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Esprit Noir#4 牧神の午後への前奏曲風なプロファイリングに基づく「私」という現象【1/2】

 
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前奏
XY性染色体保持者。本職は天使の厨房の魚介担当である。余技として東京帝國主義大学法学部法律学科正教授を務める。

近頃の学生諸君の不勉強ぶりには呆れるばかりである。[Rene Descartes]を「レネ・デスカルテス」と読んだ学生について、周囲の反対を押し切り、法学部長として断固たる処分を課した。ニック&ぶっさり150回の体罰である。以後、その学生は私の顔を見るたび、「憎い、憎い。」と言うようになったが学業成績はいくぶんか向上したようである。ときとして、憎しみは人を成長させる要因となることの証左であろう。

主たる居所は東京の本所両国界隈であるが、気がむくと東京都文京区本郷7丁目周辺にも出没する。この界隈は大昔から陰険な輩が横行しており、その者どもはいろいろなモノ・コトに病原菌を仕込む。運よく狼藉者を取っ捕まえたときには大脳辺縁系に脳膜メンマをつけ合わせてやる。そのとき、きゃつらは酸漿を踏みつぶしたかのごとき奇妙な叫び声をあげるが、私の知ったことではない。

休日は故郷のクリスマス島(キリバス領)の北の岬に屹立する灯台ですごす。灯台だけに足元が暗く、苦労難儀が多い。灯台の海側の側面には「語りつくせぬことについては沈黙せよ。」とラテン語で記してある。空虚不毛な饒舌漢の乗船する船舶がこの灯台を通過しようとすると沈黙の海底からセイレーンが急浮上し、饒舌漢もろとも海中に引きずり込む。彼らを待ち受けているのはセイレーンの絶えることなきおしゃべりを永遠に聴かされつづけることである。御愁傷さまであるが、私の知ったことではない。

そんなときは南の海岸でライフセーバーをしている若い愛人のヨーコが、ヨーヨーとカンデラ片手にどこからともなく現れて踏んだり蹴ったりスパンキングしたり、色々してくれる。素敵だ。ヨーコは通称南のヨーコ。ちなみにクリスマス島における私の通称は北のタケシである。クリスマス島の北の岬の灯台を本拠地にしているのと、「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」をちょくちょくやるからである。ちなみに西の田園地帯一帯を支配する一族の当主はキタローちゃんだ。通称、西田キタロー。東の山岳地帯でイエティごっこに余念がない大うつけ者は東山カイイ。容貌はきわめて怪異である。法水麟太郎ももんどりうって黒死館クワルテット騒ぎであるが、私の知ったことではない。

蟹(道楽)に誓って申し上げるが、「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!」をちょくちょくやるからといって私は2ちゃんねらーではない。金輪際、私はあのようないかがわしいところに出入りなどしない。「あやしいワールド」の王である私の誇りがそれをゆるさぬ。赤羽の西村博之も知り合いではない。会ったこともない。会いたくもない。万が一にも会うときは、場所は大東京地方裁判所の法廷であろう。もちろん、私は原告席または検察側の中央に陣取り、訴訟指揮を執る。西村は被告席または被告人席でしょんぼりである。だが、大東京地方裁判所の「法の庭」で会えるうちが華であって、わたくしが番頭(ばんがしら)をつとめる「鬼の庭」に西村が引っ立てられてくるようなことがあれば、申し渡しの内容はすでに多くの人びとの「憎悪」と数々の「偏見と予断」によって心証形成されており、峻烈なものとなる。わたくしが「下衆外道」をゆるすようなことは断じてない。もって、瞑すべし。

通奏低音
罪刑法定主義者。無口。多弁。能弁。饒舌。小心者。大胆不敵。勇猛果敢。高所恐怖症かつ低所恐怖症かつ平地恐怖症かつ閉所恐怖症。つまりは、居場所がない。清貧。怠惰。喫煙反対反対論者。日本たばこ産業のストックホルダー且つヘビーユーザー。はた迷惑なチェーンスモーカー。鯨飲。馬食。音痴。音痴だが、頓知はかなり効いている。音痴で名高い明智小五郎先生が「君は頓知がきいてるなあ。小林君たちが君に一目置くのもむべなるかな、だね。」と笑顔満載で言ったので、「先生、そりゃ、ムンベーは鳴るに決まってるじゃないっすか!」と答えたら、ドラムンベースの電源を引っこ抜かれたうえにバチでひっぱたかれた。きっとバチカンのサン・ピエトロ寺院のラバトリの壁に落書きした罰が当たったのであろう。バチカン・グラフィティなんて言っておちゃらけてる場合ではないとつくづく思う。orz〜∞ 音痴で頓知で明智でバチカンで罰って、いったい何題噺なんだ!

主題部
いろんなことが苦手である。朝、起きるのが苦手である。自己管理が苦手である。特に漢字が苦手である。記憶力はかなり自信がある。これは遺伝のようだ。何年も前に上高地行きの電車で斜め向かいの席に座っていた老婦人(まったくの他人である)を憶えていて、後日、偶然にも銀座ですれちがったときに声をかけたら、その老婦人はすったおれそうなほど驚いていた。遠い記憶はときに人を不幸にする。

パリの地下鉄の駅を暗誦できる。『草枕』と『奥の細道』と『方丈記』と『日本国憲法』と『日本国刑法』と『日本国刑事訴訟法』を諳誦できる。スワヒリ語が少しだけ話せる。ホピ族の言語はネイティヴで話せる。長年の念願かない、2007年秋、トパンガの酋長になる。(呼び名:宇宙をかじる男/おもに部族の公式行事のときに使用。ライ麦畑で口笛を吹く男/プライベート時、とくにライムライトなライム風味のラムネ飲みが未来に味蕾をかけるライミ監督のスライムな映画に挑むときに使用)


倍音
『傷だらけの人生』を一日一回歌う。湯船につかっているときは『いい湯だな♪』である。これはゆずれない。『8時だヨ!全員集合!』症候群の名残であろう。

超絶技巧
酒は「大五郎」が好きだ。理由:安いから。ヘネシーVSOPも好きだ。理由:うまいから。それにつきる。納豆とカスピ海ヨーグルト(12年もの)とリンゴ酢は毎朝、欠かさない。たまに鯱の塩焼きを食す。鯱の塩焼きを食べるときはなぜかザ・バースデーのチバユウスケが隣りにいる。謎である。アンチ・エレファント・カシマシである。近く、究明したい。


