<   2014年 03月 ( 13 )   > この月の画像一覧

根岸線とジョニ黒と『善悪の彼岸』

 
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昔々、横浜で。


根岸線。そう口に出すだけで甘酸っぱくなつかしい気分になる。桜木町止まりだった京浜東北線が磯子まで延長になったときは開通式典に物見遊山で出かけたものだ。まだ洟垂れ小僧の私には生まれてはじめての一大イベントだった。磯子の駅前が大きな舞台のように見えた。横浜市消防局の音楽隊が景気のいい音楽をジャカスカ鳴らしていた。色とりどりの風船が舞い踊っていた。どいつもこいつも幸せそうだった。

宙を舞う風船を追いかける私。
宙を舞う風船を追いかける私を追いかける母親。
それをクールにみつめる生物学上の父親を名乗る男。

生物学上の父親を名乗る男はろくでなし放蕩三昧の穀潰しで、おまけにまったくもっていけすかない奴だったが、そのクールさに免じてゆるしてやろう。

洟垂れ小僧の私と、まだ若く美しく健康そのものの母親と、いつも眉間にしわを寄せていたろくでなしの生物学上の父親を名乗る男。母親との数少ないが宝石のごとき輝きを放つ思い出と、体中が緊張し、身構えてしまうような、生物学上の父親を名乗る男とのいやな思い出のふたつが交錯する日々がよみがえる。

生物学上の父親を名乗る男のつまらぬ夢のおかげで、私の母親は夢をあきらめ、輝きを失い、本来の寿命より30年もはやく逝った。私もずいぶんといやな思いをしたが、もうそろそろゆるしてやろう。すべては終わったことである。すべては夢のまた夢になろうとしているのだ。

夢はときとしてだれかを傷つける。そのことを教わったと思えばいい。背中しか見えなかったのは、私に背を向けていたからではなく、私とおなじ方向を見ていたからだと思えばいい。

生物学上の父親を名乗る男死して、9年。墓参はもちろんのこと、葬儀にすら背を向けてきた。もういい。もう手仕舞いの頃合いだ。潮目潮時である。死者を鞭打つのは姑息臆病な下衆外道のやることである。

この春、陽気のいい日。虹子と一番弟子のポルコロッソといっしょに生物学上の父親を名乗りつづけた男、わが親父殿の墓参りにいこう。わが親父殿が愛飲したジョニ黒を持って。わが親父殿が愛読した『善悪の彼岸』を携えて。なつかしい根岸線に乗って。

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大連慕情 - 松任谷由実
 
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by enzo_morinari | 2014-03-30 06:09 | 昔々、横浜で。 | Trackback

大田中/序 世界に遍在する田中

 
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【なりふりかまわず、田中はユビキタスる!】
このごろ、「また田中か」と思うことばかりだ。田中にまつわる問題についてはいくつかの局面、フェーズとでもいうべきものがあって、「また田中か」のほかに、

「また田中化か」
「ついに本田中か」
「とうとう本田中復活か」
「分田中は本田中を超えるか?」
「金田中と新喜楽が吉兆の凋落を尻目に大同団結へ!」
「田中問題と日中問題は同根か?」
「やっぱり山田の中の一本足の田中なのか!」
「ヤスオはなんとなく田中なのか? なにがなんでもダムなのか? たまらなく文芸新人賞だけなのか?」
「どうせヤマダ電器の勝ちだろう。(敷衍)」
「なぜタナカ電器がないんだ?!」

等々が田中ラボラトリーズ(東京都豊島区目白・田中邸内ヨッシャ部屋所在)に報告されている。とにかくも、現在、わたくしは相模湾の茫洋たる凪いだ海を眺めつつも、田中一色なわけだ。そもそも、田中化問題が世界に現前化したのは長年にわたる田中と中田と本田の三つ巴の確執が山田アンソニーの「プロ陰謀」によって Yutube に晒されたことに端を発する。

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【恥ずかしげもなく、田中はふりむく!】
田中化問題が世界に現前化したのは長年にわたる田中と中田と本田の三つ巴の確執が山田アンソニーの「プロ陰謀」によって Yutube に晒されたことに端を発するのは周知の事実であるが、その前に、全然前に、田中の厚顔無恥、突拍子なさ、あからさまぶり、アイスモーフィー若しくはオーヤンフェーフェーな件について言及しなければなるまい。さらには、宇宙森羅万象あらゆることどもに「田中」とついたとたんに笑いが込み上げる(または当惑、または苛立ち)という田中効果についてはさらなる考察を重ねる必要があると思われる。

あれは去年の「幻の虚数魚i = Poisson d'Avril週間」最終日のことであった。わたくしは手に入れたばかりのロールスロイス・スーパーファントムを大衆どもに見せびらかそうと思って青山通りをスカしてドライブドライブとしゃれこんだのである。道ゆく大衆どもはどいつもこいつも脳天気なお気楽極楽ぶりで、(◔ิд◔ิ)ฺ ←こんな顔でわたくしのドライブドライブするアドリアン・ニューウィー・ブルーのロールスロイス・スーパーファントムを見つめ、見つめそこなった者はふりかえったのである。175人目の大衆を追い越そうとしたとき、わたくしは思わず、「またか」と呟いた。その途端、大衆175号がふりかえった。タナカ・ヨシタケだった。

「また田中か! 」

タナカ・ヨシタケの手に空虚で巨大な塩キャラメルが握られているのをわたくしは見逃さなかった。

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タナカ・ヨシタケはお門ちがいな田中勘ちがいをしたのであった。「またか」を「田中」と聴きまちがえたいとまもあらばこそ、計算ずくの純朴牧歌野郎であるタナカ・ヨシタケは吐き捨てた。

「なんだよ。俺が田中だが。呼び捨てされるような覚えはないぜ」

わたくしは猛烈な怒りに身も太る思いだったが、わたくしの怒りは計算ずく純朴牧歌野郎には届くはずもなかった。

「やい! 田中! おまえ、世の中がおまえのような田中ばかりと思うなよな。新宿2丁目のポパイでデブ専ゲイを両脇にはべらせながら酔いどれている証拠写真はいまも手元にあるんだぞ。俺田中の手元に!」

塩飴田中は田中貴金属の営業車、薄緑色のパセリに乗って去っていった。

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【世界に冠たる東京都世田谷区代田在住の代打田中(大田中学出身)はKYだ!】
タリーズ麻布十番店の横に「KY 横田靴店」という靴屋があるわけです。「KY」は「クツのヨコタ」の省略形というあまりにも田中な発想にはアンナ・ミラーズの制服に着替えたくなってしまう情熱が沸々と沸き上がってくるのをどうしようもないわたくしなんですが、それはとりあえずエポケーし、わたくしの情報網を駆使して精査したところ、ここが空気嫁の実家らしい。これもまた「田中か」現象です。困ったものであります。
さらに困ったちゃんなのはヘタクソなくせにギターはマーティンD28の1968年モデルで、歌もヘタ、愛人はコヅカ・ヨシコ(旧姓田中)、酔いどれるとわたくしに深夜プラス1電話のディネの男がヤラセ感たっぷりに『四葉のターナーカー』を歌いやがることです。近々、エストリル・ガールとの倫ならぬ逢い引きのあとに彼奴の自宅にカチコム計画を立てました。(カチコム計画の詳細はカチコム.com にて公開中です)これもやっぱり、「田中か」のひとつの立ち現れです。

さて、街も闇に沈みました。これから疲れ果てているわたくしを慮ることなどいっさいしない東京都世田谷区代田在住の代打田中と三島市本町に繰り出して、東京都世田谷区代田在住の代打田中のおごりで「割烹 田中家」でさんざっぱら飲んだくれた挙げ句に田中の遍在ぶりを定点観測してきます。タナカないでください。お願いいたします。

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*「世界の田中化問題」については筆者の有する情報はあまりに少なく、諸兄には物足りなさを味わわせることもあろうが、そこはそれ、諸君のあまりにもな、そして、いきなりの辻斬り精神をもって寛恕願いたい。また、田中情報と併せて、中田情報、本田情報、山田アンソニー情報、山田プロ陰謀情報(「田中を見た!」「田中がまた賄賂(もら)った!」「田中が太田を殴った!」「中田が蹴った!」「ヒデとやった!」「中田を喰った!」「本田に乗った!」「美奈子が好きだ!」「山田がベスト電器にいた!」「山田プロがアルバトロス!」「山田ババアに花束を贈った!」「田中がマキコと密会していた!」等々)の提供を切に乞うものである。
 
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by enzo_morinari | 2014-03-29 10:56 | 大田中 | Trackback

コアントローポリタンの女

 
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どこにも行きたくない者にとっては世界のどこであろうと地の果てだ。E-M-M


電話の呼び出し音。世界の果てにあるヒッコリーの森の木樵小屋からだ。木樵の家族の笑い声。薪割りの音。小鳥たちのさえずり。顰めっ面をした騎兵隊長のナッツクラッカー大佐がクルミを割っている。ヒッコリーの老木が倒れる音もする。

夢か? いや、すべてが夢というわけではない。電話は確かに鳴っている。神経を逆撫でする呼び出し音が少しずつ大きくなる。眠りが醒めてゆく。しかし、眠りは充分ではない。もっと眠れ。眠りつづけろ。起きるな。世界の果ての森から、そう命じる者がいる。ヒッコリーの森の番人だ。このままでは1日が台無しになってしまう。たいていのことは1本の電話から悪い方向に向かうのだ。

重い泥濘の底から錆ついた意識が徐々に浮かびあがってくる。頭が痛む。ずきずきする。目蓋が重い。熱い。沸騰寸前。眼球が飛び出しそうだ。首筋が少し焦げている。やけどでもしたのか? ピンク・ドラゴンに火焔を吹きかけられたか? それとも、地獄の業火に焼かれたのか? 焼きたてのピッツァ・クワットロ・フォルマッジをぶつけられたのでなければいいが。あれはあとで臭くていけない。洗濯屋のおやじの仏頂面など見たくない。嫌味ったらしいうえに退屈な軽口を聞かされるのも御免だ。ぶつけられるならピッツァ・マルゲリータがいい。なにごともシンプル・イズ・ベストだ。さらに電話の音は大きくなる。

ひどく喉が渇いている。唾も出ない。口の中にゴビ砂漠でも入っているようだ。月の出ていないざらざらした舌の上を2頭のフタコブラクダが通りすぎる。砂漠の商人たちのキャラバン隊は喉仏を越え、オアシスを目指して先を急ぐ。

死ぬ前の幻覚か? こうやって人間は死んでゆくのか? なんて死に様だ。大脳と小脳が脈打つ。O.K. 死神さんよ、いつでもいいぜ。心残りはいくつかあるが、一番残念なのは世界の終わりを見届けられないことだ。あとのことはひと山いくらで叩き売るがいい。死ねば「世界の終わり見届け同盟」も即刻解散だ。

