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なつかしき時代 輝く星座生まれの悲しき鉄道員のMr.Mondayはチェレンコフ・ブルーの女神に時刻表どおりに放射能まみれの水色の恋をし、霧の中の二人は悲しき天使の祝福を受ける。

 
なつかしき時代 輝く星座生まれの悲しき鉄道員のMr.Mondayはチェレンコフ・ブルーの女神に時刻表どおりに放射能まみれの水色の恋をし、霧の中の二人は悲しき天使の祝福を受ける。_c0109850_09473007.jpg


それはラジオの時代/45rpmの黒いビニルのドーナツ盤の時代だった。だれもが豊かさとはほど遠い生活を送っていたが、空は青く晴れあがり、どこかサイケデリックに突きぬけていた。そのような時代をわれわれはなつかしき時代と呼ぶ。もちろん、取りもどすことはできないが、温め、埋葬し、諦めきれずに掘りおこし、そっと頬ずりし、埋めもどすことは可能である。それらの一連の行為はわれわれにある種の豊かさをもたらす。そのことはいくぶんかのノスタルジー/センチメンタリズム/アナクロニズムを孕むが無意味ではない。

たかだか100年しか生きない人間にとっては、50年前の出来事はついきのうのことであり、2011年早春の出来事は数時間前のことである。千年のあいだ喪に服すべき出来事だが、すでにして忘れ去られようとしている。

水に流したのか? ちがう。流したのは津波であり、たれ流されたのはRadio-Activity/放射性物質であり、流されたのは計測不能なほど大量の涙である。

Radio-Activity/放射性物質の王であるプルトニウムの半減期は24000年。放出される放射線量が半分になるのに24000年かかる。それでもなお、酒グレ、駄食をむさぼり、虚飾を着飾るか? お能だ歌舞伎だ落語だと浮かれ騒ぎ、極楽とんぼの日々を送るのか? A( )Cをつづけるのか? すべて自由だ。好きにするがいい。バカは死んでもなおらないのだから。外道が堕ちるのは六道のはるかに下なのであるから。


Mr.Monday - The Original Caste (1966)
L'amour Est Bleu - Vicky Leandro (1967)
悲しき天使 - メリー・ホプキン (1968)
Aquarious/輝く星座 - The 5th Dimension (1969)
Venus - Shocking Blue (1969)
悲しき鉄道員 - Shocking Blue (1970)
霧の中の二人 - マッシュマッカーン (1970)
Mamy Blue - Pop Tops (1971)
Radio-Activity Kraftwerk (1975)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-17 00:05 | なつかしき時代 | Trackback | Comments(0)

Heartlight/最後に「いい子で」とだけ言い残して、不思議な植物学者は去っていった。

 
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だれのハートにもあたたかなあかりが灯ればいい。E.T.

取りもどさなくていい。必要なのは、思い出し、掘り起こし、頬ずりし、埋葬することである。E.M.M.

小さな友だちができた。手のひらに乗るほど小さい。小さな友だちはすぐに傷つく。だから、僕が小さな友だちを守る。世界中が敵になってもだ。小さな友だちの名はポー。遠い国からやってきた。

Turn on your heartlight.
In the middle of a young boy's dream.
Don't wake me up too soon.
Gonna take a ride across the moon.
You and me.
N.D.


40年近くも昔のことだ。正確には1982年の冬。遠いところからやってきた不思議な植物学者と出会った。彼の故郷は平行植物世界だった。

不思議な植物学者がやってきたとき、私は23歳で、その年の春の盛りに生まれた女の子の父親になっていた。女の子の母親は女の子を産んですぐに死んでしまったので、女の子は私が一人で育てなければならなかった。CE7K Kids. 第七種接近遭遇の子。

不思議な植物学者の長い指先がまぶしく光り輝き、私と女の子のおでこにふれた。そして、不思議な植物学者は「いい子で」と言った。


Heartlight - Neil Diamond (1982)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-16 20:08 | Heartlight | Trackback | Comments(0)

天使と妖精と酔いどれのクリスマスに向けて/Fairy Tale of Tokyo. Blue Christmas, Little Christmas.

 
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天使と妖精と酔いどれのクリスマスに向けて。


「酔いどれずにやっていられるものか」とアスファルトに吐き捨てる。東京はそうとでもしなければいられない街だ。

東京には天使も妖精もいるがなかなか姿をみせない。彼らはすごく気まぐれで気分屋でわがままなうえに音や光の具合にうるさいので姿をあらわす条件がととのうことはまれだ。

音と光にあふれかえっている東京は天使や妖精どもの気分を損ねつづけている。しかし、ひとたび天使や妖精どもがあらわれると人生がいくぶんか色づく。

これは天使と妖精と酔いどれと彼らのおかげでほんのりと色づいたいくつかの人生の話である。クリスマスまでまだ間があるが、クリスマスの夜まで気まぐれにつづく。おそらく酔いがさめることはあるまい。千鳥足はさらに加速するはずだ。

夢はとっくの昔に粉々に砕け散った。しかし、かけらはまだ残っている。

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赤坂で育った。毎年、クリスマスが近くなり、赤坂の街が赤や白や緑や金色で装いはじめ、街のあちこちからいろいろなクリスマス・ソングが聴こえるようになるとときめいた。いつも見なれている街がまったくちがった表情を見せるのが好きだった。細く小さな路地さえ華やいでいた。曲名はわからなかったがたくさんのクリスマス・ソングをおぼえた。

乃木神社の近くに東京タワーを眺めるための私だけの「秘密の場所」があって、イヴの夜にはかならずそこで何時間かをすごした。寒さにふるえ、かじかんだ指先に息を吹きかけながらライト・アップされた東京タワーを眺め、おぼえたてのクリスマス・ソングを口ずさんだ。宝石のような時間だった。いまでは背の高いビルに阻まれて「秘密の場所」から東京タワーを眺めることはできないが、それでもなお、私には見える。ブルーで小さな私だけのクリスマスの夜が。


世界中のすべての人々にあまねくハッピーで素敵なクリスマスでありますように。北の国の人々にもフクシマで暮らす人々にも。そして、スクルージ爺さんにも。


Blue Christmas - Celine Dion
Have Yourself a Merry Little Christmas - KENNY G (Miracles - The Holiday Album/1994)
Fairytale of New York (Christmas in the Drunk Tank) - The Pogues
Same Old Lang Syne - Dan Fogelberg


Blue Christmas/written by Billy Hayes and Jay W. Johnson

I'll have a Blue Christmas without you
I'll be so blue just thinking about you
Decorations of red on a green Christmas tree
Won't be the same dear, if you're not here with me

And when those blue snowflakes start falling
That's when those blue memories start calling
You'll be doin' all right, with your Christmas of white
But I'll have a blue, blue blue blue Christmas

You'll be doin' all right, with your Christmas of white,
But I'll have a blue, blue Christmas

君のいないブルー・クリスマス
君のことを思うと憂鬱になる
クリスマス・ツリーの赤や緑のデコレーションも
君がそばにいなければ意味がない

憂鬱な雪が降りはじめてつらい思い出がよみがえるとき
君はたのしく過ごすんだろうな 純白の雪に包まれたクリスマスを
でも僕は憂鬱なクリスマス 憂鬱なブルー・クリスマス

 
# by enzo_morinari | 2019-12-15 17:00 | 天使と妖精と酔いどれのクリスマスに向けて | Trackback | Comments(0)

マイナス100度の太陽みたいに/私の「ホテル・カリフォルニア問題」あるいは『同時代ゲーム』に示された世界に関する答え

 
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マイナス100度の太陽みたいに身体を湿らす恋をして、めまいがしそうな真夏の果実は今でも心に咲いている。

曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配をさぐる日々。かつて、 われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。


1983年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、ビーチサイドFMにセットしていたカー・ラジオから稲垣潤一の『夏のクラクション』が聴こえてきた。進行方向左手に2階建ての白い洋館が見えた。渚ホテルだった。右手にはきらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動。そうすることがあらかじめ決められていたようにパウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ type14を停めた。そして、渚ホテルのペーブメントでUターンした。怪訝な表情を浮かべるベルボーイをバックミラー越しに見ながら、再び134号線に出て七里ガ浜駐車場をめざした。

齢の決算書をつくる過程で、泡の時代の「もうひとつの貸借対照表」のための参考資料として1990年前後の自分自身のテクスト、世に出たあまたのテクスト、楽曲/音楽を読み、聴きなおしている。

1990年の夏の盛りに出たサザンオールスターズの『真夏の果実』を聴いていたら無性に泣けてきた。『真夏の果実』の中に出てくる「マイナス100度の太陽みたいに」という言葉が突き刺さった。それは実体をともなってわが身を貫いた。マイナス100度の太陽は、当時もいまもかわらず微動だもせずに頭上にあり、私と世界を灼きつくし、凍りつかせながら輝いている。しかし、いまや世界に伝説の水曜日の大波と稲村ジェーンの消息を知る者はいない。

1990年夏。天国と地獄と残酷と冷酷と冷淡が嵐のように吹きすさんでいた。1990年の春には置き場所に困り、うなるほどあったゼニカネはものの見事に消え失せていた。あのときあったゼニカネはいったいどこに消え失せてしまったのか。すでにして30年近くが経過している現在もすべては解明できていない。これからここに書き示すのはマイナス100度の太陽のごとき日々の記録となるはずだ。


「好きなときにチェックアウトできるが、だれも立ち去ることはできない」@誠実な大江健三郎と『同時代ゲーム』に示された世界に関する答え。

私の「ホテル・カリフォルニア問題」はとても根深い。音楽。波乗り。ウエスト・コーストの上げ底で上っ調子な波。居場所のない青春。裏切り。嫉妬。欲得。愚劣な者と卑劣な者。あさましい魂と高貴な魂と無垢なる魂。友人の死。また別の友人の死。成就した恋。また別の成就した恋。失った恋。また別の失った恋。正しくある世界とうそっぱちの世界。

あの時代、特に『ホテル・カリフォルニア』を聴いたことを境に私は人間も世界も未来も過去もいっさい信用しなくなった。現在すらもだ。「うそっぱち」という言葉がよく口をつくようになり、口ぐせになった。

「うそっぱち」という言葉を武器のひとつとして私が世界デビューを果たした象徴的な出来事がある。高校2年の文化祭のときのことだ。演劇部の出し物で大江健三郎の『敬老週間』をやることになり、私に脚本執筆と演出の役がまわってきた。私は大江健三郎本人の承諾・許可を取らなければならないと強弁して(本音はただ大江健三郎に会いたかっただけなのだが)、東大の仏文を出たばかりの新米教師に大江健三郎と会うためのアポイントメントを取らせ、手土産代と交通費、そしてああでもないこうでもないと屁理屈をつけて合計5万円を生徒会の「文化予算」の中から支出させて、私は成城の大江健三郎宅を訪ねた。大江健三郎本人から快く承諾と許可をもらい、晩めしまでごちそうになった。

食後のお茶の時間。ドアの隙間からこちらを窺う大江光(イーヨー)を睨みつけて撤収させることに成功したのに気をよくした私はトワイニングのアールグレイを音を立ててすすってから大江健三郎に言った。

「大江さん、一杯の紅茶のためなら世界が滅んでもいいというのはいまでも有効でしょうか?」
「うーん。それはどうでしょうね。世界はすでに何度も滅んでいるというのがわたしの考えです」
「大江さんのおっしゃる世界というのは正しくある世界のほうですか? それとも、うそっぱちで出来あがっている世界のほうですか?」
「それについての回答はしばらくお時間をください。まさに僕が現在抱えている問題ですので」
「お時間というのはどれくらいのスケールを考えればいいでしょう?」
「そうですね。次回作の完成後ということでいかがでしょうか?」
「はい。それでけっこうです。私もそのあいだに自分なりの答えを出しておきます」

大江健三郎とすごした数時間はとても有意義で知的で親和性に富んでいた。いま思い返しても幸せな気分になる。そして、大江健三郎が言った「次回作」に答えは書いてあった。『同時代ゲーム』だ。大江健三郎は実に誠実な人物だと思った。

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DISK UNION に引き取られていった2500のウエスト・コーストと再生回数420.1回の『HOTEL CALIFORNIA』

一昨日の夕方くらいから、初めて『HOTEL CALIFORNIA』を聴いたのはいつ、どこで、どのような状況だったかずっと考えていた。考えているあいだじゅう、『HOTEL CALIFORNIA』を繰り返しかけた。再生回数420.1回。420.1? そうだ。最後の1回はドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるイントロのギター・ソロ部分でもはや耐えきれなくなってアンプリファイアーを Shut Down した。だから、正確には420回だ。『HOTEL CALIFORNIA』は6分30秒の楽曲であるから、私は「ホテル・カリフォルニア問題」を45時間半にもわたって考えていたことになる。丸々二日近く。眠らず、飯も食わず、一回だけラバトリに立ったほかはオーディオの前から離れなかった。「いままさに自分のいるこの場所がまぎれもない『HOTEL CALIFORNIA』である」と気づいたとき、421回目の『HOTEL CALIFORNIA』が始まった。もはや限界だった。

遠い青春の日々。「青春」などという甘っちょろい言葉では言いあらわすことのできない修羅と失望と諍いと悲しみの日々。そして、ある日を境に私は『HOTEL CALIFORNIA』をまったく聴かなくなった。『HOTEL CALIFORNIA』だけでなく、イーグルスをはじめとするウエストコースト・サウンド、さらには「ウエスト・コースト的なるもの」から遠く距離を置くようになった。

集めに集めたLPレコードはジャズと古典楽曲とレゲエとアフロビートと民族音楽を除いてすべてDISK UNIONに叩き売った。2500枚くらいあったと思う。当時、まだ無名だったサザンの桑田佳祐が私のレコード・コレクションを聴くために私の部屋に何回もやってきたほどだ。

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私はサーフ・ボードもスケート・ボードも手放した。サーフ・ボードは自分の命より大事だった。「1980年代」というスカで空っぽでうそっぱちでインチキな時代がすぐそこまで迫っていた。「1980年がやってくる前に死のう」と本気で考えていた。1950年代末に生まれ、黄金の少年時代を1960年代に生き、青春のただ中を1970年代に過ごしたんだ。もう思い残すことはない。あとは腐っていくだけだ。そう考えていた。実にいい考えだ。

悪運か強運か悲運かはわからないが、私は今日まで生き延びてしまった。生き延びてしまったが、当時の考えはいまもまったく変わらない。変わらないどころか日々強固に頑迷になっている。

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伝説の大波と先の見えない時代を乗り切るために作ったサーフ・ボード。ジェリー・ロペスが私にだけ教えなかった事と私にだけ教えてくれた事。

そのサーフ・ボードは茅ヶ崎海岸のサーフ・ショップでオーダーした特注品だった。トリプル・フィン。リーシュ・ホールなし。いま思えば斬新だ。革新、革命とさえ言いうる。ジェリー・ロペスの派手でアクロバティックなライディングがもてはやされていたサーフィン新石器時代だ。あの時代にトリプル・フィンのサーフボードに乗っていた波乗り野郎は世界に10人もいなかったはずだ。私のオーダー・シートを見るサーフ・ショップのオーナーもしきりに首を傾げていた。

「トリプル・フィン? なにこれ?」
「フィンがみっつ」
「やってくれるかな。かなり複雑だ。強度と剛性の問題もあるし」
「なんとかやってもらってよ。波乗りの神様のお告げなんだ。”トリプル・フィンの板を作れ。祈れ。そして稲村ケ崎の伝説の大波に乗れ。”って」
「ベース・カラーはピュア・ブラック?」
「漆黒。真っ黒けっけってこと」

オーナーは呆れ顔だ。

「で、稲妻はピュア・ホワイト」
「そう。純白。真っ白けっけ」

そこでオーナーはやっと笑った。

「真っ黒けっけと真っ白けっけ」
「そう。まさにおれのこと」
「よく言うよ。時間はきっちりもらうよ。この商売をはじめて20年になるけど、こんな複雑なオーダー・シートはみたことない。ボルトのシェイパー、ビルダーも目を丸くするぜ。やつらはきっと言うはずだ。”オー! マイ・ガッド! ディスオーダーだ! ディザスターだ!”」
「災厄って? それならいっそういい。ざまあみろだ。先っぽの角度と底のベルヌーイ・ラインの本数を増やして、形状ももっと複雑にしてやろうかな」
「おいおい。かんべんしてくれよ、樽くん」
「へへへ」

そんな思い出と思い入れのあるサーフ・ボードを手放すのはかなりの勇気が必要だった。きっかけはある友人の死だ。

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ヨシノ・コージの死と「ウエスト・コースト的なるもの」との訣別

私の特注サーフ・ボードは3ヶ月後の夏の初めにできあがった。ボードを砂浜に突き刺すとモノリスみたいに見えた。太陽の加減で白く見えることもあった。あるいは透明にも。ブラック・ライトニング・ボルト。あるいはホワイト・ライトニング・ボルト。存在の耐えられない透明な波乗り板。真っ黒けっけで真っ白けっけ。いろいろな矛盾をはらみつつ世界に確かに存在し、生きている私にはぴったりのサーフ・ボードだった。

何人かのサーファーがやってきてはああでもないこうでもないと私のサーフ・ボードについて話し、当然、彼らには「答え」も「結論」も、それらに類することも見つけられずに去っていった。私は心の底から思い、七里ガ浜の海岸に向かって吐き捨てた。