終演
私は罪刑法定主義者であると同時に武闘派でもある。だが、寄る年並には勝てぬ。近頃、というよりも、昭和が終わりかける頃から眼も耳も鼻も舌もきかなくなった。生殖器もだ。だが、お迎えは断る!「まあだだよ」である。形而下の現象であるところのこの衰えた肉体ではあっても、まだそんじょそこらの青っ洟たらした小僧っこ小娘どもには負けぬ。私には養老猛司お墨付きのクール&グルーヴ&ドービ&ファンキファンキな大脳辺縁系があるからだ。


【人生の概略及び感想】
パリ16区の市民病院で出生。母親は「銀座の女」にしてシングル・マザー。イカす!
TO大HO学部卒。以後、完膚なきまでにフリーランス。臥薪嘗胆、修羅の日々。
失意。失意。失意。晴れ時々縄文人。漂えど沈まず、悠々として急ぐ。
得た答えは、No Pain, No Gain. 痛みのパンなくして、前進なし。なんてマイ・フーリッシュ・ハートな人生。

【受賞歴】
マドレーヌ現象研究会大賞
シカゴ悪漢互助組合奨励賞
講談社群像新人文学賞(小説部門)
真冬の山下埠頭から星空を眺める会会長賞
真冬の山下埠頭から星空を眺める会最優秀新人賞
 
【ジャンル】
マドレーヌ現象撮り/本歌撮り/物撮り
 
【取引先】
東京森鳴燕蔵事務所/シカゴ悪漢互助組合/チーム・アスタリスク/マドレーヌ現象研究会/ふたつの風の会/真冬の山下埠頭から星空を眺める会/東京三百代言会
 
【使用カメラ】
Leica M1(Good Bye Model)
Leica M3
Leica M8
Nikon F801
Nikon F2 Titan
CANON EOS-1D X
CANON IXY DIGITAL1000
CANON EOS 7D(IMAGE MONSETER 2.0)
 
【使用ソフト】
Adobe Illustrator CS6(Mac)
Adobe Photoshop CS6 Extended(Mac)

【仕事らしきこと/生業のごときもの】
教育的指導/会社経営(広告制作)/世界の終わり見届け相談/文筆(速い・高い・うまいの三拍子そろい踏み)

【趣味・道楽並びに研究等】
オーディオ
ハーブ栽培
ガーデニング
自転車ツーリング
マドレーヌ現象研究
地雷を踏んでも生き延びる方法の研究
いかにクールにライカでグッバイするかの研究
美術鑑賞及び解読(西洋絵画並びに彫刻、西洋建築)
音楽鑑賞及び解読(Jazz, Classical, HIP-HOP, Afro-Beat, Fado, Bossa Nova)

【好きな場所】
パリ16区、YOKOSUKA、シーズン・オフの湘南、シーズン・オフの軽井沢、シーズン・オフの秋谷海岸、わたしの心の中のギャラリー、最後の春休みに忘れ物を取りにいくロッカー室、春の盛りの葉山、強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフト・サイド、午後の最後の芝生の上、水曜の午後の野毛山動物園、開店前のバーのカウンター、最高裁判所第三小法廷、港区青山(南北)、港区南麻布、港区元麻布、渋谷区千駄ヶ谷、渋谷区神宮前、中央区銀座1丁目~8丁目、中央区月島、中央区佃島、文京区本郷

【最近読んだ本】
『Le Ruisseau de Bach』『HIP-HOP EXISTENCE』『L'ESPACE MUSIQUE』『La MUSIQUE INFINI』『Mort et Reproduction』Jean-Michel Migaux/『L'Œil et L'Esprit』Maurice Merleau-Ponty(『眼と精神』モーリス・メルロー=ポンティ)/『Letters for Emily』Camron Wright(『エミリーへの手紙』キャムロン・ライト)/旧約聖書/古事記/日本書紀/三国志魏志東夷伝倭人の条/『Anonymous Garden』Guy Fawkes & Enzo Maiorca Molinari

【好きな映画】
『LEON』『CASABLANCA』『STREET OF FIRE』『OUT SIDER』『昔々アメリカで』『ぼのぼの/クモモの木のこと』『もののけ姫』『紅の豚』『風の谷のナウシカ』『シンドラーのリスト』『ショーシャンクの空に』『グリーン・マイル』『ゆきゆきて神軍ーヤマザキ、天皇を撃て!』『その男、凶暴につき』『あの夏、いちばん静かな海。』『キッズ・リターン』『遥かなるツール・ド・アスタリスク』『アスタリスクの風』『その男、アスタリスクにつき』『ゆきゆきて アスタリスク*』『ASTERISK FOREVER!』『ONCE UPON A TIME IN ASTERISK』『GRAND ASTERISK』『ASTERISK ROSSO』『アスタリスクの樹のこと』(ぼのぼの)『STREET OF ASTERISK』『兵士アスタリスク』『アスタリスクの紋章*』『荒野のアスタリスク』『ぼくの夏休み』『アスタリスクたちの午後』

【好きな書物/テクスト】
『遥かなるツール・ド・アスタリスク』『「ゆきゆきて、アスタリスク」の思想』『アスタリスクになる!』『アスタリスクと宇宙と僕と』『読書緊急停止! 読まれることを拒否するエクリチュールたち』『現代思想の10000000000人』『言葉図解殺人事典』

【好きなまんが】
『ぼのぼの』

【好きな言葉】
「さらば、アスタリスク*」
「それは君のアスタリスクではない。」
「禍福は糾えるアスタリスクのごとし。」
「アスタリスクのない豚はただの野村沙知代だ。」
「玄妙の 言葉求めて櫻花 薄紅匂う 道をこそゆけ」

【好きな音楽】
ジャズ、古典楽曲、ボッサ・ノッバ、ヒップホップ、AFRO-BEAT、FADO、民族音楽

【好きな美術】
プリミティブ・アート、エコール・ド・パリ、モダン・アート、アブストラクト・アート、シュールレアリスム、ランド・アート、キネティック・アート、フィギュラティヴ・アート、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アート、ストリート・アート、引っ越しのアート0123、ビザンティン美術、最盛期ルネサンス美術、バロック美術、17世紀オランダ美術

【参考(瞠目刮目している「仕事」)】
青空文庫の一連の仕事/外交資料館受付畔柳さんの仕事/国会図書館司書二本松さんの仕事/日本橋丸善吉岡さんの仕事/青山ブックセンター葛城さんの仕事

【もっとも幸せなとき・こと】
水曜の午後の野毛山動物園の最後の芝生の上でミニチュア・セントバーナードのポルコロッソと戯れること。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-30 16:33 | Esprit Noir | Trackback

亡国の類 ── 謝蓮舫

 
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ケチャップに秘められた「食の伝播」に関するいくつかのことと辻元清美の上顎部の形状問題と「真実の口」#3

