巨鳥墜つ/Bye-Bye, Timebird ─ Time, No Changes

 
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巨鳥墜つ。チャーリー・ヘイデン。76歳。タイムキープの名手だった。アヴァンギャルドに自由に芳醇に時間を彫琢していた。オーネット・コールマンからハンク・ジョーンズ、キース・ジャレット、パット・メセニーまで。ハードバップ、フリー、アヴァンギャルドからスタンダード、メインストリーム、コンテンポラリーまで。チャーリー・ヘイデンが紡ぎだした「宝石のような時間」を忘れまい。

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世界の果ての岬で凍える指先に息を吹きかけながら聴いたあなたの『世界の果てで』を忘れない。そもそも、世界の果ての岬への旅の本当の目的は世界の果ての岬であなたの『世界の果てで』を聴くことだった。旅の目的は達せられた。旅の円環は閉じられた。アルバトロスの王が虚空を舞っていた。音は放たれた刹那に虚空に飛び立っていた。時間は容赦なく命を削る。時の鳥の魂はアイオワの空高く翔けのぼる。

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Charles Edward Haden (August 6, 1937 – July 11, 2014)
Genres: Avant-Garde Jazz, Free Jazz, Mainstream Jazz, Contemporary Jazz, Post-Bop, Hard Bop, Folk-Jazz
Occupations: Double Bassist, Composer
Instruments: Double Bass
Years Active: 1957–2014
Associated Acts: Ornette Coleman, Hank Jones, Keith Jarrett, Pat Metheny, Paul Motian, Gonzalo Rubalcaba, etc
Website: www.charliehadenmusic.com


En la Orilla del Mundo (At the Edge of the World/世界の果てで)/Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-13 05:04 | Memories of You | Trackback

思い出の『Moonlight Serenade』と1958年式アトランティック・バード号の夜間飛行後の引退

 
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恋におちたのは2008年の夏の終わりだった。相手は私のゼミナールに所属していた教え子だ。6年ぶりの再会だった。学生時代はジーンズにTシャツというラフでざっかけないありふれた女子学生にすぎなかった彼女は、見ちがえるほど美しく、可憐で清楚で気品にあふれ、しかも華のある成熟したおとなの女性に変貌していた。いくぶんかの哀しみと愁いを含んだ表情も彼女の魅力をさらに引き立てているように感じられた。

私と彼女を引き寄せたものがなんだったのかはわからない。ただ、これだけは言える。私たちは魔法でもかけられたようにたちまちのうちに恋におち、笑い、泣き、たまに言い争い、そのたびに仲直りし、そして、砂時計が時を刻むように鋭く深く確実にいくつかの季節をともに生きたのだと。

あるパーティーの帰り道。グレン・ミラー楽団の演奏する『Moonlight Serenade』が流れるクルマの中で、親子ほども年齢の離れた若い恋の相手は私の肩に頭をもたせかけたまま何度も溜息をついた。重ねた手の白い指先が小刻みにふるえているのがわかった。心の軋む音さえ聴こえた。そして言った。

「思い出せない。この曲の名前がどうしても思い出せないの。だれもが知っているはずのスタンダード・ナンバーなのに」
「『Moonlight Serenade』。グレン・ミラー楽団だよ」
「今夜くらい月のきれいな夜、『Moonlight Serenade』を聴きながら夜間飛行できたら素敵ね」
「いつかやるさ。きみが本物のおとなのレディになったときにね」
「ずいぶんと先の話だわ。あなたはおじいちゃんになっちゃうし」

彼女は首をすくめ、脚をバタバタさせ、おどけた仕草をみせた。私は曲をリピート・セットした。夜の帳の降りた街を見おろす公園の駐車場にクルマを停め、私たちは繰りかえし『Moonlight Serenade』を聴き、みつめあい、手をにぎりあい、ときどき口づけを交わし、夜の静寂に包まれた街と14番目の月を交互に眺めた。

「どうしよう。こんなに恋しちゃって」
「だいじょうぶ。いつかさめるから。そして終わる」
「いじわる」
「先のない恋という覚悟をしておくのはおとなの男のたしなみさ。それに、飛行に乱気流はつきものだ。それどころか墜落だってありうる。操縦のむずかしいきみのような相手では特にね」
「でもいまだけは ── 」
「そう。いまだけはありったけ恋すればいい」
「そうね」
「初めて会ったときにわれわれの恋の終わらせ方について決めたのはおぼえてるね? 泣かない。怒らない。異議申し立てしない。そして、たがいに二度と電話もメールもしない。すべてなかったことにする。きみはそれに同意した。この恋から答えはなにひとつみつからないってことも含めてね。かけらさえも」
「ええ。覚悟はできています。それにしても、やっぱりあなたって本当にいじわるだわ」
「いまにはじまったことじゃない」

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彼女の言うとおり、私はいくぶんかいじわるだったかもしれない。彼女の大きな瞳に大粒の涙が光る。私は涙をぬぐうかわりに彼女の右瞼に唇を寄せた。彼女が愛しくてならなかった。このままだれも知らぬ土地へ連れ去ってしまいたいくらいに。

「おねがい。いつかわたしをダンスに誘って。この曲で。それと夜間飛行にも」
「いつかじゃない。いまだ」

私たちはクルマを降り、月あかりを浴びながら『Moonlight Serenade』にあわせて踊った。まるで夜間飛行をしているような気分だった。公園の片隅の自動販売機が喝采するように目映く輝いていた。

軽やかなステップ、可憐なターン、清楚なスウェイの仕草、そして、気品にあふれたスクエア。私の無骨なリードにもかかわらず、彼女のダンスは完璧だった。私たちの恋のゆくえ、恋のライン・オブ・ダンスは不安定きわまりもなかったが。恋の夜間飛行はいつ乱気流に巻き込まれ、墜落してもおかしくなかったのだが。

「時間が止まってくれたらいいのに。これが夢ならさめなければいいのに」

『Moonlight Serenade』の演奏が終わりにさしかかろうとしたとき、彼女は私の胸に顔をうずめ、涙声でつぶやいた。私は彼女の顔を人差し指で上に向かせ、そっと口づけをし、つよく抱きしめ、言った。

「お嬢さん、それは無理な願いごとというもんだ。今夜の満天のお星様たちだって聞き届けてくれやしない。わかるね?」
「わかりました。先生」

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その後、私たちの恋物語は予想外の展開をみせて終演したが、『Moonlight Serenade』を聴くたびに彼女のことを思い出す。彼女の着ていたシルク・デシン地の黒いパーティー・ドレスの衣ずれの音はいまも耳に残る。彼女がまとうフレグランス、『夜間飛行』の森の中をさまよっているような密やかで凛と背筋の伸びた香りも。そして、かすかに心の軋む音。機体のあちこちに厄介な問題を抱えた1958年式アトランティック・バード号にいよいよ引退の潮時がきたのだ。「老兵は死なず。ただ静かに消え去るのみ」と操縦席にも記してある。


今夜、銀河系宇宙の片隅で。
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-10 22:37 | あなたと夜と音楽と | Trackback

大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。

 
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星と導きと夜との狭間にある大学通りを経て象牙海岸へ。そして、『シャンペンと地動説』によって終りを告げた涙のワンサイデッド・ラヴのあとは涙のステップを。


忘れもしない。1979年の夏だ。ガール・フレンドは3歳年上で、幼稚舎から大学までストレートに慶応だった。正真正銘のお嬢様だった。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。

彼女の自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。

ガール・フレンドの家には何度か行ったが常に居心地が悪かった。ガール・フレンドの父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」とガール・フレンドはこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。

ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前にガール・フレンドは息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。

「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる」

そして、私はガール・フレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。彼女の言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。

青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらLLのアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。

『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんな風にものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったけども。

『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私にはすごく新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌を巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。

山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんな風にして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)

さて、ガール・フレンドとの最後のやりとりだ。

「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの」
「わかってるよ」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん」
「ごめんね」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ」
「でも ── 」
「デモもストライキもない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、どこにでも転がっているような話だ」

この一件以来、私は正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。

そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000トンくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。

人はなにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。

年に100回も200回も小僧の神様が愛した世界の果ての岬の温泉を日帰りする逆さクラゲ好きのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ地方議員センセイはあまりにも嘘泣きがへたすぎる。あんな嘘泣きでは田舎町の議会事務局の腑抜けた木っ端役人すら騙せない。

いまではトップスのチョコレート・ケーキもカレーも食べない。彼女もそうだといい。そうあってほしい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかってはいるが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたオーバー・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。

その後、彼女からは一度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字が滲んでいた。滲んでいたのは雨のせいだけではない。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。

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大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。 (1979 - 1982)
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-09 11:53 | あなたと夜と音楽と | Trackback

サーフ天国、スキー天国、AOR天国

 
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20代前半、松任谷由実の『サーフ天国、スキー天国』で、先頃帰らぬ人となった須藤薫が歌う「SURF & SNOW」というバック・コーラス部分を聴くたび、オフショアに吹かれて波乗りをしたくなり、エッジに息を吹きかけて磨いてスキーをしたくなったものだ。実際に『サーフ天国、スキー天国』を聴いて思い立ち、稲村ケ崎や七里ガ浜や千葉や伊豆へ波乗りをしに行き、苗場や白馬や蓼科や志賀高原や天元台へスキーをしに行った。

波がないときは息の根を止める寸前、猛烈極悪の唸りをあげるクーラーをMAXにきかせたポンコツのカルマンギヤの中で音楽を聴いた。ジャズと古典楽曲が中心だったが、当時流行りのAORやフュージョンも聴いた。

ビル・ラバウンティ、ロビー・デューク、ポール・デイヴィス、マイケル・フランクス、ジョーイ・マキナニー、クリストファー・クロス、グレッグ・ギドリー、アール・クルー、ボビー・コールドウェル、ランディ・ヴァンウォーマー、10CC、エア・サプライ等々。

NIAGALA TRIANGLE一味のうち、山下達郎と大瀧詠一もよく聴いた。いまでは笑い話だが、当時はウェスト・コーストの上げ底たっぷりなイラストが描かれた大瀧詠一のアルバム・ジャケットを「王様のアイデア」あたりで仕込んだミント系、パステル系のチープきわまりもないプラスチック・フレームに入れて飾っていた。イラストは鈴木英人だったと記憶する。

部屋にはほかにデコイやパーム・ツリーのフェイクものがあった。だれにでも過去の恥、傷というのはあるものだ。そして、その恥と傷からなにごとかを学ぶのだ。

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松任谷由実と吉田美奈子は定番中の定番だった。二人のほかに種々雑多雑食な取り合わせの音楽を聴きながら、本を読むか考えごとをするか小説の構想を練るか勉強するかしていた。雪がないときや雨が降ってべた雪のときはロッジの脇にポンコツ・カルマンギヤを停めて音楽を聴いた。寝袋にくるまって。ロッヂで寝ないのかって? ロッヂは寝るところじゃない。クリスマスを待つところだ。

思えば、ターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14は吾輩の書斎であり、リスニング・ルームであり、リヴィングであり、寝床でもあったわけだな。清貧極まりもない居住空間だったことよ、我が友カルマンギヤは。最後は深夜の本牧D埠頭で脇腹から側壁に激突して大破し、ずいぶんとかわいそうなことをしてしまった。いつか手向けに行かなくては。

サーフボードはピュア・ブラックの地にピュア・ホワイトの稲妻が入ったライトニング・ボルトのワンメイクの特注品だったが、スキー板はSALOMONやらELANやらATOMICやらをゲレンデ、雪質によって使いわけていた。SALOMONもELANもATOMICもロゴがイカしていたからという理由だけで選んだにすぎなかったわけではあるが。

スキーブーツにはかなり贅沢をした。SALOMONがシェルとインナー別体成形の画期的なモデルを出して業界をあっと言わせた時代だ。どのスキー・ショップに行ってもSALOMONは別格扱いでプレゼンテーションされていた。もちろん、いい値段だった。大卒の初任給ひと月分が吹っ飛んでしまうようなフラッグシップ・モデルもあった。あの局面で我慢できたならば、吾輩の人生ももっと別の様相を呈していたかもしれないが、もちろん、そうはならなかった。

SALOMONのフラッグシップ・モデル。フェラーリ・レッドの。買ってしまった。パラレル・クリスチャニア、ウェーデルンに毛の生えたような技術力しかない者がFISのW杯に出場するアスリートが使うレベルのギアとは恐れ入った話だが、なにごとも大事なのはスタイル、かたちだ。手に入れてからしばらくは抱いているか触っているかつねに視界の中に置いた。

シーズンオフにはサーフボードをリペアしたり、スキー板のエッジを研いだり、根岸競馬場近くにあるレストランとは名ばかりの、高いくせにくそまずい「ソーダ水の中を貨物船が通り、ナプキンにインクがにじむこと」で名高い『ドルフィン』の2階席のトイレに「ユーミンのうそつき!」と落書きしたり、港の見える丘公園の一番高い欅の樹に登って港を出入りする貨物船の数を数えたり、その形状や塗装、デザイン全般について大声で論評した。

ヤヴァ系? そうだ。吾輩は天下御免のヤヴァ系だ。耶馬渓には3度行ったことがある。真梨邑ケイには短期間だが局地的局所的に世話になった。花形敬は鼻は高えが頬に疵のある伝説の愚連隊野郎だ。

TDKかMAXELLの120分のメタル・テープにチャンプルでお気に入りの曲を録音してMY FAVORITE SONGS BOOK TAPE、「お気に入り楽曲集」を何本もつくった。1曲3分から5分として30曲前後録音できた。iPodを中心とする携帯型のディジタル音楽視聴機器が主流である現代からすればお笑いぐさだが、「120分テープ」には永遠の夏休みを閉じ込めることさえ可能な時代がかつてあったということだ。

ただ曲を録音れるのではなくて、最初に立てたコンセプト、構想に基づいて曲順を決め、各曲名の1文字目をつなげると季節やシーンに合った意味のある単語、フレーズ、パラグラフになるように選曲した。超短編小説にしたこともある。

吾輩のこのMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEは仲間内でかなり評判がよくて、リクエストがけっこうあった。季節やシーンだけでなく、相手の好みや趣味やセンスも考慮に入れてMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくった。全部で300本くらいはつくったと思う。

録音のときはドルビーのノイズ・リダクション・システムが重宝した。1枚のアルバムからは1曲のみというしばりをかけていたので手間はかかる。しかも、まだCDなどこの世に存在しない時代だ。録音レベルの自動調整機能など夢のまた夢だ。長岡鉄男だって生きていて、元気でピンピンしていて、やれスワンだ、マスだ、やれカレント電源だ、やれ鉛インゴットだと各オーディオ誌でゴマ塩頭で御宣下あそばされていたオーディオ新石器時代だ。

テープデッキ側でアルバムごとにいちいち録音レベルをセットしなおさなければならない。フルオーケストラとアクースティック・ギターのソロとではダイナミック・レンジに雲泥の差があるからだ。録音のときとは別に録音レベルを知るために曲をかけなければならないのも時間がかかる理由だった。

120分のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのに5時間はかかった。全体のおおまかな構成と曲順は決めてあるが、実際に聴いていると方針変更が生じてくる。アドリブと言えば言えないこともない。ある意味では観客なし舞台なしの即興演奏をやっているような気分だった。

他者の耳はごまかせても自分の耳をごまかすことはできない。心といっしょだ。一関ベイシーの菅原昭二は「おれは店のオーディオ・システムとレコードで演奏をしているんだ」と言っていたが、それと同じだ。その当時の吾輩にとってはMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのは新しい作品をつくるのとおなじ意味を持っていたからだ。

言葉や文字の組み合わせ方、表意文字と表音文字の意外な組み合わせによる効果、指示と表出、リズム、ひっくり返し、落ち、意識と想像力の跳躍、シニフィアン/シニフィエの関係の明瞭化、文字や言葉のヒエラルキーの構造分析、名詞の力の新発見と再発見と再確認などについてのいいトレーニングにもなった。このトレーニングによって、少なくともさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書のような言語表現をしないスキルを獲得できたのだといまにして思う。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEづくりと「はみだしYouとPia」への投稿は吾輩の言語表現修行の場、発想着想の跳躍のための修練場だった。いかにシャープに的確に明瞭明晰に意外性をもって表現するかに腐心する「されど我が日々」である。

吾輩のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEはいつしか「M'S TAPE」「Mのテープ」と呼ばれるようになっていた。「M資金」みたいでカッチョよかった。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるためにジャズや古典楽曲やポップスやAORやインストゥルメンタルなど、自分の手持ちの音源の中からメロディーや歌声や楽器の音やミュージシャンやテープの送り手の顔を思い浮かべながらの作業はとても楽しかった。

朝から作業を開始して、気づけばあたりが闇に沈んでいるというようなこともしばしばだった。おかげで、ともだちとガールフレンドを何人か失った。当然だ。作業に入ったら吾輩はろくに返事もせず、彼あるいは彼女もしくは彼らのことはほったらかしなんだから。しかし、こればかりは致し方ない。なにかに集中したら最後、吾輩は外部外界を一切合切遮断してしまうからだ。これはこどもの頃からずっと変わらない。いまもおなじだ。

吾輩のそのような姿は他者からは虫の居所が悪く、すごく怒っていて、無視しているように映るんだろう。しかし、虫の居所が悪いのでもなく、怒っているのでもなく、無視しているのでもない。集中しているときの吾輩には他者も外部も存在しないのだ。存在しないものに気を使うことはできない。そう考えるとひどいな。PASSINGでもBASHINGでもなく、NOTHINGなんだから。相手からしたらたまったもんじゃない。死ぬまで吾輩のことを憎みつづけるだろう。まあ、すべては終わったことだ。

去る者がいて、理解を示す者がいた。多くの友だちと出会い、少しの友だちが残った。それでいい。それが人生という一筋縄ではいかないゲームのコンテンツであり、サブスタンスであり、マターであり、コンテクストであり、パースペクティヴだ。

自分の人生、日々を俯瞰的にクールに眺めながらすごすのが性に合うならそうすればいいし、吾輩のように正面突破、MY WAY, MY OWN STYLEでやりすごすのもまたひとつのゲームの進め方だ。他人がとやかく口をはさむべきことではない。

アルプスを迂回するルートも存在するし、マドレーヌ峠やラルプ・デュエズ峠に果敢にアタックするアルプス越えのルートだって存在する。両者のあいだにはなにひとつ善悪、価値の高低差などない。あるのは与えられた時間/残された時間の問題と燃費の問題と流儀、掟、スタイルのちがいとマルコ・パンターニ伝説に心を動かされるか否かのちがいだけである。坂口安吾だって言っている。人間を救う便利な近道はない。

そのような日々を送るうちにいくつもの季節がすぎてゆき、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、酒の苦さを知り、数えきれないほどの音楽と映画と書物とテクストと喰いものとガラクタのような快楽群と宝石のごとき愉悦と笑いと涙と不思議な出来事がいつも吾輩といっしょだった。

いい青春? さあね。吾輩にはわからない。もっと楽しくてハッピーで和気藹々で建設的で生産的で知的でお上品でリッチでセンスのいい青春はいくらでもあったろう。だが、少なくともそれらは吾輩のスタイル、吾輩の流儀、吾輩の掟に則ったものではない。

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サーフ天国、スキー天国、そして、AOR天国。ビル・ラバウンティの『Livin' It Up』はすごくイカしてたな。デヴィッド・サンボーンのアルト・サックスもクールでソウルフルだった。ドラムスはスティーブ・ガッドだし、パティ・オースチンもバック・メンバーにいた。ほかにも超のつく豪華なスタジオ・ミュージシャンがビル・ラバウンティの脇を固めていた。『Slow Fade』『Dream on』『It used to be me』『This Night Won't Last Forever』なんかもグッときた。

Livin' It Up - Bill LaBounty (1982)

さらに忘れられないのがロビー・デューク。ロビー・デュプリーではなく、ロビー・デューク。惜しいことに、本当に惜しいことに2007年のクリスマスの翌日に死んでしまった。

クリスマス・イヴのライヴの最中にステージ上で心臓麻痺を起こし、二日後に息を引き取った。51歳と20日。今夜はロビー・デュークの曲で一番好きだった『Rested in Your Love』と『Promised Land』を交互に繰り返し聴きながら夜の果ての旅をやりすごすことにしよう。魂に届き、心にしみ、約束の地へとつづくメロディと声だ。ひな祭りの朝に逝った須藤薫にも届けばいい。


「約束の地」へは涙のステップを踏みながら、少しだけゆっくりと歩みを進めることとする。急ぐ旅でもない。

Rested in Your Love → Promised Land

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MY OWN EPITAPH FOR ROBY BIG-BOY
Roby Ward Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Please Rest and Release Your Heart in Peace Roby Big-Boy, You've Crossed The River Into The Promised Land and You'll Never Have a Broken Heart Again, Never. And I Pray for Your Sister in GOD.
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-08 01:27 | あなたと夜と音楽と | Trackback

約束の地で心安らぎたいすべての人へ

 
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ロビー・デューク『Not the Same』(1980)

Roby Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Genre: ROCK/AOR, CCM(Contemporary Christian Music)

*2007年のクリスマス・ライブ中に心臓麻痺を発症。クリスマス翌日に死去。


Roby Big Boy, Please Rest in Peace. You'll never have a broken heart again.

Rested in Your Love → Promised Land
 
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# by enzo_morinari | 2014-07-07 14:43 | 真言の音楽 | Trackback