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Night Dreamer#1 夜を紡ぐひと

 
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夜を紡ぐ者は命を削る。E-M-M


夜泳ぐようになってから19年になる。日本にインターネットが普及しはじめた年と期を同じくしている。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけとして意識して身体を鍛えるようになったことも少なからず影響している。

わたくしは夜泳ぐ。日中は記憶の海の底で眠っている。眠っているあいだ、黄色い道路清掃車が巨大なレモンに変身したり、ヤクルト・ママがレトルト・マーボーと決闘したり、年老いたミニチュア・セントバーナードがミニスカートをはいた過食症のツィッギーに闘いを挑んだり、大理石でできたJ.S. バッハが5本指靴下のピッピと恋に落ちたりといったたぐいの夢芝居を記憶の海の底にある記憶の劇場でずっと見つづける。つねに眠りは浅い。救いは世界樹が順調に生育していることだけである。

目覚めるとコンピュータの電源を入れる。緑色のインジケーター・ランプが点灯し、トスカーナの海に沈んでゆくエンゾ・マイヨルカ・モリナーリのウォール・ペーパーがディスプレイに現れると、記憶の海は瞬時に電子の海へと変わる。

ハードディスクを読み込む小気味のいい音が小鳥のさえずりがわりだ。準備運動をかねて電子の海の入り江のいくつかをゆっくりと泳ぐ。0と1でできた電子の海にはおよそ世界に現象化しうる数々の事象が疾走し、悠々として急ぎ、漂泊浮沈を繰り返している。

すなわち、

「崩壊した時間」の探索のためにすべての週末を非日常性に差しだす者

夕暮海岸で人生の日々をビバークしながらいつの日か天上から「Nice Shot!」の声がかかることを願うフィックル・ソーナンス・ザ・マン

右肩上がりを運命づけられた「新わらしべシステム」普及のために偽ボブとマーサー・ガーサーを道連れに一層三枝点に力をこめる幻師匠

反知性の放射能の非慈雨を浴びながらも、レディ・ヒリンドンとの午後のお茶の会を欠かさず、レモンタイムの胸キュン時間をすごし、「アブラムシなんかに負けるな色葉ここにあり」とオンファロデスとピンクスズランにゲラニウム・マクロリズム仕込みののりのりリズムで声援を送るプラント・プラネット星人

「ギアはいつだってニュートラル!」のかけ声とともに世相と意匠と知性をぶったぎるタマビ・ザ・マン

近江絹糸争議団団長を大伯父に持つ女工哀史研究家にして野麦峠番人而してその実体は沈没蟹工船いの一番に脱出船長のプテキャンの愛人はきょうもきょうとて「世界文化遺産に登録されようと富岡製糸工場がブラック企業であったことに変わりはない!」と連呼しまくるシルク・デイズ

ハーブ・エリスの不思議な三角形に魅入られし鳩の曲芸団団長

遠い夜明けに口笛で『The Great Gig in the Sky』を吹きながらハックルベリー摘みに出かけたまま帰らないトムとフィンのソーヤーな物語を語る佐村河内守掃討殲滅作戦参謀

ミネラル・ストーンの深さと豊かさに魅入られしウェストサイド・ビッグアイランドの女酋長にして茅ヶ崎海岸の魔女

フェニルメチルアミノプロパンの薬理作用によって千鳥足も甚だしいJ.P.サルトル・ボーイ

たかがハート印に浮かれ騒ぐ地方競馬ファンども

破滅への序章たる孤衆のサブプライム・ロンリー問題に業を煮やすプライム・リブ屋

被差別の立場から童話作家を目指すメンヘラー

「かかってこいやあ!」という怒鳴り声や「物静かに退場しろ」という大審問官の退廷命令

悪貨は良貨を駆逐するグレシャム状態のインターネット・ラジオ

公園で飼い犬に排便をさせたときに食事中の土方のおっさんから厳重抗議を受けたアザブ・セレブリティの体験談

格安激うまリタリン丼の耐性研究者

ベネッセ執行役員の教え子の日々の憂鬱

毎朝チヒロちゃんを新幹線改札口まで見送る奥多摩湖中で爆死寸前の銀杏息子の愉快な倫敦留学日記ブログ

タブーとサンクチュアリを日々往還するA級アンプの均衡者

生まれてこのかたねじを巻いたことも巻かれたこともない桃色看護婦の松坂世代ねじまき鳥

決して消すことのできない痛みの記憶を抱えながら横浜の小高い丘からソーダ水の中を通る貨物船に別れを告げるエストリルの風(ピョートル・イリイチの一日はボロディン・クワルテットが黒死館門外不出の弦楽四重奏団に負けじと倍音かましまくる弦楽四重奏曲第1番ニ長調第二楽章『アンダンテ・カンタービレ』で始まるらしいよ。らしいよ)