蓮舫をゆるしてはならない。のさばらせてはならない。蓮舫の醜さはみずからの愚かさを隠蔽するために「賢そうに」みせかけるところに現れている。北野ファンクラブで、高田文夫に「茶の間に土足で上がりこんでくるんじゃない!」と言われたときの蓮舫の叱られた仔犬のような表情は悪くなかった。だが ── 。謝蓮舫はいまや、辻元清美に続いて亡国の類の筆頭にある。以下、列挙し、あげつらう。

可愛げなし
A( )C
傲岸不遜
思い上がり
勘ちがい
虫酸を呼ぶ引きつったせせら笑い
 
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by enzo_morinari | 2013-11-29 04:22 | Media Vita in Morte | Trackback

Esprit Noir#3 ストラテジック・ブレーン&ボディ

 
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一言一句、片言隻句に深く心いたすべし。E-M-M



1. 眼に石鹸を入れることはできても、石鹸に眼を入れることはできない。





















2. 古今東西、自分の髪の毛の本数を数えきった者は達磨大師のほかに存在しない。


















3. 舌を出したまま鼻で息をすることはできない。























4. あなたは愚かにも3を試したはずだ。
















5. 3を試したときに、「え? できるじゃん!? おれ(あたし)、もしかしてヘン?」と思っただろうが、その時あなたは縄張りを見回り中に棒っきれに衝突して脳しんとうを起こしたマヌケブルテリアのような What's マイケルづらになっていたはずである。深く恥じるべし。




















7. あなたは「ダマされた!」と思い、ちょうど今、半笑いを浮かべている。















8. あなたは6を飛ばしたことに気づいていない。注意力散漫はたいていの場合、人生に禍根を残す。














10. あなたは本当に6を飛ばしたか確認し、さらに半笑いを浮かべている。
















11. そしてまた、あなたは9が飛ばされていることに気づいていない。













12. つまり、あなたは救いようのない馬鹿/愚か者である。










13. 悔しかったら、仕返しにこのテクストをコピペし、拡散しなさい。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-28 06:17 | Esprit Noir | Trackback

オーロックスの夜#1

 
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遠い遠い大昔。私は人間の一生で一番美しいはずの二十歳を目前にしてずいぶんと生き急いでいた。生き急いでいると実に色々なものが見えてくる。普段は見えないものまで見える。

歯並びの悪いほうの村上春樹が実は小室直樹の中学時代の隠し子で、二人そろって歯列矯正の一環としてイルザ・ランドをストーキングしていたり、東京タワーと横浜マリンタワーがすごく仲が悪くて、大黒埠頭でオーディエンスに気づかれないように夜ごと脛を蹴飛ばしあっていたり、スパム・メールの黒幕はライオン・エステート不動産のまわし者で、ジョン・ベルーシの復権のためにドクター・ペッパーを1日に12本一気飲みしていたり、生きた化石のゴンベッサがところかまわず泳ぎまわっていたり、北京原人やらネアンデルタール人やらアウストラロピテクス・アナメンシスやらムンゴマンやらアイスマンやらが徘徊していたり、ケナガマンモスとコロンビアマンモスが牙を突き合わせ、それをインペリアルマンモスが高見の見物を決め込みながらムカシマンモスの尻を撫でているのまで見えた。オーロックスのヘック・キャトルと出会ったのはそんな夜だった。

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ヘック・キャトルの口ぐせは「こんちくしょうめ!」だ。ヘックはなにかというと「こんちくしょうめ!」と怒鳴る。ヘック・キャトルの怒鳴り声の威力、破壊力は凄まじいもので、近くでトナカイの夫婦を製造販売していたリサ・ラーソンが心臓麻痺を起こしかけた。そのときはWWF(世界自然保護基金)から焼鳥類似学者のマックス・ジャック・ニコルソン、WWFにロゴ・ロコモコ・ロコモーションを提案した怪鳥類学者のピーター・フォーク&ナイフ・スコット、虚業家のビクター・ニッパー・ストーローハット、アマチュア無線学者のガイ・アノニマス・フォークス・ガイア・ヤクショ・モンターニュフォート、オランジナ柑橘系日配ベルンハルト公らを原告としてアフリカの小国の国家予算なみの損害賠償請求訴訟を提起された(裁判は私の超絶弁論によって実質勝訴ともいいうる「即決和解」に持ち込んで事なきをえた)。

また、イーストリバーを航行する20万トン級の貨物船を怒鳴りつけて沈没させたこともあるし、ミライカデナとミライイワクニとミライヘノコから飛来したV-22墜落型オスプレイを「こんちくしょうめ!」のひと言で操縦不能状態にしたことだってある。それも一度や二度ではない。三度だ。

ヘックは「こんちくしょうめ!」のあと1時間ほどしゃっくりが止まらなくなる。しゃっくりは「ヒック」のときもあれば、当然、「ヘック」のときもある。ヘックしゃっくりのときは自分でしゃっくりをしたくせに「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」と怒りだす始末だ。

「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)
「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)
「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)

こんなようなことが1時間もつづく私の身にもなっていただきたいものだ。ただし、悪いことばかりではない。「ヨックしゃっくり」と「モックしゃっくり」がいい塩梅で出たときはそこそこおいしい思いができる。トーキョー・シティのミナミアオヤマからヨックモック製品の詰め合わせがFedEXのカーゴ満載で届くのだ。そのときはハドソンリバー・パークとイーストリバー・パークとイーストリバー・ステート・パークのホームレスたち全員を集めて騒々しいにもほどがあるお茶の会が始まる。

お茶の会の最後には体が大きくて力の強そうなホームレスが選抜され、失われたアークの上にヘック・キャトルを乗せてワシントン大行進する。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアもおっとり刀で駆けつける。宇宙を支配する巨大な意志の力からはお祝いがわりに『新・十戒』と『獣戒』が授けられもする。

問題は行進の途中でイーストリバーが真っぷたつに裂けてしまうことだ。まあ、向こう岸に渡るのに便利といえば便利ではあるのだが。翌日のニューヨーク・タイムズの一面はその記事で埋まる。

自分たちのせいでホワイト・ハウスで国家安全保障会議が招集されるのはあまり気分のいいものではない。当時の大統領はボンクラ・ジミー・カーターだったからいいようなものの、もしあのときのアメリカ合衆国大統領がジョージ・ウォーカー・モンチッチー・ブッシュだったらまちがいなく巡航ミサイルを100発くらい撃ち込まれていたと思う。それを思うと私はつくづくついていたのだなと胸を撫で下ろす。

猿に毛の生えたような男に殺されるのなんて冗談じゃない。真っ平御免だ。アメリカシロヒトリとミツユビナマケモノをサラダボウル一杯食わされるほうがまだましというものである。

