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流儀と遊戯の王国/センス・エリートのための二流の美学とセンス・エリート100箇条

 
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ある方のブログにリンクしてあった YouTube になつかしい名前をみつけた。エディ・ヒギンズ/Eddie Higgins. 超一流でも一流でもなく、二流あるいは三流。大いなる二流。あるいは一流の二流もしくは二流の美学を持ったピアノ弾き。

ジャズ・ピアノについて語られるとき、エディ・ヒギンズの名があがることはほとんどない。革新的なことをしていないから? カクテル・ピアニストだから? 理由はいくらでもあり、いくらでもつくられる。

ビル・エヴァンス、キース・ジャレット、バド・パウエル、セロニアス・モンクと同列に語ろうものなら、目の色をかえて猛烈な反論反撃をしてくるくそまじめな精神の持主(ドグマ好き/権威好き/守旧派/脳味噌の中身はオガクズかオカラ)どもがいるが、彼奴らのたわ言など知ったことではない。

一流だろうが二流だろうが有名だろうが無名だろうが革新的だろうが凡庸きわまりなかろうが類を見なかろうがどこにでも転がっていようが、いいものはいい。わるいものはわるい。話は簡単だ。硬直した権威主義者と取り澄ました教養主義者と頑迷蒙昧な教条主義者は「物静かに退場しろ」ということである。

一流の映画監督よりも三流の映画役者、脇役をこよなく愛する私としては、当然にエディ・ヒギンズを愛する。「たかが音楽、されど音楽」だけれども、やはり、音楽など「たかが」という括りをしておくくらいがちょうどいい。

J.S. バッハの音楽作品をすべて聴いても、『平均率クラヴィーア』全編を暗譜できるほど聴きこんでも、グレン・グールドの『ゴルトベルグ変奏曲』の1955年盤と1981年盤を聴きわけられても、ワグナーの大仰御大層大袈裟な精神が生んだ『ニーベルングの指環』、序夜の 『ラインの黄金』を皮切りに、第1夜 『ワルキューレ』、第2夜 『ジークフリート』、第3夜 『神々の黄昏』まで、総演奏時間15時間にも及ぶ超大作を毎日聴いたところで腹はふくれないし、稼ぎがよくなるわけではないし、35年の住宅ローンがなくなるわけでもないし、かみさんの御機嫌が麗しくなるわけでもない。

「音楽で心豊かに」もへったくれもない。CDに2000円も3000円も出し、あるいはiTunes Storeで1曲200円でDLして音楽を聴くより、さらには、音楽家の名前や作品名や音楽史をおぼえるより、英単語/仏単語/伊単語/独単語/西単語/葡単語のひとつもおぼえ、ついでにコンチネンタル・タンゴのステップを踏めるほうがよほどめしのタネに繋がる。

貧困なる精神? 貧困のことなら、世界には山ほど掃いて捨てるほどある。そちらのほうが先決問題だ。NO MUSIC, NO LIFE? 音楽ごときでなくなるような人生なら、さっさとピットブルかプレイリードッグにでも喰われてしまえ。

と、音楽に対して憎まれ口減らず口を叩こうと思えばいくらでも叩ける。しかし、やはり、音楽(に限らず、文化全般)は生きてゆくうえで、なにかしらの「妙味」「滋味」となることは動かしようがない。ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウはポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな音楽しか聴いておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウなテクストしか読んでおらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな映画しかみておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな恋愛しかしておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウなメイクラヴしかいたしておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな食いものしか喰っておらず、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウな仕事しかしていないという事実。おそろしいほどの冷厳冷徹さ。

ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランが「普段、何を食べているか言ってみろ。すぐにおまえがどのような人物か言い当ててやる」と言ったのは、食いものにかぎらない。実におそろしくもある。ことほど左様に、音楽(に限らず、文化全般)は人間存在の基底部に強く大きな影響を持つ。

さて、エディ・ヒギンズ『My Foolish Heart』の話だ。収録されているのはアルバム・タイトルともなっている『My Foolish Heart』を皮切りに、いずれもスタンダードの名曲ぞろい。肩肘を張らず、リラックスして聴くのに最適にして至福の時間をもたらしてくれる。愚かだった若かりし日々の痛切やら痛恨やら悔悟やらを思い返すときの背景音楽としてもいい。