「おまえらごときにわかるわけねえよ」

プロ・サーファーのヨシノ・コージも私のサーフ・ボードの噂を聞きつけてやってきた。ヨシノ・コージは天才肌の波乗り野郎だった。私ともけっこう仲がよくて、七里ガ浜のヨシノ・コージの家のウッドデッキで何回かイケナイ・ルージュ・マジック・スモクをやったこともあった。ヨシノ・コージは体質的にイケナイ・ルージュ・マジック・スモクが利きやすいようで、すぐにオーバードーズになった。オーバードーズ状態になるとヨシノ・コージはかならず「乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン♪ 波に波に波に乗れ乗れ♪」を歌いながら完全オリジナル振り付けの波乗りダンスを踊った。それは見ものと言ってもいいくらいに見事な波乗りダンスだった。ヨシノ・コージの波乗りダンスの評判を聞きつけた史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーが哲学猫のデンケン・フォン・エクスペリメントと箱猫のシックスボックス・キャットと境界線上の猫のサウスオブボーダー・キャットを連れて見学にくるほどだった。

そして、私はそんなヨシノ・コージの死とヨシノ・コージの死をめぐるいくつかの出来事によってあらゆる「ウエスト・コースト的なるもの」に別れを告げるに至った。

これからここに私が書きしるすのは1970年代への「挽歌」としての『HOTEL CALIFORNIA』の思い出とヨシノ・コージという高貴で無垢なる魂を持つ者が時代と世界と臆病姑息強欲な下衆外道どもにどのようにして食い殺され、死んでいったのかという記録である。慰めなどない。何度も言うが慰めやら癒しやらはすべて村上春樹に任せてある。私の係ではない。

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嵐の朝に君に告げるべきこと。「サザンビーチちがさき」などというふざけた名前がつくずっと前の茅ヶ崎海岸と鼻先で舞い踊るSEX WAXの甘い匂い。ホンモノかただのカスかの分かれ目

当時の湘南エリアにおける波乗り状況は最悪だった。波がない。あるのは膝小僧くらいまでしか立たない波だ。湘南エリアでまともな波が立つのは稲村ケ崎における第一水曜日の夕方だけだった。伝説の大波。稲村ジェーン。映画はひどいものだったが、「伝説の大波」は本当の話だ。「伝説の大波」に乗った伝説の波乗り野郎7人のうちの一人が『珊瑚礁』のいまは亡き名物オーナー、髭デブアロハおやじだ。髭デブアロハおやじは日本初のロングボード・ライダーでもある。そのことを知る者はいまや私をのぞいてジェリー・ロペスくらいのものだ。

ろくな波がないにもかかわらず、「サーフィンとサーファーはカッコイイ」というポパイだかオリーブだかブルータスだかのマガジンハウス系の腑抜けた雑誌に踊らされた者どもが大挙して湘南エリアに押しかけ、胸を反り返らせるまともなパドリングもできないような軟弱でいかにも脳みその皺の本数が少なそうでA( )Cな奴らが芋でも洗うように湘南の海に浮かんでいた。

いくら待ってもまともな波は来やしない。逆に台風が接近して大きくていい波が入り、風がみごとにオフショアとなる絶好の「波乗り日和」には「自称サーファー」の数は激減した。「毎日でも嵐がくりゃいいんだ」とヨシノ・コージと渡辺香津美の『嵐ノ朝ニ君ニ告グ』を聴きながら笑いあったことがなつかしく思い出される。

マットンヤー・ユミーンの歌のいくつかも「自称サーファー」と「自称サーファー」のステディ志願の脳みそのしわのないツルリンコシャン馬鹿おんなどもの増加と湘南侵略に拍車をかけ、「自称サーファー」が色とりどりのサーフ・ボードをクルマの屋根に乗せて湘南エリアに殺到した。中にはクルマの屋根にサーフ・ボードを乗せ、身なりはアメリカの西海岸から一昨日帰ってきたばかりとでもいうような「ウェスト・コースト風」にキメていながら海に入ることすらしないばかりかクルマにもたれているだけの「陸サーファー」がけっこういた。彼らはクルマの窓を全開にし、カーステレオの音量をMAXにして見せびらかすようにウェストコースト・サウンドをかけた。

J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウン、ドゥービー・ブラザース、ポコ、リンダ・ロンシュタット、そして、イーグルス。しかし、選曲についてはお世辞にもセンスがあるとは言えなかった。

センス。大事なのはセンスだ。センスのない奴はなにをやってもダメだ。センスのない奴らが何百万人集まろうと生まれるのは愚にもつかないおべんちゃらときれいごとだけだ。
重要なのは数じゃない。たった一人で炎の中心に立ちつくす勇気を持っているか持ちつづけることができるか。まさにそこがホンモノかただのカスかの分かれ目だ。

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『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじの思い出。帰らぬ青春を惜しむならなにゆえに生きながらえようとするのか?

1970年代には七里ガ浜の山の上にあるレストラン『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじはまだ生きていて、元気で、ぶっきらぼうで、べらんめえだった。

会いたい。髭デブアロハおやじにすごく会いたい。七里ガ浜で湘南のロコ野郎どもと乱闘寸前になったとき、髭デブアロハおやじが仲裁に入ってくれた。ロコ野郎どもが去ったあと、髭デブアロハおやじは私の肩を叩き、「よく我慢した。褒めてやる。店にこい。好きなだけ飲んで、好きなだけ喰え。御褒美だ。いいな?」とドスのきいた声で言った。真っ黒に日焼けした顔がすごく爽快だった。爽快そのものだった。50年以上生きてきたが、髭デブアロハおやじの笑顔くらい爽やかな笑顔にはお目にかかっていない。

理由も理屈も説明も言い訳もいらない人生があるのだということを私は『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじから教わった。仕事中に心臓麻痺で死んじまってからいったい何年が経つんだ? 『珊瑚礁』の名物髭デブアロハおやじのことをおぼえている奴はまだいるのか?

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1978年夏、七里ガ浜駐車場合戦

1978年夏。七里ガ浜駐車場合戦は珊瑚礁ビーチ・サイド店のテラスに置かれたアルテックA7シアター・モニターから大音量のアール・クルー『Summer Song』が聴こえると同時にその火ぶたを切った。序盤、地の利を生かした横浜・横須賀・湘南連合軍がゲリラ戦法により東京勝てば官軍を江の電七里ガ浜駅前まで追いつめたが、軍勢、物量ともにまさる東京勝てば官軍は鶴翼の陣形によりじわじわと形勢を挽回し、ついには横浜・横須賀・湘南連合軍を稲村ケ崎の古戦場まで追いつめた。いま、まさに横浜・横須賀・湘南連合軍が湘南の海の藻くずと消えんとしたとき、神風が吹いた。日蓮が首を刎ねられかかったとき以来、800年ぶりに吹く神風であった。天はしかし、横浜・横須賀・湘南連合軍に加勢したわけではなかった。両軍がまさに白兵戦に入ろうとしたとき、天はとっておきの采配をふるったのである。

忘れられたBIG WAVE、稲村ジェーン。

天は伝説の大波を両軍めがけて解き放ったのだ。稲村ジェーンは轟々と、しかし、静かに押し寄せ、横浜・横須賀・湘南連合軍と東京勝てば官軍の両軍を飲み込んだ。そして──。

七里ガ浜駐車場から横浜ナンバー、横須賀ナンバー、相模ナンバー、品川ナンバー、練馬ナンバー、足立ナンバーが消え、音楽はアール・クルーから矢沢永吉へとかわり、埼玉・群馬・茨城・千葉ヤンキー軍による戦国時代へと突入した。

小夏中将麻布椰子の守御茶亜「来世では仲良くしよう。」

燕蔵少将本牧埠頭の守樽麻呂「はい。ぜひ。」
小夏中将麻布椰子の守御茶亜「それまでは、なにして遊ぶ?」
燕蔵少将本牧埠頭の守樽麻呂「百年の孤独をかこちましょう。」

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【背景音楽】

The Eagles
『Hotel California』『Life in the Fast Lane』『After the Thrill is Gone』『Desperado』

America
『A Horse with No Name』『Ventura Highway』

Crosby, Stills & Nash
『Our House』『Helpless』

Nicolette Larson
『Moon & Me』

Neil Young
『Harvest Moon』

Pat Metheny Group
『Travels』

Salif Keita
『Folon』『Mandjou』

加古隆
『風のワルツ』『黄昏のワルツ』『パリは燃えているか』

宇多田ヒカル
『Time Will Tell』

夏川りみ
『童神~ヤマトグチ~』

Andrea Bocelli
『Somos Novios (Duet with Rimi Natsukawa)』

Stevie Wonder
『Ribbon in the Sky』

HAPA
『Pau 'Ole Ka 'I'ini』

Teresa Bright
『Hula Heaven』

Third World
『Lagos Jump』

Tina Louise
『It's Been a Long, Long Time』

Tom Waits
『Grapefruit Moon』『Drunk on the Moon』

Quincy Jones
『Back on the Block』

George Benson
『Ode to a Kudu (Weekend in LA)』『Being with You』

渡辺香津美
『DOGATANA』『E-DAY PROJECT』『嵐ノ朝ニ君ニ告グ』

ビートたけし
『浅草キッド』

吉田美奈子
『星の海』『Airport』『月明かりの中庭』

松田聖子
『Sweet Memories』

大滝詠一
『カナリア諸島にて』『Velvet Motel』

Heavy D & The Boyz
『Now That We Found Love (feat. Aaron Hall)』

2PAC
『California Love』『Ghetto Gospel』『My Own Style』

AK69
『One Way, One Mic, One Life』

Joe Sample & Lalah Hathaway
『Street Life』

Grover Washington Jr.
『Winelight』『Just the Two of Us』

Jonell Mosser
『Ordinary Splendor』

June Christy
『Something Cool』

Keith Jarrett
『Country』『I Loves You, Porgy』『My Wild Irish Rose』『Be My Love』

『Danny Boy』
Danny Walsh, George Jamison, Norman Stanfield & William Paterson, Charlie Haden & Hank Jones, Michel Petrucciani, Celtic Woman, Eva Cassidy, Sarah Vaughan, Glenn Miller, Art Tatum, Bill Evans, Brigid Kildare & Sinead O'Connor

naomi & goro
『Home Sweet Home (Good Night Version)』

New York Jazz Trio
『Memories of You』『When You Wish upon a Star』

New York Quartet
『Maturity/New Cinema Paradise』

Jacky Terrasson
『Sous le Ciel de Paris』

GONTITI
『いちばん大事なもの』『放課後の音楽室』『Closed Book』

Jackson Browne
『Jamaica Say You Will』『The Load Out』『Stay』『Late for the Sky』

Jack Johnson
『Better Together』『Never Know』『Better Together (Live at The Moonshine Festival. 9 Oct, 2004)』

Earl Klugh
『Summer Song』『Long Ago and Far Away』

Ennio Morricone
『Once Upon a Time in America』『Friendship and Love(feat. Edda Dell'Orso)』

The Crusaders
『Soul Shadows』『Street Life(feat. Randy Crawford)』

Sting
『Shape of My Heart』『The Pirate's Bride』

Craig David
『7 Days』『Time to Party』

Southern All Stars
『忘れられた BIG WAVE』『真夏の果実』『TSUNAMI』『逢いたくなった時に君はここにいない』『涙のアベニュー』『夏をあきらめて』『いとしのエリー』『Oh! クラウディア』『Ya Ya ~あの時代(とき)を忘れない~』『勝手にシンドバッド』『匂艶 THE NIGHT CLUB』

山下達郎
『さよなら夏の日』『Groovin'/Rainy Sunday Afternoon (Live in Hayama 1980)』『Loveland, Island』『My Sugar Babe』『Ride On Time』『MONDAY BLUE』『The Theme From Big Wave』『Endless Game』『Morning Glory』『I Love You . . . Part1&Part2』『潮騒』『2000トンの雨』『2000トンの雨 (2003 New Vocal Remix)』『ずっと一緒さ』

荒井由実
『ひこうき雲』『海を見ていた午後』『さざ波』『晩夏(ひとりの季節)』『航海日誌』『私のフランソワーズ』『あの日にかえりたい』『空と海の輝きに向けて』『朝陽の中で微笑んで』『天気雨』『何もなかったように』

松任谷由実
『サーフ天国、スキー天国』『シーズンオフの心には』『恋人と来ないで』『潮風にちぎれて』『あの日にかえりたい [acoustic version] feat. Lisa Ono』『雪月花』『Good Luck and Good Bye』『シンデレラ・エクスプレス』『ノーサイド』『ロッヂで待つクリスマス』『グレイス・スリックの肖像』『時のないホテル』『雨に消えたジョガー』『スラバヤ通りの妹へ』『9月には帰らない』『青いエアメイル』『NIGHT WALKER』『最後の春休み』『Tower Side Memory』

岡崎律子
『For フルーツバスケット』

宮本文昭
『風笛』

久石譲
『マルコとジーナのテーマ』

Skeeter Davis
『The End of The World』

Israel "IZ" Kamakawiwo'ole
『Somewhere Over The Rainbow/What a Wonderful World』

(つづく)
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真夏の果実 Southern All Stars
 
# by enzo_morinari | 2019-12-14 22:35 | マイナス100度の太陽みたいに | Trackback | Comments(0)

野宿ゲーム/世界中にありとある寒さとひもじさをすべて引き受けてふるえろ。

 
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世界中にありとある寒さとひもじさをすべて引き受けてふるえろ。

立ちん坊人生味なもの。通天閣さえ立ちん坊さ。

工事終わればそれっきり。お払い箱のおれたちさ。

今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ。

Shoeless, Homeless, Harmless, Warmless, I am. Mindless, You are.


立ちん坊人生ゲームの『一か八か』で10回連続でPoor Farm(貧乏農場)行きした記念に青山墓地B地区9696街区のSkid&Spike Roadで野宿ゲームをやった。ホームレス天国の代表として、ホームレス幽霊のHONDA PEE-SUKEが飛び入り参加した。夢見る行旅死亡人御一行様とスミダの岸辺の身元不明美少女隊69と夜の銀狐のハマのメリーさんと河原町のジュリーと初代広島太郎はオブザーバーとして野宿ゲーム参加者を生暖かく見守った。

野宿ゲームのルール/掟はただひとつ。生き延びて朝を迎え、炊き出しめしの闇鍋を腹一杯喰うこと。野宿ゲームの勝者には焼酎1年分と肝硬変勲章が授与される。

東心斎橋にあるBarのCodeでああでもないこうでもないアーダコーダウーダウーダと飲んでいた。いまやっている仕事が終わればまたプーターロ・デイズに逆戻りだ。相方のキサーマはノブノブ・ダイゴダイゴでお話にならない。「後醍醐天皇は生きて、死んで、また生きる。Go Die Go. Die Go Die. すなわち、千鳥足。醍醐、ノブる。」と言われてモナー。まったく。

腹立ちまぎれに、岡林信康の『山谷ブルース』の「お払い箱のおれたちさ」を「お払いバー・コードのおれたちさ」と小声で歌って海原はるか(立ち位置右/ボケ担当)を遥かに超え、竹村健一(蓋然性京都大学文学部英文科卒/フルブライト奨学金先輩/マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージ/マッサージである」という主張を大誤解して、ヤタラメターラ原発事故無責任男ハルンキンボ班目元原子力安全委員会委員長の左耳に熱い吐息を吹きかけながら「マダラメー♪」と息も絶え絶えハゲもほどほどに按摩をするのがアタマにバー・コード。東京神楽坂の料亭「グーテンベルクの銀河系」に多額のツケあり。ほかにも残債務莫大。「ハゲ・カルチャーの大司祭」としてメディアへの再露出/リブレイクを画策するも大滑り。ほとんどツルツルなだけに)をだいたい屋根裏部屋に閉じこめてしまうくらいの自頭のバー・コード禿げをみせびらかした。すると、ベルモット・グリーンのニッカーボッカー・ズボンを穿いたマルティーニ・エ・ロッシ生き写しの50がらみのバーテンダーが「世間恨んでなんになりますか」と囁くように歌って、カクテル・グラスとBeefeater London Ginのボトルを私の前に滑らせた。牛喰いの貌はいつもより凄みがきいているように思えた。

ニッカーボッカー・ズボンを穿いたマルティーニ・エ・ロッシにクリソツのバーテンダーはベルモットのボトルを逆さにして「À bout de souffle! Here’s is looking at you, Kids!」とJump Shot技法を織り交ぜたマルセイバタサンド・サント=ブーヴ・マルセイユ訛りで叫びながら上下にジャン・ポール・ベルモンド+ハンフリー・ボガート風に軽くふり、ベルモットが沁みたコルクでグラスの淵をさっと拭いてからBeefeater London Ginをグラスにそそいだ。カクテル・グラスにはすぐにきれいな霜がついた。

しばらくマティーニを眺め、ウィンストン・チャーチルとアーネスト・ヘミングウェイとクラーク・ゲーブルとジョン・ウェインとチャールトン・ヘストンのことを考えてからグラスを手に取って飲もうとしたとき、マルティーニ・エ・ロッシにクリソツのバーテンダーは私を制して言った。

「少々、お待ちを。」

マルティーニ・エ・ロッシにクリソツのバーテンダーはベルモットをショット・グラスに少し注いでから口に含んだ。そして、私に向かってベルモットの香りのする息を吹きかけた。いい香りだった。そして、マティーニを飲んだ。

そんなようなことを3度つづけ、気分もいくぶんかよくなったので帰ることにした。

「チェックを。」
「ありがとうございます。またのお越しを。どうか、お払い箱になりませんように。」
「うん。お払い箱のおれたちだけど、払いはバー・コードで。」

時代はすっかりスッカラカンにMindlessになってしまったが、Cashlessはわるくない。


ScavengerをWaste Pickerと言い換えたところで、廃棄物も貧困も差別/被差別の構造もなくなりはしない。隠蔽という新しいゴミが増えるだけである。

Slum. スラム。貧民窟。退廃地区。山谷、寿町、釜ヶ崎が天国極楽に思えてくる場所が世界にはゴマンとある。

Slumで画像検索すると22,000,000件がヒットする。そこにはリアルな貧困と困憊と窮乏のかたちの一端がみてとれる。

世界中でスラム化は加速度的に進行している。2030年には世界のスラム住民は20億人を突破する。もう、だれにも、なにごとをもってしても、その事態、流れは止められない。

