サーフ天国、スキー天国、AOR天国

 
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20代前半、松任谷由実の『サーフ天国、スキー天国』で、先頃帰らぬ人となった須藤薫が歌う「SURF & SNOW」というバック・コーラス部分を聴くたび、オフショアに吹かれて波乗りをしたくなり、エッジに息を吹きかけて磨いてスキーをしたくなったものだ。実際に『サーフ天国、スキー天国』を聴いて思い立ち、稲村ケ崎や七里ガ浜や千葉や伊豆へ波乗りをしに行き、苗場や白馬や蓼科や志賀高原や天元台へスキーをしに行った。

波がないときは息の根を止める寸前、猛烈極悪の唸りをあげるクーラーをMAXにきかせたポンコツのカルマンギヤの中で音楽を聴いた。ジャズと古典楽曲が中心だったが、当時流行りのAORやフュージョンも聴いた。

ビル・ラバウンティ、ロビー・デューク、ポール・デイヴィス、マイケル・フランクス、ジョーイ・マキナニー、クリストファー・クロス、グレッグ・ギドリー、アール・クルー、ボビー・コールドウェル、ランディ・ヴァンウォーマー、10CC、エア・サプライ等々。

NIAGALA TRIANGLE一味のうち、山下達郎と大瀧詠一もよく聴いた。いまでは笑い話だが、当時はウェスト・コーストの上げ底たっぷりなイラストが描かれた大瀧詠一のアルバム・ジャケットを「王様のアイデア」あたりで仕込んだミント系、パステル系のチープきわまりもないプラスチック・フレームに入れて飾っていた。イラストは鈴木英人だったと記憶する。

部屋にはほかにデコイやパーム・ツリーのフェイクものがあった。だれにでも過去の恥、傷というのはあるものだ。そして、その恥と傷からなにごとかを学ぶのだ。

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松任谷由実と吉田美奈子は定番中の定番だった。二人のほかに種々雑多雑食な取り合わせの音楽を聴きながら、本を読むか考えごとをするか小説の構想を練るか勉強するかしていた。雪がないときや雨が降ってべた雪のときはロッジの脇にポンコツ・カルマンギヤを停めて音楽を聴いた。寝袋にくるまって。ロッヂで寝ないのかって? ロッヂは寝るところじゃない。クリスマスを待つところだ。

思えば、ターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14は吾輩の書斎であり、リスニング・ルームであり、リヴィングであり、寝床でもあったわけだな。清貧極まりもない居住空間だったことよ、我が友カルマンギヤは。最後は深夜の本牧D埠頭で脇腹から側壁に激突して大破し、ずいぶんとかわいそうなことをしてしまった。いつか手向けに行かなくては。

サーフボードはピュア・ブラックの地にピュア・ホワイトの稲妻が入ったライトニング・ボルトのワンメイクの特注品だったが、スキー板はSALOMONやらELANやらATOMICやらをゲレンデ、雪質によって使いわけていた。SALOMONもELANもATOMICもロゴがイカしていたからという理由だけで選んだにすぎなかったわけではあるが。

スキーブーツにはかなり贅沢をした。SALOMONがシェルとインナー別体成形の画期的なモデルを出して業界をあっと言わせた時代だ。どのスキー・ショップに行ってもSALOMONは別格扱いでプレゼンテーションされていた。もちろん、いい値段だった。大卒の初任給ひと月分が吹っ飛んでしまうようなフラッグシップ・モデルもあった。あの局面で我慢できたならば、吾輩の人生ももっと別の様相を呈していたかもしれないが、もちろん、そうはならなかった。

SALOMONのフラッグシップ・モデル。フェラーリ・レッドの。買ってしまった。パラレル・クリスチャニア、ウェーデルンに毛の生えたような技術力しかない者がFISのW杯に出場するアスリートが使うレベルのギアとは恐れ入った話だが、なにごとも大事なのはスタイル、かたちだ。手に入れてからしばらくは抱いているか触っているかつねに視界の中に置いた。

シーズンオフにはサーフボードをリペアしたり、スキー板のエッジを研いだり、根岸競馬場近くにあるレストランとは名ばかりの、高いくせにくそまずい「ソーダ水の中を貨物船が通り、ナプキンにインクがにじむこと」で名高い『ドルフィン』の2階席のトイレに「ユーミンのうそつき!」と落書きしたり、港の見える丘公園の一番高い欅の樹に登って港を出入りする貨物船の数を数えたり、その形状や塗装、デザイン全般について大声で論評した。