これまたなつかしい、偉大なる二流のテナーマンである客演のスコット・ハミルトンがいぶし銀のようなパフォーマンスを聴かせている。派手さはないがサイドメンの二人も滋味溢れるプレイだ。

酸いも甘いも経験済みのおとなが聴くにふさわしい。遠い日の二度と取りもどすことのできない日々の中のふとなつかしくなるような小さな思い出のような演奏。心に静かに響き、沁み入り、そして、残る。

Eddie Higgins Quartet『My Foolish Heart』はすぐれたワンホーン盤でもある。マイルスもモンクもコルトレーンもエリック・ドルフィーも魂が元気なときに聴けばいい。普段は穏やかで心地よい音楽で十分だ。いや、十分どころか、穏やかで心地よい音楽こそが良い人生の景色を手に入れるためには必要不可欠である。

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My Foolish Heart - Eddie Higgins Quartet (2002)
Recorded at Avatar Studio in New York on September 26 and 27, 2002.
Genre: Jazz
Label: Venus Records
Producer: Tetsuo Hara and Todd Barkan


Personnel
Eddie Higgins - piano
Scott Hamilton - tenor sax
Steve Gilmore - bass
Bill Goodwin - drums
*Scott Hamilton appears courtesy of Concord Records

Track Listing
01- My Foolish Heart
02- Russian Lullaby
03- What is There to Say
04- That Old Black Magic
05- Skylark
06- Night and Day
07- Embraceable You
08- Am I Blue
09- These Foolish Things
10- The More I See You
11- The Song is You
12- This Love of Mine


Eddie Higgins Quartet- My Foolish Heart

*こんなところで愛宕山がわりに、私のセンス・エリート100箇条を附記する。2019年夏を乗り切るためのよすがとされたい。読んだところで「いのどん」「ヘーイ」だが、センス・エリートのための椅子の座り方のヒントはあるはずだ。

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【センス・エリート100箇条】
30歳を目前にした熱い夏、ある輸入ビールの広告制作の依頼が舞いこんだ。当時はキリンビールが圧倒的なシェアを有していて、どいつもこいつも当たり前のようにキリンビールを飲んでいた。そういった状況に異議申立てしたかった。そして、「センス・エリート/1番が1番いいわけではない。1番ではないことがクールでカッコイイことだってある」というコンセプトで企画を立て、広告文案を書いた。自分自身に言い聞かせるような意味合いもあった。ギャラは安かったけれども、この広告文案が書けたおかげでその夏はいい夏になった。その夏の終わりに手に入れたデイヴィッド・ホックニーのリトグラフはいまも手元にある。

