます。あの夜、ラ・セーヌを行ったり来たりしているとき、ほんの少し見えかけたんですけど…。すぐに見えなくなっちゃいました」
「ほうほう。ほんの少し見えかけた吾輩の背中はどんなだった?」
「血煙が上がってました」

吾輩は言いかけた言葉を飲みこんだ。血煙か。なつかしい言葉だ。思えば吾輩自身が血煙を上げている人物を探し求める人生を生きてきた。

小学生のときに靖国神社ですれちがった三島由紀夫は青白い炎のような血煙を上げていた。その数日後、三島由紀夫は自裁した。小林秀雄も埴谷雄高も吉本隆明も江藤淳も高橋和己も大江健三郎も五木寛之も吉行淳之介先生も松本治一郎も高山登久郎もビートたけしも中上健次も阿部薫も鴨志田穣も田中角栄もマレーネ・ディートリッヒもベニー・グッドマンもマイルス・デイヴィスもジョン・コルトレーンもエリック・ドルフィーもアルバート・アイラーもローランド・カークもミシェル・ペトルチアーニもウラジミール・アシュケナージもムスティスラフ・ロストロポーヴィチもスティーヴ・ジョブズも高倉健も鶴田浩二も市川崑も長谷川和彦も森田芳光もやしきたかじんも泉谷しげるも忌野清志郎も桑田佳祐も渡辺香津美も吉田美奈子もベルナール・ロワゾーもアイルトン・セナもミケーレ・アルボレートも古今亭志ん朝も野村秋介先生も、そして開高健先生も血煙を上げていた。それぞれ色や形や強さはちがったが血煙を上げていた。自分も血煙を上げる人間になりたいと思った。

村上春樹? 血煙ではないが暖かそうな暖炉の炎のようなものはある。たまに暖を取るのにはちょうどいいだろう。村上龍? 血煙も炎も出ていない。マッチの軸ほどもだ。あとはひと山いくらだろう。

「たばこを切らしちまった。建物を出て左の並びにタバー屋があるから買ってきてくれないか?」
「銘柄はなにがよろしいんでしょうか?」
「ピースのアロマ・ロワイアル」
「それはさすがに売っていないんじゃないでしょうか」
「そういうもんか。ではジタンとゴロワーズを1カートンずつ。ほれ、おカネ」
「いえ、それはわたしが。置き土産がわりです」
「すまんね」
「とんでもございません」

遠い異国から来た若者は風のように駆け出した。虹子を呼ぶ。

「はい?」
「いまキャッシュの手持ちは全部でいくらある?」
「ちょっと待ってくださいね」

虹子戻る。

「おねいちゃんたちからもかき集めてきてくれ」
「はいはーい」

全部で2万ユーロちょっと。

「いまユーロはいくらだ?」
「円でですか? それともドルで?」
「両方」

虹子ネットで調べる。

「吾輩の書斎に青いヒポポタマスの置物があるのは知ってるか?」
「はい。ガビーさんですね」
「やつをここへ。それとフランク・ミューラーも」
「あなたあれは ──」
「いいからここへ」

「若者!」
「はい!」
「荒野をめざせ」
「古い…」
「いいから最後まで黙って聴いてろ。必ず泣かしてやるから」
「泣きません! もう涙は枯れ果てました。泣きすぎて」
「重要なのはカタルシスだ」
「肝に銘じます」
「けっこうけっこう。では、つづける。どこまでいったっけ?」
「五木寛之のパクリのところまで」
「ああ、うん。青年が荒野をめざすところまでだな。よしよし。で、だ」
「はい」
「苦しみつつなおも働け。安住を求めるな。この世は巡礼である」
「はい」
「そして、漂っても沈むな。悠々として急げ。わかるな?」

若造をみる。案の定泣いていやがる。

「な? やっぱり泣かせただろう?」
「ずるいや!」
「ずるかろうがずるくなかろうが泣かせるのが吾輩の仕事だ」
「どんな仕事だよ」
「こんな仕事だ。泣かせ屋。ひとは吾輩のことを泣かせ屋一代と呼ぶ」
「またわけがわからなくなってきた…」
「けっこうけっこう」

発車時刻が迫っていた。遠い異国から来た若者も落ち着きがない。虹子が「あなた、これ」と言ってラデュレの袋をよこす。打ち合わせどおりだ。

「若者」
「はい」
「虹子ちゃん特製のお弁当とラデュレのマカロン・パリジャンだ。食べなさい」
「ありがとうございます!」
「それとこれを記念にあげよう」

フランク・ミュラーのカサブランカを渡す。

「先生! こんな高価なものをいただくわけには ──」
「吾輩はフランク・ミュラーは好みではないんでね。吾輩の愛する時計はパテック・フィリップとブレゲとバセロン・コンスタンタンのみっつのみ! ほかの有象無象は吾輩にとってはひと山いくらのケイチャン売りのゴミ時計とおなじだ」
「では遠慮なくいただきます!」
「うん。けっこうけっこう。腕時計なら置き場所には困るまい。いざというときに売れば旅費と当面のめし代くらいにはなるはずだ」
「なにからなにまで…」
「泣くなよ。笑とけ笑とけ。ここから先に流す涙はすべてガラス玉と認定する!」
「わかりました!」
「それとな。さっきのラデュレの袋の中にも置き場所に困らないちょいとしたものを入れておいた」
「なんですか! にやにやして! なにが入ってるんですか!」
「ソバージュ・ネコメガエルのエクリを旅のお供にと思ってね」
「ええええええええええ! カエルは苦手だって言ったじゃないっすか!」
「三島由紀夫は蟹が苦手で大きくなったんだ。苦手な蟹を克服せんとする過程で『金閣寺』も『仮面の告白』も、そして『豊饒の海』も生まれたのだ。カエルだって似たようなものだろう」
「蟹は食べますけどカエルは食べません!」
「食用蛙があるがね」
「あ。そうか」
「弁当を食うときにでもたしかめなさい。弁当は誰の眼もないところでこっそり食べるようにな。ちょっとヤバめのブツが入ってるんでな」
「もう! いいかげんにしてください!」
「うへへへへ」

発車を報せるベルがけたたましく鳴る。

「まあ、冗談はさておき、達者でな。漂えど沈まず、悠々として急ぎたまえ」
「はい! ありがとうございます! なんとお礼を ──」
「みなまで言うな。いや、なにも言わなくていい。マットンヤ・ユミーンの歌にもあるだろうが。ヴィトゲンシュタイン先生は語りつくせぬことについては沈黙せよと言っている」
「わかりました」
「いいか、若者。忘れるなよ。漂えど沈まず、悠々として急げだぞ。いいな?」
「はい!」
「スワヒリ語で言ってみろ」
「無理です」
「ではトレーン語とヴォラピュク語とエウスカレで」
「無理です」
「まったく無知者には困ったものだ。ラテン語で言ってみろ」
「えーと、えーと。思い出した! Fluctuat nec mergitur, Festina Lente! だ!」
「でかした! さあ、とっとと行きやがれ! さらば友よ。二度と来るな!」
「何度でも襲撃します。何度でも」

列車が動き出す。数十秒後、窓があき、遠い異国から来た若者が吾輩のくれてやったラデュレの袋をかざしてなにか叫んでいる。その眼からはじゃぶじゃぶと音を立てて涙がこぼれている。

さらば、友よ。荒野をめざし、いい旅を。再度言う。漂えど沈まず、悠々として急げ。そして、一日の花を摘め。なにがどうあれ、人生はバラ色だ。


パリ北駅発、現象。バラ色の人生。かくして、人生の日々はつづく。

La Vie en Rose - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf

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(補遺)
パリの空の下のバラ色の人生 ── ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」したあとハシゴ酒する。
 
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ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」する。
遠い異国から客人が遥々やってきた。バツイチになったばかりだというその人物はインターネット黎明期に吾輩が出没していたあるチャット・ルームの常連で、当時は大学生だった。吾輩の幻惑衒学のエクリチュール・クワルテットによってコテンパンにされていたうちの一人である。

「酒は飲めるのかね?」
「はい」
「かなり飲めるのかね?」
「はい」
「ものすごく飲めるのかね?」
「はい」
「では、君の瞳に乾杯だ」

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安酒がやけにどてっ腹にしみる夜だった。
「だれにだって触れられたくない疵のひとつやふたつはある」と吾輩は言い、カルヴァドスの杯をあけた。そして、隣りにいる遠い異国から来た若者をみた。若者はうつむき、大粒の涙をぽたぽた床に落としている。

「なんの涙だね?」
「言いたくありません」
「言いたくなくても言うんだ」
「言わないとだめですか?」
「言わないとだめだ。それが掟である」
「なんの掟ですか!」
「吾輩と一緒にいるときの掟である」
「言います」
「いい子だ」
「うれし涙です」
「そうか。では、今夜は好きなだけ泣いてよろしい。いや、吾輩が泣かしてやる」