ヤヴァ系? そうだ。吾輩は天下御免のヤヴァ系だ。耶馬渓には3度行ったことがある。真梨邑ケイには短期間だが局地的局所的に世話になった。花形敬は鼻は高えが頬に疵のある伝説の愚連隊野郎だ。

TDKかMAXELLの120分のメタル・テープにチャンプルでお気に入りの曲を録音してMY FAVORITE SONGS BOOK TAPE、「お気に入り楽曲集」を何本もつくった。1曲3分から5分として30曲前後録音できた。iPodを中心とする携帯型のディジタル音楽視聴機器が主流である現代からすればお笑いぐさだが、「120分テープ」には永遠の夏休みを閉じ込めることさえ可能な時代がかつてあったということだ。

ただ曲を録音れるのではなくて、最初に立てたコンセプト、構想に基づいて曲順を決め、各曲名の1文字目をつなげると季節やシーンに合った意味のある単語、フレーズ、パラグラフになるように選曲した。超短編小説にしたこともある。

吾輩のこのMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEは仲間内でかなり評判がよくて、リクエストがけっこうあった。季節やシーンだけでなく、相手の好みや趣味やセンスも考慮に入れてMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくった。全部で300本くらいはつくったと思う。

録音のときはドルビーのノイズ・リダクション・システムが重宝した。1枚のアルバムからは1曲のみというしばりをかけていたので手間はかかる。しかも、まだCDなどこの世に存在しない時代だ。録音レベルの自動調整機能など夢のまた夢だ。長岡鉄男だって生きていて、元気でピンピンしていて、やれスワンだ、マスだ、やれカレント電源だ、やれ鉛インゴットだと各オーディオ誌でゴマ塩頭で御宣下あそばされていたオーディオ新石器時代だ。

テープデッキ側でアルバムごとにいちいち録音レベルをセットしなおさなければならない。フルオーケストラとアクースティック・ギターのソロとではダイナミック・レンジに雲泥の差があるからだ。録音のときとは別に録音レベルを知るために曲をかけなければならないのも時間がかかる理由だった。

120分のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのに5時間はかかった。全体のおおまかな構成と曲順は決めてあるが、実際に聴いていると方針変更が生じてくる。アドリブと言えば言えないこともない。ある意味では観客なし舞台なしの即興演奏をやっているような気分だった。

他者の耳はごまかせても自分の耳をごまかすことはできない。心といっしょだ。一関ベイシーの菅原昭二は「おれは店のオーディオ・システムとレコードで演奏をしているんだ」と言っていたが、それと同じだ。その当時の吾輩にとってはMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのは新しい作品をつくるのとおなじ意味を持っていたからだ。

言葉や文字の組み合わせ方、表意文字と表音文字の意外な組み合わせによる効果、指示と表出、リズム、ひっくり返し、落ち、意識と想像力の跳躍、シニフィアン/シニフィエの関係の明瞭化、文字や言葉のヒエラルキーの構造分析、名詞の力の新発見と再発見と再確認などについてのいいトレーニングにもなった。このトレーニングによって、少なくともさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書のような言語表現をしないスキルを獲得できたのだといまにして思う。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEづくりと「はみだしYouとPia」への投稿は吾輩の言語表現修行の場、発想着想の跳躍のための修練場だった。いかにシャープに的確に明瞭明晰に意外性をもって表現するかに腐心する「されど我が日々」である。

吾輩のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEはいつしか「M'S TAPE」「Mのテープ」と呼ばれるようになっていた。「M資金」みたいでカッチョよかった。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるためにジャズや古典楽曲やポップスやAORやインストゥルメンタルなど、自分の手持ちの音源の中からメロディーや歌声や楽器の音やミュージシャンやテープの送り手の顔を思い浮かべながらの作業はとても楽しかった。

朝から作業を開始して、気づけばあたりが闇に沈んでいるというようなこともしばしばだった。おかげで、ともだちとガールフレンドを何人か失った。当然だ。作業に入ったら吾輩はろくに返事もせず、彼あるいは彼女もしくは彼らのことはほったらかしなんだから。しかし、こればかりは致し方ない。なにかに集中したら最後、吾輩は外部外界を一切合切遮断してしまうからだ。これはこどもの頃からずっと変わらない。いまもおなじだ。

