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フラクタル・ガール#1 ナボコ・ジュリア。17歳。フラクタル模様のタトゥーをいれる。

 
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わたしはナボコ・ジュリア。17歳。きのう、右腕にフラクタル模様のタトゥーをいれた。高速で針の束が肌に突き刺さるあの感じ。きっと虜になる。

パパはフランス人。大学で幾何学を教えてる。ずっとパリにいる。若い愛人といっしょに。その若い愛人はパパの大学の教え子でもあるんだけど、ものすごいブスだ。

こっそりパパの携帯電話を見たら待受画面は愛人の画像だった。NOKIAのちょっとシックな携帯電話を思わずぶん投げてやりたくなるくらいのブス。

パパは年に1度、わたしの顔を見に東京にやってくる。でも、わたしは意地悪してパパと会ってもまともに口をきいてあげない。

ママは日本人。活け花の先生をしている。ママもやっぱり若い恋人がいる。ダガートさんだ。ダガートさんはかなりの美形。ナイフの切っ先みたいなあごをしている。それがちょっとセクシーなのよね。内緒だけど、一度だけダガートさんとはエッチした。彼、ママに仕込まれて鞭や縄を使ったSMプレイにハマっちゃったって笑ってた。

「ジュリアちゃん。ぼくはね、縄文人なんだよ」
「なにそれ?」
「いつか教えてあげるよ、ジュリアちゃん」
「教えてくんなくていーし」
「ジュリアちゃんは半分ママの血を受け継いでるんだもん。じゅうぶんに素質あるんだけどもね」

ダガートさんはそう言って薄気味悪い笑い声をあげた。ママ、だいじょうぶ?

ときどき、自分のアイデンティティってなんだろうと考える。わたしのルーツをたどると三代遡っただけでクラクラしてくる。ユダヤ人、ポーランド人、スウェーデン人、イタリア人、ドイツ人、イギリス人、スペイン人、そして日本人。戦争のときはさぞや悩んだろうな。わたしの御先祖様たちは。どっちにつけばいいんだって。フィヨルドみたいに複雑に入り組んだ家系。考えたって答えなんか出ないことはわかってるから、深くは考えない。

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わたしは学校で毎日先生に叱られる。自分ではそんなつもりはちっともないのに叱られる。!マーク5個付で。20個付のときもある。きょうは7個ついてた。

「マドモワァゼル・マンデルブロ、しゃんとしなさい!!!!!!!」

叱られたときは飯田橋の外堀に身投げしちゃおうと思うくらいしょんぼりする。でも、死んじゃったらママが作ってくれるクレーム・ブリュレを食べられなくなるし、外堀の臭くて汚くて緑色した水を飲むのはいやだなと思って死ぬのはいまのところ我慢している。でも、わたしの本当の気持ちを言えば、こうだ。


み ん な 死 ね ば い い の に !


学校の近くにミイラ職人がいる。潮田さんだ。潮田さんは家から一歩も出ないのでヒキコモリの潮田さん、「ヒキ潮さん」と呼ばれている。

ヒキ潮さんはわたしたちのグループを「ジュリア集合」と名づけてくれた。意味不明。「ジュリアがいつも中心にいるから」と言ってるけど、本当の理由はもっと別なところにあるはずなんだ。まあ、とりあえずお礼に履き古しの靴下をあげといた。ヒキ潮さんはすごく喜んで、「ヴィンテージもののミイラの左の薬指」をくれた。ちょっとだけうれしくて、ちょっとだけ自由になれたような気がした。

わたしはときどき、無性になにかに縛られたくなる。おともだちは校則にいちゃもんをつけてばかりいるけど、ばっかみたい。「ばっかみたい」って言ったら、「ばっかみたい」って思うあんたがばっかみたいって言われた。「ばっかみたいって思うわたしがばっかみたいって言うあんたがばっかみたい」って思ったけど言うのはやめた。この御時世、校則に縛られるくらいどうってことないじゃんね。わたしはもっと別のものにうんと縛られたいのに。もっとがっつりした、きりきりひりひりしたものに。

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右手の甲を見る。中心にうっすらと痣がある。痣はテツにつけられたんだ。痣ができたときのことを思いだすとせつなくなっちゃう。せつなさをたどっていったら、いつのまにか柿の木坂交差点の陸橋の真下に立っていて、そこには笑顔満載のテツが…。不思議ね。

遠くで年老いた柴犬が「ライ麦風味のライムライトなラムネよこせよ!」と吠えていた秋の夕暮れ。わたしは富士見町界隈では知らぬ者のない縄師、テツと恋に落ちたの。

テツは榛色の瞳がとても素敵で、今週は54歳で、来週から56歳で、「齢の決算書」づくりと因数分解と三角関数と群論の「剰余代数」が得意で、システム手帳に両界曼荼羅ばかり描いていて、東急ハンズで調達した材料だけで東京のど真ん中に原子力発電所を建設しようとして松永安左エ門と広瀬隆に2プラトン喰らったのが自慢で、七並べとジン・ラミーと神経衰弱とマージャンがべらぼうに強くて、宇宙を支配する巨大な意志の力とおともだちで、ウィングチップ・シューズにさよならばかりしていて、神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチで午睡するのが好きで、縄目のついた左腕がいつも腫れ上がっている。わたしはそんなテツが愛しくてしかたない。

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待ち合わせのとき、テツは白いカローラに乗って颯爽とやってくる。紀の善の抹茶ババロアと氷宇治とカスミ草を後部座席に山ほど積んで。


「待たせたね! ハニー!」


それがテツの決まり文句。ハニーって…。やめてよね。恥ずかしい。でも、ちょっとうれしい。うれし恥ずかしのお年頃なのよ、わたしは。テツは待ち合わせの時間を絶対に守らないので、わたしは言ってやるの。


「お・そ・す・ぐ・る!」


でも、わたしは怒ったふりをするだけ。テツのお腰にぶら下がっている赤い麻縄を見るとわたしはすぐにくにゃくにゃちゃんになっちゃう。これって業だわね。

わたしとテツの恋路を邪魔するのがビートニク・ガールだ。警友病院の通りの角にある「米米倶楽部」という米屋のお嫁さん。ミタカ米穀の一人娘だって。「あたしは嫁津波よ!」が口癖の変なひとなの。なにが嫁津波よ! 空気嫁って言ってやりたいわよ! でも、わたしは生まれついてのビビリ屋なので絶対にそんなことは言えない。
 