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本物の一流になることが一番大事なことなのだ。
「いいか? ここが肝心なところだからよく聴くんだぜ」と吾輩は言い、カルヴァドスをシルヴプレした。遠い異国から来た若者の眼にいつのまにか輝きが戻っている。

「今、すごく気分がいいだろう?」
「はい」
「なぜだと思う?」
「わかりません」
「考えろ」
「考えてもわかりません」
「わかるまで考えなさい」
「日が暮れてしまいます」
「もう夜だ」
「それじゃあ、夜が明けてしまいます」
「夜明けは遠い」
「うーん」
「もう逃げ場はない」
「もう死にたいです」
「仕方のない奴だ。では、教えてやろう」
「はい」
「本物の一流の場所で本物の一流と一緒にいるからだ」
「あ。なるほど」
「本物の一流になれ。いいな? 吾輩は本物の一流と本物の一流になる可能性のある者と本物の一流になろうと努力する者としかつきあわない」
「はい。でも、本物の一流になるためにはなにをすればいいんですか?」
「知りたいかね?」
「はい。もちろんです」
「どうしても知りたいかね?」
「どうしても知りたいです!」
「ロハで?」
「おカネは帰りの飛行機代しかありません」
「困ったな」
「わたしも困ってます」
「きみに困られては吾輩はもっと困る」

吾輩が言うと遠い異国から来た若者はくくくと笑った。

「本物の一流になるためにはだな ── いつも、常に、求めることだ」
「はあ? それだけですか?」
「無料の場合はこの程度である」
「飛行機代はあきらめます」
「ほんとか?」
「本当です!」
「本当の本当か?」
「本当の本当の本当です!」

遠い異国から来た若者の眼を覗きこむ。よし。腹をくくった眼だ。吾輩の眼に狂いはない。

「覚悟を決めたんだな?」
「決めました」
「どう決めたんだ?」
「飛行機代がないくらいで命を失うわけではありません」
「自分で答えをみつけたじゃないか」
「え?」
「つまりだな。いつ死んでもよし。臨終はこの瞬間、このたった今、現在のまっただ中にあるということだ」
「はあ…」
「つまりこういうことだ。アマゾンの奥地であろうとアフリカのサバンナのど真ん中であろうとマリアナ海溝の最深部であろうとアネイブル・コントロール中のV-22オスプレイの操縦席であろうとヨハネスブルグのポンテ・アパート42階の4242号室であろうとメイク・ラブの真最中であろうとめしもろくに喰えない貧乏どん底の困窮困憊の日々であろうと最愛の子、最愛のパートナー、最愛の親兄弟を失おうと、いつも、いかなるときにも、いかなる境遇にあろうとも、常に志をもって求めることだ」
「はあ…。でも、なにを求めたらいいんでしょうか?」
「ばかもの! それくらい自分でみつけやがれ!」

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世界の天井でハシゴ酒というのも乙なものだが、飲んだ酒は甲類である。
吾輩と遠い異国から来た若者は杯をかさね、ラデュレのバールのあと3軒ハシゴ酒した。

ベルモケで聴くジャッキー・テラソンの『Sous le ciel de Paris』は吾輩と遠い異国から来た若者の心にしみた。リヴェ・ドゥ・ラ・セーヌ・ア・パリを二人並んで歩き、ポン・デザールとポン・ヌフとポン・ロワイヤルを渡り、巨大な宝石、ポン・アレクサンドル・トワを1往復半して右岸に戻った。


アレクサンドル3世橋の女神たちにナンパされかかる。
4人の女神の前を通りすぎるたびに女神どもがウィンクしてきたが吾輩は華麗にスルーした。ピエール・グラネの女神だけが怒りの形相になり、闘いを挑んできたが、遠い異国から来た若者はその異変にまったく気づかない。暢気なものだ。ピエール・グラネの女神は吾輩がひと睨みするとすごすごと元の場所に戻っていった。


それにつけても、やはり人生はバラ色だ。
アレクサンドル3世橋を1往復半するあいだに吾輩は「本物の一流になれ」を3回言った。遠い異国から来た若者はそのたびに「はい」と言った。「3回目は自分に言ったのだ」と吾輩が言うと、遠い異国から来た若者がまた大声で泣いた。

「泣け泣け。もっと泣け。ここは世界の天井、パリだ。喜びも悲しみも一番最初に降りかかる」

それにしても、吾輩は本当によく人を泣かせる。天下御免の泣かせ屋一代。いまに始まったことではない。世界の天井でもなにひとつ変わらぬ。これもまた至誠一貫のひとつのかたちである。

遠い異国から遥々とやってきた若者よ。薄紅匂う荒野をこそ行け。なにはともあれ、人生はバラ色だ。

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La Vie En Rose - Edith Piaf
La Vie En Rose - Jacqueline François
La Vie En Rose - Sophie Milman
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Yves Montand
Sous le ciel de Paris - Juliette Gréco
Sous le ciel de Paris - Larry Goldings & Harry Allen
 
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-24 06:01 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback | Comments(0)

アノニマスという名の革命。そして、新種誕生。

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表現者は無類の王である。
かつて、村上"PCB"龍は「表現する女は不幸だ」と得意満面でほざいた。あいもかわらず的はずれピンボケA( )Cで、限りなく凡愚に近いブサイクである。齢70にもなろうという者が、なんだあの髪型は。カンブリアン・エクスプロージョンで木っ端微塵に吹き飛ばされるか、無量大数を超える三葉虫にたかられて皮膚も肉も骨も内臓も皺のない脳みそもなにからなにまで跡形もなく喰われちまえ! タヒね! ムラカミ! ついでに、吊れ! ハルキンボ!

表現の場において表現者は無類の王として君臨することによって最上の幸福と快楽を手に入れる。いつでも王国を破壊できるし、殺戮も、慈悲もやり放題。殺生予奪の権力はすべて手の内にあって、なにものにもとやかくのことを言われる筋合いはない。吾輩はちょくちょくいけすかない輩どもを吾輩世界においてのたうちまわらせ、もがき苦しませ、むごたらしい死を迎えさせている。彼奴らがあげる痛みと恐怖に満ちた断末魔の叫びにリアリティをもたせるためにサンプリングを駆使することもある。

マグナ・カルタ第38条
王、王権、権力、国家といったタームを考えるときに、吾輩はそれらにまつわる情報のすべてについて渉猟する。そして、盗む。マグナ・カルタ第38条には「裁判権の保障」が規定されている。暇つぶしの憲法談義のときにこのことをなに食わぬ顔で言説の中にするりと忍ばせてやる。東大の憲法学の教授センセイも眼を丸くして驚く。ことほどさように、この国のインテリゲンチャの底は浅く、薄っぺらである。

王として君臨するためにはその王国における森羅万象について精通していなければならない。完全なるグリップだ。それがなければその王国はつまらぬ世界になるし、王は首を刎ねられることになる。一流の料理人が食材の目利きであり、仕入れのつわものであり、調理の達人であるのとおなじことが表現王国の王には求められるということだ。

アノニマスでありつつ表現を成立させるという実験がいずれ途轍もないビッグマネーをもたらすという確信があるから、アノニマス・ガーデンの名無しの庭師になることを決めた。ビジネス・モデルもすでにできあがっている。これについては微塵の揺らぎもない。そうでなければ片足どころか全身をつっこんだりはしない。

吾輩は極力愚か者、センスのない者、才能のない者、スマタポポヒとはかかわらない。そういった輩とのかかわりは徒労、時間の無駄に終わるからだ。アノニマスはPC/スマートフォン/タブレット端末をシャットダウンすればすべて終わる。つまらぬしがらみや義理人情に縛られ、わずらわされることもない。そこが一番の魅力である。吾輩は生身の人間にはもはやひとかけらの興味もない。

オンデマンド・ノベルという草刈り仕事
現在、吾輩にそこそこのファイナンスをもたらしているのはオンデマンド・ノベルだ。ひとつの物語、ストーリーにつき、読者は一人。クライアントでもある。『Signifié/Signifiant』『アノニマス・ガーデン』の熱心な読者でもあったある人物は一代で財をなした叩き上げだ。

ある日、彼は「私を主人公にした物語を書いてほしい」とメッセージをよこした。もちろん、吾輩はふたつ返事で引き受けた。ギャランティは2000文字で20万円。1文字100円。「。」ひとつが100円。「、」を30個打てばそこそこ気の利いた「オサレなランチ」が喰える。「豪華豪勢なステキステキディナー」を喰いたければセリフのカギ括弧を200個も使えばいいということだ。現在、そのようなクライアントが7人いる。すべてはPWつきの秘密のブログ、LINE、Skype、Facebook、Twitter、BBS、そして、メールでやりとりしている。

吾輩に関して彼らが持っている共通の認識、評価は「クール&スマート&タフ&ハードボイルド&インテリジェンス」である。「おまえさんとはかかっている元手と歩いてきた道の険しさと這い上がってきた谷の深さ危うさとくぐり抜けてきた修羅場の数、質がちがうのさ」と言ってやりたいが、黙っている。大事なお客さんだから。呵々。

