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北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず/弓折れ矢尽き、尾羽打ち枯らして都落ちし、困窮困憊の果てに北の国の故郷に帰還する世界で一番憎んでいた男/生物学上の父親の心中をイマジナシオンする。

 
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窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず
夢はむなしく消えて 今日も闇をさすらう
遠き想いはかなき希望 恩愛我を去りぬ
今は黙して行かん なにをまた語るべき
UDA-HIRO


月に数度やってくる冥い貌をした男。世界で一番憎んでいた男/生物学上の父親だ。そのたびに、百円札を1枚わたされて貧乏長屋を出た。夕方まで帰ることはできない。母親を抱きにきたことはわかっていた。公園や図書館や本屋や港で時間をつぶした。いつか殺してやろうと思っていた。思いつづけた。私に背を向けていたのはおなじ方向を見ていたからだとゆるしかけたこともあったが、元の木阿弥。怒りと憎しみは日を追うごとに強くなり、深まった。

生物学上の父親への憤怒と憎悪は自分のレーゾンデートルであるとさえ考えて生きてきたが、首吊りの足を引っ張るのは下衆外道のやることである。首吊りどころか、とうの昔に死んでいるのだから。葬送/野辺送りにも背を向け、墓参りさえ行っていない。だが、もうそろそろ手仕舞いの頃合いだ。生物学上の父親がもがき苦しみ、のたうちまわり、青春時代のすべてを捧げ、命を差しだし、血煙をあげて走り抜けた昭和はとっくの昔に終わっているのだ。

ついては、生物学上の父親が涙をぽろぽろこぼしながら歌っていた『北帰行』を小林旭の歌唱で繰り返し繰り返し聴きながら、弓折れ矢尽き、尾羽打ち枯らして都落ちし、困窮困憊の果てに北の国の故郷に帰還するときの生物学上の父親の心中をイマジナシオンすることにした。生物学上の父親が涙をぽろぽろこぼしながら『北帰行』を歌っていたシーンはたったひとつだけの生物学上の父親にかかる「いい思い出」でもあるから。さらには、若き生物学上の父親がほぼ同世代の宇田博が作詞作曲した『北帰行』の原曲である『旅順高等学校寮歌』を愛唱していたかもしれないと思うと胸に迫るものがある。

北の国の地方都市の旧制中学卒業後、かかえきれない夢や希望や野心を胸に上京して都の西北へ。そこまではいい。容易に想像がつく。戦争がすべてをかえた。繰り上げ卒業し、仙台で入隊。選抜され、梅機関の特務機関員となる。梅機関時代の数年については生物学上の父親は黙して語らず、墓場に持っていった。ただ、一度だけ、「戦争に青春をめちゃくちゃにされた」と言ったことがある。一度きり。眼は憤怒と憎悪の焔でめらめらと燃えていた。どこかでみたことのある眼。鏡に映る私の眼とおなじだった。あとはたずねても黙して語らず。そのように訓練を受けたんだろう。

中国大陸で悪逆非道のかぎりをつくし、C級戦争犯罪人としてニューギニアのジョスンダで終戦。現地処刑のはずが、なんの因果か悪運か、虜囚の辱めを受けたのちに命からがら祖国に帰還。最終軍階級は大日本帝国陸軍大尉。以後、復員軍人の常どおり、「おあまりオマケの人生」を無頼に生きる。厚生省(現厚生労働省)に生物学上の父親の軍歴を問い合わせても「回答できない」の一点張り。隠蔽の意図はあきらかだった。特務機関員の戦歴軍歴を教えるわけがないのは当然のことだ。国家の安全保障に優先するものはなにひとつない。それが国家意思である。生物学上の父親が愛読していた改造社版のニーチェの『権力への意志』には端正な字で「国家意思はすべてに優先する」という生物学上の父親の書きこみがある。

おとなになってから、野毛の飲み屋で生物学上の父親と飲食しているときに「官僚は国家意思の体現者か?」と問うたら、「ちがう」と即答した。

「それなら、官僚をぶち殺しても国家意思に背くことにはならないな?」
「ならない。やるときはおれにも声をかけてくれ。まだ腕におぼえはあるから。」
「おれは仕事はすべてひとりでやるのが流儀なんだ。」
「ふん。よく似てる。似なくていいところまで。」

生物学上の父親はそう言って声を立てずに笑った。なんて親子だと思った。

大学の先輩筋にあたる河野一郎との出会いが「陽のあたる明るい表通り」を大股で大手を振って歩くきっかけとなる。「おあまりオマケの人生」に別れを告げて。河野一郎邸に出入りしていた当時書生の海部俊樹について、よく「痘痕づらの愚かな田舎者」と吐き捨てるように言っていた。

手がけた事業はことごとく成功する。高度経済成長の時流にうまうまと乗って巨万の富を手にいれる。しかし、あえなく、コケる。要因は山っ気と放蕩。つまりは、酒と女と博打。すべてを失う。そして、故郷の室蘭に帰還する。生物学上の父親は再起を期して捲土重来し、またもやビッグチャンスをものにするが、やはり、ついえる。強い希死念慮に苛まれ、実際に神楽坂の待合いで自殺未遂を起こしている。

夜行列車に揺られながら、生物学上の父親はなにを思っていたか。青函連絡船上で荒れる津軽海峡を目にしてなにを思ったか。青函連絡船もいまはない。

昭和が終わって30年余。昭和の次の平成も終わる。恩愛。そして、恩讐。『北帰行』をあと100回聴かなければその先はわからない。聴こう。酒も飲もう。酒ぐれ、酔いどれてしまおう。いっそのこと、あすあたり、神谷バーで電気ブランをかっくらうか。神谷バーにはいまもかわらずスローな時間が流れていればいいが。


明日はいずこの町か 明日は異郷の旅路か…


北帰行 小林旭 (1961)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-18 01:57 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(1)

カンカン虫のうた/カンカン虫の息子、花の都パリの赤い風車の前でフレンチ・カンカンを踊る。

 
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生物学上の父親は金融(早い話がヴェニスの商人、つまり金貸し/高利貸し/サラ金のはしり)、建設(早い話が土方/人足/人夫出し。つまりは、手配師)、飲食業(早い話がキャバレー/ピンサロ)、宿泊業(早い話がラブホ/連れこみ宿)、特殊浴場(早い話がトルコ風呂/ソープランド/夢湯)、警備業(早い話が用心棒)、アメリカ合衆国製清涼飲料水の日本法人、ゲーム機器のリース(ゲームのSEGAの前身、Sega Enterprises, Ltd.の創業者一味)、出版、食品雑貨の移動販売、旅行代理業、広告代理業等々、手広く事業をやっていた。高度経済成長の波に乗り、一代で巨万の富をえた。

その中のひとつが横浜港を中心におこなっていた港湾荷役事業だ。いわゆる「カンカン虫」の親方。生来の山っ気/放蕩の血に起因する酒と女と博打への過剰なコミットメントによって身を持ちくずし、数度数社の倒産(経営破綻)/自己破産を経験するも、そのたびに悪運強く再起。そのしぶとさとガッツについては評価できる。平々凡々安定守旧、沈香も焚かず屁も放らない木偶の坊よりははるかに気が利いているとさえ思える。生物学上の父親については、尊敬どころか憎悪していることにかわりはないが。

東京六大学ボクシング・フライ級のチャンピオン。梅機関の諜報員上がり。先の戦中、中国大陸で悪逆非道のかぎりをつくした男。C級戦犯としてニューギニアのジョスンダで現地処刑のはずが、なんの因果か悪運か、虜囚の辱めを受けたのちに命からがら祖国に帰還。以後、復員軍人の常どおり、「おあまりオマケの人生」を無頼に生きる。腕力で勝てるようになったのは高校2年の秋から。世界で一番憎んでいた男/生物学上の父親の愛唱歌は『北帰行』。浅草1丁目1番地1号の神谷バーで電気ブランを煽るように飲み、ジャーマン・ポテトを食べながら、涙をぽろぽろこぼしながら『北帰行』を歌っていた。故郷の室蘭を思ってでもいたか。歌はお世辞にもうまくはない。浪花節にしか聞こえない。それであってもなお、神谷バーにはいつもスローな時間が流れていた。

時は移り、幾星霜。幾時代かがありまして、ドス黒い戦争ありまして、カンカン虫の息子、花の都パリの赤い風車の前でフレンチ・カンカンを踊る。


かんかん蟲は唄う 勝新太郎 (1955)
French Cancan
The Long And Winding Road - The Beatles (Let It Be/1970)
北帰行 小林旭 (1961)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-17 15:37 | カンカン虫のうた | Trackback | Comments(0)

Address Hopper/親? いたこともあるさ。とっくの昔に死んださ。墓がどこにあるかも知らねえさ。こども? 息子だか娘がいるはずだ。孫? いるさ。生きているか死んでいるかのどっちかだ。

 
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山頭火? 無一物の旅? 行乞流転? また見ることもない山が遠ざかる? それってうめえのか? 腹はふくれるのか? 山だけじゃない。宇宙森羅万象はまた見ることも会うこともなく去っていきやがるさ。Diogenez Dogz

シャツは1枚きり。文無し宿無し。駅の待合室が寝ぐらだ。この3日は鉄管ビールでしのいでる。腹ペコで動けねえ。なんとかならねえのかよ、神様とやらよ。Address Hopper 42


60ヅラ下げて放浪の旅に出ることにした。Vagabond Shoseはビカビカのを手に入れてある。Vagabond Shoseを履いてどこまでもどこまでも流れてゆく。転がってゆく。

放浪の旅のさなかに野垂れ死ぬのが理想だ。ひと喰えば鐘が鳴るなり法隆寺。死体は野犬が食い散らかし、コンドルが啄ばむ。そして、しゃれこうべになり、風が吹き、きれいさっぱり吹き飛ばす。あとにはなにも残らない。イカすぜ。これがほんとのRock 'n' Rollだぜ。腹へったなあ。
 
# by enzo_morinari | 2019-04-16 22:20 | Address Hopper | Trackback | Comments(0)

草地巡礼/草むらを訪ね歩くことは服喪のための巡礼である。

 
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草地巡礼者にして福寿草の化身であるジョー・ヌブリアンは人間が一生に歩くことのできる距離について考えていた。足元にはドクダミの白く可憐な花。草むらというよりも、もはやドクダミの草地だ。

ジョー・ヌブリアンは散種者/種蒔く人/Dissémination Personneである。ジョー・ヌブリアンは芽毟り/仔撃ちをする者と戦う兵士でもある。


Green Green Grass of Home - Katherine Jenkins · Philharmonia Orchestra · Nicholas Dodd
Grass is Greener
 
# by enzo_morinari | 2019-04-16 19:23 | 草地巡礼 | Trackback | Comments(0)

My Blue Heaven Forest/鎌倉天園の碧い天国の森と森の漫才師サルーとサルーの子猿たちと樹木命名と碧い鴉天狗の捕獲と別れ

 
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鎌倉天園の峠の茶屋でビールをしこたま飲むために横浜から鎌倉に抜ける山道をハイキング・ウォーキングしたとき、湘南延胡索が咲きみだれる碧い天国の森に迷いこんだ。森の漫才師サルーとサルーの子猿たちが遭難しかけたが、主だった樹木にすべて名前をつけてやったら、サルーとサルーの子猿たちは助かった。そして、碧い鴉天狗が驚愕の美声で”My Blue Heaven”を歌いながら現れた。

Blue Raven sings “My Blue Heaven”

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My Blue Heaven - Raven Redbone (From Branch To Branch/1981)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-16 07:48 | Blue Heaven Forest | Trackback | Comments(0)

早く家に帰りたい。/失われ、損なわれたHome Townを幻視する。

 
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帰りたい街が見えた。正確には、帰れない街が見えた。T-Nakahata

ひとには帰りたい場所/帰れない場所/帰るべき場所のみっつがある。Enzo-Molinari

ゴールデン・レトリーバーのゴールディー・ホーンは嗅覚を全開にして飼い主のにおいの痕跡を探す。かすかにだがある。これをたどってゆけば帰れる。気持ちは悄気かけ、尻尾は垂れているけれども、だいじょうぶ。きっと、会える。声を聴くことができる。撫でてもらえる。早く家に帰りたい。Diogenez Dogz

My clothes are all worn, My shoes are all torn. Lord, I can't make a living this a-way… (500 Miles Away From Home) H-W

シャツは1枚きり。文無し宿無し。駅の待合室が寝ぐらだ。この3日は鉄管ビールでしのいでる。腹ペコで動けねえ。なんとかならねえのかよ、神様とやらよ。Address Hopper 42

着替えのシャツはある。電車賃だってある。腹がへったらコンビニでヤマザキの薄皮つぶあんぱん(5個入り)を買って喰う。死ぬには手頃な日はまだ先だ。Diogenez Dogz


手持ち時間終了のCountdownが始まったことを知った朝、失われ、損なわれたHome Townを幻視(Google Earth)した。

私が暮らした貧民窟の貧乏長屋
京浜急行が走る土手
京浜急行が走る土手に群生する土筆
船上生活者
ボート・ピープル
だるま船
ポンポン船
運河
ドブ川
銭湯
材木店
捺染工場
石置き場
横浜市営プール
市営プールの近くの駄菓子屋
小学校の校門前の文房具屋
商店街
ラーメン屋
乾物屋
肉屋
酒屋
公設市場
総菜屋
豆腐屋
魚屋
八百屋
本屋
質屋
煙草屋
トリスバー
床屋
和菓子屋
寿司屋
蕎麦屋
靴屋
デリカテッセン
居酒屋
喫茶店
三業地の跡地
黒塀と見越しの松
連れこみ旅館
炭屋
たい焼きとかき氷の店
国鉄の寮
電電公社の社宅
石川島播磨重工の社員寮
日石の社員寮
丸井の独身寮
国道16号線から憧れと羨望で見上げていた高台にあった古いホテル

