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チキンライス世界の松本人志とハードボイルド・ワンダーランド

 
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クリスマスが近くなるとできたてのチキンライスの酸っぱい湯気の向こう側に見え隠れするまだ若く美しい母親の笑顔を思い出し、『チキンライス』を聴く。『チキンライス』はいい歌だ。デビュー当時の宇多田ヒカルくらいいい。たけしの『浅草キッド』に迫る。

『チキンライス』を初めて聴いたときは自分が経験してきたことと驚くほどに酷似していたのでびっくりした。親の顔色をうかがい、懐具合を気づかって一番安いメニューのチキンライスを注文するところ。「貧乏自慢ですか」と無言で問うおっちょこちょいの愚か者に対して抱く諦めと悲しみがないまぜになった複雑な思い。いまはなき赤坂プリンスのスィーツで「やっぱり七面鳥よりチキンライスがいいや」というところ。そして、「最後は笑いにかえるから」というところ。

『チキンライス』を聴いて松本人志という男と真っ正面から向かい合おうと思った。入手可能な松本人志の本やら雑誌のインタビュー記事やらをすべて読み、考えた。結論は、「松本人志は本物だ」ということだった。

松本人志はきわめつきのハードボイルドだ。「笑い」の質のエキセントリックさに気を取られていると松本人志の本質を見失う。松本人志の根っこ、基礎、支えているもの、ルサンチマン、闇、そして影。松本人志を松本人志たらしめているもの。それは、貧乏・貧困であり、不全感だ。

松本人志は一見すると斜に構えているようだがとんでもない。松本人志は人間、社会、世界と真っ正面から向き合っている。真っ正面から向き合っていなければあの種類の笑いを生み出すことはできない。照れ隠しに「斜に構えている」ように見せているだけだ。

きょうび、どいつもこいつもやに下がり、ふやけたやつばかりだが、松本人志はとんがっている。切っ先鋭い。結婚し、こどもができて落ちついたようにみられているがそれは表面上のことだろう。ふてぶてしい面構えは以前となにも変わっちゃいない。

テレビ受像機の画面をときどきぶっ叩いてやることもあるくらいのふてぶてしい面構え。そこがまたいい。クチビル・ハマーなど松本人志に比べたらまだまだどこにでもいるあんちゃんにすぎない。かわいいものだ。

松本人志がなにかに集中してぐっと視線を止めたときには背筋が凍りつくような凄味がある。あの松本人志の眼のたぐい、眼の奥に秘めているもの、宿しているものは長い人生でもそうそうお目にかかれるものではない。松本人志もめったに人前ではみせない。意識してそうしているのかどうかはわからない。あの眼はまちがいなく「地獄」をみた眼だ。いや、「地獄」に堕ちること、「地獄」に引きずり込まれることを覚悟し、腹をくくったうえで「地獄」の尻の穴まで観察し、見届けようとした眼である。地獄を観察する者。あるいは、地獄を計測する者。それが松本人志だ。

過去に二度だけ松本人志の「あの眼」とおなじ眼に遭遇したことがある。「いい死に場所」と「死ぬには手頃な日」を探して「ヤバイ場所」をほっつき歩いていた頃だ。一人はペルーで。反政府ゲリラ組織の兵士。もう一人は開高健。二度ともおそろしかった。背筋が強い痛みをともなって凍りついた。もうあのたぐいの眼にお目にかかることはないだろうと思っていたらテレビ受像機の画面から松本人志に見据えられた。以前とおなじように背筋が凍りついた。

松本人志の独創と発想力と即興は瞠目に値する。たけしと松本人志の対談を読めば松本人志の「精神性」の一端を垣間みることができる。『遺書』も「松本人志解読」の必読書である。

松本人志にはいずれ、保身と利権の確保に血道を上げる愚劣卑劣な木っ端役人どもや既得権益の上にあぐらをかいている守旧派守銭奴どもの牙城に風穴をあけるくらいの爆弾を炸裂させてほしいものだ。

人生という厄介なゲームに土塊ひとつ担保提供せぬまま恥知らずにもローリスク・ローリターンの定額貯金に精を出す善人づらした小市民や醜悪きわまりもない親和欲求に翻弄されるボンクラや臆面もなく純朴偽装した能天気や暮らし自慢、ライフ・スタイル自慢にうつつをぬかして日も夜もあけぬ極楽とんぼや裏切りと嫉妬と欲得と保身に彩られた者たちに回復不能な一撃を加えることがお茶の子さいさいになるくらいのごっつええ感じでガキ帝国なのを。

もともと、上っ調子な「笑い」にはまったく興味がなかった。鬱屈したもの、ルサンチマン、闇、影を誰にも触れることのできない敏感でナイーヴで脆い、もっとも奥まったところに隠し持ちながら、それを「笑い」にかえる。そのような「笑い」に魅かれた。萩本欽一やらドリフターズやらとんねるずやらのたぐいのなにがおもしろいのかこれっぽっちも理解できなかった。不思議でしかたなかった。いまの「お笑い芸人」と呼ばれている若造どものあらかたについても同じだ。チュートリアルの徳井とブラマヨの吉田には少し注目している。あとはひと山いくらという括りでじゅうぶんだ。徳井と吉田はTwitterでフォローして、ときどき「毒舌」をかましているが、いまのところ反応はない。まあ、縁がないということだろう。

できるならば貧乏なんぞしないほうがいいに決まっている。好き好んで貧乏になるやつなどいない。いるはずがない。こどもの頃の貧乏、経済的な不遇はたいていの場合、一生ついてまわる。そして、さらに悪いことに貧乏は世代交代しながら拡大再生産されていく。貧乏人のこどもは親よりさらに貧乏になり、そのまたこどもはもっと貧乏になる。石川啄木の依存性向と甘っちょろさはきらいだが、「働けど働けどわが暮らし楽にならず」というのは人生、社会の実相の一面を言いあらわしてはいる。

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小学校の6年間、ただの一度も給食費を払えぬような貧乏の中に育ったので暮らし自慢、ライフ・スタイル自慢に日も夜もないおセレブさまがたの極楽とんぼぶりに接すると虫酸が走りまくる。

ゼニカネにはなにひとつ不自由などなく、周囲には鼻高々の暮らしっぷりなんだろうが、吾輩は彼らの中に「いやしさ、あさましさ、さもしさ」のにおいをどうしても嗅ぎ取ってしまう。「○○でランチ♪」なんぞというテクストを目にすると8分音符を分解して蝦蟇のオタマジャクシに変えてから、ネウマ記譜法もタブラチュア記譜法もいっさい無視してダ・カーポかフェルマータかダル・セーニョに全休符つけあわせてデルフォイ神殿に生け贄としてお供えしてやりたくなる。

吾輩が長いあいだ喰らってきた昼めしは「日の丸弁当に玉子焼きが一枚のっかったドカベン」だ。うまかった。腹いっぱいになった。お品がないか? 野蛮か? おセレブさまがたの暮らしや「おランチ」や「午後のお茶の会」や「オサレなカフェ」が上品で文化的であるというなら、品も文化も糞食らえだ。