LINEやスカイプやメールやFacebookやTwitterにおけるメッセージ、コメントを通じて彼らから彼ら自身の人生を取材するのも面白い。あるクライアントは江戸川乱歩、レイモンド・チャンドラーをはじめとする探偵小説のファンだと言うので、探偵小説風の物語で主人公に仕立てあげてストーリーを書いてやった。先方は大よろこびだ。吾輩にしてみればひょひょいのひょい仕事である。

各クライアントとも、2日に1本の割合で2012年の夏から続けている。おそらく、彼らが死ぬか吾輩がくたばるかするまでつづくだろう。ギャランティはきちんとPayPalを通じて振りこまれてくる。PayPalは手数料が割高だが、ファイナンス情報が日本の当局には絶対に漏れないというメリットがある。ebayに出品された吾輩の「商品」たる物語をクライアントは「競り落とす」という形を外装しているわけだ。よって、代金のとりっぱぐれはない。落札と同時に決済は滞りなく終了である。実にクール&スマート。しかし! それにつけても、PayPalの手数料はマフィアなみだ。為替の差益の旨味はあるにはあるが。(微妙な苦笑)

もちろん、納税拒否主義者である吾輩は金輪際税金など払わない。すべてはアノニマスで進行しているのだから当然だ。オンデマンド・ノベルは『Signifié/Signifiant』『アノニマス・ガーデン』における草刈り仕事のひとつというわけだ。キモは顧客、読者が少数でいいことだ。インチキマヤカシスカタンの仕掛け、マーケティングなんぞ不要にして無用である。1500円だか2000円だかの本代に躊躇するビンボー人ではなく、「1文字に100円払う金持ちの変人」を数人みつければいいということだ。初版75万部? ハルキンボ、色彩はないが色々と御苦労さんってこったな。

そのうち、アノニマス・クリエーターの登場と台頭によって、既存のメディア、出版界はきれいさっぱり無化されるだろう。ニッパン、トーハンの下衆ポンコツどもも。出版マフィアをのさばらせつづけた書店も消滅だ。同罪、共謀共同正犯、自業自得ということだ。本フェチの季節を長くすごした者の一人としていくぶんかのさびしさがなくもないが、こればかりは仕方ない。ここ数年のYouTuberたちの登場/台頭はその象徴である。

文学賞のたぐいは意味合いが変わってくるだろう。暇つぶしに芥川賞やらゴンクール賞やらでも獲ってやろうかという本業:アノニマス作家が本業でたっぷり腕を磨いて、ドスを研ぎに研いで、鼻歌まじり手慰みに本名で獲る時代がくる。ポンコツボンクラヘッポコスカタン編集者どもやカビが生えて脳みその皺の伸びきった審査員のセンセイがたの哀れぶざまな負け犬の吠えづら/虻蜂に刺されまくってボコボコになった泣きっつらを見るのがたのしみだ。

オファーはほかにもいくつか来ているが、商品の質を落としたくないのでしばらくは今のペースでいく。そのうち、吾輩の眼鏡にかなう表現者でなおかつアノニマスに表現したいという奴をみつけて、世界中で分業体制を敷くことも考えている。書き手と読み手は国語分だけあるわけだから、マーケットは無限だ。PC/スマートフォン/タブレット端末とネットワークさえあればいますぐにもできる。設備投資、インベスティゲーションも不要。やめたくなったら端末をシャットダウンし、ネットワーク回線を切断すればなにごともなかったように「まったくの別人」になれる。

出社も会議も営業も納税もなし。だれとも会わない。だれにも文句は言われない。命令も指示も説教もされない。なにしろ、こちらは天下御免の匿名、アノニマス・パースンだ。空気に文句を言う奴はいないだろう。空気に説教をする奴がいたら、そいつはまちがいなく狂人だ。完全匿名人は完全自由人でもあるわけだ。

会議室もいらなければ役員室もいらない。倉庫も守衛室もいらない。食堂も喫煙ルームも。福利厚生も社会保険も失業保険も。無駄はクール&スマートの敵である。すべてはクール&スマートに進行する。稼ぎたい奴が応分に稼ぐ。稼げる奴が稼ぐ。稼げない奴は「物静かに退場しろ」ということだ。

「商品(作品)」がつまらなければ「クライアント(読者)」が離れていくだけの話である。このあたりは冷厳にして冷徹である。まさに、ケインズ流経済学の踊り場だ。しかし、きわめてわかりやすい。能力のあるやつは稼ぎ、ないやつは淘汰されていく。それでいい。それこそが吾輩が長いあいだ望んでいた仕組みである。

しがらみなし。義理人情なし。愚か者、ナンセンス、才能のない奴、スマタポポヒともかかわる必要なし。日本にいる必要すらなし。アフリカのサバンナのど真ん中だろうが、マリアナ海溝の最深部の岩陰だろうが、ヴィーナスと乳繰り合うシャコガイの貝殻の裏だろうが、冥王星の戸籍係の机の上だろうが、天国にいちばん近い島で日光浴がわりに残留放射性物質が発するラジオアクティブを朝から晩までしこたま浴びながらだろうが、ロンゲラップ・ピープルと磯遊び/ヒバク遊びしながらだろうが、ネットワークがあり端末があればできる。必要なのは文体と創造力と眼力だけだ。

そのうち、吾輩の大嫌いな国家とやらも雲散霧消するだろう。吾輩のような不届き千万不埒な輩が世界中で同時多発的に発生すれば税収はかぎりなくゼロに近くなるわけだから国家経営自体が成り立たなくなるということだ。ヘーゲルもカントもフーコーもデリダもドゥルーズ=ガタリすらも予想していなかった事態だ。大嗤いもいいところである。まさしく、新種の誕生だ。実はとっくに新種は誕生し、着実に増殖しているのだが、そのことに気づいている者は少ない。閾値の到来はすぐそこだ。

確信さえあれば核心と革新は一気にやってくる。確信したことは実現するということだ。思うだけでは足りない。思い、確信することが大事だ。ナポレオン・ヒルは詰めが甘い。

クライアントは「キーワード検索」で向うからこちらの網の中にやってくるから、無駄な広告宣伝も不用だ。吾輩のテクストに「固有名詞の羅列」が多いのは「キーワード検索」にひっかかるための方便の意味もあるということだ。ゼニカネに不自由しなくなって「自分だけのストーリー」を欲しがる人種がいるということである。世界にはエキセントリックな人物は少なからずいるものだ。

知識、教養、センスを身につけるための時間的な「元手」は必要だが、そんなものは好き放題、面白おかしく生きてきた吾輩の人生からすればロハもんと言っていい。やるやらないは自由だが「そのとき」に備えてせいぜいドスを磨き上げておくがいい。スパンキング・ラケットがわりのドスを。

吾輩が首まで浸かっているのはアノニマスという名の革命だ。すなわち、Anonymous Revolution. 革命家になるか乞食になるかホモになるか。はたまた、飼い犬として一生を終えるか。答えは明らかだろう。All Over The World! Roll Over The World!だ。

すでにして賽は投げられた。果たしてどんな目が出るか? どんな出目にせよ裏目を足せばすべてLUCKY 7だ。最悪でも0はない。出た芽は花を咲かせ、実を結ばせないとな。メンチ切りならだれにも負けない。メンチカツは大好物だ。メンコいおめこも。一番好きな上がり役はメンピンジュンチャンサンショクイーペーコーイッパツツモドラドラときたもんだ。(老松)


*PCB: Poncoz Coin Locker Babies(ポンコツ・コインロッカー・ベイビーズ)
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-23 01:55 | Anonymous Revolution | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国/ハートのかたち ── ゴクドーを待ちながら

 
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品性と品格を失わないかぎり、困窮も困難も困憊も孤独もやりすごせる。その余のことはすべて過程のひとつにすぎない。E-M-M


上野・稲荷町の交差点に年老いた香具師がいる。名を工藤といい、人々は彼を親しみと畏敬の念をこめてゴクドーと呼んだ。


ゴクドーは永寿病院の正面玄関脇で商売をしている。啖呵売だ。ビール・ケースを台にしたラワン材の合板に下卑た鮮紅色の布をかけた売り台にはレイバン風のサングラスや出自不明の時計や怪しげな置物や猥せつきわまりない玩具などが並べてある。

ゴクドーはいつもボルサリーノのソフト帽をかぶり、チョーク・ストライプの、紺のダブル・ブレステッドのスーツを着ていた。ゴクドーの全身には白粉彫りで桜吹雪の刺青が彫られていて、素面のときにはわからないが、酔うと桜の花びらが薄紅に染まる。

二十歳の頃、ドス一本で反目する暴力団事務所に単身乗り込み、八人を血祭りに上げた武勇は歳月を経てもなお世代を超えて語られつづけた。左頬にあるこめかみから唇の脇にかけた傷跡はそのとき受けたものだが、武勇の壮絶さとあいまってゴクドーに揺らぐことのない迫力をもたらした。