すべて、なにもかもが跡形もなく失われていた。あとにはマンションとチェーン店の居酒屋とStarbucksとBook OffとAEONとSEIYUとセブンーイレブンとファミマとローソンとインテリジェント・ビルと高層マンション群が建っていた。多くの死者をのみこんだ京浜急行の踏切はすべて高架橋に変わっていた。

幻視してわかったのは、私のHome Townは息も絶え絶えどころか、すでに死んでいるということだ。いくら全国展開する大規模店舗があっても、世界展開するコーヒー・ショップができても、生産と消費と廃棄の無限のトリロジーをビジネス・モデルにしたリサイクル・ショップができても、インテリジェント・ビルやハイソな高層マンションが建っても、ファイナンス/税収が10倍になっても、地価が上がっても、住民数が増えても、その場所はすでに私のHome Townではない。

離れ、背を向けて40年。いつかは向かいあわなければと思いつつ40年。Home Townは帰りたい街/帰れない街/帰るべき街でありつづけた。そろそろ、和解し、和睦する頃合いだ。首吊りの脚を引っ張り、知らんぷりするのは下衆外道のやることである。

実際にHome Townに足を運んで別れを告げよう。いいときもわるいときもつらいときもかなしいときもさびしいときもたのしいときもともにあったHome Townに。幻視(Google Earth)では掬いきれない影/翳を掬いあげ、回収しよう。そして、静かに埋葬するのだ。やさしく口づけ、頬ずりして。片道1時間足らずの旅だ。急ぐ旅でも、死出の旅でもない。


着替えのシャツはある。電車賃だってある。腹がへったらコンビニでヤマザキの薄皮つぶあんぱん(5個入り)を買って喰う。死ぬには手頃な日はまだ先だ。


Homeward Bound - Simon & Garfunkel (Parsley, Sage, Rosemary and Thyme/1966)
500 miles - Peter, Paul & Mary (1962)
HOME - 清水翔太 (2008)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-15 19:22 | 早く家に帰りたい。 | Trackback | Comments(0)

Sweet Memories/ずっと前に忘れていたなつかしい痛みの記憶

 
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なつかしい痛みだわ。ずっと前に忘れていた。Tacassy Mazzy

長い時間をかけて、おたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. Enzo Molinari

Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングは彼のサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせる。もちろん、かすかな苦味も。つまり、Bitter&Sweet. ディズニーランドとスカイツリーとECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食だけではいい人生は手に入れられないのだということも。JHCの古い友人


もう36年も経っていたか…。Sweet Memories. SUNTORY Penguin’s Bar CM. (1983)

古い友人の結婚披露パーティーで「人生は、そして、長い時間をかけて、おたがいが決して他人ではないのだという確認作業をつづける結婚生活はSweetなだけではうまくいかない。ときにはBitterが必要なときもある。つまり、Bitter&Sweet. 人生の墓場に入定せんとする古い友人であるきみに捧げる。」と前置きしてAlto SaxphoneでSweet Memoriesを吹いた。ざわついていた会場は、2小節が終わる頃には水を打ったように静まりかえり、ついにはあちらこちらから、すすり泣きが聴こえた。パーティー後、若いおねいちゃんたちに電話番号をきかれたが、「電話料金滞納中で電話は使えない」と言って、教えなかった。お持ち帰りはした。据え膳食わぬは男のバツサンである。4度目の人生の墓場ライフは細々とつづいている。おたがいが他人ではないのだという確認作業は完了した。

若かった。だれもが若かった。若く、恋をし、傷つき、なつかしい痛みをかかえていた。

失われた愛と時間と記憶。過ぎた日々、遠く去った季節をとりもどすことはできない。しかし、いくぶんかの痛みをともないはしても、胸の片隅に残っているSweet Memoriesは色あせることなく何度でもよみがえる。そのようにして、ひとは成熟していく。喪失と成熟はコインの裏表だ。ただし、いくつの季節がめぐり、時間が経過してもしなくても、甘い記憶や苦い記憶や遠い記憶や痛みをともなう記憶がよみがえっても、SUNTORYのビールはいただけない。まちがっても、”泣かせる味”ではない。泣かせる味じゃん? 所ジョージはウソをついている。

村さ来で注文を取りにきたアルバイトの女の子に「ビール、ジャンジャン1本」と言ったら、その女の子は即座にゲラ子に変身し、短期間だが、私といくつかのSweet Memoriesをつくった。痛みをともなわない苦味もない他愛ないたいして甘くもない記憶だ。女の子の名はヨネ子。そこかよっ! 松尾嘉代は好きだ。イロエロとお世話になった。お世話もした。彼女が2011年の春の悲劇以降、心身ともに困憊して現在に至っているいまこそは、物心ともに心をこめてお世話したい。それが一時期とはいえSweet Memoriesをともにつむいだ者の最低限の仁義である。


*アルト・サックスのソロはJake H.Concepcion. 2017年にマニラのSmoky Mountainの煙りとともに天に召された。心にしみるいい音色を出すサックス・プレイヤーだった。Jake H.Concepcionのシェイクするフローズン・ダイキリとシンガポール・スリングはサキソフォーンの音色同様に絶品で、人生の日々のSweet Memoriesをよみがえらせた。


Sweet Memories - Lady X (Seiko Matsuda) (SUNTORY Penguin’s Bar CM/1983)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-15 09:15 | Sweet Memories | Trackback | Comments(1)

300メートルの夏/I Go Crazy 1977

 
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俺はクールなんだ。クールなタフ・ガイなんだ。Diogenez Dogz


夏がくるたびに思い出すことがある。母親が片手で持てるくらいに小さくなって死に、父親が若い女のところへ行ってしまい、兄が結婚と同時に地方へ転居して、私ひとりだけになった18歳の夏の、タフでヘビーな300メートルのことを。

ひとりの夏。それはとても心地よい響きを持っていた。私はひとりの部屋でなんどなんども「ひとりの夏」と口に出してみた。口に出すたび、その夏は本当に自分だけの夏になるような気がした。しかし、実際にはいつもどおりの、なにごともない、さえない、ただ暑いだけの夏だった。家を明け渡したことをのぞいては。

その家には10年住んだ。正確には10年と3ヶ月だ。その家こそは、わが「黄金の少年時代」の最盛期と黄金のズンドコ時代の幕開けをともに生きた戦友のような存在だった。家を明け渡さなければならない原因を作った張本人は父親だが、私は彼を責めなかった。父親の放蕩や道楽はいまにはじまったことではなかったからだ。

家財道具を3人で山分けしてしまうと、家の中は夏の終わりのふやけた熱と、茫漠とした静寂に満たされた。


荷物を満載した運送屋のトラックを見届け、父と兄はそそくさと自分の生活の根拠地へ帰還していった。クールなやつらだと妙に感心したのをおぼえている。私はといえば、いつになく感傷的だった。自分の使っていた部屋の壁に残るスキーター・ディヴィスのポスターの痕跡を見ると胸が熱くなった。だだっ広い家の中に取り残され、少しだけ泣いた。

配電盤のブレーカーを落とし、火の元と戸締まりを確認し、家を出るときがきた。最後にドアを閉め、鍵をかけたときの音は腹にこたえた。こみあげてくるものがあった。こみあげてくるものはあるけれども、大丈夫だ。どうってことはない。こんなことはどうってことのないひとつの過程にすぎない。ありったけの言葉で自分をかきたてようとしたが無駄だった。

「あばよ」と小さく言って私は家をあとにした。家が見えなくなる曲がり角までは300メートルある。時間にして2分弱。何度もふりかえりそうになったがふりかえらなかった。2度立ち止まり、煙草を1本吸っただけだ。

「OK. だいじょうぶ。俺はクールなんだ。クールなタフ・ガイなんだ。」

そう胸の中で呟きつづけなければいられない長くてタフでヘビーな300メートルだった。

以後、今日までに数えきれないほどの夏やら冬やら春やら秋やらをやりすごしてきた。しかし、あれ以上にタフでヘビーで腹にこたえる300メートルにはいまだにお目にかかっていない。


I Go Crazy - Paul Davis (Singer of Songs - Teller of Tales/1977)
Cool Night - Paul Davis (Cool Night/1981)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-15 02:50 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

サヨナラをする、その前に/なつかしい思いがこみあげて 思いがけずおしゃべりをしたけれど

 
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また見ることもない山が遠ざかる Sun Toe Carr

花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ Sun Show Uwo Meister

今でもべつにお前のことを怒ってはいないんだ。Frog Toad Farewell Bug Bag

この世界のどこかで生きているはずの者との再会も果たせず、また会うことも集うこともなくお互いの人生が終わってゆくのだという冷厳にして冷徹な現実を前にして心は張り裂けそうになる ── 。意志の中心が空虚なメタルのドーナツ小僧

いくつかの季節が過ぎていき いく人かの友だちが過ぎていき そのことがまぎれもなくひとつの時代だったのさ Accue You


午睡後、五衰が起こり、天召/下獄/天昇のようすがありありとみえたので、急ぎ机に向かい、筆をとった。

永の別れを告げ、永訣のうたを歌い、暇乞いをし、サヨナラをする、その前に、個人的メッセージをいく人かに書きはじめた。書いているうちに過ぎ去ったいくつもの季節がありありとよみがえり、筆がすすまなくなった。高校2年の夏の初めに知ったGAROの『個人的メッセージ』を繰り返し繰り返し聴いた。思いはさらにあふれた。

この世界のどこかで生きているはずの者との再会も果たせず、また会うことも集うこともなくお互いの人生が終わってゆくのだという冷厳にして冷徹な現実を前にして心は張り裂けそうになる ── 。このような心の状態をかなしい/哀しみというのか? もしそうなら、私のかわりにだれか泣いてくれ。かなしいときは泣くものというのが相場らしいから。あいにくと、太古の昔に涙は枯れ果てたし、いまでは強固な無涙症に罹患しているから、どこをどうさがしても涙のひと粒もみつからない。心はとうに石ころに変わり果てていて、手のひらの上にのせていくら揺らしても、カラコロカラコロいうだけだ。

思いはあふれたけれども、その一方で、ECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食やらみんなが作っている車麩カツやらポットラック・パーティーやらを喰らい、歌舞伎能狂言落語の歌舞音曲にうつつを抜かし、安酒バカ酒を喰らって酔生夢死し、知識人/有識者を気取って鼻高々のたぐいがのうのうと生き延びることを思い、思いは憤怒と憎悪にかわった。さらにまたその一方で、憎悪し、憤怒した者たちも含めて”自分の物語”は紡がれたのだとも。彼らがいなければ”自分の物語”を紡ぐことはできなかったのだとも。

死は生と一対のもの、生の延長線上のどこにでもあるありふれた出来事であるし、断じて敗北ではないが、まだ死ねない。まだ死ぬわけにはいかない。死んでなるかと思い、五衰の徴に隻手音声をかましてから糞掻きべら一閃、銀河系宇宙の彼方までかっ飛ばしてやった。五衰めは酸漿を力のかぎり踏みつぶしたような悲鳴をあげて霧消した。


個人的メッセージ GARO (吟遊詩人/1975)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-14 19:12 | さよならをする、その前に | Trackback | Comments(2)

サッカー部の副顧問にして新卒新任の国語教師、その実、小説家志望のツチヤ・テツヤことツチノコ・テツヤの個人的メッセージと凄腕の冷酷非情なアサシンとしての貌

 
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いくつかの季節が過ぎていき いく人かの友だちが過ぎていき そのことがまぎれもなく ひとつの時代だったのさ Accue You


サッカー部の副顧問にして新卒新任の国語教師、その実、小説家志望のツチヤは表向きには槌屋哲矢という。裏社会ではツチノコ・ツチヤ/槌屋槌の子/ツチツチ/ツッチーだ。ツチツチ/ツッチーが通りがいい。青白い文学青年のツチヤは、その筋裏社会ではシコロのツッチーあるいは転がしコロシのツチノコ・ツッチーとして恐れられ、知らぬ者のない存在だった。

ツッチーが自分がツチノコ/バチヘビの化身であることをある個人的なメッセージとともにカミングアウトしたのは夏休み直前の1973年7月1日のことだった。


個人的メッセージ GARO (吟遊詩人/1975)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-14 16:09 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

サッカー部の副顧問にして新卒新任の国語教師、その実、小説家志望のツチヤは荒野をめざし、たどり着いたところは京浜急行富岡駅前の直木三十五の墓を見下ろす木造モルタル造り六畳一間のおんぼろアパート。

 
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BGMはいつもかぐや姫の神田川か赤ちょうちん。昭和の風景

生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました。Cosets Minami

いまでも、雨の夜、濡れた赤ちょうちんの屋台に背中を丸めたあなたがいるような気がします。Cosets Minami

われわれは平成/昭和どころか、大正も明治も江戸も消化できていない。夜郎自大な時代屋の漢


中学のときのアソシエーション・フットボール部の副顧問のツチヤは新卒新任の国語教師だった。運動神経はにぶく、サッカーの技術はからきし。はっきり言えばゼロ。走りかたはロンドンブーツ1号2号の田村淳クリソツ。つまり、モモ神。