猛烈な吐気が襲ってくる。地獄の亡者どもが胃を鷲づかみにしている。吐気と痛みに思わず唸り声が出る。すべては昨夜飲んだスピリタスのせいだ。

スピリトゥス・レクティフィコヴァニ。ポーランドの火の酒。世界最高純度のニュートラル・スピリッツ。無水アルコールまであと3歩。いや、2歩。

「燃料」と「危険物」の表示がある。火の酒どころか、悪魔の酒だ。ポーランド西部ヴロツワフのポルモス・アクワヴィト蒸留所製。アクワヴィト? 生命の水? 冗談じゃない。死の水だ。alc/vol 96%の酒など飲むものではない。人生をまっとうに平穏無事にやりすごしたければ飲んではいけない酒だ。それを1本半。マイク・ハマーはギャングの手下にスピリタスで酔いつぶされた挙句にイースト・リバーに投げ込まれ、魚のエサになりかけた。マイク・ハマーよ。あんたに悪運がなければ二度とヴェルダの「100万ドルの脚線美」は拝めなくなっていたところだぜ。ずいぶんと肝を冷やさせてくれたものだ。

ニューヨーク市マンハッタン三番街西24丁目レキシントン大通りのマイク・ハマー。よく聴け。大審問官はスピリトゥス・レクティフィコヴァニだ。裁くのはあんたじゃない。毒蛇もそうそう隙を見せはしない。

He will kill you, Deadly. 血にまみれた手を広げてよく見るがいい。もはやあんたの手の中に「復讐」の二文字はない。小石の礫で巨人ゴリアテの骨は軋み、若い羊飼いに首を刎ねられる。戦いは剣と槍の力だけで決するとはかぎらない。剣とサンダル。槍と知恵。闇に支配された裏通りは血まみれの夜明けとともに赤く染まる。デルタ係数が冷厳冷徹に死者をカウントする。手加減はない。容赦もない。些細なことで銃弾の日々は永遠に終わりを告げる。もう愛しき者の接吻は燃えない。大いなる殺人のあとには大いなる眠りが待っているものだ。

電話の呼び出し音はさらに大きくなる。そうか。明方近くに帰ってきて、着替えもせずにベッドにもぐりこんだのだ。少しずつ記憶がよみがえってくる。ほかの記憶は失っても、飲んだ酒の種類と飲んだ酒の量は忘れない。特技と言っていい。いったい今は何時なんだ? 眼がかすんで時計の針が読み取れない。いい年齢をしてまったく馬鹿な飲み方をしたものだ。

思いきってベッドから抜け出し、キッチンに向かう。電話は鳴りつづけている。悪意さえ感じる。ほっておけ。今日は臨時休業にする。美人秘書もモーレツ社員も命知らずの手下もいないがボスはこの私だ。ルールは私が決める。私が掟だ。

冷蔵庫を開け、『ジャールートの泉の水』を取り出して飲む。1ℓをいっきに飲みほす。もう1本出して半分飲む。生きかえる。死にかけていた細胞どもが息を吹きかえす。

ジャールートの泉の水 ── 素晴らしい水だ。「生命の水」と呼ぶにふさわしい。木っ端役人どもにいいように操られて棺桶に片足を突っ込んだ国の放射能まみれの水とは大ちがいだ。

正しいプリンシプルとまともな神経の持ち主は姑息で卑劣な木っ端役人どもが好き放題やっているGDP世界第3位(PPP世界第19位)の国の水など飲むべきではない。原理原則が揺らぐ。魂が腐る。そんな水がふさわしい輩はほかにいくらでもいる。

『ジャールートの泉の水』はカサブランカの旧市街で酒場を経営するモロッコ人の戦友が送ってくれた。

時代が変わり、世界が変わり、時がいくら過ぎゆきても、
我々の友情に潤いと信頼とアッラーの思し召しが常にありますように。
As Time Goes By & Here's looking at you, Kid!


へたくそな手書きのメッセージが記された『カサブランカ』の絵葉書付き。砂漠の民の友情は歳月を経ても変わらない。

エマヌエル・カントが不寝番をしていそうな殺風景な仕事部屋に入る。ブラインド越しにふやけた陽の光が射し込んでいる。デスクの椅子に座る。電話はまだ鳴っている。鳴り響いている。しつこい奴だ。喧嘩でも売っている気か? 喧嘩ならいつだって買ってやる。

「黙れ! とっとと失せやがれ!」

怒鳴りつけても凄んでも電話は鳴りやまない。鳴りやむ気配もない。しかし、電話には出ない。今日は臨時休業と決めてある。すでにロング・バケーションの真っ最中だ。ミスター・ペーパーバックに変身して、パンナム・エアのアトランティック・バード号でニュープロビデンス島に乗り込み、海岸でモヒートをちびちびやりながら『ナッソーの夜』を読むのだ。そのあと、アンドロス島のウェルター級アマチュア・チャンプだった男がやっているレフトフック・バーで島一番のギムレットを2杯飲んでから、夜はブルネット・グラマーとお愉しみという筋書きだ。

スー族の勇者、稀有なる男、クレイジー・ホースになるという手だってある。質素な身なりをして、何者にも腕をつかませず、自分のための物は持たない。弱き者を助け、貧しき者に分け与える。不思議な力を持つ石は耳の後ろに挟んである。リトル・ビッグホーンで262人の男たちを死に追いやった見栄っ張り大馬鹿長髪野郎のカスター中佐は何度でも地獄に送ってやる。老いぼれのクルック将軍はパウダー川に放り込む。そして、最後はロビンソン砦に突撃だ!

「ホカ・ヘー! おれにつづけ! 今日は戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!」

しかし、電話は鳴りやまない。人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。しかたなく受話器を取る。聞いたことのない外国語 ── たぶん、外国語だ ── で嗄れ声の女がまくしたてる。女の声がびりびりと鼓膜に響く。

何語だ? ラテン系か? エスペラントではない。エウスカラでもない。ヴォラピュク語か? ソルレソル語? 面倒なので思いつくかぎりの肯定の言葉を並べてやる。イエス、ウィ、シー、スィン、ヤー、ダー、アノ、マリスタ、ヌダロギ、ンディヨ、エヴェット、ホウッケノ、ジハ-ン、キュッラ、ダウモ、スウィマ、スウェン、ティ-ム、ズ-ガッ、ハイ、モケソケ ──。

「モケソケ」と言ったところで、「オキュオキュ」と明るい声が返ってくる。トレーン語だったのか。突然、電話が切り替わり、馴染みのある言葉が耳に飛び込んでくる。

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聞き覚えのある声。1週間前になにも告げずに姿を消した女だ。私の声を聞いたとたんに女は電話口で泣きはじめる。ひとしきり泣くと、次は怒鳴る。叫ぶ。酔っている。ひどい酔い方だ。いったい、どれくらい飲めばそれほど酔うのか。もちろん、私が言えた義理ではないが。

女はありったけの罵詈雑言を交えて私の不実をなじる。責め立てる。たぶん、私がなにか悪いことをしたんだろう。私はよく悪いことをする。悪い人間だと言われる。いまに始まったことではない。急に女が黙りこむ。PCを起動する。HDを読み込む小気味いい音。目蓋に熱っぽさは残っているが意識は冴え冴えとしている。酒の酔いと電話口で泣く女のこと以外はきれいさっぱり頭の中から追い出したせいだ。電話の向こう側から街の音が聞こえはじめる。

エンジン音。クラクション。ブレーキ音。衝突音。駅のアナウンス。駄々をこねる子供。雑踏。雨音。爆発音。怒鳴り声。また別の怒鳴り声。犬が吠える。罵り合う声。また別の罵り合う声。ゲンスブールの古い歌。サイレン。生きている街の音。時報。2時だ。ゲンスブールの別の古い歌。

女は一体全体どこから電話してきてるんだ? いまどき、ゲンスブールの歌が続けて流れる街などこの世界にあるのか? そんな街は決定的になにかが狂っている。大事なネジが何十本も抜け落ちている。生きていくうえで絶対に必要な大切ななにものかが欠落している。住んでいるのは裏切りと背信と不道徳をなんとも思わぬ恥知らずばかりのはずだ。

恥知らずほど手に負えない者はいない。恥を恥と思わない者に比べれば愚か者のほうが経験から学ぶ分だけまだ救いがある。恥知らずどもがいくら乙にすましていてもおまえたちのやってきたことはすべてお見通しだ。

女の泣き声がまた聞こえはじめる。泣きじゃくる。女の繰り言。溜息。悲鳴。懇願。猫なで声。怒鳴り声。沈黙する私。さらに沈黙する私。雨音が大きくなる。泣き声も大きくなる。泣き声がやむ。女が息をのむ音。女が口を開く音。

「帰りたい。どこでもいいから、いますぐ帰りたい。ここはひどい街」
「いま君はどこにいるんだ?」
「遠いところ。すごくすごく遠いところ。あなたに言ってもわからない」
「ニューヨークも遠いし、パリも遠いし、ニュープロビデンス島も遠いし、ロビンソン砦も遠いし、チェルノブイリも遠いし、トーキョーも遠いし、たぶん冥王星はもっと遠い。いまの僕には眼の前のセブン-イレブンだって遠いよ。どこにも行きたくない者にとっては世界のどこであろうと地の果てだ」
「混乱させないで」
「君は初めから混乱してたじゃないか」
女がなにかを飲む音。耳を澄ます。女はなにかを飲んでいる。
「いま、酒を飲んだな?」
「そうよ。フレッシュ・レモンとクランベリー・ジュースとコアントローのノワールとクラッシュ・アイスを混ぜたものを飲んだの。『S & TC』のキャリー・ブラッドショーがいつも飲んでいるカクテルよ」
「『S & TC』ってなんだ? キャリー・ブラッドショーって誰だ?」
「『Sex and The City』よ。アメリカの人気ドラマ。キャリー・ブラッドショーは『S & TC』の主人公。サラ・ジェシカ・パーカーが演ってるの」
「知らないね。知りたくもない。どうせ、恥知らずな女が恥知らずなことをする罰当たりで破廉恥な話だろう? そして、酒屋には恥知らずな酒ばかりが並んでるんだ。醸造用アルコールたっぷりのな」
「見たこともないのにどうしてそんなことが言えるのよ」
「見なくたってわかる。鼻だけはよく利くもんでね」
「いいから黙ってあたしの話を聴いて」
「朝陽のように爽やかで、明るい表通りに面したオープン・テラスの店で二人でお茶を飲みたくなるくらい気分がよくて、夢見のいいのを頼む」
「この街ではね、コアントローポリタンでは『Sex and The City』を毎週見て、いつもこのカクテルを飲んでなきゃいけないのよ。そういう決まりなの」
「そんな馬鹿げた話があるもんか。コアントローポリタンなんて街は聞いたこともない。これまでに世界中をほっつき歩いてきたこの僕がだ」
「馬鹿げてても本当のことなんだから仕方ない。あなたが知らなくてもコアントローポリタンは実在するし、『Sex and The City』を毎週必ず見る人たちがいるの」