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ヘック・キャトルと出会って3日目のことだ。晩秋の弱々しい陽がすっかり落ちた火灯し頃。私はハドソン・リバー・パークのベンチを寝ぐらがわりにして、14th ストリートのどんつく、グリニッジ・ヴィレッジの外れにある閉店セール中のポーン・ショップで15ドルで買ったSONYのオンボロのラジカセで『ワシントン広場の夜はふけて』と『Autumn in New York』と『ニューヨーク炭坑の悲劇』を繰り返し聴きながら眠られぬ夜をビバークしていた。

音楽がよほど心地よかったのか、ヘック・キャトルは私の枕元で大鼾をかいて眠ってしまった。42回目のMJQの『Autumn in New York』が始まったとき、ヘック・キャトルは突然起き上がり、ハドソン川に向かって宣言した。

「俺が無理でも俺のこどもたち、こどもたちが無理なら俺の孫たちの中からアメリカ合衆国大統領を出す!」

宣言後、ヘック・キャトルはまた大鼾をかいて眠りについた。のちに、この日、1978年11月26日は『偶蹄目覚醒記念日』として永遠に記憶されることとなるのだが、私もヘック・キャトル本人もそんなことになるとは知らず、ただ物騒で寒くて心細くて空腹なだけのニューヨークの晩秋を震えながらやりすごした。どのような栄光にも人知れず牛知れないつらい過去があるのである。

『ハドソン川の奇跡』と『9.11ニューヨークの悲劇』が起こるのはまだ20年以上も先の話だし、その頃の私は東西冷戦はいつか世界の破滅につながり、ベルリンの壁はさらに高さと憎悪と悲しみと苦悩を増すと考えていた。ところが今日までに世界は大きく動いた。

東西冷戦の終結。ベルリンの壁崩壊。そして、ソビエト社会主義連邦共和国の瓦解。インターネットの普及によって人類の「知」の意味とありようは根本から変わった。まったく予想もしない動き方、チェンジぶりだった。そして、『奇妙な果実』の誕生から70年余。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア死して40年。「奇妙な果実」の子孫がついにアメリカ合衆国大統領となった。「Yes, We Can Change!」というとても魅力的でチープな広告文案とともに。

当然のことだが、副大統領にはわれらがヘック・キャトルの孫、ヘック・キャトル・ジュニアジュニアが就任した。彼のおかげで世界の牛肉価格は安値安定を維持している。オバマのあとには第45代アメリカ合衆国大統領ヘック・キャトル・ジュニアジュニアが誕生することが確実な情勢である。なにしろ、ヘック・キャトル・ジュニアジュニアには強力なロースト・ビーフ集団(ロビイスト)を擁する「全米牛肉協会」が後ろ盾としてついているのだ。

大統領選のスローガンもすでに決まっている。「Cow Words To Become Water Note!」だ。なにを隠そう、この私が考案したものである。バラク・フセイン・オバマの「Yes, We Can Change!」より有権者への訴求力は強いと思う。キャンペーンのスローガンとしてはまちがいなく傑作の部類に入る。ACC賞くらいは楽にゲットできるだろう。そして、第45代アメリカ合衆国大統領ヘック・キャトル・ジュニアジュニア誕生の暁には私がアメリカ合衆国大統領首席補佐官として表舞台に躍り出るという寸法である。

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さて、「死ぬまでに経験しておくべきいくつかのこと」について手短かに申し上げる。まあ、取って付けたようなものだ。本題をすっかり忘れてしまっていた。申し訳ない。

死ぬまでに経験しておくべきいくつかのこと。その筆頭は秋のニューヨークである。春でも夏でも冬でもなく、秋のニューヨーク。春のパリと夏のニースと冬のペテルブルグとともに死ぬまでに一度は経験しておくべきだ。もちろん、MJQかジョニー・ホッジスかスタン・ゲッツかタル・ファーロウかソニー・スティットがプレイする『Autumn in New York』を何度も何度も聴いて口ずさめるようになってから。運がよければヘック・キャトルの子孫たちとも友だちになれる。

では、アメリカ合衆国大統領選挙勝利の祝賀会でお目にかかろう。祝賀会当日のメイン・ディッシュはすでに決めてある。「A5クラスの白館牛による牛鍋」だ。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-26 23:07 | オーロックスの夜 | Trackback

ハイデガーの愛人の絶望とCosina Voigtlander NOKTON 58mm f1.4的世界と彼女の寂寥

 
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 なにものも濡れねずみの孤独を癒すことはできない。E-M-M


 銀座4丁目交差点。ライトアップされた和光の時計台が9時の鐘を打つ。強い通り雨。三原橋脇の世紀末ホテルのペイヴメントが銀座の街のあかりを受けて艶かしく光る。
「ハンナ・アーレントがハイデガーの爺さんの愛人だったなんて。そんなこと、死ぬまで知りたくなかった。しかも、こんな夜ふけに」
 彼女は吐き捨てるように言い、青いレインコートの襟を立てた。そして、「世界の果てにある木樵小屋に閉じこめられているような気分よ。日毎夜毎、哲学者の手にいたぶられるひとりぼっちのねずみのほうがまだましだわ。なにもかもが Cosina Voigtlander NOKTON 58mm f1.4 で見ているみたいに青く煙っていく。" 時間性 "について考えるのはきょうかぎり、やめにする。濡れねずみの孤独を癒すことはだれにもできない」とつけ加えた。

 通りをゆくだれもがハネをあげながら早足に家路を急ぐ。あたたかな笑顔と良妻のクリームシチューの湯気が待つ家へ。事前にウェストかルノワールで打ち合わせでもしていたように店々のあかりが順番に無表情に素っ気なく消えてゆく。ドライケーキを踏みつぶしたようなシャッターの音がざらついた心を駆り立てる。通りをゆく人もネオンも街あかりも蒼い河を流れてゆく。二度と引き返せない蒼い河を。
 仕方ない。漕ぎ出そう。ゆっくりと。誰にも気づかれないように。音を立てないように。夜の中へ。夜はやさしい? いつだって夜は深く、残酷で、容赦ない。

 私は孤独なナイトウォーカー。雨の中のナイトウォーカー。みんなひとりぼっちのナイトウォーカー。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-25 18:03 | Esprit d'Azur | Trackback

YUMINOLOGY#1 春の大連に手紙の返事は届いたのか?

