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ポンコツ古本屋への訴訟の嵐作戦

 
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その古本屋の店主はポンコツ美大出の気取り屋で、最終団塊世代だった。いい年をこいて、長髪で金輪際似合わぬ髭を生やし、スカしたメガネをかけている。よくアゴがまわり、愚にもつかない能書き御託寝言たわ言を並べたてた。退屈で辛気くさくて新味に欠け、陳腐でありきたりだった。いつも、ゴミ屋/クズ屋/せどり屋ふぜいがなにをぬかしやがるとムカッ腹が立ち、虫酸が走った。

その古本屋の店主は造本作家/装幀家としていくつかのショボくれた仕事をしているが、杉浦康平や戸田ツトムや平野甲賀や菊地信義の100万分の1の価値もないものだ。はっきり言えば1mmの価値もない仕事。腹にすえかねて、なんのかんのとイチャモンをつけることにした。訴訟の嵐作戦だ。キラー・テーマは感染症。業務上過失傷害で刑事告訴もしてやるかな。判例がなけりゃ、つくればいい。ガサ入れの画像/動画をさらすのも一興だ。行政に業務停止命令を出させるという手もある。

早速、内容証明ならびに不法行為に基づく損害賠償請求訴訟の訴状の起案と疎明資料の収集に取りかかった。毒樹の果実もなんのその。あらゆる法令、あらゆる条例政令、あらゆる手練手管を駆使してやろう。手加減なし/容赦なしで。ミシュレの言う威光があまねきためにみずから首をくくってしまうまで徹底的に。それが私のModus Operandiである。

管轄裁判所を沖縄か北海道にでもしてやればすぐに根を上げるだろう。いっそ、ニューヨークの連邦地裁かパリの地方高等法院にでも訴訟提起するか。新しい遊び場がまたできた。Ψ(`▽´)Ψ


Ascenseur Pour L'Echafaud(Generique)/死刑台のエレベーター - Miles Davis (1957)

Killer Joe - Benny Golson
 
# by enzo_morinari | 2024-04-03 13:57 | 訴訟の嵐作戦 | Trackback | Comments(0)

エデンの園から来た大富豪の老人 ── 延命治療は不要である。緩和ケアもしてはならない。私は罰せられなければならない。

退院連絡票と投薬説明書を読んでいるときだった。向かいのベッドに横たわるエデンの園から来た大富豪の老人の声を初めて聞いた。老人の声は嗄れていたが、威厳と自信があり、手加減なし容赦なしだった。老人を直視するのはためらわれた。怖かったと言ったほうが正しい。老人は看護師を瞬きひとつせずに見据えて言った。

「延命治療は不要である。緩和ケアもしてはならない。私は罰せられなければならない。」

耳を疑う言葉だった。エデンの園から来た大富豪の老人はディメンシアでもアルツハイマーでもなく、精緻に自分の死と生に向き合っていたことがわかった。
# by enzo_morinari | 2023-10-22 04:45 | エデンの園から来た大富豪の老人 | Trackback | Comments(0)

村上春樹の双子の弟の夢の話

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村上春樹には双子の弟がいる。村上冬樹だ。村上春樹は4242、村上冬樹は4243。村上春樹/4242と村上冬樹/4243は驚くほど似ていない。二卵性の域を超えている。あえて似ているところを探すとひとつだけある。年老いたカワウソの雰囲気を漂わせている点だ。赤の他人のほうがまだ共通点/共通項があるとさえ言える。なぜそこまで似ていないかと言うと、父親がちがうからだ。だが、それは別の物語である。

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「いつもおなじ夢を見る」と言って村上春樹の双子の弟は話しはじめた。

村上春樹の双子の弟がみている夢はおおよそ次のようなものである。

由利徹によく似た塗壁男が長いあいだ二重の壁を作りつづけている。壁と壁のあいだの40cmほどの空間には7組の双子が住みついている。208と209、クレタとマルタ、クレハとサラン、ヒップとホップ、グリップとグリッツ、丸太と鷹太、そして、川オターと海オターだ。

彼らはいつも大きな声でおしゃべりをしている。双子世界のことや双子世界の未来のことや双子秘密結社設立のことや大西洋に沈んだ双子大陸のことや双子のパン屋を襲撃することや双子のメリットとデメリットについて。

双子たちがいくら大声でしゃべっても、塗壁男はまったくそのことに気づかず、無言で煉瓦を積みつづける。

村上春樹の双子の弟の夢の話はまだまだつづきそうだったが、NHKの緊急速報で村上春樹が滞在先の不確かな壁の内側にある街のツインズ・タワーで心不全を発症し、屋上から蝙蝠傘を持って飛び降りたために急死した旨のテロップが流れた。ほぼ同時に村上春樹の双子の弟は太平洋戦争期の落下傘を喉に詰まらせ、息も絶え絶えに「…林直子さんと鼠くんと指のない女の子と羊男と208/209とクレタ/マルタの双子の姉妹とノルウェイの森と地下鉄銀座線で暗躍する大猿とデッドヒートする回転木馬とTVピープルとチャイナのC席と青山通りから12本目の銀杏の樹の下のベンチと青い珊瑚礁の早起き鳥とねじまき鳥と泥棒かささぎとミシュレの魔女と25メートル1杯分のビールとJ’s BARの床一面の敷きつめられた南京豆の殻とグレン・グールドの1955年盤の『ゴールドベルク変奏曲』と1973年のピンボール・マシン、スリーフリッパーのスペースシップの呪いだ...」と言い残して死んでしまった。

