虹の領分 ── Love Sick

 
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ジカングスリが効かない失われし恋の病もある。恋の数だけある。星の数ほどある。処方箋は虹の領分に属する。E-M-M


Love Sick - LGYankees (Feat. 中村舞子)

 
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# by enzo_morinari | 2014-08-01 08:04 | 虹の領分 | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#4 ジャングル・ブギー

 
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風が強くなり、冷たくなって、とうとう雨が降りだす。雨粒がソバージュネコメガエルの顔に立てつづけにあたる。ソバージュネコメガエルはからだをぷるぷるっと震わせる。眼を半分ほど開けて横目でじろりと私を睨む。そして、おもむろに口を開き、ややくぐもったような声で「ジェーエイチダブリュエイチ」とつぶやいた。

ジェーエイチダブリュエイチ? なんだ? JHWH? 暗号か? 神聖四文字か? 神のことか? 幻聴か? 福音か? 啓示か? 呪文か? それとも、なにかの前触れか? なぜカエルがしゃべる? 原因はまたきゅうりなのか? きゅうりといえば河童だ。カエルではない。

私が不審さ満載で見ていると、ソバージュネコメガエルは今度は明瞭に「La Pensée sauvage」と言った。「ジェーエイチダブリュエイチ」のときよりも大きな声で。

試しに「野生の思考」と言ってみる。ソバージュネコメガエルは胸を張り、即座に「クロード・レヴィ=ストロース」と答えた。とてもいい発音だった。ネイティヴと言ってもいいくらいだ。特に、ストロースの「ロース」のところがいい。「Tristes tropiques」と私が言うと、「悲しき熱帯。でも、Tropiques の発音が悪いです」とソバージュネコメガエルは気難しいフランス語のフェメ教師のようにぴしゃりと言った。

「驚いたな。わたしの言うことがわかるんだね?」
「はい。言うことだけではなく考えていることも」
「またまた驚いた」
「ぼくも驚いてます。ぼくの言うことがわかる人間に会うのはあなたで3人目です」

風と雨足が強くなる。寒いくらいだ。

「寒くないかい?」
「すごく寒いです」
「だろうね。たしかきみは寒さにすごく弱いんだろう?」
「はい。半分砂漠のようなところで育ちましたから」
「ぼくの家にくるかい?」
「うーん。どうしようかな」
「ぼくの家は冷たい雨と強い風の日のパンタグリュエリヨン草の葉っぱの上より居心地はずっといいはずだよ。保証する」
「いじめない?」
「いじめないよ。きっとたいせつにする」
「へびはいない?」
「いない。へびは大嫌いだ」
「人間のこどもは?」
「いない。人間のこどももあまり好きじゃない。いるのはぼくとポルコロッソと奥さんだけ」
「奥さんはどんなひと?」
「まちがいなく宇宙で一番やさしくてファンキーでファニーで豊かで心の広いひとだよ。美人だし。1回死んで生き返ってるし」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
「ぼくのこと、好きになってくれるかな?」
「きっとなるさ。ぼくの奥さんはカエルが大好物なんだ」
「ぼく、食べられちゃうの?」
「冗談だよ」
「わかってますって。虹子さんがカエルを食べたりするひとじゃないことくらいわかります。虹子さんが大のきゅうり好きだってことも」

そこで初めてソバージュネコメガエルは笑った。胸の奥に100W電球が灯ったようなあたたかな笑顔だ。

「どうして虹子ちゃんの名前がわかったんだろう? それにきゅうりのことも」
「さっき言ったでしょう? ぼくはあなたの考えていることがわかるって。あなたの脳みその中にダイブしたんですよ」
「ああ、なるほど」
「ちょっと酸っぱかった」
「え?!」
「あなたの脳みそ。遠くのほうで酢豆腐さんがエピキュア・チーズを肴に般若湯で湯浴みしながら寿手練経を唱えてるみたい」
「わけがわからないけど、とにかくすごく酸っぱくて臭そうだ」
「問題はあなたなんです。あなたはとても不安定だから」
「うーん。たしかに。でも、きみにはかならずやさしくする。誓うよ」
「心変わりしない?」
「しない」
「約束ですよ」
「約束だ」
「誓ってください」
「何に誓えばいい?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に」
「誓います」
「ちゃんと言葉にしてください!」
「わたしは宇宙を支配する巨大な意志の力に誓って彼をたいせつにします! やさしくもします!」
「ちゃんとごはんもくれる?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に誓ってごはんもあげます!」
「じゃあ行きます」

私はソバージュネコメガエルをそっとつまみ上げ、左の手のひらの上にのせた。少しひんやりとしていたがソバージュネコメガエルの命の輝きのようなものが手のひらを通し、腕を伝い、全身に広がってゆくように感じられた。

ポルコロッソがうれしそうに尻尾をふり、何度も吠える。風がやみ、雨があがり、雲の切れ間から幾筋もの光が射しはじめる。壊れ物を扱うようにソバージュネコメガエルを手のひらにのせ、虹子の待つ家に急いだ。遠くから Kool & the Gang の『Jungle Boogie』のリフが聴こえてきた。そのさらに遠くで笠置シヅ子が「ウワオ ワオワオ ウワオ ワオワオ」と吠えていた。