ツチヤは早稲田大学文学部国文科出の文学青年でもあって、小説家になることを夢見ていた。教師をつづけながら小説を書き、文学賞に応募する日々。住んでいる京浜急行富岡駅そばの木造モルタル造りのおんぼろアパートの六畳一間の部屋の窓からは直木三十五の墓がみえた。朝晩、直木三十五の墓にお参りするためにそのおんぼろアパートに決めたという。1年365日ときに4242日、ツチヤは朝晩、直木三十五の墓に直木三十五の愛した白いカトレアの花を1りん供えた。

ある日、ツチヤは思いつめた表情で練習後の部室にやってきた。ツチヤはコクヨの400字詰め原稿用紙の束を私にみせて感想を求めた。私はタイトルと書き出しの1行と最後の1行を読んで言った。

「小説家になることはあきらめろ。あんたにはプロの物書きになるための資質が決定的に欠けている。」

ツチヤは愕然憔然とし、「やっぱり」と言った。つづけて、「プロの物書きになるための資質が決定的に欠けているというのは具体的にはなんでしょうか?」とたずねた。

「あんたの言葉には言霊が宿っていない。つまり、あんたの言語表現は死んでいる。」

私が言うと、ツチヤはその場に突っ伏して声をあげて泣いた。

ツチヤは生まれも育ちも明石町の聖路加病院の敷地内だった。父親は聖路加病院の内科医、母親は聖路加病院の看護婦。

ツチヤの評価できる点は『旧約聖書』と『古事記』と『日本書紀』と『三国志』と『源氏物語』と『失われた時を求めて』とドストエフスキーとトルストイとジェームス・ジョイスとヘミングウェイと夏目漱石の全作品を完読していることと酒とモク(Hi-Liteもしくはショッポ)を供給してくれることとJazz Music/古典楽曲のレコード音源を上質なオーディオ装置でいつでもいくらでも好きなだけ聴かせてくれることだった。漱石の『草枕』にいたっては全文を隅から隅まで一言一句たがえずに丸暗記していた。だが、ツチヤ。「とかく人の世は住みにくい」ではない。「とかくに人の世は住みにくい」だ。「に」が抜けていてはおれは苦虫を噛みつぶし、冥王星の税務署の収税課のarflexの黒いデスクの引出しの奥にまで届くような舌打ちをするぜ。ニッニッニッニッニッと。

ツチヤは私の3度のゼニカネ集めのためのオバケの結婚披露宴に3度とも出席し、香典袋に板垣退助の帯封未開の100円札を5束入れて、「呪言」と題した一文を添えて寄こした。ツチヤはベロベロに酔いどれて下手くそなギターをかき鳴らしてかぐや姫の『妹』の歌詞の「妹」のところを「弟」に替えて歌った。ボロボロボロと大粒の塩味ダイヤモンドをこぼしながら。ツチヤは8歳年上だったが、私は内心、おまえこそがおれの弟分だろうがよと思った。しかし、すごくうれしかった。

ツチヤは40歳目前に直木三十五の墓前でガソリンをかぶり、火をつけて自死したが、直木三十五の墓にはいまでも1りんの白いカトレアが欠かすことなく供えられている。成仏できないツチヤの仕業だろうが、悪さをするという話は聞かない。

ツチヤが成仏できない理由には心当たりがある。ツチヤが成仏できないのは、ツチヤは自殺ではなく、直木三十五の亡霊に呪殺されたからだ。


かぐや姫 四畳半三部作
神田川 かぐや姫 (昭和四十八年/1973)
赤ちょうちん かぐや姫 (昭和四十九年/1974)
妹 かぐや姫 (昭和四十九年/1974)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-14 05:36 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

沈黙ノート/創らず、言い繕い、寛ぐことができず、轡を嵌められている知性教養皆無、品性下劣にして品格とは無縁の林真理子というおぞましき輩

 
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おうちを買って住宅ローンかかえて、ソコソココソコソ生きよう。意志の中心が空虚なメタルのドーナツ小僧


泡劇場の最初期。1980年代後半。ビートたけしのマシンガン・トーク全盛時代。どうということのないトーク番組の収録現場。

『最終便に間に合えば』で直木賞を受賞後間もない林真理子。時代の寵児づらをして気色の悪いけばけばしい厚化粧と金輪際似合わない華美にして下卑たブランド物の服は、その日が林真理子にとって苦悩と苦痛の日になることを暗示していた。

林真理子については無名時代から上昇志向の強い知性も教養もない品性品格とは無縁の卑しく醜悪なる魂の持ち主/クソ田舎のウルトラ級のどぐされた糞ブス不細工という評価が定着していた。林真理子を取り立てた糸井重里への取り入りかたは度外れていて、尋常ではなかった。はたから見ている者にとっては不愉快きわまりなかった。その後の林真理子の跳梁跋扈については糸井重里にも責任の一端がある。

林真理子が直木賞をとったとき、広告批評の天野祐吉は「これで日本の知の底は2段3段下がった」と言い、深々とため息をついた。広告批評2代目編集長の島森路子も激しく同意していた。ふたりともすでに鬼籍入りしている。ゴミカスは無様に恥知らずにツラの皮厚く生き残り、善きひとは死ぬ。なんてことだ。まったく。

遅れてビートたけしが登場。そのときの林真理子の挙動不審ぶりは見ものだった。顔面に激しいチックが起こっていた。特に左眉の周辺の痙攣がすさまじかった。しかし、本当の見ものはそのあとだった。

ビートたけしが林真理子の真正面に座ったときから、林真理子の媚び諂いおべんちゃら劇場は幕をあけた。ビートたけしを見れば、あからさまにうんざりしていた。

休憩時間。ビートたけしはフロア・ディレクターを呼び、小声で言った。

「あのおねいちゃん、だいじょうぶかよ。見ちゃいられない。かわいそうすぎる」

ぺこぺこと赤ベコの張り子人形のような動きをするフロア・ディレクター。休憩後、林真理子の媚び諂いおべんちゃら劇場はなおもつづいた。スタジオの温度はまちがいなく5度下がった。だが、残酷にも収録はつづき、林真理子は滝のような汗をかき、服は汗で体に張りついて見ちゃいられない有様。

その林真理子がNHK大河ドラマの原作者となり、あろうことか紫綬褒章受章、有識者(林真理子が「有識者」なら、萩本の欽公はアメリカ合衆国大統領、老害明石家さんまは国連事務総長だってのよ!)として新しい年号選定にかかわった。ルンルン気分にはほど遠い末法の世になったものだ。キビダンゴなんぞ、創らず、言い繕い、寛ぐことができず、轡を嵌められている知性教養皆無、品性下劣にして品格とは無縁の林真理子といっしょに半笑いでルソン壷に詰めこんでルソン島に捨てちまえ!
 
# by enzo_morinari | 2019-04-13 20:26 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(3)

Close to You/影よ。いつも、ずっと、そばにいる影よ。

 
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どんなに遠く離れていても、いつも、ずっと、きっと、そばにいる。遥かなる影からの約束だ。翳りゆく部屋の住人

影のないところに光はない。昼の光には夜の闇が孕む深淵、深さはわからない。ECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食やらみんなが作っている車麩カツやらポットラック・パーティーやらで回収できるものなどなにひとつない。翳りゆく部屋の住人

1970年代初頭、若者たちは自分のゆく道が果てしなく遠いのか、未舗装の困難と苦悩と苦渋に満ちた道なのか皆目わからないまま、とにかく歩いていた。そして、たいていの若者はカレン・カーペンターの声に恋をした。スポットライトを浴び、称賛の笑顔と拍手の裏で彼女が長いあいだ深刻な拒食症/摂食障害に苦しみ、禁断の苦悩をかかえていたことも知らずに。1983年に32歳の若さで死ぬとも知らずに。E-M-M


(They Long to Be) Close to You (邦題『遥かなる影』)はHal Davidが作詞し、Burt Bacharachが作曲した。1970年にThe Carpentersが歌い、空前の大ヒットとなった。

Close to Youはディオンヌ・ワーウィック、ダイアナ・ロス、ジョニー・マティス、アンディ・ウィリアムス、フランク・シナトラなど多くの音楽表現者たちにカヴァーされているPops/Easy Listeningの定番曲だ。

The CarpentersのClose to Youが世に出た1970年の春の盛りから半年後。深まる秋。11月25日に三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、自裁した。東京事変の勃発と終焉。

当時、小学校6年生だった私は東京事変の一報を知るや、ランドセルを放りだし、国鉄と地下鉄を無札(無賃乗車)で乗り継いで現場に向かった。そのさなかに、なぜかClose to Youを口ずさんでいた。頭の中でカレン・カーペンターが繰り返し繰り返し”Close to You”と歌う声が聴こえていた。

東京事変の現場の修羅は想像できたが、三島由紀夫が死んでこの世界からいなくなってしまうという現実は簡単には受けいれがたかった。

私は自分に、三島由紀夫は死ぬが、いつも、ずっと、そばにいるのだと言い聞かせ、無理矢理に納得させた。そうとでもしなければ私の自我は確実に崩壊していたように思われる。

2020年には三島由紀夫が身罷り、The CarpentersのClose to Youが世に出て50年になるが、この国の人々の貌に影は射していない。ついこのあいだ3.11と福島の原発事故があってさえ。陰険陰湿剣呑狷介臆病小心狡猾卑怯ではあるが影も翳もない。型も形も像もない。薄っぺらで上っ面。あるのは親和欲求と同調圧力への屈服となれあいとおべんちゃらときれいごとと要領と顔色うかがいと郵便局の定額貯金的庭付き一戸建て住宅的安定志向だけ。愚直さ一徹さひたむきさ厳密さはかけらもなく、愚鈍と安易と安直と軽薄にまみれている。当然、次の世代にみせられるような背中はない。

影のないところに光はない。昼の光には夜の闇が孕む深淵、深さはわからない。ECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食やらみんなが作っている車麩カツやらポットラック・パーティーやらで回収できるものなどなにひとつない。ECHIRÉの無塩バターを練りこんだクロワッサンの朝食で満ち足りていながらのっぺりとした貌の亡霊たちが化け物のように肥大した自我をかかえ、LEDがもたらすあかるいだけで影も翳もない街をさまよっている。ゾンビとゴーストはサム・ライミや血管だけではない。


(They Long to Be) Close to You/遥かなる影 The Carpenters/カーペンターズ (1970)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-13 02:51 | 不眠症のあけない夜明け | Trackback | Comments(2)

彼の最後のドーナツの年/W. ブレイクとイギリスのドーナツ娘たちを探して。Doughnut Daughter

 
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人生最初のドーナツの年、Psychedelic Rockが子守歌だった。意志の中心が空虚なメタルのドーナツ小僧

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is: infinite. W-B

「ドーナツ娘はどうなっているんだ?」と口にした途端に虚しくなるのはドーナツの中心が空虚だからか?

「出雲阿国の生れ変わりである木の実ナナこと池田鞠子の大好物は大胆不敵にもタイタン・ダイコンのぶつ切りの炊いたんとドナッテロ・ドーナツだ!」と怒鳴る東横線と井の頭線の連絡通路で奇妙な踊りを日がな1日ダンス・ダンス・ダンスしていた男が箪笥屋の小倅だったら微笑ましい。

「わが名はボコボコ」と風変わりなオールド・ファッションドのドーナツは言った。「中心の空虚はわが存在の多義性を象徴する」とも。


Daughters of Albion/イギリスの娘たちというLPレコードをずっと探していた。リリースは1968年。裸の若い男と女のモノクロのアルバム・ジャケット。オーブリー・ビアズリーばりの写真がこども心にも印象的だった。

街のアレクサンドリア図書館本牧分岐点でDaughters of Albionのことをみっちりミッチャンみちみち調べあげた。Daughters of AlbionのAlbionはイギリスの古名でWhite Land/白亜の国/白い国を意味しており、グレート・ブリテン島の南部沿岸をドーバー海峡から眺めると白亜の断崖が白く見えることに由来するとわかった。また、William Blakeの詩集、”Visions of the Daughters of Albion”からユニット名をとっていることも。わずか半日でこれだけのことを調べあげる10歳は宇宙広しといえどもそうそうはいないはずだ。さすが、IQ指数219の天然災害児だけのことはある。文句があるなら、夜っぴてピテカントロプス・ハンマー・クラヴィーア弾きのセローニアス・モンクに言ってくれ。ジャワカレーが大好物の直立猿人、チャールズ”ピテカントロプス・エレクトゥス”ミンガスがよしなによこしまにとりなしてくれるはずだ。

Daughters of Albion/イギリスの娘たちは10歳年上の叔父さんからもらった。叔父さんは日本代表のラガーマンだった。桜のジャージーがよく似合っていた。筋骨隆々、鉄コン筋クリートの肉体にするためにジャージー種の牛乳を毎日マザー牧場まで盗み飲みしに行っていた。しかし、ノックオンとアクシデンタル・オフサイドとオブストラクションのやりすぎで、30歳前に肝臓癌になって死んだ。