このリアルを前にして、20110311と20110314の震災と原発事故後、故郷/Home Townを追われたままの者について見て見ぬふり、聞いて聞こえぬふりを決めこんで喰らうバカめし、罰当たりめし、飲む乞食酒はうまいか? ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンはおセレブ感たっぷりにうまいのか? 暖炉は暖かいか? 暖炉の薪がパチパチ爆ぜる音を聴きながら飲むCafé au laitはうまいか? 馬子にも衣装で着飾るのはたのしいか? 暮らし、ライフ・スタイル自慢はゴキゲンか? 反吐が出る。カーッ(゚Д゚≡゚д゚)、ペッ ( ゚д゚)、ペッ

山谷ブルース 岡林信康
釜ヶ崎人情 三音英次
山谷ブルース 吉幾三
 
# by enzo_morinari | 2019-12-14 21:05 | 野宿ゲーム | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で。/平潟湾の夕暮れに流した涙のゆくえ。CODで生きるということ。

 
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1970年代の横浜でCOD(Cash On Delivery)で生きることの気持ちよさを学んだ。

横浜市大のシェイクスピア・ガーデンで槍を振りまわし、腐ったニシンを食べることについて考えたのは半世紀近くも前のことだった。


人生は You're the First, the Last, My Everything あるいは Love Unlimited に越したことはないが、なんと言っても一番大事なのはSafety FirstとCash On Deliveryである。私はこれを遵守しなかったためにかれこれ男女鍋釜取りまぜて13人の子持ちシシャモである。その先にいくたりつづいているのか考えると気が遠くなる。50歳を過ぎた頃に数えるのはやめた。ハナマサの冷凍室担当もビックリイングリモングリである。

Prohibition of Life
ヒスノイズの中に時折混じるホワイトノイズを辿って行きついた先は全開バリバリのバリー・ホワイト邸の主賓室、アーリー・マイラブな無限の愛の間だった。全開バリバリのバリー・ホワイトはパロパロだかパラパラだかパオパオだかペロペロだかポロポロだかペモペモだかニマニマだかほざきながらファンキファンキしていた。オノマトペもここまでくると斧とマペットもいいところである。さて、そこだ。


昔々、横浜で。

高校生の頃、安くてくそまずいコロッケ定食を食うだけのために金沢八景にある横浜市立大学の学食に忍びこんだことがある。コロッケは1個、キャベツ山盛り。申し訳ていどの漬け物と色がついているだけの味噌汁。140円也。

「これじゃ、コロッケ定食じゃなくてキャベツ定食じゃんよ」

配膳口で学食のおばちゃんにそう言うと、おばちゃんは「じゃ、これ、オマケ」と言ってとんかつとコロッケを皿にのせてくれたうえに、ライスを巨大などんぶりにテンコ盛りした。そして、ウィンクした。おばちゃんのウィンクにはちょっと寒気がしたが、おかげで腹いっぱいになれた。その学食のおばちゃんとは高校3年の秋から冬にかけて恋愛関係になるのだが、それはまた別の話だ。

食後、シェイクスピア・ガーデンに寝転んでショッポで一服していたら、やさしいサヨクのためのディベルティメントをくちずさむ薄っぺらな左翼学生にオルグされかけた。私は日本国憲法と軍人勅諭と小林秀雄と三島由紀夫と吉本隆明と大江健三郎と坂口安吾と『古事記』と『万葉集』と『古今和歌集』と『新古今和歌集』と『今昔物語』と『方丈記』と『エゼキエル書』と『碧眼碌』と『甲陽軍鑑』と『葉隠』と『草枕』と『いきの構造』と『侏儒の言葉』と『ライ麦畑のキャッチャー』と『長距離走者の孤独』と『赤ずきんちゃん気をつけて』と『白鳥の歌なんか聴こえない』と『狼なんかこわくない』と『ゴドーを待ちながら』と『絶対の探求』と『人間喜劇』と『複製技術時代の芸術』と『泥棒日記』と『善の研究』と『純粋理性批判』と『精神現象学』と『夢判断』と『孤独な散歩者の夢想』と『シルトの岸辺』と『悪魔の辞典』と『中世の秋』と『存在と無』と『エロスの涙』と『存在と時間』と『世界の共同主観的存在構造』と『異邦人』と『二重らせん』と『セロ弾きのゴーシュ』と『銀河鉄道の夜』と岡林信康と『イムジン河』と『ダニーボーイ』とボブ・ディランとエルヴィス・プレスリーとマイルス・ディヴィスと『至上の愛』と『ケルン・コンサート』と『あしたのジョー』と『ハレンチ学園』と『忍風カムイ外伝』と『サスケ』と『ガキデカ』と谷岡ヤスジとブレヒトとガストン・バシュラールとフッサールとアインシュタインとシュレディンガーと『無伴奏チェロ組曲』とワグナーと『魔笛』を無理矢理組み合わせる「荒技」で論破し、へっぽこ左翼学生を号泣させ、吸いかけのハイライトとまだ封をあけていないハイライトを「供出」させた。凱旋気分でサニーマートのゲームセンターに乗り込み、居合わせたYTCと横須賀学園の「とっぽい奴ら」と路上肉体言語合戦(ストリート・ファイト)をやり、二人は踏みつぶし、残りの三人に組み敷かれたところで、目の前の金沢警察署のぼんくら警官どもにさらに取り押さえられ、補導された。

担任の新米教師が身柄を引き取りに来るまで、3時間にもわたって少年課の萩原という好々爺然とした刑事に諭され、励まされ、握手を求められ、嗚咽された。のちに判明したことだが、萩原さんは中学の同級生の父親であった。縁とはかくも深く、不可思議なものである。成人後も萩原さんとは年に一度くらいのペースで会い、酒を飲み、思い出話、四方山話に花を咲かせたが、先頃、亡くなってしまった。そんなことと、そんなことにまつわることと、そんなことにはいっさいまつわらないことをなつかしく思いだす。たのしい思い出がほとんどだが、ほろ苦いのや甘酸っぱいのもわずかながらある。

横浜市立大学はユニヴァシティというよりも、英国のカレッジといった風情を醸すいい大学だ。質と仕立てのいい英国製シャツのような印象であった。「余計な手を加えていないモスグリーンのモーリス・ミニクーパーのような大学」というわけのわからない形容をあえてしたくなってしまう学び舎である。一時期、進学先の候補にリストアップしたが、「東大進学者数のアップ」を至上命題、金科玉条と崇め奉る愚かな担任と定年間近の木偶の坊学年主任の懇願を受け入れ、受験することはやめた。横浜市大に入っていれば私の人生もまた別の風貌、色づきを呈していたかもしれぬ。

今はもう跡形もないらしいが、シェイクスピア・ガーデンは横浜市大のキャンパスの一隅にある実に魅力的な英国式庭園だった。横浜でもっともスローで晴れ晴れとした春が訪れる場所。シェイクスピア・ガーデンを舞台にした1970年代後半の「いい話」をいつかものにできたらいいと思っていたが、手持ちの残り時間から勘案して間に合うかどうか。

金沢八景。数えきれぬほどの思い出やら「貸し」やら「借り」やらを置き去りにしてある街だ。いつか取りもどしにいこうと思いながら、もう半世紀近くの歳月が流れてしまった。貸し借りなしの人生が決してゆずれぬ信条でもあるので、アデュー、アディオースのときまでには「貸し方/借り方」双方をゼロにし、貸借対照表をきれいさっぱり破り捨てるためにもきっちりとけじめをつけねばなるまい。そして、そののち、『人間最期の言葉』の末尾にでも「辞世」が載るくらいの仕事はしたいものだ。

野島橋の欄干にもたれ、平潟湾を染める夕陽に心ふるわせて流した涙がガラス玉だったのか。それとも、塩味のダイヤモンドだったのか。いつか確かめにいかなくてはならない。もちろん、八景島シーパラダイスなど知ったことではない。


You're the First, the Last, My Everything - Barry White (1974)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-13 21:28 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

正当化された殺人の記録/1杯の紅茶のためなら世界が滅んでもかまわない。

 
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1杯の紅茶のためなら世界が滅んでもかまわない。

金貸しがいなくなるなら世界が滅んでもかまわない。

金貸しを食い物にするのがLoan Shark Hunter(金貸し鮫殺し)の仕事だ。

金貸しへの対処法はみっつである。返さない。弱みをみせない。そして、貸金業法と利息制限法と出資法をはじめとする法令法規/条例/諸規則の活用である。


私は20歳だった。私はラスコリニコフであり、大審問官であり、スビドリガイロフであり、スタヴローギンであり、ヴェニスの商人殺しであり、ヴェニスのユダヤ人金貸し殺しであり、Loan Shark Hunterだった。それが人の一生で一番美しい年齢だなどとはだれにも言わせまいと思って生きていた。1杯の紅茶のためなら世界が滅んでもかまわないとも。金貸しは外道鬼畜のやる所業であるとも。さらには、金貸しがいなくなるなら世界が滅んでもかまわないとも。そして、生涯3度目の殺人を実行した。

1970年代末。サラ金の悪徳悪辣悪業悪事が目に余りはじめた時代だった。ネロもカリギュラでさえも顔色を失う悪徳の栄えの時代。友人の親たちがサラ金どものせいで蒸発し、死を選んだ。腹にすえかねていた。そして、20歳の冬。名うての金貸しの因業ババアを殺した。

金貸しの因業ババアは「ふくぶくローンの円賀ちよ」というふざけた看板を掲げて街の外れで高利貸し商売をやっていた。

金貸しの因業ババアの死体は王水で溶かし、本牧埠頭のD突堤から横浜港に流した。事件は迷宮入りした。時効も成立している。そもそも、死体が出ていないのだから事件化すらしていない。証拠は散逸し、なにひとつ残っていない。金貸しの因業ババアが消えて、世界は少しだけよくなったのだと心の底から思った。

この経験は、のちに、債務整理、任意整理、過払い金返還請求を生業としてやる際のなにがしかの参考になった。


荒野のならず者/Dirty Ol' Man - The Three Degrees (1973)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-12 23:39 | Loan Shark Hunter | Trackback | Comments(0)

Road of Death/Prologue or “War. What Is It Good For?”

 
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War. What Is It Good For? E-Star


ベトナム戦争末期。Route 16/国道16号線の横浜南端から横須賀北端にかけた5kmほどの区間では不可解な死亡事故が頻発した。そのエリアは、いつしか、だれ言うともなく”Road of Death”と呼ばれるようになった。

1973年1月27日のパリ協定から1975年4月30日のサイゴン陥落までの2年3ヶ月の間にRoad of Deathでは67件の重大交通事故が発生し、103名が死亡している。

Road of Deathは戦場だった。Road of Deathで起こったことはまさに戦争と言ってよかった。

Road of Deathで友人が8人死んだ。肉がちぎれ、弾け飛んだ8人の若者の死にざまの話だ。だが、死は敗北ではない。


黒い戦争/War (What Is It Good For?) - Edwin Starr (1970)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-11 16:50 | Road of Death | Trackback | Comments(0)

SALINGER WALL/サリンジャー・ウォール再び。名前のない馬に乗って。

 
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800万のアンセスターがホロコースト、虐殺されて変わり者にならないほうがどうかしてる。J-D-S

年寄りはなぜ口が臭く、辛気臭く、ありきたりでチンケで退屈でつまらないのか? やつらはもうすぐ死ぬからだ。H-C

ハルキンボ・ムラカーミ? ノーベル小学校を放校され、ナイーブな街のナイーブな肉屋で売っているナイーブなロースハム好きのスパゲティ・バジリコ野郎とは金輪際キャッチボールするもんか! そんなやつは南京豆の殻が5cmの厚さで敷きつめられた南京酒場か25メートルプール1杯分のビールが満たされた不全感満載世界で溺れ死ぬがいい。H-C


ひとりっ子の私は長いあいだ妹がいると言いつづけた。妹の名前はフィービー。フィービーが実際に私の前に現れたのは15歳の春。京浜急行が走る土手の土筆坊(スギナ/地獄草)が群生する斜面で。

母親の腹の中で私はずっと夢を見ていた。こんな夢だ。

場所はクリスマス間近のニューヨークのセントラル・パーク。そして、ブロードウェイ。私は脳に腫瘍ができていると嘘をついてろくでなしのエレベーター係をだまし、有り金を巻きあげる。

私は名前のない馬に乗り、ブロードウェイの通りで小さなこどもたちが歌うライ麦畑でだれかがだれかを捕まえたら(If a body catch a body coming through the rye.)という唄を聴いてとめどなく涙を流す。そして、心に強く誓う。だれであろうと崖から転がり落ちそうになったらつかまえるのだと。ライ麦畑の捕手。そういうものになりたいと。もちろん、夢はかなわなかったが、後悔はない。夢がかなわなかったかわりに少しだけ成熟した。成熟した分、失ったものが多かったのは言うまでもない。


レイの奴めが火星人の襲来にも生き残り、華氏451度の炎にさらされても生き残り、この期におよんでタンポポでこさえた密造酒で50年ぶりに酔いどれようと、ハルの小僧がノーベル小学校を放校されたあげくにカフカ海岸で津波にさらわれようと、はたまた、アーネスト爺さんがファンドシエクル銃を取り損ねて石野卓球との「意志の脱臼合戦」に敗れようと、おれは壁から一歩も出ない。もちろん、誰であろうと、理由事情のいかんを問わず壁の内側には入れない。理由は先刻承知之介のはずだが、オムツの取れないおつむテンテンどものために言っておくことにする。

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おれが壁を出ず、だれも壁の中に入れないのはおまえらが大嫌いだからだ。そして、おまえらとおまえらが生き、呼吸し、糞やら小便やら精液やらを垂れ流している世界を心の底から憎んでいるからだ。

おまえらの声を聞き、においを嗅ぐだけでおれは吐き気がする。もちろん、いい声の奴やいいにおいの奴はわずかだがいる。だが、そいつらだっていつなんどき気色悪い声になったり、気持ち悪いにおいになるかわかったもんじゃない。わけのわからない質問をしてきたりする奴もいるしな。だから、もうおれ様をほっておいてくれ。そして、100歳まで生き、バナナ魚を好きなだけ喰い、そっと死なせてくれ。

すべての「答え」はライ麦畑に埋めてある。それでじゅうぶんじゃないか。「答え」が知りたきゃ、えっさかほいさか掘り返してみるがいい。おまえたちの薄汚い「本音」が出てくるぜ。

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グラフィティ:サリンジャー・ウォールの塗り替えをやる。手伝いたい奴はライ麦畑球場にこい。くれぐれも靴下はきれいなやつを履けよな。汚れた靴下はきれいさっぱり死籠の中に捨ててくるんだぜ。


そして、雨の朝、ライ麦畑に死す。
冷たい雨の中、夢の球場の入口で僕は待っていた。銀河系宇宙一の捕手を。背番号42を。彼が帰ってくるのを。クソまずいバナナ魚をむさぼり喰いながら。何年も何年もだ。「くさいオトナは立入り不可!」とヘタクソな字で記された看板の脇にうずくまり、「きっといつか彼はやってくる。再会することができる」と夢見つづけて。しかし、彼、ホールデン・コールフィールドはついにやってこなかった。

オーケイ。もうなにも、なにごとも待たない。期待しない。ひとつの「確かな時代」は確実に鋭く深く終わったのだ。変わったのではない。終わったのだ。ゴドーとパラダイスとモリアーティは死に、そしていまホールデン・コールフィールドもついに死んだ。そのことは素直に受け入れなければならない。

オーケイ。僕は筋金入りのハード・ボイルドだ。なにがあったって負けやしない。くじけやしない。いくらでも立ち直り、何度でも立ち上がる。内角高目。ビーン・ボールぎりぎりの胸元の球だっておそれやしない。だが、とも思う。「ずっとこどものままでいさせてくれてありがとう」と。

J.D.サリンジャー。91歳。雨の朝、ライ麦畑に死す。キャッチ・ボールはこれで終わり。しかし、世界中にあまねく存在する「サリンジャー・ウォール」は、いったいだれがぶちこわすんだ?