001 30歳を過ぎても少年の好奇心が旺盛である。
002 謎めいた部分を持っている。
003 家庭のことはいっさい口にしない。
004 軽々しく“仕事”という言葉を使わない。
005「男らしさ」を誇示しない。
006 汗を拭き拭き喫茶店の水を飲まない。
007 なにを身につけてもさまになる。
008 健康のためのスポーツ、教養のための読書などはしない。
009 自分の持ち物、ファッション等に関しての入手先、値段を口にしない。
010 つきあいパーティーの類にはいっさい顔を出さない。
011 本物と偽物を見ぬく眼を持ち、好き嫌いがハッキリしている。
012 オートバイに夢中になってもスピードの魅力を口にしない。
013 一流の映画監督よりも三流の映画役者をこよなく愛す。
014 カネがあろうがなかろうが自分の生活を匂わせない。
015 文化人と呼ばれる人間の言うことは簡単に信じない。
016 世の中についての安易な発言はしないし、世論に惑わされることもない。
017 探検旅行が好きなうえに旅慣れている。
018 趣味をひけらかさない。
019 格闘技をこよなく愛する。
020 動物に対して親愛の情を抱いている。
021 クレジットで生活しない。
022 絵心を持っている。
023 仕事仲間よりも遊び仲間を優先する。
024 社会的名誉よりも個人的悦楽を優先する。
025 アメリカン・コレクションにうつつをぬかさない。
026 学校教育以外の独学で世界を知り、独自の美意識を身につけている。
027「ほどほど」という平均値を生きていくうえでの基準にしない。
028 ビール5~6杯で酔っぱらって愚痴をこぼすようなことはしない。
029 自己の行為に反省やら悔恨/悔悟の情はいっさい抱かない。
030 他人がなんと言おうが自分の信じる流儀はすべてにおいて貫きとおす。
031 己のプライドを傷つけるものに対しては徹底して戦う。
032 数少なく信頼できる友を持っている。
033 “なんとなく”という気分はいっさいない。
034 さびしさをまぎらわすために夜な夜な酒場で陰気な酒を飲んだりしない。
035 最終的には一人で物事の決着をつける覚悟を持っている。
036 社会情勢、景気、不景気で信条を変えない。
037 時間に追われる生活をしない。
038 いつもここより他の地への夢想を密やかに胸に抱いている。
039 男には仕事に成功した時の喜びの顔よりも美しい顔があることを知っている。
040 群れない。
041 小さなことにも感動できる少年の心を持っている。
042 笑顔がさわやかである。
043 ウエスト・コーストを卒業。オーセンティックを好む。
044 長い船旅に退屈しない。
045 性に対しての偏見を持たない。
046 女性遍歴の自慢話はしない。
047 アメリカの放浪よりもヨーロッパの漂泊。
048 セクシーだが猥せつではない。
049 売名行為はしない。
050 人に説教、訓戒の類いをいっさいしない。
051 イエス・マンではない。
052 学校教育に関しては無関心である。
053 部屋の壁にはデイヴィッド・ホックニーのリトグラフ。
054 遠くを見つめているような神秘的な瞳を持っている。
055 深刻になったとしても決して眉間に皺を寄せない。
056 群衆が熱狂する祭りのなかに身を投じ、魂を解放できる。
057 流行を創りだすことはあっても追いかけない。
058 社会的地位を得たとしても安閑としない。
059 ファッションでサングラスをかけない。
060 まちがっても、女から「老けたわね」と言われない。
061 生涯を通じてイチかバチかの大冒険を少なくとも三度は体験する。
062 仕事か家庭かの選択を迫られるような生活はしない。
063 笑いはあらゆるマジメを超えていることをわかっている。
064 一生の住みかを構えようとは思わない。
065 自分が身を置いている現実のちっぽけさを知っている。
066 貸し借りなしの人生。
067 滅びゆくもののなかに光る美を発見し、愛惜する情を持っている。
068 どんなことがあろうとも女性に対し暴力をふるわない。
069 郷土愛、祖国愛にしばられることはない。
070 相手の弱みにつけこまない。
071 時として無償の行為に燃える。
072 大空への情熱。そしてアフリカへの憧れ。
073 場末の人間臭さを素直に愛せる。
074 一人旅、一人酒を楽しめる。
075 力の論理や数の論理に圧倒されることがない。
076 “世代”のワクでくくられないような道を歩んでいる。
077 神話世界に深い関心がある。
078 すがるための神なら必要としない。
079 なにごとにつけ女々しさを見せない。
080 はたから見たら馬鹿げたことでも平気でやる。
081 人前で裸になれないような肉体にはならない。
082 感傷的な面もあるが想い出に耽ってしまうことはない。
083 自分だけの隠れ家を持っている。
084 食道楽等のおよそプチブル的道楽志向とは無縁である。
085 あらゆる判断と行動の基準は「美しいか、美しくないか」である。
086 お湯でうすめたアメリカン・コーヒーは飲まない。
087 なにごとにおいても節制によって自分を守ろうとはしない。
088 自然に渋くなることはあっても自分から進んで渋さを求めない。
089 どこまでが真実なんだか虚構なんだか定かでない世界に生きている。
090 カネは貯えない。ひたすら遣う。
091 ヤニ取りフィルターなどを用いない。
092 生き方について考え悩まない。
093 愛誦の詩を心に持っている。
094 やたらハッピーな世界をつまらなく思っている。
095 失くし物をしても探すようなマネはしない。
096 洗いざらしのコンバースがいつまでも似合う。
097 女性に対してはロマンチストである。
098 世に受け入れられないすぐれた芸や人を後援するが表には出ない。
099 内面にこだわる以上に外観にも気を配る。
100 No.1がかならずしも素晴らしいとは思わない。
 