「あんたはインテリゲンチャか?」とドスのきいた声で年老いた香具師はたずねた。
「どうかな。自分でもよくわからない」
「インテリゲンチャは信用できねえ」
「どうして信用できないのさ?」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「インテリゲンチャは平気でうそをつく」
「そうだ。きょうのおまんまのためのうそならいいんだけどな。インテリゲンチャのうそはカッコつけるためのうそだ。カッコつけるためのうそくらいカッコわるいものはねえよ。反吐が出る。それはそうと、あんちゃん、これを買いなよ」

年老いた香具師は言い、やつれたボストン・バッグから色鮮やかな箱を取り出す。手に取ってみると、それはUSプレイング・カード社製ティファニー・ブランドの未開封のプレイングカード・セットだった。しかも、最初期の。めったにお目にかかれないしろものだ。

「いくらで買う?」
「1万円」
「殺すぜ」
「こわいな」
「トランプでおれに勝ったらこいつをあんたにくれてやるってのはどうだ?」
「負けたら?」
「負けることを考えて勝負なんかできるかよ」
「負けることも考えなきゃ生きてはいけない」
「うまいことを言うじゃねえか。で、どうする? やるのか? やらないのか? あん?」
「負けたら?」
「有り金をぜんぶ置いてきな」

財布の中身を数える。3万円足らずだが、2週間生き延びるためのなけなしのカネだ。

「わかった。勝負しよう」
「なにで勝負する? ポーカーか? 51か? ジン・ラミーか? ババ抜きか? 七並べは七面倒くせえし、神経衰弱は性に合わねえぜ」

ゴクドーは笑いを噛み殺しながら言った。

「ポーカーで」
「二人でやるポーカーくらいつまらないものはねえが、いいだろう。コールもレイズもフォルドもなし。ブラフはこれっぽっちも意味がない。カードを切り、カードを引く。それだけの勝負だ。1回勝負でいいな?」

うなずくと、ゴクドーは上着の胸ポケットからタリホーの真新しいカードを取り出した。シャッフルしてから売り台の上に並べる。スペード、クラブ、ダイヤ、ハートのエースからキングまで。

スペードは兵士の剣、クラブは農夫の棍棒、ダイヤは銀行家の貨幣、ハートはキリストの聖杯。13枚ずつ4列に並べられたカード。合計52枚。52通りの人生。

カードをシャッフルするゴクドーは瞑想する修行僧のようだ。カードが配られる。手の中で広げる。ハートの9からキングまでがきれいにそろっている。

ストレート・フラッシュ、1/72193の奇跡だ。そのままオープンすればまちがいなく勝負には勝てる。しかし、それではいけないように思えた。それはたぶん誇りの類に属する問題だ。あるいは矜持、あるいは名誉、あるいは流儀。

迷う。稀少なティファニーのプレイングカード・セットが手に入るチャンスだ。こんなチャンスは二度とない。さらに迷う。

But that's not the shape of my heart

STINGの『Shape of My Heart』のリフの一節が不意に浮かぶ。『LEON』のラスト・シーンがよぎる。

レオンは九死に一生すらもかなわぬ死地に向かって勝負に出た。一人の女の子のために。一輪の花のために。いまだ味わったことのないささやかな幸福のために。悪徳刑事役のゲイリー・オールドマンが首をコキコキと鳴らす。鍋つかみのブタくんは主人を失おうとしている。一鉢の鉢植えを抱えて脇目もふらずに歩く少女。レオンは新しい、もっと別の世界に向けてゆっくりと歩みをすすめる。

新しい、もっと別の世界の扉まであと少し、あと数歩。その刹那、扉は閉じられる。

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Shoot Out, Shut Out, Shut Down.

世界が閉じてゆくさなかにレオンの見た血潮はハートの赤だった。凍りついたレオンの心に一瞬垣間見えた色。

私はハートの9を切り、ハートのエースを待つことに決めた。ハートのエースがそろえばもっとも美しくもっとも強いハンド、ロイヤル・ストレート・フラッシュだ。

目の前で確かに起きた1/72193の奇跡を捨てて1/649740の可能性に賭けることの愚かさはじゅうぶんにわかっている。理屈でわかってはいても私を突き動かすものがあった。私を愚行へと走らせるなにものかが。

ハートの9を切り、カードの山から1枚引く。胸が高まる。心臓が速く強く脈打つ。血がたぎる。ゴクドーを見る。ゴクドーは迷っている。眉間に深く皺が寄っている。眼を閉じる。眼を開く。あごを引き、うつむく。低く唸る。

ゴクドーを待ちながら、私は考えていた。自分の人生、生きざまを。愚行と蛮行の数々を。人生の貸借対照表を。齢の決算書を。

安全と安定のために頭を下げていれば、「常識」とやらに身を委ねていれば、小利口に立ちまわっていれば、長いものに巻かれていれば、大樹の陰に身を寄せていれば、自分の本当の気持ちとは裏腹の偽りの微笑を浮かべていれば、媚びていれば、おもねり、へつらっていれば、きれいごと・おべんちゃらを並べていれば、語りつくせぬことについて沈黙を守っていれば、新しい、もっと別の世界へ足を踏み入れようとしなければ容易に手に入れられていたはずの半分満ち足りて半分幸福で死ぬほど退屈な生活を。裏切りと嫉妬と欲得と怯懦と保身に彩られた者たちの陰湿で陰険で訳知ったような醜悪きわまりもないすまし顔・したり顔を。私とはちがう陣営に巣食う者どものいやしくあさましいほくそ笑みを。STINGは歌う。

それらは私の心のかたちではない

迷った末にゴクドーは2枚切り、2枚引いた。私が引いたのは最弱のカード、クラブの2。ノーペア。ハイカード。役なし。ブタ。手札を見せる。ゴクドーもほぼ同時に手札を見せた。エースのフォーカードだった。

「あんたはなにを待っていたんだ?」
「ハートのエース」
「おれもだよ。フルハウスを捨ててフォーカードに賭けた。ハートのエースは引いたカードの2枚目だ。あんたが引かなきゃ来なかった。 ── ところで、待っていたのはそれだけか?」
「人生の答えも」

ゴクドーは少し考えてからきっぱりと言った。

「人生に答えなんかねえよ。生まれる。生きる。死ぬ。それだけの話だぜ」
「生きる意味は?」
「そんなものは青臭いインテリゲンチャのたわごとだ」

ゴクドーの言葉が福音や啓示の類に思われた。そのとき、ゴクドーは私が捨てたカードを裏返して眼を見開いた。

「ストレート・フラッシュだったんじゃねえか ── 。たいした極道だぜ」

私は財布から運転免許証とカード類を抜いてゴクドーに差しだした。しかし、ゴクドーは受け取らず、かわりにティファニーのプレイングカード・セットをよこした。

「あんたの勝ちだ。いい勝負だった。これだけはおぼえときな。結果の背後には隠された法則が存在する」

別れ際、ゴクドーは押し殺したような声で私の背中に向かって言った。

「あんたはなにを待っているんだ? あんたはいったいどこに行きたいんだ? あんたは ──」

風がゴクドーの声を掻き消す。ゴクドーの言葉は聴きとれない。それでいい。ふりかえらずに歩く。先には引き返すことのできない細く暗い一本道がつづいている。

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Shape of My Heart - STING
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-21 15:44 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

恥ずかしげもなく「プロフェッショナル」を名乗るスマタポポヒ

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まだ現場で打ち合わせやら交渉事やら下調べやらをしていた頃、名刺交換なるものをさせられた。すこぶるわずらわしかった。こちらは名刺交換する相手の顔も氏名も肩書きも連絡先も1度でおぼえてしまうので、名刺など無用の長物、本拠地に帰還すると同時にシュレッダーに放りこむか、ハリソン・フォードのアンドロイドに恋する夢見がちな電脳山羊のオードリーにくれてやる。本拠地のあった東京は法外に地べた代が高額なので、不要無用なものは捨てる。「断捨離」なんぞ知ったことではないが、それが東京人たる者の作法/流儀/掟である。

わたくしの名刺には氏名しか印刷されておらず、以後、つきあうことになりそうだと判断すれば連絡先その他の情報を書き加えて相手方に渡した。かたや、氏名のみ印刷された名刺を渡された者は怪訝な表情をするが、こちらは以後のかかわりを持つ気がないので、訝しがろうが井深大だろうが燻し銀だろうが号泣する銀将だろうが知ったことではない。こちらは生まれ落ちたときから天下御免の大変人/変わり者/変なヤツであるからして、訝しがられようが変人/変わり者/変なヤツ認定されようがなんともない。