境界のボートが停泊する光と闇の幽玄の波止場に毎夜接岸するZINZIN船

ふとため息が出てしまう昼下がりの世界一小さな庭の片隅でインクの滲んだ紙ナプキンに息を吹きかけるレイザック・ライザップ・レーシック津和野夫人

葡萄酒の飲み過ぎでジュジュの冒険の後ろと前の区別がつかなくなってしまった女ル・コルビュジェ(専業主婦はいったいいつになったら専業主夫に訂正されるのだろうか? それとも永遠に訂正されないのだろうか? 気になって気になって栗がうまくて仕方ない)

どうでもいいようなことをダラダラ綴りながらも世界のあらゆることがいちいち気にさわるので棒ダラを甘じょっからく煮つけたものに罵詈雑言を浴びせるヘレン西川

アスペルガー・シンドロームと注意欠陥多動性障害を併せ持つ人生の同行者に夜毎殺意を抱く恩讐の彼女

放課後の音楽室でなんでもかんでもズバリ当ててしまうシャープさんフラットさん日本プロレス兄弟がロザン宇治原に『兄弟船』を歌って聴かせる世界の共同主観的存在構造の下部構造の研究にいそしむおしゃれな夜の理屈屋

帝国州の中心で巨大林檎の栽培と販売に余念のない誠実・友情・潔白を探し求めるショッパーズ・トパーズ黄玉夫人(七輪で秋刀魚を焼くのはいいんですが煙りが出すぎでは? ニューヨーカーとエスクァイアーがクレームをブリュレしに怒鳴り込んでこないんでしょうか?)

自分のためだけの幸せ探しの旅のさなかにグリシャムとグレシャムをまちがえた罰として味噌漬けにされてしまった灰の王女さまに屋根裏部屋でみつけたサンドリエをそっと差し出して「健康のためやりすぎに注意しましょう」とさりげなくたしなめる秋婦人警官

空っぽの鞄を「中身満タン」とみせかけるために日々おべんちゃらきれいごとおべっかおためごかしに余念のない偽鎌倉夫人

朝から晩まで「イイネ!」ボタンを押しまくる不誠実の極み人生とはなんぞや大王土建屋

抽象まみれの「御託」とグロテスクな親和欲求と認知欲求で暴走するポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ婆


等々、およそこの世界に起こりうるすべてがある。

わたくしはそれらのひとつひとつに頬ずりしたり、唾を吐きかけたり、撫でまわしたり、踏みつけたり、じっと見つめたり、睨みつけたり、右ストレート・パンチを叩き込んだり、抱きしめたりする。そっと舐めることもある。口に含んで舌先で転がしているとき、あやまって飲み込んでしまったことさえある。

そんな電子の海を紡ぐひとがいる。そのひとは夜を紡ぐひとでもある。夜を紡ぐひとはおそろしく羊に詳しい。羊に詳しいくせに『羊をめぐる冒険』を読んだことがないという剛の者でもある。

夜を紡ぐひとはいつも「そこ」にいる。いや、在る。羊博士から「存在」を1日に10mg処方されているらしい。うらやましいかぎりだ。

夜を紡ぐひととは会ったことがない。声を聴いたことすらない。夜を紡ぐひとは糸繰り機を回すことにいつも夢中なうえに、キャドバリーのフルーツ&ナッツ・チョコレートの世話やらCAD犬の訓練やら記号士試験の受験勉強やらで目が回るほど忙しい。だから、夜を紡ぐひとは「そこ」から離れることができない。だから、いつも「そこ」に在る。そして、夜を紡ぎ、「そこ」と「ここ」を包み込む無限大の電脳羊ドリー・スウェーターの完成を目指す。