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by enzo_morinari | 2014-06-28 16:26 | フラクタル・ガール | Trackback

さよなら、夏の日 ── たったひとりの勝者とたくさんの敗者

 
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逝く夏の陽を浴びて燃えたつ花たちよ その束の間に消えゆくものと知りながら E-M-M

明日になればもうここに僕らはいない めぐるすべてのもの 急ぎ足で変わっていくけれど
さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ 雨に濡れながら僕らはおとなになっていくよ
TATTOO-Y


夏の一日を荒川土手に遊ぶ。自転車にまたがるのは2週間ぶりだ。はじめは全身がこわばったようで、思うように操縦できなかった。ペダリングもぎこちない。それでも、平井大橋を渡るころにはいつもの7割くらいの調子が戻っていた。

いっきに荒川土手につづく坂道を駆けあがる。目の前に河川敷の広大な緑にあふれた光景が広がる。夏の青い空と緑と川面を渡ってくる風。全身がはじけてしまいそうなほどに気分が高揚する。

しばらく土手のてっぺんに座って風に吹かれていた。夏草の青い匂いがする。メロン水の匂いがする。甘酸っぱい匂いがする。スイカの匂いやトマトの匂いや麦の匂いや電気ブランの匂いさえする。笑い声や怒鳴り声やカッキーンという音やサワサワサワーという音やブーンという音やひゅるるるぅという音が聴こえてくる。風は実に様々な匂いや音を運んでくるものだ。

思うぞんぶん風に吹かれてから、土手の草むらを河川敷に向かって一直線に駆けおりる。わが愛馬はいたってゴキゲンである。荒川の上流へ向けて哲の馬を走らせていると、サッカーのグランドや野球のグランドがいくつも見えてきた。しかも、そのすべてのグランドはゲームの真っ最中だった。

そのうち、いちばん白熱している少年サッカーの試合を見物することにした。文字通りの意味で「高みの見物」を決め込んだ。自分はいずれのチームにもなにひとつしがらみはないのだし、どちらが勝っても負けてもいっさい関わりがない。初めはそう思っていた。ところが、試合に出場しているこどもたちの家族とおぼしき人々の会話を聞いているうちに、俄然、ゲームにのめり込んでしまった。なんでも、そのゲームはなんとか地区(よく聞き取れなかった)の決勝戦で、勝てば本選(これもなんの「本選」なのかはわからずじまいだった)への出場権を獲得できるらしい。

「雨の日、風の日、雪の日。一日も休まないで練習してきたんだものねー。勝たせてあげたいわよねー」

スポーツとは生まれてこのかた御縁のなさそうな体型をしたジャンボなママさんが言った。このママさんは応援団長でもあるらしく、試合の最中、ものすごい大音量で檄を飛ばしまくっていた。

ゲームはあきらかにジャンボ・ママさんチームの劣勢だった。相手チームの個人技を中心にすえた洗練された試合運びに対して、ジャンボ・ママさんチームのプレイは野性味はあったが、それは所詮、百姓一揆的なサッカーにすぎないように思われた。

ゴールキーパーのファイン・セーヴの連続でジャンボ・ママさんチームは辛うじて失点をまぬかれ、前半が終わった。ゴールキーパーの少年はよほどつらかったのか、ベンチに戻ってくるなりコーチに抱きつき、大声で泣きじゃくった。私はこの時点でジャンボ・ママさんチームの勝利はないことを確信していた。だが、しかし ── 。

後半に入ってもジャンボ・ママさんチームの劣勢はかわらなかった。百姓一揆的蹴球V.S.ソフィスティケーテッド・フットボール。憎らしいほどに相手チームは巧く、速く、強かった。だが、なぜかゴールを割ることができない。気まぐれな勝利の女神はちょっとだけいたずらをしたかったのかもしれない。そして、奇跡は起こった。

ファイン・セーヴを連発していたゴールキーパーが渾身の力を込めてボールを蹴る。ボールは真っ青な空に向かって永遠に上昇をつづけてゆくかと思われるような勢いでぐんぐん伸びてゆく。

ボールがひとくれの雲にまぎれて消えたかと思ったその直後、ディフェンスとゴールキーパーの中間地点にボールは落下してゆく。そこに味方のフォワードが怒濤のごとく走り込んでいた。彼は一瞬、ゴールキーパーのほうに目をやり、そして落ちてきたボールをダイレクトで蹴った。蹴ったというよりも触れたと言ったほうが事態を正確にあらわしている。

前進守備のゴールキーパーの頭上をゆるやかな弧を描きながら、ボールはゴールに吸い込まれていった。

歓声。怒号。落胆。いろいろなものが一瞬に吹き出した。タイム・アップまで5分を切っていた。このとき、だれもがジャンボ・ママさんチームの勝利を確信したはずである。だが、しかし ── 。

混乱の中で、相手チームの選手たちは冷静だった。個人技と正確なパスまわしで敵の陣営深く入り込み、セオリーどおりにゴール前で待ち受けるセンターフォワードに正確無比なセンタリングを上げる。豹のような面差しのセンターフォワードはあたりまえのようにジャンプし、頭ふたつ分抜きんでた状態で頭をひと振りした。ボールは一瞬止まったかのように見えて、物凄いスピードでゴールキーパーの真横を抜け、ゴールネットに突き刺さった。

悲鳴。落胆。怒声。残り時間2分。

「PK戦に持ち込めー!」

ジャンボ・ママさんが叫んだ直後だった。ついに、あるいはやっと勝利の女神が微笑んだ。それまで冷静なゲーム・メイキングでチームを動かしてきた相手のミッドフィールダーがセンターラインを越えたあたりで全身をバネのようにしならせてボールを蹴った。

ボールは弧を描くことすらせずに一直線にジャンボ・ママさんチームのゴールに吸い込まれていった。ゴールキーパーは最後の最後にきて、身動きひとつできなかった。ゴールインと同時にホイッスルは鳴り、ゲームは終わりを告げた。

全身でよろこびをあらわす勝者。
泣きじゃくり、うずくまる敗者。
たったひとりの勝者とたくさんの敗者。

そのことを思って、私はどうしてもその場を立ち去ることができなかった。荒川を渡ってきた風が目の前で向きを変え、勝者も敗者もいない静かなグランドを吹き抜けていく。またひとつ、夏の終わりが近づいたように思えた。すべては2000トンの雨が洗い流してしまうとも知らずに。

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さよなら夏の日 - 山下達郎
さよなら夏の日 - MrSiokaze (Classical Guitar Solo)
 
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by enzo_morinari | 2014-06-26 16:54 | 夏への階梯 | Trackback

隠蔽される「世界の起源」と露出する世紀 ── アート・テロリストよ。オルセーを爆破せよ!