中には「連絡先は?」としつこく訊ねる者もいたが、「連絡先を教えることは主治医に止められている」「赤の他人に連絡先を教えてはいけないというのが後醍醐天皇の御代からの家訓である」旨を申し向けて、早々にその場を立ち去る。そして、二度とその人物とは会わない。かかわりをいっさい持たない。その人物が所属する会社/組織/グループとは取引きしない。つきあわない。当然、取引きはキャンセル、白紙撤回、なかったことにする。それがわたくしのやり方/流儀/作法/Modus Operandiである。それをずっと通してきた。不便を感じたことはただの1度もない。

現在は滅多なことでは生身の人間と会わないので、「名刺交換」のわずらわしさからは解放された。たいへんにけっこうなことである。世界の森は消滅の危機を名刺1枚分先送りされた。これも、たいへんにけっこうなことである。

さて、名刺の肩書きには実に様々なものがある。代表取締役社長/専務取締役/部長/課長/係長からはじまって、〇〇本部長、局長、室長、担当部長、課長補佐、主任、主査などなど。目がまわるほどである。なぜ「平社員」という肩書きの名刺がないのかと思っていたら、泡の時代の初期に現れた。飛びこみ営業。事務機器関連の会社である「株式会社タイラー」の社長にして営業マン。たった一人の軍隊を地でいっていた。

姓は平平、名は平平。ヒラダイラ・ヘイベイ。冗談のようだが実名実話である。先祖代々、ヒラダイラ家の当主はヘイベイを名乗ったそうだ。御先祖は平家ゆかりの者、平家の落人、ことによれば平清盛かもしれない。わたくしの家紋は源氏車であるから平平の宿敵と言えないこともない。壇ノ浦で刃を交えたことも可能性としてはある。何代目のヘイベイなのかは聞きそびれた。

飛びこみ営業のたぐいはいつもなら即座に追いかえすところだが、そのときはちがった。追いかえすどころか、その場でスカウトした。逆営業。即興速攻ヘッド・ハンティング。「役員待遇/営業本部長/当期利益の3分の1を特別報酬とする/Capital Gainあり/二足のわらじO.K.(株式会社タイラーの社長としての仕事継続可)」で話はまとまった。こちらも相手も即断即決。気分がよかった。事務機器導入についてのかなりの額の契約を締結してから夜の街に繰り出し、銀座→赤坂→六本木→歌舞伎町をハシゴし、朝までしこたま飲んだ。笑った。しゃべくり倒した。快楽した。大酒豪大女好きがふたったり。たのしかった。愉快痛快爽快豪快淫快蕩快。韜晦狷介剣呑なる限界突破の宴。平平平平の営業手腕で倍々ゲーム×倍々ゲームで業容は一気に拡大した。平社員様々だった。

社長以下、家族総勢6名の写植屋がずいぶんと凝った書体の名刺で、社長、部長、課長、係長、主任、本部長の肩書き。笑いすぎて屁が出るほどだった。前夜に食ったニンニクたっぷりのアヒージョのせいでものすごい勢いでクサい屁だった。戸田の御浜岬の鈎状砂嘴に突き刺さるほどの勢い。誤字/脱字は皆無で、版下もきっちり仕上げてくるので、仕事上は問題ないからよしとした。

〇〇ライターという肩書きの名刺を恥ずかしげもなく差しだすスマタポポヒがいる。フリー・ライター、ルポ・ライター、旅行ライター、温泉ライター、ホテル・ライター、旅館ライター、スポーツ・ライター、ジョギング・ライター、ランナー・ライター、スポーツウェア・ライター、ジム・ライター、ワークアウト・ライター、文具ライター、オーディオ・ライター、AVライター、芸能ライター、TV番組ライター、ラジオ番組ライター、YouTubeライター、ニコ動ライター、Net Watchライター、ITライター、デジタル・ライター、スマホ・ライター、犯罪ライター、風俗ライター、オタク文化ライター、引きこもりライター、フリーター・ライター、webライター、コメント・ライター、グルメ・ライター、フード・ライター、料理ライター、お掃除ライター、お片づけライター、セレブ・ライター、インタビュー・ライター、ゴシップ・ライター、スキャンダル・ライター、音楽ライター、美容ライター、メイクアップ・ライター、コスメチック・ライター、美容整形ライター、ファッション・ライター、コーディネート・ライター、ライフスタイル・ライター、アウトドア・ライター、キャンプ・ライター、自給自足ライター、ナマポ・ライター、婚活ライター、就活ライター、終活ライター、お葬式ライター、マリッジ・ライター、マタニティ・ライター、ディボース・ライター、軍事ライター、演芸ライター、園芸ライター、ガーデニング・ライター、ゴースト・ライター、仮面ライター、イージー・ライター、ダイター・ライター、百均ライター、100円ショップ・ライター、100円ライター、放火ライター、ライター・ライター…。あげればキリがない。目にするたびに虫酸が走り、反吐が出る。全身Goose Bumps. おまえたちは火つけか? 火付盗賊改方呼ぶぞ! メーテルリンクに言いつけて青い鳥と一緒にヤードバードにしちまうぞ! 「〇〇評論家」のたぐいもおなじ穴の狢である。〇〇ライター、〇〇評論家を名乗り、名刺をばらまく者どもは、例外なく「わたしは正真正銘まじりっけなし掛け値なしのスマタポポヒです」と看板をぶら下げて歩いているようなものだ。恥を知れ! 恥を!「売文の徒」という言葉を知らねえか!たわけ者が! 世界の森を破壊し、消滅に追いこんでいるのはおまえたちだ! 墓石には「森の破壊者、ここに眠る」と刻んどけ!

〇〇ライターにかぎらない。「物書きのプロ」を自称するスマタポポヒもいる。自称「物書きのプロ」のテクストに目を通すと、案の定、退屈で陳腐でごもっともで常識人ぶりぶりで、閃きもジャンプ力もなくて、やたら体言止めが多くて、自分の文体/スタイルなし、センスなしリズム感なしオリジナリティなし、ナイナイづくしのコンコンチキチキマシーン大運動会でナイナイ岡村アタマパッカーン滑って転んで69等勝というありさまだ。句読点と「てにをは」と助詞/副詞/形容詞の用法は滅茶苦茶、連体形/連用形/活用形の混乱は目を覆うばかり。主語と述語の関係性が曖昧で、いつの間にか入れ替わってしまうという惨状である。金輪際、リングイネのパスタを食う資格なしだ。いっそ、Xバーで首を吊らなければチョムスキーが化けて出る。

的はずれ/ピンボケのオンパレード。一知半解のことどもをA( )Cで無理矢理記述しようとするから中身空っぽ、抽象的でつまらぬ修飾語だらけ。箸にも棒にもかからない。哲学に関わることを書いているつもりだろうが、ソークラテース/プラトーン/アリストテレースを主軸とするギリシャ哲学も、聖書もデカルトもカントもヘーゲルもまともに読んでいないことが見え見えバレバレ。思わず「小学生からやりなおしてこい!」と怒鳴ってしまうほどの日本国語の故障っぷりである。「〇〇のプロが教える〇〇のコツ」という鳥肌虫酸もちょくちょく目にする。おまえのような勘ちがいポンコツボンクラヘッポコスカタン木偶の坊は物静かに退場しろ!

いまや、出版社の売らんがためのマーケティングの道具と堕した文学賞の受賞者のテクストからしてポンコツだらけである。書店に平積みされている売れ筋ものはお粗末の極みだ。失われた言霊、益荒男ぶりと手弱女ぶり/荘厳/厳粛/雄渾/幽玄/静寂/精緻/明晰/端正/余韻/気配/察しの欠如欠落。ナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハム好きのセックス依存症のスパゲティ野郎なんぞをありがたがっているからこういうことになる。しかし、それがこの国の言語領域の実情である。暗澹たる気分になる。

〇〇ライター、書き仕事をなりわいとしている者/言語表現、言説、売文によってなにがしかのギャランティをえて生活のファイナンスとしている者のメンタリティはふたつ。ひとつは「キーボード叩くだけでおカネもらえるんだからラクだしオイシーじゃん」という怠け者の心性。ラクなのがお好みだてんなら駱駝になっておっ死んで漬物樽にでも放りこまれやがれ! 毛がなくて無病息災寿手練経、酢豆腐自慢は夢のまた夢、おにょにょご津波のおっきゃらまあして米櫃は空っぽ空っけつのスッカンカンの駱駝のカンカン踊り、馬子の角栄どんだってお鼻の濡れたイノシシどんだってイグアノドンだってイノドンヘーイだって承知の助だ! クマグス先生でもおられりゃあ粘菌暮らしの御居処でもめっけてくれようものをよ! 咳をシテ島でしても一人だろうがホロホロ鳥にかぶりついてホロリと歯が抜けようがまた会うこともない力道山が遠ざかろうが、おまえたちは駄目だ。おまえたちのサイコロは裏目を足しても金輪際ラッキー7にはならない。明日は明日の風が吹くってえお釈迦さまのありがたいお経を知らねえか! おっきゃらまあ経てんだ! おぼえときゃあがれ! 正一位稲荷大明神であらせられる悪臭芬々唐芙蓉さまの生まれ変わりの駱駝さんよお! ギョーカイ人ヅラさらして脳みそのシワのない低脳低劣を相手にテレーズ・デレスケ・デスケルウ・ヌーヴォーしてやがれ!