1971年世界の私の周囲では常にドーナツ化現象が生起していた。恐怖と驚愕が1971年世界を支配していた。恐怖と驚愕の主たる原因は私の存在自体だった。天上からは1971年世界をサンボリスムするThree Dog NightのAn Old Fashioned Love Songが壊れかけの古い真空管/ロクタル管ラジオのような音で聴こえていた。An Old Fashioned Love SongのB面の歌う犬どものための衒学四重奏の伴奏はヴォスフォラス以東にただふたつといわれるチェネレントラ・ルネサンス様式の尊大荘厳魁偉な建築物である黒死館の門外不出のストリングス・クワルテットがやっていた。法水警部の「倍音が!」の合いの手が混血児の嘆息とも聴こえた。江戸川ランボルギーニは「音楽以前」と吐き捨てるようにつぶやいてそそくさと人間椅子にすわる屋根裏の散歩者に変態してから姿を消した。

1971年世界のある冬の初め。Doughnut Countyからインド洋を泳いで渡ってきた3匹の犬とオールド・ファッションドのドーナツが私の元にやってきた。足元に落ちたオールド・ファッションドのドーナツのかけらをひろって食べるとインドラ・マグロの味がした。バラモン・ガラモンと帝釈天シーバマータ・ハクナマタータと聖獣の白象アイラーヴァタと大きく長い耳を持ち、世界を劈く嘶きを発する七つ頭の空飛ぶ馬ウッチャイヒシュラヴァスとガラーム・ジャラームを神酒ソーマで一緒に煮込んだ味。噛むたびに『リグ・ヴェーダ』のインドラを讃える歌が聴こえた。

その頃のドーナツ世界を牛耳っていたのは駅のそば屋の丸井である。OIOIである。丸井は熊の胆を専門に豊葦原瑞穂国全域に売り歩く富山の薬売り青井忠治が創業したが、躁病の青井忠治はなにを勘ちがいしやがったか、商号を丸井にした。青井にしておけば孫であるNHKアナウンサーの青井実が画面に映るたびにいい宣伝になったものを。さすれば、今日のような長期凋落傾向に陥らずに済んだはずだ。それもこれも、電痛を中心とするZ日マフィアの淫靡陰湿陰険な陰なる謀が主因である。御朱印船もいくぶんかの影響を与えている。ちなみに、丸井今井はドーナツ世界ならびにドーナシ世界およびロクデナシ世界/口ナシ世界の用務員である。それが1971年世界の実態だ。

「わが名はボコボコ」と風変わりなオールド・ファッションドのドーナツは言った。「中心の空虚はわが存在の多義性を象徴する」

ドーナツ屋は駅のそば屋の裏手にあるものである。そのことを成り立たせているものこそが消費社会の神話と構造/La Société de Consommationである。

1977年のDoughnut Year. King of Doughnut/King of Rock 'n' Rollが死んだ年。エルビス・プレスリーのマネをしてドーナツばかり食べていた。さらには、早稲田鶴巻町のハンブルガーSVショップのSeason(愚かな常連客どもは「シーソン」と呼んでいた)で東京モンタナ急行バーガーを1日に10個食べることも欠かさなかった。Seasonのオーナーはコネティカット州ニューヘイブンにあるハンバーガー発祥の店、ルイス食堂で修行した筋金入りのひき肉&ピクルス&バンズ野郎だ。脳みそはひき肉とキューカンバーのピクルスとバンズとトマト・ケチャップと粒マスタードでできている。確認実証済みだ。

100kg目前だった。100kgまで、あと42gというところでドーナツ癌を発症して1ヶ月で体重は70kgを切った。

19歳、大学1年だった。宿無しで、主に三四郎池のほとりでビバーク・ライフ/アドレス・ホッピングしていた。靴はネロ色のVagabond Shoes1足だけ。

いまではだれもがドーナツ癌罹患を経験するが、当時は19歳でドーナツ癌を発症するというのはまれなことだった。聞きつけたミスター・ドーナツの広報宣伝部がCM出演を打診してきたがチキチキ・マシーン大レースのケンケンもホロホロ鳥に断った。メレアグロスと2プラトーンを組んでカリュドーンの猪のやつをやっつける算段もしなければならず、ドーナツ癌や中心に空虚をかかえたうどん粉菓子またの敵性語名砂糖天麩羅などにかまっている時間はなかった。

「若い身空でドーナツ癌とはミスター・ダンキンなことだ」とだれもが言い、同情や憐みを頭からぶっかけやがった。だが、それがよかった。ドーナツ癌はきれいさっぱり消えた。ペーター佐藤のエアブラシもドーナツ癌消滅に影響していたと思う。なんせ、ミスター・ドーナツなだけに。

姿を見せるや否や、Daughters of Albion/イギリスの娘たちは「てゆーか、あんただれ?」と憤怒の形相でぶっこきやがった。

「会って早々、あんただれ?とは穏やかじゃねえな」と私はハマ連ピエロ&本牧党仕込みのホワイト・ナックルをDaughters of Albion/イギリスの娘たちの鼻っ面に突き出してすごんだ。寸暇を惜しむいとまもあらばこそ、Masi Cava Masi! Please Hammer, Don’t Hurt ‘Em!とダメ押しした。Daughters of Albion/イギリスの娘たちはひるんだ。ポイント・ゲット。小さな得点だが100回やればFIFAから特別表彰される。棚から牡丹餅FUCKだってできないともかぎらない。


Still Care About You - Daughters of Albion (Daughters of Albion/1968)
Daughters of Albion (1968)
An Old Fashioned Love Song - Three Dog Night (1971)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-12 01:55 | 彼の最後のドーナツの年 | Trackback | Comments(0)

It’s just Half full… 天使と妖精と酔いどれのクリスマスのために/タクシーに手をあげて

 
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It’s just Half full…嗄れ声の男

好きだから会いたい。好きだから触れたい。好きだから声が聴きたい。話は簡単だ。E-M-M

TAXIに手を上げてGeorgeの店までと 土曜の夜だからあなたがいそうで O-FUMI


1987年のクリスマス・ウィークの激しい雨が降る土曜の夜。赤坂9丁目、乃木坂のGeorge's。泡劇場の開幕から1年。タクシーの女と別れてから1年2ヶ月。来るはずのないタクシーの女を待っていた。

George'sのマスターが目くばせした。見ると、ずぶ濡れのタクシーの女がふるえながら立っていた。タクシーの女の目からは土砂降りの雨。

「つもる話はあとまわしにしよう。とにかく、座って濡れネズミになった体と髪の毛を拭いて、Four Rosesのホット・ウィスキーを飲んで、そのおっきなお目々ちゃんの土砂降りをしばらくやませてくれ。おれはおまえのふるえがおさまって、頰に赤味がさすまで103番のボタンを押しつづけてMinnie RipertonのLovin' Youをずっとかける。それで失われた時間のいくぶんかは取りもどせるはずだ。OK?」

タクシーの女は静かにうなずく。

「マスター。それでOK?」

George'sのマスターも静かにうなずいた。

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「ここで鈴木聖美の『TAXI』が聴けたら最高なんだけどな。クリスマス週間だし、土曜日だし、雨だし、奇跡的にほかに客はいないし」

私が言うとGeorge'sのマスターはぶっきら棒に「あるよ」とだけ言って、鈴木聖美の『TAXI』のドーナツ盤を持ってジューク・ボックスに向かい、手際よく『TAXI』をセットした。

「103番に入れたよ」とGeorge'sのマスターは言ってウィンクした。

103番のボタンを押した。10回。20回。30回。40回。50回。60回。70回。80回。90回…100円玉がなくなるまで。世界中のすべての硬貨をかき集めて。失われた恋と失われた時間が取りもどせるくらい。クリスマス週間の土曜日の雨の、そして、奇跡的に私とタクシーの女のほかに客のいないGeorge'sに鈴木聖美の『TAXI』が繰り返し繰り返し流れた。タクシーの女に手をあげた。タクシーの女も手をあげた。

日付が変わる頃、激しい雨は雪に変わっていた。タクシーに手をあげても知らんぷりされた。タクシーの女をオーバー・コートの中にくるんで六本木通りを歩いた。すごく寒かったがおなじくらい暖かかった。クリスマスにはそこそこいい思い出ができるものだ。今度、サンタの爺さんに会うときは、正装して、ブラック・タイをしめて、そのときだけは育ちの良い子のふりをして丁寧に礼儀正しくお礼を言おうと思った。払わなかった給食費と同額の子供銀行券を添えて。赤っ鼻のトナカイくんには旅人の樹の葉っぱを1枚とターコイズ・ブルーのシードを42粒とタンブルウィードをみっつ。

いろいろと七面倒くさいことや厄介や剣呑や狷介があるけれども、とりあえず、同時代に生きるすべての人々がいいクリスマスを迎えられますようにと思った。手をあげれば幸運のタクシーがとまることがないともかぎらない。

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TAXI - 鈴木聖美 (1987)
Lovin' You - Minnie Riperton (1974)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-11 17:23 | TOKYO STORIES | Trackback | Comments(0)

Mille fois/1000回読み、1000回書き、1000回聴き、1000回観て、1000回考えて、1000回やって、初めて視えてくるもの

 
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夜は千の眼を持つ。B-B


1日1000ページ、月に3万ページを目標に綿密な「ぼくのコトバ戦争 ── 読書5カ年計画」を立てたのは小学校3年生の夏休みだった。

サルからヒトへの黎明期を経て、中学生となった私は直立歩行を経て旧石器時代へ、真っ昼間へと足を踏みいれた。それは来るべき夕暮れ、ドキッ! ── 革命前夜。パルチザンの暗躍 前から後ろから/夜の闇の果て ── 革命初期段階。下部構造の仕組み もっと奥までという高校時代の苦痛と苦悩と苦悶と暴虐と虚無と憤怒と憎悪の3年間をくぐり抜け、耐え忍ぶための準備運動の時代だった。

中学1年の秋の夕暮れ。アソシエーション・フットボールの練習を終えた私は夕陽に染まりゆくグラウンドや裏山や人間どもや世界を俯瞰しながらひとつの考えに至った。前日の夜には「ぼくのコトバ戦争 ── 読書5カ年計画」を当初予定より早く終えていた。音楽教師からもらったミルフィーユをむさぼり喰いながら私はついに思い至った。それは福音あるいは啓示と呼ぶにふさわしい閃きだった。

「いくら本を読んでもえるものなどなにもない。重要なのは多く読んだことではなく、善く読むことである。善く読むとは、これと決めた書物、書物の中の1ページ、数行、1行を繰り返し繰り返し読むことである。ひたすらな反復継続。リフレイン。繰り返し。何度でも何度でも。もっともっと。奥まで。読書百遍意おのずから通ずるのではない。読書千遍意おのずから通ずるのだ。千遍万遍億遍…無量大数遍。読書にかぎらない。言語表現も音楽も映画も絵画も彫刻も建築も、そして、人間もだ。」

かくして、私の1000回読み、1000回書き、1000回聴き、1000回観て、1000回考えて、1000回やる1000回の日々/Le Jour du Mille foisは幕をあけた。


The Night Has a Thousand Eyes - Paul Desmond & Jim Hall
 
# by enzo_morinari | 2019-04-11 04:36 | 1000回/Mille fois | Trackback | Comments(0)

エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男は赤いエナメル・シューズを履いて雨に煙る森を歩くことを夢みる。男はとうの昔に死んだが、下の畑で静かに笑っている。雨の日は泣き、雪の日は毛布をかぶっている。

 
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人間は死ぬ。しかし、死は敗北ではない。E-M-H

男の中の男。60年の人生でたった1度だけ会った。エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男だ。

男はとうの昔に死んだが、下の畑で静かに笑っている。雨の日は泣き、風向きの悪い日や風の強い日は首をすくめて風が通りすぎるのを待ち、夏の炎天下にはたっぷり汗をかいて喉を鳴らしながらよく冷えたビールを飲み、雪の日は毛布をかぶって縮こまっている。「ジョーより力石が好きだ。」とひとり言を言いながら。

男の最高の武器はヴォイス・パフォーマンスでもギターのテクニックでもなく、”嗄れ声”だった。Silky Huskyと言ったら、男は顔をくしゃくしゃにしてよろこんだ。

エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男は、人間であること。人間であろうとすること。男であること。男であろうとすること。女であること。女であろうとすること。それらのことに徹底的にこだわり抜いていた。悲しい酒も喜びの酒も怒りの酒も飲める人間だった。

還暦になった年に、なにを食べても、なにを飲んでも、CCのソーダ割りを飲んでさえ、Hi-Liteをいくら吸っても味がしないんだと言ってすごくさびしそうな顔をした。

3年後、男はBye Byeしてしまった。ほろ酔いの男がYAIRIのアコギでTennessee Waltzを弾き語りするのを聴けず、眼にできなくなって、世界は21%ほどつまらなくなった。たった1度だけ、男がYesterday once moreを弾き語りする場に居合わせることのできた幸福をかみしめることをせめてものよすがとすることで残り少なくなった手持ちの時間をやりすごすことにしよう。数知れぬ修羅場をくぐり抜けた修羅の男は、ついには菩薩/仏になった。男の瞳と嗄れ声に乾杯!



エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男は照れ屋ではにかみ屋でたいへんな読書家で含羞のひとだった。横浜市内有数のワルの中学校だったマイ中(横浜市立蒔田中学)とポン高(日大藤沢)の伝説の番長。ケンカして負けなし。負けるわけがない。殺す気でやるのだから。

男はイキがることがなかった。カッコつけることも。「イキがってやるのは喧嘩じゃない。ケンカごっこだ。オママゴト、お医者さんごっこと大差ない。ケンカごっこでは喧嘩に勝てない。腹の底から怒って、相手に強い殺意をもってやるのが喧嘩だ。」とも。

相手は図体がデカかろうが、大人数だろうが男の気迫にひるみ、引いた。引かないときは、袋叩き、半殺し。相手がシカンボ(国士舘高校の不良)でもチョーコー生(朝鮮学校の不良)でも引かない。仲間を呼んだりしない。決して群れない。「ヤルなら殺す気でこいよ」「一番最初に死にたいのはどいつだ?」と。しかし、女に対してはロマンチストで、からきし弱かった。何度も「女に泣かされろ」と言われた。

エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男は六本木のGeorgeで若い女の客からリクエストされたとき、微笑みを絶やさずに丁寧に断り、「Georgeの主役はジュークボックスだから。好きな曲、聴きたい曲があるならこれで」と一握りのコインを渡した。男のなにもかもがイカしていた。若い女がジュークボックスでかけたのはミニー・リパートンのLovin’ You. 男は涙ぐみ、「It’s just Half full…」と言い、静かに眼をとじた。ミニー・リパートンが乳がんで31歳の若さで死んだ年のクリスマス・ウィークのことだった。男とミニー・リパートンはひとつちがいの同世代だった。

人間であること。人間であろうとすること。男であること。男であろうとすること。女であること。女であろうとすること。それらのことに徹底的にこだわり抜いていた。悲しい酒も喜びの酒も怒りの酒も飲める人間だった。

還暦になった年に、なにを食べても、なにを飲んでも、CCのソーダ割りを飲んでさえ、Hi-Liteをいくら吸っても味がしないんだと言ってすごくさびしそうな顔をした。

3年後、男はBye Byeしてしまった。ほろ酔いの男がYAIRIのアコギでTennessee Waltzを弾き語りするのを聴けず、眼にできなくなって、世界は21%ほどつまらなくなった。たった1度だけ、男がYesterday once moreを弾き語りする場に居合わせることのできた幸福をかみしめることをせめてものよすがとすることで残り少なくなった手持ちの時間をやりすごすことにしよう。数知れぬ修羅場をくぐり抜けた修羅の男は、ついには菩薩/仏になった。男の瞳と嗄れ声に乾杯!

エリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男もいまはなく、雨に煙る森に一人たたずんでHi-Liteを燻らせ、CC(Canadian Club)のソーダ割りをグビグビグビ飲っているんだろう。ストラトから黒いレスポールに持ち替えて。Dave Masonが来るのを心待ちにして。Tennessee WaltzとGeorgia on my mindを口ずさみながら。Bay-Side on my mindともつぶやいて。フェンスの向こう側のアメリカに憧れともうらやみともつかない複雑な眼差しをそそいで。Y.O.K.O.H.A.M.Aを愛して。ときどきは江利チエミあるいはRay Charlesとデュエットして。赤いエナメル・シューズを履いて雨に煙る森を歩くことを夢みて。

死は決して敗北ではない。敗北ではないが、2011年10月10日月曜日の気持ちよく晴れた日にエリック・クラプトンの面影を持つ嗄れ声の男が死んだときは憂歌団の『You are my Angel』の中のサビの1節、「そりゃないぜ ないぜ」だけを繰り返し繰り返し繰り返し、夜があけるまで、いや、夜があけても歌っていた。そりゃないぜ ないぜ ジョーちゃん… CCが3本、空になった。


雨に煙る森を歩く嗄れ声の男のうた (1977)
You are my Angel 憂歌団 (1986)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-09 16:18 | 雨に煙る森 | Trackback | Comments(1)

F-1の無量大数桜が斃れた朝、ウソを見破るエゾヤマネコのFritz Von Münch Mammoth 4 1200 TTSは冥王星の税務署のあしたの受付ジョーのツンパが震えるほどの舌打ちを3度した。

 
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F-1の無量大数桜が枯死して斃れた朝、エゾヤマネコのFritz Von Münch Mammoth 4 1200 TTSは冥王星の税務署の総合受付のあしたの受付ジョーのエア・パンツがビリビリと震えるほど大きな舌打ちを3度してから言った。

「プルトニウムどんどんじゃぶじゃぶのキャベツの酢漬けが喰いてえ! ノッグソマッグソの葉っぱ胡桃穿いて乱舞してえ!」

エゾヤマネコのFritz Von Münch Mammoth 4 1200 TTSの必殺技はFritz Von Erich直伝の鉄の爪/アイアン・クローである。ハッパチャノワの森における鉄の爪の犠牲者は数知れないが、一番の犠牲者はエゾブトガラスのカースケアクロウだ。
 
# by enzo_morinari | 2019-04-09 09:46 | エゾヤマネコのMunch | Trackback | Comments(0)

答えなどなにひとつ孕んでいない風の歌が、なんとなくクリスタルな、中身空っぽのカタログ・シティを吹きぬけていった時代がかつてあった。

 
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古い友人が死んだ翌朝、SONYの古いトランジスタ・ラジオから聴こえてきたのはカーペンターズの『Yesterday Once More』だった。Yesterday Once More? 冗談じゃない。すべては1度で十分だ。骸骨同然になったカレン・カーペンターの姿なんか2度とみたくない。

West Coastの上げ底の波とジョシダイセーなる珍妙奇天烈な生きものとナイーブな街のナイーブな肉屋が切りわけたナイーブなロースハムがトッピングされた掟破りのスパゲティ・バジリコが、答えなどなにひとつ孕んでいない風の歌とともに、なんとなくクリスタルな、中身空っぽのカタログ・シティを吹きぬけていった時代がかつてあった。


15歳。夏木マリが脚線美の誘惑を包む絹の靴下を引き裂きながら誘っていた。

15歳。夏休み最終日の土砂降りの雨の中、真夜中の中学校の体育館に忍びこみ、放送室で『ジョニィへの伝言』を大音量でかけた。

15歳。リーバイスのレンガ色のチノパンを横須賀のドブ板通りの古着屋で手に入れた。600円だった。ひと夏中履きつづけた。根岸の日石のすぐそばのマンモス・プールや本牧のジャンボ・プールに行くときも空調の効いた街の図書館で昼寝がてらに本を読むときもガールフレンドと熊野神社の社殿の陰でヘビーペッティングやらヘビーネッキングやらをするときも上大岡にできたダイエーの紳士服売り場でラ・マーン・ビーキーにいそしむときもそのレンガ色のチノパンを履いていた。夏の終りには焦茶色に変わっていた。

15歳。『イージー・ライダー』はまだついきのうのことだった。ピーター・フォンダはまだ宇宙人になっておらず、デニス・ホッパーは謝肉祭を目前にしてまだ生きていた。ジャック・ニコルソンはまだ若造の無名の役者で郵便配達人として2度ベルを鳴らしておらず、カッコーの巣の上に登っておらず、山奥の迷路で凍りついてもいなかった。

15歳。街はどこにいてもザ・モップスの『たどりついたらいつも雨ふり』が聴こえるほどモッブでスノッブでサイケデリックだった。国道16号線や産業道路のいたるところで、ガス欠したRenault Quatreを押す鈴木ヒロミツが「クルマはガソリンで走るのです」とほざいていた。その脇で、のちに類人猿の父親となるマイク眞木が「のんびり行こうよ、俺たちは~。焦ってみた~って、おなじこと」と歌っていた。

キノコ頭4人組のカブトムシ楽隊の野郎どもは何年も前に「なるようになるさ」と言い放ち、おかっぱ頭と天然パーマの二人組が架けたうさん臭い橋は健在だった。大工の息子とその妹が「巨食症の明けない夜明け」のためのジャンバラヤを撒き散らしていた。

West Coastの上げ底の波とジョシダイセーなる珍妙奇天烈な生きものとナイーブな街のナイーブな肉屋が切りわけたナイーブなロースハムがトッピングされた掟破りのスパゲティ・バジリコが、答えなどなにひとつ孕んでいない風の歌とともに、なんとなくクリスタルな、中身空っぽのカタログ・シティを吹きぬけていくのはもうすぐだった。

ケイジャンはアメリカ南部のジャンケン、パエリアはパイ、ナシゴレンは梨のデザートだと思っていた。パスタという言葉すら知らなかった。メキシコ料理はタコスだけだと思っていた。極太レッド・ホット・チリペッパー・ウインナーに足を取られて伊勢佐木町のポンパドールの前で42回すったおれて痛い思いをした。おかげで3人のガールフレンドが去った。だから、ジャンバラヤはいまでも嫌いだし、食べない。トマトケチャップは憎んでさえいる。

ジャンバラヤとナシゴレンの食べすぎとサングリアの飲みすぎがもとで、シャングリラへは合計7回行ったが、いずれも滑って転んでどん尻ドンタコスだった。8回目に起きあがれるかどうかはきわめて心もとないので、もうシャングリラは卒業だ。かわりに、チェ・ゲバラ・ゲリラになることにした。フィデルの寝首をかいてやろうと思っていたが、やる前にフィデルの野郎は死んじまった。

長くてばかばかしい人生、そうそううまくはいかないものだ。ヘミングウェイが『恐竜の中のランゲルハンス諸島の島々』の中で言っていたとおりである。ダイヤモンド・ヘッドにたどりつきたければ急がばまわれということだろう。ナイーブでセンシティブなタートル・ヘッドにたどりつくためには長くて細くて白い指先による悪戯とYAIRIのアコギが必要である。

樽犬が歩くときはFluctuat Nec Mergitur, Festina Lenteにかぎる。つまり、人生の日々はなんやかやと口実をつくって日々是好日碧巌録無門関にしちまえばいいのだな。話は簡単、邯鄲の庭だ。そんなこんなで、戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!

ひとはなにごとからでも学ぶことはできるし、たとえそれが痛みをともなう経験であったとしても、その痛みの痕跡が死ぬまで残るとしても、大切なものを失う結果をもたらしても、無駄ではない。それを成熟と呼ぶ。少なくとも、腐敗ではないし、F-1の無量大数桜が枯死して斃れた朝、エゾヤマネコのFritz Von Münch Mammoth 4 1200 TTSが冥王星の税務署の総合受付のあしたの受付ジョーのエア・パンツがビリビリとふるえるほど大きな舌打ちを3度するのを聴けることだってある。万事、塞翁が馬耳東風荘で麻雀豆腐だ。

15歳。世界のいくつかが終わり、世界のいくつかが終わろうとしていた。これからどんなふうに人生がつづいていくのか、冷たい戦争やベルリンの壁やベトナムの最悪をかかえながら、どんなふうに世界は死に、終わっていくのか考えていた。

1970年代初頭、若者たちは自分のゆく道が果てしなく遠いのか、未舗装の困難と苦悩と苦渋に満ちた道なのか皆目わからないまま、とにかく歩いていた。そして、たいていの若者はカレン・カーペンターの声に恋をした。スポットライトを浴び、称賛の笑顔と拍手の裏で彼女が長いあいだ深刻な拒食症/摂食障害に苦しんでいたことも知らずに。1983年に32歳の若さで死ぬとも知らずに。

Yesterday Once More? 冗談じゃない。すべては1度で十分だ。骸骨同然になったカレン・カーペンターの姿なんか2度とみたくない。

The Carpenters - Yesterday Once More (1973)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-08 19:38 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

掌の上の宇宙。その名は大いなる複雑。Grand Complication/新年号の令和にかかる陋劣な言説のたぐいと時の虜囚には背負えない「時をめぐる物語」

 
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Faire mieux si possible ce qui est toujours possible.