吾輩のそのような姿は他者からは虫の居所が悪く、すごく怒っていて、無視しているように映るんだろう。しかし、虫の居所が悪いのでもなく、怒っているのでもなく、無視しているのでもない。集中しているときの吾輩には他者も外部も存在しないのだ。存在しないものに気を使うことはできない。そう考えるとひどいな。PASSINGでもBASHINGでもなく、NOTHINGなんだから。相手からしたらたまったもんじゃない。死ぬまで吾輩のことを憎みつづけるだろう。まあ、すべては終わったことだ。

去る者がいて、理解を示す者がいた。多くの友だちと出会い、少しの友だちが残った。それでいい。それが人生という一筋縄ではいかないゲームのコンテンツであり、サブスタンスであり、マターであり、コンテクストであり、パースペクティヴだ。

自分の人生、日々を俯瞰的にクールに眺めながらすごすのが性に合うならそうすればいいし、吾輩のように正面突破、MY WAY, MY OWN STYLEでやりすごすのもまたひとつのゲームの進め方だ。他人がとやかく口をはさむべきことではない。

アルプスを迂回するルートも存在するし、マドレーヌ峠やラルプ・デュエズ峠に果敢にアタックするアルプス越えのルートだって存在する。両者のあいだにはなにひとつ善悪、価値の高低差などない。あるのは与えられた時間/残された時間の問題と燃費の問題と流儀、掟、スタイルのちがいとマルコ・パンターニ伝説に心を動かされるか否かのちがいだけである。坂口安吾だって言っている。人間を救う便利な近道はない。

そのような日々を送るうちにいくつもの季節がすぎてゆき、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、酒の苦さを知り、数えきれないほどの音楽と映画と書物とテクストと喰いものとガラクタのような快楽群と宝石のごとき愉悦と笑いと涙と不思議な出来事がいつも吾輩といっしょだった。

いい青春? さあね。吾輩にはわからない。もっと楽しくてハッピーで和気藹々で建設的で生産的で知的でお上品でリッチでセンスのいい青春はいくらでもあったろう。だが、少なくともそれらは吾輩のスタイル、吾輩の流儀、吾輩の掟に則ったものではない。

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サーフ天国、スキー天国、そして、AOR天国。ビル・ラバウンティの『Livin' It Up』はすごくイカしてたな。デヴィッド・サンボーンのアルト・サックスもクールでソウルフルだった。ドラムスはスティーブ・ガッドだし、パティ・オースチンもバック・メンバーにいた。ほかにも超のつく豪華なスタジオ・ミュージシャンがビル・ラバウンティの脇を固めていた。『Slow Fade』『Dream on』『It used to be me』『This Night Won't Last Forever』なんかもグッときた。

Livin' It Up - Bill LaBounty (1982)

さらに忘れられないのがロビー・デューク。ロビー・デュプリーではなく、ロビー・デューク。惜しいことに、本当に惜しいことに2007年のクリスマスの翌日に死んでしまった。

クリスマス・イヴのライヴの最中にステージ上で心臓麻痺を起こし、二日後に息を引き取った。51歳と20日。今夜はロビー・デュークの曲で一番好きだった『Rested in Your Love』と『Promised Land』を交互に繰り返し聴きながら夜の果ての旅をやりすごすことにしよう。魂に届き、心にしみ、約束の地へとつづくメロディと声だ。ひな祭りの朝に逝った須藤薫にも届けばいい。


「約束の地」へは涙のステップを踏みながら、少しだけゆっくりと歩みを進めることとする。急ぐ旅でもない。

Rested in Your Love → Promised Land

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MY OWN EPITAPH FOR ROBY BIG-BOY
Roby Ward Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Please Rest and Release Your Heart in Peace Roby Big-Boy, You've Crossed The River Into The Promised Land and You'll Never Have a Broken Heart Again, Never. And I Pray for Your Sister in GOD.
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-08 01:27 | あなたと夜と音楽と | Trackback

約束の地で心安らぎたいすべての人へ

 
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ロビー・デューク『Not the Same』(1980)

Roby Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Genre: ROCK/AOR, CCM(Contemporary Christian Music)

*2007年のクリスマス・ライブ中に心臓麻痺を発症。クリスマス翌日に死去。


Roby Big Boy, Please Rest in Peace. You'll never have a broken heart again.

Rested in Your Love → Promised Land
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-07 14:43 | 真言の音楽 | Trackback

Hoka Hey! Ya Ta Hey!/戦うにはいい日、死ぬには手頃な日 ── 黒く塗れ! レッド・テープをぶった切れ!