A Horse with No Name - AMERICA (AMERICA/1971)
Catcher in the Rye - Guns N' Roses (Chinese Democracy/2008)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-11 09:17 | SALINGER WALL | Trackback | Comments(0)

流儀と遊戯の王国 またひとりぼっちになったツイードのジャケット

 
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3月。僕はまたひとりぼっちになってしまった。あたりまえのことみたいに。ずっと昔からそうだったみたいに。世界が「あたりまえ」のことで出来あがっているのは200年前から知ってはいたけど、ひとりぼっちは何度経験しても心にずしんとくる。痛む。

たいしたことを望んでいるわけではないんだけどな。ただそばにいて欲しいだけなんだけどな。

僕は決して多くを望んでいたわけじゃない。たまに二人で食事をして、見つめ合って、ワインを何杯か飲んで、音楽を聴き、きみを抱きしめ、包みこんで、きみの日々の出来事や読んだ本のことや聴いた音楽のことや感じたことや考えたことの話を聴ければよかったんだ。それだけのことだったんだけどな。きみはまた僕を扉の向こう側、暗くてじめじめしてカビ臭い場所に追いやるんだ。あたりまえのように。それがごく自然なことでもあるかのようにね。

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ねえ、おしゃれ好きのきみ。最近、少し痩せたんじゃないかい? 僕にはよくわかる。だれよりもね。神様より僕はきみのことを知っているかもしれないとさえ思う。なにしろ、きみの曾おじいさんの代からのつきあいなんだからね。曾おじいさんから数えればきみは僕の4人目の御主人様だ。4人ともよく体つきが似ているよ。実によく似てる。

肉付きがよくて骨太で、右腕が左腕より少し短いところもそっくりだ。左肩が下がり気味なのもね。そして、4人ともよくお酒を飲み、人見知りが激しくて、ひとりになるのが好きなんだ。ひとりになるのが好きなところが僕と相性がよかったのかもね。だから長続きしたんだ。たぶんね。でもね。ひとりぼっちはやっぱりさびしいもんだ。そんなことは当然知っているだろうけどね。

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次に会えるのはいつだろうな。秋風が冷たくなって、枯葉が舞いはじめるころかな。冬将軍様のおでましが早ければきみにまた会える日も早くなるんだけど。先のことはだれにもわからない。それもあたりまえのことだ。僕がまたひとりぼっちになることとおなじくらいに。

ああ、クローゼットの扉が閉まりはじめた。たまには太陽の光にあてて欲しいな。30分だけでもいいから。30分がだめなら5分だけでもいい。きみのそばにいられるなら。きみの顔がみられるなら。風にも吹かれたい。たまにね。

オーケイ。いいよ。またきみが袖を通してくれるまでは、雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌおとなしくて元気で丈夫で虫にも喰われずにいい子にしているよ。

さよなら。またね。また僕はひとりぼっちだ。これまでどおりに。ずっとそうだったように。そして、またいつものように、よき隣人であり、気の置けない友人であり、ときにきみをめぐって争うライバルでもあるブルックス兄弟やハリスやジョナサンやゴーゴリのアカーキイ色の外套爺さんときみのことを話して秋の終りまでの長い時間をやりすごすことにするよ。

それにしても代わり映えのしない人生だなあ。ブルックス兄弟もハリスもジョナサンもゴーゴリのアカーキイ色の外套爺さんもおなじ意見だ。

Alone Again(Naturally) - Gilbert O'Sullivan (1971)

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# by enzo_morinari | 2019-12-09 21:25 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(0)

ハートのかたち/また別のハートのかたち

 
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死者に一輪の花を。ひと鉢のデラシネを。

Shoot Out, Shut Out, Shut Down.

But that's not the shape of my heart.


また別のハートのかたちを持つ者が死んだ。損なわれた。死因も死の理由も不明。The 27 Club (愚か者クラブ)への入会までにはまだ何年もあるというのに。

しかし、いつの日も、いつの時代も死のかたちとハートのかたちはわからないものと相場は決まっている。それでいい。それ以上もそれ以下も、死者への冒涜である。


Juice WRLD. Jarad Anthony Higgins (December 2, 1998 – December 8, 2019)

American rapper, singer, songwriter, and YouTuber. Born in Chicago, Illinois, On December 8, 2019, Juice WRLD suffered a seizure at Chicago's Midway International Airport and was rushed to a hospital, where he was pronounced dead at the age of 21.


Shape of My Heart - STING (Ten Summoner's Tales/1993)
Lucid Dreams (Sample of "Shape of My Heart”) - Juice WRLD (Goodbye & Good Riddance/2018)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-09 21:18 | ハートのかたち | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/避雷針実験小僧ベンジャミンの13 Virtues

 
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KFCを食べつづける者はFSK(Fuckin' Serial Killer)である。D-E+C-B

マクドナルドのジャンクフードを食うことは非人道的であり、非人道的な行為に加担することである。Enzo Molinari

ダウン・ジャケット、ダウン・コート等々のダウン・ウェアを着る者はWild Life Slaughterである。Enzo Molinari


のちに18世紀における近代的人間像を象徴する人物、アメリカ合衆国建国の父の一人となる避雷針実験小僧のベンジャミンは22歳の若僧のときに道徳的な完全性を獲得するための大胆かつ困難に満ちた計画を思いつき、13の徳目、美徳をみずからに課した。すなわち、


節制
飽きるほどめしを食うな。酔っぱらうほど酒を飲むな。

沈黙
余計なことをくっちゃべるな。駄弁、饒舌を弄するな。

規律
物は決まった場所に置け。仕事は時間を決めてやれ。

決断
やるべきをやると決めろ。決めたことは必ずやれ。

節約
無駄金をつかうな。浪費するな。

勤勉
時間を無駄づかいするな。利益のあることにつかえ。無用の行為はすべてやめろ。

誠実
偽りで他人を害するな。心は無邪気に公正に保て。発言もだ。

正義
他人の利益を傷つけるな。他人に迷惑をかけるな。

中庸
極端を避けろ。不法を蒙り、憤っても激怒するな。

清潔
身体、衣服、住環境を清潔にしろ。

平静
小事些事、日常茶飯事、避けがたき出来事に心を乱すな。

純潔
性行為はもっぱら健康乃至は子孫繁栄のためにのみやれ。性交に耽って頭脳を鈍らせ、身体を弱め、自他の平安と信用を損なってはならない。

謙譲
ジーザス・クライストとソークラテースを手本にしろ。


"The Private Life" (Benjamin Franklin's autobiography)

避雷針実験小僧の名はベンジャミン・フランクリン。フランマソヌリ。BF1枚の100 Greenbacksで初歩的入門的平均的なマックが100個食える。ただし、寿命は縮む。反カルヴィニズム的である。
 
# by enzo_morinari | 2019-12-08 20:57 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

Sex, Suits and the Stars/Bar Star Dustの夜とレジメンタル・タイの思い出と『レジメンタル・タイの思い出』の思い出

 
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星はなんでも知っている。

冬の雨は冷たいが暖かく包んでくれることもある。

昔々、横浜で。あるいは、Sex, Suits and the Stars.


Bar Star Dustは昔々、大昔の甘い痛みの記憶とつながっている ── 。


Bar Star Dustは横浜瑞穂埠頭在日米軍横浜輸送施設North Pierのサウス・シーサイド、海に面した場所にある。Bar Star Dustの窓際の席に座ればいつでも岸壁に打ち寄せる波の音と埠頭を渡ってくる風の音を聴くことができる。波は子守唄ではないし、風の歌は聴こえないが、しばし、時間の経つのを忘れることはできる。Bar Star Dustは疲れた心と傷ついた心と年老いた心に少しだけやさしい。

高校のフェアウェル・パーティのときに初めてBar Star Dustに行った。2度目にBar Star Dustに行ったのは15年後の1991年の春、泡劇場が終幕を迎える頃だった。

気のいいマスターは白髪が増えたのと少し太ったほかは15年前と変わらずに気がよかった。そのことがすごくうれしかった。

「どうしてた?」と気のいいマスターは言った。

「えっ?」
「あの日、パーティーの終わり際にかわいい女の子と外に出たろう?」
「まさか…」
「North Pierのへりに2人ならんで海見てた。映画のワンシーンみたいだった。あんたはPOPPYのシャンペン・ゴールドのレジメンタル・タイを締めて、かなりくたびれたブルックス・ブラザース、ゴールデン・フリースのネイビーのブレザーを着て、おろしたてのピカピカのローファーを履いてただろう?」
「うん」
「若いのにセンスいいなって思ってさ。女の子もすごくきれいでかわいくて。それでおぼえてる。よく、また来ないかなって思ってた。ガール・フレンド連れて」
「ありがとう」
「いろんなことがあったんだろう?」
「うん。あった。いろんなことが...。なんでわかるんだろうな」
「顔見りゃわかる。この商売40年もやってりゃね。それにしても、えらくオトナになったもんだなあ…。みちがえたよ。...疲れたときはいつでも来るといい。その席はかならずあけとくから。Bar Star Dustの特等席だ。波と風の音が1番よく聴こえる。探偵物語の工藤ちゃん、松田優作もその席がお気に入りだった。目を閉じて耳をすまして波と風の音を聴いてたよ。それと、酒も最初の3杯と最後の1杯は店からのおごりにする」

涙がこぼれそうになったが我慢した。

「泣いていいよ。泣きたいときは泣きたいだけ泣けばいいんだよ。だれも笑いはしないから。少なくともこの店ではね」

そこで、もう我慢しきれずにとどめようもなく涙がこぼれた。気のいいマスターは私の肩を軽く叩き、背中をやさしくさすってくれた。ジェフリー・ビーンのグレイ・フランネルのにおいがした。

「今夜の夜の訪問者は少しおセンチでお疲れのご様子だ。Hey! バーテンダー! こちらの紳士にバカルディでもハバナ・クラブでもなく、本物のアグアルディエンテでつくったとびきりのドラケ・モヒートとパー爺さんでつくったホット・ウィスキーを! さあ! さあ! ヘミングウェイ・タイムのはじまりはじまり! Start your engine!」

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レジメンタル・タイの思い出
初めてレジメンタル・タイを買ったのは18歳、高校の卒業式の前日だった。元町のPOPPYまで出かけていき、ショウ・ケースにずらりとならんだタイの中から僕が選んだのはシャンペン・ゴールドの地にグリーンの細いストライプが入ったやつだ。よく糊のきいた白いBDシャツにそのレジメンタル・タイを締め、兄貴からのお下がりのブルックス・ブラザースのかなりくたびれたブレザー・コートを着てフェアウェル・パーティーに出かけた。アスファルトを踏みしめるたび、磨き上げたローファーが小気味いい音を立てた。

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その日、僕はある決意を胸に秘めていた。高校1年の夏からずっと思いを寄せていた同級生の女の子になんとしても胸の内を伝えるのだと。そうすることが自分の高校生活に対するひとつの決着のように思えたからだ。

思えば誇りうるものとてない3年間であった。僕がフィリップ・マーロウなみのタフガイかジーン・ケリーばりのタップの名手だったならば僕の高校生活も少しは気の利いたものになっていたかもしれない。彼女のやわらかな唇に触れることだってできたはずだ。だが、僕は相手の鼻っ柱を1発でへし折るほどのストレート・パンチを持ち合わせていなかったし、女の子をうっとりさせるだけのタップを踏むセンスにもめぐまれていなかった。遠くから彼女を見つめつづけることしかできないまま凡庸きわまりない3年間が過ぎていった。自分の不甲斐なさにひどく腹を立てながら。

パーティーは港のすぐ近くにあるStar Dustというバーを借り切って行なわれた。店の中はこれから始まる新しい生活への期待や不安に胸をふくらませる18歳の若者たちで華やかに賑わっていた。進学する者、もう一年受験勉強に取り組む者、就職が決まった者。どの顔にも何事かを成し遂げた者のみが持ちうる充足感のようなものが漂っていた。自分だけが場ちがいな所へきてしまったような気がした。女の子たちはみちがえるほどきれいだった。とりわけ輝いていたのは僕が思いを寄せていた女の子だ。彼女の長い髪が揺れるたび、僕の胸は甘く痛んだ。彼女に近づくことすらできないまま時間だけが刻々と過ぎていった。

8時55分。タイムアップまで残り5分になったときだ。誰かが僕の背中を押した。誰が僕の背中を押したのか、それはいまだにわからない。友だちのひとりがうわの空の僕に気合いを入れたのかも知れないし、ただぶつかっただけかもしれない。いずれにしても、そのひと押しがきっかけだった。僕は強引に女の子の腕をとり、ついに店の外へ連れ出したのだ。僕たちは黙ったまま港の明かりを反射して生き物のように光る夜の海をしばらく眺めた。

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「ずっと好きだったんだ...」

僕はしぼり出すように言った。

「わかってる」

それだけ言うと彼女は僕の手をそっと握った。耳の裏側が熱く火照り、胸が高鳴った。彼女の手はあたたかく、小さく、やわらかだった。僕はいつまでも彼女の手を握っていたかった。このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思った。僕が再び口を開きかけると彼女は僕の唇を右の人差し指で押さえ、精いっぱい背伸びしてからマシュマロみたいにやわらかい唇を押しあてた。彼女の髪の甘い匂いに僕は危うく気を失いかけた。遠くで波の音が小さく聴こえた。

「素敵よ、とっても」と彼女は僕の耳元で囁き、タイの結び目を直してくれた。そして震える声で言った。劇の幕でも降ろすように。

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「ごめんね。わたし、秋に結婚するの」

言い終えると彼女は春の初めのやわらかな闇の中へゆっくりと消えていった。岸壁に打ち寄せる波の音がいつまでも耳の奥に残った。このようにして、僕の初恋は静かに終わりを告げた。そして、歳月の流れ ── 。


いくつかの恋があり、いくつかの別れを経験した。たくさんの友だちと出会い、すこしの友だちが残った。酒の味を覚え、酒の飲み方を学んだ。僕は街を遠く離れ、彼女と会うことももはやない。季節の移ろいとともに多くのものごとがかわり、失われてしまったが、あの日のレジメンタル・タイは今もワードローブの片隅でひっそりと息づいている。


『レジメンタル・タイの思い出』の思い出
運転中、猛烈な夕立にあった。ワイパーはまったく用をなさなかった。帰宅後、高橋竹山のCDを聴いたり、サムルノリの太鼓にあわせて踊ったり、ギターを弾いたり、出すほうのメールを書いたり、出さないほうのメールを書いたり、村上春樹の『ノルウェイの森』をベランダから杉木立の中へぶん投げたり、スパゲティを茹でたり、米を研いだり、アルバート・アイラーとジョン・コルトレーンはどっちがスカかの原稿を書いたり、エリック・ドルフィーの『Out to Lunch』のジャケットを眺めたり、ソニー・クラークの『Cool Struttin'』のジャケットを真似てハイヒールを履いたり(うそ)、ダッコちゃんに抱きついたり(これも、うそ)、小唄のおさらいをしたり、パイナップル・ミントを生で食べたり、因数分解の問題を解いたり、「宇宙」について考えをめぐらしたり、別のほうの「宇宙」について腹を立てたり、ディラックの海の家でアルバイトをした夏のことを思い返したり、「團藤重光先生の死に水はだれがとったんだ?」と思いをめぐらしたり、我妻榮先生が相続法の講義の最中に財産分与に関わるちょっとした計算で15分も立ち往生してしまったことはだれが語りつぐのだろうと心配したり、「近代日本におけるダットサンの優越的地位」のコピーをとったり、『草枕』を暗誦したり、溜息をついたり、サキソフォンを吹いたり、ラッピングしたり、HDの断片化を修復したり、『エゼキエル書』を読んだり、『臨済録』を読んだり、『方丈記』を読んだり、『奥の細道』を読んだり、『汚れっちまった悲しみに』を声に出して読んだり、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を読みなおしたり、『共同幻想論』の昔の書き込みを読んで笑ったり、WOWOWったり、J-WAVEったり、iPodを同期させたり、AK-69の『One Way, One Mic, One Life』の般若のパートを真似したり、『死霊』を枕にうたた寝したり、「大化の改新、虫5匹」とかつぶやいたり、古いパテック・フィリップのゼンマイを巻いたり、ロード・レーサーのメンテナンスをしたり、缶ピースを吸ってみたり(ゲホッ)、マイルス・デイヴィスのことを考えて泣いたり、いたずら電話をかけたりした。つまりはヒマをもてあましていたということだ。


そうこうしているうちに雨はどんどん強くなり、雨音は大きくなり、夜はふけていった。悪くない夜だった。そういえば、『レジメンタル・タイの思い出』の「僕」と出会った夜も、強い雨が降っていた。あれは私が大学をエクソダスしようかどうか迷っていた頃だ。神宮の森周辺をうろついているうちに雨になり、ある住宅街に迷いこんだ。そして、「ALONE AGAIN」というバーに入った。「ALONE AGAIN」は住宅街の真ん中にあった。まるで誰かに見つかるのをおそれてでもいるみたいにひっそりと。

私がそのバーに入ったとき客は誰もいなかった。雨に濡れてからだがとても冷えていたのでサントリー・ホワイトでホット・ウィスキーを作ってもらった。コクのある笑顔のバーテンダーはホット・ウィスキーといっしょに真新しいバス・タオルを私の前に置いた。

1時間ほどして会社員風の2人連れがやってきた。2人ともとてもファッション・センスがよかった。トラッド・テイストを残しつつ、仕立てのよいシックなスーツを着ていた。ネイビー・ブルーのペンシル・ストライプとグレイ・フランネル。二人のうち、グレイ・フランネルのスーツを着ているほうが『レジメンタル・タイの思い出』の「僕」だった。二人とも店の馴染みらしく、バーテンダーと二言三言冗談を言い合い、それから「僕」はバレンタインの12年をダブルのロックで、「僕」の相棒くんはグレンリベットをダブルのストレートでそれぞれ注文した。

私はホット・ウィスキーを舐めるように飲みながら2人が身につけているものの品定めをしたり、ピスタチオの殻を剥いたり、カウンターの痕の数を数えたりしていた。私は知らん顔しつつも「僕」と「僕」の相棒くんの話に耳を傾けた。2人は会社での出来事や給料のことやクルマのことや音楽のことや女の子のことなどどこにでもあるごく普通の話をしていた。そのうち、話がファッションのことになり、話題がトラッド系におよんでからのことだ。

「初めてレジメンタル・タイを買ったのはいつ頃?」

「僕」の相棒くんがたずねた。

「昔々の大昔、高校の卒業式の前の日だよ」

「僕」は相棒くんのほうを見ずに、うつむき加減で答えた。

「いまでも胸が疼く」

「僕」はぼつりとつぶやき、メイカーズ・マークをダブルのストレートで注文した。

「疼く?」
「うん」
「フラれたんだね」
「そのとおり。察しがいいな」
「それだけが取り柄だったりして」
「ふん」
「やめようか? この話題」
「いいよ。おまえには話してもいいような気がする」
「光栄ですな」
「高校1年の夏、おれは同級生の女の子に恋をしたんだ」

「僕」はグラスのメイカーズ・マークをひと息で飲み干してから言った。相棒くんは黙ってうなずいた。そして、「僕」のせつない恋の物語が始まった。

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「いまでもそのレジメンタル・タイはあの夜のままとってある。一度も使わないままね」