# by enzo_morinari | 2019-05-03 18:02 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback | Comments(1)

忘れられた BIG WAVE/あれから35年も忘れられた BIG WAVE 遠くに揺れてるあの日の夢

 
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おれたちがいつまでもこどものままでいられるのは七里ガ浜の波がおれたちの魂を洗うからだ。七里ガ浜珊瑚礁のアロハ髭デブおやじ


1978年夏の2000トンの雨はさよならも告げずにやんでもはや跡形もなく、1983年夏のクラクションは遠く去って残響さえ聴こえず、稲村ヶ崎の伝説の水曜日の大波は忘れられてから35年も経ち、だれもかれもが年をとったが、1984年夏の強い南風の吹く七里ガ浜駐車場レフト・サイドにおけるよく冷えたレーベンブロイとセンス・エリートとおろしたてのオフホワイトのコンバースのローカットと世界中の波乗り野郎のために、きょうも強い南風の吹く七里ガ浜駐車場レフト・サイドで波の音に耳をすます。波の数を数え、忘れられたBIG WAVEを抱きしめる。すべては遠い波の彼方で揺れている。夢はひとつ残らず消えたが、捨てたのではない。


*”Go Ahead”のアルバム・ジャケットの達郎はお岩さんか? お岩さんだよな。達郎も苦労したんだな。


Big Wave - Tatsu”Blobfish”Yamashita (BIG WAVE/1984)

夏のクラクション 稲垣潤一 (1983)

2000トンの雨 山下”ニュウドウカジカ”達郎 (Go Ahead/1978)
 
# by enzo_morinari | 2019-05-03 15:52 | 忘れられた BIG WAVE | Trackback | Comments(0)

Deoxyribo Nucleic Acid Musicの旗手、Jean-Michel Migauxの死と再生


 
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ジャン・ミシェル・ミゴーが死んだ。享年82。自死。自ら全身を銅線で巻き、それをコンピュータ制御のタイマーと接続。代表作であり、総演奏時間66分66秒にも及ぶ大作『Mort et Renaissance/死と再生』が iTunes によって大音量で再生され、強烈なリズムと荘厳なメロディに合わせて200ボルトの電流がミゴーの全身を貫いた。

痛切きわまりもない壮絶空前の光景はライヴ・カメラを通じて全世界に発信された。発見されたとき、すでに黒焦げとなっていたミゴーの死体は、それでもなお音楽にあわせて踊り狂っていた。

死と再生。ジャン・ミシェル・ミゴー畢生のパフォーマンスは彼自身に凄惨な死をもたらしただけでなく、ネットワークの中で永遠に再生されつづける。いまこの瞬間にも。1 Clickで永遠に。ジャン・ミシェル・ミゴーは死んで初めて「永遠の命」をつかみ取った。そして、真の再生を無限に果たしつづけるのだ。


死と再生/顔のない音楽家 Jean-Michel Migaux
音楽家。文筆家。ストリート・パフォーマー。1938年、パリのバスチーユ地区に生まれる。父はユダヤ系フランス人、母はアルジェリア系フランス人。ジュリアード音楽院でピアノと音楽史を学ぶ。その後、NYのサウス・ブロンクスでアフリカ系アメリカ人の友人らとコミューンを形成し、ストリート・カルチャーに親しむ。住所、居所、生死、いずれも不明。フランス帰国後はコレージュ・ド・フランスの哲学科に編入。ブランショ、フコ、デリダ、ドゥルーズらの影響のもと、「哲学と音楽の批判的融合」をテーマとした論文で学長賞を受賞。ピアノのほか、パイプ・オルガン、アルト・サクソフォン、ギター、ベース、ドラムス、ヴァイオリンの演奏もこなす。主著に『Le Ruisseau de Bach』『HIP-HOP EXISTENCE』『L'ESPACE MUSIQUE』『La MUSIQUE INFINI』『Converso, Marranisme, Morisques, Musique, Reconquista』等がある。