 
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地震のあとには戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治屋がテレビでデカいことを言い始めてる。俺をバカにして戦争に駆り立てる。自分は安全なところでエラそうにしてるだけ。Imawa-No

災害のあとには甘い汁が降ってくる。甘い汁を吸いたい役人がウラでセコいことをやり始めてる。俺たちをコケにして濡れ手に粟で甘い汁を吸っている。自分たちは安全なところでハンコを押してるだけ。E-M-M


2014年7月1日夕刻。「自衛隊誕生の日」にポイント・オブ・ノーリターンは踏み越えられた。匕首で尻を撫でられた程度のかすり傷ごときで「痛いよお。痛いよお」と絞め殺されるニワトリの断末魔のような耳を劈く悲鳴を上げ(そのうち、板垣退助「板垣死すとも自由は死せず」/犬養毅「話せばわかる」は神話世界の出来事にでもなるんだろう)、首相官邸の赤絨毯の通路で衛視に両腕両脇両脚を抱きかかえられた無様な姿をさらした昭和の妖怪の孫、日本国自衛隊最高指揮官・安倍晋三によって。背後で操っているのは霞が関の魑魅魍魎どもだ。

昭和の妖怪は旧商工省出身、霞が関の魑魅魍魎あがりだった。おまえたち木っ端役人に戦場に送りこまれて死んだ兵士はもっと痛かったぞ。かすり傷ではなく、肉がちぎれ、目玉が弾け飛び、腕や脚がバラバラになったんだぞ、妖怪くん。

これでこの国に暮らす人々は「戦前」「開戦前夜」の日々を生きることとなる。「特定秘密保護法」と名を変えた新・治安維持法はすでにできあがっている。あとは徴兵制度の復活と国家総動員法の成立を待つだけだ。

いまや、日本国憲法第18条にある「その意に反する苦役」という文言は解釈によっていかようにも変えることが可能になった。ときの内閣が「徴兵は苦役ではない」と解釈し、強弁すれば憲法18条は軽々と乗り越えられる。そして、当然に「徴兵制」が我が物顔で復活する。

これから大勢の日本人が「アメリカ合衆国のための戦場」で死ぬだろう。その戦場には正義も国益もない。勝ち負けすらどうでもいいことになる。動機はただひとつ、「儲かること」だ。「儲かること」とは、即ち、守旧派の利益であり、官の利権確保と創出であり、民草を抑えこむための種々の法令、政令、条令、規則、通達、制度/仕組み/組織をつくることである。

日本国憲法を平和憲法として担保していた9条を閣議でいとも容易くねじ曲げることに成功したことに味をしめて、解釈改憲を「前例」として既成事実化するやり口はいかにも霞が関の魑魅魍魎らしい。

先の大戦で責任をとった官僚/役人はただの一人もいなかったことを忘れてはならぬ。2012衆院選/2013参院選で官僚党/木っ端役人の天下り先党である自民党に投票した20数パーセントの者たちと投票すらしなかった者たちの責任とともにだ。ツケはでかいが自分のケツは自分で拭くしかない。だれも尻拭いはしないだろうし、してはくれないが。

民主主義? 寝言は寝てから言ってくれ。日本に民主主義などない。「三権分立」「地方自治」「地方分権」など絵空事もいいところだ。少なくとも、霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもは日本が民主国家であるなどとは微塵も考えていない。「三権分立? おととい来やがれ!」「地方自治? 地方分権? それってうめえのか?」というのが木っ端役人どもの本音だ。

相互抑制機能がまともに働いていないのに「三権分立」も糞もないし、「地方交付税」「交付金」「補助金」をチラつかせてしばりをかけ、地方の甘ちゃんたちを思うように服従させる傀儡師が地方の自治/自主/自律/自立など慮るものか。

この国は法治国家ですらない。官僚/木っ端役人がお手盛りで好き放題やり放題の勘ちがいも甚だしい官治国家だ。「カーンチ。センソーしよ」とちらと思ったことを恥じる。

日本を戦争へと突進させた稀代の悪法のひとつである「国家総動員法」策定の指揮を執ったのは、当時企画院調査部長だった旧商工省出身(のちに旧逓信省へ異動)の植村甲午郎だ。昭和の妖怪のフンケイの友にして悪だくみ仲間。

植村甲午郎はのちにフジテレビ創設にかかわり、フジテレビ会長/日本航空会長/経団連会長の要職に就いた。札幌オリンピック組織委員長。日の丸飛行隊は植村の手のひらの上で飛翔んでいたわけだ。