それになんだあ、拾った鮫革の財布にお財宝が入っていなかったからって、話がちがうってたって、あれは上方のお噺だからよ。そうだろうよう、ぞろっぺいの勝五郎どん、その実、浅草伝法院のお狸様よう。火焔太鼓のお成りお成りもいいけどが、景気よく火の見櫓の半鐘を仕入れようたって半鐘はいけねえぜ。おジャンになるからな。まったく、風が吹けば消えてなくなっちまうようなアンポンタンばかりで素っ首がすーすーするってえ寸法だ。

芝浜夫婦善哉の床屋政談を浮世風呂の釜の脇で聴いていた船屋の徳兵衛がもうどうにもこうにも我慢できないとばかりに、向こう鉢巻に出刃包丁の艶姿で鐘と木魚の衣ほすちょう天の香具山音楽を奏でながら貝紫色の駱駝を引いて現れてでもしてくれりゃいいんだが、それは虫がよすぎるてえ料簡だ。お伴には紙洗橋で漉いたばかりの紙を冷やかしていたスットコドッコイの三下奴が付かず離れず従っているしよ。それにつけても、いざとなれば風を食らって逃げちまえばいいような瘋癲ばかりである。

この際だから、どいつもこいつもイタ公もフランス野郎も看看奴でも踊ってやがれてんだ! 火星の火屋で息吹きかえしたら「冷酒でもいいからもう一杯」と抜かしやがれ! まずはマーズがアタックがわりに作った不味いこと臭いことこの上もないカース・マルツの角に鼻っ柱ぶっつけてから、オオカミとイノシシとキツツキと雄鶏が合体したトンデモ・アレスがトネリコの樹に止まって「クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス クォーククォーククォーク ダンテブルーノヴィーコジョイス」と3度鳴くのをよく聞いてろ! 唐変木の噺のほかの穀つぶしの表六玉のスットコドッコイ! いずれ女房は町内の若衆によってたかって可愛がられて自分には似ても似つかぬ赤ん坊が産声あげるってえ塩梅だ。仕上げを御覧じろたあこのことよなあ。ちくしょうめの長久命の長助め!

ふたつは「ライター、物書きって取材とかインタビューとかあってカッコよさげじゃん」というA( )Cの心性。はっきり言うが、〇〇ライターも物書きもカッコよくない。ラクじゃない。割りが合わない。取材はただの肉体労働だ。インタビューする相手は「過去の栄光」に未練たらたらでしがみついているオワコンと旬が過ぎて薹の立ちまくったポンコツばかり(恥ずかしげがないどころか、鼻高々得意げにオワコンへの取材/インタビューのことをなにかというと持ちだすやつもいるがな。特に団塊老醜に多い。40年前のポンコツ持ちだしてどうしようっての! オワコン・ポンコツの所属事務所からゼニもらってパブ記事/パブ番組か? そういう輩はてめえでてめえのことをウィキペディアに立ち上げやがんのな! 哀れで大嗤いなことったらねえや! 放送作家にノンフィクション作家にノンフィクション・ライターに音楽ライターにインタビュー・ライターに音楽評論家にジャーナリストにディスクジョッキーにって、いったいいくたり肩書/看板/名札ぶら下げたら気がすむんだ? 肩はこらねえのか? 看板好きは学生運動の闘士サマの頃からか? ゲラゲラゲラゲラゲラダヒヒヒ呵々大笑。あんたにはいつも「しめしめ」ってスピーチ・バルーンが出てるよ。鏡でよく見てみな)。肩にぶら下げているショルダー・バッグはくたびれ果てたハンティング・ワールドのパチモン。履いている靴は中国製かベトナム製というありさま。わるいことは言わないし、故郷の両親が心配するから売文業なんざやめときな。故郷へ帰って畑を耕すなり、漁網打ちな。そのほうがよほどクリエイティブだから。石に腰を、墓であったか 山頭火/お墓で出逢った山頭火/おっ! 墓であったかひと休み っつーこったな。

スマタポポヒなクライアントから愚にもつかない御託能書き寝言戯言をさんざっぱら聞かされて、えられるのはたかの知れたギャランティである。3万かそこらの家賃も電気代も水道代も年金掛け金も保険料も滞納するのが関の山。1回の食費は100円、打ち合わせに行くための交通費にも事欠く始末。ネット/SNSで知りあったどこの馬の骨とも知れぬやつから雀の涙のゼニカネを振りこんでもらったり、米やらカップ麺やらの食料を送ってもらったりで食いつなぎ、生き延びる日々。はやい話がほどこしで命脈をつなぐ人生だ。中には、「みじめで弱くてかわいそうな人間」を演じて人のいいやつの人のよさにつけいる不埒不届き千万不逞の輩もいる。

日本国憲法第25条第1項に明記され、保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」さえままならない。ほとんどの〇〇ライター/物書きは「生存権」が脅かされる生活を余儀なくされている。ワーキング・プアもいいところだ。しかしながら、大昔から怠け者とA( )Cはわけまえが少ないものと相場は決まっている。もって瞑すべし。
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# by enzo_morinari | 2018-06-18 14:56 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

I, The Jelly/俺がクラゲだ! ── 青いヒポポタマスの小さなあくび

 
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俺がNPJ(Natural Psycho Jelly)となるに至った経度と緯度/入射角と反射角について。

前へ煤耳。全体止まミ。右向け石。左向け東。前へなろゑ。こどもの頃から俺にはすべてできなかった。いや。しなかった。俺には前も後も右も左もないし、いつもフワフワユラユラと漂っているからだ。そうするよりほかにないからな。団体行動は苦手だ。

だがよ。俺は漂っても沈まずに生きてきた。悠々としちゃいるが急いでいる。俺には右も左も前も後も上も下もない。全方位全方向。おまけに全天候型だ。ただし、速く移動することはできない。速く移動できない者がとるべき態度はただひとつだ。

1mmたりとも移動しないこと。完全無欠の静止/停止を保持すること。何者も立ち入ることのできない「完全定点」から世界を観察/分析/解読すること。

移動は階級と格差を生むが静止/停止は孤立をもたらしはしても静止者/停止者を自由にする。その者たちはいずれ「サイコパス・アサシンズ」として世界を喰い破りにかかる。そして、俺はナチュラル・サイコ・ジェリーとなり、サイコパス・アサシンズのメンバーとして世界のありとあらゆるものをヒットするようになった。その準備運動のために俺は『出ジパング記』を記さねばならなかった。


青いヒポポタマスの小さなあくび#1 
『出ジパング記』の取材のためにエジプトを訪れて3日目の昼下がり。俺はバビロン行きのオンボロ・バスの後部座席で出口の見えない腹痛と吐気と下痢に苦しんでいた。腹痛と吐気と下痢の原因はダウソ・タウソの浜田(ガイラ)雅功だ。

「エビアン汲んできて。いますぐエビアン汲んできて」

浜田(ガイラ)雅功は俺と眼を合わすことができず、うつむいたままそう言った。くちびるが火星年代記専用服の辛子明太子42個分くらい腫れ上がっていた。

「ハマちゃん。前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ中なところ申し訳ないけどさ。火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がったくちびるでエビアン汲んできてって言われても、おれはへたれ山崎やほほほ~い遠藤章造じゃないんだから、ほほほ~いとフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯までなんか行けないよ」

「ほならオーヤン・フェーフェーかアイフ・モーフェー買うてきて」
「ええええええええええっ! もうそれは去年大失敗したじゃんよ。まだ懲りてないわけ?」
「そんなん言うたかて、わいは拍手とナイス!とイイネとコメントとコメント返しとコメント付き足跡がないと死んでしまうねん」
「じゃ、死ねよ」

俺が突き放すようにそう言うと、浜田(ガイラ)雅功は本当にその場にもんどり打ってひっくりかえり、冬眠中に死んで干からびてぺしゃんこになったソバージュネコメガエルみたいになって死んでしまった。死んでもくちびるは火星年代記専用服の辛子明太子42個分に腫れ上がっていた。『花より男子』にブサイク役で出ていた前田敦子にクリソツで、ブサイクの破壊力は前田敦子以上だった。

煙草1厘2分3毛事件(野村萬斎くっさめ万馬券事件)、電気窃盗事件とならんで20世紀最悪の難事件と言われた「聖フォルトゥナ・トリオンフィ修道院寸借詐欺事件」を解決してまだ日が浅い警視庁捜査1課の名捜査官・松岡正剛警視と法水倍音太郎警部を中心とした精鋭による「タラコくちびる頓死事件捜査本部」が麻布警察署の用具倉庫の一隅に設けられたが、一度も捜査会議が開かれることもないまま「タラコくちびる頓死事件捜査本部」は解散した。浜田の火星年代記専用服の辛子明太子42個分の下くちびるの裏側から前田敦子に大きな栗とリスつけあわせ問題に悩んでいたことを強くうかがわせるおぞましいほど下手くそな字でミミズがのたくりまくって書かれた遺書めいたメモが発見されたからだ。