夜を紡ぐひとはときに突然沈黙する。深き沈黙。何者も癒さず、自らを癒すこともない沈黙。地下鉄丸ノ内線の最終電車のように深い沈黙。その沈黙の重さを計測する秤はこの世界には存在しない。その沈黙の重さに耐えきれずにコンピュータをシャットダウンすると夜を紡ぐひとは瞬時に消滅する。夜を紡ぐひとだけではない。すべては跡形もなく消え失せる。そして、記憶の海の朝がくる。
 
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by enzo_morinari | 2014-04-30 05:37 | Night Dreamer | Trackback

Bitches Brew ── アコースティック・ギター婆ずれ女どもの肖像と憂鬱と成熟と喪失

 
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シニフィエ/シニフィアンが支配する贖罪の午後だった。芽を毟られた無数のハナミズキ。撃ち殺され、あとはただ屠られるのを待つ犢の屍体。沈黙を破ろうと口を開きかけるが黒光りする頑丈な鉄の猿轡で口を封じられ徒労に疲れ果てた仔羊たち。甘く濃密な香りを発するマグノリアに吊るされた奇妙な果実。

くうと腹が鳴る。「『Bitches Brew』は神話、神々の物語よ。神様たちが歌ったり踊ったりで騒々しいくらい」とアコースティック・ギター婆ずれ女/あばずれゴディバのW42が言った。

アコースティック・ギター婆ずれ女/あばずれゴディバのW42のひどい火傷の痕のある左手は虚空のギブソン・レスポール1968年モデルのネックをつかみ、生まれたてのシーズーの赤ちゃんを抱き上げるみたいに注意深く引き寄せ、剣豪のように襷にかけたストラップを手慣れた手つきでセットした。そして、『Be Careful With a Fool』をおそろしい速度で弾きはじめた。人差し指、中指、薬指が蜃気楼のように霞むほどの速さだった。

アコースティック・ギター婆ずれ女/あばずれゴディバのW42が3度目に『Be Careful With a Fool』のリフを超絶技巧で弾いているとき、バケツの泥んこ水がざわめきだした。アコースティック・ギター婆ずれ女/あばずれゴディバのW42の右手には泥んこ水が満たされたバケツがぶら下がっている。

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私は窓の外に広がる夏の気配をかすかにたたえた空の青さを計測しながら、大脳辺縁系と視床下部の中間あたりでトマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニの『アダージョ ト短調』の3小節を繰り返し再生していた。

アコースティック・ギター婆ずれ女/あばずれゴディバのW42はいわさきちひろとさとうちひろとあらいちひろが絶唱する復活祭のためのチンスコウ・レクイエムのトリロジー・コラールが終わるや否や正規の非正規雇用社員として雇われたイースター島の消しゴム工場にStart Your Enginesしてしまった。今頃は昼の休憩時間に非大西洋一人ぼっちの真っ青な海を眺めながら膝の上にローソンおにぎり屋の「郷土のうまい!」シリーズの桜島どり溶岩焼と鮭しょっつる漬焼、「新潟コシヒカリ」シリーズ全品をならべて御満悦だろう。次の週末にはビッグ・カンダタ・マヌの背筋も凍るような襲撃をうけるとも知らずに。

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私はと言えば、ブロッコロ・ロマネスコが季節外れも甚だしく盛りを迎えていたのでバケツ一杯収穫する。色と形のいいものを黒織部のへうげた大鉢に水を張って入れ、ファイストス円盤型ダイニング・テーブルの真中に置く。パスタを茹でるのに手一杯の虹子の失われた胴体にかわって料理をいくつか作ることとする。

ブロッコロ・ロマネスコはさっと茹でてからマダム・デュ・バリー風にアレンジ。断頭台の露と消える運命を生きる者たちにはうってつけだ。ジス・フィッシュの蒸し物、マケマケとラパ・ヌイのオストラコン・サラダ、パズズのフリット、トナカテクトリウオのカルパッチョ。料理を並べると歓声があがる。