村上春樹の双子の弟の夢の話を最後まで聞けなかったのはかえすがえすも残念でならない。村上春樹/4242と村上冬樹/4243を産んだ女性は驚くほど年老いたカワウソに似ている。私? 私は二重の壁を無言で作りつづけている塗壁男だ。由利徹には似ていない。ユーリ・ヤコヴレヴィチ・アルバチャコフに似ていることが原因でWBCからザイール共和国のキンシャサでジョージ・フォアマンと対戦するようにとの内容証明郵便を送りつけられたことがある。

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# by enzo_morinari | 2023-09-27 02:34 | Twins Tail Tale | Trackback | Comments(0)

世界中が敵にまわっても裏切らず、背を向けず、手のひらを返さないものを探して秘密の森を歩く。

 
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侵しても、灼いても、踏みにじっても、森はいつも静かにそこにいる。

世界中が敵にまわっても裏切らず、背を向けず、手のひらを返さないものを探して秘密の森を歩く。

夜の闇があなたを見守ることができるように。夜の闇はいつもそこにいて、いつも見守っている。


重要なのは森を歩き、樹木や草花や生きものたちと話し、考えることである。秘密の森はあたたかく、深い。

まだ間に合うか? まだやりなおせるのか? 秘密の森を歩きながら、世界中のありとある樹木、草花、生きものたちが歌い、奏でるかなしみと慈しみのノクターンを聴きながら考える。

おそらくは、まだおそくはない。


Secret Garden - Nocturne (Inside I'm Singing/2007)
 
# by enzo_morinari | 2023-09-24 19:01 | 秘密の森を歩く。 | Trackback | Comments(0)

砕け散った心と夢のかけらをひとつ残らずひろいあつめて。幾千億回の朝がきてもなお。

 
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いつからか、エッダ・デル・オルソが歌う『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』の劇中歌であるエンニオ・モリコーネの『Friendship and Love』がずっと頭の中で鳴っている。小さな音で。静かに。消え入るように。霞むように。二度と取りもどすことのできない宝石のような思い出のように。

横浜馬車道の東宝会館で『Once Upon a Time in America/昔々、アメリカで』をみて以来のことだから、1984年以降ということになる。もう39年にもなるか。

1984年。若かった。嵐のような裏切りと諍いのただ中にあった。それまでおぼろげながらもあった世界と人間に対する信頼が木っ端微塵に消し飛んだ季節だった。世界は冷酷と裏切りと強欲と無関心とで出来あがっていることを知った。

世界と人間と未来は信ずるに値しないと確信するに至るつらい日々だった。だが、そろそろ「砕け散った心と夢のかけら」をひとつ残らず回収する頃合いだ。失われたもの、砕け散った夢、傷ついた心をいつまでも抱えているわけにはいかない。すべては過程の中のひとコマにすぎない。

母一人、子一人で育った。14歳、中学2年の秋に母親が死に、以後、一人で生きてきた。人間は狡くて、嘘つきで、陰険で、冷酷で、意地悪で、強欲で、汚いと思っていた。世界を怨み、羨み、妬み、憎んだ。世界は怯懦と不信と裏切りと卑劣と冷酷と残虐と狡猾と憎悪でできあがっていると思いつづけた。明日など信じられなかった。信じたくもなかった。

でも、そうじゃない。いやなことばかりじゃない。いやな奴らばかりじゃない。数少ないけれども、私が考えていた人間や世界の反対側に、深く鋭く強く熱く暖かく静かに豊かに健やかに、呼吸し、気持ちよく笑い、心の底から笑い、ダイヤモンドの涙を流し、いい風に吹かれ、いい風を送り、慈しみ、慈しまれ、些細なことに心ときめかせ、心ふるわせ、傷つきながらも生きている者たちがいる。

いま、ようやくにして信じようと思う。愛そうと思う。人間を。世界を。未来を。ささやかではあっても、愛し、愛され、思い、思われ、慈しみ、慈しまれる幸福を。

人間は信じるに値する。世界も信じるに値する。未来も信じるに値する。だから、生きつづけようと思う。生きつづけてほしいと願う。

東の空が白みはじめた。夜明けだ。幾千億回目かの朝がやってくる。幾千億回の朝がきてもなお、「僕らの場所」への道のりはまだ遥かに遠く細く険しい。遠く細く険しいけれども、「僕らの場所」への道筋は確かにある。はっきりと見える。

「僕らの場所」にたどり着くまでには幾度も2000トンの雨に打たれ、何度も本当の夏に本当のさよならをし、おいしく楽しく健やかなごはんをたくさん食べなければならない。明日、世界が滅びるとしても、今日、我々は林檎の苗を植えなければならない。

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 Edda Dell'Orso & Ennio Morricone - Friendship and Love(from "Once Upon a Time in America")
 
# by enzo_morinari | 2023-09-22 13:15 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)