 
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そのころ、「世界の起源」はまだ京急700形電車の品川行き42輌編成の快速特急に揺られることで、かろうじて安定を保っているかにみえた。伊勢丹アスホールで行われる「ミレー、コロー、クールベ展/バルビゾン派の巨匠たち」を告知するステルス・ステンシル・ステッカーが京急700形電車のあちこちに貼られ、バンクシーはギンズバーグ・ケルアック・バロウズの揺りかごの中でビートニクな寝息を立てていた。

さらには、石礫を隠し持つサンダル履きのデヴィッドがチャタレー夫人のスパンキング・ラヴァーとしてゴリアテに戦いを挑んだのちの「猥せつ裁判」の証言台で「アカデミック・アート? それってうめえのか?」と雄叫びを上げ、その様子を別アングルから盗み見ていたジャン・オーギュスト・ドミニクはラ・グラン・オダリスクの豊満な脹ら脛を愛撫しつつも奴隷解放運動にうつつを抜かすクンニヨーシ・ウタガーワの謀殺計画を玄人専用クロッキーに描いていた。

よもや、40年後に『世界の起源』の前で正真正銘の「世界の起源」を露出し、オルセー美術館を震撼慄然騒然とさせるパフォーマンス・テロリストが出現しようとはだれも想像できない牧歌的な時代だった。主犯であるところのバルビゾン学校の悪童、ギュスターヴ・クールベでさえ。

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パフォーマンス・テロリストの前に立ちはだかる取りすました道徳律と価値観の甲冑を外装した黒ずくめの学芸員も、ゆうべはパフォーマンス・テロリストよりもっとふしだらであられもない姿態をさらけだしていたことだろう。今夜はさらに過激に扇情的に痴情痴態に拍車がかかるはずだ。淫蕩と淫靡と淫逸と淫怠は権威を偽装する。

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いまや、世界は「露出する世紀」のただ中にある。あらゆる事態/事象/現象は露わとなる。Facebookで。Twitterで。SNSで。YouTubeで。ニコ動で。FC2動画で。ピンからキリまで。糞味噌いっしょくたに。賢者から愚者までもろともに。アノニマス/サインの別なく。センス/ノンセンス取り混ぜて。際限なく。途方なく。のべつ幕なしに。

リアリズムと赤裸なエロチシズムは取りすました道徳律と価値観を根こそぎ木っ端微塵にする。意識しようとしまいと、そして、望むと望まざるとにかかわらず、われわれは例外なく窃視者/視姦者であり、つねに共犯関係にある。


アート・テロリストどもよ。世界中のミュゼを爆破せよ!


Performance Terrorist Does Impromptu Reenactment of "L’Origine du monde/The Origin of the World" Yes, THAT Painting.
 
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by enzo_morinari | 2014-06-21 15:19 | 沈黙ノート | Trackback

「携帯電話税」をめぐるデクノボウ三世議員中山泰秀と悪辣官僚と腐れ電通の裏取引きと密約

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by enzo_morinari | 2014-06-20 15:40 | 沈黙ノート

「携帯電話税」をブチあげるデクノボウ三世議員中山泰秀の電通時代の悪業

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by enzo_morinari | 2014-06-19 18:18 | 沈黙ノート

パリの空の下のバラ色の人生 ── ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」したあとハシゴ酒する。

 
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ラデュレのバールで「君の瞳に乾杯」する。
遠い異国から客人が遥々やってきた。バツイチになったばかりだというその人物はインターネット黎明期に吾輩が出没していたあるチャット・ルームの常連で、当時は大学生だった。吾輩の幻惑衒学のエクリチュール・クワルテットによってコテンパンにされていたうちの一人である。

「酒は飲めるのかね?」
「はい」
「かなり飲めるのかね?」
「はい」
「ものすごく飲めるのかね?」
「はい」
「では、君の瞳に乾杯だ」

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安酒がやけにどてっ腹にしみる夜だった。
「だれにだって触れられたくない疵のひとつやふたつはある」と吾輩は言い、カルヴァドスの杯をあけた。そして、隣りにいる遠い異国から来た若者をみた。若者はうつむき、大粒の涙をぽたぽた床に落としている。

「なんの涙だね?」
「言いたくありません」
「言いたくなくても言うんだ」
「言わないとだめですか?」
「言わないとだめだ。それが掟である」
「なんの掟ですか!」
「吾輩と一緒にいるときの掟である」
「言います」
「いい子だ」
「うれし涙です」
「そうか。では、今夜は好きなだけ泣いてよろしい。いや、吾輩が泣かしてやる」

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本物の一流になることが一番大事なことなのだ。
「いいか? ここが肝心なところだからよく聴くんだぜ」と吾輩は言い、カルヴァドスをシルヴプレした。遠い異国から来た若者の眼にいつのまにか輝きが戻っている。

「今、すごく気分がいいだろう?」
「はい」
「なぜだと思う?」
「わかりません」
「考えろ」
「考えてもわかりません」
「わかるまで考えなさい」
「日が暮れてしまいます」
「もう夜だ」
「それじゃあ、夜が明けてしまいます」
「夜明けは遠い」
「うーん」
「もう逃げ場はない」
「もう死にたいです」
「仕方のない奴だ。では、教えてやろう」
「はい」
「本物の一流の場所で本物の一流と一緒にいるからだ」
「あ。なるほど」
「本物の一流になれ。いいな? 吾輩は本物の一流と本物の一流になる可能性のある者と本物の一流になろうと努力する者としかつきあわない」
「はい。でも、本物の一流になるためにはなにをすればいいんですか?」
「知りたいかね?」
「はい。もちろんです」
「どうしても知りたいかね?」
「どうしても知りたいです!」
「ロハで?」
「おカネは帰りの飛行機代しかありません」
「困ったな」
「わたしも困ってます」
「きみに困られては吾輩はもっと困る」

吾輩が言うと遠い異国から来た若者はくくくと笑った。

「本物の一流になるためにはだな ── いつも、常に、求めることだ」
「はあ? それだけですか?」
「無料の場合はこの程度である」
「飛行機代はあきらめます」
「ほんとか?」
「本当です!」
「本当の本当か?」
「本当の本当の本当です!」