一貫して、「現在性」「匿名性」「偶然性」「縁」「反権力」「反権威」「漂泊」をみずからの創作活動、表現活動の主軸としており、ごくかぎられた人びとをのぞいて、ジャン・ミシェル・ミゴーの素顔を知る者はいない。また、「音楽は本来持っていた現在性、一回性をかなぐり捨てて、楽譜、記録媒体に依存することによって退廃腐敗した。その大罪の主犯は J.S. バッハである」として、演奏を記録することをかたくなに拒みつづけている。ジャン・ミシェル・ミゴーの即興によるパフォーマンスは彼の作品そのものであり、それ以外には、著作をのぞけば「作品」と呼びうるものはなにひとつ存在しない。

ジャン・ミシェル・ミゴーの部屋の壁には、かの鈴木大拙揮毫による「一期一会」の書がかけられているといわれる。また、若き日、参禅を主たる目的として来日したおり、鈴木大拙本人から「未豪」なる号を授けられた。「禅」はミゴーを読み解くキーワードである。ミゴーはこの号がたいそう気にいったようで、サインを求められると必ず「未豪」と記す時期があった。

1990年代末、K. ジャレットとの「インプロヴィゼーション・デュオ」が企画されたが、契約問題、特に「録音」を主張する K. ジャレット側との調整が難航し、企画は立ち消えとなった。記録された音源が公式にはいっさい残っていないため、一部の音楽愛好家のあいだで「リスト以上」とも賞賛されるピアノ演奏の超絶技巧や、エミネム、2PAC、ICE-CUBE、ICE-Tらが涙したといわれるライムを聴くことは不可能な状況である。

2000年9月、イーベイ・オークションに、「ジャン・ミシェル・ミゴーのサウス・ブロンクス時代のストリート・ライヴ」と称される音源が出品され、高値を更新しつづけたが、突如として当該オークションは取り消された。オークションの存在を知ったジャン・ミシェル・ミゴー本人からイーベイに対する強い抗議があったためと推測されている。なお、URLは不明であるが、インターネット上で連日、ジャン・ミシェル・ミゴーがアノニマス・ライブ実況をしているといわれ、好事家のあいだではそのサイトを見つけだそうというコミュニティが数多く生まれている。

筆者はパリのサンジェルマン・デ・プレ教会で行われたライヴを一度だけ聴いたことがある(ライヴは事前の告知などはいっさいなく、偶然サンジェルマン・デ・プレ教会を訪れたのであった)。そのとき、ジャン・ミシェル・ミゴーは黒いラバー・マスクをかぶり、胸に I am no one とプリントされた全身黒ずくめのラテックスのジャンプ・スーツ姿でパイプ・オルガンによるオリジナル楽曲、『Jardin Anonyme à Paris/Peur de la Liberté』を演奏したが、テクニーク、表現力、独創性のいずれもがリヒターを軽々と凌駕するものであった。


Mort et Renaissance/死と再生 - Jean-Michel Migaux (Mort et Renaissance/2017)

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# by enzo_morinari | 2019-05-03 11:07 | Histoires de Musique | Trackback | Comments(0)

Tears4Fears Divorce/別れはATGCに刻まれている。

 
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ハッピー離婚? ニコニコ離婚講座? ふざけるな! あんなに非生産的で気分が悪くてコスパ最悪で疲れ果てることがあるか! さんざっぱらカネと時間をかけ、精神をすり減らしてえられるものは紙っぺら1枚と×がひとつだ。にもかかわらず、懲りずにまたケコーンし、またリコーンする。ハイリスク、ノーリターン。リタリン、パクパク。つまり、ノータリン。つくづく、アフォだと思うよ。4度目にして仏様菩薩様に出会えたから、まっ、いっか。ハッピーターン食べよっと。(´・ω・`) 3times divorce man, I am. And I am 4times Champion&King. of course, Shakking! But, No Repayment, No Debt!

Divorceは細胞分裂の結果誕生した人間が最小単位の社会をつくり、その社会を分割したにすぎない。この際、メンタリティの問題はなんらの意味も持たない。苦悩/苦痛の原因はDivorceのほかにいくらでもある。 Prof. Émile D

別れない理由? そりゃ、アレの相性がよくて、笑いのツボがおなじで、めしがうまいからだ。Big Dick Yoully


ティアーズ4フィアーズ・ディボースは別れてばかりいる。まるで、別れることが趣味みたいに。ティアーズ4フィアーズ・ディボースは別れるたびにうんと泣く。夏のクラクションが鳴り響いても、鳴りやんでも泣いている。