俺は浜田(ガイラ)雅功の墓前に供える水を汲みにフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯を目指した。死ぬ思いでたどりついたフランスの山奥も山奥の銭湯、エヴィアン・カシャ湯は閉鎖されていた。

「政府閉鎖の影響により本湯は閉鎖します」

ガバメント・シャットダウンと銭湯の閉鎖がどう関係するんだってのよ! もうめちゃくちゃじゃないか! 俺は腹立ちまぎれに近くの井戸で水を汲んで飲んだ。飲んだとたんに眠りに落ちた。そして、夢を見た。こんな夢だ。


夢の中で俺は不思議な女の子に出会う。スカボロー・フェアの帰り道だ。女の子は美しい亜麻色の髪にパセリとセージとローズマリーとタイムで編んだ髪飾りをつけていた。

「あなたが縫い目のないシャツをひと粒の雨も降らない土地の涸れた井戸で洗うことができたら、わたしはあなたの恋人になるわ。そして、千年の間貞節をつくします」

女の子は言うと髪飾りからタイムのひと枝を抜き取って差しだした。俺はタイムの小枝を受け取り、胸ポケットに挿してから拳で三度心臓のあたりを叩いた。凍りついたアルマジロの背中にテニスボールをぶつけたのとおなじ音がした。

「問題は、縫い目のないシャツが手元になくて、おまけに涸れた井戸がどこにあるかわからないってことだ」

俺が言うと、女の子は答えた。

「縫い目のないシャツはわたしがつくるから、井戸はあなたがみつけて」

この夢から俺は「分業」の大切さを学んだ。しかし、縫い目のないシャツはいまだに完成していないし、ひと粒の雨も降らない土地にあるという涸れた井戸もみつかっていない。

それでも、いつかは縫い目のないシャツは完成するはずだし、井戸もみつかるにちがいない。明日やればいいことを今日やらないだけだ。そして、バビロン行きのオンボロ・バスに飛び乗った。乗ったはいいが激しい腹痛と吐気がおそろしいほどの勢いで襲いかかってきた。そして、誰もいなくなった。「死ね死ね団」の創立メンバーを除いて。

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吐瀉物はバケツ2杯分に達していて、のちにギザのピラミッドで観光客らを襲撃することとなる「死ね死ね団」の創立メンバーを除くと、エジプトの民は俺のまわりからきれいさっぱり消え失せていた。このときのバビロン行きのオンボロ・バスの運転手がムハンマド・ホスニー・ムバラクである。いまから思えば実に奇妙なめぐりあわせだったと思う。

俺の腹痛と吐気と下痢の原因については実はまだ心当たりがある。俺はエジプトに来る前、パリで2週間ほどすごし、そのとき、ルーブル美術館のエジプト室に忍び込んであるものを盗みだしていたのだ。

盗みだしたのはエジプトの第12~13王朝時代、紀元前2000年頃にファイアンス技法を用いて作られたセラミックの青い河馬のこどもだった。

青い河馬のこどもは母親だか父親だかの大きな河馬に寄り添うかたちで展示されていた。俺は『M: I』のトム・クルーズばりの装備と『エントラップメント』のサー・トマス・ショーン・コネリーなみの緻密な計画を立てていたが、実際にはルーブル美術館の警備は驚くほどスペイン風にケ・セラ・セラだった。

俺はなんなくセラミックでできた青い河馬のこどもを盗みだした。しかし、それがおそろしい呪いと真の悪夢と不思議な冒険の始まりだとは思いもよらなかった。

俺は耐えきれなくなってついにバスを降りた。「死ね死ね団」のメンバーは俺のことをとても心配して青ナイルと白ナイルが合流するところまでいっしょに歩いてくれた。

俺が「死ね死ね団」のメンバーの憎悪と憤怒の炎に包まれたたくましい背中を見送り、青ナイルと白ナイルがぶつかって川の水の色が変わる場所にみとれているあいだに夕闇が迫ってきた。そして、青い大きな河馬がやってきた。

「息子を返してもらおう。さもないとおまえは永遠に腹痛と吐気と下痢に苦しむことになるぞ。それだけじゃない。ナイルの神であるおれがもっとおそろしい呪いをかけてやる」

そう言ってすごむ青い大きな河馬のうしろには骨をくわえたジャック・ラッセルのNBK(ナチュラル・ボーン・キラー)とインカ・オーロックスのアレアレ・モーモーちゃんと「飛ばない豚はただの豚だ」とまで言いきってアドリア海の空のエースとなった紅豚がならんでいた。俺が盗んだ青い河馬のこどもよりふたまわり大きいこどもの河馬もいっしょだった。

強いめまいがし、俺はその場でイチローばりの広角打法を駆使して雌鶏を連打した直後にすったおれた。青ナイルと白ナイルのあいだを渡ってきた風が心地よかった。そして、また夢をみた。夢をみているあいだ、ずっとファンタン・モジャーの『Rasta Got Soul』が聴こえていた。

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青いヒポポタマスの小さなあくび/ファンタン・モジャー
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-16 14:10 | I, The Jelly | Trackback | Comments(0)

スマタポポヒの考古学

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世界はスマタポポヒだらけである。スマタポポヒであるにもかかわらず、そのことに気づいていないケースが多い。そのような場合は「イタい/痛い/イタタタッ」と評される。「伊丹十三にマルサ固めをくらっって死んだ使用済みンポンタ・コレクターであるタンポポ板前の板井さんの遺体が"No pain, No gain"と言いながらイタドリを貪り喰って痛み入りつつ匍匐前進したのがおかしくて板の間を転げまわったが板の間は痛い」と言ったのはわたくしである。

通常、スマタポポヒは丘の上か高所に生息している。モノカキ・ライターであちこち火をつけてまわる。火のないところに火をつけることをすこぶる好む。ちょくちょく、賢しらに、大仰御大層に、火のないところに煙りを立てる。知らないことだらけだが、もっとも知らないのは恥である。無知にして無恥。「ヒポクラテスの誓い」を「ヒポポタマスの誓い」と言い放って唖然とするジューバコノスミ・キツツキッターに誤りを指摘されても平然としている愕然ぶり。その後、やや悄然憮然とするも、結局はBlue Hippoのブローチをスーツのラペルにつけるエセ泰然自若さと厚顔無恥ぶりは唖然愕然腸捻転等差級数級である。シッタカ貝とシッタカ鰤は大好物だ。シッタカ貝をバカツ1杯食べても死なない。死ねばいいのに死なない。しぶとい。シッタカ鰤は刺身で焼き物で煮物でむしゃぶり喰う。シッタカ鰤ならなんでもござれという具合。

スマタポポヒの各国語は以下の通り。言われた当該国国民は火星年代記専用服の明太子を塗りたくられたアメリカ・マッカチのような顔色になって怒るので、いつでもその場から退却退散逃亡できるような態勢と心算でいることを勧める。

ストゥーピッド(Stupid)/フール(Fool)/モーロン(Moron)/スィリー(Silly)/イディオット(Idiot)/ジャーク(Jerk)/ダム(Dumb)/ダル(Dull)/デレスケート(Dellescate)/デンス(Dence)/フッカー(Hooker)/ニット(Nit)/ナード(Nerd)/ディックヘッド(Dickhead)/ドゥーファス(Doofus)/クラッド(Clod)/イディオ(Idiot)/アンベシル(Imbécile)/フー(Fou)/ドゥム(Dumm)/ヴォケ(Voke)/トンマー(Tonmaa)/トーンマ(Tohnma)/ブーバキキ(Boubaquiqui/Boubakiki)/ハルキンボ(Halkimbo)/ンジンガ(Mjinga)/ウプンバーヴ(Upumbavu)/タワーケ(Tàwàque)/アフォー(Aphở)/ヴァッカ(Vacca)/ボング(Bong)/タンガ(Tanga)/デクノ・ヴォー(Dechno Veau)/べンダン(Ben dan)/シャーズ(Shǎ zi)/フンダン(Hún dàn)/バイチー(Bái chī)/ユーチュン(Yú chǔn)/チュンツァィ(Chǔn cái)/ヂュトウ(Zhū tóu)/アービー(Ér bī)/シャービー(Shǎ bī)/シーサン(Shísān)/シーサンディエン(Shí sān diǎn)/アーバイウー(Èr bǎi wǔ)/ボドー(Bodoh)/ワイランギ(Wairangi)/シェーモ(Scemo)/ショッコ(Sciocco)/ポンコッツォ(Pongcozzo)/タッコ(Tacco)/ストゥーピド(Stupido)/イディオータ(Idiota)/リンコッリョニート(Rincoglionito)/スタ・マーレ(Sta Male)/エストゥピド(Estúpido)/イディオタ(Idiota)/トーロ(Tolo)/ブーホ(Burro)/ドイド(Doido)/イディオッタ(Idiota)/グルピェーツ(Глупец)/ドゥラーク(Дурак)/ヴラカス(Βλακας)/イリスィオス(Ηλίθιος)/ストゥルトゥス(Stultus)/ファトゥウス(Fatuus)/ヒマール(Himaar)/アフマク(أحمق)/ガビー(غبي)......