遠い異国から来た若者の眼を覗きこむ。よし。腹をくくった眼だ。吾輩の眼に狂いはない。

「覚悟を決めたんだな?」
「決めました」
「どう決めたんだ?」
「飛行機代がないくらいで命を失うわけではありません」
「自分で答えをみつけたじゃないか」
「え?」
「つまりだな。いつ死んでもよし。臨終はこの瞬間、このたった今、現在のまっただ中にあるということだ」
「はあ…」
「つまりこういうことだ。アマゾンの奥地であろうとアフリカのサバンナのど真ん中であろうとマリアナ海溝の最深部であろうとアネイブル・コントロール中のV-22オスプレイの操縦席であろうとヨハネスブルグのポンテ・アパート42階の4242号室であろうとメイク・ラブの真最中であろうとめしもろくに喰えない貧乏どん底の困窮困憊の日々であろうと最愛の子、最愛のパートナー、最愛の親兄弟を失おうと、いつも、いかなるときにも、いかなる境遇にあろうとも、常に志をもって求めることだ」
「はあ…。でも、なにを求めたらいいんでしょうか?」
「ばかもの! それくらい自分でみつけやがれ!」

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世界の天井でハシゴ酒というのも乙なものだが、飲んだ酒は甲類である。
吾輩と遠い異国から来た若者は杯をかさね、ラデュレのバールのあと3軒ハシゴ酒した。

ベルモケで聴くジャッキー・テラソンの『Sous le ciel de Paris』は吾輩と遠い異国から来た若者の心にしみた。リヴェ・ドゥ・ラ・セーヌ・ア・パリを二人並んで歩き、ポン・デザールとポン・ヌフとポン・ロワイヤルを渡り、巨大な宝石、ポン・アレクサンドル・トワを1往復半して右岸に戻った。


アレクサンドル3世橋の女神たちにナンパされかかる。
4人の女神の前を通りすぎるたびに女神どもがウィンクしてきたが吾輩は華麗にスルーした。ピエール・グラネの女神だけが怒りの形相になり、闘いを挑んできたが、遠い異国から来た若者はその異変にまったく気づかない。暢気なものだ。ピエール・グラネの女神は吾輩がひと睨みするとすごすごと元の場所に戻っていった。


それにつけても、やはり人生はバラ色だ。
アレクサンドル3世橋を1往復半するあいだに吾輩は「本物の一流になれ」を3回言った。遠い異国から来た若者はそのたびに「はい」と言った。「3回目は自分に言ったのだ」と吾輩が言うと、遠い異国から来た若者がまた大声で泣いた。

「泣け泣け。もっと泣け。ここは世界の天井、パリだ。喜びも悲しみも一番最初に降りかかる」

それにしても、吾輩は本当によく人を泣かせる。天下御免の泣かせ屋一代。いまに始まったことではない。世界の天井でもなにひとつ変わらぬ。これもまた至誠一貫のひとつのかたちである。

遠い異国から遥々とやってきた若者よ。薄紅匂う荒野をこそ行け。なにはともあれ、人生はバラ色だ。

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La Vie En Rose - Edith Piaf
La Vie En Rose - Jacqueline François
La Vie En Rose - Sophie Milman
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Yves Montand
Sous le ciel de Paris - Juliette Gréco
Sous le ciel de Paris - Larry Goldings & Harry Allen
 
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by enzo_morinari | 2014-06-17 06:30 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback

みえない世界がみえる女とダマされる人々

 
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おスピちゃん、ヒール・ピープル、エネルギー・マン、パワー・マンと呼ぶ一群の者たちがいる。彼らは例外なく「ダマされる人々」である。彼らはことあるごとに、そして、あらゆる局面場面で「スピリチュアル」と言い、「ヒーリング」「癒し」と言い、「エネルギー」と言い、「パワー」と言う。彼らは一様に物事、事象、現象、事態に対して無批判/無自覚/非論理的/非実証的である。

ダマされる人々は大抵の場合、「目に見えるもの」を信用しない。「目に見えるもの」を卑下してでもいるかのようだ。彼らが重きを置き、価値を認めるのは「目に見えるものの奥にあるもの」である。

彼らはどのようにして「目に見えるものの奥にあるもの」にたどり着こうとしているのかと言えば、彼らが言うところの「直感」に頼ってである。そして、彼らをダマしている者が見るのは銀行の預金通帳だけだ。


逗子の海の小さな入江に面した古いレストランのテラス席で昼めしを食べているときのことだ。

みえない世界がみえるのよ。 ── とても良心的で誠実で手抜きのいっさいない「良妻のスープ」を食べ終え、アボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかったとき、隣りのテーブルからヒステリックにうわずった女の声が聴こえてきた。フォークを静かに置き、気取られないように注意深く声のしたほうを見た。

声の主は40代半ばの女だった。テーブルにはその女のほかに5人の女たちがいた。年代はばらばら。高校を卒業して間もないと思われるような少女。どう贔屓目に見ても70歳を過ぎているような老婦人。髪を無造作にひっつめた30歳くらいの女。いかにも生活疲れしていることが見てとれる50代半ばの太り気味の女。貪欲なカマキリのような眼をした20代後半の女。

波の音が邪魔をして、ときどき、彼女たちの声をところどころ掻き消したが、それでも会話の内容は十分に理解できる。

ドリーン・バーチュ 、ゲリー・ボーネル、バシャール、ヒーリング、ヒーラー、オーラソーマ、ゲアリー・クレイグ、エモーショナル・フリーダム・テクニック、オリバー・バークマン、フランシーン・シャピロ、眼球運動による脱感作および再処理法、あなたは特別、あなただけに、アセンション、次元上昇、5次元の地球、ライトボディ、半霊化した肉体、弥勒の世、菜食、縄文に帰る、前世、過去生、プレアデス、シリウス、オリオン、ポールシフト、フォトンベルト、波動、聖地、パワースポット、瞑想、チャネリング、天之御中主神、天照大神、天使、精霊、女神、光と闇、波動、13の月、マヤ暦、クリスタル、チャクラ、イルミナティ、オーラ、UFO、結界、ソウルメイト、ソウルグループ、シャスタ山、和の舞、EFT、EMDR