おセレブさまがたには百万回に一回でいいから「すべらない話」を聞かせてもらいたいものだ。あんたたち、気づいているかどうか知らんが、いつも滑ってるよ。それもレベルがすごく低いところで大滑り上滑りだ。豪勢な「おランチ」を画像入りで見せられ、読まされても、肝心の料理の味も香りも盛りつけのセンスもサーヴィングのよさもまったく伝わってこない。画像はどれもこれも雑誌かネット上のどこかで見たことがあるような構図ばかりで、まるで観光客の客足が絶えて久しい寂れた観光地の土産物屋で売っている絵葉書みたいだしな。

人生も世界もおセレブさまがた乃至はその追従者が考えているほど単純でもハッピーにも出来あがってはいない。「おランチ」やら「午後のお茶の会」やら「オサレなカフェ」やらディズニーランドやらスカイツリーやらで幸福と「いい人生」が手に入るなら神さまも苦労しない。ハッピー・クリスマスもメリー・クリスマスもけっこうだが、上っ調子上滑りに街中でお祭り騒ぎをやられるのはもうたくさんだ。

「貧乏」「貧困」というのはひとつのクライシス・モーメントだ。クライシス・モーメントの季節をすごしたことのない者は例外なく向上心がない。恥知らずである。恥知らずは恥を知らぬがゆえにためらいなく人を裏切り、手のひらをかえす。ちょっとした風向きの加減で経済的な不遇をかこっている者をこそ吾輩はわが友とする。

カネがないならカネのあるほうが出せばいい。そろってカネがないならいっしょに泣けばいいだけの話である。貸したカネを返さずに消息を絶った者がいたらそのことによって彼が一瞬でも救われたのであると思えばいい。しかし、恥を知らぬ輩に飲まされた煮え湯だけは何十年経とうと煮え湯のまま、はらわたの煮えくりかえり具合は当時のままだ。そして、吾輩は恥知らずとはどのようなしがらみ、事情があれ、たとえ大きな仕事をもたらすとしても、いっさい縁を持たない。いずれ、煮え湯を飲まされ、はらわたが煮えくりかえりつづけることを知っているからだ。

恥知らずは一度二度三度どころか何度でも恥知らずを繰り返す。もはや「恥知らず病」と呼びたくなるほどだ。そして、「住宅ローン」とやらを完済したことを得意げ自慢げに得々としてほざく愚か者はゴマンといる。人生という一筋縄ではいかないゲームで、土塊ひとつ担保提供していないくせに分け前だけは一丁前に要求した挙げ句、裏では郵便局の定額貯金に精を出すいやしさあさましささもしさもちょくちょく目にする。喪もあけぬうちから近所の狒狒爺/狒狒婆と御懇ろに及ぶ不逞の輩が掃いて捨てるほどいる。

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おセレブさんにまつわるある驚愕のシーン。あれは泡の徒花が末期の狂い咲きをしている最中のことだ。場所は銀座。RESTAURANT L'OSIER だ。おねいちゃんのたってのリクエストに「おまえのおごりならつきあってやってもよろしい」と申し渡して、いやいやながら待ち合わせ場所の銀座4丁目交差点和光前に出向いた。

ロオジェの料理がうまいのは十分に知っている。おそらく、その時点で亡くなった高橋徳男の「アピシウス」、広尾の「RESTAUTANT Hiramatsu」、ムッシュ勝又登の「オーベルジュ・オー・ミラドー」と並んで、日本一うまいフランス料理が喰える店だった。何年も行っていないがジャック・ボリーの舌、味蕾、嗅覚、視覚、聴覚が劣化していなければ料理のクオリティは超一級を維持しているはずだ。リニューアル・オープンのときには行ってみたいものだ(と思ったら、ジャック・ボリーの野郎、ロオジェにアデューしてやがるじゃねえか。終わったな、ロオジェ)。サーヴィングのレベルもトップ・クラス。ジャック・ボリーは鼻持ちならなくて好きではなかったが、人物を喰うわけではない。あくまでも料理を喰うんだからシェフがたとえ福島瑞穂や勝間和代や田嶋陽子や辻元清美や秋元康や石橋貴明やAKB48でも料理がうまけりゃ文句はない。

おねいちゃんは待ち合わせの定刻よりだいぶ前に和光前に来ていた様子で、吾輩が本当に来るかどうか不安そうに見えた。吾輩はあえて中央通り反対側の三越前に車を迂回させた。そして、車の中からおねいちゃんの様子をしばし観察することにした。落ちつきなくきょろきょろと右に左に顔を振っている。吾輩を探しているんだろう。しきりに腕時計を見ている。

待ち合わせ時刻10分前。苛立たしげに左足の靴のかかとを地面に打ちつけてやがる。車から降り、腕組みをし、仁王立ちで和光方向を見る。おねいちゃん、すぐに気がつく。満面の笑顔。信号がまだ青になっていないというのに小走りで吾輩に向かってくる。

「もう! いらっしゃらないかと思いました!」
「もう? 牛? 偶蹄目?」
「ちーがーいーまーすっ!」
「いや、それが急用ができちゃってだな、きょうは」と言ったところでおねいちゃんの顔がみるみる歪み、崩れていく。「おいおい。冗談だよ。人前で泣いていい街は大阪だけだぜ」

吾輩が言うとおねいちゃんは吾輩の胸に顔をうずめて泣き出す。おねいちゃんをなんとか慰め、なだめ、銀座7丁目の資生堂をめざす。おねいちゃんは指導どおり吾輩の左側やや後ろを歩く。そして、とても自然に巧みに吾輩の左肘の少し上あたりに手を添える。腕を組むような下品なことはしないようにとの吾輩の指導をきちんと守っている。上出来上出来。「このおねいちゃん、もしから当たりかもしれないな」とさえ思う。「嫁にしてやるか」とも思う。このおねいちゃんこそが虹子だ。

食後、2杯目のエスプレッソ・ダブルを飲んでいるときに生涯にわたって忘れえぬおセレブさんはやってきた。Dior POISON の地獄の大釜で煮立てた馬房のような毒々しいにおいをふりまきながら。藤色のヴェルサーチのスーツを着て髪をキンキラキンに染めた親子ほども齢の離れた若い男を従えて。野村沙知代だった。まちがってもチキンライスの湯気の向こうには見たくない御面相だった。
 
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by enzo_morinari | 2013-10-31 19:43 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback

フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14から聴こえてきたメローなロスの週末

 
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「19歳の地図」を頼りに世界をうろつきまわっている最中だった。『なんとなく、クリスタル』はまだ世に出ていなかったけれども、ウェスト・コーストの薄っぺらで上げ底の波は確実に押し寄せていて、どいつもこいつもFARAHのホップサック・パンツとトップサイダーのデッキシューズを履いて浮かれ騒いでいた。