裏で日本を戦争に突き進ませた張本人がこの有様だ。フジテレビの大政翼賛は昨日今日始まったわけではないということである。日本テレビにしたところで似たようなものだ。日テレはこれに原発推進邁進猛進驀進のおまけがつく。日テレの創業者である旧内務省出身の元警察官僚・正力松太郎は原子力委員会の初代委員長である。こいつもまた昭和の妖怪の仲良しごっこ一味である。まことに「仲良きことは美しき哉」だ。

松本清張の『深層海流』は植村甲午郎をモデルとして、その暗部を鋭く抉ってみせた。いわゆる、「M資金」をめぐる暗闘、謀略、権謀術数の数々が綿密な取材と証言をもとに松本清張一流の迫真の筆致で描かれている。戦前・戦中・戦後を通じていかにして日本のエスタブリッシュメント、コンサヴァティブ、守旧派、既得権益が形成され、日本をどれほど閉塞させたかを知るのには格好にして必読の書である。

遠い昔、我妻榮が深々とため息をついたあとに、「岸は狂ってしまった…」とただひと言つぶやいたことが思いだされる。そして、レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』冒頭の「幸福な家庭はすべてよく似ているが、 不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」という言葉どおりのことが現代の日本で起きていることに愕然とする。民の貧困と窮乏をテコにして官僚独裁国家/軍産複合体国家は着々と強固なものになる。霞が関の魑魅魍魎による「国家乗っ取り計画」はすでにして最終章を迎えつつある。推して知るべし。

霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもは戦争がやりたくてやりたくて仕方ないのだ。「これで原発事故も震災復興も1000兆円の借金もチャラにできる」「どうせ死ぬのは民草だ」「新しい戦争利権で濡れ手に粟、甘い汁を腹いっぱい吸ってやるぜ」とほくそ笑んでいる。そして、生存権と幸福追求権は容赦なく踏みにじられ、跡形もなく引きちぎられ、木っ端微塵粉々にされ、「健康で文化的な最低限度の生活」が夢のまた夢へと遠のく日々がやってきて、「大政翼賛/大本営発表、撃ちてしやまん、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だ、大君の醜の御楯と出で立つ我は、1億総火の玉」という寸法である。腐れ電通/外道博報堂はこれら一連の企みに大口をあけ、よだれを垂らして群がるんだろう。今から目に見えるようだ。

守旧派/木っ端役人どもの提灯持ち/御先棒担ぎである腐れ電通/外道博報堂のグランド・デザインの根幹/主軸をなすものは「愚民政策」であり、「衆愚政治」であり、「反知性主義」であり、「蒙昧主義」であり、「一億総白痴化」である。パンとサーカスとスポーツとセックスと娯楽で脳味噌のしわを消し去り、考える力を奪うこと。

これを機会に腐れ電通がなぜ「独占禁止法」の網にかけられないのか、なぜ守旧派の子弟を優先的に縁故入社させるのか、なぜジャニタレ/AKB48をはじめとするジャリタレ、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもに肩入れするのかを考えてみるのも一興である。(秋元康一味/AKB一派はじきに消えるから論外としても、ここ最近のジャニタレの露出は度が過ぎていないか? メディアの番組、記事、広告。ジャニタレだらけじゃないかってのよ。)

今の段階であさってだかおとといだかの方向におつむと目と耳と口が向いているポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウども、「愚民政策」「衆愚政治」「反知性主義」「蒙昧主義」「一億総白痴化」のお先棒を担いでいる天然純朴偽装のインチキマヤカシの輩どもはいずれまちがいなく「大政翼賛」の陣営に拠する。「勝ち目はない」と女々しくキザったらしくスカしてほざく腰抜けチキン野郎もだ。

戦争遂行のためには民主主義も憲法も人権/私権も糞食らえというのが彼奴らの料簡だ。五臓六腑が煮えくりかえり、虫唾が走り、八つ裂きにしても飽き足らない輩はいくたりかいるけれども、筆頭は霞が関の木っ端役人/魑魅魍魎どもだ。

親兄弟、女房子供、戦友朋輩のためならいくらでも命は捨ててやるが、木っ端役人どものためなんぞには鐚一文、木っ端一枚くれてやるものかてんだ。

守旧派/既得権益受益者、木っ端役人どものお先棒担ぎ/提灯持ち/お追従者とは一切与しない。おこぼれなんぞには目もくれない。やるなら手加減なし容赦なしで賭け金と獲物をすべて一切合切いただく。それが吾輩流のModus Operandiであり、至誠一貫である。


Hoka Hey! Ya Ta Hey! Paint it, Black! Break & Roll Over The Red Tape!
さあ、戦うにはいい日、死ぬには手頃な日の始まりだ。黒く塗れ! レッド・テープをぶった切れ!