地下茎世界からやってきた5人の哲学者どもは絵に描いたようなフラクタルぶりのブロッコロ・ロマネスコに端を発してジュリア集合がどうのリアプノフ-マルクス・フラクタルにおけるスタビリティとカオス写像がどうの部分と全体の自己相似がどうの蜜蜂の家系とフィボナッチ数の関係がどうのスペインとポルトガルの国境線の長さの解釈の相違と地図の縮尺のロガリズムがどうのヒマワリの種を螺旋状にたどるシークエンスがどうの血管の分岐構造と腸の内壁のフラクタル構造がどうの近似的にフラクタルな図形は樹木の枝分かれやリアス式海岸の複雑な海岸線の形状といったかたちで自然界のあらゆる場面に出現してどうのハウスドルフ次元とミンコフスキー宇宙が等価でどうのと喧々諤々やりあっている。

私はとうとう堪忍袋の緒がぶちきれた。

「エミール=オーギュスト・シャルティエ流に言うならばだね。諸君らの”論戦”はこどもの喧嘩と大差ないってことなのさ。そんなことでは諸君らにはなにものも見出すことはできまいな。まず身体を鍛えたまえよ。疾走し、腕立て伏せをし、腹筋をし、ヒンドゥー・スクワットで汗を思う存分流すんだ。酸素をたっぷり吸って吐き出すことだ。さすれば、黙っていても幸福は向こうから勝手にやってくる。それがプロポということさ」

私がまくし立てても無駄だった。地下茎世界からやってきた5人の哲学者どもは、今度は「蝙蝠傘であるとはどのようなことなのか?」というクオリアの超難関問題に突入していった。

虹子の失われた胴体はまだパスタを茹でている。ポルコロッソは庭のガゼボでフランスタレミミウサギのアナスタシアとまぐわいつづけている。フランスタレミミウサギのアナスタシアの亭主であるオランダタレミミウサギのコーネリアスは大きな耳で顔を隠してうなだれている。エクリはファイストス円盤を模したダイニング・テーブルで大の字になって大鼾だ。双子の素数猿、ヨタとヨクトはスミス・コロナの機械式タイプ・ライター Royal Quiet DeLuxe-Model1942 で『生命、宇宙、そして万物についての答え』を書き上げるべく夢中でタイピングの最中だ。130億年後には『電脳羊ドリーのソネット』くらいは書き上げるだろう。しばし、自分の仕事をしよう。5人の哲学者どもには勝手に議論させておけばいい。

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Bitches Brew - Miles Davis (1970)
 
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by enzo_morinari | 2014-04-29 08:45 | Bitches Brew | Trackback

ハナちゃんはジョン・ルイスを探して ── ハナちゃんの脚線美をめぐる三都物語

 
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脚は常に発情し、挑発し、誘惑する。E-M-M


ジャンルー・シーフの『誘う脚』に出てくるような魅惑の脚線美を持つハナちゃんは、いつも楽しそうではあるけれども悲しげにT-SQUAREの『TRUTH』のメロディーを口ずさんでいる。

「音速の貴公子が春のイモラ・サーキットのタンブレロ・コーナーの悪意に満ちたコンクリート・ウォールに激突して死んでから、世界は色も匂いもない、ただ退屈なだけの鳥籠同然よ。チャーリー・パーカーが確証を失って楽旅の最終のコンファームをしそびれて鳥の楽園から追放されたみたいに退屈で辛気くさくて陰険で陰湿。外は見えるけどなにもできない。羽ばたくことすらもね。だから、わたしはジョン・ルイスを探す旅に出ることにしました。ついでにルイス・キャロルも見つけだします。そして、海亀もどきスープを鍋みっつ分飲む。ドードー鳥の丸焼きも食べなきゃだわ。発狂お茶会では加藤ティーの頭に禁忌スープをぶちまけて、それから、それから、ハートの女王を踏みつぶして水銀中毒の帽子屋さんを助けだすわ。すべてが首尾よく運んだら、帰宅時間はゲーデルにきいてくれと言い残してお昼ごはんに出かけたきり行方不明のエリック・ドルフィーにちゃんとごあいさつをしなくちゃね。カール・ルイスと小カール君とはハドソン川に面したベンチに一緒に並んで座って、ルイス食堂特製のモンタナ急行ハンバーガーを齧ります。ホルヘ・ルイス・ボルヘスのお墓参りもする。ダニエル・デイ=ルイスにはサインをもらいます。そして、最後はモヒカン族の最後の女になる。ミラノ、パリ、ニューヨーク。ベルリンと上海も行かなくっちゃ。トーキョー? とっくの昔に死んだ街になっちゃったわ。あるのは廃墟だけ。いるのはゾンビだけ」