本来的にはないはずの「時」を計り、微分し、視覚化するためにキャビノチェ(時計師/時計職人/屋根裏部屋の住人)は屋根裏部屋で微小微細な歯車をインテグレートする。

この宇宙に完全/完璧/大いなる複雑/Grand Complicationはふたつしか存在しない。Abraham Louis BreguetのMarie Antoinette/BREGUET NO.160とJohann Sebastian BachのAir auf der G - Saite/Air on the G String/G線上のアリアである。


Abraham Louis BreguetのMarie Antoinette/BREGUET NO.160を手放してから四半世紀。とんと宇宙を掌の上で手玉に取っていなかったので、宇宙を支配する巨大な意志の力の同意をえて、極小宇宙だが手に入れて掌にのせてみた。

その名は大いなる複雑。Grand Complication (Vacheron Constantin Reference 57260)

企画/設計/制作/完成までに費やした時間は8年。設計図の総重量は16kgに及んだ。計57種の複雑機構。ケースは直径98mm、厚さ50.55mmのホワイトゴールド製。総重量960g. ムーブメントは242石。バランス・トゥールビヨン・レギュレーター。ミニッツ・リピーター機能。トリプル・コラムホイール・クロノグラフ機能。7種のパーペチュアル・カレンダー機能。6種のアラーム機能。均時差表示。アラーム・パワーリザーブ表示。ペルラージュ装飾/Perlaje (Circular graining)。コート・ド・ジュネーブ装飾/Cotes de Genéve. 3軸トゥールビヨンと脱進機を抱えるアーミラリ天球儀ケージ。天球儀回転時、15秒に1度、マルタ十字が現れる。予想エスティメイト30〜60億円。ありえないことだが、BreguetのMarie Antoinette/BREGUET NO.160が市場に出た場合の予想価格は300億円とも600億円とも言われている。

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Marie Antoinette/BREGUET NO.160はマリー・アントワネットがブレゲに発注してから完成までに50年近い歳月が流れ、アブラアム・ルイ・ブレゲの子の代でようやく完成した。ブレゲ2代にわたる時をめぐる50年の物語。そのあいだに、フランス革命が勃発してマリー・アントワネットは断頭台の露と消え、ブレゲも死んでいる。古今東西の権力者たちは時さえ支配できると考え、誇示したが、みずからの寿命までは思うままにできなかったという冷厳冷徹な皮肉。

Marie Antoinette/BREGUET NO.160をめぐる物語に比すれば、新年号の令和にかかる言説のほとんどは取るに足りない他愛のないものである。小学生中学生の寝言たわ言口げんかのたぐいと大差ない。始まりがあって終わりがあり、今が終わりの始まりであることを知らず、気づかぬ時の虜囚には「時をめぐる物語」は背負うには荷が重すぎるということだろう。

Grand Complication (Vacheron Constantin Reference 57260)は予想していたよりも軽かった。カルカッタで牛のしっぽの赤ワイン煮込み/Queue de Boeuf Braiserを食しながら宇宙を支配する巨大な意志の力と林達夫先生と開高健先生とで宇宙しりとりをやった。当然、私の一人勝ち。ディドロ&ダランベールが守護者である私がトリオンフするのは決定事項なのだから。

敗北が決まった瞬間、開高健先生は開口一番、「バカ貝をバケツ3杯食いたい。宇宙グラスの無限周回軌道の淵でダリダの花を抱えて少年ジョルジュと罪障消滅ダンスを踊りたい。ダンスにゴンゴン、4度目タイーホのカルロス・ゴーンと根くらべ、ゴンクラーベ、座王権太は愛と誠のゴンチャロフ」と言った。真意を風に訊いても風の野郎はどこ吹く風だった。


Air auf der G - Saite/Air on the G String/G線上のアリア - Johann Sebastian Bach
Complication - Sebastian Forslund (Acoustic Group Music)
 
 
# by enzo_morinari | 2019-04-07 18:20 | 大いなる複雑 | Trackback | Comments(0)

ダリの花はどこへ行った?/ダリの花の名はDALIDA. 肥料は『ダリとダリ』と偏執狂とやわらかなベーコンと熔ける時計と蝟集する魚たちとガラ・ディナー。フラワー・ベッドは磁場。

 
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散種/Dissemination/ディセミナシオンがなければ花は咲かない。J-D


ジャック”散種”デリダが2004年の初秋に死んで、偏執狂的脱構築グラマトロジー・ガーデンからすべてのダリの花は逃走した。ニゲロヤニゲロ。浅田彰の『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』を読み散らかし、踏み散らかして。差異、差延、ディフェランスこそが美しい開花をもたらし、語ることを可能ならしめると言い残して。

ダリの花はいったいどこに行ったのだ? ダリの花を探す旅に出よう。



Where Have All The Flowers Gone?/花はどこへ行った? Peter, Paul and Mary
 
# by enzo_morinari | 2019-04-07 02:14 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback | Comments(0)

ナイフのようにナイーブな文化部部長の少年ジョルジュのカルマとユッスー・ンドゥールの丸キス・トロン・プイユとサリフ・ケイタのBLACK&WHITE問題とフェラ・クティのタテシャク・ビャクシン

 
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カルマは踊る。カルマはカメレオンのように気まぐれで、ナポレオンのように独善的だが、因果の道理を外れることなく踊りつづける。果報は踊って待つに限る。


ナイフのようにナイーブな文化部部長の少年ジョルジュはホモう。いや、思う。フェラ・クティのタテシャク・ビャクシンは時代をTPOを超えて絶品だが、B♭ major/変ロ長調はさらにウェッジウッドの皿にてんこ盛りなくらいに超絶であると。

B♭major/変ロ長調はいつだってカルマ満点!
業はカメレオン号に乗って凱旋し、因果の道理を外れることなく踊りつづける!
果報は踊って待つに限る! ズンタッターズンタッターズンタッター!
セザリア・エヴォラもシャーデー・アデュもアンジェリーク・キジョーも輪になってズンタッターズンタッターズンタッター!
アフリカヌスはルーシー&アカンソステガと一緒にズンタッターズンタッターズンタッター!
ついでにエンヤは円谷プロ特撮部隊特製のフローティング・マシンでインカ・コーラ飲みながらオリノコ川でエンヤコラドッコイ浮かんでる♪

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Karma Chameleon/カーマは気まぐれ - Culture Club (1983)
Beasts of No Nation - Fela Kuti (1989)
Sodade - Cesária Évora (Miss Perfumado/1992)
Mandjou - Salif Keita (1995)
Yamore - Salif Keita & Cesaria Evora (2001)
Serin Fallu - Youssou N'Dour (2016)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-06 15:06 | 因果応報、カルマは気まぐれ | Trackback | Comments(0)

Bagdad Caféは閉店しちまうし、サボテン・ブラザースは行方不明だし、荒野にいるときより孤独だから、わらの犬とガルシアの首と戦争のはらわたの煮込みをつくったけど、喰う?

 
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「夏がはじまるまでにエンゾ・マイオルカ・モリナーリの背中を持ってこい」とウォーレン・オーツ似の大ボスが怒鳴った。雷が1ダースほどもまとめて落ちたような声だった。


ゲラウェイついでにわらの犬とガルシアの首と戦争のはらわたの煮込みをむさぼり喰っていた早春の午後だ。

日頃から、ネイティヴ・アメリカンの血を受け継いでいることを自慢たらたらの北京パーことサミー・ディヴィス・ベッケンバッハがやってきて、ダブル・ジョパディ茶会事件の最終弁論中にいきなりワイルド・パンチを叩きこまれた。鼻血が5tばかり出た。だが、鼻血5tくらいどうということはない。毎日毎日、塩味のダイヤモンドはその倍は流している。古今東西の人間の罪業をすべて引き受けて流す塩味ダイヤモンドだ。

北京パーが言うには、「バイオレンスが足りねえ! コロシはもっと足りねえ!」だとよ。どうする?


エンゾの背中

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「夏がはじまるまでにエンゾ・マイオルカ・モリナーリの背中を持ってこい」とウォーレン・オーツ似の大ボスが怒鳴った。雷が1ダースほどもまとめて落ちたような声だった。小ボスどもは一斉に縮みあがった。もちろん、俺もだ。なぜなら、俺がエンゾ・マイオルカ・モリナーリ本人だからだ。だが、この街の連中は誰一人として俺がエンゾ・マイオルカ・モリナーリだとは知らない。

「エンゾの背中の肉をひとかけらでも俺の眼の前に持ってきた奴には100万ブッサリーノくれてやる。キャッシュでな。いいか? キャッシュでだ。ただし、肉は腐っていてはいかんぞ。なにせ、俺はエンゾ・マイオルカ・モリナーリの背中の肉を食わなきゃならんのだからな」

大ボスは言い終えるとテーブルのシャトー・ムートン・ロッチルドの1958年を大ぶりのグラスになみなみと注ぎ、あかりにしばし透かしたあと、喉をゆっくりと動かしながら飲みほした。口の端からこぼれたワインは俺の血のように思えた。背中がぐきりと痛んだ。夏がはじまるのは2週間後だ。

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Bagdad Café (I'm Calling You)
Paris, Texas - Ry Cooder (1984)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-06 05:38 | バグダッド・カフェ閉店 | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で。/死刑宣告はシャコンヌで。

 
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『シャコンヌ』を聴きながら死ねるなら本望だ。生きているあいだに起きたすべてのことどもを受容し、ゆるすことができる。樽の哲犬

少女のリコッシェ・サルタートとポルタメントのかけ方は独特で、ところどころにハイフェッツの憤怒のごとき鋭いイディオムを思わせるものがあった。フラウタートで奏でる音には目を見張るほどの柔らかさと悲しみとがあった。フラジョレットは思わず引きこまれるくらいに澄んだ音だった。グレゴリオ聖歌の『怒りの日』の旋律の一部が引用されたときにはわが耳を疑った。

フロッシュが何本も切れて生き物のように揺れ、舞った。先端のスクリューでなにかしらのど真ん中、土手っ腹を貫かれているような気分だった。あとで、少女のヴァイオリンの師匠筋にエリック・フリードマンがいると知り、なるほどと納得した。


ミツモトのコーヒー・ショップのシャコンヌは不良/ワル/ツッパリの溜まり場だった。シャコンヌに行けば子分のだれかがいた。木製のドアを音がしないようにそっとあけ、店の中に入った。スタージャスミンのにおいがした。シャコンヌの女店主がつけているフレグランスだ。JEAN PATOUのJoyか。今度、寝物語にフレグランスの名をきいてみよう。

「樽の野郎はただの乱暴者、変なやつだ。」

しょぼくれたリーゼントの男が大声で言うのが聴こえた。いやなダミ声だった。ことさらに自分を大きくみせようとするタイプ。中身は空っぽ。睨んだだけで終わり。すぐに這いつくばる。コメツキバッタになる。女店主はほかの客を帰らせた。いつものことだ。

リーゼント野郎は私のほうに背を向けて座っていた。私が現れたことに気づいたリーゼント野郎と一緒にいたやつらの血相が変わった。どいつも血の気が引き、青ざめた。えずくやつもいた。リーゼント野郎に目配せするやつもいた。頭を何度も横に振るやつも。「やめろ。やめろ」とリーゼント野郎をたしなめるやつも。合計6人。チョチョイのチョイだ。繰り出すのは右ストレート1発で十分だ。あるいは蹴り1発。

私はリーゼント野郎の席にゆっくりと近づいて、物も言わずにリーゼント野郎の後頭部に渾身のまわし蹴りをいれた。リーゼント野郎は前につんのめり、テーブルに顔面を強打した。テーブルの上のものが大きな音を立てて弾け飛んだ。リーゼント野郎の正面にまわりこんで席を空けさせてから座った。

「おれが樽だ。みねえ顔だが、おれのことについてずいぶん詳しいようだな。」

リーゼント野郎は鼻血を滴らせていた。顔も腫れあがっていた。リーゼント野郎は顔面蒼白で、全身を激しくふるわせた。ハイカラーの蛇腹の学ランには国士舘の6枚楓の徽章がついていた。リーゼント野郎の右手がテーブルの上にあったので、フォークを逆手に持って突き刺した。リーゼント野郎はフンギャアという悲鳴をあげた。

「おまえは1時間、いや、30分以内に死ぬが、言い残しておくことは? 梵天先生に伝えることは? バックがいるなら、そいつらを呼べ。やくざもんだろうが右翼だろうがシカンボのソンベだろうが、一緒に始末してやるから。そのほうが手っ取り早い。」

シャコンヌの女店主を呼んで肉切り包丁を持ってこさせ、リーゼント野郎の前に置いた。

「おれはうしろを向く。それでおれをぶった切るなり、ぶっ刺すなり、好きにしろ。自分の首を切るのも腹を切るのもおまえの自由だ。指を詰めるのもな。次におれがふりむいたとき、そのどれかをおまえが選んで、実際にやっていなければ死ぬのはおまえだけじゃねえぞ。おまえの家族も皆殺しにして、家は燃やしちまうからな。」

私はリーゼント野郎にそう告げて、背を向けた。やや間があってからゴリッという鈍い音がした。

シャコンヌの店内に流れる曲がJ.S. Bachの『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ』にかわった。シャコンヌ。死刑宣告と死刑執行の序章にはちょうどよかったが、とりあえずはフェルマータ、小休止だ。

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J.S. Bach - Chaconne Partita No 2 for Violin in D minor, BWV 1004 - Jascha Heifetz (Paris, ORTF Studio 102, September 16, 1970)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-05 12:20 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

Spillane Zone/殺しについて語るときに我々が語るいくつかのこと

 
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やさしく歌って? それはできない相談だ。やさしく殺すことはできるがね。NBK+SK-Killer Kids


小説家専門の殺し屋であるクラップ・クラッシャー・クラッカー・クノップフは傲岸不遜な表情に尊大さと自信のなさを加えて言った。

「おれたちは殺しについていったいなにを知っているというんだ? 例の日本人の12歳の小僧っ子にくらべたら、おれたちはみんな殺しの初心者みたいなもんだ。マークに”Killing Me Softly with His Song”を歌わせてから殺すなんて話を聴いたことがあるか? おれはこの稼業を50年近くやってるがない。小僧は仕事のあとにチリひとつ残していかない。それに、あの小僧に殺されたやつの死体は男も女も爺さんも婆さんも子供も微笑んでるってんだぜ。そんなふざけた話があるかってんだ! きっと小僧はSpillane Zoneの領域に到達したんだ。そうにちがいない…」


Killing Me Softly with His Song - Roberta Flack (1973)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-05 00:45 | Spillane Zone | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で。/12歳の殺戮者は憤怒し、憎悪し、手加減なし容赦なしで仕留め、嗤う

 
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私の心のかたちはハートではない。私の心のかたちはFrozen Metal Jacketだ。


初めての殺人。殺したのは獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあ。金貸しの取立てのように滞納している給食費を払うよう亡者づらで執拗にせっつきつづけてきた下衆外道。

毎月の月末。終礼時。「今月も給食費を払っていないのは一人だけ」と薄ら笑いを浮かべて獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあは私の名を言った。同級生どもは私の怒りがいつ炸裂するかと怯えて身をすくめ、ふるえていた。私の怒りが炸裂すればだれにもとめられないことを知っているからだ。