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*レッド・テープを引きちぎって ── 官僚の殺し方


Hoka Hey! Ya Ta Hey!
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-02 00:10 | レッド・テープをぶった切れ! | Trackback

フラクタル・ガール#1 ナボコ・ジュリア。17歳。フラクタル模様のタトゥーをいれる。

 
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わたしはナボコ・ジュリア。17歳。きのう、右腕にフラクタル模様のタトゥーをいれた。高速で針の束が肌に突き刺さるあの感じ。きっと虜になる。

パパはフランス人。大学で幾何学を教えてる。ずっとパリにいる。若い愛人といっしょに。その若い愛人はパパの大学の教え子でもあるんだけど、ものすごいブスだ。

こっそりパパの携帯電話を見たら待受画面は愛人の画像だった。NOKIAのちょっとシックな携帯電話を思わずぶん投げてやりたくなるくらいのブス。

パパは年に1度、わたしの顔を見に東京にやってくる。でも、わたしは意地悪してパパと会ってもまともに口をきいてあげない。

ママは日本人。活け花の先生をしている。ママもやっぱり若い恋人がいる。ダガートさんだ。ダガートさんはかなりの美形。ナイフの切っ先みたいなあごをしている。それがちょっとセクシーなのよね。内緒だけど、一度だけダガートさんとはエッチした。彼、ママに仕込まれて鞭や縄を使ったSMプレイにハマっちゃったって笑ってた。

「ジュリアちゃん。ぼくはね、縄文人なんだよ」
「なにそれ?」
「いつか教えてあげるよ、ジュリアちゃん」
「教えてくんなくていーし」
「ジュリアちゃんは半分ママの血を受け継いでるんだもん。じゅうぶんに素質あるんだけどもね」

ダガートさんはそう言って薄気味悪い笑い声をあげた。ママ、だいじょうぶ?

ときどき、自分のアイデンティティってなんだろうと考える。わたしのルーツをたどると三代遡っただけでクラクラしてくる。ユダヤ人、ポーランド人、スウェーデン人、イタリア人、ドイツ人、イギリス人、スペイン人、そして日本人。戦争のときはさぞや悩んだろうな。わたしの御先祖様たちは。どっちにつけばいいんだって。フィヨルドみたいに複雑に入り組んだ家系。考えたって答えなんか出ないことはわかってるから、深くは考えない。

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わたしは学校で毎日先生に叱られる。自分ではそんなつもりはちっともないのに叱られる。!マーク5個付で。20個付のときもある。きょうは7個ついてた。

「マドモワァゼル・マンデルブロ、しゃんとしなさい!!!!!!!」

叱られたときは飯田橋の外堀に身投げしちゃおうと思うくらいしょんぼりする。でも、死んじゃったらママが作ってくれるクレーム・ブリュレを食べられなくなるし、外堀の臭くて汚くて緑色した水を飲むのはいやだなと思って死ぬのはいまのところ我慢している。でも、わたしの本当の気持ちを言えば、こうだ。


み ん な 死 ね ば い い の に !


学校の近くにミイラ職人がいる。潮田さんだ。潮田さんは家から一歩も出ないのでヒキコモリの潮田さん、「ヒキ潮さん」と呼ばれている。

ヒキ潮さんはわたしたちのグループを「ジュリア集合」と名づけてくれた。意味不明。「ジュリアがいつも中心にいるから」と言ってるけど、本当の理由はもっと別なところにあるはずなんだ。まあ、とりあえずお礼に履き古しの靴下をあげといた。ヒキ潮さんはすごく喜んで、「ヴィンテージもののミイラの左の薬指」をくれた。ちょっとだけうれしくて、ちょっとだけ自由になれたような気がした。

わたしはときどき、無性になにかに縛られたくなる。おともだちは校則にいちゃもんをつけてばかりいるけど、ばっかみたい。「ばっかみたい」って言ったら、「ばっかみたい」って思うあんたがばっかみたいって言われた。「ばっかみたいって思うわたしがばっかみたいって言うあんたがばっかみたい」って思ったけど言うのはやめた。この御時世、校則に縛られるくらいどうってことないじゃんね。わたしはもっと別のものにうんと縛られたいのに。もっとがっつりした、きりきりひりひりしたものに。