 
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松任谷由実の『水の中のASIAへ』(1981)の中に『大連慕情』という歌がある。派手さはないし、ポップなところは皆無だし、よほどの「ユーミン好き」「ユーミン・フリーク」でなければ知らないような地味な楽曲だが、とてもいい。

若き日の父親が母親に宛てた古い手紙を見つけるというなんとも泣かせるシーンから『大連慕情』の物語は始まる。アカシアの香りがかすかに漂う古い手紙。黄ばんだ便箋。そそぐ陽射し ── 。

返事は着いたのですか? 遠い日の異国へ

ここですでに吾輩などはノックアウトだ。松任谷由実は実にうまいと感心する。松任谷由実のすごさというのは心、魂の琴線にふれるような「かなしみ」「せつなさ」「はかなさ」をすくいとるところにこそある。それは男と女の恋愛にまつわることであろうが親子の情愛にかかわることであろうが変わらない。

戦前か戦時中か。いずれにしてもきな臭くなりつつあった中国大陸に赴任中の夫とそれを日本で待つ妻。娘は自分が生まれるずっと昔の若き日の父と母を思う。

父はすでに死んでいる。母も死んでいるかもしれない。母親が亡くなり、形見分けのさなかに「手紙」をみつけたのかもしれない。黄ばんだ古い手紙からしか二人の「青春の日々」をたどることはできない。もはや父と母の本当の「想い」を知ることはできない。二人の「ときめき」を知るすべはない。「死」はすべてを深く遠い闇の奥に隠してしまうからだ。時間は残酷だ。時間にはつねに死の匂いがする。知りたい。父がなにを思い、母がなにを感じていたのか。

吾輩には『大連慕情』にまつわる思い出がひとつだけある。大学を卒業し、新しい生活の根拠地へ引っ越すための準備をしている春の盛りのことだ。一段落し、吾輩は手に入れたばかりの『水の中のASIAへ』のレコード盤を棚から取り出し、B面の1曲目『大連慕情』をかけた。自然と涙があふれてきた。

母親が死んですでに10年近くが経っていた。母親の匂いや声や笑顔が次々と浮かんでは消えていった。かなしくも面影は日々うすれゆく。たとえかけがえのない者の面影であってもだ。そう思い知ったとき、吾輩は吾輩のほかにはだれもいない部屋で声をあげて泣いた。

吾輩は『大連慕情』を繰り返し聴いた。何度目の『大連慕情』だったか。うしろから押し殺したような泣き声が聞こえてきた。泣き声というよりもそれはうめき声だった。

驚いてふりかえる。生物学上の父親だった。生物学上の父親に会うのは2年前の大晦日の夜以来だった。2年のあいだにずいぶんと齢をとっていた。顔のしわが驚くほど多く、深い。からだはふたまわりほど小さく細くなっている。

「引っ越し祝いにと思ってさ」

生物学上の父親はそう言ってジョニ黒のビンを差しだした。

「うん」
「じゃ」
「待ってよ」
「え?」
「飲もう」
「いいのか?」
「もちろんだよ」
「すまん」
「あやまるのはおれのほうだ」
「…」
「つまりさ、おれはあんたがずっとおれに背を向けていたと思っていたけど、おれもあんたもおなじ方向を見ていたんだってことがやっとわかったんだ。あの大晦日の夜」
「ありがとう」
「礼を言わなきゃならないのはおれのほうだ。聴かせてほしいんだ。昔の話を。戦争中のことや中国でのことやおふくろと出会った頃のことを」
「とりあえず、なにから話せばいい?」
「とりあえず、乾杯しよう。それから世間話をしよう。” 本当の話 ”はそのあとだ」
「それがいい」

吾輩と生物学上の父親はそれから夜ふけまでジョニ黒を湯呑み茶碗で酌み交わし、いろいろなことを話した。戦争中のことや中国でのことはここでは憚られるし、母親とのなれそめやその後の道行きについては彼らと吾輩の秘密だ。

ただひとつだけ。吾輩のおふくろ様が生物学上の父親に宛てた最初にして最後の手紙のことだ。生物学上の父親はその手紙を肌身離さずに持っていた。見せてもらったがあちこちに涙と思われるしみがあった。

手紙は困憊の生物学上の父親を励まし、「世界中があなたの敵にまわっても、わたくしはあなたの味方です。なにがあってもわたくしはあなたを支えます。そして、あなたの人生を見届けさせていただきます。それがわたくしの幸せです」としめくくられていた。生物学上の父親が長い人生のあいだに何度も読み返し、そのたびに涙したのも無理はない。

手紙は吾輩が受け継いだ。生物学上の父親が死んだときは棺にその手紙の一部と母親の好きだった山百合の花を入れてやった。山百合の甘くせつないかおりに包まれ、「生涯にただ一人だけ愛した女」の手紙をふところに生物学上の父親は三途の川を渡ったというわけだ。閻魔様もすこしは匙加減を甘くしてくれたにちがいない。『大連慕情』の母親の手紙もきっと遠い日の大連に届いたはずだ。それにしても時間は残酷だ。あらゆることを遠い闇の奥に隠す。


大連慕情 - 松任谷由実
 
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by enzo_morinari | 2013-11-25 02:41 | YUMINOLOGY | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#3 現象と発見

 
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旅の途中、一人の王子がある田舎道を歩いていた。王子は自分の歩いている道を直前に片目のロバが歩いていたことに気づく。王子がなぜそのことに気づいたかと言えば、彼の歩いている道の左側の草ばかりが食べられていたからだ。H-W『スリランカの三人の王子の旅』

電流と磁気の関係にかかる発見、ダイナマイトの発明、クリップの発明、X線の発見、ラジウムの発見、ポリエチレンの発見、ペニシリンの発見、LSDの幻覚作用の発見、テフロンの発見、電子レンジの発明、マジックテープの発明、トンネル効果の発見、宇宙背景放射の発見、パルサーの発見、ポストイットの発明、恐竜滅亡の小惑星衝突原因仮説、高分子質量分析法の発見、カーボン・ナノチューブの発見、安全ガラスの発明、導電性高分子の発見、キチンの開発 ── すべてはセレンディピティウサギ=「幸福な偶然」を捕まえた結果である。H-S


当日、葬儀に来られなかったひとに「虹子の復活」のことをなんと説明すればいいのか悩んでいると、剥がされた背中の皮をカーボン・ナノチューブとキチンで再生された因幡の白兎のように顔を輝かせながら「わたしが電話する」と虹子は言い出した。

「虹子ちゃん、それはいくらなんでもいきなりすぎるんじゃないか?」
「いいよいいよ。かえってよろこぶよ。もしかしたら、御祝儀もらえるかも」

虹子のセレンディピティぶりにはいつも驚かされる。おそらく、21世紀世界において虹子くらい「現象と発見」のあいだに横たわる深い渓谷を飛び越える能力を持った者はいない。セレンディピティ・セレブリティと呼びたいほどだ。