「ジョシダイセー」なる珍妙な生き物が「ウッソー」「ホントー」と雄叫びを上げながら我が物顔で街を闊歩しはじめたのもこの頃だ。今から思えば、あの頃から「終りの始まり」は始まっていたんだろう。「私のホテル・カリフォルニア問題」は2年目を迎えていた。

うんざりした気分がずっとつづいていた。相変わらず七里ガ浜にはろくな波が立たず、強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場レフト・サイドだけが、唯一心の休まる場所だった。

世界は心も魂も見失い、蝉の抜け殻のようにスカスカであるように思われた。あらゆることが腹立たしく、苛立たしく、だれかれかまわずに喧嘩をふっかけていた。多くの敗北と少しの勝利と戦略的撤退の日々。

そんな日々がつづいていたある春の盛りの日曜日の昼下がり。パウダーブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14からジョージ・ベンソンの『Ode to a Kudu』が絶妙のタイミングと音量で聴こえてきた。

その『Ode to a Kudu』は聴き慣れた『Ode to a Kudu』ではなく、ライブ音源だった。ジョージ・ベンソンの代表作のうちの1枚である『Beyond The Blue Horizon』(1971)に収録されている『Ode to a Kudu』よりもはるかに成熟しているように感じられた。

しばらく聴き惚れているとフォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14の右のドアが開いて、目の玉が飛び出してしまいそうな美人が出てきた。のちに星と導きと夜との狭間にある大学通りを経て象牙海岸をいっしょにさまよい、『シャンペンと地動説』によって終りを告げた涙のワンサイデッド・ラヴの相手となる3歳年上の女の子だった。

いまでも『Weekend in L.A./メローなロスの週末』の『Ode to a Kudu』を聴くと胸のどこかしらが疼く。ライブ盤の『Ode to a Kudu』はまぎれもく名演だが、アルバム邦題の「メローなロスの週末」はあまりにもだ。いただけない。お粗末すぎる。いい週末も数少ないくすぐったいような恋の思い出も台無しである。

山下達郎のことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間というのはたいていの場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんな風にしていろいろなことが過ぎていき、いろいろなことがなにもなかったように終わっていけばいい。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ!)

カルマンギヤ・ガールとの別離の一件以来、正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが言い分である。至極まっとうで的を射ていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000トンくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを知った。

その後、カルマンギヤ・ガールからは一度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字が滲んでいた。滲んでいたのは雨のせいだけではない。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。私のかわりにだれか泣いてくれ。

いまではカルマンギヤ・ガールと足しげく通ったトップスのチョコレート・ケーキもカレーも食べない。彼女もそうだといい。そうあってほしい。

本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかってはいるが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。

彼女と最後に会ったときに着ていたオーバー・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。


Ode to a Kudu (Live) - George Benson


Weekend in L.A.
Released: April 29, 1978
Recorded: September 30-October 2, 1977
Genre: Jazz/Fusion-Guitar/R&B
Length: 67:36
Label: Warner Bros. Records
Producer: Tommy LiPuma

Track Listing
1. "Weekend in L.A." (George Benson)
2. "On Broadway" (Jerry Leiber, Barry Mann, Mike Stoller, Cynthia Weil)
3. "Down Here on the Ground" (Lalo Schifrin, Gale Garnett)
4. "California P. M." (George Benson)
5. "The Greatest Love of All" (Linda Creed, Michael Masser)
6. "It's All in the Game" (George Benson)
7. "Windsong" (George Benson)
8. "Ode to a Kudu" (George Benson)
9. "Lady Blue" (Leon Russell)
10. "We All Remember Wes" (Stevie Wonder)
11. "We As Love" (George Benson)

Personnel
George Benson - guitar, vocals
Jorge Dalto - piano
Ronnie Foster - synthesizer
Phil Upchurch - rhythm guitar
Ralph MacDonald - percussion
Stanley Banks - bass
Harvey Mason, Sr. - drums
Nick DeCaro - string synthesizer


附記
Beyond The Blue Horizon
Released: 1971
Recorded: February 2-3, 1971 (Van Gelder Studio, Englewood Cliffs)
Genre: Jazz/Fusion-Guitar
Label: CTI Records (CTI 6009)
Producer: Creed Taylor

Track listing
1. "So What" (Miles Davis)
2. "The Gentle Rain" (Luiz Bonfá, Matt Dubey)
3. "All Clear" (George Benson)
4. "Ode to a Kudu" (George Benson)
5. "Somewhere in the East" (George Benson)

Personnel
George Benson - guitar
Clarence Palmer - organ
Ron Carter - bass
Jack DeJohnette - drums
Michael Cameron, Albert Nicholson - percussion
Robert Honablue - engineering
 
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by enzo_morinari | 2013-10-30 17:10 | 真言の音楽 | Trackback

深い河#1 深い河を渡って白木蓮の馨る父と母と兄弟たちの待つ故郷へ。約束の地へ。

 
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深い河を渡った先には白木蓮の馨る父と母と兄弟たちの待つ故郷、約束の地がある。


Deep River (Spiritual of African American Song)
Deep River, My home is over Jordan.
Deep River, Lord. I want to cross over into Campground.
深い河よ。私の故郷はヨルダンの彼方にある。
深い河よ。私はおまえを越えて仲間たちの元へ帰りたい。

Oh, don't you want to go, To the Gospel Feast;
That Promised Land, Where all is Peace?
おお、おまえもあの福音の宴に行ってみたいと思わないか?
その約束の地ではすべてのものの平和が約束されている。

Oh, Deep River, Lord, I want to cross over into Campground.
おお、深い河よ。私はおまえを越えて仲間たちの元へ帰りたい。



滑るように闇がやってきて、私と崩壊する時間を探しつづける男を深々と飲みこんだ。私と崩壊する時間を探しつづける男は深く大きな河の畔にいた。闇と深い河が発する獣の低いうめき声のような音に怯えている私に向かって、崩壊する時間を探しつづける男は闇を引き裂き、言った。

「おれの仕事はここまでだ。おまえとはここでお別れだ。渡れ。なにも考えなくていい。ひたすら渡りつづけろ。いつか向こう岸にたどり着く」
「向こう岸にはなにがあるんですか?」
「さあな。おれにはわからない。おれだけではない。世界中のだれにもわからない。この深い河を渡った者の消息を知る者は世界のどこにもいない」
「わかりました」

私はBellevilleのONE XERO 320 Ultra Light Assault Bootの靴紐をきつく結びなおしてから、しばし崩壊する時間を探しつづける男の貌をみつめ、呼吸を整え、手を差しだした。崩壊する時間を探しつづける男の貌が少しだけゆるんだ。

「いい旅をな。おまえとのこの3週間の旅はこれまでの人生で一番愉快で刺激的だった」
「ありがとうございます」
「あとは旅の円環を閉じるだけだ。おまえ自身の力でな。おまえ一人で。それがおまえの仕事だ」