これらの言葉が次から次へとみえない世界がみえる女の口から澱みなく出る。不意に、「みえない世界がみえる女はじきになにかを売りつけるぞ」と思った。

みえない世界がみえる女が彼女たちのリーダーであることはすぐにわかった。ほかの女たちは神の言葉を待つような表情で女に視線を集中させていたからだ。みえない世界がみえる女以外の者はひと言も口をきかなかった。

みえない世界がみえるのよ。あなたもでしょう?」

みえない世界がみえる女に同意を求められたのは線の細い、悲しげな眼をした少女だった。

「みえます。はっきりと」

少女は少し間を置いてから、よく通る声で答えた。少女の答えを皮切りに、結局、全員がみえない世界がみえる女になった。「ただの同調圧力じゃないか」と思ったが、彼女たちは真剣だった。

再びアボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかった。アボカドとパンをフォークに一緒に刺して口に運ぼうとしたとき、リーダーとおぼしきみえない世界がみえる女が濃いブルーのエルメスのバーキンからコバルト・ブルーの箱を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。私は、再びフォークをテーブルに置いた。

みえない世界がみえる女1号は神殿で行われる聖なる儀式にでも臨むような芝居がかかった表情と仕草で箱の蓋をあけ、中から淡いピンクのアルシュ・ペーパーの包みを取り出した。そして、ゆっくりと「御神体」でも扱うように注意深く包みを開いた。

中身は水晶のネックレスだった。それもきわめて質の悪い水晶。中国製であることが一目でわかるほどの粗悪品だ。水晶自体の真贋、優劣を判別するのは経験と見識と高度な鑑定眼を必要とするが、台座やチェンの加工、細工の善し悪し、高低についてはそれほど難しいものではない。みえない世界がみえる女1号のネックレスはあきらかに噴飯ものの粗悪劣悪品だ。

みえない世界がみえる女1号はもっともらしい講釈を始めた。やっぱり。予想していたとおりだ。

「これでさらに上の次元に行けるのよ」

みえない世界がみえる女1号は神のお告げのように言った。

「おいくら?」

口火を切ったのは老婦人だった。

「80万円ですよ。ちょっとお高いようだけど、由緒来歴がちがいますからね。そんじょそこらのクリスタルとは」

そんじょそこら? そのひと言でみえない世界がみえる女1号の素性のあらかたが透けて見えた。私こそがみえない世界がみえる者だ。

驚くべきことに、あるいは当然、女たちは我先にと水晶のネックレスを手にし、みえない世界がみえる女1号から手渡された「契約書」に書き込みはじめた。

彼女らに「中国製の粗悪な水晶」「霊感商法」「クーリングオフ」のことを言っても聞く耳を持たないだろう。もはや、手遅れだ。行くところまで行って、つまりは、堕ちるところまで堕ち、家族を失い、信頼を失い、地獄を見てくるがいい。地獄の釜の蓋の色や亡者どもの肌の色をじかに見てくるがいい。自分で選んだ道だ。だれを恨んだところで、すべては筋ちがいというものだ。

一番年下の線の細い、悲しげな眼をした少女は不安そうな眼でちらとこちらを見た。おスピちゃんだ。

おスピちゃんの日常を想像する。

おスピちゃんは石が大好きだ。折り紙付きの意志薄弱で、意志はこどもの頃から電気グルーヴの音楽みたいに激しく脱臼しつづけているが、石が好きなおスピちゃんはきょうも日がな一日、おイシちゃんたちとの仲良しごっこに余念がない。

おスピちゃんのまわりにはおスピちゃんとよく似た人々が群がってくる。彼らが交わす会話は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」以外の言葉はよく聴き取れない。これに、「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」という単語が混じる。おそらく、ほかにもなにか言っているのだろうが、どんなに耳をそばだてても聴き取ることはできない。きっと、おスピちゃんたちの世界は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」でできあがっているんだろう。素晴らしいことだ。ヨハネスブルク・キッズもコッチェビ・ボーイもチェルノブイリ・ベイビーもフクシマ・チルドレンもこれで前途洋々である。未来にはなんの心配もいらないし、ひとかけらの不安もない。

おスピちゃんはこの春から「スピリチュアル・ダイバー1級」の資格をえるためにスピリチュアル・ダイビングスクールに通いはじめた。北鎌倉の建長寺前にあるスピリチュアル・ダイビングスクールはおスピちゃんとおなじような精神構造、顔つきをした人々でたいへんな賑わいをみせている。スピリチュアル・ダイビングスクールの校長であり、創設者は「ミイラとりがミイラ殺人事件」で一躍スピリチュアル世界に勇名を轟かせたライフ・スペースの残党である。馨しき嘘臭さぷんぷんの校長、シマヅ・コーイチの口ぐせは「自分を乗り越えろ」だ。

スピリチュアル・ダイビングスクールの生徒は自己啓発セミナーを同時受講しているか、過去に受講経験を持つ者が大半である。素晴らしい。まことに素晴らしいかぎりである。よほど自分の中にダイビングするのが好きなんだろう。だが、一様に彼らには「自己」がない。付和雷同型である。危うい。世界にごまんといる頬笑みを湛えたしたたかなならず者にかかったらイチコロのはずだ。

授業開始を知らせるジョージ・ウィンストンの『Fragrant Fields』が構内に流れ、生徒たちが入学時に100万円で買った校章入りのラピスラズリのネックレスが揺れるジャラジャラという音が響きわたった。「頑張らなくちゃ。なにに頑張るのかはわからないけど、とにかく頑張らなくちゃ」とおスピちゃんは強く思った。

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おスピちゃんの愛読書は、「ナカミチDRAGON記念第42回しぶとい女世界選手権」の覇者、ジョーン・ドゥドーン・マクレーン著『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry(邦題:精神世界の外縁の端っこの先っぽ/急ぎ仕事と付け刃の災難)』だ。

『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』にはいかなることが書いてあるかというとさっぱりである。すっからかんである。Out of Ganchuそのものである。にもかかわらず、おスピちゃんは『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をいつもビューティフルで潜在意識だらけでライトボディでミニマリズムかつニューエイジかつシフトなトートバッグの中に入れて持ち歩いている。そして、おスピちゃんはなにかというと『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をドヤ顔で取り出し、読む。ときに引用する。

おスピちゃんの言うことを聴いている者たちの表情は一様にうっとり恍惚としてはいるが、実際には彼らはおスピちゃんがなにを言っているのか、なにを言いたいのかまるっきり理解できていない。当然だ。おスピちゃんの言うことには内容、中身がないからだ。内容、中身がないのに「語られていること」を理解することなどだれにもできない。たとえそれが虹のコヨーテや呪われたアルマジロやGRIP GLITZや海を殺した女やメニエール・ダンサーのガジンであってもだ。