虫酸が走り、はらわたが煮えくりかえった。獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあを八つ裂きにする光景を思い浮かべた。腹に何度も何度もナイフを突き刺し、はらわたを引きずり出す光景を。喉元を切り裂くことを。鼻を削ぎ落とし、耳を削ぎ落とし、舌を切り落とし、目玉を抉り抜くことを。

LÉON-WP38はタオルで両腕を縛った際に痕跡が腕に残らないようにする縛り方をやってみせた。それは想像以上に難しかった。完璧にできるようになるのに2週間かかった。


Shape of My Heart - Sting (1993)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-04 05:07 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

昭和のうた/君と歩いた青春 木綿のハンカチーフが破れても、心が風邪をひいても忘れない。青春の栞にしてとっておく。

 
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君と歩いた青春が幕を閉じた。君はなぜ男に生まれてこなかったのか... Issay Shozo

若い季節のかわり目だから誰も心の風邪をひくのね 童話の本を閉じてしまえばすべてまぼろし 味気ない日々 Hirommy Otard

すべてはどうということのない過程にすぎないが、忘れがたく、心の奥深くにいつまでもそっとしまっておきたいこともある。Diogenez Dogz

CSN&Yを聴きだしてから人が変わったように髪を伸ばすやつもいれば、自由に生きてみたいと授業をサボるやつもいれば、ゲバ棒をふりまわすやつもいれば、『赤毛のアン』を読んでそばかすの悩みを打ちあけるやつもいた。みんな自分のウッドストックと緑の園を探していた。夢がひとつずつ消えてゆくたびにおとなになった味気ない日々 ──。Hirommy Otard


高校3年の冬。クリスマス。卒業まで3ヶ月足らず。18歳の誕生日の朝だった。のちに元妻2号となる女の子が下駄箱で私を待っていた。ハマ楽器のネイビーブルーのビニル袋をかかえていた。

「誕生日おめでとう。」
「めでたくもあり、めでたくもなしだけどな。」
「これ。聴いて。」
「レコードだな。おまえは音楽センスいいからな。だれ?」
「いいから黙って受け取って。」
「うん。わかった。」

私はLPレコードの入っているハマ楽器のネイビーブルーのビニル袋を受け取り、教室には行かずに放送室に向かった。放送室には部長の三宅がいた。私は三宅にハマ楽器のネイビーブルーのビニル袋を掲げてみせた。三宅は気持ちのいい笑顔をみせてうなずいた。いつものことだ。聴きたいレコードがあるときはこんなふうにする。

かぐや姫にいた伊勢正三と猫の大久保一久が1975年に結成したフォークデュオ、風の『WINDLESS BLUE』と『木綿のハンカチーフ』で一世を風靡した太田裕美の『12ページの詩集』の2枚のLPレコードが入っていた。なぜ2枚なのか。意味はすぐにわかった。『君と歩いた青春』を聴かせたいんだなと。『君と歩いた青春』はいい歌だ。歌詞もメロディも。CSN&Yのパクリだろうがなんだろうが、いいものはいい。わるいものはわるい。話は簡単だ。

三宅にレコードを渡して言った。

「『君と歩いた青春』をテープに続けて録音れて、エンドレス・リピートで校内一斉放送してくれ。放送室はロックアウトだ。だれも入らせない。いいな?」
「もちろん。なんだか最高の思い出づくりができそうだ。」
「あいかわらず、いいやつだな。おまえは。」
「樽くんだからさ。樽くんは絶対にはずさないから。」
「三宅、おまえ、小遣いやろうか?」
「お願いします。」
「殺すぞ。」
「冗談ですって。」
「おれにウソと冗談は通用しないってのはわかってるよな?」
「はい! もちろんです! 大魔王さま!」

三宅は手際よく2曲の『君と歩いた青春』をTDKの片面15分のカセット・テープの両面に録音した。そして、機材を調整してから校内一斉放送した。風の『君と歩いた青春』が学校中のスピーカーから一斉に流れた。1限目の授業が始まる時刻はとっくに過ぎていた。

君と歩いた青春が幕を閉じたというところでどどっと音がして塩味ダイヤモンドがあふれた。見れば、三宅も泣いていた。ぽろぽろといくらでも塩味ダイヤモンドがこぼれた。

ポンコツ教員どもの何人かがなにか叫びながらやってくるのが窓越しに見えた。そのうしろには顔をくしゃくしゃにした大勢の生徒どもの姿があった。先頭にはレコードをプレゼントしてくれた女の子がいた。いくつかの季節と青春をともに歩いた女の子が。顔を紅潮させ、遠目でもわかるほど目を泣きはらして。

私と三宅は握手し、抱き合った。「たまになら青春ドラマもわるくねえな」と三宅に言うと、三宅は3度うなずき、「フィネガンズ・ウェイク。アポストロフィのSはどこに行ったんだ? 行方はわからなくても、クォーク鳥は3度鳴く」と言った。三宅が言ったことの真意を確かめる前に三宅は死んでしまった。『心が風邪をひいた日』のアルバム・ジャケットと奥浩平の『青春の墓標』とカカヤンバラを1輪抱いて。青酸カリを飲んで。1年後のことだ。

「『心が風邪をひいた日』はあるか?」
「ありますよ!」
「B面ラス前の『青春のしおり』を1回だけかけよう。」
「了解です!」

おまえらと歩いた青春は幕を閉じるが、おまえらのことは忘れない。木綿のハンカチーフが破れても、心が風邪をひいても忘れない。青春の栞にしてとっておく。ロックアウトした放送室の外にいるやつらにも中庭に集まっているやつらにも聴こえるはずはないがそう言った。「ぼくもです。ぼくも忘れません」と三宅は言って声をあげて泣いた。「泣くとこか? 三宅」と思ったが言わなかった。人はだれでもなにかしらの事情をかかえている。三宅だっておなじだ。三宅にも泣く事情があったんだろう。

『青春のしおり』が終わり、8回目の風の『君と歩いた青春』がはじまった。

「樽くん、いやでしょうけど、さっきのあれ、みんなに聴かせてやってください。お願いします。」
「わかった。」

いつもなら言下に断るところだが、三宅の心映えがみえたのでマイクをとった。三宅が8回目の太田裕美の『君と歩いた青春』をフェードアウトし、Cueが出たところでマイクに向かって語りかけようとしたら、言葉に詰まった。

高校生活の3年間が早回しで浮かんでは消え、浮かんでは消えた。3年のあいだに出会い、訣別し、再会し、再び別れ、反目し、和解和睦し、野辺送りのうたを歌って永遠の別れをした多くの人々の目を見て、まばたきもせずにみつめて、彼らの一人一人が目の前にいると思って語りかけようと思った。

一期一会? 袖触れ合うも他生の縁? そんなのは知ったこっちゃない。知っているのは実際に会い、ときに見つめ合い、ときに手をつなぎ、ときにつないだ手をふりはらい、ときに争い、ときにそっぽを向き、ときに知らんぷりし、ときに肩を組み、ときにいっしょに歌ったやつらのことだけだ。一般化だの相対化だの総体化だのの訳知ったような、乙にすましたことは係ではない。格言やら古諺やら生臭坊主が言いそうなかび臭いことやら数語数文字の言葉で回収できるような生き様とは無縁に生きてきた。

1回会っただけでわかることなどない。さらに言うならば、自己と他者は永遠にわかりあえない関係性のうちにある。同様に、袖触れ合うだけでは関係性は築けない。1度限り、出会えたことの稀有を慈しむ心映えを持つことは重要だとしてもだ。手づかみ赤むけ、リアルだけが私には重要事だった。

永遠にわかりあえない関係性のうちにあるとしても、決して交わることのない平行線だけれどもいつかきっとわかりあえるという地平に立つところにこそ意味がある。たぶん、ひとはそれを希望と呼ぶんだろう。あふれる思いを懸命にこらえて私は語りはじめた。

おまえらと歩いた青春は幕を閉じるが、おまえらのことは忘れない。木綿のハンカチーフが破れても、心が風邪をひいても忘れない。青春の栞にしてとっておく。これがおまえらへのクリスマス・プレゼント。そして、贈る言葉だ。Here’s looking at you, Kids! おまえらの瞳に乾杯! 樽。

歓声と拍手が聴こえたような気がしたが、風のいたずらか空耳だったんだろう。そんな風向きの日もある。生きていればいろんなことがあるものだ。

すべてはどうということのない過程にすぎないが、忘れがたく、心の奥深くにいつまでもそっとしまっておきたいこともある。


君と歩いた青春 風 (WINDLESS BLUE/1976)
君と歩いた青春 太田裕美 (Self Cover/1981)
青春のしおり 太田裕美 (心が風邪をひいた日/1975)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-03 02:45 | 君と歩いた青春 | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で。/Judgment Day 私の心のかたちはハートではない。私の心のかたちはFrozen Metal Jacketだ。

 
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私はほとんど笑わなくなり、怒らなくなった。花を見ても子犬を抱いても好きな音楽を聴いても本を読んでもなにも感じなくなった。心はぴくりとも動かなくなった。私の心はFrozen Metal Jacket/凍りついたメタルになった。


小学校6年。私は身長180cm近い偉丈夫に成長していた。運動能力測定/体力身体能力測定時、50mを5秒88で走り、垂直跳びは82cm。懸垂は20回越え。ソフトボール投げは47m。反復横跳びは72回/分。背筋力は162kg。踏み台昇降後の心拍数は42回/分。運動能力、身体能力、体力、心肺機能のいずれも成人のアスリートのレベルだった。

中学生や高校生の不良、ツッパリとケンカをしても負けなかった。キャベツにしかみえない牡丹の花の入れ墨をチラつかせるチンケな三下奴の若いチンピラのやくざ者にも勝った。ケンカのときは相手を殺すつもりでやるので、相手は半殺し/袋叩きになった。武相高校の番長は柔道部の主将で100kgを超える巨漢だったが、鼻っ柱に右のストレート・パンチを1発叩きこんでKOし、病院送りにした。

味をしめた私は街場で不良やツッパリやトッポいやつをみかけるとケンカをふっかけ、勝利し、金品を奪った。百戦百勝。百戦錬磨。負けなし。たいていは鼻っ柱への右のストレート・パンチ1発でのした。不敗記録は中華街のRed Shoesで内藤のジュンちゃん(カシアス内藤)に敗北するまでつづいた。繰り出したパンチは内藤のジュンちゃんにかすりもしなかった。目にもとまらぬ俊敏な動きだった。ボディーブロー1発で倒された。反吐を吐き、しばらく息ができなかった。さすが、いずれは世界チャンピオンと言われ、現役の東洋ミドル級王者だと思った。

ケンカのときに相手に髪の毛をつかまれる不利を避けるためにカミソリで頭を剃り上げた。ツルツル。スキンヘッドだ。眉毛もすべて剃った。のちには頭頂部を少しだけ残すハワイアン・オールドファッションド・スタイルにした。そして、トランシング・ホース(略してトラホ)/奔馬と名乗った。

その頃の私の本懐、願っていたことは、太陽の、輝く日輪を拝しながら、輝く海を見下ろしながら、気高い松の木の根方で、自刃することだった。白刃を自分の腹に突き立てて切り裂くこと。そして、すべてを灼きつくし、光輝く日輪が瞼の裏に赫奕と昇ることを夢見ていた。

若い用務員の男(LÉON-WP38)が獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあに叱責され、罵倒され、罵声を浴びせかけられるところを何度もみた。そのときのLÉON-WP38の目に宿っていた憤怒と憎悪の色は背筋も凍るほどおそろしいものだった。そして、私はある”秘密のアイデア”を思いついた。

用務員室に行った。LÉON-WP38は仮眠室で大の字になって寝ていた。

LÉON-WP38は陸上自衛隊第1空挺団(習志野空挺団)で「殺しの訓練」を徹底的に叩きこまれた人物だった。LÉON-WP38は天涯孤独だった。LÉON-WP38は暗く冥い目をしていた。いつもうつむき、ぶつぶつとなにか呟いていた。LÉON-WP38の出自の不幸がそうさせてでもいたか。

教員も生徒も気味悪がってLÉON-WP38に近寄らなかった。私はLÉON-WP38に手の施しようのない傷、痛み、怒り、憎しみ、怨念のたぐいを嗅ぎとっていた。自分とおなじにおいを。私はしばしば用務員室にLÉON-WP38を訪ねた。校舎内で、あるいは街場で会うと声をかけた。LÉON-WP38は私の訪問をよろこび、声をかけたことに対して感謝の言葉を述べた。

「あのばばあを殺すのなんかわけもない。ちょちょいのちょいだ。自殺にみせかけて。」とLÉON-WP38は涼しい顔で言った。

私は陸上自衛隊第1空挺団上がりのLÉON-WP38から徹底的に「人殺しの特訓」を受けた。LÉON-WP38は私を殺人マシーン、殺し屋に仕立てあげることに情熱を傾けた。LÉON-WP38は私にMATHILDA-WP42というコード・ネームをつけた。MATHILDA-WP42。1発で気に入った。音もなく忍び寄り、静かに、手加減なし容赦なしで殺戮のかぎりをつくすMATHILDA-WP42。全身が総毛立った。

LÉON-WP38は私をマッチと呼び、訓練のはじめに「マッチ! 火をつけろ。燃やせ。灼きつくせ。燃えあがれ!」と言って私の両頬と両肩を手のひらで何度も叩き、鼓舞した。