崩壊する時間を探しつづける男は言い、くるりと踵を返した。それが崩壊する時間を探しつづける男を見た最後だ。崩壊する時間を探しつづける男の背中が闇の中に消えるまで見送り、私も踵を返し、深い河に向き合った。そして、命を差しだすような気分で深い河の中に一歩を踏み出した。3週間前、世界の果ての樹海のバー、「Deep Forest」で初めて崩壊する時間を探しつづける男に会った夜がまざまざとよみがえってきた。


Deep River - Mahalia Jackson
Deep River - Norman Luboff Choir; Leopold Stokowski
 
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by enzo_morinari | 2013-10-29 06:21 | 深い河/Deep River | Trackback

Misty Night in Paris#1 霧の深い夜は肉がよく切れる。

 
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霧の深い夜。パリ8区、パリメトロ13号線のシャンゼリゼ=クレマンソー駅近く。1954年に一家7人が惨殺体で発見された。当初から物盗りの犯行でないことはあきらかだった。

1954年の秋口から1958年の冬にかけて手口の酷似した殺人事件が正確に3ヶ月に1度の間隔で発生。パリ市民を震え上がらせた。容疑者としてリストアップされた人物は20万人におよんだ。パリ警視庁の威信をかけた捜査もむなしく、18件の事件はすべて時効が成立し、迷宮入り。のちに『衝動と持続』でボンクーラ賞を受賞するロブ・ポワレ氏が重要参考人として長期間にわたる取り調べを受け、徹底的な行動確認が行われたが同氏の犯行を裏付ける証拠は出ないまま事件は迷宮入りした。

ロブ・ポワレ氏の『衝動と持続』は一連の事件を題材としており、いわゆる「衝動殺人」を連続して犯す若者の内面を冷徹な筆致で描き、J.P. サルトル、アルベール・カミュ、A. ロブ=グリエ、ロラン・バルト、ジョルジュ・バタイユらの絶賛を浴びた。

アルベール・カミュは大破したファセル・ヴェガの車中で息を引き取る間際、うわ言で「犯人はロブ・ポワレだ。奴を黒幕のグルといっしょにグリエしろ」と繰り返したと言われている。『衝動と持続』の中には犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」とも言えるような記述もあったが、なぜかパリ警視庁の精鋭捜査官たちはこの点についてロブ・ポワレ氏を追及することはなかった。背後にコンベルソ問題があったのではないかとの指摘もある。

ロブ・ポワレ氏の犯行を疑う声はいまも根強くある。ロブ・ポワレ氏は現在、イル・ド・フランス、セーヌ=サン=ドニ県のイットビル村で42頭のスコティッシュ・ブラックフェイスと54頭の虹のコヨーテ、そしてグリエされた「魚のしるしを持つ者」の頭蓋骨とともに静かに余生を送っている。

この話はロブ・ポワレ氏に「事の真相」について直撃することを目的とする。画像は記念すべき連続殺人第1回目の「一家7人惨殺事件」の現場の家の現在の姿である。撮影の夜は当時とおなじ霧の深い夜だった。私はこの家に1958年の冬から1964年の春まで母親と二人で暮らした。

'Round About Midnight, Misty Night, Meat Night. 霧の深い夜は肉がよく切れる。

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飾り窓の女から生まれ、ルンペンに育てられた男

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私は飾り窓の女から生まれ、ルンペンに育てられた。揺りかごはメトロの廃駅だ。母親は私を生んですぐに死んだ。父親の顔も名前も知らない。

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ロブ・ポワレ氏の『衝動と持続』はこのような書き出しで始まる。ロブ・ポワレ氏の母親はピガールの娼婦だった。ブリュッセルの飾り窓の女からさらに落魄れてパリに流れ着き、街娼となった。彼女は梅毒という呪われし病に蝕まれていた。ロブ・ポワレ氏を出産直後に死亡。梅毒の末期だった。ロブ・ポワレ氏は母親の顔も声も知らない。ロブ・ポワレ氏を形づくっているのは欠落、あるいは欠如だ。さらにロブ・ポワレ氏はつづける。

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「おまえに父親はいない。おまえの母親は処女懐胎したのだ。ジュリエット・グレコに似た知性のある美しい人だった」と元コレージュ・ド・フランスの哲学科の教授は言った。彼はルンペン仲間から「プロフェッサー」と呼ばれていた。私を育ててくれた大恩人だ。クロード・ラヴィ=シュトラウス。

17歳の夏、私は彼を殺した。私の初めての殺人だった。今でもメトロのサインを見るたびに少しだけ胸が痛む。ほんの少しだけ。しかし、後悔も反省もない。死すべき者が死んだだけのことだ。死に至る経緯にはなんらの意味も価値もない。


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by enzo_morinari | 2013-10-28 06:15 | Misty Night in Paris | Trackback

あえて「メン殺し」の汚名を着て#3 日本初の女性ラーメン評論家ならびにラーメン小娘お断り!

 
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自称、「日本初の女性ラーメン評論家」なる者がいる。年端もいかぬ小娘である。仮に「ラーメン小娘」としておく。一時期、低俗愚劣なポンコツ三文三下奴メディアに頻繁に露出していた。「ある事件/騒動」を起こすまでは。事件/騒動勃発からすでにして半年ほども経過しているが、「炎上」「祭り」は完全終息していない。ラーメン小娘が引き起こした問題の根が深いことを示している。
ラーメン小娘の視線が向かっている先はラーメン、「食」ではなく、グロテスクな自己愛を実現するための手練手管をいかにラクに要領よく手に入れるかということだけである。ラーメンにも「食」にも眼差しは注がれていないのであるから、当然、これらについての記述には新味も感動も驚きも面白みも一切ない。ひとかけらさえもだ。まずい。くそまずい。胸くそが悪い。このような輩にあれこれと故障しきった日本語で論評されても、論評された店側はいい迷惑という次第である。語るに落ちずということだ。