虹子は実に手際よく「復活通知」をこなした。昼すぎに始めて、夕方のニュースの時間には「復活通知」は最後の1件になった。最後の1件は東大の仏文科でフランス語を教えている虹子の伯父さんだ。フランス象徴派詩人の著名な研究者で、大江健三郎のノーベル賞受賞についてラブレーばりの奇妙奇天烈な文章で過激な批判を行った人物。名前を言えば誰だって知っている。

私が電話した。「馬鹿者! グラン・ペゾン!」と怒鳴られて電話を切られた。虹子が再度電話して事なきをえた。グラン・ペゾン伯父さんからは何日かして祝電がきた。たぶん、祝電だと思う。お祝い電報だったから。電報にはただ一行、「Un coup de dés jamais n'abolira le hasard」と記されていた。

サイコロのひとふりは偶然を排除しない ── 。マラルメか。気障なじいさんだ。「99本のきゅうりと9リットルのエビアンは幸運をもたらさない」のほうがイケてるぜ、グラン・ペゾン伯父さん。

「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」が幸運をもたらすことを知るのはもうちょっと先だ。現金書留で御祝儀を送ってくれた奇特なひとびとに「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」に匹敵する幸運が訪れますように。

イエスの復活の例もあるし、お通夜の最中に息を吹き返して「棺桶から世界のみなさまこんにちは」という話だってあるのだから虹子が生き返ったのはいいとして、きゅうりを食べすぎて死ぬなどというふざけた話があるのか? 腑に落ちない。納得がいかない。

きゅうりを99本もいっき喰いしてエビアンを9リットル飲んだ虹子も虹子だが、死亡診断書に「きゅうりと水の過剰摂取に起因する低ナトリウム血症による心不全」とシュライブしやがったドクター野本に腹が立つ。きっと死亡診断書を書きながらむひょむひょ笑っていたにちがいない。死亡診断書はどうするか? 記念にとっておくことにしよう。なにも知らせずに虹子がドクター野本を訪ねるという手もある。ナースの辻と不倫していることを証拠画像付きで暴露したって文句は言わせない。


きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで突然死した虹子が生き返ってから1週間。やっと以前の生活が戻ってきた。虹子は「死んでいた時」にずっとカエルの夢をみていたそうだ。オリーブ・グリーンの太ったカエルがある日我が家にやってきて一緒に暮らす夢。退院してからもずっと同じ夢をみるという。キッチンではそんな虹子が『バラ色の人生』を口ずさみながらきゅうりを刻んでいる。虹子のことだから、そのうち、『きゅうり色の人生』を歌いだすだろう。虹子に声をかける。

「朝ごはんはなに?」
「きゅうりの塩揉みときゅうりの酢の物ときゅうりサンド」
「冗談?」
「うん」
「おもしろくないよ」
「どうして? おもいっきり笑うところじゃん」

そんなようなかなり入り組んでいてちょっと不思議でなんとなく愉快な事情を抱えたギラン・バレーの朝だ。朝ごはんができあがるまでのあいだにポルコロッソと散歩に出た。

桜の蕾がほころびはじめている。空を見上げる。花曇り。スミダ川沿いの桜の土手が薄紅に色づくのはもうすぐだ。雨の気配がある。雨の匂いも少しする。さくら橋のたもとにさしかかり、ポルコロッソが急に強くリードを引きはじめる。さくら橋の中程のベンチに向かってぐいぐいとリードを引く。いつもどおりのいい朝だ。おとといもきのうもおなじ朝だった。あしたもきっといい朝にちがいない。

散歩の仕上げはさくら橋のベンチでポルコロッソにピーナッツをあげること。ポルコロッソもわかっている。世界にただ1匹のミニチュア・セントバーナードであるポルコロッソは朝のさくら橋のベンチでピーナッツを食べるのが大好きだ。ポケットにはひと握りのピーナッツがある。私がベンチに座ると同時にポルコロッソは素早い身のこなしでベンチに飛び乗り、お座りをする。待ちきれないのか、ぐーぐーと唸り、足踏みまでしてピーナッツを催促する。「はやくはやく! はやくピーナッツちょうだい!」とでも言っているようだ。

「ダウン!」

ポルコロッソはその場に素直に伏せる。「タウン!」と吠えたら合格。しかし、まちがっても、「症!」なんて言うなよ、ポルコロッソ。演説青年のスミジル・スミスじゃないんだからな。レイシストはお断りだぞ。いろいろめんどくさいことになるからな。いいな? 当然、わかってるよな? 返事くらいしろよ、ポルコロッソ。無理か。相手は犬だものな。

ポケットからピーナッツをひと粒取り出し、「ウェイト!」と言いながらポルコロッソの鼻の上にのせる。ポルコロッソは上目づかいで私をみる。焦らす。ぐーぐーと唸って不満げなポルコロッソ。さらに焦らす。ぐーぐーぐー。まだ焦らす。ぐーぐーぐーぐー。口の端っこから涎がこぼれはじめる。私の「よし!」のひと言を待っているのだ。

「吉田!」

ポルコロッソは一瞬ぴくっとするが我慢する。ポルコロッソの前足のまわりが涎で濡れている。ポルコロッソが「ブラマヨの!」と言ってくれることを期待するが、それもやっぱり無理な相談というものだ。

「吉本!」

まだ我慢するポルコロッソ。まちがっても「隆明!」と言ってくれないのは先刻承知だ。合掌。私の個的幻想が速度を増して疾走しはじめる。「興業!」では台無しだからな、ポルコロッソ。わかってるよな?

「吉行!」

まだまだ。「淳之介!」と言おうものなら宮城まり子が黙ってはいまい。ろくでもない奴に騙されてそれどころではないだろうけど。

「ヨシムラ手曲げ直管!」

「え?」という顔をするポルコロッソ。「いやあ、ポップ・ヨシムラというごきげんなじいさんがいてさあ」と言っても、ポルコロッソにわかるはずがない。ポルコロッソが生まれるはるか昔にポップ・ヨシムラはこの世界にアディオースしているんだから。

「よしなに!」

くぅんと鼻を鳴らすポルコロッソ。

「よっしゃ!」

私は田中角栄か? いや、田中角栄ではないはずだ。たぶん。しかし、あまり自信はない。くぅんくぅんくぅん。そろそろポルコロッソは限界だ。

「よし!」

私が言った途端にポルコロッソは頭をさっと後ろに引き、落ちるピーナッツを見事にキャッチ。技にさらに磨きがかかってきた。動きに微塵も迷いがない。反復継続というのはすごいものだ。