かつてジョーン・ドゥドーン・マクレーンは『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』と題した一文を雑誌『ニューエイジャー』に寄稿したことがある。それは世界中のスピリチュアリスト、スピリチュアル系、スピ者、好き者、インド屋、あっち系、こっち系、そっち系、どっち系、どっちら系、とっ散らかし系、彼岸系、平行宇宙系、5次元世界系、女神系、お天使ちゃん系、不思議ちゃん系、パワースポット系、波動信奉系、プレアデスシリウスオリオン系、フォトンベルト系、弥勒ちゃん系、パストラル系、ヴィジョンがみえるちゃん系、瞑想系、チャネリング系、ヒーリング系、木花之佐久夜毘売系、大好きな石はクリスタル系、チャクラ系、イルミナティ系、エジプト系、オーラ系、UFO系、光と闇系、タロッター系、13の月系、マヤ暦系、結界系、ソウルメイト系、シャスタ山系、和の舞い系、聖なる性系、アセンション系、光の身体者、千年紀待望者、ウィンダムヒル・マニア、ニューエイジ・ピープルの信奉を集めるガネガネ・ウソッパチマヤカシインチキ・セドナ・ストーン・コレクター、『ニュートン』の熱心熱烈な読者、「真理獲得のためには危険を冒してでも危険な枝の先っぽまで登らなければならない」が口ぐせの者たちを魅了し、虜にした。ふざけた話である。なぜなら、『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』はディック・トレイシー・ハイド・ウォーレン・ベイティとの近親相姦について文法上の誤謬と誤記とゴカイとイソメまみれの駄文に過ぎなかったからだ。

その愚劣愚鈍さは勘ちがい気取り屋湘南バカ夫人クラスである。ジョーン・ドゥドーン・マクレーンの当てずっぽう当て推量な「預言」どおり、メルセデス・ベンツのフロント・グリル外縁が神宮外苑銀杏並木の青山通りから12本目の銀杏の樹の下に埋められているとしても、看過できない悪辣さを『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』は孕んでいる。

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メルセデス・ベンツはフロント・グリルの新型スリーポインテッド・スター・イルミネーション方式に対する不法行為を理由にジョーン・ドゥドーン・マクレーンに対して損害賠償請求の訴えを起こさなければ長年のメルセデス・ユーザーとして納得できない。この夏にはベントレーのコンチネンタルSPEED GTに乗り換えるのでどうでもいいことにできなくはないが。


そんな胡乱な状況にもかかわらず、おスピちゃんは能天気極楽とんぼ丸出しできょうも『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』に夢中、鼻高々である。『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』の書き出しはこうだ。

Life is Life.

まいりました。<(_ _)> m(-_-)m orz〜

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by enzo_morinari | 2014-06-16 11:35 | 沈黙ノート | Trackback

記号の都市から記憶の森へ 記憶番号000・死んで四大に還ること

 
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死んで四大に還って集合的な存在に一旦融解するとすれば、輪廻転生を繰り返す場所もこの世のここでなければならぬという法はなかった。MSM19701125


記号の都市を出奔する。また会うこともない青い山が遠ざかり、後ろ姿が時雨れゆくのにもかまわず、蜩がうるさいほどに鳴きしきる記憶の森に分け入って半日ばかりもさまよい歩くと鏡のように凪いだ海に出る。

Mare Fecunditatis. 豊饒の海。時間の彼方に朧々と揺曳するものと空間の彼方に燦然と存在するものの翳のいくつかが、時折まばゆい光跡を曳航しながら気高く赫奕とした閃光を放つ。その光は栄光がときに苦いものであることの証明であり、命をつらぬく矢でもある。

激烈な憤怒の果てに生/死と清/濁と聖/俗と善/悪と美/醜をもろともに喰らう気分で豊饒の海の入江のひとつに足を滑りこませる。しばし、豊饒の海のぬるい水塊を身体の隅々にいきわたらせてから泳ぎはじめる。どこまで/いつまで泳ぐのかは判然としない。

豊饒の海を泳ぎきったと見切りをつけて視線を上げる。目がつぶれるほどの群青あるいは紺碧をたたえた空が広がっている。

海はと言えば、ひとしずくの墨を垂らしたような幽けき波紋が際限もなく生起消滅している。

ここは豊饒の海ではない。豊饒の海とはちがう。セイレーンがやむことなく子守唄を歌う沈黙の海か? それともちがう。

記憶もなければなにもないところに来てしまったのは確かだが、記憶もなければなにもないところに来てしまったと思う先には、四大が渾然として寂静を醸す、元いた記憶の森の入口が大きな闇口をあけていた。

あすの朝には忘却の湖へ足をのばすことになる。しばしの休息をとらなければならない。


記憶の森の蜩どもの声の雨
 
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by enzo_morinari | 2014-06-14 16:36 | 記号の都市から記憶の森へ | Trackback

牌の痕 ── そして、銀座2丁目の路地裏に朝がきて、男たちはそれぞれの戦場へと帰還した。

 
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泡の時代のまっただ中、1988年の冬。クリスマス・ソングが街のあちこちから聴こえていた。私は血煙を上げながら仕事をしていた。カネはうなるほどあった。いずれ、世界一の大金持ちになってやると思っていた。愚かだった。舞い上がっていた。奢りたかぶっていた。生涯最高最悪にして忘れえぬ麻雀の対戦が迫っていた。

その頃、私は30歳になったばかりの若造だった。怖いもの知らずの小僧っこだった。心をゆるしたごく少数の年上の理解者をのぞけば、だれにも頭を下げなかった。傲岸不遜を絵に描いたような輩だった。周囲はそれをゆるし、私はそれを当然のことと受け取った。嫌なやつも甚だしいといまにして思うが、当時は露ほどの反省もない日々を生き、浮かれ騒いでいた。

麻雀牌に初めて触れたのは7歳の秋。おとなたちのやっている麻雀をひたすら観察し、麻雀のルール、約束事、掟をおぼえた。すぐに麻雀に取り憑かれた。

麻雀卓を囲んだのは麻雀牌に触れてから2ヶ月後の正月である。勝った。勝ちつづけた。最初は笑っていたおとなたちの顔色が少しずつ変わっていき、遂には真顔になった。怒ってわけのわからぬ奇声を発する者まで現れた。