あるラーメン店の「定休日」をめぐってこのラーメン小娘が巻き起こした「騒動」にはいくつかの醜悪さが露呈している。
ひとつは「女性ラーメン評論家」なる立ち位置を遮二無二売りにしながら、なんとしてでもメディアに露出しようとするあさましさ。
ふたつは件のラーメン店の「定休日」を確認しなかったみずからの怠慢怠惰愚鈍を「食べログ」と当該ラーメン店のせいにしようとしてウソをウソで塗り固める卑しさ。
みっつは当該ラーメン店で遭遇した地方から来たという人物に同情を寄せる姿を装うことで自分の立ち位置を「善良な人間」「心の温かい好人物」と見せかけようとするさもしさ。そもそも、「地方から来た人物」なる者が本当にいたのかどうかも疑わしい。あくまでもラーメン小娘のみの言い分であり、客観証拠はなにひとつない。そして、ラーメン小娘は御丁寧にも当該「地方から来た人物」に近辺のラーメン店を20軒もメモして渡した旨申し述べている。当該ラーメン店の周辺には他人に勧められるようなラーメン店は20軒もない。あると言うなら具体的に地方青年にメモとして渡した20軒のラーメン店の店名を「麺の形状」「スープのタイプ」「席数」「価格」とともに挙げよ。いやはや、どこまでウソ臭い輩であることか。「年中無休って食べログに出てましたよね」というやりとりをしただって? 「年中無休」などという元々ない情報について、なぜそのような会話が「地方から来た人物」とすることが可能なのだ? ここでもまたラーメン小娘は馬脚をあらわしている。事実の捏造という馬脚を。このようなやりとりがなかったか、そもそも「地方から来た人物」など存在しなかったということだ。さらに言うならば、そもそもラーメン小娘は当該ラーメン店に金輪際足を運んでいないことが強く疑われる。捏造につぐ捏造をかさねてこのラーメン小娘が言いたいことは、ひたすら自分が「善良な好人物」「純粋」であると偽装することなのだろうが、ところがどっこい、ラーメン小娘の実体はその正反対、狡猾にして虚飾虚偽にまみれている。
よっつは「定休日」については騒動後に「食べログ」の記事が当該ラーメン店の手によって書き換えられたなどと再び噴飯ものの事実の捏造を行って「食べログ」とラーメン店を貶めようとする悪意のおぞましさ(「食べログ」の記事の最終更新日は「2012年9月29日」である)。
五つはラーメン小娘の他者の立場をいささかも斟酌せず、慮らない冷酷さである。よしんば、百歩譲って当該ラーメン店が「臨時休業」をしていたとして、「悲しい気持ちになりました」などと不特定多数の目に触れるネット上に発信されるいわれなどこれっぽっちもない。飲食店における飲食は双務契約であって、客は代金を支払い、飲食店側は料理等を提供することとそれに付随する各種の人的物的サービスを客に提供する。それ以上でもそれ以下でもない。にもかかわらず、「臨時休業」ごときで「悲しい気持ちになりました」とはなんという傲岸不遜な言い草であるか。「悲しい気持ち」うんぬんなどというたわ言は脳みその皺の足りないたわけ者どもとのなれ合いと愚劣まみれの烏合の集まりでしか通用しない。ラーメン小娘の実兄であり、西武学園卒、筑波大学大学院人間総合科学研究科教育学専攻のMは厳にラーメン小娘を戒めなければならない。ウィキペディアに手前味噌記事、自作自演記事、提灯記事を立てるヒマなどないはずである。大瀬甚太郎が墓場で泣いているぞ。

このラーメン小娘のすべてを他者との位置関係を表明することによって「おいしい立場」をえようとする小賢しさ、小狡さ、厚顔無恥さ、卑しさ、さもしさ、あさましさにこそ問題の根はあるのであって、そのような輩が食にまつわることをいかほどに述べようとも真実味もリアリティもないのは言うまでもない。
試みにこの小娘のブログを眺めてみるがいい。中心は「善良そうに微笑む美人でカワイイあたし」の本人画像と、自身の価値を高くみせようとして登場させる「著名人」「クリエイティブ系」「アーティスト系」なる者たちと一緒に映る画像がほとんどである。肝心のラーメン、料理は二の次、三の次である。著名人だろうが有名人だろうが無名人だろうがクリエーターだろうがコンクリート・ミキサーの運転手だろうがラーメン、料理の味にはいささかも影響しない。有名人? それってうめえのか? クリエーター? それってよく出汁が効いているのか? アーティスト? それって食感がいいのか?
通常、ほっておいてもこのような輩は消えていくのであるが、いまだにいけしゃあしゃあと「ウソ」を認めず、ウソでウソを塗り固めようとする態度、言動は改まっていないのであるから(ゴミくずのようなブログは愚にもつかぬ提灯持ちの自身に都合のいいコメントだけを承認、表示しているところからも反省していないのは明らかである)、手加減も容赦もする必要はない。情けも無用である。このようなときこそ、「情けはひとのためならず」の意味を考えるがよろしかろう。

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結論1:チンケ、チンチクリンはその見姿だけでなく、やることなすことすべてがチンケでチンチクリンである。ラーメン小娘の駄文駄書『日本初の[女性ラーメン評論家]になっちゃいました!』もチンケでチンチクリンである。しかも、誤字脱字の嵐、誤った文法、まちがいだらけの句読点の用法、退屈きわまりないチンケな表現にまみれている。

結論2:ラーメン小娘は事実を捏造した個々の事案について潔く非を認め、「うそをつきました」と明瞭かつ具体的に表明しなければならない。その後の出処進退についてはおのずと導かれるはずである。

結論3:ラーメン小娘は実際には行ったことも食したこともないラーメン店について論評したこと、ラーメン店側から金銭財物の提供を受け、提灯記事を書いたことを認め、表明しなければならない。中には名も知らないラーメン店もあるはずである。

結論4:ラーメン小娘は箸の使い方、食べ方を身につけなければならない。ラーメン小娘の箸の使い方、食べ方を見ていると気色が悪くなる。めしがまずくなる。稚拙な箸使い、卑しい食べ方は「評論家センセイ」以前の問題である。

結論5:「鬼そば 藤谷」は「名誉毀損」「営業妨害」その他による不法行為に対する損害賠償請求訴訟を提起せよ。訴状、準備書面その他の作成は一切の対価なしで行う用意がある。ネット上に本谷亜紀が公開した情報だけで勝訴は確実である。なんとなれば無料で法定代理人を引き受ける用意もある。

結論6:全国のラーメン店、飲食店はただちに「日本初の女性ラーメン評論家お断り!」乃至は「日本初の女性ラーメン評論家お断りの店」の看板を掲げよ。


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by enzo_morinari | 2013-10-27 19:28 | あえて「メン殺し」の汚名を着て | Trackback

夢破れ、ふけゆく秋の夜の旅の空に一人わびしき思いをかかえている戦友Hへ

 
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メール読んだ。三回読みかえした。四回目の途中で読むのをやめた。おまえのテクストは「てにをは」「句読点」「文法」はまちがいだらけで小学生レベルだし、「誤字脱字」はめまいがするほどだったが、おまえの言いたいこと、思い、気持ちはよくわかった。正直に言うならばとても心にしみた。

そうか。旅の空にあるのか。齢を重ね、夢破れ、一人わびしき思いをかかえて。おまえは今、ふけゆく秋の夜の旅の空になにを見ているんだろうな。おまえの文面からはいたずらに齢を重ねたのではないことがはっきりと読み取れた。そのことには敬意をもってのぞまなければなるまい。

25年ぶりの「再会」がインターネット/メールとはいかにも出来すぎだが、時代の趨勢ということでもあるんだろう。おれはこの25年のあいだにおまえになにがあり、おまえがなにを経験してなにを感じ、なにを考えたかにはいささかも興味がない。それらのことについては悪いがほかを当たってくれ。おれの係ではない。竹馬の頃、飼育係として天才的な手腕を発揮していたおまえには変わることなき親愛を持ってはいるがね。ただし、「いきものがかり」とかいう小便臭く青っ洟垂らしたような尻の青みもとれぬ青二才の小僧と小娘は大きらいだ。