「僕」は話し終えると遠くを見るような目をしてため息をひとつついた。バーテンダーは「僕」の話が終わるのとほぼ同時にLPレコードに針を落とした。ギルバート・オサリバンの歌う『アローン・アゲイン』が小さな音で店の中に流れた。いいシーンだった。

その後、「ALONE AGAIN」へは疲れたときなどひとりで行った。「ALONE AGAIN」では「僕」ともたまに会った。お互いに会釈を交わすだけだったがなんとなくいい感じだった。

いつからか、「僕」はひとりで来ることが多くなった。身なりにはさらに磨きがかかっていた。1度だけ、とても可愛らしい女の子と一緒だった。そのとき、「僕」は私と目が合い、少しだけ顔を赤らめた。「僕」の相棒くんは1度見かけただけだ。「僕」にも「僕」の相棒くんにもきっといろいろなことがあったんだろう。いいこともわるいことも含めて。もちろん、この私自身にも。だが、それはとても素敵なことだ。そうやって、みんな成熟してゆくのだから。

さて、来週あたり、「ALONE AGAIN」に行くことにしよう。また別の「僕」の話を盗み聞きしに。
 

Hey Paula - Paul and Paula (1963)
Gilbert O'Sullivan - Alone Again (Naturally) (1971)
I Left My Heart in San Francisco - Tony Bennett (1962)
I Left My Heart in San Francisco - Julie London (1963)
Strangers in the Night - Frank Sinatra (1966)
Baby, I Love Your Way - Peter Frampton (1976)
Just When I Needed You Most - Randy VanWarmer (Warmer/1979)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-07 19:26 | Sex, Suits and the Stars | Trackback | Comments(0)

恋愛偏差値に関するいくつかのこと/恋人試験 知っているのにわざとまちがえる65点の人が好き

 
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知っているのにわざとまちがえる65点の人が好き

偏差値と記憶力偏重の日本の教育制度にはなんらの価値も意味もないし、闇の深さを知らぬ真昼の能天気な光などにはひとかけらの興味もないが、松本ちえこの『恋愛試験』があった1976年にはいくぶんかの郷愁となつかしさをおぼえる。


高3の秋。松本ちえこがしきりに「知っているのにわざとまちがえる65点の人が好き」と言うので、65点をとった。世界史の特習だった。生涯でただ1度の満点以外の試験だった。教員、生徒を含め、私の65点は事件になった。なぜ?と。松本ちえこ恋愛試験65点のことは言わなかった。言う必要もなかった。

試験、テストは科目を問わずによほどのことがなければ反復継続によって高得点をえることができる。恋人試験をのぞけばだが。

偏差値と記憶力偏重の日本の教育制度にはなんらの価値も意味もないし、闇の深さを知らぬ真昼の能天気な光などにはひとかけらの興味もないが、松本ちえこの『恋愛試験』があった1976年にはいくぶんかの郷愁となつかしさをおぼえる。

松本ちえこが死んで、もはや恋愛偏差値をうんぬんする機会は失われたが、それでも聴こえる。知っているのにわざとまちがえる65点の人が好きと。


恋人試験 松本ちえこ (1976)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-06 22:54 | 恋愛偏差値に関するいくつかのこと | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/団塊とポスト団塊の情弱世代に引導を渡せ! 旧石器人と情報ゾンビが大手を振って生きていることの理不尽。おまえら、とっくの昔に死んでることわかってる?

 
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Peer to Peer? Beer to Beer? No! Poor to Poor!


P2Pとクライアント-サーバ方式のちがいもわからず、ブロックチェーン(分散型ネットワーク)もクラウド・コンピューティングも知らない情報弱者が乗車拒否されずに大手を振り、手を挙げられるという滑稽で理不尽な世界。メディア・リテラシーZEROの底辺下層の輩がのうのうとデカいつらをして生きることのできる社会。

残り時間はいくらもない。もう足枷をぶったぎる頃合いである。団塊とポスト団塊の情弱世代に引導を渡せ! きゃつらはニッポン衰退の主犯であり、情報タダ乗りの常習犯であり、うまうまとネンキンをせしめてほくそ笑む亡国の輩である。
 
# by enzo_morinari | 2019-12-06 07:37 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)

強欲なミトコンドリア・イブ/われわれは強欲なミトコンドリア・イブを乗せて遺伝子の海を突き進む。

 
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ジーン・フィールドにおいては小手先、猪口才、小賢しさ、懐古趣味、勤勉、品行方正はなんらの意味も持たない。

子供? 孫? 長い物語からみれば、いてもいなくても、笑おうが泣こうが、どうでもいいことである。

すべての生きもの、種は生命の設計図、遺伝情報を乗せて休むことなく遺伝子の海を突き進む。その支配原理はただひとつ。無駄なく。効率よく。つまりは、CPよく。すべての生きもの、種は遺伝子の企み、絵図面、設計図、台本、目論見どおりに生まれ、生き、死ぬ。


かつて人類は1万人ほどにまで激減した。超巨大火山、スーパーボルケーノの超巨大噴火が原因だ。具体的には7万5000年前に起こったインドネシアのスマトラ島にあるトバ火山の超巨大噴火。この超巨大噴火によってもたらされた「火山の冬」が人類を絶滅寸前にまで追いこんだが、かろうじて人類は生き延びた。そして、Y染色体アダムとミトコンドリア・イヴは結婚した。しかし ── 。

じきに、人類はこれまで何度も滅亡の危機に瀕したのとおなじように滅亡の危機に直面する。そのことを踏まえ、これより、強欲なミトコンドリア・イブの旅程のいくぶんかを追う。
 
# by enzo_morinari | 2019-12-04 22:35 | 強欲なミトコンドリア・イブ | Trackback | Comments(0)

双曲線の彼方に向かっての一蹴/『歌う樽犬のための弦楽四重奏』の凍裂休眠のためのマドレーヌ現象による衒学ディスクール

 
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デカルトの双曲線作図器の経年劣化と応力破断によって人生の日々が非ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・ジョイスに変貌して3日目。いまも当時と変わることなく地軸の傾きと格闘する松岡正剛警視の千夜千冊400万字の健啖家ぶりに恐れ入っている私の元へ、ポトラッチ・トーテムポールを振りまわす石頭の彫刻家、カメンナヤ・モグリャ・ペトログリフがやってきたのは昼めしどきである。

部屋に入ってくるや否や、細胞の魚こと幻の利己的虚数魚i = Cellfish にポトラッチ・トーテムポールの削りかすを与えるカメンナヤ・モグリャ・ペトログリフのグレートデーン愚連隊ぶりに阿鼻叫喚アッケラカーンちょぼくれちょんがれカッポレ阿呆陀羅経を声明したが、つまるところ、人生に相渉るとは何の謂ぞ?


さて、ボスフォラス以東にただひとつしかないと言われるハーモニクス・オーヴァートーン館の門外不出のクワルテット、生命、宇宙、そして万物についての答え衒学四重奏団のセロ奏者であるシュジェ・ゲンゴロウは言語学の根源の彼方に向かってみずからのグラマトロジー/ディスクールを一蹴するにあたって、まず、ポアンカレ宇宙を双曲線の彼方に向かって一蹴した。当然、ジャック”ディセミナシオン”デリダはいやな顔をし、1958年もののエコール・ノルマル・シューペリウールのジュ・パンス・ドンク・ジュ・スィ大食堂がふるえるほどの大きくて深々としたため息をついた。そして、近くでマドレーヌ紅茶の失われた時間と戯れのエクリチュール中のP.M. フコに「散種」と言ってから、監獄狂気歴史固めをぶちかました。それを遠い目で見ていたC.L=ストロース教授は料理の三角形でみたされた悲しき熱帯のような悲しみの表情を浮かべて”La Pensée Sauvage”とだけつぶやくと、南方熊楠公との『倭漢三才圖會』補修のブリコラージュ共同作業に戻った。

遠くで太鼓に激突して弾ける泡の音と砂漠の商人が海とつがった太陽を眺めながら日系ウガンダ人の肉桂臭ぷんぷんのハルキンボ・ムラカーミの脳髄に1973年のピンホール穴を穿った音がした。絶えず複数であることを強いられるそれらの音は、やがて成長サイクルと生殖サイクルの終わりなき闘争の場にも届き、脱コード化された欲望する身体/器官なき身体の群れが生存を運命づけられた身体を取りこみ、包みこんでゆくミル・プラトー高原のリゾーム劇場の礎となり、ついには、エピステーメー遺跡の発掘中に発見された旧世界のプーヴォワル・パストラルとパンオプティコンは現代世界の知の枠組みを根底から覆した。ことここに至ったからには、ヴヨクもバヨタもドーハもザヰイチもタンフヱ三もヱソヴァヰもヨタもヨクトも糞掻きべらとともに宇宙の果てまでかっ飛ばさなければならない。2次元ユークリッド空間R2上に美しい双曲線を描いて。

いまも1973年当時と変わることなく地軸の傾きと格闘する工作社工作員の整合性のない千夜千冊400万字の健啖家ぶりに恐れ入っているシュジェ・ゲンゴロウの元へ、ポトラッチ・トーテムポールをふりまわす石頭の彫刻家、カメンナヤ・モグリャ・ペトログリフがやってきたのは昼めしどきだった。シュジェ・ゲンゴロウは「めしどきによその家を訪ねるとは実に躾がなっていない! パレーシアにもほどがある!」と憤慨した。共同幻想本舗主人手製特製の言語美弁当なみに噴飯ものである。

さて、満月の斥力とクロワッサンの花王CIぶりとブカティーニ・ディ・シチリアーノ・シシリエンヌの間に横たわる相互作用とジャーマン・シェパードの忠節とロベール・カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲42番の凡庸と純粋理性の二律背反と「無謬完全なるアルデンテ」の困難を思いながらブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏はBUCATINI TYPE57を茹でる。


ブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏のアンドロジナス・デイズ
満月の斥力とクロワッサンの花王CIぶりとブカティーニ・ディ・シチリアーノ・シシリエンヌの間に横たわる相互作用とジャーマン・シェパードの忠節とロベール・カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲42番の凡庸と純粋理性の二律背反と「無謬完全なるアルデンテ」の困難を思いながらブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏はBUCATINI TYPE57を茹でる。

チェネレントラ・ルネサンス様式の装飾で埋めつくされた「ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ」では、常に、いついかなるときにもヴェルディ・ミドリカワ・マコ作『ジャン=ピエール・ウィミーユとピエール・ヴェイロンのためのル・グルマン24のソネット』が黒死館門外不出弦楽四重奏団によって奏でられている。ミニマムかつファジーなノイズはよほどの健啖家でなければ食欲を失う。「ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ」は食を拒否するリストランテでもあるから十分に整合性はある。

「料理の三角形教団」の執拗で強引で素っ頓狂で闇討ち辻斬り的で突拍子もない布教活動の成果として、いまやありとあらゆる世界において食と生と性は分かちがたく結びついているが、「ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ」はそれらを分断するための試金石の役を担っている。食と生と性の解放を訴えるヰタ・セクスアリス・グルマンディー集団、「ラ・テテ・デュヌ・コクレ・エ・クー・ド・ブフ(鶏の頭と牛のしっぽ)」の本部でもある。「ラ・テテ・デュヌ・コクレ・エ・クー・ド・ブフ」はパン・ド・カンパニアを月に一度、「レシピ・ブログ」のトップページ左上に現れる鬱陶しいことこのうえもない広告で募集しているが、効果はゼロに等しい。「レシピ・ブログ」のメンバーは「今日の足あと」の数と「おいしそう!」の数と自分が「お気に入りメンバー」にされたかどうかしか眼中にないから、その余のことには目が行かないのだ。つまり、クリック・ゼロということである。

42番テーブルでは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる悪魔の美食家、マエストロ・ロッシーニがお待ちかねだ。哀れなもののけ白鳥カウンターテナーが『ヨイトマケの歌』の絶唱とともにジブリ・ジビエ色に焼き上がった直後、マエストロ・ロッシーニは厨房のブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏に向かってこれみよがしに言った。

「茹でて食す。一人二役。これぞ真の両性具有」

オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールよ、レバノン杉の仲買人として濡れ手に粟で儲けていた頃とは時代がちがう。そして、ついに魔法陣とファイストス円盤を組み合わせた不思議なピーチパイ型飛翔体から浮動小数点式水槽脳爆弾がNDBに投下された。その直後、魔法陣とファイストス円盤を組み合わせた不思議なピーチパイ型飛翔体は空中分解した。

シュジェ・ゲンゴロウは部屋に戻ってくるや否や、細胞の魚こと幻の利己的虚数魚i = Cellfish にポトラッチ・トーテムポールの削りかすを与えるカメンナヤ・モグリャ・ペトログリフの延髄に強い力でボウをこすりつけた。フロッシュが何本も切れて生き物のように揺れ、舞った。先端のスクリューでなにかしらのど真ん中、土手っ腹を貫かれているようだった。

シュジェ・ゲンゴロウのリコッシェ・サルタートとポルタメントのかけ方は独特で、ところどころにロストロポーヴィチの憤怒のごとき鋭いイディオムを思わせるものがあった。フラウタートで奏でる音には目を見張るほどの柔らかさと悲しみとがあった。フラジョレットは思わず引きこまれるくらいに澄んだ音だった。グレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律の一部が引用されたときには世界が慟哭し、ふるえた。そのような切実なさなかにあっても、日系ウガンダ人の肉桂臭ぷんぷんのハルキンボ・ムラカーミのカワウソづらだけはたまらなくアービングに脱力ものだった。

歌う樽犬のための弦楽四重奏
Deleuze: Anti-Oedipe et autres réflexions, séance 1

双曲線の彼方に向かっての一蹴/『歌う樽犬のための弦楽四重奏』の凍裂休眠のためのマドレーヌ現象による衒学ディスクール_c0109850_05224437.jpg

 
# by enzo_morinari | 2019-12-03 21:37 | 双曲線の彼方に向かっての一蹴 | Trackback | Comments(0)

たった一人のフリーメーソン/万延元年のフットボールをめぐる1973年のピンボールの街と、その不確かなカウント・ベイシー。あるいは、GコンパスとGスポットとG定規とプロビデンスの目。

 
たった一人のフリーメーソン/万延元年のフットボールをめぐる1973年のピンボールの街と、その不確かなカウント・ベイシー。あるいは、GコンパスとGスポットとG定規とプロビデンスの目。_c0109850_12132461.jpg

私が屹立する場所がグランドロッジである。E-M-M

One More Time! Big-Bang Band! Let's Try One More Once!


1984年4月26日にカウント・ベイシーが79歳で死に、万延元年のフットボールをめぐる1973年のピンボールの街と、その不確かな壁の向こう側に行ったとき、私はおなじ名前でおなじ誕生日の3人の女の子の父親だった。

小夏で5月22日生まれ。おまけに、小夏1号、小夏2号、小夏3号のそれぞれの母親である元妻1号、元妻2号、元妻3号は高校の同級生だった。

私は心の底から思った。No More Time!と。 そして、六本木までA列車に乗って出かけていき、フリーメイソンに入会した。

フリーメイソンに入会して初めにしたことは万延元年のフットボール・サラダと1973年のピンボール・タビュラと1984年のビーンボールを巨大なネビュラ・ボールの中でかき混ぜることだった。そのあいだ、GコンパスとGスポットとG定規とプロビデンスの目のあいだから、余裕綽々釈由美子伯爵が崩壊寸前の整形顔でじっとみていた。

罰当たり上滑り上っ調子な目黒川みんなのイルミネーション2019の電源がシャットダウン・シャットアウト・ブラックアウトすれば勝丸とポーク亭と大根の花は安泰だ。


Count Basie - April In Paris (1957)
Count Basie - Basie One More Time music from the pen of Quincy Jones (1959)
Count Basie Greatest Hits
 
# by enzo_morinari | 2019-12-03 02:42 | たった一人のフリーメーソン | Trackback | Comments(0)

Hotel de Fatale/蘭奢待の女

 
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それを愛というには無理がある。運命の女と私にあったのは飽くなき快楽への意志であり、死の待望だったろう。

運命の女との獣のような営みは数秘術によって運命づけられたHotel de Fataleの666号室でいつ果てることもなく。


これは往時のHotel de Fataleを偲び、追悼するための話だ。慰めはないが、いくらかの教訓はある。

Hotel de Fataleは稀代の数秘術師のジョン・カバラ氏によって麻布暗闇坂の頂上に建てられた。2002年に完成した元麻布ヒルズ フォレストタワーはかつてHotel de Fataleがあった場所だ。元麻布ヒルズ フォレストタワーの敷地に群生するローズマリーはHotel de Fatale時代の名残りである。

Hotel de Fataleはボスフォラス以東にただひとつしかないと言われるハーモニクス・オーヴァートーン館とともにチェネレントラ・ルネサンス様式の建築物であって、ドナト・ブラマンテの羊皮紙プランを元にサン・ピエトロ大聖堂のグランド・デザインを模して建てられ、敷地のいたるところに数秘術の儀式に用いるためのローズマリーが植栽された。

風向きにもよるが、麻布十番の商店街を抜けて暗闇坂を登りはじめるとローズマリーの香りに包まれる。谷底の古刹苔院から噴き上げた風が元麻布ヒルズ フォレストタワーのローズマリー群を巻きこみ、その香りを孕んだまま広尾へと抜けてゆく。ローズマリーが醸す芳香は麻布という狷介剣呑陰湿な街の諸々の罪障を浄しているとも言える。

Hotel de Fataleのメイン・レストランであるラ・ピエトラ・デル・パラゴーネはチェネレントラ・ルネサンス様式の装飾で埋めつくされていて、常に、いついかなるときにもヴェルディ・ミドリカワ・マコ作『ジャン=ピエール・ウィミーユとピエール・ヴェイロンのためのル・グルマン24のソネット』が黒死館門外不出弦楽四重奏団によって奏でられていた。