スマタポポヒは星の数ほどもいる。世界中の街や村それぞれが独自のスマタポポヒを持っている。スマタポポヒはアラビア語でガビー。青いヒポポタマスのガビー。理想主義者にして自由博物館館長のプレストン・ガービー将軍とは縁もゆかりもない。
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-16 10:46 | スマタポポヒの考古学 | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で ── リキシャ・ルームで人生最大の恐怖と幸福を味わった瞬間

 
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遠い日の冬。私は20歳になったばかりで、ビートニク・ガールとは3度目の絶交期に入っていて、高校1年のときから応募しはじめた群像新人賞に5回連続して最終選考で落とされ、挙げ句の果てにはナイーブ・ロースハム系ウガンダ人のハルキンボ・ムラカーミというスパゲティ野郎にまんまと群像新人賞をかっさらわれ、世界やら人間やらに対して希望と信頼を失いかけていた。「スパゲティ・バジリコ」なんて存在すら知らなかった。つまるところ、名もなき青二才だったというわけだ。

横浜馬車道にある有隣堂ユーリン・ファボリ店でスタッズ・ターケルの『仕事!』とマーティン・バークの『笑う戦争』のどっちを買うか迷っているうちに閉店時間が来て、結局、両方とも買えず、1階にあるゲーム・センターでスリー・フリッパーのスペース・シップに有り金のすべてをつぎ込んだ。TILT連続17回のおまけ付きだった。

なんの罪もないピンボール・マシンを蹴飛ばしたことにはいまでも胸が痛む。しかも、スリー・フリッパーのスペース・シップ。スパゲティ野郎の呪いだ。

ゲーム・センターを出るとき、これみよがしに舌打ちを5回してから、猛然と日本大通りを目指した。元町のトンネルの手前でダッフル・コートのフードをすっぽりとかぶり、本牧までとぼとぼとぼとぼ歩いた。世界や人間が無性に腹立たしかった。スパゲティ野郎には憎悪すら感じていた。

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麦田の交差点の信号機が爆音を発して破裂した顛末を見届け、イタリアン・ガーデンやゴールデンカップやリンディやアロハ・カフェのドアを開けただけで中には入らず(リンディの店の外壁に突入している黄色いフォルクスワーゲン・ビートルのオブジェにはいつもどおりのチャランボ蹴りを入れてやった)、本牧亭の肉うま煮丼とサンマー麺の混じった匂いに気を失いかけ、ついには小港のリキシャ・ルームで無銭飲食するつもりでカウンター席に座り、ジム・ビームのダブルのオン・ザ・ロックスを5杯飲んだ。

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いよいよ無銭飲食決行を決意したとき、頬に深い疵のあるバーテンダーが抑揚のない声で、「きょうはおごってやる。きょうだけだぞ」と言って、私の前に6杯目のジム・ビームのダブルのオン・ザ・ロックスを置いた。

今に至るも、それは人生最大の恐怖と幸福を同時に味わった瞬間だった。あの瞬間の痕跡を探しに、いつか、ビートニク・ガールを伴ってリキシャ・ルームを訪ねたいものだ。ひょうきん者のジミーが5ドル札3枚分の嘘くさい笑顔をふりまく本牧埠頭D突堤の付け根にあるシーメンス・クラブにも。

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# by enzo_morinari | 2018-06-15 04:42 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

密航/月の酔いどれ船で見たグレープフルーツのような月とトム・ウェイツとベルリンの壁

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月の酔いどれ船で見たグレープフルーツのような月とトム・ウェイツとベルリンの壁


1987年冬。深夜の横浜港山下埠頭。私と月を見る男はナホトカ行きの貨物船、Drunk on the Moon号に忍びこんだ。目的は大陸までの密航である。時代錯誤もはなはだしい蛮行であったが、気分はまだ見ぬ大陸を思い、爽快だった。

真冬の夜ふけの波止場の空気も風も剃刀で切り裂くように私と月を見る男を苛んだけれども、なぜか心の中はあたたかかった。あたたかかったのは、山下埠頭に来る直前に小港のリキシャ・ルームで頬に深い傷痕のある無愛想無表情のバーテンダーが「餞別がわりだ」とくぐもった声で言ったあとにニッカのフロム・ザ・バレルで作ってくれたホット・ウィスキーを飲んだからだろうが、それだけではない。

煌々芳醇馥郁としてたわわなグレープフルーツ・ムーンは高く、遠かった。まだ見ぬわれわれの祖国、自由放埒な酔いどれの王国はさらに遠い ──。

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密航2日目。私と月を見る男は船員たちが消えうせた深夜の甲板でグレープフルーツのような月を眺めながら、食料庫からくすねたスミノフをまわし飲みした。ウォークマンにトム・ウェイツの曲ばかり集めたTDKのカセットテープをいれ、イヤフォンを二人でわけあって聴いた。

真冬の、密航した貨物船の、船員たちの寝静まった深夜の甲板の、満月の夜の『Grapefruit Moon』とスミノフはわれわれにしみた。マラッカ海峡に轟音とともに真っ逆さまに沈んでゆく巨大な太陽に圧倒されながら飲んだ生ぬるいバドワイザーよりはるかに深く強くわれわれをつらぬいた。

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ナホトカ上陸後、徒歩とヒッチハイクでベルリンの壁をめざした。ベルリンの壁のウォール・グラフィティを目撃しにゆく風狂の旅である。その旅は孤独と困難と寒さと大爆笑の旅でもあった。

ベルリンの壁の前に立ち、われわれは言葉もなかった。言葉は必要なかった。なにかひと言でも言葉を発すれば、われわれの旅のすべてが意味を失い、否定されるように思われた。

本当のことを言えば旅の始まりに目的地などなかったが、なにかを越えたかった。なにかを乗り超え踏み越えて、その先になにがあるのかはわからなかったが、越えたという事実は残る。その手づかみ/赤むけ/リアルを経験したかった。

山下埠頭を出てからベルリンの壁までのあいだに出会った人々や吹かれた風のにおいや見上げた月や悪態をついた太陽やウォッカやウゾやラクやアラックやトーゴー・ビールや羊の丸焼きやヌーヤテンム村の村長からもらった代赭色の印度更紗にくるまれたひと切れのナンの味がよみがえり、うずまき、遠く去っていった。不意に青春の終わりと思った。青春の終わりなどという尻がこそばゆくなるような事態があるとするならば、いままさにこの瞬間がそうなのだろうとも。涙が少しだけ出た。月を見る男もおなじらしかった。次の年、私はのちにセロ弾きとなる女の子の父親になった。

あまたある落書きの中から月を見る男がPINK FLOYD/THE WALLのスプレー・ペイントを発見した。「超えた」と思った。ベルリンの壁も視えない自由も国境も人種も民族も宗教も戦争も紛争も内乱も殺戮も残虐も冷酷/冷淡も無関心も出会いも別離も文化もイデオロギーも正面突破で超えてきたのだと思った。極東アジアの東海の小島から壮大なるアジアン・ハイウェイを自力/他力こもごもに横断し、否応なく歩き、否応なく懇願し、否応なく貪り食い、否応なく酔いどれ、否応なく月に吠え、否応なく太陽に憤怒のつぶてをぶつけ、そして、果てにたどりついたのだと。私と月を見る男の旅は、このとき成就した。円環はたしかに閉じられた。

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あれから30年が経つ。友よ。月を見る男よ。いつの日か開高健を乗り越えようと誓った横浜関内・常盤町のバー「クラーク」の夜。そして、マラッカ海峡に轟々と沈みゆく巨大な太陽を眺めながら飲んだ生ぬるくくそまずいバドワイザーの味を忘れはしない。おまえはとうの昔に身罷って、今頃は鴨志田穣と『火垂るの墓』を肴にどうしようもない涙の酒を酌み交わしているのだろうが、いつかまた、煌々芳醇馥郁としてたわわなグレープフルーツ・ムーンの輝く夜に、山下埠頭から、あるいは世界のどこかの波止場から、どこかの国の古い貨物船に忍びこもう。そして、まだ見ぬわれわれの祖国、自由放埒な酔いどれの王国をめざそう。グレープフルーツ・ムーンは高く遠く、酔いどれの王国はさらに遠い。ゴビ砂漠よりも遠い。友よ ──。


Grapefruit Moon/Thomas Alan Waits
Drunk on the Moon/Thomas Alan Waits
Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen)/Thomas Alan Waits
San Diego Serenade/Thomas Alan Waits
 
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# by enzo_morinari | 2018-06-14 04:28 | カワウソ・ニザンの「途中の死」 | Trackback | Comments(0)