おれが知りたいのはおまえがこの25年のあいだ、炎の中心にいたかどうかということだけだ。炎の中心にあって尻込みしなかったかどうか。それだけに興味がある。結果などは時間が前後すればいくらでも評価、価値は変わる。時代などパッと変わるということだ。おれ自身がそう信じてきょうまで生きざまをさらしてきたということでもあるがね。

残るのはやったことだけだ。結論でも結果でも答えでもない。やったことだけが残り、やらなかったことは無惨な後悔に変わり果てる。冷厳にして冷徹。おれは沈香も焚かず屁も放らぬような腰抜け腑抜けに用はない。おれは行為者/行動者だけとおなじ陣営に拠す。それは昔も今も変わっていない。

おれはこのところ、「文部省唱歌」と「童謡」と「讃美歌」とネイティブ・アメリカンの音楽とケルト・ミュージックばかり聴いている。聴きながら、ときどき、おまえや死んだやつらのことを考える。『故郷』なんぞを聴いていると、小鮒を釣ったことも兎を追ったこともないのに、それらがまるで本当に経験したかたのごとくに薄桃色の靄がかかったような幻の光景として思い浮かんできさえする。おれも齢をとったものだ。冥土の旅のマイル・ストーンをいくつ越えてきたのかについては、もう随分昔に数えるのをやめた。

まったく馬鹿げて子供じみているけれども、じきに日本におさらばしてアメリカに渡り、モヒカン族の酋長になろうなどと考えることがある。ラスト・モヒカン、最後のモヒカン族になるためだ。そして、死ぬ。ボリビア軍に真っ正面から突っ込んでいったブッチ・キャシディとサンダンス・キッドのようにな。考えただけで鳥肌が立ち、笑いがこみあげてくるぜ。

夢破れ、ふけゆく秋の夜の旅の空に一人わびしき思いをかかえている戦友であるおまえに犬童球渓の名作唱歌『旅愁』を贈る。鮫島有美子の歌唱だ。黒人霊歌の『深い河』もともに。しみわたる。しみる秋の夜ふけにこそふさわしい。

『旅愁』は日本では歌い継がれているが、原曲の" Dreaming of Home and Mother (家と母を夢見て) "は本国のアメリカではほとんど忘れられてしまったという。実に残念なことだ。

夢破れて山河あり。夢はどれもこれも粉々に砕け散ったが、捨てたとは言っちゃいない。わが戦友よ、おまえもだろう?

深く暗い河であっても渡れ。渡った先には白木蓮の馨る父と母と兄弟たちの待つ故郷、約束の地がある。おれもともに渡る。会うことはできずとも、ともにある。


旅愁
作詞:犬童球渓
作曲:John P. Ordway

ふけゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに一人悩む
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
ふけゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに一人悩む

窓うつ嵐に夢も破れ
遥けき彼方に心迷う
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮かぶは杜の梢
窓うつ嵐に夢も破れ
遥けき彼方に心迷う


旅愁 - 鮫島有美子
Deep River - Mahalia Jackson
深い河 - Norman Luboff Choir; Stokowski Conducting (Inspiration)
 
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by enzo_morinari | 2013-10-26 23:06 | 流儀と遊戯の王国 | Trackback

きょうも元気にFlash Mob#1

 
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銀河は流れ、オリオンは舞い立ち、スバルはさんざめき、フラッシュ・モブは輝く。


フラッシュ・モブスターズのヘッドクォーターからメールが届く。次のフラッシュ・モブの指令だ。フラッシュ・モブスターズのメンバー全員に一斉配信されているはずだ。

クリスマス・イブ1800フラッシュ開始。東京お台場ビーナス・フォート広場。サンタクロース・ガールが『慈しみ深き友なるイエスは(讃美歌312番)』の1番を歌いだす。2番からは順次各Teamが加わる。詳細は下記参照のこと。Team分けはこれまでどおり、アトランダムにしてある。

慈しみ深き友なるイエスは(讃美歌312番)
(サンタクロース・ガール)
慈しみ深き友なるイエスは
罪科(つみとが)憂いを取り去り給う
心の嘆きを包まず述べて
などかは下ろさぬ負える重荷を

(ここからTeam A加わる)
慈しみ深き友なるイエスは
我らの弱きを知りて憐れむ
悩み悲しみに沈めるときも
祈りに応えて慰め給わん

(ここからTeam B加わる)
慈しみ深き友なるイエスは
変わらぬ愛もて導き給う
世の友我らを捨て去るときも
祈りに応えて労(いたわ)り給わん


冬の星座
(ここからTeam C加わる)
木枯し途絶えて さゆる空より
地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
ものみな憩える 静寂(しじま)の中に
きらめき揺れつつ 星座はめぐる

(ここからTeam D加わる)
ほのぼの明かりて 流るる銀河
オリオン舞い立ち スバルはさざめく
無窮を指差す 北斗の針と
きらめき揺れつつ 星座はめぐる


星の界
(ここから全員)
月なきみ空に きらめく光
嗚呼(ああ)その星影 希望のすがた
人智は果てなし 無窮の遠(おち)に
いざその星影 窮(きわ)めも行かん

雲なきみ空に 横とう光
嗚呼(ああ)洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里のあなた
いざ棹させよや 窮理(きゅうり)の船に

以上、7分18秒(物静かに解散)


なんの前触れもなく、突如として集まり、なにごとかをしでかし、終わると即座に四方八方に散っていく。それがフラッシュ・モブ(Flash Mob/Flashmob)だ。フラッシュ・モブは大抵の場合、1通のメールから始まる。
フラッシュ・モブにリーダーは必要ない。一人の言い出しっぺがいればいい。早い話が一人のおっちょこちょい。そして、互いに互いを知らない関係。しがらみなし。義理人情なし。後腐れなし。なにごともなかったように集まり、なにごともなかったように解散する。解散し、散り散りになっていくときの表情がいい。
フラッシュ・モブは現代のゲリラ戦でもある。一瞬の馬鹿騒ぎ。一瞬の馬鹿騒ぎの美学。5分の美学。長くても10分。5分乃至10分のために一銭のゼニにもならないことに時間をかけ、血道を上げ、そればかりか自腹で交通費をつかい、練習し、眠い眼をこすってさらに練習し、うまくいかず、うまくならず、夜はふけてゆき、だらだらと集まり、馬鹿みたいに踊り、美声もへたくそも音痴もいっしょになって歌い、奏で、そして、物静かに解散する。それがフラッシュ・モブの美学だ。そのことこそが美しい。そのことこそが輝きの源だ。烏合の衆が時代を変えることもある。したり顔で薄っぺら不実なライフスタイルもどきやら文化論もどき道徳論もどき人生論もどきを語り騙る烏滸どもよりよほどクールでヒップだ。

わがフラッシュ・モブスターズどもよ。おまいら全員、一人残らずステキだ。まぶしいくらいに輝いてる。どいつもこいつも1等星だ。おまいらに一人残らず幸いあれ。神サマだってどこかでくすりとしているはずだ。では、次なる戦場で会おう。
 
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by enzo_morinari | 2013-10-26 05:49 | きょうも元気にFlash Mob | Trackback

『モヒカン族の最後』と世界の終り/戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!