ハナちゃんは一気に言うと大きくて深いため息をついた。

「話はとてもよくわかった。で、なにから始める?」
「そうね。サー・ローランド・ハナ・トリオの『Skating in Central Park』を42回連続で聴いてから航空券を手配するわ。そして、春の盛りのセントラル・パークでスケートして、トリプル・アクセルとイナバウアーを分裂症のニューヨーカーどもにみせびらかしてやる」
「なにもできないけど、いい旅になることを祈るよ」
「ありがとうございます」
「ジョン・ルイスに会えるといいね」
「きっと会えるわよ」

そして、ハナちゃんはサー・ローランド・ハナ・トリオの『ミラノ、パリ、ニューヨーク ─ ジョン・ルイスを探して』をCDプレイヤーにセットした。プレイ・ボタンを押すときに呪文のような言葉をつぶやいた。

「ジャンゴ、ジャンゴ、ジャンゴ。ジャンゴの真実。ジャンゴはあきらめない。左手の古傷が痛んでも、リップ・ヴァン・ウィンクルにXYZマーダーズを喰らわされても決してあきらめない。何度でも立ち上がる」

ハナちゃんの言っている言葉がおそろしい呪文であるとわかるのは42日42時間42分42秒後だった。


Skating in Central Park - Sir Roland Hanna Trio (Recorded at The Django Studio in New York on April 1, 2002)
 
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by enzo_morinari | 2014-04-26 11:11 | 脚線美をめぐる三都物語 | Trackback

百年の孤独を死んだガルシア=マルケスを悼み、『マタイ受難曲』を聴く

 
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緑の家の居間でマジック・マッシュルームをポワレしながら、百年の孤独の王の死の意味を思いながら無聊を託つ。これでまた世界は豊饒なる魂をひとつ失った。

ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス。ある時期、わたくしにとって百年の孤独の王/迷宮の将軍は緑の家の家主であるバルガス・リョサとともに世界をヴァガボンドするための羅針盤であり、里程標だった。退屈で辛気くさい世界と対峙するのに「マジック・リアリズム」くらい都合のいい手法はないように思われた。

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ガルシア=マルケスが身罷って、わたくしは今とても寒々しい。一昨晩は心がざらついて寝つけなかった。明け方ちかく、やっと眠気が訪れた。
iTunesのクラシック音楽リストを呼び出してオートプレイに設定し、傍らのソファに横になった。軋む魂を鎮めるために1939年4月2日アムステルダムの奇跡、ウィレム・メンゲルベルク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のJ.S.バッハ『マタイ受難曲』を聴く。当然に傾ける杯には宮崎の大麦焼酎『百年の孤独』から注がれた野うさぎの走りにも似た淡い琥珀色の甘露が満たされている。
酔いどれてやれ。今はとことんまで酔いどれていいときだ。今を置いては深く酔いどれることができる日は遠い先まで来ない。

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昼すぎ、深い古井戸の底に幽閉される夢にうなされて目が覚めた。J.S.バッハの『マタイ受難曲』第20曲、「われ、イエスのみもとに目覚めおらん」がかかっていた。眼の周辺に常にある熱っぽさがない。めずらしいことだ。キーボード脇に置かれたマグカップを手に取り、冷めたコーヒーをひと口飲む。まずい。だが、ないよりはましだ。たばこを3本、立てつづけに吸い、テノール独唱とコラールの美しく悲しげなアリアに耳を傾けながら、さらなる意識の覚醒を待つ。

第二次世界大戦前夜の聖金曜日に録音されたウィレム・メンゲルベルク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の『マタイ受難曲』。「聴衆のすすり泣きが聴こえる」とも言われる演奏である。
冒頭の合唱、「娘たちよ、いっしょに来て嘆きなさい」から、ただならぬ雰囲気だ。1939年4月2日、アムステルダムで録音されたこの演奏には特別な空気感が漂っている。ナチス・ドイツの脅威がヨーロッパ全土を覆いつくそうとしていた時期であることを思えば、「特別な空気感」の意味がわかる。創造はいつも時代とともにある。