コアントローポリタン」をネットで検索する。1930件のヒット。「COINTREAUPOLITAN」でも検索。27200件のヒット。

カクテルの名前じゃないか。馬鹿馬鹿しい。老舗のコアントローもどうかしてる。鼻持ちならない広告屋だかプランナーだかのボンクラどもにまんまと乗せられて、がっぽりふんだくられた挙句の馬鹿馬鹿しいパブリシティものにすぎない。ひとかけらの価値もない。

フレッシュ・レモン? クランベリー・ジュース? ヘミングウェイもフィリップ・マーロウも飲まないカクテルであることだけは確かだ。見向きすらしまい。リップ・ヴァン・ウィンクルさえ鼻白む。マイク・ハマーなら袋だたきのうえに鉛の弾を弾倉が空になるまで撃ち込む。

「話はわかったから帰ってきなさい。そして、酒を飲むのはもうやめるんだ」
「あなたにあたしの何がわかるっていうのよ。うだつの上がらない中年のアル中には何も言われたくない」
「そうか。それなら、好きにするがいいさ」
「リップ・ヴァン・ウィンクルなんかに負けない。負けるもんですか ── 」

電話はそれで切れた。

コアントローポリタン」について調べる。ディータ・フォン・ティース? 恥知らずの馬鹿女じゃないか。別れた元旦那はマリリン・マンソンとかいう虫酸が走るような下衆野郎だったはずだ。お似合いといえばお似合いだ。変態ポルノを見せつける親戚? 服を脱がせて囚人ゲームに興じる隣人? ベトナム戦争で一般市民を殺した父親? 地下にマスターベーション部屋をつくっていた祖父? そんなものはいまどきセブン-イレブンのレジ横に山積みで置いてある。

トラウマを売り物にする奴にろくな者はいない。スピリタスを2、3杯も飲めばすぐにも忘れてしまう程度のつまらぬことを後生大事に抱え込んだ上に他人に見せびらかす類いだ。どれほど大きくて深い傷であろうと、傷も傷痕も誰にも見えないようにひっそりと隠しておかなければならない。それが人生の流儀、作法というものだ。世界に対して同情を要求する資格があるのは、夕闇迫る雨のバス停で傘もレインコートもないまま震えて立ちつくす女の子だけだ。

また電話が鳴る。受話器を取る。さっきの嗄れ声女だ。

「モケソケ」
「オキュオキュ」

すぐに電話が切り替わる。街の音。女の荒い息づかい。息のにおいと熱までが伝わってきそうだ。

「助けて」
「どうすればいい?」
「とにかく助けて」
「だから、何をすればいい?」
「こうして話してくれるだけでいい」
「電話代が高くつきそうだな。これ、コレクトコールだろう?」
「電話代がなによ! あたしがいままであなたにどれだけつくしてきたか考えたこともないくせに!」
「わかったよ。コアントローポリタンの話を聞かせてくれ」
「あたしの話をちゃんと聞いてくれる?」
「聴くさ。ちょうど退屈しはじめたところだし」
「あたしを退屈しのぎに利用するってこと?」
「まあまあ。そう尖るなって」
「コアントローポリタンに着いた日に、観光案内所でピンク色の小さなトランクをもらったのよ。コアントローポリタンに来たら誰でももらえるの」

ピンク色のトランク・ケース? ひどい趣味だ。目の前に300kgの金塊を積まれてもお断りだ。

「中になにか入ってたのか?」
「もちろん。コアントローのノワールとブランが1本ずつ。シェイカーとカクテル・グラスとロング・グラス。それとディータ・フォン・ティースのDVDも。トランクは彼女の直筆サイン入りよ」
「そんなもの、いますぐ捨てちまえ」
「捨てられるわけないじゃない。そんなことしたら、すぐに捕まっちゃうわ」
「君の話はどこまでが冗談で、どこまでが本気なんだか、さっぱりわからない」
「全部本気で本当よ」
「コアントローポリタンではコアントローポリタンを常に飲んでなけりゃいけなくて、薄気味の悪いピンク色のトランク・ケースを捨てると逮捕されてしまうというのもか?」
「そうよ。それだけじゃない。コアントローポリタンでは世界中のあらゆる言語が通じない時間帯が1日のうちに3回あるのよ。すごく不便。コアントローポリタンの通りには ── 」

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女は喋りつづけているが机の上にそっと受話器を置く。とても素面では聞いていられない。酒の用意だ。ここは誰がなんと言おうとスピリタスとコアントローにする。食器棚からグラスとペイルを出す。冷凍室から氷を出す。氷をペイルにぶち込む。

音楽をかけよう。なにがいい? リー・ワイリーの『Night in Manhattan』だ。小さな音で。ごく小さな音で。リー・ワイリーの『Night in Manhattan』を繰り返し聴けば、気分はいまよりずっとよくなるはずだ。

いままでだってそうだった。リー・ワイリーの『Night in Manhattan』のおかげで最終の銀座線に飛び込むのを思いとどまったことさえある。恋のいくつかが成就するのにも貢献してくれた。贅沢を言わなければ、そしてほんの少し工夫すれば ── 聴く音楽をなににするかという点についてちゃんと考えるというような些細なことで ── 人生のあらゆる局面は幾分かでも気分のいいものにできる。酔っぱらって訳のわからないたわごとを延々と喋りつづける女の長電話に付き合わされる類いの困難な局面さえもだ。そのちょっとした工夫をしないのは、生まれついての怠け者か救いようのない愚か者だ。

ブラインドを閉じる。照明はつけない。アンプリファイアーの真空管の光で充分だ。

McIntosh MC275 のスウィッチを入れる。電気という血液を流しこまれた4本の Western Electric KT-88 Vintage がゆっくりと焦らすように色づいていく。艶かしい。ロシア製の KT-88 のときは音がザラついて聴けたものではなかった。1週間前、WE社製の KT-88 にチューブ・ローリングした。耳を疑うほど音の艶と透明感に差がある。エージングが充分ではないのでやや御機嫌ななめだが、時間の経過とともに本来のパフォーマンスを聴かせてくれるはずだ。

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Play it. 1曲目は『Manhattan』。1950年、マンハッタン島ミッドタウン東52丁目フィフス・アヴェニューのリー・ワイリーが歌いはじめる。まだジャンキーもショッピングバッグ・レディもホームレスもいない頃のフィフス・アヴェニュー。数多くの矛盾と困難と困憊を孕みつつもアメリカにはまだ「ドリーム」が存在し、「希望」とやらが世界に対してなにがしかの力を有していた時代だ。

モノーラル録音。音質は悪い。ノイズも多い。ややハスキーで愁いを含んで仄かに甘い歌声。小粋で洒落たフレージング。独特のヴィブラートが心地いい。そして、なにより気品がある。いまどきの DIVA やら歌姫やらの有象無象には望むべくもない気品だ。ヘレン・メリルが「ニューヨークの溜息」なら、さしずめリー・ワイリーは「マンハッタンの吐息」だろう。

ジャケットを手に取る。ドレス・アップした男女のモノクロ写真。一緒に夜のマンハッタンを歩いているような気分になる。ジョージ・ガーシュインやアービング・バーリンのスタンダード・ナンバーもいい。サイ・ウォルターの上品で洗練されたピアノ。ボビー・ハケットの哀愁を帯びたコルネット。文句のつけようがない。

ビリー・ホリディは年に1度か2度でいい。エラ・フィッツジェラルドはときどきうまさが鼻につく。しかし、リー・ワイリーはエブリデイ・エブリタイム・オーケイだ。

ノックの音。3回。少し間を置いて2回。誰だ? スケジュール表を見る。依頼人だ。キャンセルはできない。急いで玄関に向かう。ドアを開ける。眼の下に濃い隈を貼りつけた男が立っている。女房に逃げられた男だ。男を招き入れる。仕事部屋に入る。ソファをすすめる。

「奥さんからその後連絡はありましたか?」
「はい」
「ほお。それは驚きだ」
「私も驚いています」
「このあとのご予定は?」
「特にありません。家に帰って、一杯飲んで、食事をして、寝るだけです」
「よかったら、いっしょに飲みませんか? お話しは飲みながらでも」
「いいですね」

男のグラスを用意し、私が飲んでいるのと同じものを作る。

「スピリタス & コアントローです」
「大好きです」
「本当に? 冗談でしょう?」
「いえ。家ではいつもこれです」

男はグラスを手に取り、揺らし、香りを嗅ぎ、口をつける。かなりの酒飲みだ。一連の動きでわかる。曲が『How Deep is The Ocean』にかわる。

「リー・ワイリーですね。大好きです。女房も大好きでした ── 」
「気が合いますね。すみません。いまちょっと電話中だったもので。済ませてしまいますから飲んでてください」

受話器を取る。

「あたしをほったらかしにしてどこに行ってたのよ。事件でも起こったのかって心配しちゃったじゃない」
「ちょいとした野暮用でね」
「ねえ。すごく恐い。街中がクリスタライズ・スワロフスキー・エレメントだらけなの。全身をローズ・アラバスターのスワロフスキーで飾り立てた女の人ばかりよ。みんな黒髪で、左目尻の下あたりに付けボクロしてるし。あちこちで輪になってバーレスクを踊ってる。どうなっちゃってるんだろう」
「これから君を血祭りに上げたあと、丸焼きにして喰っちまおうって魂胆さ」
「やめてよ!」
「やめないよ」

コアントローポリタンもピンク色のトランク・ケースもスワロフスキーも黒髪も付けボクロももうどうでもいい。それらは私の世界とはちがう世界のことであり、女の事情だ。

グラスに氷を放り込み、スピリタスとコアントローを同時に注ぐ。肩と顎の間に挟んだ受話器が落ちそうになる。大ぶりのグラスになみなみと注いだスピリタスとコアントローを半分ほどひと息で飲む。悪魔の雫が胃から血管を伝い、全身に広がっていく。

「あなたも飲んでるの?」
「いま飲みはじめた」
「ギムレット? マティーニ?」
「いいや。カクテルなんて手間のかかる面倒なものじゃない」
「わかった。マイヤーズ・ラムね」
「ちがう。スピリタス & コアントローだ。昼間から往来で酔いどれているコアントローポリタンの女を相手に長電話をするにはお似合いだろう」
「スピリタスはやめときなさい」
「世界中のスピリタスとコアントローを全部飲みつくしてやるさ」
「懲りないひと」
「そのうち、聖なる酔っぱらい帝国の皇帝になってみせるからたのしみに待ってるんだな。メイドか召使いか洗濯女でよければ雇ってやるよ」
「せめて秘書ぐらいにしてよ」
「お生憎様。秘書はすでに100万ドルの脚線美をもった仏文科出たての可愛らしいお嬢さんが面接待ちだ。眼の前のソファに座ってあくびをしてる。いま、ブラウスのボタンをひとつ外したところだ」

男にウィンクする。男は必死に笑いをこらえている。

「バカッ! あなたって最低の男ね!」

また電話が切れる。

「済みました」
「お忙しいようでしたら出直しますが」
「お気になさらずに。用件をさっさと片づけてしまいましょう。で、奥さんですが ── 」
「なんでも、現在コアントローポリタンという街にいるそうです。帰りたいけれども帰れないと。すごく恐ろしい目に遭っているようです」

自分のグラスと男のグラスにスピリタスを溢れるほど注ぐ。コアントローは必要ない。コアントローなどもうたくさんだ。スピリタスを2本も飲めばすべての災難と厄介事はきれいさっぱり消え失せるはずだ。1950年、マンハッタン東52丁目フィフス・アヴェニューのリー・ワイリーが囁くように歌っている 。ときに、静かに沈んでゆくことも必要だ。

Whether you are here or yonder
Whether you are false or true
Whether you remain or wander

Oh, how I'd cry,
If you got tired,
And said Good-bye

More than I'd show,
More than you'll ever know ──


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(To Be COINTREAUED)
 
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by enzo_morinari | 2014-03-28 04:28 | コアントローポリタンの女 | Trackback

ペーパーバック・トラベラー#3 ようこそ、渚ホテルへ

 
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1990年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、遠くでぱちんと音がした。進行方向左手に2階建ての白い洋館が現れた。渚ホテルだった。

私はそうすることがあらかじめ決められていたように車を停めた。海に向いたテラス席に座り、よく冷えたビールをグラスに1杯飲み、軽めの食事をし、海を眺め、潮風の匂いをかぎ、陽の光のただ中にしばし身を置くだけのつもりだった。

ビールを飲み、サーモンの冷製と仔牛のカツレツを食べ、きらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動を眺めながら潮風の匂いをかいだ。普段なら1杯のビールごときで酩酊するはずはないが、そのときは長時間の運転と旅先で起ったガール・フレンドとの致命的な諍いと訣別によって疲れ果てていたのだと思う。たった1杯のビールは体のすみずみにまでいきわたり、私は酔った。

いずれ、秋口までの仕事はすべて片づけてあるのだし、夏のあいだはいくらでも自由な時間がとれる。第一、東京に帰ったところでガール・フレンドはすでに消滅しているのだ。私は宿泊を決め、手はじめに白ワインと生牡蠣を注文することにした。ウェイターを手招きすると彼はとても気持ちのよい笑顔を見せながらやってきた。

ぴんと伸びた背筋。染みひとつない白いシャツ。趣味のいい靴は完璧に磨き上げられている。「シャブリと生牡蠣を」と私は言った。途端にウェイターの顔が曇った。そして、ぴしゃりと言った。

「1926年の創業以来、そのような酒は渚ホテルではご用意しておりません」
「それでは辛口の白を。グラスはきれいに霜のついたものを」
「かしこまりました」

遠ざかるウェイターの背中に冷ややかな軽蔑と悪意を感じて少し後悔したが、陽の光はどこまでも澄んで、ワインはシャブリほどの切れ味はないにしても良心的だった。

夏の終りとしては上々の午後だった。夏の名残りを惜しむにはうってつけのようにも思われた。

チェック・インするために建物の中に足を踏み入れたときから「ようこそ、渚ホテルへ」という声が聞こえた。声のしたほうを見ても誰もいない。「ようこそ、渚ホテルへ」という声は私の滞在中ずっと聞こえつづけた。

3日目の朝、食堂でバタ付きパンと温かいグリーンアスパラのサラダとエッグ・ベネディクトを食べていると、顔の右側に大きな痣のある女が向かいの席の男に小声で囁いているのが聞こえた。

「所詮、みんなここの囚人なのよ。自分の意思で囚われたとはいえね」

太り肉の男が答える。

「本当は元いた場所に戻る道筋を探さなけりゃならないのにな。多分、受け入れるのが運命なんだ。好きなときにチェック・アウトはできるけど、決して立ち去ることはできない」

私は心底恐ろしくなって、食事を途中でやめて自室に戻り、手早く荷物をまとめてからフロントに向かった。

「チェック・アウトを」

私はコンシェルジュに向かって吐き出すように言った。ダンヒルのフレグランスの燻したコケモモのような匂いのする年配のコンシェルジュは表情ひとつかえず、私の眼をじっと覗きこみながら答えた。

「料金はけっこうです。当渚ホテルは1989年の冬に閉館しております」


Eagles - Hotel California

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by enzo_morinari | 2014-03-25 09:49 | Paperback Traveler | Trackback

愚将愚宰の安倍晋三と世界の果てのマエストーソな高校生

 
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世界にはたわ言をほざきまくる原発マネーと木っ端役人の操り糸で雁字搦めの安倍晋三のようなポンコツスカタンがいるかと思えば、地球の反対側ベネズエラの世界の果てのコンサート会場では名もなき若者たちが宝石のごとき無垢で極上の演奏を繰り広げていた。

名もなき若者たち、マエストーソな高校生たちはベネズエラ・テレサ・カレーニョ青少年交響楽団員。元ストリート・ギャング、元麻薬の売人、元不良少年、元非行少年、孤児等々が主要メンバーである。
「音楽による社会運動」の名の下、スズキ・メソードに基づくエル・システマ(El Sistema)と呼ばれる音楽教育プログラムによって音楽、楽器演奏等の教育を受けた青少年たちのオーケストラだ。

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ベネズエラ・テレサ・カレーニョ青少年交響楽団
Teresa Carreño Youth Symphony Orchestra of Venezuela
ラフマニノフ『交響曲第2番 第3楽章 アダージョ』
グスターボ・ドゥダメル指揮 ショスタコーヴィチ『交響曲第10番 第2楽章』
アルトゥーロ・マルケス『Danzón No. 2 (ダンソン 2番)』

 
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by enzo_morinari | 2014-03-24 11:29 | 沈黙ノート | Trackback

ぼくの不思議なマーラくん#1

 
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ぼくの不思議なマーラくんがぼくの家にやってきたのはおおきな地震で世界が揺れて真っぷたつに裂け、おおきな真っ黒い重金属の塊りのような津波が街を根こそぎにし、プルトン城の3つの尖塔が大爆発して世界中にラジオの精液を撒き散らした翌朝だ。

ぼくの不思議なマーラくんはぼくの部屋に入ってくるなり、「腹へった。なんか喰わせて。パンの耳でもロバの耳でもサムラゴーチの耳でも王様の耳でもいいからなんか喰わせて。ついでにエヴィアン汲んできて」と言った途端にポーちゃんのまねをして大鼾をかいて眠ってしまった。台湾式仮設住宅に住むお隣さんのオーヤンフェーフェーは大音響を轟かせながらアイフモーフェーを飲んでいた。

ぼくの不思議なマーラくんの耳元で蝸牛と鐙骨と砧骨と槌骨と三半規管にまで届けとばかりに100万dbちょうどで怒鳴っても、ぼくの不思議なマーラくんはうんともすんとも名誉毀損で訴えるとも笑っていいともとも言わず、かわりに平然として寝言で「耳がきこえる」とだけハンド・サインを送ってよこした。

ぼくの不思議なマーラくんがぼくの家にやってきてからもう3年になる。ぼくはぼくの不思議なマーラくんのおかげで『大地の歌』がとてもじょうずに歌えるようになった。音楽のタツゾー先生に褒められまくりだ。巨人の友だちが9人できたし、『千人斬りの交響曲』をたかっしーにただで作曲させたし、頭を思いきり壁に100万回打ちつけてもラ音の耳鳴りはしなくなった。

もう、ぼくの人生の日々には杖も補聴器も包帯もいらない。もう頬杖はつかない。リタリンもケタミンもパキシルもアモキサンもコンサータもデパスもいらない。でも、ハッパはちょっと欲しいな。フラワートップスとスカンクは大ゴキゲンだ。アカプルコ・ゴールドなら言うことなしだけど、Flower Travellin' Bandはふざけた楽隊だ。ふざけすぎて、ジョー山中は死んじゃったんだ。内田裕也が死ねばいいのに。内田裕也は全然ロックしてないからな。ロックはしてないけど、いい年齢こいて勃起はしてそうだな。どっちにしたところで、内田裕也はマイケル・マクドナルドとおなじくらいブルシットであることにかわりない。

そんなわけで、ハッパはすごくいい。バッハはもっといい。世界がありつづけるかぎりいい。だから、ダイヤモンドは傷つかない。著作権もいらない。損害賠償請求なんか知ったことか! 借金は踏み倒す。髪の毛は元美容師の女詐欺師に剪ってもらう。

お涙だって、もういらない。お涙ちょうだいなんて口が裂けても耳が聞こえなくなっても目が見えなくなっても口がきけなくなっても車椅子のお世話になるような事態がやってきても言わない。

涙くん、さよならさよなら。永遠にさようなら。また会うことなんか絶対ない。泣きながら食べるパンなんか味も素っ気もない。涙とともに食べるパンで手に入れられるものは東京電力の電気料金請求はがきかサムラゴーチの耳垢くらいのものだ。

少年の魔法の角笛を手に入れて、世界中にいるお腹を空かせてさまよい歩くこどもたちをアルゴーの酔いどれ船に乗せれば、ぼくの物語がいよいよ始まる。問題はぼくの不思議なマーラくんがいつまで経っても目をさましてくれないことだ。だが、それでいい。なにごともアダージョ・アダージョだ。急ぐ必要はこれっぽっちもない。迷ったらダ・カーポと噂の真相を読めばいい。(岡留のやつめ。いったいいつになったらゴールデン街深夜プラスワンのツケを払うんだろう?)


Gustav Mahler: Adagietto for Cello & Piano - Symphony No.5 - 4th mvt. by fav.Classiqua (Sakuraphon)
 
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by enzo_morinari | 2014-03-23 11:48 | ぼくの不思議なマーラくん | Trackback

アダージョ・ソステヌートの殺人者

 
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「人生はラフマニノフの1小節にも値しない」とクリスチャン・ジメルマンによく似た男は言った。男の口ぐせだった。男は名うての殺し屋だ。男は容赦なく殺す。とてもゆっくりと殺す。眉ひとつ動かさずに。

人生はラフマニノフの1小節にも値しない。男の言うとおりだ。特にラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番 第2楽章の1小節には。当然、グスタフ・マーラーの交響曲第5番にも。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』にも。


アダージョ・ソステヌートの死。息は乱れない。常に平均律を保っている。タイム・キープ。キープ・テンポ。キープ・ザ・リズム。I Got Rhythm.

ジョージ・ガーシュウィンことジェイコブ・ガーショヴィッツは秋のニューヨークで生まれ、夏の初めのLAで死んだ。

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人生に必要なのはリズムとバランスとエアロダイナミクスと確認だ。これにいい旋律が加われば言うことなし。だが、ことはそうそううまくはいかない。変奏がある。どこのだれとも知らぬ馬の骨のせいで。チャーリー・パーカーが死んだのだって、元をただせばディジー・ガレスピーの変奏と変節に巻き込まれたからだ。No Confirmation, No Life.