 
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モヒカン族は滅んでいない。最後のモヒカン族はまだいない。最後のモヒカンになるのはだれだ? E-M-M


アステカ族の末裔であるナッシュ・タヴェワからもらったネイティブ・アメリカン・フルート(Native American Flute/インディアン・フルート)で『Promontory』を吹いている。映画の『The Last of the Mohicans』の主題曲だ。

大地とともにあり、大地とともに生きた者のみが生みだしえた魂の音楽のための道具。魂の奥深くまで届き、心ふるわす音色。届く。ふるえる。アボリジニの誇り高き赤茶けた大地の戦士たちが奏で、バリングラ/カタ・ジュタ/ウルルをさえ揺るがすディジュリドゥにも匹敵する強度で。

小田実が『HIROSHIMA』の中で書いていた。ネイティブ・アメリカンは大地とともに生き、大地とともに死ぬと。おそらくは小田実の言うとおりだろう。そして、「大地が死ぬとき人も死ぬ」という風の谷のババ様の言葉も。

マイケル・マン監督の『The Last of the Mohicans (モヒカン族の最後)』からもう20年が経つか。そのあいだに世界はずいぶんと変わったものだ。

いい方向に? まさかね。吾輩の知りうるかぎりにおいて、この20年で世界は悪い方向にばかり歩みを進めた。信じがたいほどの愚劣と卑劣と下衆外道と恥知らずが我が物顔で幅をきかせ、肩で風を切っている。恥も知らぬげに。いけしゃあしゃあと。

このまま世界は腐り、悪くなる一方のまま終わるのか? そして、死ぬのか? このまま、「戦うにはいい日」も「死ぬには手頃な日」も来ないのか? まあ、いい。それもまた世界がみずから選んだ道だ。どう歩みを進めようと、どう転ぼうと、いずれ血塗られた道であることに変わりはない。

鷹の眼ダニエル・デイ=ルイスももう56歳か。『ガンジー』から数えると30年。『眺めのいい部屋』からは28年。『存在の耐えられない軽さ (The Unbearable Lightness of Being)』からは26年。『My Left Foot: The Story of Christy Brown (マイ・レフトフット)』からは25年。2012年には『リンカーン』で3度目のアカデミー主演男優賞を獲った。コーラ役のマデリーン・ストウは貫禄のおばちゃん道まっしぐらだし、アリス役のジョディ・メイは匂い立つような成熟したレディになった。監督のマイケル・マンはすっかりおじいちゃんだ。愛娘のアミ・カナーン・マンは『Texas Killing Fields』(2011)という派手さはないが才気を感じさせる作品を監督した。

だれもかれもが齢をとった。一人の例外もなく。物静かに表舞台からの退場を果たすのが美学ということでもあるか。出演作品を吟味しつくすダニエル・デイ=ルイスの次回作をみられるのはいつだろうな。そのときまで The Other Side への道行きの途についていなければいいが。腐っていようと死んでいようと、世界がまだあればいいが。

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ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ! 戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!
モヒカン族は滅んでいない。最後のモヒカン族はまだいない。最後のモヒカンになるのはだれだ?



Hoka Hey! Ya Ta Hey!
The Last of the Mohicans - The Complete Original Soundtrack
Promontory (The Last of the Mohicans Final Battle)
Five Spirits - Apache
The Indian Road: Dreaming and Sound of Native Americans
The Last of the Mohicans - Native American Flute
 
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by enzo_morinari | 2013-10-25 11:18 | QUO VADIS? | Trackback

真言の音楽#43 世の友我らを捨て去るときも 讃美歌312番

 
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讃美歌312番『慈しみ深き友なるイエス/What a Friend We Have in Jesus』は杉谷代水『星の界』/川路柳虹『星の世界』の原曲としても知られる。讃美歌312番も『星の界』/『星の世界』も、それぞれに胸の奥深くに迫りくる世界観/宇宙観の広がりと豊かさを併せ持っている。特に讃美歌312番の「世の友我らを捨て去るときも 祈りに応えて労り給わん」は、重荷を背負い、不条理理不尽の礫を受けている者には心強い励ましともなるはずだ。『犬の聖歌』に心ふるえるのはまさにこのこととおなじである。クリスチャンであるか否か、信仰の対象がなにであるかにはかかわりがない。


慈しみ深き友なるイエス/What a Friend We Have in Jesus (讃美歌312番)

慈しみ深き友なるイエスは
罪科(つみとが)憂いを取り去り給う
心の嘆きを包まず述べて
などかは下ろさぬ負える重荷を

慈しみ深き友なるイエスは
我らの弱きを知りて憐れむ
悩み悲しみに沈めるときも
祈りに応えて慰め給わん

慈しみ深き友なるイエスは
変わらぬ愛もて導き給う
世の友我らを捨て去るときも
祈りに応えて労(いたわ)り給わん


星の界 作詞: 杉谷代水/原詞: Josepf M. Scriven/作曲: Charles Crozat Converse

月なきみ空に きらめく光
嗚呼その星影 希望のすがた
人智は果てなし 無窮の遠に
いざ其の星影 きわめも行かん

雲なきみ空に 横とう光
嗚呼洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里のあなた
いざ棹させよや 窮理の船に


犬の聖歌
この世の中では親友でさえ裏切り、敵となることがある。愛情をかけて育てた我が子も深い親の愛をすっかり忘れてしまうかもしれない。あなたが心から信頼しているもっとも身近な愛する人も、その忠節を翻すかもしれない。
富はいつか失われるかもしれない。それはあなたがもっとも必要とするときに、あなたの手にあるとは限らない。名声は些細な思慮に欠けた行為によって瞬時に地に堕ちてしまうこともある。成功に輝いてるときは跪いて敬意を払った者が、失敗の暗雲があなたの頭上を曇らせた途端に豹変し、悪意の石つぶてを投げつけるかもしれない。
こんな利己的な世界で、唯一、決して裏切らず、恩知らずでも不誠実でもない絶対不変の存在がいる。あなたの犬だ。
あなたの犬は、富めるときも貧しきときも健やかなるときも病めるときも常にあなたを助ける。冷たい風が吹きつけ、雪が激しく降るときも、あなたのそばなら、冷たい土の上でさえ眠るだろう。
与えるべき食べものがなにひとつなくても、手を差し伸べればキスしてくれ、かれは世間の荒波にもまれたあなたの傷や痛手をやさしく舐め、そして癒してくれる。犬は貧しいひとびとの眠りを、まるで王子の眠りを見守るごとく守ってくれる。
友が一人残らずあなたを見捨て立ち去っても、あなたの犬はけっしてあなたを見捨てない。裏切らない。富を失い、名誉が地に堕ちても、犬はあたかも日々天空を旅する太陽のごとく、変わることなくあなたを愛する。たとえ、運命の導きによって、友も、住む家もない地の果てへあなたが追いやられたとしても、忠実な犬はあなたとともにあること以外なにひとつ望まず、あなたを危険から守り、敵と戦う。
すべての終わりがきて、死の影があなたを抱き取り、骸が冷たい土の下に葬られるとき、人々が立ち去ったあとのあなたの墓のかたわらには、前脚に頭を垂れた一匹の気高い犬がいる。その眼は悲しみに曇りながらも油断なくあたりを見まわし、死者に対してさえも忠実さと真実に満ちている。
 