メンゲルベルクのバッハ解釈はロマンティックで、1小節ごとに激しくテンポが揺らぎ、入れ替わり、交錯し、やがて、あやうい美しさを醸しだす。厳格で権威主義的なよそゆき顔のバッハではなく、生きることや死ぬことに否応なくまとわりつく痛みをともなったバッハだ。
死と向かい合う者たちの祈りにも似たコラール。自らの罪の深さに震え戦き、イエスの死の悲嘆と慟哭にくれる静謐なアリア。曲が進むにつれ、聴衆のすすり泣きがかすかに聴こえはじめる。

最後の晩餐。弟子の裏切り。群衆の罵声と嘲弄。十字架の軛。原罪。そして、キリストの死。それらを描いたバッハの最高傑作と演奏者と聴衆が真っ正面から対峙している。精魂をこめた名演である。奇跡のひとつのかたちがここにある。
空前の名演といわれる1958年のリヒター盤にはない「救いのない絶望」がメンゲルベルク盤の白眉である。楽譜が指定したテンポ、強弱、アーティキュレーション、装飾記号などは一切無視、度外視。古典音楽の常識は軽々と乗り超えられ、不安と悲痛と絶叫が交錯し、支配する。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 。神よ、なぜわれを見捨てるのか。

絶叫が受難のリアリティであり、われわれを逃げ場のないところへ追いつめる。イエスというひとりの人間の死とドラマトゥルギーに引き込まれることで、イエスの死の現場に立ち会っているがごとき感動に包まれる。

『マタイ受難曲』(Matthäus-Passion/BWV244)は新約聖書「マタイによる福音書」中の「キリストの受難」を題材にとっている。J.S.バッハの最高傑作ともいわれ、しばしば、古典音楽、西洋音楽の最終解答、真の到達点とさえ評される。第68曲「われらは涙を流して跪き」の終結合唱によって壮大な受難の叙事詩は終わりを告げる。泣きはれた眼で窓外を見れば、空が赤く染まっていた。

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百年の孤独の王/迷宮の将軍よ、静かに眠れ。千年後にも百年の孤独の王/迷宮の将軍の魔術は解けぬ。静かに百年の孤独の痛みとともに眠ることにしよう。
 
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by enzo_morinari | 2014-04-19 05:01 | 沈黙ノート | Trackback

力を決定するのは質量と加速度だ。

 
力を決定するのは質量と加速度だ。力を得たければ質量を増やし、疾走せよ。そして、静かなることを学べ。E-M-M

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by enzo_morinari | 2014-04-17 19:50 | 沈黙ノート | Trackback

It's Easy to Remember, But So Hard to Forget

 
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思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。L-H

"It's Easy to Remember (And So Hard to Forget)" 1935
作詞: Lorenz Hart/ロレンツ・ハート
作曲: Richard Rodgers/リチャード・ロジャース


Your sweet expression, the smile you gave me
The way you looked when we met
It's easy to remember, but so hard to forget

君が見せてくれたやさしい微笑み
出会ったときの君の眼差し
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


I hear you whisper, "I'll always love you"
I know it's over and yet
It's easy to remember, but so hard to forget

君の声が耳元で囁いてる。
「いつまでも愛している」と。
わかってる。もう終わったことなんだ。
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


So I must dream to have your hand caress me
Fingers press me tight
I'd rather dream than have the lonely feeling
Stealing through the night

だから僕はいつも夢に見てるんだ。
僕を抱く君の手、僕に触れる指を。
一晩中さびしさにさいなまれるよりも、
夢見ているほうがまだマシだろう。


Each little moment is clear before me
And though it brings me regret
It's easy to remember, and so hard to forget

どんな小さな思い出もあざやかによみがえる。
そのたびに胸が締めつけられる。
わかってる。でも、思い出してしまう。
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


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It's Easy to Remember, And So Hard to Forget (Lorenz Hart / Richard Rodgers)
Stacey Kent/ステイシー・ケント
John Coltrane/ジョン・コルトレーン
Keith Jarrett/キース・ジャレット
Frank SInatra/フランク・シナトラ
Bing Crosby/ビング・クロスビー
Billie Holiday/ビリー・ホリデイ
George Shearing/ジョージ・シアリング
Sarah Vaughan/サラ・ヴォーン
 
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by enzo_morinari | 2014-04-16 06:25 | あなたと夜と音楽と | Trackback