結局、私の圧倒的な一人勝ち。ほかの3人は箱テンだった。ただ勝ったことが嬉しかったのではない。対戦者を完膚なきまでに叩きのめしたことが嬉しかった。私のそのメンタリティは生来のものである。手加減なし。容赦なし。いまもそれは変わっていない。

麻雀は運と記憶力と構成力と観察力のゲームである。麻雀の上手下手を技術力の高低のように言う者が時折いるが、私はその考えを取らない。運が7割。あとの3割は記憶力と配牌から和了までをいかに組み立てていくかという構成力と対戦者の心の動きを見抜く観察力である。運、ツキのないときはいくらやっても勝てない。

私は運気を読むことに長けていた。これも生来のものだ。運、ツキがないと思ったら、どんなに誘われても断る。これは麻雀に限ったことではない。もちろん、運気、潮目を見誤るときはある。最大の誤謬はバブルの時代の引際を見誤ったことである。そして、すべてを失った。

その泡の時代の全盛期。ある画商から麻雀の代打ちを依頼された。私が麻雀が強いことは関係者の間ではつとに知れ渡っていたのだ。儲けは折半。つまり、山分けである。負けた場合も同様である。レートは1000点棒1本が100万円。箱テンを喰らえば3000万円が消えてなくなるというとんでもない麻雀である。だが、強い運気を感じた。私は二つ返事で代打ちを引き受けた。必ず勝てるという確信に近いものがあった。

ゲームは12月23日の昼から始まった。場所は銀座2丁目の裏通り、とある雑居ビルの一室。秘密クラブだった。扉は分厚い鋼鉄製で、何重にもセキュリティが施されていた。豪奢な調度類と快適な空調、そして至れり尽くせりの響応。ソファにはマッサージ機能までが備わっていた。およそ麻雀をやるうえで考えうる最上の設備と環境だった。ここでいままでにいったい何百億のカネが動いたのかと考えると自然に武者震いが起った。

対戦者はいずれも初対面だった。どいつもこいつも顔をてらてらてかてかさせ、ダブル・ブレステッドのスーツを着込み、ヴェルサーチのド派手なネクタイを締め、カルティエやらデュポンやらダンヒルのライターをかちゃかちゃ鳴らしていた。「こんなやつらなら、ひとひねりだ」と私は思った。だが、それは大きなまちがいであったと気づくのに時間はかからなかった。

麻雀は短編小説を紡ぐのに似ている。配牌は書き出し。但し、これには自分の経験、知識、考え、配慮、好き嫌いは及ばない。ただ厳密には、自分の持っている運気、ツキが目の前の14牌乃至は13牌を配すると言えなくもない。幸運か天運か強運か、はたまた悪運か悲運か。それはこの際、問題ではない。この段階の最高の運は和了していること。すなわち、天和である。天和を和了すると命運が尽きて命を失うなどというのは妄言である。麻雀ごときで命を失うような命運なら尽きてしまったほうがよっぽどいい。

次は第1ツモもしくは対戦者の捨て牌による和了である。ツモって和了すれば地和。対戦者の捨て牌で和了すれば人和。ルールにもよるが、いずれも役満貫である。

そして、いよいよ次のフェーズからが麻雀本来の醍醐味である。牌をツモる。手牌の組合せは98,521,596,000通りある。役の高低の別はともかく、98,521,596,000通りの中に和了は存する。すでに手の内にある牌の順列組み合わせ、確率、場に捨てられたそれぞれの牌種、ゲーム全体の流れ、対戦者の顔色、表情、仕草、発言、そして自分の勘の冴え、閃きの確度等々について勘案する。それも短時間のうちに。ここでモタつくとゲーム全体の流れを乱し、自分の運気にも影響を及ぼしかねない。

私は確率論的にもっともツモる確率の高い牌種から順番にプライオリティをつけ、どの牌をツモったらどの牌を捨てるかツモる前に決めておくからツモと同時に打牌を行う。対戦者へのプレッシャーの意味合いもある。もっとも、対戦者のポン、チーによってそれが乱されることもある。これはいたしかたない。なにごとも思うようにはいかないというのは麻雀においても言えることなのだ。そして、和了へ向けて物語はつづく。

臨機応変、変幻自在にストーリーを変えながら和了することができればそれは物語のひとつのオチである。当初に想定したとおりの役で和了できたときの快感はたいへんなものだ。和了がれなければオチなし。どんなに手役がよくても、たとえ、九蓮宝燈を聴牌していても和了できなければオチのない役立たず、駄作以下ということになる。

さて、箱テン3000万円麻雀は静かに幕を開けた。ゲームは対戦者全員気負いもなく、スムーズに進む。つまらぬ鳴きがないのはいい傾向だった。「喰いタンヤオなし。役の完全先付け」ルールが功を奏した格好だ。

私の下家がいきなり清一色をツモ上がり。レイトン・ハウスの専務だった。名うての地上げ屋。顔に覚えはある。1200万円を手にしても眉ひとつ動かさず、涼しい顔をしている。クールだった。

1荘。2荘。3荘。4荘。5荘。6荘。7荘。8荘 ── 。一進一退の攻防がつづいたが、私はジリ貧だった。終局し、集計のたびに数百万円の札束がボストンバッグから消えていく。焦りがなかったといえば嘘になる。だが、必ず勝利できるという確信に微塵も揺らぎはなかった。

「最近の地上げはどうですか?」と株式投資コンサルタント会社の社長が言った。
「ほんなもん、ぼちぼちですわ」と第一不動産の常務が答えた。締まりのない関西弁に虫酸が走る。私がもっとも忌み嫌うタイプの男だった。
「赤坂9丁目の物件、どないしましょ?」
関西弁男がレイトン・ハウス専務に言った。レイトン・ハウス専務はカプリを1本抜き出して火をつけ、深々と吸い込んだ。そして、答えた。
「仕事の話はやめましょう。きょうは遊びにきたのでね」

箱テン3000万の麻雀が遊びか。やはり、クールなやつだ。この男とはいい付き合いができると思った。暗黙のうちに、私とレイトン・ハウス専務VS関西弁男と株屋という対立図式が出来上がった。負けは数千万にのぼっていたが、不思議な闘志が湧いた。どのような戦いにも戦友は必要である。