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右手の甲を見る。中心にうっすらと痣がある。痣はテツにつけられたんだ。痣ができたときのことを思いだすとせつなくなっちゃう。せつなさをたどっていったら、いつのまにか柿の木坂交差点の陸橋の真下に立っていて、そこには笑顔満載のテツが…。不思議ね。

遠くで年老いた柴犬が「ライ麦風味のライムライトなラムネよこせよ!」と吠えていた秋の夕暮れ。わたしは富士見町界隈では知らぬ者のない縄師、テツと恋に落ちたの。

テツは榛色の瞳がとても素敵で、今週は54歳で、来週から56歳で、「齢の決算書」づくりと因数分解と三角関数と群論の「剰余代数」が得意で、システム手帳に両界曼荼羅ばかり描いていて、東急ハンズで調達した材料だけで東京のど真ん中に原子力発電所を建設しようとして松永安左エ門と広瀬隆に2プラトン喰らったのが自慢で、七並べとジン・ラミーと神経衰弱とマージャンがべらぼうに強くて、宇宙を支配する巨大な意志の力とおともだちで、ウィングチップ・シューズにさよならばかりしていて、神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチで午睡するのが好きで、縄目のついた左腕がいつも腫れ上がっている。わたしはそんなテツが愛しくてしかたない。

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待ち合わせのとき、テツは白いカローラに乗って颯爽とやってくる。紀の善の抹茶ババロアと氷宇治とカスミ草を後部座席に山ほど積んで。


「待たせたね! ハニー!」


それがテツの決まり文句。ハニーって…。やめてよね。恥ずかしい。でも、ちょっとうれしい。うれし恥ずかしのお年頃なのよ、わたしは。テツは待ち合わせの時間を絶対に守らないので、わたしは言ってやるの。


「お・そ・す・ぐ・る!」


でも、わたしは怒ったふりをするだけ。テツのお腰にぶら下がっている赤い麻縄を見るとわたしはすぐにくにゃくにゃちゃんになっちゃう。これって業だわね。

わたしとテツの恋路を邪魔するのがビートニク・ガールだ。警友病院の通りの角にある「米米倶楽部」という米屋のお嫁さん。ミタカ米穀の一人娘だって。「あたしは嫁津波よ!」が口癖の変なひとなの。なにが嫁津波よ! 空気嫁って言ってやりたいわよ! でも、わたしは生まれついてのビビリ屋なので絶対にそんなことは言えない。
 
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# by enzo_morinari | 2014-06-28 16:26 | フラクタル・ガール | Trackback

さよなら、夏の日 ── たったひとりの勝者とたくさんの敗者

 
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逝く夏の陽を浴びて燃えたつ花たちよ その束の間に消えゆくものと知りながら E-M-M

明日になればもうここに僕らはいない めぐるすべてのもの 急ぎ足で変わっていくけれど
さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ 雨に濡れながら僕らはおとなになっていくよ
TATTOO-Y


夏の一日を荒川土手に遊ぶ。自転車にまたがるのは2週間ぶりだ。はじめは全身がこわばったようで、思うように操縦できなかった。ペダリングもぎこちない。それでも、平井大橋を渡るころにはいつもの7割くらいの調子が戻っていた。

いっきに荒川土手につづく坂道を駆けあがる。目の前に河川敷の広大な緑にあふれた光景が広がる。夏の青い空と緑と川面を渡ってくる風。全身がはじけてしまいそうなほどに気分が高揚する。

しばらく土手のてっぺんに座って風に吹かれていた。夏草の青い匂いがする。メロン水の匂いがする。甘酸っぱい匂いがする。スイカの匂いやトマトの匂いや麦の匂いや電気ブランの匂いさえする。笑い声や怒鳴り声やカッキーンという音やサワサワサワーという音やブーンという音やひゅるるるぅという音が聴こえてくる。風は実に様々な匂いや音を運んでくるものだ。

思うぞんぶん風に吹かれてから、土手の草むらを河川敷に向かって一直線に駆けおりる。わが愛馬はいたってゴキゲンである。荒川の上流へ向けて哲の馬を走らせていると、サッカーのグランドや野球のグランドがいくつも見えてきた。しかも、そのすべてのグランドはゲームの真っ最中だった。

そのうち、いちばん白熱している少年サッカーの試合を見物することにした。文字通りの意味で「高みの見物」を決め込んだ。自分はいずれのチームにもなにひとつしがらみはないのだし、どちらが勝っても負けてもいっさい関わりがない。初めはそう思っていた。ところが、試合に出場しているこどもたちの家族とおぼしき人々の会話を聞いているうちに、俄然、ゲームにのめり込んでしまった。なんでも、そのゲームはなんとか地区(よく聞き取れなかった)の決勝戦で、勝てば本選(これもなんの「本選」なのかはわからずじまいだった)への出場権を獲得できるらしい。