男の部屋に入る。素晴らしいオーディオ装置だ。スピーカーはソナス・ファベールのAida. リラの形状をしたRed Violin仕上げのエンクロージャーが艶かしく輝いている。CDプレイヤーはLinn CD12で、カルダスのGolden Referenceを使ってKrell KSLとウェスタン・エレクトリック社製のKT88をチュービングしたMacintosh MC275につないでいる。バイアンプ駆動。おまけにスピーカー・ケーブルにはEsotericの7N-S20000 MEXCELを奢っている。完全にノックアウトだ。男は世界を支配する極意を手に入れたか、万人から気づかれずに搾取するための美学を身につけたかしたにちがいない。

マイクロ精機の超重量級砲金製ターンテーブルがゆっくりと回転している。ターンテーブルにはドイツ・グラモフォン盤のカラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニカー『グスタフ・マーラー 交響曲第5番』がのっている。

何年の録音だろうか。中学の音楽室で聴いたおぼえがある。放課後、クラーク・ケント似の音楽教師が聴かせてくれた。第4楽章の美しい緩徐の旋律に聴き惚れているときに男が口を開いた。

「仕事の前にはいつもマーラーの『交響曲第5番 第4楽章 アダージェット』かラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 アダージョ・ソステヌート』を聴く。そして考える。問う。人生に確証はあるか? 啓示と福音に耳をすましているか? とね。仕事が無事終わったらナタリー・デセイが歌うラフマニノフの『ヴォカリーズ』を聴く。あとにはなにも残らない。残さない。後腐れなし。そんなふうにして、私は人生の日々の景色をよくする」
「で、きょうのマークはどこのどいつですか?」
「あんただと言ったら?」
「究極のオーディオ装置で戦慄の叙情を聴けたんですから心残りはありませんよ。できれば、1970年録音のウラジミール・アシュケナージとアンドレ・プレヴィン指揮 ロンドンSOのラフマニノフ Op. 18が聴けたら申し分ないんですけどね」
「いい選択だ。ジメルマンとオザワ/ボストンSOのラフP-C No.2, Op. 18だと言ったら躊躇なく引き金を引いていた」

男は事もなげに言い、フィルターを外したソブラニー・ブラックロシアンに火をつけた。男が深々と煙を吐き出すとヴァージニア葉の甘く濃密な燻香が部屋中に広がった。

「今夜のマークは女だ。それもとびきり美人のな」

マークがとびきり美人の女と聞いて少しだけ胸の奥が疼いた。しかし、ほんの少しだけだ。どうってことはない。すべては過程のひとつにすぎない。


S. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2, Op. 18, 2nd mov. "Adagio sostenuto"
V. Ashkenazy, André Previn & London Symphony Orchestra (LSO)
Krystian Zimerman, Seiji Ozawa & Boston Symphony Orchestra (BSO)
V. Ashkenazy, Bernard Haitink & Royal Concertgebouw Orchestra (RCO)

S. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor Op. 27, 3rd mov. "Adagio"
Mariss Jansons & St. Petersburg Philharmonic Orchestra
Gennadi Rozhdestvensky & London Symphony Orchestra (LSO)
Yevgeny Svetlanov & Russian Federation Academic Symphony Orchestra
Pablo Castellano & Teresa Carreño Youth Symphony Orchestra of Venezuela

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by enzo_morinari | 2014-03-22 05:48 | アダージョ・ソステヌートの死 | Trackback

アーキオプテクスの樹の上で震えながら途方に暮れている仔猫ちゃんへ

 
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ミントジュレップを一杯引っかけたあとにこそふさわしい話
ハーブ・エリスの不思議な三角形
ゴンザレスの南、チチリアーノの西。あるいは RIDE ON TIME の男


ミントのできが悪かったからじゃない。寝不足が原因でもないし、門限を破ったからでもない。風邪気味だったのはいくぶんか影響しているかもしれない。でも、本当の理由はほかにある。そうとも。きみは木登りに夢中になりすぎたんだ。
たぶん、きみはいざとなれば誰かが梯子をかけて助けにきてくれると思っていたんだろうけど、誰も助けてくれやしないよ。もちろん、白馬に乗った王子様は現れない。誰もなにもしてくれない。梯子をかけるどころか、手を差しのべることさえね。
雲につかまろうとしたって無駄だよ。雲は霧なんだ。見る場所が変わればね。霧はすべてを閉ざすから、なにも期待しちゃいけない。もちろん、未来に起こることもね。「宇宙について思考するのに都合いいように脳はできているのよ」と言って深い沈黙に入った女の子の話のつづきを聴くことはもうできないんだ。
いいかい? 仔猫ちゃん。きみはアーキオプテクスの樹に登ったときとおなじように、降りるときも自分の力で降りてこなけりゃいけない。アカンソステガの子孫がおぼつかない足取りで海から這い出て、みずから地上にその一歩を刻したようにね。

仔猫ちゃん。きみは自分で決断し、行動し、その結果としていまアーキオプテクスの樹の上で震えている。そのことはすべて自分一人で引き受けなくちゃならない。世界はそんなふうにできあがっているんだ。霧は深くて寒くてなにも見えずなにも聴こえず、すごく心細いだろうけど、こればかりはどうしようもない。作為・不作為はともかく、ペパーミント・グリーンのベッドの上で賭け金を吊り上げたのはほかの誰でもない。きみ自身なんだから。

「おねがい。わたしを見て。あなたを愛しすぎてなにも見えないの」ってきみは言うんだろうけど、それはぼくだっておなじさ。その証拠にたくさん撫でてあげたろう? やさしい言葉だって抱えきれないほどかけた。いっぱい笑わせたしね。もうじゅうぶんじゃないか。いまや、ぼくには切るべき手持ちのカードが一枚もないんだ。

じゃ、ぼくは行くよ。せっかくだから、アカンソステガ・ディアトリマ・ハイエノドント楽団の1000人のヴァリオリン弾きたちが演奏する1000台のヴァイオリンによる『Misty』のCDをかけておく。『Misty』だけじゃなくて、きみの好きな『You Go to My Head』もあるよ。あと、ぼくの好きだった『I've Got a Crush on You』もね。もちろん、きみがアーキオプテクスの樹から自分の力で降りてこられるときまでリピートするようにセットしておいたよ。この不思議な世界をさまようにはうってつけさ。右足と左足の区別もつかず、帽子と手袋と靴下のちがいもわからないきみにはね。

さて、ミント・ジュレップのためのペパーミントを摘みにいく時間だ。霧は濃いけど、今度はうまくやるさ。

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ハーブ・エリスの不思議な三角形

20歳の頃のことだ。その頃、図書館司書か書店の売り子の恋人がほしいと思っていた。幸運にも私のその夢は実現した。しかも同時に。これはたぶん、長年にわたって根気よく勤勉に『ギリシャ・ローマ神話』とプルタルコスの『英雄伝』を繰り返し読みつづけた御褒美だ。
図書館司書あるいは書店の売り子を恋人に持つことのメリットは既刊新刊を問わずに読みたい本をほぼ完璧に手にすることができる点にある。実際、世紀の奇書といわれるサルバトーレ・ルカーニアの『マフィオーソ祈祷書』さえ読むことができた。16世紀末、イタリア・シシリー島の羊飼いによって書かれた『マフィオーソ祈祷書』の最後にはこう記されていた。

音もなく降りしきる春の雨に濡れながら、私は静かに筆を置く。もう二度と筆をとることはない。もうどこにも行かなくていい。ずっとこのまま、ここにいるだけでいい。
雨もいつかは上がるだろう。雨上がりの世界が春のやわらかな陽の光を浴びて息づき、匂い満ち、芽吹くといい。
羊飼いはただ一人、世界の果ての森へ向けて出発する。


読みたい本を手にすることができるほかにも、図書館司書と書店の売り子はおおいに私をたのしませくれた。休館日の図書館で催されている秘密の宴のことや本を万引きする人間の見分け方、あるいは深夜の図書館を跳梁跋扈するコトヨミとモノヨミらの怪物たちの話、書店の棚の上のほうに陳列されている本はそのほとんどがフェイクであること、さらには年に一度おこなわれる世界図書館司書シンポジウムのメイン・スポンサーがスタンダード石油とゼネラル・モーターズであることなど、おもわず身を乗り出さずにはいられない話を私は彼女たちからたくさん聴いた。

図書館司書は有栖川公園の一角にある東京都立中央図書館、書店の売り子は六本木通りに面した青山ブックセンターでそれぞれ働いていた。図書館司書と書店の売り子はいずれも私より8歳年上で、二人は誕生日と苗字まで同じだった。図書館司書は田丸ミサト、書店の売り子が田丸チサト。そう、二人は双子の姉妹だったのだ。二人の田丸は麻丘めぐみに似た美人で、特にふくらはぎから足首にかけてのラインがとても魅力的だった。ミサトは右目の斜め下、チサトは左目の斜め下に小さなほくろがあった。

私の部屋のベッドで初めて双子の姉妹のからだにふれたときのことはいまでもはっきりとおぼえている。双子はあらかじめそうすることが決められていたように永遠に交わることのない2本の直線としてベッドに横たわっていた。
私は双子のとても形のよい小さな乳房にそっとふれた。二人の乳房は氷のように冷たかった。乳房だけではなく、全身が凍りついているように思えた。
「きみたちは、なんというか氷の国の妖精みたいだ」
双子の姉妹との奇妙で親密なメイク・ラヴのあとに私が言うと、ミサトとチサトはきれいな首筋を同時にそらせてとても気持ちよさそうに笑った。
「わたしたちが妖精ならあなたはさしずめ魔法使いね。あなたの指は最高の幸福と不幸をもたらしてくれたもの」とミサトが目を潤ませ、私の指先を見ながら言った。
「異議なし」とチサトがすかさず言った。「実際、あなたの指で生まれて初めてわたしたちは本物の絶頂を味わえたのよ。長い28年間だったわ。でも、やっと氷はとけた。問題は残りの1/3」

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私と双子の姉妹がいっしょに暮らすようになったのは出会ってから1週間後だ。ミサトとチサトは仕事を終えて帰ってくると毎日毎日8時間ぶっとおしで牛の精巣とマウスの卵巣のスケッチをした。腱鞘炎にでもなってしまうんじゃないかと心配だったが双子の姉妹は私が考えている以上にタフだった。

ある秋の終わりの夕暮れ。私と双子の姉妹は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹の近くのレストランのテラス席で早めの夕食をとっていた。テラス席にはずっと不思議なにおいのする風が吹いていた。私が甘鯛の香草包み焼きを取り分けているときだ。
「あなたに秘密にしていたことがあるの」とミサトが言った。
「本当はわたしたち双子じゃないのよ」とチサトが言った。
「わたしたち三つ子なの」と二人が同時に言った。言ったと同時に三人目の麻丘めぐみ似の田丸が現れ、空いていた椅子にとても優雅にからだを滑りこませた。
「こんにちは。はじめまして。田丸コサトです。よろしく」

田丸コサトは平凡社世界大百科事典の編集者だった。額の真中に小さなほくろがあった。私がほくろにみとれていると田丸コサトがうれしそうに言った。
「わたしたちのほくろを結ぶと正三角形になるのよ。おもしろいでしょう?」
「もちろんおもしろい。おもしろいし、すごく不思議でエロティックだ」
「この正三角形のほくろはなにかのしるしだというのがわたしたちの考え」
「なにかのしるし。なんのしるしなんだろうな」
「それをつきとめるのがあなたの役目じゃないの!」とミサトが憤慨したように言った。
「ぼくの役目。なにから手をつけたらいいかさっぱりわからないよ」
「とりあえず、4人でセックスすることから始めるのがいいと思う」とチサトが小さな声で言った。

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「レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』の最後のほうと『料理の三角形』の序文で言っていたとおりよ。わたしたち三つ子は人類全体の矛盾を孕みつつ、それでも存在しているの」とコサトが言った。コサトは全裸だった。カーテン越しに街をみるコサトの背中はおそらく1970年代末の東京においてもっとも美しく、もっとも孤独だったのではないかと思う。
「矛盾だらけだけど、ともあれ、わたしたちは存在する」
コサトはそう言ったきりもう二度と口を開こうとはしなかった。たぶん、彼女は私をとても憎んでいたんだといまにして思う。コサトだけではない。チサトもミサトもだ。三つ子全員が激しく私を憎悪し、憤怒の炎を燃やしていたのだ。

三つ子にはこの世界で起こるすべての物事についてサンシーブルとアンテリジーブルとの境目をなくし、その合間に新たな均衡を持ち込もうとする風変わりな癖があった。それは癖というよりも「世界」にしがみついているための防衛ラインとも思えた。三つ子はその防衛ラインをこれまでに生きてきたリアルな生活の断片のひとつひとつを懸命に繋ぎ合わせ、補修し、手入れしながら築きあげたのだ。
「感じることと知ること。わたしたちはそれ以外にはまったく興味がない」とミサトがつぶやいた。ミサトは車窓を流れ去る風景を追うような目で私をみつめた。
「わたしたちの28年間の人生はブリコラージュなの。オリジナルなんかなにひとつ残っていない。みんなバラバラに砕け散っちゃった。でもね、それをひとつひとつ根気よく拾い集めて口づけし、頬ずりし、修復し、埋葬してきたのよ。それがどれくらいつらく苦しいことかあなたにわかる?」
チサトが言うと三人は同時に私の顔を覗き込んだ。不思議な正三角形が迫ってくる。それが三つ子の姉妹に関する最後の記憶だ。
いまでもはかない残照を慈しむ気分で三つ子のことを思いだす。そして、三つ子がプレゼントしてくれたハーブ・エリスとオスカー・ピータソン・トリオのLPレコードを聴き、『アレクサンドリア図書館年代記』を読む。世界は人間なしに始まり、人間なしに終わるものなのだと自分自身に言い聞かせながら。


Q.E.F. Quod Erat Faciendum. 後悔先に立たず。

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ゴンザレスの南、チチリアーノの西。あるいは RIDE ON TIME の男

2000トンの雨の中、RIDE ON TIMEの男は不可思議グーゴル・ピーチパイ製の巨大な波を連れて夏の終わりを告げにやってきた。

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休暇届の書き方の問題に端を発した私の誤解から職場を追われるはめになった。今後の展開について作戦を立てるため、雨の日の麹町小学校の放課後の音楽室で「ぼくのクラゲ弁当」による短めの昼食をとった。「ぼくのクラゲ弁当」は故障ぎみでシャープさに欠け、味気なかった。チタニウム合金の味だけが際立っていた。しょんぼりしかけた気持ちに鞭を入れ、「ゴンザレスの失われたファリエロ・マージ」を探す旅に出ることにした。

「いい旅を!」などとは誰も言ってくれないのがわかっていたから自分で自分に言ってみた。言ったとたんに物悲しい気分になった。そして、すごく後悔した。情けなくなった。しかし、この旅の円環はかならず閉じなければならない。旅の仕度をととのえる私の耳元でターコイズブルーのアスタリスク(*)がそっとつぶやいた。

「いかなるときにも、*に気をつけなさい。*は凶星ハドリアヌスターである。それと、あれだ。誤解があるようなのではっきりさせておく。わたくしはノスタルジックなのではない。やや年老いてはいるがね。わたくしはちょっとセンチメンタルなだけなんだ。おぼえておいてくれ」

ターコイズブルーのアスタリスク(*)は年老いてはいるがノスタルジーにひたっているわけではない。センチメンタルなだけだ。その証拠にアスタリスク(*)の瞳には小さな星がいくつも輝いている。
「ターコイズブルーのアスタリスク(*)は年老いてはいるがノスタルジーにひたっているわけではない。センチメンタルなだけだ」と5回繰り返して口にだした。世界観に若干の修正が加えられ、世界は安物のブリキのおもちゃみたいにピカピカと輝き、いくぶんか小躍りしているようにみえた。

次の日。揺れる象といっしょに長めの昼食をとり、ケルアックの『路上』を読んでいた昼下がりにRIDE ON TIMEの男は突然現れた。彼がいったいどんな目的でやってきたのかはわからない。そもそも、RIDE ON TIMEの男には目的などなかったのかもしれない。彼の真の目的は「時間に乗ること」だけだからだ。
「このレコードをきみのオーディオ装置で聴かせてくれないかな? マイ・シュガー・ベイブ。夏の日々に本当のさようならを告げるために」
RIDE ON TIMEの男は山下達郎のEPレコードを差し出しながら言った。私はイーベイ・オークションに「三曲がり半のケケ・ロズベルグ」を出品するための作業をしているところだった。
「!? どうやって入ってきたんだよ!?」
「ふふふ。時間の破れ目から」
「時間の破れ目?」
「うん。たぶん、きみならできるよ」
RIDE ON TIMEの男は言うと、勝手知ったる他人の家よろしく手際よくアンプリファイアーの電源を入れ、マイクロ社製砲金ターンテーブルにビニルの黒いレコード盤をのせた。RIDE ON TIMEの男は右の人指し指の腹で針先にさぐりをいれたあとミンダナオ島の宗教儀礼のような雰囲気を漂わせながらドーナツ盤に針を落とした。プチプチというノイズのあとに聴こえてきたのはトニー谷の『家庭の事情』だった。

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RIDE ON TIMEの男はその場にもんどり打って倒れこんだ。それを見た不可思議グーゴル・ピーチパイ製の巨大な波は9月の不思議な桃専門店の鞠屋の前歯を目指し、ものすごい勢いで旅立っていった。マイル君とパプ谷のクリマロ君とバスで見た女がそのあとにつづいた。部屋は青南小学校の放課後の音楽室のような静寂で満たされた。

私は『路上』を閉じ、ブックエンドに戻した。ブックエンド担当のポールとアートが二人同時に「だいじょうぶ。明日には橋を架けてあげるから」と言った。そして、私に肩を貸してくれた。私はあらかじめ失われた誰も知らないアンダーソンの庭を見下ろし、深々とため息をついた。「人生はかくもジズ・イズ過酷かつファンキーかつファニーざんす」と口にしてみたが気持ちはファンキーにもファニーにもならず、過酷なだけの未来が待ち受けているように思えた。

「ゴンザレスの失われたファリエロ・マージ」を探す旅の試練のことを考えているとひとりぼっちのダルメシアンがやってきて私に寄り添った。ポールとアートが貸してくれていたはずの肩は曲がり角のラティスとの百万回の曲がり角のキッスのための逢い引きに行ってしまい、コンドルがくわえた釘めがけてハンマーが振り下ろされようとしていた。
打たれる釘よりハンマーのほうがましだというのをこのときくらい実感したことはない。しかし。本当にそうだろうか? 打たれる釘よりハンマーのほうがましだろうか? 釘だって鉄だ。打てばハンマーだって痛いにちがいない。このことから私はひとつの結論を導きだした。それはつまり、どっちもどっち。
人生も世界もどのような立場であれ、金持ちであれ貧乏であれ、健康であれ病気がちであれ、喧嘩が強かろうと弱かろうと、頭が良かろうと悪かろうと、美人だろうとブスだろうと、シンデレラだろうと眠れる森の美女だろうと白雪姫だろうと、屋根裏部屋だろうと拷問部屋だろうと、結局は五十歩百歩。行き着く先にたいした差はないということだ。だとすれば、私にこの先どんな困難やら危険やら災厄やらが大きな口を開けて待ち受けていても、それはどうってことのない過程のひとつにすぎない。
「勇気だ」と思った。「いや、ちがう。勇気すらもいらない。この世界はどうということのない過程の積み重なりにすぎない」と思った。全身にみるみる力が漲ってきた。

私のロードバイクが修理から戻ってくるのは1週間後。やることがない。仕方がないので夏の初めに書きはじめた小説のつづきを書くことにした。その小説はこんな感じだ。

O.ヘンリーの書斎で(382) あらかじめ失われた庭を求めて

昼下がりの大手町。
オハイオ・ペニテンシャリーことウィリアム・シドニー・ポーターは『アンダーソンの庭』のフルコーラスを口笛で吹きながら歩いていた。足取りは軽い。『アンダーソンの庭』の軽快なメロディはオフィス・ビルの狭間を風となって吹き抜けてゆく。低く見積もっても大手町界隈の気温は2度下がったはずだ。『アンダーソンの庭』の風が皇居を越え、半蔵門にたどり着けば、麹町大通りはさらに涼しく明るくなる。君住む街までだってひとっ飛びだ。
「オーケー。すべてうまくいく」
ウィリアム・シドニー・ポーターは日本経済新聞社の正面玄関を20メートルほど過ぎたあたりでつぶやいた。自らを鼓舞するためだ。ウィリアム・シドニー・ポーターはこれから東京国税局、東京消防庁を訪ね、最後に天王洲先の東京入国管理局に行かねばならない。しかも、すべての役所で頭の固い役人と丁々発止のやりとりをするのだ。尊大で杓子定規で融通の利かない日本の役人どもにはいままでに散々悩まされてきた。だが、きょうばかりはなんとしてもこちらの主張を通さねばならない。自分と家族の死活問題に関わるからだ。妻のエリコと娘のエリカの顔が交互に浮かんでは消えた。

東京国税局の正門前に到着し、警備員の人を見下したような胡散臭げな視線にさらされながらネズミ色の建物の中に足を踏み入れた。6ボックスにくっきりと割れた腹筋にさらに力が入った。
「オーケー。すべてうまくいく」
ウィリアム・シドニー・ポーターはもう一度、つぶやいた。「いざとなったら、イゴール・ゴンザレス・ガルディアーノがチチ・マイタイを連れて助けにきてくれるんだ」

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オハイオ・ペニテンシャリーことウィリアム・シドニー・ポーターが東京国税局の木っ端役人に重箱の隅にうずくまるゴマメの歯軋りより耳障りな声を聴かされはじめてから20分が経過してもイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノはチチ・マイタイを連れて助けに来てはくれなかった。
その頃、イゴール・ゴンザレス・ガルディアーノは六本木ヒルズそば、コンセプチュアル・アートとみまごうばかりのコンクリート・ウォールと対峙するかたちで遅く短めの昼食の最中だった。そのコンクリート・ウォールは六本木高校の土台となっていて、上からは浮かれたはしゃぎ声が壁を伝わって聴こえてくる。いかにも屈託がない高校生どもの歓声にイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノは海南鶏飯を食う手をやすめて7回舌打ちをした。

「どいつもこいつもお気楽極楽だぜ。おれが毎日毎日、熱く灼けたトタン屋根の上で自転車を漕いでいるってのに」

イゴール・ゴンザレス・ガルディアーノは2000年の春、外苑東通り東宮御所前で「通行区分違反」を犯したとして検挙され、自前で買った Chrome Metro のメッセンジャー・バッグを没収されたうえに都内有数のバイシクル・メッセンジャー会社であるOCHA-Servを解雇されるという憂き目にあっていて、おまけに向こう10年間、バイセクシャレックスの名物馬鹿社長ファット・キマラの厳重な監視のもと、バイシクル・メッセンジャーの血と汗と涙でできあがっていると噂されるバイセクシャレックス・ビルの屋上でローラー台に据付けられた自転車のペダルを毎分120回転、8時間漕ぎつづけなければならないのだ。それがきっかけでイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノはRIDE ON TIMEの男になったという次第だ。さもなくば南方郵便船の船艙でジュートに囲まれて生きるかだ。

大陸風に向ったまま行方不明の父親が本当は雨あがりの王国で靴職人として働きながら開放的な童話を書いていることをイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノの妹は知っていた。イゴール・ゴンザレス・ガルディアーノの妹は誰も知らないことを知っている。たとえば、シンデレラの屋根裏部屋には無数の貧乏なおばさんたちのため息や嘆きや涙や苦悩や絶望や不幸がコレクションされていることを。そして、シンデレラは夜ごとそれらのコレクションに罵声を浴びせ、嘲笑い、唾を吐きかけていることを。
「いつかわたしが退治してやるわ」とイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノの妹はケイデンスの神に誓う。当のイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノは灼けたトタン屋根の上の猫にひどい悪態をついている。水の誘惑に負けたオウムガイの漂流についての顛末は拳骨委員会主催の午後の番犬どもの愚かなパレードが終わってからだ。

Q.E.D. Quod Erat Demonstrandum. 証明終了。
 
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by enzo_morinari | 2014-03-19 06:37 | CLOSED BOOK | Trackback

もし観音力によって感音性難聴のサムラゴーチが小泉八雲の『KWAIDAN』で耳なし芳一を演じたら

 
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昔々、安芸の国に阿弥陀苦寺という古臭く嘘臭い寺がありました。その寺に河内守という欺罔傾城音曲師がおりました。河内守は幼い頃から心の耳が不自由だったためにクロサギの騙りを仕込まれて、若輩ながら、そのサギ芸は師匠の岡野屁転和尚、兄弟子の古賀絵図面師をしのぐほどでした。いつしか人々は河内守を欺罔傾城音曲師と呼ぶようになりました。
阿弥陀苦寺の岡野屁転和尚は河内守のペテンの才能を見込んで寺に引き取ったのでした。河内守は弱者、弱法師の物騙りを騙るのが得意で、とりわけ三陸沖の合戦のくだりでは、寒風吹きすさんで凍える海っぱたで6時間半ものたうちまわっているような真に迫った騙り口に誰一人として涙を誘われる者はいなかったそうです。涙が出るどころか屁も出なかったと言います。
三陸沖で太平洋プレートと北米プレートの長い争いの最後の決戦が行われ、とばっちりを喰った人々は年寄り、女子供にいたるまで悉く海の底に沈んでしまいました。この悲しいプレート合戦を騙ったものが三陸沖の合戦のくだりです。

ある蒸し暑い夏の夜のことです。岡野屁転和尚が法事で出かけてしまったので、河内守は一人でお寺に残ってクロサギの稽古をしていました。そのとき、法の庭の草がサワサワと波のように揺れて縁側に座っている河内守の前でとまりました。そして、声がしました。
「河内守! 河内守!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか? わたしは心の耳が聞こえませんもので」
すると、声の主は答えます。
「わしはこの近くにお住まいの身分の高いやんごとなきお方の使いの者じゃ。殿がそなたのクロサギ騙りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのクロサギを?」
「左様。ニッポンコロムビア館へ案内するから、わしのあとについてまいれ」
河内守は身分の高いお方が自分のクロサギを聞きたいと望んでいると聞くや、すっかりうれしくなってその使いの者についていきました。歩くたびに、カシャッカシャッと音がして、使いの者が売れないCDの鎧で身を固めている音楽業界人だとわかりました。
門をくぐり抜けて広い庭を通り、図体だけは大きな昭和臭ぷんぷんのニッポンコロムビア館の中に通されました。そこは大広間で大勢の人が集まっているらしく、サラサラと衣擦れの音やCDの鎧の触れあう音が耳が聞こえないはずの河内守の耳にもはっきりと聞こえていました。きっとゼニカネのにおいを嗅ぎつけたからでしょう。まったく不可思議怪異なことであります。一人の元美容師の女官が河内守に言いました。
「河内守や。早速、そなたのクロサギにあわせてプレート合戦の物騙りを騙ってくだされ」
「はい。長い物騙りゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・三陸沖のくだりを」
「かしこまりました」
河内守はクロサギを鳴らして騙り始めました。河内守の傍らにはいつのまにか隻手音声のみっくんが現れていやいや「パパー、パパー」と間の手を入れています。
窮屈袋にくるまれた小猿が靭猿を担いで櫓を操る音。軟派船にあたって砕ける波。弓鳴りの音。楽団員たちの恨み節。息絶えた音楽関係者が奈落の底に落ちる音。隻手音声のみっくんの「パパー、パパー」という悲しげな間の手。
これらの様子を河内守は静かに物悲しく騙りつづけました。大広間はたちまちのうちに三陸沖の合戦場になってしまったかのようです。
やがて音楽業界凋落没落の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから咽び泣きが起こり、河内守のクロサギ騙りが終わってもしばらくは誰も口をきかず、静まりかえっていました。やがて、先ほどの元美容師の女官が言いました。
「殿もたいそう喜んでおられます。お財宝を褒美にくださるそうじゃ。されど今夜より六日間、毎夜そなたのクロサギを聞きたいとおっしゃっている。明日の夜も、赤坂のしんどい坂を登って、このニッポンコロムビア館に参られるように。それから寺へ戻っても、このことは誰にも話してはならぬ。よろしいな? バレたらすべて水泡に帰す。泡銭も濡れ手に粟も夢のまた夢じゃ。コンサートは中止、ゴーストライター本は絶版、賞は取り消し、あっちからこっちから損害賠償請求の訴訟の嵐じゃ」
「はい。たしかに心得ました。念のために弘中(マクリーン)惇一郎六価クロムクロロキン・クロポトキン・ポチョムキン・クロラムフェニコール日化工クロム職業病ロス疑惑薬害エイズ安部英無罪を内定しておきます。そうします」

次の日も河内守は迎えに来た音楽業界人のあとについてニッポンコロムビア館に向かいました。しかし、昨晩とおなじようにクロサギを弾いて寺に戻ってきたところを岡野屁転和尚にみつかってしまいました。
「河内守! 今頃までどこで何をしていたのじゃ?」
「・・・・・・」
「河内守!」
「・・・・・・」
岡野屁転和尚がいくら尋ねても河内守は約束を守ってひと言も話しませんでした。岡野屁転和尚は河内守が何も言わないのはなにか深いわけがあるにちがいないと思いました。そこで寺男たちに河内守が出かけるようなことがあったら、そっとあとを尾けるように言いつけておいたのです。

そして、また夜になりました。雨が激しく降っています。それでも河内守は寺を出ていきます。寺男たちはそっと河内守のあとを追いかけました。ところが、耳が聞こえないはずの河内守の足は意外に速く、闇夜に掻き消されるように姿が見えなくなってしまいました。
「河内守はどこへ行ったんだ?」とあちこち探しまわった寺男たちは墓地へやってきました。そのときです。ビカッ! 稲光で雨に濡れた墓石が浮かびあがりました。
「あっ! あそこに!」
寺男たちは驚きのあまり立ちすくみました。雨でずぶぬれになった河内守が楽聖弁当弁の墓の前でクロサギを弾いているのです。その河内守のまわりを無数の鬼火が取り囲んでいます。寺男たちは河内守が亡霊、ゼニカネの亡者に取り憑かれているにちがいないと有無を言わさず力まかせに河内守を寺へ連れ帰りました。

その出来事を聞いた岡野屁転和尚は河内守を亡霊やゼニカネの亡者から守るために魔除けのまじないをすることにしました。その魔除けのまじないとは河内守の体中に音符や楽式や指示記号を書きつけるのです。
「河内守。お前の人並みはずれたサギ芸が亡霊やゼニカネの亡者を呼ぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海に沈んでいった多くの人々のな。聞こえぬ耳をよくかっぽじいて聞け。今夜は誰が呼びに来ても決して口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命を取られる。しっかり座禅を組んで、壁に激しく頭を打ちつけて、のたうち回り、糞尿をあたりに撒き散らし、身じろぎひとつせぬことじゃ。もし返事をしたり、声を出せば、お前は今度こそ殺されてしまうじゃろう。わかったな?」
岡野屁転和尚はそう言って、本田美奈子比丘尼のアメイジング・グレイスなお通夜に出かけてしまいました。

さて、河内守が座禅をしていると、いつものように亡霊の声が呼びかけます。
「河内守。河内守。迎えにまいったぞ」
しかし、河内守の声も姿もありません。亡霊は寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・クロサギはあるが騙り手はおらんな」
あたりを見まわした亡霊は空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど。岡野屁転和尚の仕業だな。さすがのわしでもこれでは手が出せぬ。仕方ない。せめてこの耳を持ち帰って河内守を呼びに行った証しとせねばなるまい」
亡霊は河内守の耳に冷たい手をかけ、「バリッ!」ともぎ取り、帰っていきました。その間、河内守はじっと座禅を組んで壁に頭を打ちつけ、糞便を垂らし、2級手帳と診断書と薄汚れた札束を握りしめたままでした。耳の奥でラ音、ペトロナスなF1の耳鳴りがブンブンブブブンとめちゃイケウゴウゴルーガしました。