そんなことを繰り返しているうちにピーナッツはすべてなくなる。イマドシルト中学校の始業を知らせるチャイムが鳴る。そろそろお家へ帰る時間だ。虹子のおいしい朝ごはんが待っている。私が立ち上がるとポルコロッソもベンチから飛び下りる。ポルコロッソは私の右側真横にぴたりとつき、私のペースに合わせて歩く。ときどき、私の様子をうかがうように顔を横にふり、私を見上げる。これもいつもどおりだ。こんな幸福な日々がいつまでもつづけばいい。でも、きゅうりはしばらく御法度だ。口の臭い戸籍係はもううんざりである。ドクター野本にはかならず仕返しをする。

さくら橋を渡ってすぐにポルコロッソが立ち止まった。植え込みに顔を向け、不審そうに鼻をくんくんさせている。ん? なにかいるのか? 犬だから当然だが、ポルコロッソはとにかく鼻がきく。危険や異常事態をすぐに察知する。ポルコロッソといっしょに暮らすようになってからきょうまでの7年間、ポルコロッソには何度命を救われたか知れない。

ポルコロッソが鼻を向けている先を見る。特に変わったものはない。パンタグリュエリヨン草の一群が春のやわらかな風をうけて揺れているだけだ。ん? いや、なにかいる。眼を凝らさないとわからないが、たしかになにかいる。さらに眼を凝らす。パンタグリュエリヨン草の濃いモス・グリーンの葉の上になにかがいる。そこだけ光っている。近づく。さらに近づく。光っているものの正体を見極めるのだ。

私はそうすることがあらかじめ決められていたように顔を近づけた。ローズマリーのような強い香りを放つパンタグリュエリヨン草の葉の上には一匹のソバージュネコメガエルがうずくまっていた。からだの大きさと白い筋とイボの数と形状から見てかなり若い。

「ねえねえ、ぼくにも見せてよ! においを嗅がせてよ!」とポルコロッソがせがむ。ソバージュネコメガエルはかたく眼を閉じ、身動きひとつしない。世界のすべてを拒絶しているようにも見える。ポルコロッソが吠えたてても、私が指でつついても、アルミ缶を満載したリアカーを引くホームレスの老人が『The Long and Winding Road』を大声で歌いながらすぐそばを通りすぎても、カミナリが鳴っても、クロネコヤマトの配送車が電信柱に激突しても、ポリス・カーが耳障りなサイレンを鳴らしながらやってきても、ソバージュネコメガエルは微動だもせずにパンタグリュエリヨン草の葉の上にうずくまっていた。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-24 16:16 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

Fairytale of Tokyo/Blue Christmas, Little Christmas

 
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赤坂で育った。毎年、クリスマスが近くなり、赤坂の街が赤や白や緑や金色で装いはじめ、街のあちこちからいろいろなクリスマス・ソングが聴こえるようになるとときめいた。いつも見なれている街がまったくちがった表情を見せるのが好きだった。細く小さな路地さえ華やいでいた。曲名はわからなかったがたくさんのクリスマス・ソングをおぼえた。

乃木神社の近くに東京タワーを眺めるための私だけの「秘密の場所」があって、イヴの夜にはかならずそこで何時間かをすごした。寒さにふるえ、かじかんだ指先に息を吹きかけながらライト・アップされた東京タワーを眺め、おぼえたてのクリスマス・ソングを口ずさんだ。宝石のような時間だった。いまでは背の高いビルに阻まれて「秘密の場所」から東京タワーを眺めることはできないが、それでもなお、私には見える。ブルーで小さな私だけのクリスマスの夜が。


世界中のすべての人々にあまねくハッピーで素敵なクリスマスでありますように。北の国の人々にもフクシマで暮らすの人々にも。そして、スクルージ爺さんにも。


Blue Christmas - Celine Dion


Blue Christmas/written by Billy Hayes and Jay W. Johnson

I'll have a Blue Christmas without you
I'll be so blue just thinking about you
Decorations of red on a green Christmas tree
Won't be the same dear, if you're not here with me

And when those blue snowflakes start falling
That's when those blue memories start calling
You'll be doin' all right, with your Christmas of white
But I'll have a blue, blue blue blue Christmas

You'll be doin' all right, with your Christmas of white,
But I'll have a blue, blue Christmas

君のいないブルー・クリスマス
君のことを思うと憂鬱になる
クリスマス・ツリーの赤や緑のデコレーションも
君がそばにいなければ意味がない

憂鬱な雪が降りはじめてつらい思い出がよみがえるとき
君はたのしく過ごすんだろうな 純白の雪に包まれたクリスマスを
でも僕は憂鬱なクリスマス 憂鬱なブルー・クリスマス

 
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by enzo_morinari | 2013-11-24 03:21 | Fairytale of Tokyo | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#2

 
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葬儀の段取りや親戚、友人知人への連絡、形見分け、生命保険金の請求手続き、役所への死亡診断書の届出など、虹子が生き返るまでの2日間は目がまわるほど忙しかった。実際に目がまわって3回気を失った。昏倒した私を介抱する虹子の妹のナオちゃんの巨大な乳房が顔にこすれるのはとてもいい感じだったが、そのあとセックスしてしまったことについては大いに反省しなければならない。

マーカス・デュ・ ソートイ教授が手なずけた複素数猿デュオのヨタ&ヨクトが苛立たしげに奏でる『素数の音楽/ノンブルのソネット』が荘重軽薄に流れる中、山あいのけむり棚引く火葬場で虹子の葬儀は始まった。

焼かれて小さな骨になってしまう虹子のことを考えると無性にうまい棒のシュガーラスク味が食べたかった。挨拶回りや初七日や忌明法要や四十九日や一周忌のときに着る服を考えるのはちょっとだけたのしかった。しかし、ちょっとだけだ。

まさに棺桶がロストル式の火葬炉に納められようとしたとき、どんどんどんと音がした。棺桶からだった。その場にいた全員が驚いた。中にはその場で凍りついてガリガリ君のミツユビナマケモノ・ポタージュ味に変身し、その薄情そうな薄い唇から味の素の冷凍餃子を吐き出す者すらいた。無理もない。当然ですらある。それで驚かないのはミツユビナマケモノ本人か細木数子か野村沙知代くらいのものだ。

腰を抜かしてくそを漏らすやつが3人いた。臭いったらありゃしない。火葬場でくそを漏らすような不届き者はこの世界から物静かに退場したほうがいい。永遠に。人生はそれほど甘くない。甘くないのだから、せめて臭くてはいけない。世界はそんなふうにできあがっているはずである。

火葬場の職員がバールやら釘抜きやらを使って大慌てで棺桶をあける。虹子の兄弟や親戚、友人たちが一斉にのぞきこむ。私は彼らの隙間から遠慮がちに。しかし、内心はwktkわくわくどきどき。「こりゃ、おもしろい展開になりやがったぜ」と胸は高鳴るばかりだ。棺桶の中でかすみ草に埋まった虹子は満面の笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