そして、ついに最終荘。南場最終局、起家。配牌はマンズ気配濃厚。ドラの五萬と南はトイツだ。アンコにすれば、それだけで四翻。ソーズとピンズの端牌が混ざっている。清一を狙うか。ドラをアンコにして南一翻を加えたうま味を活かすか。迷った。大いに迷った。そして、決めた。

打牌、五萬。誰ともなく、「えっ」という嗚咽が洩れる。流局はすでに8度。親である私の卓の右隅には8本の100点棒と12本のリーチ棒。1280万円が無造作に並んでいる。リャン翻縛り。これで、安い手役で上がる道は閉ざされた。

最終章は静かに進んだ。緊張が徐々に高まる。中盤すぎ、それまでの5巡、ツモった牌をすべて牌中に収めていた関西弁男がドラ切り。表情と顔色と仕草から見て、かなりの好手であることがわかる。レイトン・ハウス専務がすかさずチー。これで流れが変わった。

私は勝負に出た。意識は冴え冴えと澄みわたり、すべての流れが見通せた。勝てると思った。勝ったと思った。

待ちに待ったカンドラの九萬が入る。六萬九萬の聴牌。次巡、六萬をツモり、和了。ツモピンフサンショクドラ1。親マン。凡庸きわまりない。和了役と点数と負けている分を差し引きする。負け越し。場を見る。私が喉から手が出るほど欲しいのは九萬だ。

四枚のうち、私の手牌の中に1枚。そして、場に2枚。残るは1枚。どうしても欲しい最後の1枚。牌の山に眼を凝らす。次のツモは海底牌だ。

考える。再度、海底牌に眼を凝らす。考えをめぐらす。だめだ。こんなつまらぬ手役できょうの物語を終わらせるわけにはいかない。こんなことのために困難な戦いをつづけてきたのではない。これは誇りに関わる問題である。

さらに、海底牌を見る。じっと視る。凝視する。見えている部分をすべて視る。そして、私はこの和了を捨てることに決めた。

ゆっくりと和了牌の六萬に指を伸ばし、掴み、打牌した。天の意思も大地の歌も人間の息づかいも河の流れも海のうねりもすべて視えた。心は穏やかで晴れ晴れとしていた。

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「男前リーチ!」

私は打牌と同時に宣言した。対戦者の驚く表情が愉快でならなかった。最後のツモ、最後の九萬にすべてを託す。

場が一気に緊張する。下家のレイトン・ハウス専務は淡々とした表情でツモり、迷うことなく現物牌を捨てる。同じく、株屋も現物打牌。さんざん迷ったあげく、関西弁男は六萬を打牌した。「ドラ4やったのになあ」の女々しく醜い言葉とともに。

そして、そのときはきた。私は海底牌から一刹那さえ眼をそらさず、手を伸ばし、やさしく指先で牌にふれ、その感触を味わった。指先から温かく深く確実なものが流れ込んでくる。眼を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出した。牌を持つ腕をゆっくりと振り上げ、振り下ろす。私は牌面を確かめることもなく、人差し指と中指と親指でつまんだ牌を卓上に叩きつけた。

「ツモッ!」

リーチ一発ハイテイツモピンフジュンチャンサンショクイーペーコードラ5。

門前清自摸和海底摸月平和三色一盃口同順純全帯ヤオ九ドラ5(興味のある方はこの和了を計算していただきたい)。さらに、オーラスの変則青天井&倍々ルール。

勝った。対戦者の感嘆の声と深い溜息。逆転勝利。しかも大逆転勝利。結局、私の懐には2億円近いカネが転がり込んだ。もちろん、そのカネも数ヶ月後には泡と消える運命ではあったが。しかし、反省も後悔も一切していない。反省やら後悔は頭のよろしい方々にすべてお任せしてある。私の係ではない。

さて、なぜ私は最後の九萬に賭けて、あえて和了牌である六萬を捨てたのか?

牌の痕である。九萬牌の右上隅についていた微小微細な痕によって、私は私がツモる海底牌が九萬の最後の一枚であることをわかっていたからである。

長く険しい戦いを終え、我々は明け方の銀座に出た。4人とも実に晴れ晴れとした顔をしていた。銀座4丁目の交差点まで歩き、握手を交わし、いつかの再会と再戦を約束した。そして、それぞれの戦場へと帰還した。

再会も再戦も果たされぬまま四半世紀の歳月が過ぎた。そのあいだに泡は弾け、一人は自死、一人は自己破産、レイトン・ハウス専務は国外逃亡中である。私が麻雀卓を囲むことはもはやない。私の傷は癒えた。牌の痕もいつか消える。奇跡は二度あるものではない。

1988年冬、泡の時代のクリスマス・イヴ。和光前で聴きたかったのはナット・キング・コールの『メリー・クリスマス・トゥー・ユー』だったが、聴こえてきたのはビング・クロスビーの歌う『ホワイト・クリスマス』である。ツモったのは白ではないし、雪も積もらなかった。この人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。
 
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by enzo_morinari | 2014-06-12 18:14 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback

ハートライト/遠い国から来たポー

 
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心の中にあるハートライトをともそう。こどもの頃にみた夢の途中で。
もう少し眠らせて。自転車でお月様を横切っているところなんだから。
N-D-E.T.-E


ちいさなともだちができた。
手のひらに乗るほどちいさい。

ちいさなともだちはすぐに傷つく。
だから僕がちいさなともだちを守る。
たとえ、世界中が敵になってもだ。

ちいさなともだちの名はポー。
遠い妖精の国からやってきた。


Heartlight - Neil Diamond (*Inspired by the "E.T.")


"Heartlight" Written & Lyrics by Neil Diamond/Carole Bayer Sager/Burt Bacharach

Come back again
I want you to stay next time
'Cause sometimes the world ain't kind
When people get lost like you and me

I just made a friend
A friend is someone you need
But now that he had to go away
I still feel the words that he might say

Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me

He's lookin' for home
'Cause everyone needs a place
And home's the most excellent place of all
And I'll be right here if you should call me

Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me

And home's the most excellent place of all
And I'll be right here if you should call me
Turn on your heartlight
Let it shine wherever you go
Let it make a happy glow
For all the world to see
Turn on your heartlight
In the middle of a young boy's dream
Don't wake me up too soon
Gonna take a ride across the moon
You and me
Turn on your heartlight now
Turn on your heartlight now

 
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by enzo_morinari | 2014-06-11 04:49 | 遠い国から来たポー | Trackback