寺に戻った岡野屁転和尚は河内守の様子を見ようと大急ぎで河内守のいる座敷へ駆け込みました。
「河内守! 無事だったか!」
じっと座禅を組んで壁に頭を打ちつけ、糞便を垂らしたままの河内守でしたが、その両耳はすでになく、耳のあったところからは12万円の補聴器がのぞいています。
「お、お前、その耳は・・・」
岡野屁転和尚はすべてを理解しました。
「そうであったか。耳に音符や楽式や指示記号を書き忘れたとは気づかなんだ。楽譜も読めず書けぬわしのしたことじゃ。天地神明に誓ってゆるせ。二度と画像音声受信機には出ん。天地神明に誓って出ん。しかし、それにしてもなんとかわいそうなことをしたものよ。よしよし。香山リカちゃん人形よりずっとましな精神科医を頼んで、すぐにも心の傷の手当てをしてもらうとしよう。ついでに演技性人格障害も治療してもらおう」
河内守は心の耳を取られてしまいましたが、それからはもう亡霊やゼニカネの亡者につきまとわれることもなく、香山リカちゃん人形よりずっとましな精神科医の手当てのおかげで心の傷も治っていきました。
人の口に戸は立てられず、やがて、この話は2ちゃんねるを中心として口から口へと伝わり、語り継がれ、河内守のクロサギはますます評判になりました。いつしか、欺罔傾城音曲師の河内守は「心の耳なし河内守」と呼ばれるようになり、悪事千里を走り、古今東西にその名を聞かない者はないほどの小悪党小悪名になったということです。おしまい

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by enzo_morinari | 2014-03-15 13:58 | Poisson D'Avril | Trackback

Show-Do No Raku-Go/噺のほか#4 げんぱつ公社

 
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毎度、馬鹿馬鹿しい危険な話を一席。
近頃は色々と物騒厄介なものがますます増えてまいりましたな。厄介なものの最たるものはカスミガセキシロアリでしょうな。このカスミガセキシロアリ、東京のど真ん中、霞が関が主な棲息場所でございます。カスミガセキシロアリというのは普段はお役人の真っ黒けっけの腹の中にいるそうですな。カスミガセキシロアリにも亜種が色々いまして、原子力寄生虫、ケイサンショー毒虫、コッコーショー利権虫、コーローショータカリムシが有名どころですな。なにをやらせても効率が悪いうえにたらい回しにするのがお役人、お役所仕事でございますな。おまけにこの退化した猿たちは尊大で底意地が悪いときております。まさに「人民は弱し 官吏は強し」でございますな。昔も今も変わりません。いつの日か、ボッコちゃんにたのんでボッコボコにしてやりたいもんです。そして、「おーい でてこーい」の声が聞こえたあとは彼奴らに集中的に都会のゴミや人間のクズや工場の排水や放射性廃棄物が降りかかることを願わずにいられません。おや? なにやらノックの音がしておりますな。なになに?

東京ではげんぱつを「天下り先」と呼ぶのに対して、上方ではげんぱつを「ゼニのなる木」と呼ぶそうですな。東京では沸騰水型のげんぱつを使いますが、上方では加圧水型のげんぱつを使うそうですな。げんぱつは寛永十二年の『利権物語』にうどんやそうめん、恐怖饅頭などといっしょに「タカリ団子汁」として紹介されております。げんぱつの発売は安政元年、群馬の利権屋「中曽根園」で売り出された「栗げんぱつ」が嚆矢とされます。
江戸研究のバイブル、『守貞漫稿』に江戸期のげんぱつについて書かれています。
「江戸では裏乳夢の渋皮を取って、安い砂糖や黒糖を加えて煮た切り核を入れたものを甘い汁粉と呼ぶ。京大坂では裏乳夢の渋皮を取ったものは甘ちゃん汁または利権善哉と呼ぶ。江戸では利権善哉のようなものを穀潰し餡と呼ぶ」
『守貞漫稿』が世に出たのは嘉永六年ですから、江戸でのげんぱつ発売開始より1年ほど前になります。げんぱつのことは鶴屋南北の『三箇荘曾我島台』にも登場します。


げんしろ建屋で放射能玉子を誂えたついでに甘味を食べようという料簡の男が一人。

男「げんぱつ公社、げんぱつ公社と。ここか。ちげえねえ。ここが今度、国が新しくおっぱじめたげんぱつ屋か。ちょっと入ってみてやろう。こんちは」
窓口の木っ端役人「はい。ご用件はなんでしょうか?」
男「げんぱつをひとつ願います」
役「はあはあ。あなたは当公社のげんぱつをお食べになりたいと、こういう次第でございますね。承知しました。許可書はお持ちでしょうか?」
男「許可書? げんぱつ食うのに許可書がいるのかい?」
役「はあ。法律でそう決まっております。で、許可書はお持ちでない?」
男「げんぱつ食うための許可書なんてものは見たことも聞いたこともないよ」
役「では、許可書を作成いたします。身分証明書と印鑑はお持ちですか?」
男「なんでげんぱつ食うのに身分証明書や印鑑持ち歩かなけりゃならないんだ?!」
役「そういう決まりです。身分証明書は運転免許証でかまいません。この書類に住所、氏名、生年月日を書いて印鑑を押してください。印鑑がなければ拇印でもかまいません。拇印の場合はおっ立てた右の中指です。記入が済みましたら、この書類を持って3番の窓口へ行って許可書発行手数料1000円を支払ってください。いまなら消費税は5パーセントですよ。平成26年4月1日からは8パーセントですからね。いまのうちですよ。げんぱつを召し上がるなら」
男「なんだよ。バナナの叩き売りかよ」

男、渋々3番の窓口へ。

男「行ってきました」
役「はいはい。では書類をお預かりします。ときに、あなた。げんぱつには海水を入れますか?」
男「当たり前だろ! げんぱつがしょっぱくなくてどうするんだ!」
役「海水は昨今の原発苛酷事故多発の影響で国産が高騰しておりまして輸入ものとなります。3階の税関へ行って海水の輸入許可を取ってきてください。階段はそちらにございます」
男「エレベータはないのか?」
役「うしろの柱のポスターを目ん玉ひんむいてご覧になりやがってください」
男「ポスター?『日本全国歩け歩け月間』だって? 知るか!」

男、再び、渋々3階の税関窓口へ。

男「はい、税関で輸入許可取ってきました」
役「はい。よろしゅうございます。ときに、あなた。げんぱつにはお核入れますか」
男「あたりまえじゃないか! げんぱつには核が付き物だ!」
役「そのお核は焼きますか? 焼きませんか?」
男「核を焼かなかなくてどうするてんだ!?」
役「お核を焼くとなると火を使いますので4階の消防署の出張所で火気使用許可を取ってきていただいて ──」
男「いらねえよ! そんなに手間がかかるなら生で食う!」
役「ええ。ええ。そうですか。そうですか。お核を生で召し上がるとおっしゃいましたね? では、お腹をこわすといけませんので、お核を生で食べられるかどうか、6階の医務室へ行って健康診断を受けてください」
男「ばかばかしい。もう、げんぱつなんかいらねえよ!」
役「は? げんぱつをおやめになる? しかし、あなたと当公社の間では、すでにげんぱつの売買契約は結ばれております。ここであなたがおやめになると、げんぱつ法第199条第2項により3年以下の懲役もしくは冥王星で強制労働3ヶ月 ──」

男、渋々医務室へ。

男「はいはい。階段ね。げんぱつ食わないからってブタ箱入れられてたまるかよ。はぁはぁはぁはぁ。やけに息が切れるなあ。なにやら甲状腺も腫れてきやがった。こんなことなら4階の消防署にしときゃよかったな。さてと、6階の医務室はここか。なになに?『ただいま昼休み中。診療再開は13時から』だって? 冗談じゃない。だれかいませんか!」
医者「なんだ? 患者か。ふんふん、核を生で喰うってか。診療点数を稼ぐためにレントゲンでも撮るか。あんた、そこの台の上に立って。ふんふん。朝めしはメザシにたくあんか。まともなものを食べてないね。まったく、きょうびの非正規雇用一般人は栄養状態が悪くっていけませんなあ。どれどれ。ふむふむ。まあ、こんなガラッパチ、ゴンゾなら核は生で喰っても大丈夫だろう」

男、戻る。

男「健康診断受けてきました」
役「大儀であった。そこへなおれ」
男「なんだよ。今度は殿様になっちゃったよ」
役「許可書はすでにしてできておる。この許可書を持って8階の大食堂へ行ってげんぱつを注文せい」

男「8階の大食堂。ここか。ここだな。すみません。げんぱつをひとつお願いします」
女店員「いらっしゃいませ。許可書はお持ちですね?」
男「あるよ。随分とたいがいな目にあってやっとこさっとこ手に入れたよ。はい、これ」
女「けっこうです。ところで、げんぱつはねじ式とふっとう式とかあつ式がありますが、どれにしますか?」
男「ねじ式? ふっとう式? かあつ式? またまた厄介なことを言いだしやがったよ、おい。そうだな。じゃあ、ねじ式で」
女「生憎、ねじ式は賞味期限切れです」
男「だったら最初からそう言えよ。── もうどれでもいいよ」
女「どれでもいいと申されましても困ります。ふっとう式とかあつ式についての講習会が4月の第3週に行われますが参加されてはいかがでしょうか?」
男「4月の第3週?! その週は福島の大熊町に命がけの出稼ぎだよ。いいよ、いいよ。ふっとう式のげんぱつで」
女「ふっとう式のげんぱつですね。承知しました。ふっとう式のげんぱつにはとろとろに溶けた状態のメルトダウンと溶けてお椀の外に溢れるメルトスルーと地球の裏側まで到達するメルトアウトとがありますが、どれにいたしましょうか?」
男「はあ? メルトダウンにメルトスルーにメルトアウト? 面倒だから全部のせで」
女「全部のせですね。かしこまりました。ただし、その場合は取り返しがつきませんので御承知置きください」
男「まったくたいへんなことになっちまったぜ」
女「はい。お待ちどおさま」
男「おお、おお。来た来た。苦労して、やっとげんぱつにありつけるぜ。(フタを開けて) やったぜ。ほんまもんのげんぱつだ。核も入ってる。(核を食べて) 生で固いけど・・・(お椀をすする) ずっー? ずっすっー?? なんだこれ? パサパサじゃないかよ。ちょっとちょっと。ねえちゃん、ねえちゃん」
女「ねえちゃんとはなんですか! 町人庶民一般人ふぜいが! 私はこれでもれっきとした国家公務員です!」
男「そんなこと知るかよ。それより、このげんぱつ、甘い汁が全然入ってないじゃないか!?」
女「はいはい。私どもは役人です。甘い汁はもうとうの昔に吸いつくしております。かわりにすんごく鮮度抜群の超高濃度汚染水から作ったおせん汁入れときます」
男「おーい。責任者でてこーい」
 
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by enzo_morinari | 2014-03-13 11:58 | Show-Do No Raku-Go | Trackback