物語を聴かせて ── 海辺の休暇#1

 
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避暑地のあかりに別れを告げるための話だ。


その夏の初めに2週間ほど滞在した海辺のホテルのテラスの壁にはBang & Olufsenの古いスピーカーがかかっていた。古いBang & Olufsenは白い漆喰の壁に見事に溶けこんで、ラウル・デュフィのデッサンのように見えた。Bang & Olufsenからは繰り返しステイシー・ケントの『海辺の休暇』が流れていた。海辺の避暑地は灼けつく太陽がもたらす残酷の前触れをそこここの陰翳に潜ませているように感じられた。

「この夏のあいだ中、わたしにあなたの物語を聴かせて。そして、世界の片隅にいることを忘れさせて。来年の夏にはまた別のひとを愛してしまうから」と彼女は言って上質のラブラドライトのような涙を流した。ガラス玉の涙。請求書付きの涙。隙を見せれば瞬時に毒薬に変容する涙。

「どうせ夏の陽射しが強くなるころにはきみはまた新しい別の男をみつける。飢えた狼のようにね」
「性欲と食欲と睡眠欲について是非を問うてはならない。ガーイウス・ウィプサニアヌスの言葉よ」
「うそだ」
「うそよ」

「Au coin du monde. 世界の片隅で」と彼女は言った。毎夏のことだ。もう15年になる。夏のあいだ中、彼女は「Au coin du monde. 世界の片隅で」とつぶやきつづける。世界の総体をグリップしてでもいるみたいに。しかし、それは私の思いすごしだろう。世界の総体をグリップできる者など存在しない。少なくとも、私が生き、呼吸し、眠る世界には。

世界の片隅に生きる彼女は夏が盛りを迎えると決まってほかの男のもとへ行く。急ぎ足で。いそいそと。イパネマからやってきた娘のように。コパカバーナの海辺で男たちを手玉に取る性悪女たちのように。

コパカバーナで恋に落ちてはいけない。時代が変わっても変わらぬ真理だ。そう。コパカバーナで恋をしてはならない。浮気性の女と人生の日々をともにすごしてはならないのとおなじだ。寿命を短くする。


Les Vacances au Bord de La Mer (Raconte-moi) - Stacey Kent
 
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by enzo_morinari | 2014-04-14 11:20 | Raconte-moi | Trackback

虹のピンチョン──忌々しい外縁飼育あるいはケマンソウもしくは社会的弱者に尋常ならざる同情を寄せる人々

 
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虹は美しい。ディセントラ・スペクタビリスの1024倍美しい。特に重力の虹は。そのことについてなにひとつ異論はない。問題は虹のピンチョンの前歯だ。酒と肉汁と数式にまみれたアル中番長ハミルトンのアナロジーを解読することで幾分かは正しいもの、誤謬にまみれたもの、判定不能なものを除去できる。

アルベルト・アインシュタインとエルヴィン・シュレーディンガーの倫ならぬ恋の鞘当てを見かねた箱猫の逐電以降、われわれを囚えているのは主に重力と課税制度だが、喫緊の課題は競売ナンバー49の叫び声を聴きとり、酒と肉汁と数式にまみれたアル中番長ウィリアム・ハミルトンのアナロジーを解読することである。さもなくば四元数カルト教団が支配する時代が週明けにもやってくる。ミュートされたポスト・ホルンの高らかなファンファーレが鳴り響く中、グレートグリードリビドー・ヒエログリフ兄弟の醜悪なる魂は人々の胸郭を音もなく引き裂きながら侵入する。

四元数カルト教団が支配する時代の都市=架空の地図によってしかたどり着けない架空の街メンドシーノ・シティ/ヴァインランドにおいてはケマンソウことディセントラ・スペクタビリスまたの名を鯛釣草もしくは社会的弱者に尋常ならざる同情を寄せる人々が陰湿陰険に大手を振って我が物顔でのさばり歩く。嘔吐、下痢、呼吸不全、心臓麻痺が蔓延する。街のあちらこちらの闇あるいは影からワンダ・ティナスキーの亡霊がスーサイド・ドアを開け、ゾンビとなって復活/跳梁跋扈する。

教訓: コパカバーナで恋に落ちてはいけない。

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by enzo_morinari | 2014-04-13 06:09 | 虹のピンチョン | Trackback