私は密かにHotel de FataleをHôtel de Fin de Siecle/世紀末ホテルと呼んでいた。Hotel de Fataleの敷地は魔方陣そのものだった。

稀代の数秘術師のジョン・カバラ氏によって麻布暗闇坂の頂上に建てられたHotel de Fataleの敷地は魔方陣を模していた。数秘術の粋を集めて建築されたHotel de Fataleの建物はつきることのない妖気幽気を放っていた。Hotel de Fataleの敷地は魔方陣そのものだった。

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2000年春。世紀末の春は狂おしく爛漫として咲き誇っていた。泡劇場閉幕の傷と痛みも癒え、新しく始めた事業は軌道に乗りはじめていた。すべては順風満帆に推移しているかに思えた。Hotel de Fataleで運命の女/Femme fataleに出会うまでは。

私はHotel de Fataleの部屋を1ヶ月単位で借りていた。3度目の離婚にかかる煩事雑事も片づいて、黄金のシングル・プレイヤーとしての日々を謳歌していた。一抹の寂しさ、孤独を感じることもあったが、それはこどもの頃から経験済みだ。

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運命の女と初めて会ったのはHotel de Fataleのメイン・レストランであるラ・ピエトラ・デル・パラゴーネだ。運命の女は錆御納戸に江戸小紋の結城紬に落ち着いた青竹色の帯を締めていた。

帯留めは大きくて質のいい翡翠。伊達帯に京都嵯峨野に工房を構える孤高の扇子職人の手になる渋扇を挿していた。扇骨は本煤竹、扇面は本手漉きの嵯峨野和紙、かなめは錫、手描きの景色、矯め皺の景色。いずれも素晴らしい。文句のつけようがなかった。溜息が出るほどだった。本伽羅が実にほどよく薫きこめてある。扇ぐと仄かで品のよい甘い香りをともなって清風が起こる。蘭奢待ほどではないが濃厚濃密さが奥のほうにひっそりとある伽羅。

帯留めとそろいの翡翠のイヤリング。指輪はプラチナ台に大玉の瑪瑙。 少しも華美たところのない薄化粧をしていた。

気品と艶。運命の女は完璧だった。つけているフレグランスは夜間飛行だった。私の母親とおなじ。濃密な艶気を奥に秘めながら深い森のような凛とした誇りと知性を孕んだ馨りだった。ファイナル・ノートの様子から、運命の女が夜間飛行を掃くように薄衣を纏うように身につけたことがわかった。

ギャルソンがやってきて「あちらのお客様からでございます」と言い、テーブルの端に名刺を1枚置いた。薄桃色の名塩雁皮紙でできた名刺には楷樹明朝体で「伽羅 古木静香」とあった。

名刺には伽羅が薫きこめられていた。名刺の裏には所属する句会の名がみえた。たいそう名の知れた句会だ。そこで何度も賞を取ったことが見てとれた。「伽羅」は雅号の類いだろう。流麗で凛とした達筆で「ごいっしょにいかがかしら」と添え書きがしてあった。

私は運命の女をさりげなく三度見やり、少し考えてから席を立った。名刺に薫きこめられた伽羅の典雅でありながら濃密なにおいに心ははやり、千々に乱れていた。すでに、激しく勃起し、先端からは先走りのものがあふれ、滴っていた。

「ご迷惑ではなかったかしら?」

私が席に着くなり、運命の女は言って、涼風のような笑みを浮かべた。

「ちっとも。あなたからのお誘いがなければ私の方から押しかけてました。」
「あら。うれしいことを仰ってくださるのね。」
「本心です。包み隠さす。歯には衣を着せないというのが私のModus Operandiです。衣着せないのは歯だけではありませんけどね。」

運命の女は私のメタファーをすぐに理解した。その証拠に乳白色の喉元を突きだして見せつけた。

「もうすぐ喜寿になるお婆ちゃんですけれど、それでもよろしくって?」
「喜寿? まさか! 第一印象の贔屓目分を差し引いても50歳。47、8にしかみえない。」
「いいえ。本当よ。1924年、大正13年子年で閏年の2月29日金曜日の生まれ。関東大震災の5ヶ月後。George Gershwinがバレンタイン・デーに”Rhapsody in Blue”をNYマンハッタンのAeolian Hallで初演した月。」

運命の女はそう言うとグラスの赤ワインを半分ほど飲んだ。運命の女はCh Lafite-Rothschildの1990年を飲んでいた。喉がとても艶かしく動いた。私のレーゾンデートルは破裂しそうなほどいきりたった。

「そうか! 4年に1度しか齢が重ならないからか!」
「まあ! そんなことを言う殿方は初めてだわ。」
「このあと、もっとすごくてめくるめくようなお初をお目にかけますよ。」

私が言うと運命の女は身をよじるような仕草をした。エロティックでエモーショナルな動きだった。

私はアルケオロジーのパテとパノプティコンのムースを交互に食べながらエピステーメーのムニュ・ディスクールにじっくり目を通した。

ギャルソンを呼び、パレーシアのテリーヌと永遠の生命サラダと赤ピーマンのムースとエイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バタ・ソースと牛のしっぽの赤ワイン煮込みを頼んだ。ギャルソンは驚きの表情を浮かべた。

「ワインはいかがいたしましょうか?」
「白はソムリエにお任せする。赤はCh Lafite-Rothschildの1982年を」

ギャルソンはその場に倒れてしまうのではないかというくらい驚愕の表情をみせた。脚がガクガクブルブルと震えていた。運命の女はくすくすと実に魅力的な笑いをしていた。

ワインを飲み、料理をわけあって食べた。白ワインはミュスカデだった。ソムリエは実にいい選択、いい仕事をした。プーヴォワル・パストラルの静かな時間が季節みっつ分過ぎた気がした。。私も運命の女も考えていることは一緒だった。1秒でも早く繋がりたいという思いは。

吸いつくような肌。伽羅の体匂。白桃のように馨しい息。筆舌に尽くしがたい名器。快楽への貪欲さ。運命の女は完璧だった。非の打ちどころがなかった。

「イクときも死ぬときも一緒がいい。」と運命の女は言った。2時間休むことなく激しく濃密濃厚に交わりつづけたあとだった。

「イクときはともかく、死ぬときまで一緒というのは無理な相談です。ものごと順番なんだから、当然、あなたのほうが先に逝く。私は42歳、あなたは77歳の喜寿。それが天然自然の理にかなったごく自然なことです。」と私は答えた。

10年前に夫を亡くした大富豪の未亡人。77歳。私は42歳。運命の女の部屋は666号室。私の部屋は42号室だった。

42。宇宙森羅万象の究極の答えだ。運命の女によって運命の扉は大きく開かれたが、その先につづく道が地獄煉獄に通じる道だとは思いもしなかった。

私と運命の女は666号室であるいは42号室で狂った獣のように逢瀬を重ねた。運命の女の部屋、獣の数字の部屋で交わるときは運命の女の秘所/密所/蜜所は別の生き物になった。捩れ、捻れ、蠢き、痙攣し、収縮し、弛緩し、からみついてきた。

私は運命の女の中で何度も何度も激しく射精した。運命の女の秘所/密所/蜜所は蜜の滴る白桃のような味がした。匂いも。息も。舌も。眼球も。

運命の女の快楽への追求心/探究心は驚くほど旺盛だった。運命の女の燃え方は決して熾火などではなかった。運命の女の内側では淫蕩の焔が激しく燃え盛っていた。その焔は世界を灼きつくそうとでもしているように思われた。20年近くも昔のことだ。

私と運命の女はひたすら交わりつづけた。交わりつづけ、腹がへるとルーム・サービスをとって食べた。食べながらも私と運命の女は交わった。ずっとつながっていたいと思った。運命の女もおなじことを言った。

3日目にいっしょに風呂に入った。ならんで鏡をのぞいたら、そこには亡者の顔がふたつならんでいた。ふたりして笑った。

「鬼まではまだまだだ。もっとやりまくらなきゃね。」と私は運命の女のかたちのいい乳房をもみしだきながら言った。

「ええ、そうね。鬼になりませんとね。もっともっといたしましょうね。なんなら、死ぬくらいまで。」
「あなたはイクときは死ぬ死ぬって何遍も言ってますよ。」
「あら。そうでした?」

そう言うと運命の女は乳白色の喉元をみせてとても品のいい笑い声をあげた。寝物語に私は運命の女にたずねた。

「あなたが入っている句会の爺さんがたとは懇ろになっているんですか?」
「ええ。ほとんど。猩猩爺さまばかりであちらのほうは満足させていただけないんですけどもね。わたくしに狂っていく姿をみているのがたいそうおもしろくって。中には田畑家屋敷を処分してわたくしに貢いでくださるおばかさんもいらっしゃいます。」
「ふん。みずから首をくくったような爺さんもいるんでしょう?」
「ええ。なんでもお見通しですのね。」

なんとも恐ろしげな女だと思った。

私と運命の女はけっきょく、15日間ひたすら交わった。昼間でもろくに陽の射さない部屋が夜には月あかりがよく入ってきた。月あかりに照らされる運命の女はこの世のものとは思えぬほどに妖しく幽けく美しかった。

「そろそろ、仕舞いにいたしませんこと?」
「そうですね。今夜は十五夜ですしね。」
「おなじことを考えておりましたよ。次はまた新月の夜にでも。」
「いや、次はない。あなたとはこれでお仕舞いにします。」
「あら。よろしいの?」
「まだ死にたくはありませんから。あなたはいっしょに死ぬ相手をさがしていたんでしょう?」
「ええ。よく御存知で。では、これで仕舞いにいたしましょう。これ、おしるしに差し上げます。」

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運命の女は懐から渋茶色の黒谷和紙に丁寧にくるまれたものをよこした。濃密な香りがあたりに立ちこめた。

「なんですか?」
「蘭奢待でございます。わたくしと思っておそばにおいてやってくださいませな。」
「蘭奢待? なんであなたのごとき魔性の者、物の怪が持っているんですか?」
「それだけは申し上げられません。堪忍してくださいませよ。」
「どうにも解せないひとだな、あなたは。私としたことがあやうく取り殺されるところだった。」
「うひょひょひょひょ。まあ、あなたさまも似たようなものじゃございませんか。蛇の道は蛇でございますよ。」
「たしかに。ところで、ひとつだけおたずねしますが、あなたの御先祖は足利ですか? それとも ──」

私が言うと運命の女はそれまでみせたことのない禍々しい顔つきになった。鬼の貌だ。

運命の女が神田和泉町のすき焼き屋の若旦那と無理心中したのはそれから三日後のことだった。

運命の女がくれた蘭奢待は長い年月のうちにどこかにまぎれてしまったが、家の中にあることだけはわかる。いつも当時のままの妖しく甘く濃密な香りが家の中に立ちこめているからだ。運命の女。それにしても解せない女だ。

ゆうべ、伊達帯に鳥獣戯画の描かれた京扇子を白刃のように挟んだ運命の女/蘭奢待の女が格子戸の隙間から入ってきた。とうの昔に死んだ女。亡者。鬼。

蘭奢待の幻惑蠱惑の濃密な香りが部屋を押しつぶしそうなほどに広がった。また命が削られる日々が始まる ──。


Carmina Burana (Cantiones profanæ cantoribus et choris cantandæ comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis) - Carl Orff

Between the Sheets - The Isley Brothers (1983)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-02 09:30 | Hotel de Fatale | Trackback | Comments(0)

あの遠い島影はニライカナイ/Aloha 'Oe Days. Aloha 'Oeをささやくように口ずさみながら海上の道をたどってまだ見ぬ南の島ニライカナイを目指す。

 
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あの遠い島影はニライカナイ

名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ

Quō vādis? われわれはどこから来てどこへ行くのか?

空間が虚数によって表現可能な座標系においては非因果的領域が確かに存在する。

ニライカナイは豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰る。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去る。


ずっと遠い昔から、帰りたいと思いつづけていた。やみくもに、ただひたすらに帰りたいと。どこに? 南の島に。遙かなる海の向こう側、水平線の果てのさらにその先にある南の島ニライカナイに。

浜辺に流れついた椰子の実の芳醇馥郁たる白い果肉を目の当たりにしたとき、すべてわかった。自分がどこから来たのか。何者か。遺伝子の乗り物にすぎないのか。そうではあるまい。椰子の実の芳醇馥郁として香り立つ白い果肉に原日本人、原自分を確かにみた。

400万年前のアフリカの青い空を見上げて目を細めたルーシーから始まったミトコンドリア・イブのThe Human Journey/The Great Journeyはジャワ島に至り、北京に至り、ついには洞窟に日々の暮らしを描き、生の痕跡を残した。その間、400万年。そこからいったい何世代を経て私になったのか。

世代時間にはそれぞれ桁のちがう差があるし、個体差もある。数秒で世代交代する微生物もいるから一概に言うことはできないが、もっと遡り、原核生物/真核生物の単細胞生物、多細胞生物からでは10の13乗=10兆世代にもなる。

私のアンセスターたちはカンブリア大爆発/Cambrian Explosionのスペクタクルをどうかいくぐり、生き延びたのか。ミトコンドリア・イブの乗る船をどのように操舵したのか。

長い旅のあいだ、私のアンセスターたちは寒さにふるえただろう。ひもじい思いもしたろう。闇や目をぎらつかせて唸る獣や狼の遠吠えはさぞやこわかったろう。

飢えて、凍え、スミロドン(サーベルタイガー)やホラアナハイエナやショートフェイスベアやダイアウルフに追われ、マンモスや鹿やイノシシを追いかけ、木の実をひろって食べ、着の身着のままその日暮らしをしていたわれわれの先祖たち。

心細かったろう。不安だったろう。荒野や雪原や大海原や海上の道や激流の中に放りだされた幼な子。彼らは数知れない困難と困憊の中で産み、増やし、耐え、生きぬいた。それを思うと無性に泣けてくる。かわいそうでいとしい御先祖様たち…。

帰りたいと思い、憧れ、恋い焦がれてきた南の島には帰りつけないだろうし、どこにあるのかもわかるまい。当然に、ニライカナイにはたどり着けない。しかし、それでも私にはわかる。南の島もニライカナイも私の血の中に、私の心の大海原にすでにたしかにあるのだと。絶えることなく波音は聴こえると。潮騒はさんざめいているのだと。

カムイミンタラ=神々の戯れしところ、三途川の賽の河原でシーシュポスとともに石を積みあげていた午後。どこからともなく、Valhöll/戦死者の館に住まう神々に愛された英雄たちが歌う『エリュシオンのうた』が聴こえてきた。

北の海辺に磯あり。なづきの磯と名づく。高さ一丈ばかりなり。上に松生いしげりて磯に至る。里人の朝夕にゆきかよえるが如く、木の枝は人の攀じ引けるが如し。磯より西の方に窟戸あり。高さと広さはともに六尺ばかりなり。窟の内に穴あり。人、入ることをえず。深き浅きを知らざるなり。夢にこの磯の窟の畔りに至れば必ず死す。古来より今に至るまで、黄泉の穴と号す。

Aloha 'Oe Days. Aloha 'Oeをささやくように口ずさみながら海上の道をたどってまだ見ぬ南の島ニライカナイを目指す。

まごうかたなき完全5度のÉlan Vitalのかたちがそこにはあった。まだ見ぬニライカナイ、明るいイメージそのものの世界の入口。

ネウマもタブラチュアもフェルマータもダ・カーポもダル・セーニョもピチカートも♯も♭も♮も超えて、ドからソへ。JJからSDGへ。

空間が虚数によって表現可能な座標系においては非因果的領域が確かに存在する。これは自明なことだ。そして、われわれの前に立ちはだかるのが「贈与、交換、純粋贈与」という性悪三姉妹である。この三姉妹はすでにして「善」と「命」の境界線を越境し、地雷となった。Woman in Red. 緋色緋文字の女。ホーソンを食い殺した魔性の女。

越境した地雷と発狂した機雷だらけの世界においては、「ポトラッチ=蕩尽」を不義の子として認知したバタイユの認諾の書『眼球譚』こそが強制通用力のある紙、あるいは金属に一片の幻想をもたらす。かくして、レディ・マーマレード・ボーデン1リットル(つまり、2.5cc×400times または、10ccとエアサプライの永遠の囲いこみ運動、さらには「80年代AORよ、永遠なれ!」だけど、P. デイヴィスがクールな夜に I Go Crazy しちゃったのは返す返すも残念だスペシャル)は世界のありとあらゆる「-JECTION」に反則球ぎりぎりの内角胸元を投企することとなる。ここに「素材と諸力の諸関係」は大団円を迎える。ニライカナイの朝はもうすぐだ。

ニライカナイにはたどり着けないし、憧れ、恋い焦がれてきた南の島には帰れないが、それでも私にはわかる。ニライカナイも南の島も私の血の中に、心の海原にすでにあるのだと。波音さえ聴こえると。ティア・カレルの歌声とともに。

Aloha 'Oe - Tia Carrere (Hawaiiana/2007)
 
# by enzo_morinari | 2019-12-01 19:02 | あの遠い島影はニライカナイ | Trackback | Comments(0)

TOKYO SEEDS/ふたりのSt Patrick's Day 突如、Irish Stepdanceを踊りだす虹子とフィネガンズ・ウェイクを食べた犬

 
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and yes I said yes I will Yes. Molly Bloom

トーキョーが滅んでも『TOKYO SEEDS』があればトーキョーは何度でも再建できる。Enzo Molinari


全身をシャムロック柄のコスチュームで包んだ虹子が突如、Irish Stepdanceを踊りだした。

「どうしたんだよ、急に」
「きょうがふたりのSt Patrick's Dayだからよ」
「3月17日まではまだずいぶん間があるし、第一、おれも虹子ちゃんもキリスト教徒じゃない。虹子ちゃんはともかく、おれは神さまをまったく信じていないしね」
「きょうから神さまを信じるようになるわ。ほら、これでどう?」

虹子はそう言って宙空に浮かび上がり、超高速でIrish Stepdanceを踊りはじめた。世界が緑色一色になった。Quark Birdが3回どころか333X666恒河沙阿僧祇那由多不可思議無量大数回啼いた。

1973年(万延元年)、サミュエル・ベケット級哨戒艦の二番艦ジェイムズ・ジョイス号の甲板で行われたピンボール・フットボールのFPFA World Cup決勝の最中にJJとHCEとALPの三重唱で「クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス!」のTEN-GOKU KARA KAMINARIが聴こえてきて以来、JJのダブリンの巨人と端っこと端っこがくっついたような声が囁いている。「跳べ! 見ても見なくても、見る前でも見た後でも、跳べ! 跳んで跳んで跳びまくれ! 最低でも14回!」と。


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KOFFの月に一度のスペシャル・セールで手に入れた『フィネガンズ・ウェイク』を読むにはうってつけの午後だった。

リラの花影が揺れる窓辺では水曜日の午後の野毛山動物園から飛来した42羽のクォーク鳥たちが「クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス! クォーククォーククォークダンテ・・・ブルーノヴィーコジョイス!」と3度鳴き、台所では年老いた大工の棟梁が鉋がけに精を出していて、夜にはセシウムの除染作業中に屋根から転げ落ちて死んだ42年間音信不通の友人の通夜が控えていた。

ラジオからはジョン・ケージの『42歳の春の素敵な未亡人』が聴こえ、死と再生と転落と地獄と天国と覚醒が、これまでに出会い、通りすぎ、背を向け、いつか出会うすべての人々とともに部屋中を舞い踊っていて、おまけに人生はまだ見ぬ世界に向かって静かに進行中だった。それらのすべてが雷鳴とイズラエル・カマカヴィヴォオレが天国で歌う KAMINARI の轟く中で呼応しあい、息吹き、慈しみあっていた。私は人類の意識の流れの終わりなき円環に眼も眩みそうだった。

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Finish Funky&Funny Fink Fish " i "(Illusional Imaginary Number Fish)!
I am a Latex Man, I am Ian Moone, I am no one!
No Pain, No Gain!
Nothing Things!
Empty Humpty Dumpty!
Goddamn City Tokyo!
Aranjuez!
Niggaz4Life!
'S Wonderful Slime Smile Smith!
Wild, Wild West. Will be, Will be!
AK-69 Loves Mike Popcorn & One way, One Mic, One Life!
Kalashnikov AK-47 Killed Trillion People!
End of The World War III!

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「ぼくにも食べさせてよ」と世界にただ一匹のミニチュア・セントバーナード犬、ポルコロッソが言った。尻尾をヘリコプターみたいにぐるぐるまわしている。尻尾の回転速度と表情と息づかいからして、猛烈に『フィネガンズ・ウェイク』に興味があるようだ。

「これは食べ物じゃないよ」と私。
「だって、あんたはすごくしあわせそうじゃないか」
「しあわせそうでも、これは食べ物じゃない。それに、おまえにはまだはやすぎる」
「そんなのずるいや! 自分だけおいしい思いするなんて! ねえねえ、お願いだからぼくにもおくれってば!」

私は商店主のハンフリー・チップデン・エアウィッカーが法廷で相手方の木偶の坊弁護士から雨の休日の過ごし方について実に間の抜けた尋問を受ける場面のページをポルコロッソの鼻っつらに押しつけた。ポルコロッソは鼻をくんくん鳴らし、上目づかいで私を見てからぺろりと『フィネガンズ・ウェイク』の420ページをなめた。

「まずっ! ひどいや!」
「だから言ったじゃないか」
「でも、なにか裏がありそうだな」
「裏なんかないって」
「いや、あんたはいままでにぼくを4242回だましてきたからな。けさは春巻きの皮しかくれなかったし」
「きのうはピーナッツを42粒もあげたぜ」
「おかげでゲリゲリピーピーピーナッツだ」
「わかったよ。これはおまえにあげるよ。そのかわり、だいじにしてくれよな。気がすんだら返してもらいたいし」
私は『フィネガンズ・ウェイク』をポルコロッソの寝床であるホットマンのターコイズ・ブルーのタオルケットの上にそっと置いた。

ポルコロッソは『フィネガンズ・ウェイク』にぴったりと寄り添い、満足そうに眠りについた。そして、目を覚ますたびに1ページずつ『フィネガンズ・ウェイク』を食べた。

ポルコロッソが『フィネガンズ・ウェイク』を平らげたら、次は『ユリシーズ』、その次は『失われた時を求めて』をあげることにしよう。

イーリアス』と『オデュッセイア』と『プルターク英雄伝』と『パイドン』と『聖書』と『神曲』と『無限・宇宙・諸世界について』と『地獄の季節』とー(θ)ー『虹のコヨーテ』と『アノニマス・ガーデン』とー(Ω)ー『精神現象学』と『純粋理性批判』と『悦ばしき知識』と『善悪の彼岸』と『ツァラトゥストラかく語りき』と『カラマーゾフの兄弟』と『罪と罰』と『悪霊』と『ディヴィッド・コパフィールド』と『森の生活』と『老人と海』とー(Φ)ー『堕落論』と『山羊の歌』と『在りし日の歌』と『異邦人』と『シジフォスの神話』と『存在と時間』と『存在と無』と『グレート・ギャツビー』と『長いさよなら』と『路上』と『悲しき熱帯』と『言葉と物』と『グラマトロジーについて』と『重力の虹』と『ライ麦畑のキャッチャー』とー(Ψ)ー『共同幻想論』と『死霊』と『豊饒の海』と『断層図鑑殺人事件』と『骰子一擲』と『半獣神の午後』と『変身』と『文学空間』と『期待/忘却』と『スローターハウス5』と『ニューロマンサー』と『セヴンティーン』と『政治少年死す』と『同時代ゲーム』と『万延元年のフットボール』と『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』と『ガルガンチュアとパンタグリュエル』もあげよう。

すべてを食べ終えたとき、ポルコロッソは世界で一番あごが丈夫で、イデアでプラトニックでロゴスでミュトスでエロスでタナトスでモダンでコスモポリタンでルネサンスで海とつがった太陽で砂漠の商人でオー・マイ・ゴッドでエトランジェーでフィロソフィーでベグリッフェンでニヒルでスーパーマンでルサンチマンでアナーキーでエッケ・ホモでラスコーリニコフでエコロジーでファンキーでタフでクールでハードボイルドでイノセントでヒップでフラップでプライベート・アイズでプル・ソワでアンガージュマンでエピステーメーでパラダイム・シフトでイグジスタンスでデコンストリュクシオンでディセミナシオンでモヒートで無頼で汚れっちまった悲しみで茶色い戦争でチューヤでビートニクでポップでデオキシリボヌクレイック・アシッドで逆立で黙狂で虚體で憂国であっはでぷふいでポスト・モダンでニューエイジでサイバーパンクでスラップ・スティックでサンボリスムでアノニマスでスコールで想像力と数百円でジャギュアでスパゲティ・バジリコでちょっとマドレーヌな犬になっているにちがいない。

TOKYO SEEDS/ふたりのSt Patrick\'s Day 突如、Irish Stepdanceを踊りだす虹子とフィネガンズ・ウェイクを食べた犬_c0109850_574767.jpg


ポルコロッソに負けてはいられない。本を読もう。もっともっと本を読もう。もっと勉強しよう。もっと映画をみて、もっと音楽を聴いて、もっと自転車に乗って、もっと散歩をして、もっとおいしいものを食べて、もっと世界とコミットメントしよう。

Life is a work in progress. 人生は進行中なんだ。ポルコロッソも同じ意見らしい。ブーブーブーと鼻を鳴らしている。

ブーブーブー。ブーブーブー。BOO-BOO-BOO. BOO-BOO-BOO.


BOO
 



Irish Jig Music: Best of Irish Jig Music Fast for Dance (Traditional with Fiddle)
 
# by enzo_morinari | 2019-11-30 20:17 | TOKYO SEEDS | Trackback | Comments(0)

死は敗北ではない。And So, No Music, No Life./死んで8年4ヶ月が過ぎて中村とうように言いたいこと。

 
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No Music, No Life. E-M-M

人は死ぬ。だが、死は敗北ではない。E-M-H


1980年代の一時期、中村とうように私淑していた。議論した。激論した。談論風発した。肉体言語闘争した。酒池肉林した。たのしかった。ムカついた。貸し借りでいうならば、借り方のほうが多い。

中村とうようは東日本大震災、福島の原発大災害が起こった年の夏にダイブし、みずから命を絶った。疾走する精神/高速リズム・マシーンは動きを止めた。

中村とうようが死んで悲しかったかと問われれば、眉ひとつ動かさずに悲しくないと答え、だれもいない世界の果てで塩味ダイヤモンドをひと粒こぼした。酒も浴びた。

中村とうようが死んで8年4ヶ月が過ぎ、世の中は中村とうようのことを露ほど毛ほどもおぼえておらず、思い出しもしないことが確認できた。だから、言う。中村とうように言いたいことはただひとつだ。死は敗北ではない。

中村とうようが生きていようが生きていまいが、No Music, No Life.であることは変わらない。

湯川れい子のCUSO BBAはA( )Cのスッカンカン素寒貧の勘ちがい木偶の坊である。大昔から変わらない。中村とうようもHAGE-DOWのはずだ。
 
# by enzo_morinari | 2019-11-29 22:20 | 死は敗北ではない。 | Trackback | Comments(0)

海辺の墓地/海を眺め、母と死を思う場所。プーラールおっかあのスフレリーヌのために。

 
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La Mer, La Mère, La Mort.
Pour la soufflérine de la mère Poulard.


Ce toit tranquille, où marchent des colombes,
Entre les pins palpite, entre les tombes;
Midi le juste y compose de feux
La mer, la mer, toujours recommencée !
Ô récompense après une pensée
Qu'un long regard sur le calme des dieux !
A-P-T-J Valéry


死せる詩人たちの集まりであるシセル・セシル会の吟遊行でポール・ヴァレリーの墓があるフランス共和国オクシタニー地域圏エロー県モンペリエ郡の海辺の町セットの海辺の墓地を訪ねたときに精神の島は出現した。精神の島は石灰岩と珊瑚でできていて、かたちはバハマのアンドロス島によく似ていた。アンドロス島の縮尺1/50といったところ。

アンドロス島似の島の精神性は特筆すべきものであって、サイズは1/50だが、その理力は50倍どころか100倍あるように感じられた。

われわれはアンドロス島似の島に聖なる精神の島/La Isla Del Espiritu Santoの名を与えた。アンドロジナス島、サントリーニ島とも。彼=彼女はたいそう喜び、翼をバタバタさせた。海を眺め、母と死を思う場所にふさわしい出来事だった。

昼めしはプーラールおっかあのスフレリーヌをバケツ1杯ずつ食べた。モン・サン=ミシェルの島影でプーラールおっかあが大きなフライパンをふりまわしながら笑っていた。竹鶴の空き瓶からうなだれたブルームーン・シクラメンが顔をのぞかせていた。鳥井三兄弟には困ったものだと思った。サントリーニ島から二羽のアンドロジナス鳥が飛来するのはもうすぐだ。


Le cimetière marin - Paul Valéry (1920)
海辺の休暇 (物語をきかせて) - Stacey Kent
 
# by enzo_morinari | 2019-11-28 19:30 | 海辺の墓地、海を眺める場所。 | Trackback | Comments(0)

海辺のバルト、海辺の休暇/1980年3月26日水曜日の零度のエクリチュールの作者の死あるいは1975年のドーナツ世界の歩き方と若干の準備運動

 
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零度のエクリチュールの快楽の海で耽溺死しろ。Enzo Molinari

Le Degré Zéro de l'Écriture * La mort de l’Auteur * Qu'est-ce qu'un Auteur? R-B * P-M-F

物語の作者は彼あるいは彼女の物語の解釈を決める最高権威=神ではない。R-B

村上春樹の作品は村上春樹ことウガンダ系日本人であるハルキンボ・ムラカーミの挫折のことであり、バンクシーの作品とはネズミ頭のバンクシーの狂気である。R-S

テクスト/作品とは様々なる意匠の縦糸横糸によって編まれた多元的文化的な織物であり、引用物である。それをときほぐし、解読するのは読者である。読者にはテクストの快楽を追求しつづける責務がある。R-B

トーキョーはつねに肥大しつづけ、発狂しつづけ、すべてを飲みこみつづけるメガ・ドーナツ・シティである。その中心は不変にして普遍の空虚で満たされている。R-B

ドーナツ屋は駅のそば屋の裏手にある。その事態を成り立たせているものこそが消費社会の神話と構造/La Société de Consommationである。J-B

ドーナツの中心の空虚はわが存在の多義性を象徴する。ある1975年世界的オールド・ファッションドのドーナツ


1980年3月26日水曜日に零度のエクリチュールの作者が頓死して以来、1975年のドーナツ世界を歩くための若干の準備運動はコレージュ・ド・フランス1971年のOpus Oneとエコール・ノルマル・シューペリウール1958年を惜しみなく痛飲してから幕をあける。シルトの岸辺/スミダの岸辺/夜の果ての旅を経て時間が失われても、海辺のバルトの愛と休暇は奪われない。ミシェル・ポルナレフは西アフリカの海で獲れたメルルーサの揚げ物のようにメルドーだ。

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われら、死の半ばにありて。
Media vita in morte sumus.


母なる海と死と。
La mer, une mère et la mort.


風がでてきたぞ! 疾風のように生きるぞ! P-V

死につづけるのは死んでからでいい。長く退屈な時間だ。E-M-M

死を考えるのは死んでからでいい。時間はたっぷりある。E-M-M

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こどもの頃から親しみを感じていた海辺の町の海辺の墓地が改葬されることを知り、失われる前に別れを告げることにした。深い闇に閉ざされた自分の部屋から出るのは4242日ぶりだった。

11年と227日。憤怒と憎悪と煉獄の日々。失われた時間を探し求める日々。耳元でクオーク鳥が絶えず鳴きつづけ、青山墓地B地区9696のユリシーズ部屋で行われた無限級数梯子から転落して死んだ運命大工のフィネガンの通夜の席で突如として姿を消したきり消息不明のFinnegans Wakeのアポストロフィ問題に苛立つ日々。

海辺の墓地は風が強かった。ふと「海辺の休暇」と思った。ひとしきり風に吹かれていた。風は泣いていた。ウォーンウォーンと。ゴーゴーゴーと。ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんと。砂漠を吹きぬける風のようにエリ・エリ・レマ・サバクタニと。風は泣きながら叫びながら踊っていた。ならず者の南から来た男を乗せて。Ride like the wind. Le vent se lève, il faut tenter de vivre.


世界を計測するのに必要なのは方法である。P-V


100年前から細部に宿った神をどやしつけつづけた男は海辺の町の海辺の墓地の一番見晴らしのいい場所に立ちつくしている。

「風がでてきたぞ! 疾風のように生きるんだぞ!」

男は傲然と轟然たる咆哮を発した。男のかたわらには方法の学校の初代校長テスト氏が知性の偶像以外のすべてを拒否しながら立っている。

海辺の墓地の一番見晴らしのいい場所から海を臨むと、精神の島が仄あかるく揺れていた。精神の島はときどき有機的な点=尖光/ホワイトヘッド・フラッシュを放って私を威嚇した。

深い闇に閉ざされた自分の部屋/知の胎内に籠城するまで、私は動機の文法を確立するために前人未踏の思索に耽っていた。

私は主に社会や人間の可塑性、知のクーデタについて考えていた。そして、その方法のひとつとして無名会社/匿名会社/Société Anonymeという名の株式会社組織を設立し、世界の分裂生成を企図した。

その頃の私にとっては視えない自由を視えない銃で撃ちぬくことが大きな課題だった。そのような日々がもたらしたのは精神の均衡の崩壊だった。精神と精神のあいだに立ちはだかる永劫の壁が音もなく崩れていった。私の精神には精神の島が不吉で不道徳で不安定で不定形で不均衡な島影をみせていた。精神の島は銀河団を飲みこむほどの強度と明晰を持っているように思われた。

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風が泣いている - ザ・スパイダース (1967)
Ride Like The Wind - Christopher Cross
Les Vacances au Bord de La Mer (Raconte-moi) - Stacey Kent
 
# by enzo_morinari | 2019-11-27 23:21 | 海辺のバルト、海辺の休暇 | Trackback | Comments(0)

思い出は琥珀色に染まりゆく。/ずっと昔に忘れていた甘く切なくなつかしい痛みの記憶

 
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思い出は琥珀色に染まりゆく。森鳴燕蔵

なつかしい痛みだわ。ずっと前に忘れていた。Tacassy Mazzy

長い時間をかけて、おたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. Enzo Molinari

Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングは彼のサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせる。もちろん、かすかな苦味も。つまり、Bitter&Sweet. ディズニーランドとスカイツリーとÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食だけではいい人生は手に入れられないのだということも。JHCの古い友人


もう36年も経っていたか。Sweet Memories. SUNTORY Penguin's Bar CM. 1983年。

古い友人の結婚披露パーティーで「人生は、そして、長い時間をかけておたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. 人生の墓場に入定せんとする古い友人であるきみに捧げる。」と前置きしてAlto SaxphoneでSweet Memoriesを吹いた。ざわついていた会場は2小節が終わる頃には水を打ったように静まりかえり、ついにはあちらこちらからすすり泣きが聴こえた。