接近法、ナイフの扱い方、殺人のための道具の使い方、日用品を凶器にする方法、拷問法、尋問のやり方と自白のさせ方、人体の仕組みと構造、死体の処理方法、痕跡の消し方、周囲の観察方法、人物の記憶方法、身の隠し方/気配の消し方、歩き方/走り方、呼吸法、傷の手当の仕方、止血法、尾行のやり方/尾行のかわし方、偽造術、変装術、解鍵と開錠、盗聴のやり方/盗聴器の仕かけ方、破壊工作等々。

私はLÉON-WP38の訓練を乾いた砂が水を吸収するようにおぼえた。私はみるみるうちに殺人マシーンになっていった。殺人マシーンになるための訓練を受け、殺人マシーンのスキルをひとつひとつ身につけてゆくのに比例して、私は自分の中から人間らしい心の動きが引き剥がされ、失われてゆくのをひしひしと感じていた。

私はほとんど笑わなくなり、怒らなくなった。花を見ても子犬を抱いても好きな音楽を聴いても本を読んでもなにも感じなくなった。心はぴくりとも動かなくなった。私の心はFrozen Metal Jacket/凍りついたメタルになった。母親は私の変化に気づき、すごく心配していた。生物学上の父親は姿をみせなくなった。夏の初めにスタートした訓練は秋の終わりには仕上げ/最終段階に近づいていた。

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「首にロープをかけて背中合わせにしてから一気に背負う。それで終わり。」とLÉON-WP38はこともなげに言った。LÉON-WP38手製の手足のついたサンドバッグで繰り返し予行演習をした。

1970年12月25日、私の12歳の誕生日。三島由紀夫が東京事変で自裁して1ヶ月。私は生きることの意味を失いかけていた。そして、その日、”Judgment Day”はついにやってきた。


Shape of My Heart - Sting (1993)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-02 09:30 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

昔々、横浜で。/ビンボーのクオリティとクオリア 貧乏長屋の共同炊事場から聴こえたTennessee Waltzはビンボーといっしょに昭和のあっけらかんとして突き抜けた夏空の彼方に消えていった。

 
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ビンボーにもQualityとQualiaがある。

一億総中流だあ? 知るか! 日本が徹底的につまらなくなった原因は中流意識だ。

楽して稼ごうなんざあ、餓鬼畜生の所業だ。棚から牡丹餅も玉の輿も逆玉の輿もな。

Tennessee Waltzも昭和のビンボーも昭和のビンボー人も愛しい。恋しい。静かに寄り添い、やさしく抱きしめて、そっと頬ずりしたい…

国土の7割が急峻な山岳地帯で、海っぱた端っこにへばりつくように暮らしている日本人に豊かさもヘチマもあるか! 日本も日本人もビンボーでいい。そのほうがずっといい。いい職人だっていなくならずにすむ。

木の実をひろい、つかまえられるかどうかもわからない鹿やイノシシやナウマン象やマンモスを追いかけていたネアンデルタール人や北京原人や明石人やクロマニョン人たちをビンボーと嗤えるか? 硬くて味のしない黒パンと貧者のスープ/良妻のスープ=野菜のごった煮をかこむ善きサマリア人の夕餉の食卓をビンボーだと嗤えるのか? 不作と飢饉で大根を齧っていた農民をビンボーと嗤えるか? 嗤えまい。身の丈/間尺に合っているならビンボーもヘチマもない。

みんなビンボーだった。どいつもこいつも胸を張って、あるいはうつむいて、あるいは恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに、あるいは楽しそうにビンボーだった。それでも、食うために生き延びるために一所懸命に生きていた。それが昭和という時代だ。

格差社会? それってうめえのか? 世界は太古の昔から金持ち/土地持ち/物持ち/力持ちと金なし土地なし物なし文なし力なしなんにもなしなしなしずくしすっからかん空っけつのオケラに嗤われるくらいのビンボー人でできあがってるんだ。今に始まったことじゃない。


ビンボーだった。だからどうした八百屋の五郎だが、小学校の6年間、ただの一度も給食費を払えないほどビンボーだった。獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあは金貸しの取立てのように滞納している給食費を払うよう亡者づらで執拗にせっついてきた。急角度で目がつり上がっていた。そのたびに居直って、「ねえものは払えねえよ! ない袖は振れねえってんだ! 獅子舞いばばあ!」と啖呵を切った。いつか殺してやる。八つ裂きにしてやると思った。思ったことも願ったことも現実化する。獅子舞いばばあも例外ではない。なにがなんでも現実化させてやるのだと固く心に決めた。数年後にそうなった。

その後、獅子舞いの獅子のようなツラをしたオールド・ミスの担任のクソばばあは首を吊ってくたばった。公式には。非公式には(ry ウイスキー・ボンボンで祝杯をあげた。ざまあない。

そんなビンボーな日々にも夏は容赦なくやってきた。夏休みになったところでどこに行くわけでもない。行ける道理がない。喰うだけでいっぱいいっぱいなんだから。喰うことすらままならなかったんだから。1時間15円の市営プールで泳ぐか山でカブトムシやクワガタをつかまえるか図書館で本を読むか一人遊びするか考えごとをするかあることないこと/ないことないことでできた自分が読むためだけの物語を書くくらいしかすることはなかった。だから、いい齢をぶっこいたやつが得意顔鼻高々自慢げ自慢たらたらこれみよがしで、どこ行ったなに喰ったなに見たなにしたかにしたというたぐいの寝言たわ言をほざくのを見聞きすると虫酸が走り、はらわたが煮えくりかえる。

この際、自分がルサンチマンの鬼であることははっきりと、胸を張って、だれになにに憚ることもなく、しかし、そこはかとなく表明しておく。

仲良くなった市民プールのバイトの大学生は「内緒だよ」と言って、チケットの時間を延長の追加料金なしで最終自刻の1800時までにしてくれた。くちびるがむらさき色になっても泳いだ。仲良し大学生が菓子パンをくれることもあった。あんパンとジャムパンとクリームパンとメロンパンとカレーパンと甘食。涙が出るほどうまかった。今でも菓子パンは大好きだ。横浜市の自由形50m小学校3年生の記録はいまだに破られていない。

毎日毎日、朝から晩まで腹がへっていた。プールで泳げばさらに腹がへることがわかっていても泳いだ。ぶっ倒れそうなほど腹がへり、プールの近くの駄菓子屋の玉子屋で、店番をしているばあさんの目を盗み、おでんをかっぱらって喰った。ちくわぶと玉子とダイコンとさつま揚げとジャガイモ。腹一杯になるまで喰った。帰ろうとする私の背中に店番のばあさんが声をかける。「もっと食べな。おかあちゃんの分、持って帰りな」と店番のばあさんは言い、アルマイトの大きな鍋にあふれるほどおでんを入れて持たせてくれた。ビンボーは町内中に知れわたっていたのだ。

昭和湯の入口脇に出ていた焼鳥の屋台から流れてくるにおいにはくらくらした。タレの皮焼きやシロモツやネギマを何十本もおごってくれたズーズー弁の出稼ぎ土方のあんちゃんはどうしてるかな。死んじまったろうな。いつも呑んだくれていたからな。昭和湯は平成になる前に廃業した。廃墟となった銭湯の造作とオバケ煙突は残っていて、往時の残像残影を偲ぶことはできる。

日も暮れて、おなじビンボー長屋のやつらが晩めしの支度をしている。いいにおい、いい音。私の母親が作る晩めしは来る日も来る日もおなじにおい、おなじ音だった。救いは母親がビンボーをたのしんでいるのではないかというくらいあかるいことだった。Funny&Funky. 歌い、泣き、怒り、怒鳴り、最後は笑っていた。

母親は八百屋のミドリ屋青果店でもらってきた菜っ葉の切れ端や野菜くずを炒め、タラコを焼きながらTennessee Waltzを歌っていた。いい声、いい歌。いつしか「ただいま」のかわりにいっしょにTennessee Waltzを歌うようになっていた。

まともなめし、うまいめしを喰わせてやる前に母親はBye, Byeしてしまった。中学2年の秋だった。Bye, Byeしたときは怒りを炸裂させただけで、塩味ダイヤモンドはひと粒もこぼしていない。のちに、Tennessee Waltzが恋人を奪われた痛みと苦しみと悲しみの歌なのだと知り、泣いた。どうりで、母親もTennessee Waltzを歌いながら泣くことがあったはずだ。Tennessee Waltzと母親の涙と穀潰しろくでなしスケコマシ女たらしの生物学上の父親。すべては腑に落ちた。

ビンボーと1時間15円の市営プールとおなじにおい、おなじ音の晩めしとTennessee Waltz. それが昭和の思い出だ。

みんなビンボーだった。どいつもこいつも胸を張って、あるいはうつむいて、あるいは恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに、あるいは楽しそうにビンボーだった。それでも、食うために生き延びるために一所懸命に生きていた。それが昭和という時代だ。

昭和はとっくの昔に終わり、次の平成も終わろうとしている。だからどうした八百屋の五郎。平成のビンボーはコソコソと隠れるようなひと眼を忍ぶビンボーだった。令和の時代のビンボーはどんなビンボーになるんだろうな。

この国には夢もチボー家の人々がビックリしたなーモーモー偶蹄目で腰を抜かしてチビるくらいにチボーもないから、そして、ビンボー人のこどもは親よりさらにビンボーになるから、ビンボーはなくならないが、あかるいビンボーだったらいいんだけどな。古今亭志ん生も言っている。ビンボーにもクオリティがあるって。

貧乏長屋の共同炊事場から聴こえたTennessee Waltzはビンボーといっしょに昭和のあっけらかんとして突き抜けた夏空の彼方に消えていった。


Tennessee Waltzも昭和のビンボーも昭和のビンボー人も愛しい。恋しい。静かに寄り添い、やさしく抱きしめて、そっと頬ずりしたい…。しかし、決して埋葬はしない。もちろん、追悼も。自分が生きてあるかぎり、昭和は自分の中で生きつづけるのだから。平成だって大正だって明治だって江戸だっておなじだ。すべての時代は生きている人間の血となり肉となって生きている。その理屈道理がわからない唐変木は豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ! 豆腐屋の四季のパアフゥーのラッパで葬送の曲、野辺送りのうたくらいやってやるから。

なにはともあれ、昭和と平成とすべての時代にTennessee Waltzで乾杯だ。Here’s is looking at you, SHOWA!

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Recipe: Tennessee Waltz
Creme de Cacao Brown(BOLS) 40ml
Grenadine Syrup 10ml
Soda 2dash


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*ポンコツ小娘の広瀬すず。期待度ZEROだったが、令和初のNHK朝ドラの『なつぞら』の第1回の冒頭ではそこそこの芝居をしていた。ツラも声も少しだけだがよくなった。いずれにしても、役者としての才能も伸び代もないが悪意敵意を留保して生ぬるく観察計測することにした。

Tennessee Waltz - Connie Francis (1959)
 
# by enzo_morinari | 2019-04-01 10:22 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)

GRIP GLITZ/ヌッコロシ停滞し、ウソとウゾと甘草とも萱草とも『余は烏賊を煮て鱚と螽斯となりし乎』の鑑三とも異なるカンゾー先生ことアンゴ先生、その実、堕落本然院実在居士に別れを告げる。

 
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踊り、溺れろ。Hazzy Miccoo
I suppose it's a bit too early for a Death.
GRIP GLITZ a.k.a. Villain Scoundrel/My name is GRIP GLITZ. I am Villain Scoundrel.


3日も殺していない。ウズウズする。ハンパなく、紀文のはんぺんを肴にウゾを立てつづけに42杯あおりたい気分だ。ウゾとはんぺんと私=殺しガマン。

私にとって殺すことは日常だ。殺せないことは断腸である。であるがゆえに、荷風翁の断腸亭日乗はおもしろい。濹東綺譚も。隅田川は決壊してしまえばいい。浅草神社のお社につづく石畳のど真ん中には四角く結界があるが、三々五々、つまりは三三五五垂楊に映じて採蓮曲を謡いながら参詣する善男善女艱難汝弱肉強食焼肉定食暴行傷害ヤキ入れ低所得者には頭を大きくしてパッチギを喰らわしたい。特にいけ好かない野郎選手権王者のミミズクの恨言の居残り佐平次と井筒和幸のヘッポコスカタン木偶の坊には。

そんなこんなで、傍でクリント・イーストウッドとジュリアーノ・ジェンマが夕陽に染まる荒野で連れション・オソロオキニ・コラボしたいとクレームをつけまくっているという事情もあるし、ふたりに荒野のガマン/夕陽のガマンをさせておくわけにもいかないし、わたしのガマンの限界利益率もヤバイことになってきているのでみつくろっって殺してくる。ひさしぶりに、ラオスの反政府ゲリラの兵士のフレッシュ・レバ以来、マークのフレッシュ・レバをハンニバル・カニバル・レクター風にアレンジして啜り喰おう。

カンゾー先生こと鮟鱇の肝好きのアンゴ先生、その実、堕落本然院実在居士みなさまのお墨付き肝臓が破裂したら、だれかむさぼり喰って、サイコーの晩餐/L'ultima Cenaにしてくれ。

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Corruption/堕落 初音ミク
 
# by enzo_morinari | 2019-04-01 06:39 | GRIP GLITZ | Trackback | Comments(0)