別れ屋で泣き屋でインド屋。インド屋? なにかというとインドに行ってしまうやつだ。口グセが「インド人もビックリ!」とはかぎらない。インド屋は古内東子みたいなやつだと思えばいい。それがきわめてインド屋理解のためのターメリック&クミンなやり方だ。

ティアーズ4フィアーズ・ディボースの別れた夫はアデノシン3リンサン・ディボースだ。生化学の研究者。代々、生化学分野の学者/研究者を輩出している家系である。

アデノシン3リンサン・ディボースにはデオキとシリボとヌクレとイックとアシッドの五つ子の兄がいる。弟はリボソーム。妹はリゾーム。妹も別れ屋で泣き屋で好き屋ですき家でバイトをしながらだれでもかれでもに噛みつく。いわば、噛み屋。世界をディバイドするためにバイトし、噛むのだというのがリゾームの言い分だが、ミームにもほどがある。

別れ屋で好き屋で空き家ですき家でバイト中のリゾーム・ディボースは「わたしは世界を分割する怒れるディバイダー、不滅のコイル、盲目の時計職人、遺伝子の川よ!」と叫んでから、私の耳元で「好きやで」と熱い吐息を吹きかけながら囁いた。ニセ関西オメコめが!

リゾーム・ディボースはいつも突如として巨乳のついた胸を張る。乳輪もB地区もデカい。B地区9696だ。なんで知っているのかって? リゾーム・ディボースは内緒内緒のステディさ!

ティアーズ4フィアーズ・ディボースとアデノシン3リンサン・ディボースのあいだにはATGCという男の子がひとりいる。天才児だ。

ATGCは母親のティアーズ4フィアーズ・ディボースに言った。

「パパとの性交/生殖行為では快楽をえられなかったんだね。パパもママとの性交/生殖行為では快楽をえられなかった。だから、二人はディボースした。すごく理にかなってる。そして、ボクは一人、だれにも気づかれないように泣く。」


古内東子 サヨナラアイシテタヒト (2003)
Tears4Fears - Everybody wants to rule the world (1985)
 
# by enzo_morinari | 2019-05-03 00:40 | Tears4Fears Divorce | Trackback | Comments(0)

『ひだまりの詩』なんか聴こえない。

 
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別れても好きなひとなんて大ウソだと思いたい。

菜の花燃える 二人最後のフォトグラフ
「送るからね」と約束果たせないけれど
もしも今なら 優しさもひたむきさも
両手にたばねて 届けられたのに
Le Couple


眠れよイコンよ。猟官の渡瀬スポイルズ政造はハートカクテルを飲みながら「官職は勝者に帰属する」と大声をあげたが、おまえの出番じゃない。秋茜がラブホの1室に迷いこんでいくつかのル・クプルが破局するまでマテーロ。

『ひだまりの詩』なんか聴こえない。聴きたくもない。Le Coupleはすべてを包みこんでくれるひだまりのようなひとだと思った相手とディボースした。それぞれ、別々のひとを好きになって。

おまえたちには別れて欲しくなかったんだ…。Saudade…。


ひだまりの詩/Le Couple (1997)
作詞/作曲 Le Couple(水野幸代/日向敏文)

逢えなくなって どれくらいたつのでしょう
出した手紙も 今朝ポストに舞い戻った
窓辺に揺れる 目を覚ました若葉のように
長い冬を越え 今ごろ気づくなんて

どんなに言葉にしても足りないくらい
あなた愛してくれた すべて包んでくれた
まるで ひだまりでした

菜の花燃える 二人最後のフォトグラフ
「送るからね」と約束果たせないけれど
もしも今なら 優しさもひたむきさも
両手にたばねて 届けられたのに

それぞれ別々の人 好きになっても
あなた残してくれた すべて忘れないで
誰かを愛せるように
広い空の下 二度と逢えなくても生きてゆくの
こんな私のこと心から
あなた愛してくれた すべて包んでくれた
まるで ひだまりでした

あなた愛してくれた すべて包んでくれた
それは ひだまりでした


ひだまりの詩 - Le Couple (ひとつ屋根の下2 主題歌/1997)
 
# by enzo_morinari | 2019-05-02 21:20 | 『ひだまりの詩』なんか聴こえない。 | Trackback | Comments(0)