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Jungle Boogie (1973) - Kool and the Gang
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-30 09:48 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

レッド・テープをぶった切れ! ── 救国のテロリスト、殺戮のロジック、ふたつの堆積物が交差する場所

 
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虚偽が罷りとおる時代に "真実を語ること" は革命的行為である。G-O


「俺はメッセンジャーだ。救国のメッセンジャーなんだ」

夜明け前。東京/霞が関。救国のテロリスト/役人首狩り族の王は潮見坂の頂上から財務省と外務省の薄汚れた庁舎を見下ろしながら独りごち、迷彩服の上から生き物のようにうねる巨大なアルチザン・チタニウム・ダガーを撫でる。哲の馬 Philosocycle による日々のトレーニングできれいに脂肪の殺げた躯体は精神と直結し、ひと振りの白刃のように研ぎ澄まされている。

アルチザン・チタニウム・ダガーの冷厳冷徹な「殺戮のロジック」はタフな戦闘服の生地を通しても伝わってくる。首都高速を行き交う車の走行音は救国のテロリスト/役人首狩り族の王の耳には一切入らない。

ひとしきりアルチザン・チタニウム・ダガーの「殺戮のロジック」を味わってから、救国のテロリスト/役人首狩り族の王は首からぶら下がっているドゥ・マゴ、二体の中国人形を握りしめる。

二体の中国人形。ふたつの病い。あるいはふたつの堆積物が交差する場所。

「俺のメッセージは必ず届く。俺のメッセージは手加減なし容赦なしだ。俺のメッセージは木っ端役人どもにとっては "死のメッセージ" だ。メッセージを届けたあとは遠く遥かに霞む幻視の海へ漕ぎ出す」

メッセージをドロップオフする刻限が間近に迫っている。

「殺人、殺人予備、殺人教唆、殺人幇助、内乱、内乱予備、内乱陰謀、内乱幇助、特定秘密保護法違反、破壊活動防止法違反、組織犯罪処罰法違反、脅迫、銃刀法違反。罪状はいったいいくつつくかな。今からたのしみだ。捕まれば当然に極刑、死刑がお待ちかねだが、こちらが失うのは自分の命だけだ」

南麻布の官舎を出たマークのピックアップされた生首が潮見坂の街路樹に晒されるまで、あと18時間。
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-26 04:53 | レッド・テープをぶった切れ! | Trackback

ならず者のうた、命知らずの日々 ── 人生の最終目的地は絶景社交倶楽部

 
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木陰でひと休みしたいから道端の麦わらをどけてくれよ。
こんなことだからいつまで経ってもどこにもたどり着けないんだ。
R-M-M-F

きのうはアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かった。
きょうもアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かう。
あしたもアルト・セドロからマカネへ行き、クエトに着いたら次はマヤリーに向かう。
R-M-M-F

人生は考えているよりもずっとシンプルで、思っていたよりもはるかに景色がいい。E-M-M


エル・パソを出発したらエル・カミーヨに向かう。エル・カミーヨでは肉がシコタマ入った部厚いトルティージャとタコスを喰う。でっけえマントル海老がごろごろしててニンニクがバッチリきいたアヒージョもだ。腹とゼニに余裕があるならカジョスも喰うぜ。晩めし用にゃパエーリャをお持ち帰りだ。エル・カミーヨのパエーリャは冷めてもうまい。おれの知るかぎり、エル・カミーヨのパエーリャは南半球一だ。

エル・カミーヨを出たら、あとはエル・カルロスカスタネダを目指して、ずっとトパンガ・ケイヨンロードを行く。真っ直ぐな道。どこまでもどこまでもつづく真っ直ぐで赤茶けた道。なにも考えなくてすむ分、人生はずっとシンプルになる。

おれは人生をシンプルにするためにエル・パソを出て、エル・カミーヨで肉のぎっしり詰まったトルティージャを喰い、エル・カルロスカスタネダを目指してトパンガ・ケイヨンロードを走る。それで人生はずっとシンプルになる。景色もよくなる。絶景と言ってもいい。その繰り返しだ。それがおれのようなデスペラードの人生の日々だ。Djobi Djobaだ。

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おれたちデスペラードの人生に追い越し車線は用意されちゃいない。追い越し車線はカネのある奴らや力のある奴らやお上品なおセレブ様方専用だ。おれのようなデスペラードはいつだって追い越されるばかりだ。

でもよ。そんな人生もなかなかどうして捨てたもんじゃない。おれを追い越していった奴らの煤けた背中、うそとインチキとまやかしときれいごととおべんちゃらとクソにまみれた後姿を拝んで、ああでもないこうでもないとジャグリングして、ジャイブして、ジョークにすることができるんだからな。これでどこにでも持ち歩けるおれ専用のジュークボックスでもありゃあ、言うことなしだ。そのジュークボックスにブエナビスタ・ソシアルクラブとイーグルスとGipsy Kingsとグスターボ・サンタオラージャのレコードが全曲入っていたら天国にいるも同然だ。HIP HOPだあ? それってうめえのか? おれの街では犬のエサだ。

おれがなにを言ったところで奴らには聴こえないし、届かない。第一、奴らには他人様の声を聴きとれるだけの耳がないんだ。ざまあみろってんだ。おまえたちに聴こえないのをいいことに、おれはいつもおまえたちを嘲り笑っているという寸法だ。そして、おれはいつか必ず訪れるインスピレーション、閃きを待つ。Gipsy Kingsの『Inspiration』をカーラジオで聴きながらな。おれはファニカとチャンチャンたちのように生き、ファニカとチャンチャンたちのようにくたばるんだろうさ。

ファニカとチャンチャンたちのように生き、ファニカとチャンチャンたちのように死にたいとずっと思いつづけてきた。あるいはジプシー・キングスの『閃き』のように。感傷やニートさや曖昧さのない生と死。あるのは事実だけ。リアル。レアル・マドリードのような、ロス・ガラクティコスのような完全無欠のリアル。

余計なことを一切考えなくていい人生。手加減も容赦もない光。赤茶けた道。乾いた風と空気。アクースティック・ギターの音。絶望さえ手のひらの上で転がすことのできる日々。希望やら平和やら友愛やらを躊躇なく世界の果てに向けて蹴り飛ばせる心。デラシネが耳元でやけに明るい声で「死ね死ね」と囁く日々を。

海辺の街では砂を篩にかける。粒の細かい砂だけを選り分ける。細かければ細かいだけ高く売れる。トルティージャを1枚多く喰える。そんな日々、そんな人生。文句のつけようがないほどに乾いてリアルで研ぎ澄まされた人生の日々だ。

余計なお荷物はエル・ドラドにまとめて捨ててきた。いまごろ、だれかが拾っているだろうよ。おれにとっては役立たずなガラクタでも、ほかのだれかにとってはお財宝かもしれないしな。だれかが捨て、だれかが拾う。それでいい。それが世界の仕組みだ。世界はそんな風に出来あがっているんだ。単純だが「永遠の真実」ってやつだ。

そして、最終的におれが目指すのは、おれの人生の目的地は絶景社交倶楽部だ。ほかにはなにもない。必要もない。絶景社交倶楽部にたどり着くことができれば、おれは死んだっていい。

その日のために、おれはきょうもエル・パソを出発してエル・カミーヨに向かう。エル・カミーヨでは肉がシコタマ入ったトルティージャを喰う。エル・カミーヨを出たら、あとはエル・カルロスカスタネダの町を目指して、ずっとトパンガ・ケイヨンロードを行く。真っ直ぐな道。どこまでもどこまでもつづく真っ直ぐで赤茶けた道。きょうも人生はシンプルで、いい景色だ。

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ならず者のうた、命知らずの日々
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-16 06:04 | ならず者のうた、命知らずの日々 | Trackback

飛ぶ豚はいつかどこかに着陸するが、飛ばない豚はどこにも行けない。喰われるのを待つだけだ。

 
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飛ばない豚はただの豚だ。捨てない人間はただの馬鹿だ。


「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も吾輩の係ではない。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだと? 何度でも言う。寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない吾輩自身のリアルをグリップすること。それが吾輩にとって意味を持つ。

物心ついたときからどんどんじゃかすか色んなものを捨ててきた。用がなけりゃ捨てる。当然だ。縁だって捨てた。手加減なし容赦なしで。女房だって娘だって息子だって女だってともだちだって本だってレコードだって捨てまくってきた。大好きな犬さえ捨てたことがある。ヨチヨチ歩きの仔犬を。

赤鬼でも青鬼でもない。捨鬼だ。おかげでいつだって引っ越しは楽チンのチンだった。そうやって数知れぬ別れを繰り返してきた。経験と言えば言えなくもないが、勧めない。ろくなことがないからだ。心だって痛む。鬼の目にも涙だ。

よく捨てることが拾うことに通じるだの、別れて道が開けるだのという生臭坊主が言いそうなことを経験の「け」の字も知らぬような甘ちゃんがぶっこくのを見聞きするが、そのたびに臍が独創茶を沸かす。甘っちょろいのはピントだけにしておけてんだ。

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ここ20数年、身悶え、身も凍るような存在感を持った人物を見かけないのは簡単にお手軽に捨てることが大手を振ってまかり通っているからだろう。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

そう簡単に捨てられるなら、別れられるなら、切れるなら、それは元々必要のないものだったんだろう。必要のないものをあれもこれもとぶら下げて得意になっていたんじゃないのか? そういうのを骨折り損のくたびれ儲けてんだ。明瞭簡潔に言うなら愚か者、馬鹿者ということだ。おぼえとけ!

捨てるとき、切るとき、別れるとき。胸のど真ん中あたり、ずっと奥のほうがずんと疼く。痛む。それでいい。なんの不思議もない。別れ別れになるんだからな。以後は一切の関わりがなく、まったく別の道を歩くんだからな。死のうが生きようが、焼いて喰われようが煮て喰われようが知ったこっちゃない。捨てる/切る/別れるとはそういうことだ。

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# by enzo_morinari | 2014-07-15 08:34 | 沈黙ノート | Trackback