水の眼#1

 
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昨夜、ホルヘ・"ランデヴー"・ダルトの紹介で知り合った国際オルホ・ダグア協会広報部のマルルイ・ミランダ女史から筋のいい「水の眼」がみつかった旨のメールがあった。メールにはJPGファイルで2GBにも及ぶ膨大な数の画像ファイルが添付されていて、見れば、なるほどこれまでにお目にかかったことのない素晴らしい水の眼だ。

メールの最後には是非とも近日中に直接現地で会いたいとの一文があった。そして、「筋のいい水の眼」を撮影した動画がパスワード付きでリンクされていた。すぐにリンクをクリックし、水の眼が青く澄んだ瞳をくるくるとめまぐるしく動きまわらせる動画を見た。

水の眼は何度もウィンクしてきた。水の眼が私に「はやくきて」と言っているように感じられた。それはいくぶんかエロティックなメッセージだった。

3分ばかりの水の眼の動画を5度ほども見ているあいだ、私は激しく勃起しつづけた。6度目に動画を再生しようとリプレイ・ボタンをクリックした瞬間に私は長々と射精してしまった。射精のときの快感は、こどもの頃、攀登棒を登り下りしているときに味わった強烈な快感に匹敵するものだった。やはり、水の眼の力はすごい。

マルルイ・ミランダ女史の、メスティソの民の末裔の愛くるしいがどこか悲しげな瞳が浮かんでは消えた。ディスプレイの中の水の眼は強固な感応力をたたえた瞬きを冥く静かに繰り返している。
 
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by enzo_morinari | 2014-04-11 03:43 | 水の眼/Olho D'Água | Trackback

ピアソラとジョビンとヴィニシウスのマリア・クレウーザをめぐる密談と密約#1

 
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Je t'embrassais tu m'embrassais je m'embrassais
Tu t'embrassais sans bien savoir qui nous étions
P-É


きのうの昼過ぎのことだ。1970年、ブエノスアイレスのナイトクラブ『ラ・フーサ』でマリア・クレウーザが歌うアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスの『Eu sei que vo te amar/あなたを愛してしまいそう』があまりにも心地よくエリュアールなので、トッキーニョのギターラめがけて高カロリー低栄養のスパムメールを送りつけてやった。

夕方には朝陽に向かって匂いたつように輝いていた山桜花がしがない名刺屋に身をやつしたのを見届けてから、死んだ言葉にまみれた詩がない死せる詩人どもの集まりにつばを吐きかけた。

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8ボールの先のコーナー・ポケットの淵にたたずむマイルス・デイヴィスはモントルー・ジャズ・フェスティバル帰りのアストル・ピアソラを口説きながらゲイリー・バートンに無響のヴァイブレーション・パンチを喰らわし、大空の彼方に向けて悪態をついている。
「Tango Nuevo! 新しい単語! 新しい丹後! ウラァ! タンゴ・ヌエボ!」とアストル・ピアソラがうるさいので天橋立まで蹴り飛ばした。坂東ネオン店の三津五郎おやじも一緒にだ。

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そんなわけで、「ピアソラとジョビンとヴィニシウスのマリア・クレウーザをめぐる密談と密約」の謎解きが一向に捗らない。「ボサノヴァの不朽の名作」「ボサノヴァ史上に燦然と輝く名盤」と言われる『La Fusa - Vinícius de Moraes Grabado en Buenos Aires con Maria Creuza y Toquinho』がブエノスアイレスのナイトクラブ『ラ・フーサ』でのライヴというのはアメリカマッカチも真っ青の大ウソであって、実際はスタジオでレコーディングされた音源に『ラ・フーサ』でのライヴ時の観客の拍手や笑い声や放屁や放尿や射精や放埒や放蕩や歓声やメルトダウンやメルトスルーやメルトアウトをMOXミックスダウンした"疑似ライヴ"盤である。「総括原価方式」に言いたいことは耳成山ほどもあるけれども、一先ず根方に死体の埋まった桜の樹から散り落ちた花びらを納豆にトッピングして朝めしを喰おうと思う。

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Eu Sei Que Vo Te Amar - Vinicius de Moraes, Maria Creuza & Toquinho
 
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by enzo_morinari | 2014-04-09 06:35 | あなたと夜と音楽と | Trackback