いつからか、エッダ・デル・オルソが歌う『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』の劇中歌であるエンニオ・モリコーネの『Friendship and Love』がずっと頭の中で鳴っている。小さな音で。静かに。消え入るように。霞むように。二度と取りもどすことのできない宝石のような思い出のように。
横浜馬車道の東宝会館で『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』をみて以来のことだから、1984年以降ということになる。もう39年にもなるか。
1984年。若かった。嵐のような裏切りと諍いのただ中にあった。それまでおぼろげながらもあった世界と人間に対する信頼が木っ端微塵に消し飛んだ季節だった。世界は冷酷と裏切りと強欲と無関心とで出来あがっていることを知った。
世界と人間と未来は信ずるに値しないと確信するに至るつらい日々だった。だが、そろそろ「砕け散った心と夢のかけら」をひとつ残らず回収する頃合いだ。失われたもの、砕け散った夢、傷ついた心をいつまでも抱えているわけにはいかない。すべては過程の中のひとコマにすぎない。
母一人、子一人で育った。14歳、中学2年の秋に母親が死に、以後、一人で生きてきた。人間は狡くて、嘘つきで、陰険で、冷酷で、意地悪で、強欲で、汚いと思っていた。世界を怨み、羨み、妬み、憎んだ。世界は怯懦と不信と裏切りと卑劣と冷酷と残虐と狡猾と憎悪でできあがっていると思いつづけた。明日など信じられなかった。信じたくもなかった。
でも、そうじゃない。いやなことばかりじゃない。いやな奴らばかりじゃない。数少ないけれども、私が考えていた人間や世界の反対側に、深く鋭く強く熱く暖かく静かに豊かに健やかに、呼吸し、気持ちよく笑い、心の底から笑い、ダイヤモンドの涙を流し、いい風に吹かれ、いい風を送り、慈しみ、慈しまれ、些細なことに心ときめかせ、心ふるわせ、傷つきながらも生きている者たちがいる。
いま、ようやくにして信じようと思う。愛そうと思う。人間を。世界を。未来を。ささやかではあっても、愛し、愛され、思い、思われ、慈しみ、慈しまれる幸福を。
人間は信じるに値する。世界も信じるに値する。未来も信じるに値する。だから、生きつづけようと思う。生きつづけてほしいと願う。
東の空が白みはじめた。夜明けだ。幾千億回目かの朝がやってくる。幾千億回の朝がきてもなお、「僕らの場所」への道のりはまだ遥かに遠く細く険しい。遠く細く険しいけれども、「僕らの場所」への道筋は確かにある。はっきりと見える。
「僕らの場所」にたどり着くまでには幾度も2000トンの雨に打たれ、何度も本当の夏に本当のさよならをし、おいしく楽しく健やかなごはんをたくさん食べなければならない。明日、世界が滅びるとしても、今日、我々は林檎の苗を植えなければならない。
Edda Dell'Orso & Ennio Morricone - Friendship and Love(from "Once Upon a Time in America")