「雨の日、風の日、雪の日。一日も休まないで練習してきたんだものねー。勝たせてあげたいわよねー」

スポーツとは生まれてこのかた御縁のなさそうな体型をしたジャンボなママさんが言った。このママさんは応援団長でもあるらしく、試合の最中、ものすごい大音量で檄を飛ばしまくっていた。

ゲームはあきらかにジャンボ・ママさんチームの劣勢だった。相手チームの個人技を中心にすえた洗練された試合運びに対して、ジャンボ・ママさんチームのプレイは野性味はあったが、それは所詮、百姓一揆的なサッカーにすぎないように思われた。

ゴールキーパーのファイン・セーヴの連続でジャンボ・ママさんチームは辛うじて失点をまぬかれ、前半が終わった。ゴールキーパーの少年はよほどつらかったのか、ベンチに戻ってくるなりコーチに抱きつき、大声で泣きじゃくった。私はこの時点でジャンボ・ママさんチームの勝利はないことを確信していた。だが、しかし ── 。

後半に入ってもジャンボ・ママさんチームの劣勢はかわらなかった。百姓一揆的蹴球V.S.ソフィスティケーテッド・フットボール。憎らしいほどに相手チームは巧く、速く、強かった。だが、なぜかゴールを割ることができない。気まぐれな勝利の女神はちょっとだけいたずらをしたかったのかもしれない。そして、奇跡は起こった。

ファイン・セーヴを連発していたゴールキーパーが渾身の力を込めてボールを蹴る。ボールは真っ青な空に向かって永遠に上昇をつづけてゆくかと思われるような勢いでぐんぐん伸びてゆく。

ボールがひとくれの雲にまぎれて消えたかと思ったその直後、ディフェンスとゴールキーパーの中間地点にボールは落下してゆく。そこに味方のフォワードが怒濤のごとく走り込んでいた。彼は一瞬、ゴールキーパーのほうに目をやり、そして落ちてきたボールをダイレクトで蹴った。蹴ったというよりも触れたと言ったほうが事態を正確にあらわしている。

前進守備のゴールキーパーの頭上をゆるやかな弧を描きながら、ボールはゴールに吸い込まれていった。

歓声。怒号。落胆。いろいろなものが一瞬に吹き出した。タイム・アップまで5分を切っていた。このとき、だれもがジャンボ・ママさんチームの勝利を確信したはずである。だが、しかし ── 。

混乱の中で、相手チームの選手たちは冷静だった。個人技と正確なパスまわしで敵の陣営深く入り込み、セオリーどおりにゴール前で待ち受けるセンターフォワードに正確無比なセンタリングを上げる。豹のような面差しのセンターフォワードはあたりまえのようにジャンプし、頭ふたつ分抜きんでた状態で頭をひと振りした。ボールは一瞬止まったかのように見えて、物凄いスピードでゴールキーパーの真横を抜け、ゴールネットに突き刺さった。

悲鳴。落胆。怒声。残り時間2分。

「PK戦に持ち込めー!」

ジャンボ・ママさんが叫んだ直後だった。ついに、あるいはやっと勝利の女神が微笑んだ。それまで冷静なゲーム・メイキングでチームを動かしてきた相手のミッドフィールダーがセンターラインを越えたあたりで全身をバネのようにしならせてボールを蹴った。

ボールは弧を描くことすらせずに一直線にジャンボ・ママさんチームのゴールに吸い込まれていった。ゴールキーパーは最後の最後にきて、身動きひとつできなかった。ゴールインと同時にホイッスルは鳴り、ゲームは終わりを告げた。

全身でよろこびをあらわす勝者。
泣きじゃくり、うずくまる敗者。
たったひとりの勝者とたくさんの敗者。

そのことを思って、私はどうしてもその場を立ち去ることができなかった。荒川を渡ってきた風が目の前で向きを変え、勝者も敗者もいない静かなグランドを吹き抜けていく。またひとつ、夏の終わりが近づいたように思えた。すべては2000トンの雨が洗い流してしまうとも知らずに。

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さよなら夏の日 - 山下達郎
さよなら夏の日 - MrSiokaze (Classical Guitar Solo)
 
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# by enzo_morinari | 2014-06-26 16:54 | 夏への階梯 | Trackback