パーティー後、若いおねいちゃんたちに電話番号をきかれたが、「電話料金滞納中で電話は使えない」と言って教えなかった。教えなかったけれどもテイクアウトはした。据え膳食わぬは男のバツサンである。KALDIのHASSANは使いまわしがいいが、4度目の人生のセメタリー・ライフは細々とつづいている。おたがいが他人ではないのだという確認作業は最近完了した。いい人生だったと言えないこともない。後悔はないかと問われれば、あると思い、ないと答える。それが流儀あるいは遊戯乃至は矜恃である。

若かった。だれもが若かった。若く、恋をし、傷つき、なつかしい痛みをかかえていた。

失われた愛と時間と記憶。過ぎた日々、遠く去った季節をとりもどすことはできない。しかし、いくぶんかの痛みをともないはしても、胸の片隅に残っているSweet Memoriesは色あせることなく何度でもよみがえる。そのようにして、ひとは成熟していく。喪失と成熟はコインの裏表だ。

ただし、いくつの季節がめぐり、時間が経過してもしなくても、甘い記憶や苦い記憶や遠い記憶や痛みをともなう記憶がよみがえっても、SUNTORYのビールはいただけない。まちがっても、”泣かせる味”ではない。泣かせる味じゃん? 所ジョージはウソをついている。

村さ来で注文を取りにきたアルバイトの女の子に「ビール、ジャンジャン1本」と言ったら、その女の子は即座にゲラ子に変身し、短期間だが、私といくつかのSweet Memoriesをつくった。痛みをともなわない苦味もない他愛ないたいして甘くもない記憶だ。

女の子の名はヨネ子。そこかよっ! 松尾嘉代は好きだ。イロエロとお世話になった。お世話もした。彼女が2011年の春の悲劇以降、心身ともに困憊して現在に至っているいまこそは、物心ともに心をこめてお世話したい。それが一時期とはいえSweet Memoriesをともにつむいだ者の最低限の仁義である。


*asのソロはJake H.Concepcion. 2017年にマニラのSmoky Mountainの煙りとともに天に召された。心にしみるいい音色を出すサックス・プレイヤーだった。Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングはサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせる。思い出は遠い日の花火ではない。


Sweet Memories - Lady X (Seiko Matsuda) (SUNTORY Penguin's Bar CM/1983)
 
# by enzo_morinari | 2019-11-26 20:19 | 思い出は琥珀色になってゆく。 | Trackback | Comments(0)

冷たい小糠雨の中の仔犬 ── 宇宙万物森羅万象に多情多恨たれ

 
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思い出は琥珀色に染まりゆく。森鳴燕蔵
人間らしくやりたいな。人間なんだからな。KAITA-KAKEN
いろんな命が生きているんだな。元気で。とりあえず元気で。みんな元気で。ずっと元気で。仲畑貴志
世界を貪り読め。読みつくせ。耳を攲てろ。眼を見開いたまま眠れ。森羅万象に多情多恨たれ。KAITA-KAKEN


1981年晩秋。青葉繁れる日々はとうに終りを告げていて、永遠などないと思い知りながら、ワイオミング・スイカを貪り喰いながら、街を、世界を、ビロード地下帝国のワイルド・サイドをほっつき歩いていた。

スパゲティ・バジリコでも25メートルプール1杯分のビールでも床一面に5cmの厚さで敷きつめられた南京豆の殻でも心と魂は満たされず、水晶とは似ても似つかぬ鉛色の世界が広がっていた。「ジョシダイセー」なる珍妙奇妙奇天烈なイキモノが肩で風を切ってのさばり歩いていた。

冷たい小糠雨が降りしきる週末の夕暮れの青山通り。1本の路地から茶色と白のブチの仔犬が顔をのぞかせた。ボクサー犬かジャックラッセル・テリアか。生後半年ほどでもあったか。

仔犬は車と人と雨とでざわめき立つ夕闇迫る混乱の大通りを前にあたりを落ちつきなく見まわし、小刻みに震えていた。その表情は不安と恐怖で凍りつく寸前であるように思われた。

どこからともなく晩鐘が聴こえてきた。善光寺の晩鐘だったか。仔犬は傘をさして猛スピードで買い物かご付き自転車を走らせるクソばばあに轢かれそうになる。クソばばあを引きずり倒してぶん殴ってやりたかった。しかし、夕暮れの雑踏と家路を急ぐ大衆どもは仔犬には目もくれず、無関心そのものだ。それどころか、仔犬を食い殺そうとでも言いたげなほどに残酷だった。私もそのうちの一人だった。

小さな命が抱える冥さに目もくらみそうになる。そして、その小さな命に待ち受ける孤独と困難と困憊にも。

仔犬に微笑みかけることしかできなかった。それだけが、そのときの私にできることだった。ほかにはなにもない。彼を抱きしめ、あたため、連れて帰りたかったが、すべての事情を勘案した結果、それはゆるされなかった。だが、それは言い訳だ。愚にもつかぬ言い訳にすぎないと今にして思う。仔犬はどんなにか寒く、ひもじく、凍え、心細かったろうかと思う。しかし、重要なのは言葉の数ではない。言葉の巧みさでも美しさでもない。言葉ではない。

当然に、仔犬のその後の日々がどうなったかはわからない。そして、40年近い歳月の流れ。40年近くの時間を経ても凍えるような喪失のかなしみ、痛みをともなった喪失感がある。

あのとき、あの仔犬をふところに抱きしめていれば。あのとき、あの仔犬を一瞬でもいいからあたためていれば。あのとき、あの仔犬にひと晩の宿りとわずかの糧とを与えていれば ── 。そのことによって失うものなどなにもなかったのに、そして、そのことによってもっとたいせつであたたかくて深いものを手に入れられたはずなのにできなかった。いや、できなかったのではない。しなかったのだ。

そのあいだに、街からも人間からも「貌」が失われた。のっぺりとした記号だけが無目的/無感動に徘徊している。「すごい」をいつ果てるとも知れずに連発しながら(「すごい」は形容詞だ! 形容詞で形容詞と副詞を修飾するな!)。

子守唄がわりに『Metal Machine Music』を聴かされつづけた赤ん坊どもはいまやアヒルに毛の生えたようなニヒリストとして無限大の幻影を夢みる日々を生きている。彼奴らをみていれば、そう遠くない将来、近々、「世界の終り」がやってくるのはまちがいないとわかる。救いはソニーロリンズ・ベイビー島の人々が青と黒のクセノフォンの巨人の夢を見つづけていることだけだ。

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雨と子犬(SUNTORY トリスCM/仲畑貴志企画)
琥珀色の日々(雨と子犬) - 菅原進
夜が来る - 小林亜星
 
# by enzo_morinari | 2019-11-25 17:06 | 冷たい小糠雨の中の仔犬 | Trackback | Comments(0)

Skid Roadのうた/山谷ブルースが消えていく…。

 
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Do Da Damn Thang! Enzo Molinari

ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ。S-F

立ちん坊人生味なもの。通天閣さえ立ちん坊さ。三音英次

人は山谷を悪く言う。だけど俺たちいなくなりゃビルも道路もできゃしねえ。岡林信康

竹田の子守唄、チューリップのアップリケ、山谷ブルース、釜ヶ崎人情。そして、すべては終わりぬ。魂に楔を打ちこみたいときに繰り返し聴く。森鳴燕蔵

その昔、『竹田の子守唄』を歌っていた赤いチューリップのアップリケがついたスカートを穿いた女の子はいまでは泪橋を渡って橋のない川のほとりで『山谷ブルース』を歌って泣きながら酔いどれる。


20代の半ば頃。山谷、釜ヶ崎、寿町に3ヶ月くらいずつ暮らした。

日本の西部/Skid Row/ドヤ街。日雇い労働も経験した。ツルハシとスコップをふるい、疲れ果て、飲んだくれ、バカっぱなしをし、取っ組み合い殴り合いのケンカをし、なにも残らなかった。左の顎の下にナイフで抉られた疵痕が残ったくらいだ。立ちん坊人生が味なものだと気づくには若すぎた。

小学校5年生の秋に岡林信康の『山谷ブルース』を聴いてからだがふるえるほどの衝撃を受けて以来、いつかは山谷で暮らしたいと思っていた。

中学生となり、高校生となり、大学生となって、地元横浜の寿町、大阪西成の釜ヶ崎の成り立ちや意味や歴史を知ってそれらの街で暮らしたいという気持ちはいよいよ強くなった。そして、実現した。

山谷/釜ヶ崎/寿町暮らしを通じてわかったのは「どうにもならないこと」「抜けだせないこと」「脱出不能」があるという厳然とした事実だった。きれいごとはもちろんのこと、善意では回収できない生々しいリアルがあるのだと。

竹田の子守唄、チューリップのアップリケ、山谷ブルース。そして、釜ヶ崎人情。さらには、スティーブン・フォスターのすべては終わりぬ/Hard Times Come Again No More. 心と魂に楔を打ちこみ、鞭をくれてやりたいときに繰り返し繰り返し聴く。聴きつづける。そのたびに、ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝めしやスカイツリーやディズニーランドやクリスマスやヴァレンタイン・デイやハロウィーンやハッピー・ニューイヤーのお祭り騒ぎバカ騒ぎ空騒ぎや仲良しごっこでは決して回収することのできない強固巨大な岩盤岩塊があることを思い知る。

だれだって、ひもじい思いも凍える思いもうだるような思いもみすぼらしい思いもみじめな思いもしたくない。したくないに決まってる。したいはずがない。だが ──。

ひもじい思い、凍える思い、うだるような思い、みすぼらしい思い、みじめな思いをしているから不幸か? 飢えて、凍え、スミロドン(サーベルタイガー)やホラアナハイエナやショートフェイスベアやダイアウルフに追われ、マンモスや鹿やイノシシを追いかけ、木の実をひろって食べ、着の身着のままその日暮らしをしていたわれわれの先祖は不幸か? そうではあるまい。その先の答えをみつけたいがみつかるまい。どうにもならないこともある。

そもそも、答えなんかありゃしねえ。いいさ。いいさ。山谷の立ちん坊。世間恨んでなんになる。あとは焼酎をあおるだけ。どうせ。どうせ。山谷のドヤ住まい。ほかにやることありゃしねえ。だれもわかっちゃくれねえか…。


すべては終わりぬ/Hard Times Come Again No More written by Stephen Foster

1.
Let us pause in life's pleasures/人生の歓びのさなかにあってもひととき立ち止まり
and count its many tears,/流されたたくさんの涙の数をかぞえよう
While we all sup sorrow with the poor;/晩ごはんのあいだ、貧しき人々と悲しみをともにしよう
There's a song that will linger forever in our ears;/永遠にわたしたちの耳に鳴り響く歌がある
Oh, Hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

2.
While we seek mirth and beauty/わたしたちが享楽や美女を追いかけまわしているあいだも
and music light and gay,/陽気な音楽を求めているあいだにも
There are frail forms fainting at the door;/小屋の扉のまわりでは疲れ果てた人々が倒れかけている
Though their voices are silent, /かれらの声は沈黙に支配されているけれども
their pleading looks will say/かれらの訴えかけるような眼差しは言っている
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

3.
There's a pale drooping maiden/蒼い翳を宿した顔をうなだれている娘がいる
who toils her life away,/つらい仕事をずっとつづけ
With a worn heart whose better days are o'er:/たのしかった日々は過ぎ去り、疲れた心を抱えている
Though her voice would be merry, /彼女の声が明るくあればいいと思うけれども
'tis sighing all the day,/彼女は人生の日々にため息をついている
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

4.
Tis a sigh that is wafted across the troubled wave,/荒波の彼方から漂ってくるのは深々としたため息
Tis a wail that is heard upon the shore/岸辺に聴こえるのは嘆き悲しむ人の声
Tis a dirge that is murmured/つぶやくように死者を悼む哀歌が
around the lowly grave/墓場のあたりから聴こえてくる
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

(Chorus)
'Tis the song, the sigh of the weary,/この歌は疲れ果てた人々の漏らすため息
Hard Times, hard times, come again no more/「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と
Many days you have lingered around my cabin door;/長いあいだ小屋の扉のまわりで鳴り響いていた
Oh, hard times come again no more./「ああ、つらい時なんてもう二度と来ないで。すべては終わりぬ」と

Skid Roadのうた/山谷ブルースが消えていく…。_c0109850_08343947.jpg

チューリップのアップリケ 岡林信康 (1968)
山谷ブルース 岡林信康 (私を断罪せよ/1969)
吉幾三 山谷ブルース (昭和43年)
竹田の子守唄 赤い鳥 (1969)
釜ヶ崎人情 三音英次 (1967)
Hard Times Come Again No More - Mavis Staples
 
# by enzo_morinari | 2019-11-25 04:36 | Do Da Damn Thang! | Trackback | Comments(0)

Code Scavenger/ドブさらいはだれかがやらなければならない。

 
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Sous le Pont des Poissonniers, Paris 18, mars 2017


人は山谷を悪く言う。だけど俺たちいなくなりゃビルも道路もできゃしねえ。Nobu-Yassy Okaba-Yassy

松濤のめし屋がどうたらこうたら、京都の老舗のバカ菓子が滑った転んだとぶっこいているSka Anal BBAはScavenger Cityで1回死んどけ!


ScavengerをWaste Pickerと言い換えたところで、廃棄物も貧困も差別/被差別の構造もなくなりはしない。隠蔽という新しいゴミが増えるだけである。

Slum. スラム。貧民窟。退廃地区。山谷、寿町、釜ヶ崎が天国極楽に思えてくる場所が世界にはゴマンとある。

Slumで画像検索すると22,000,000件がヒットする。そこにはリアルな貧困と困憊と窮乏のかたちの一端がみてとれる。

世界中でスラム化は加速度的に進行している。2030年には世界のスラム住民は20億人を突破する。もう、だれにも、なにごとをもってしても、その事態、流れは止められない。

このリアルを前にして、20110311と20110314の震災と原発事故後、故郷/Home Townを追われたままの者について見て見ぬふり、聞いて聞こえぬふりを決めこんで喰らうバカめし、罰当たりめしはうまいか? ÉCHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンはおセレブ感たっぷりにうまいのか? 暖炉は暖かいか? 暖炉の薪がパチパチ爆ぜる音を聴きながら飲むCafé au laitはうまいか? 馬子にも衣装で着飾るのはたのしいか? 暮らし、ライフ・スタイル自慢はゴキゲンか? 反吐が出る。カーッ(゚Д゚≡゚д゚)、ペッ ( ゚д゚)、ペッ


山谷ブルース 岡林信康
釜ヶ崎人情 三音英次
Ska Music
Scavengers of the Savannah (Wildlife Documentary)
 
# by enzo_morinari | 2019-11-24 20:00 | Code Scavenger | Trackback | Comments(0)

もうじき、お陀仏だ。/あれは幻の風船ガムだったのか?

 
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バナナではない。セックスではない。コケットリーにコケるとコックに響くこともある。Enzo Molinari

踊るアフォに見るアフォ。おなじアフォなら踊らにゃ損々。Bro. A-HORN

Oly Oly Oly Oh! Yely Yely Yely Yeah!
The Up. Town TOKIO, Slummin' Night!
Bro. KORN

足りない頭なら知恵を盗みゃいい。帳尻合わすならウソも必要さ。Bro. KORN

Code Scavenger. 密輸取り締まりのための税関長も腐肉をあさるハイエナやハゲタカも片っ端から資料をあさる学生と下っ端研究者もWaste Pickerも必要だ。ドブさらいはだれかがやらなければならない。Enzo Molinari

リオデジャネイロのファヴェーラ。マニラのスモーキー・マウンテン。ジャカルタの高速道路下のシャンティ・タウン。部外者の生存時間15秒の南ア・ヨハネスブルグのポンテ・シティ・アパートメント。みんなサイコーの遊び場で死に場所だ。Enzo Molinari


かつて、泡劇場の最終幕の最中に風船ガム兄弟という上っ面で上っ調子であさはかでギョーカイ人づら好きの二人組の起こす泡風が瞬間風速100mで吹き荒れた。いくぶんかのFunky&Funnyさには好感が持てた。

Da Bubblegum BrothersのWon't Be Long. その季節のテーマ曲にした。泡の時代、泡劇場で抱えこんだ負の遺産をやりすごし、しのぎ、かいくぐるための風を吹きこんでくれた。

朝から晩まで、Won't Be Longを繰り返し聴きながら、命まではとられまいと腹をくくり、もうじき、お陀仏だ。お迎えはもうすぐだと覚悟を決めた。

あの日々からもう30年が経つ。O-Kay, Won't Be Long. もう、長かねえ。もう、いくらもねえ。もうじき、お陀仏だ。お迎えはもうすぐだ。そう思い、つぶやき、生きている。死ぬまで、いや、死んでもFunky&Funnyであるために。

Oly Oly Oly Oh! Yely Yely Yely Yeah!


Won't Be Long - Da Bubblegum Brothers (1990)
 
# by enzo_morinari | 2019-11-23 19:10 | もうじき、お陀仏だ。 | Trackback | Comments(0)

ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。

 
ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。_c0109850_21154490.jpg
ひこうき雲は高すぎて、ジャコビニ彗星は遥かに遠く、海を見ていた午後はおぼろげにかすんで、後悔だらけの航海日誌のための空と海の輝きに向けた航海は始まっていなかった。_c0109850_21160084.jpg

かつて、青い三角定規では計測できない季節があった。


1973年の夏。日曜夜8時の作り物の青春時間では回収できない日々。『夏の光の中で』という名の不思議な風に吹かれた。風の元は風コーラス団。

あれは幻の風だったのか?


太陽がくれた季節 青い三角定規 (1972)
夏の光の中で 風コーラス団 (1973)
 
# by enzo_morinari | 2019-11-23 01:15 | 青い三角定規では計測できない季節 | Trackback | Comments(0)