「うへへへへ。死んじゃった。でも、生き返ったから怒らないであげてね」

虹子は言い、のぞきこむ者たちの中から私を見つけた。そして、舌をぺろんと出した。虹子の舌はきゅうり色に染まっていた。「虹子ちゃん。べろが緑色だよ。すごくへんだよ」と私は言った。虹子の棺を取り囲む者どもがげらげらげらげら笑った。火葬場で大笑いしている集団は周囲にはどんなふうに映ったんだろう? あまりの悲しみに集団ヒステリーを起こしたか、不気味なカルト教団と思われたにちがいない。

生き返ってからはもっと忙しかった。一番厄介だったのは区役所だ。合計9回足を運ぶ羽目になった。また「きゅう」だ。9回のうち、4回はメジャー・リーグに行ったダルビッシュ有のこと(惜しい!「ダルビッシュ球」だったら、また「きゅう」だったのに。実に惜しい!)、2回はいかに公務員がいわれなき誹謗中傷を受けているかについて区役所の居心地の悪い窓口で担当の戸籍係から聴かされた。

9回目、「前例がありませんのでねえ」ととても顔色が悪くて口の臭い戸籍係は言い、行政実務法令集をめくった。こいつも世界から物静かに退場したほうがいい。こいつのおかげで世界は2パーセントくらい悪くなっている。

「前例があろうがなかろうが死んだものは死んだんだし、生き返ったものは生き返ったんだからなんとかしてくださいよ。なんなら、生まれたことにしてもらってもいいし」
「その手がありましたか! わかりました。では、出生届を提出してください」

戸籍係の口から猛烈な勢いでいやなにおいが吹き出る。顔をそむけても襲いかかってくる。息を止めても強引に鼻腔の中に押し入ってくる。シュールストレミングやカオリフェよりはましだが、まちがいなくエピキュア・チーズより臭い。アラバスター単位で3000くらいはありそうだ。「こいつなら悪臭強盗ができるな」と思う。

「あなた、それ、本気で言ってるの? 出生届を出せって」
「もちろんです。戸籍係はうそと冗談を言ってはいけない規則になってますのでね」
「どんな規則だよ、まったく。で、父母の欄にはなんて書けばいい?」
「まあ、適当に。奥様の御両親でいいんじゃないですかね」
「二人ともとっくの昔に死んじゃってるけど」
「ああ、それはそれは御愁傷様なことで。そうなると、話はちょいとばかり複雑になってまいりますなあ」

そんなようなやり取りを繰り返して、虹子はやっと戸籍上も生き返った。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-23 15:38 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#1

 
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私が仮想ストレージ・サーバ上で運営するメビウス-クライン型のヴァーチャル・ビルテイン・ボード・システム(VBBS)に『ソバージュネコメガエルの実存の最先端』というテクストがポスティングされたのは月曜日の明け方のことだ。ポスティングしたのは「苦悩するビーバー・カモノハシ」。マルチ・ポストの類いかと考えてテクストの一部を抽出し、徹底的に検索をかけたがヒットはなかった。「苦悩するビーバー・カモノハシ」もヒットしない。

私が運営するメビウス-クライン型VBBSはネットワークからはほぼクローズドで、一般にはいっさい公開していない。検索にヒットしない設定にもしてあるし、BB420-OTP方式の量子暗号、音声認証、指紋認証、虹彩認証で何重にもセキュリティがかけてある。ポスティングできるのはこの世界にただ一人、私だけだ。もちろん、完全はない。過去に一度だけ、「時代者」を名乗るフリーのジャーナリストが果敢に攻撃をしかけ、ROMすることには成功している。私の部屋に忍び込んだのだ。彼はいま、マンスリー・ウェブ・マガジン『時代』の記者として活動中である。私は訝しく思いながらも苦悩するビーバー・カモノハシのテクストを読んだ。

Click,


ソバージュネコメガエルの実存の最先端/苦悩するビーバー・カモノハシ
「聖護院きゅうり大食い選手権」のためのトレーニング初日の夕方。虹子は「デトックス、デトックス」とつぶやきながら、テーブルの上に積み上げられた聖護院きゅうりを黙々と食べつづけていた。山のようにあった聖護院きゅうりと1ダースのケース入りエビアンがみるみるなくなっていく。

聖護院きゅうり99本。エビアン9本。「きゅう」だらけだ。残ったのは聖護院きゅうり1本とエビアン3本。

「すごく疲れた。頭痛い。吐きそう」

痙攣がはじまる。その場にくずおれる。ポルコロッソが激しく吠えながら、虹子のまわりを駆けまわる。

「息が苦しい。死にそう」

虹子はそう言って本当に死んでしまった。腹がカエルのように膨れている。カエル好きの虹子にふさわしい死に様だ。きゅうりのキューちゃん好きの九官鳥のキューちゃんといっしょに坂本九の『見上げてごらん夜の星を』でも聴きたい気分だった。

事態を理解できないポルコロッソは虹子の顔を夢中で舐めている。とりあえず、救急車を呼ぼう。きゅうきゅうしゃ? また「きゅう」かよ。ダイヤルする。119。あ、また、「きゅう」だ。

「火事ですか? 救急ですか?」
「きゅうりの食べすぎです」
「はあ?」
「妻がきゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで死んじゃいました」
「ああ、よくあることです」

きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで死ぬのはよくあることなのか。世界はまったく不思議に満ちているものだ。

住所を告げ、救急車が到着するのを待つ。テーブルの上に1本残ったきゅうりをかじっているとあまりの馬鹿馬鹿しさに笑いがこみあげてくる。きゅうりを99本も食べて、エビアンを9リットルも飲んで死ぬなんてふざけた話がどこにあるっていうんだ? 風船おじさんといい勝負ができるよ、虹子ちゃん。

救急車のサイレンが聴こえはじめる。角の加藤のたばこ屋のあたりだろう。サイレンが家の前まで来た。ドアを開け、救急隊員を招き入れる。虹子を見て、年配のほうの救急隊員が言った。

「奥さん、おめでた?」
「きゅうりの食べすぎです。それと、水の飲みすぎ」

私が言うと、若いほうの救急隊員が吹き出した。そりゃ、笑うよな。誰だって。年配のほうの救急隊員が「こら」と言って若いほうの救急隊員をたしなめる。いいよ。彼に悪気はない。きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで腹をカエルみたいにぱんぱんに膨らませて死んだ者を見て笑わない奴なんかこの世界にはいない。あんただって必死に笑いをこらえてるじゃないか。ベテランの救急隊員さん。

3人がかりで虹子をストレッチャーに乗せた。虹子は信じがたいほど重かった。99本のきゅうりと9リットルのエビアンのせいだ。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-22 15:19 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback