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キネティークな関係 反権力/反原発としてのドードー鳥ライフあるいはオーラル・ヒストリー

 
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動きつづけるものにしか力は宿らない。Cinétique En-Zoo

語りつくせぬことについては沈黙せよ。L-J-J-W18890426

語れ。まず、語れ。なによりみずから獲得した言葉で語れ。沈黙の話はそれからである。Cinétique En-Zoo

語ることと語られることのあいだには、いかなる冒険者であろうとも征服しえない深い闇が広がっている。


語りつくせぬことについて沈黙するかぎりにおいて、沈黙は金である。語ることと語られることのあいだには、いかなる冒険者であろうとも征服しえない深い闇が広がっていて、その闇に光をあて、暴きだし、あらわにすることが言葉の祖国に帰還するためには必要だ。その意味において、"沈黙は金、饒舌は銀" なる言葉は語ることができない者の免罪符にすぎない。彼らは永遠に言葉の祖国には帰れない。


Move on up - Curtis Mayfield
 
# by enzo_morinari | 2019-05-02 12:58 | キネティークな関係 | Trackback | Comments(0)

ビートニク・ギャングスタ年代記/No.11まわし蹴りケルアックとモリアーティ教授と楽園をめぐる路上の冒険と威風堂々ビートニク・ホーボー・ヒゲボーボー・ドードー鳥ライフ

 
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Beatきかして、Go! Go! Go! and Goes on! Go-Row Eeat In

ジム・モリソンが『路上』を読まなかったらドアーズは誕生していなかった。だからどうした八百屋の糸居五郎


東京電力/東京ガス/横須賀市水道局との契約をすべて解約し、相手方にはなんらの瑕疵も非もないことをわかっていながら生存権にもとずく違法行為に対する損害賠償請求訴訟をパリの高等法院に提起し、自宅大豪邸の土地建物を叩き売ってから、「債務不存在確認の訴えを起こすぞ。訴訟の嵐作戦だ。腹くくっとけ!」と債権者どもに言い放ち、ほうほうの体で逃げ帰った債権者どもを尻目に『方法序説』と『純粋理性批判』と『精神現象学』と聖書と古事記をドイターのホーボーケン・バッグに詰めこんで鬼首神社のある菊の御紋の裏山で威風堂々ビートニク・ホーボー・ヒゲボーボー・ドードー鳥ライフをはじめて3日目の谷岡ヤスジ的アサー。

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Planet Newsの手引きで麻薬書簡を交わし、虚ろな鏡に映る悲しい花粉の輝きをみてともに涙を流し、極上のリアリティ・ファンキー・アボカド・サンドウィッチを作ってやった礼に宇宙の息のように吠える鳥男のアレンバード・ギンズバーグからもらったホーボー・ストーブで凶暴ランボー・ロウゼキ=バロウズと甘ちゃんキャンディ・キャサディを煮こんでいるとき、No.11まわし蹴りケルアックの野郎とイイスス・ハリストス似のForest Man/森のひとこと一言居士のモリアーティ教授がやってきた。イイスス・ハリストス似のForest Man/森のひとこと一言居士のモリアーティ教授は合歓の郷のように眠そうな目で「森は考えている」とひと言だけ言って立ち寝をはじめた。

眠れよイコンよ。猟官の渡瀬スポイルズ政造はハートカクテルを飲みながら「官職は勝者に帰属する」と大声をあげたが、おまえの出番じゃない。秋茜がラブホの1室に迷いこんでいくつかのル・クプルが破局するまでマテーロ。『ひだまりの詩』なんか聴こえない。Le Coupleはすべてを包みこんでくれるひだまりのようなひとだと思った相手とディボースした。それぞれ、別々のひとを好きになって。

「凶暴ランボー・ロウゼキ=バロウズと甘ちゃんキャンディ・キャサディを煮こんでる場合じゃない! 楽園と路上が大騒ぎなんだ!」とNo.11まわし蹴りケルアックの野郎が叫んだ。モリアーティ教授はモルヒネを皮下注射しながらうなずいている。

仕方ないので、ホーボー・ストーブにかけてあるカッセルオーラ・ボッリトーレから凶暴ランボー・ロウゼキ=バロウズと甘ちゃんキャンディ・キャサディを引っ張り上げた。二人ともまだ生きていた。凶暴ランボー・ロウゼキ=バロウズの頭には溶けかかった深谷ネギがだらしなくぶら下がっている。凶暴ランボー・ロウゼキ=バロウズもかたなしだ。甘ちゃんキャンディ・キャサディはオレンヂ色の憎いオ・ヤツハ・カール=ハインツ・シュトックハウゼン卿の4機のヘリコプター式機械じかけのオレンチ式自慰をはじめた。示威行為のつもりだろうが、ここでは通用しない。相手が悪すぎる。いるのは名うてのビートニク・ギャングスタだ。

かくして、楽園をめぐる路上の冒険とロックン・ロール・ペーパー・マニュスクリプト探索のバックパッキング・マイリトルラバー・ラバトリ・グラトリー・バードツアーは幕をあけた。あけたくもなかったが仕方ない。渡り鳥ライフはまちがいなく楽じゃないが、そんな日もある。

ハレンチ学園にKC&サンシャイン・バンド庁不安部内痔核3課の強制捜査が行われるのは2万4042年後だ。ただし、「死刑!」連発のガキデカはお呼びでない。ギャートルズは園山俊二だからオブザーバーとしての参加をゆるす。今夜はサイコー検察庁検事総長賭博開帳図利受益者として認める。ゴールズワージー林檎の樹の陰からモップ頭のジル=ドゥルーズ・シルーズが貌をのぞかせているが千のミシェル風光明媚な停滞高原/ミル・ミシェル・フコ・プラトー・プラトーで会ったときのように鰈味のカレーのように華麗にスルーする。華麗にスルー駿河問いするが気分はすっかりサウダージだ。

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Beatnik Jazz (John Coltrane, Miles Davis, Wes Montgomery, Kenny Burrell, Wayne Shorter, Chet Baker, Charlie Parker, Dizzy Gillespie. and more… Just Groove! Dig it! Beat it!)
 
# by enzo_morinari | 2019-05-02 05:01 | ビートニク・ギャングスタ年代記 | Trackback | Comments(0)

神軍平等兵、日本列島Go’s On! いつでも過激! どこでも攻撃!

 
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ゆきゆきて、神軍! 知らぬ存ぜぬは許しません! ヤマザキ、天皇を撃て!Ken-Zo Okoo-Zaki


偽物ボブとマーサー・ガーサーの登場によって時間は容赦なくねじくれ、われわれは元の時間、元の場所、真冬の昼下がりの日比谷公園の噴水前にいた。

「たとえばこんなふうに」と森の漫才師サルーは言って噴き上げる噴水の軌跡に向かって指先をひとひねりした。宙空で水の軌跡は一瞬身震いしたかと思うとそのまま凍りついた。

「ん? これは?」
「水の軌跡を一瞬にして凍らせるという奇跡の技」
「奇跡か。わるくない」
「へ? 感想はそれだけ?」
「うん」
「ひどいやつだ」
「きみは僕の戦友だから正直に言うけど、僕の人生はこの程度のことで驚くほど甘いもんじゃなかったんだ。ある意味では”奇跡”の連続、僕の日常は”奇跡”で埋めつくされているんだよ」
「うーん」
「日常が奇跡で埋めつくされている人生を想像してほしい。もうあらゆることが退屈で退屈で仕方なくなる。そんな日々から僕が学んだことは”奇跡を分析し、解釈すること”なんだ。いまきみが行った奇跡について言うなら、きみが指を動かしたことと水が氷点下という気象条件にさらされて凍りついたという事実があるだけであるというのが僕の考え。そこには驚くようなことはなにひとつ含まれていない」
「なるほど」
「ことほど左様にいわゆる”奇跡”と言われている事象のほとんどは合理的な解釈と説明が可能だということ。それでも ── 」
「それでも?」
「それでも解釈もできず、説明もつかない事象がいくつかある。合理的な世界からこぼれてしまうものがね。僕はきみとそれらを探し出し、本当の答えをみつけたい」

私が言い終えると森の漫才師サルーは小刻みに身を震わせて泣いていた。嘘泣きだ。

「なんで嘘泣きなんかするんだよ」
「あれ? バレちゃった? いやあ、ここはひとつ泣いておくのが一番感動的かなと思ってさ」
「きみは本当におもしろいやつだ」

真冬の日比谷公園の噴水前から見上げる帝国ホテルが墓標のように聳え立ち、われわれを見下ろしている。鹿鳴館の享楽の調べも聴こえる。燃やした札束を明かりがわりに窮屈袋を探す愚か者の太り肉で脂ぎった姿も視える。「オサレなランチ、わたし的にステキなディナー」とほざく日本語故障機械どもののっぺりとしたグロテスク、醜悪きわまりもないエゴイズムも見え隠れする。世紀末総白痴国家ニッポンの象徴だ。

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そして、奥崎ケンゾーが牡蠣崎柿右衛門を従えてやってきた。1本足りない指で指揮でも執るように牡蠣崎柿右衛門に指示を送る。奥崎ケンゾーは俄に形相を阿修羅に変えると叫んだ。

ゆきゆきて、神軍! 知らぬ存ぜぬは許しませぬ! カキザキ、玄能を持て!

牡蠣崎柿右衛門は言われるがまま、無表情で金槌を振り上げると「ゆきゆきて、神軍。われは神軍平等兵なり!」と言ってわれわれに襲いかかってきた。


ゆきゆきて、神軍! (原一男監督/1987)
 
# by enzo_morinari | 2019-05-01 11:45 | いつでも過激! どこでも攻撃! | Trackback | Comments(0)

Dream Willow Pillow/夢の柳枕を腰枕にして

 
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悲しい夢をみたときだけは柳はいっしょに泣いてくれる。Lady “Strange Fruit” Day

地球はアフォだった。私はカモメが喰いたい。ユーレイ・ガガーリン

柳橋に凄みのきいた柳腰の芸者幽霊がでるというので浅草橋の駅を封鎖して元禄御畳奉行してきたら、ユーレイ・ガガーリンにおんぶオバケした柳ユーレイだった。フザケやがって。石川五右衛門直伝の熱湯御詠歌斬鉄製風呂で煮てやる。


T.S. エリオットとウィリアム・フォークナーとバートランド・ラッセルが夢枕に立って声をそろえて言うには、「10房10億円の有機交流電燈に照らされて育った銀河第三象限の荒地でとれた怒りの葡萄(青い証明付き)、3億房でいくら?」

黙っていると、「夢の柳枕、腰枕にする?」とバートランド・ラッセルが言った。


Willow Weep for Me - Billie “Lady Day” Holiday
 
# by enzo_morinari | 2019-04-30 15:37 | Dream Willow Pillow | Trackback | Comments(0)

サーフ天国、スキー天国、AOR天国

 
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遠い昔に聴いた音楽は楽園の記憶をよみがえらせる。


20代前半、マットンヤー・ユミーンの『サーフ天国、スキー天国』で、先頃帰らぬ人となった須藤薫が歌う「SURF&SNOW」というバック・コーラス部分を聴くたび、オフショアに吹かれて波乗りをしたくなり、エッジに息を吹きかけて磨いてスキーをしたくなったものだ。実際に『サーフ天国、スキー天国』を聴いて思い立ち、稲村ケ崎や七里ガ浜や千葉や伊豆へ波乗りをしに行き、苗場や白馬や蓼科や志賀高原や天元台へスキーをしに行った。

波がないときは息の根を止める寸前、猛烈極悪の唸りをあげるクーラーをMAXにきかせたポンコツのカルマンギヤの中で音楽を聴いた。ジャズと古典楽曲が中心だったが、当時流行りのAORやフュージョンも聴いた。

ビル・ラバウンティ、ロビー・デューク、ポール・デイヴィス、マイケル・フランクス、ジョーイ・マキナニー、クリストファー・クロス、グレッグ・ギドリー、アール・クルー、ボビー・コールドウェル、ランディ・ヴァンウォーマー、10CC、エア・サプライ等々。

NIAGALA TRIANGLE一味のうち、山下達郎と大瀧詠一もよく聴いた。いまでは笑い話だが、当時はウエスト・コーストの上げ底たっぷりなイラストが描かれた大瀧詠一のアルバム・ジャケットを「王様のアイデア」あたりで仕込んだミント系、パステル系のチープきわまりもないプラスチック・フレームに入れて飾っていた。イラストは鈴木英人だったと記憶する。

部屋にはほかにデコイやパーム・ツリーのフェイクものがあった。だれにでも過去の恥、傷というのはあるものだ。そして、その恥と傷からなにごとかを学ぶのだ。

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マットンヤー・ユミーンと吉田美奈子は定番中の定番だった。2人のほかに種々雑多雑食な取り合わせの音楽を聴きながら、本を読むか考えごとをするか小説の構想を練るか勉強するかしていた。雪がないときや雨が降ってべた雪のときはロッジの脇にポンコツ・カルマンギヤを停めて音楽を聴いた。寝袋にくるまって。ロッヂで寝ないのかって? ロッヂは寝るところじゃない。クリスマスを待つところだ。

思えば、ターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14は私の書斎であり、リスニング・ルームであり、リビング・ルームであり、ベッド・ルームでもあったわけだな。清貧極まりもない居住空間だったことよ、わが友カルマンギヤは。最後は深夜の本牧D埠頭で脇腹から側壁に激突して大破し、ずいぶんとかわいそうなことをしてしまった。いつか手向けに行かなくては。

サーフボードはピュア・ブラックの地にピュア・ホワイトの稲妻が入ったライトニング・ボルトのワンメイクの特注品だったが、スキー板はSALOMONやらELANやらATOMICやらをゲレンデ、雪質によって使いわけていた。SALOMONもELANもATOMICもロゴがイカしていたからという理由だけで選んだにすぎなかったわけではあるが。

スキーブーツにはかなり贅沢をした。SALOMONがシェルとインナー別体成形の画期的なモデルを出して業界をあっと言わせた時代だ。どのスキー・ショップに行ってもSALOMONは別格扱いでプレゼンテーションされていた。もちろん、いい値段だった。大卒の初任給ひと月分が吹っ飛んでしまうようなフラッグシップ・モデルもあった。あの局面で我慢できたならば、私の人生ももっと別の様相を呈していたかもしれないが、もちろん、そうはならなかった。

SALOMONのフラッグシップ・モデル。フェラーリ・レッドの。買ってしまった。パラレル・クリスチャニア、ウェーデルンに毛の生えたような技術力しかない者がFISのW杯に出場するアスリートが使うレベルのギアとは恐れいった話だが、なにごとも大事なのはスタイル、かたちだ。手に入れてからしばらくは抱いているか触っているかつねに視界の中に置いた。

シーズン・オフにはサーフボードをリペアしたり、スキー板のエッジを研いだり、根岸競馬場近くにあるレストランとは名ばかりの、高いくせにくそまずい「ソーダ水の中を貨物船が通り、ナプキンにインクがにじむこと」で名高い『ドルフィン』の2階席のトイレに「ユーミンのうそつき!」と落書きしたり、港の見える丘公園の一番高い欅の樹に登って港を出入りする貨物船の数を数えたり、その形状や塗装、デザイン全般について大声で論評した。

ヤヴァ系? そうだ。私は天下御免のヤヴァ系だ。耶馬渓には3度行ったことがある。真梨邑ケイには短期間だが局地的局所的に世話になった。花形敬は鼻は高えが頬に疵のある伝説の愚連隊野郎だ。

TDKかMAXELLの120分のメタル・テープにチャンプルでお気に入りの曲を録音してMY FAVORITE SONGS BOOK TAPE、「お気に入り楽曲集」を何本もつくった。1曲3分から5分として30曲前後録音できた。携帯型のデジタル音楽視聴機器が主流である現代からすればお笑いぐさだが、120分テープには永遠の夏休みを閉じこめることさえ可能な時代がかつてあったということだ。

ただ曲を録音れるのではなくて、最初に立てたコンセプト、構想に基づいて曲順を決め、各曲名の1文字目をつなげると季節やシーンに合った意味のある単語、フレーズ、パラグラフになるように選曲した。超短編小説にしたこともある。

私のこのMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEは仲間内でかなり評判がよくて、リクエストがけっこうあった。季節やシーンだけでなく、相手の好みや趣味やセンスも考慮に入れてMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくった。全部で300本くらいはつくったと思う。

録音のときはドルビーのノイズ・リダクション・システムが重宝した。1枚のアルバムからは1曲のみというしばりをかけていたので手間はかかる。しかも、まだCDなどこの世に存在しない時代だ。録音レベルの自動調整機能など夢のまた夢だ。長岡鉄男だって生きていて、元気でピンピンしていて、やれスワンだ、マスだ、やれカレント電源だ、やれ鉛インゴットだと各オーディオ誌でゴマ塩頭で御宣下あそばされていたオーディオ新石器時代だ。

テープデッキ側でアルバムごとにいちいち録音レベルをセットしなおさなければならない。フルオーケストラとアクースティック・ギターのソロとではダイナミック・レンジに雲泥の差があるからだ。録音のときとは別に録音レベルを知るために曲をかけなければならないのも時間がかかる理由だった。

120分のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのに5時間はかかった。全体のおおまかな構成と曲順は決めてあるが、実際に聴いていると方針変更が生じてくる。アドリブと言えば言えないこともない。ある意味では観客なし舞台なしの即興演奏をやっているような気分だった。

他者の耳はごまかせても自分の耳をごまかすことはできない。心といっしょだ。一関ベイシーの菅原昭二は「おれは店のオーディオ・システムとレコードで演奏をしているんだ」と言っていたが、それと同じだ。その当時の私にとってはMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのは新しい作品をつくるのとおなじ意味を持っていたからだ。

言葉や文字の組み合わせ方、表意文字と表音文字の意外な組み合わせによる効果、指示と表出、リズム、ひっくり返し、落ち、意識と想像力の跳躍、シニフィアン/シニフィエの関係の明瞭化、文字や言葉のヒエラルキーの構造分析、名詞の力の新発見と再発見と再確認などについてのいいトレーニングにもなった。このトレーニングによって、少なくともさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書のような言語表現をしないスキルを獲得できたのだといまにして思う。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEづくりと「はみだしYouとPia」への投稿は私の言語表現修行の場、発想着想の跳躍のための修練場だった。いかにシャープに的確に明瞭明晰に意外性をもって表現するかに腐心する「されどわが日々」である。

私のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEはいつしか「M'S TAPE」「Mのテープ」と呼ばれるようになっていた。「M資金」みたいでカッチョよかった。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるためにジャズや古典楽曲やポップスやAORやインストゥルメンタルなど、自分の手持ちの音源の中からメロディーや歌声や楽器の音やミュージシャンやテープの送り手の顔を思い浮かべながらの作業はとても楽しかった。

朝から作業を開始して、気づけばあたりが闇に沈んでいるというようなこともしばしばだった。おかげで、ともだちとガールフレンドを何人か失った。当然だ。作業に入ったら私はろくに返事もせず、彼あるいは彼女もしくは彼らのことはほったらかしなんだから。しかし、こればかりは致し方ない。なにかに集中したら最後、私は外部外界を一切合切遮断してしまうからだ。これはこどもの頃からずっと変わらない。いまもおなじだ。

私のそのような姿は他者からは虫の居所が悪く、すごく怒っていて、無視しているように映るんだろう。しかし、虫の居所が悪いのでもなく、怒っているのでもなく、無視しているのでもない。集中しているときの私には他者も外部も存在しないのだ。存在しないものに気を使うことはできない。そう考えるとひどいな。PassingでもBashingでもなく、Nothingなんだから。相手からしたらたまったもんじゃない。死ぬまで私のことを憎みつづけるだろう。まあ、すべては終わったことだ。

去る者がいて、理解を示す者がいた。多くの友だちと出会い、少しの友だちが残った。それでいい。それが人生という一筋縄ではいかないゲームのコンテンツであり、サブスタンスであり、マターであり、コンテクストであり、パースペクティヴだ。

自分の人生、日々を俯瞰的にクールに眺めながらすごすのが性に合うならそうすればいいし、私のように正面突破、My Way, My Own Styleでやりすごすのもまたひとつのゲームの進め方だ。他人がとやかく口をはさむべきことではない。

アルプスを迂回するルートも存在するし、マドレーヌ峠やラルプ・デュエズ峠に果敢にアタックするアルプス越えのルートだって存在する。両者のあいだにはなにひとつ善悪、価値の高低差などない。あるのは与えられた時間/残された時間の問題と燃費の問題と流儀、掟、スタイルのちがいとマルコ・パンターニ伝説に心を動かされるか否かのちがいだけである。坂口安吾だって言っている。人間を救う便利な近道はない。

そのような日々を送るうちにいくつもの季節がすぎてゆき、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、酒の苦さを知り、数えきれないほどの音楽と映画と書物とテクストと喰いものとガラクタのような快楽群と宝石のごとき愉悦と笑いと涙と不思議な出来事がいつも私といっしょだった。

いい青春? さあね。私にはわからない。もっと楽しくてハッピーで和気藹々で建設的で生産的で知的でお上品でリッチでセンスのいい青春はいくらでもあったろう。だが、少なくともそれらは私のスタイル、私の流儀、私の掟に則ったものではない。

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サーフ天国、スキー天国、そして、AOR天国。ビル・ラバウンティの”Livin' It Up”はすごくイカしてたな。デヴィッド・サンボーンのアルト・サックスもクールでソウルフルだった。ドラムスはスティーブ・ガッドだし、パティ・オースチンもバック・メンバーにいた。ほかにも超のつく豪華なスタジオ・ミュージシャンがビル・ラバウンティの脇を固めていた。”Slow Fade””Dream on””It used to be me””This Night Won't Last Forever”なんかもグッときた。

Livin' It Up - Bill LaBounty (1982)

さらに忘れられないのがロビー・デューク。ロビー・デュプリーではなく、ロビー・デューク。惜しいことに、本当に惜しいことに2007年のクリスマスの翌日に死んでしまった。

クリスマス・イヴのライヴの最中にステージ上で心臓麻痺を起こし、二日後に息を引き取った。51歳と20日。今夜はロビー・デュークの曲で一番好きだった”Rested in Your Love”と”Promised Land”を交互に繰り返し聴きながら夜の果ての旅をやりすごすことにしよう。魂に届き、心にしみ、約束の地へとつづくメロディと声だ。ひな祭りの朝に逝った須藤薫にも届けばいい。


「約束の地」へは涙のステップを踏みながら、少しだけゆっくりと歩みを進めることとする。急ぐ旅でもない。

Rested in Your Love → Promised Land

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My own epitaph for Roby Big-Boy.
Roby Ward Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Please rest and release your heart in peace. Roby Big-Boy, You've crossed the river into the Promised Land and you'll never have a broken heart again, Never. And I pray for your sister in GOD.
 
# by enzo_morinari | 2019-04-30 12:13 | あなたと夜と音楽と | Trackback | Comments(0)