注記:『犬の聖歌』は19世紀、アメリカ合衆国ミズーリ州で起きた、ある犬の射殺事件をめぐる裁判において上院議員ジョージ・ベストが行った弁論の一部である。


讃美歌312番 慈しみ深き友なるイエス
What a Friend We Have in Jesus - Ella Fitzgerald
 
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by enzo_morinari | 2013-10-24 19:45 | 真言の音楽 | Trackback

ダニーボーイの夢/かなわぬ夢と知りながら

 
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目下のところのもっとも甘くほろにがい夢はアイルランドの鉛色の海を見下ろす断崖の際にひっそりと建つ小さな家で、わが人生の同行者である虹子と一番弟子のミニチュア・セントバーナードのポルコロッソに看取られながら、それまでの人生で聴いた最高の『ダニーボーイ』を聴きながらくたばることである。どうせくたばってから行きつく先は鬼か亡者か閻魔が待ちかまえているようなところであろうから、せめてくたばるときくらいは極楽天国をみたいということだ。

『ダニーボーイ』を初めて聴いたのはいつだったか、どこだったか。とんとおぼえていない。物心ついたときには口ずさんでいた。母親の腕の中で子守唄がわりに聴いたのか。それとも、ろくでなしの生物学上の父親が免罪符がわりに歌って聴かせたのであったか。あるいは小学校の音楽の時間に聴いたのか。いずれにしても、『ダニーボーイ』は、私の魂、心、性根、細胞のひとつひとつに染みついている歌であることにかわりはない。

記憶にいまも残るのは、遠い日の夏、母親に連れられて出かけた丹沢で、山道を二人並んで歩きながらいっしょに『ダニーボーイ』を歌ったことだ。夏の盛りの陽は木々にさえぎられて涼しく、山百合の甘くせつない香りはつきることがなかった。

夏の盛りの陽にさらされながらも涼しげだった緑。甘くせつない山百合の匂い。母親の細い背中とやわらかな手。そして、鈴の音のような声。あの遠い夏の日の『ダニーボーイ』は私の宝石のうちのひとつであり、忘れえぬ。

母親がいまも生きて元気達者でいるならば、夏の盛りにおなじ山道を歩き、『ダニーボーイ』を一緒に歌ってみたいものだが、それももはやかなわぬ夢となった。生きつづけるということは夢のひとつひとつが確実に失われていくことでもある。

私にとってのいまのところの最高の『ダニーボーイ』は2002年東京公演におけるキース・ジャレットのものだが、それと同様に心ふるわされた『ダニーボーイ』はアイルランド南部、ウォーターフォード州の小さな港町で聴いた。

聖パトリック・デーのイベントのクライマックスに登場した市民合唱団による『ダニーボーイ』。プロフェッショナルのコーラス・グループのような声量や安定感や劇的な構成はなにひとつないが、彼らの『ダニーボーイ』はとても心がこもっていた。

彼らの全員が愛する者を思い浮かべながら歌っているのが手に取るようにわかった。いつしか、会場である市民ホール前の円形広場はひとつの塊となっていて、そこにいるすべての者が『ダニーボーイ』を歌っていた。私もその中の一人だった。

嗚咽する者がいた。ある者は人目も憚らずに涙を流し、ある者はからだを激しく震わせていた。私は彼らが日々の暮らし、家事、仕事、学業をこなし、時間を工面し、知恵をしぼって練習し、うまくいかず、落胆し、気を取りなおし、夜はふけてゆき、何度もおなじパートを練習しという姿が目に浮かび、胸打たれた。

また、別の意味で感慨深かったのは、2002年のFIFAワールドカップの折り、赤坂9丁目、赤坂通りのどんつく、外苑東通り、六本木に抜ける坂道の途中でアイルランド・チームを応援するためにかの妖精の国からやってきた一団が緑づくめの衣装を身にまとい、『ダニーボーイ』を歌いつつ闊歩する光景に遭遇したときだ。

ふだんはナショナリズムなどにはいっさい興味はないし、信用もしないが、そのときだけはちがった。夕闇迫る東京のど真ん中、雑踏で聴く妖精たちの『ダニーボーイ』はまた格別であった。時間がゆるせば、妖精たち全員を引き連れてアイリッシュ・パブに繰り出したいくらいの気分だった。そして、ギネスのスタウト・ポーターでしたたかに酔いしれ、妖精たちと夜ふけの東京で『ダニーボーイ』を歌えたなら、おそらくは極上の『ダニーボーイ』になったことだろう。だが、すべては縁のもので、私の無邪気馬鹿げた夢は夕暮れの東京の雑踏のただ中に儚くも消えた。縁とはそういったものでもある。

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『ダニーボーイ』は出兵したわが子を想う母親の歌だ。


おお ダニーボーイ バグパイプが呼んでいる
谷から谷へ 山の斜面を転げ落ちるように夏が去り
バラの花はみな枯れゆく
おまえは行かねばならない わたしを残して
(手柄など立てなくてもいいから 無事で生きて帰ってきておくれ、わがダニーボーイ)

おお ダニーボーイ もしもおまえが帰ったとき
すべての花が枯れ落ち たとえわたしがすでに死んでいたとしても
おまえはかならずわたしをみつけてくれる わたしが眠る場所を
跪き さよならの祈りを捧げてくれる
わたしはきっと聴くだろう おまえのやさしい足音を
わたしのみる夢はすべてあたたかくやさしいものになるだろう

おまえが「愛している」と言ってくれるなら
わたしは安らかに眠るだろう おまえがわたしの元に来てくれるその日まで



哀惜の情とは、哀切とは、このようなことをいうのでもあろう。いつか来る別れ、やがて来る別れ、かならず来る別れを惜しみつつ、そして、「最高のダニーボーイ」に出会うことを願いつつ、残されたいくばくかの日々をせめて夢見心地に生きることとしよう。ダニーボーイの夢はきっと山百合の匂いがするはずだ。してほしい。

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Keith Jarrett
Eva Cassidy
Harry Connick Jr.
Celtic Woman
Anonymous (unknown)


【背景DANNY BOY】
Brigid Kildare & Sinead O'Connor/Bill Evans/Eva Cassidy/Jonell Mosser/Charlie Haden & Hank Jones/Celtic Woman/George Jamison, Norman Stanfield & William Paterson/Harry Belafonte/Sarah Vaughan/Glenn Miller/Danny Walsh/Michel Petrucciani/Nana Mouskouri/Art Tatum/Pat Hannah/Deanna Durbin/Charlotte Church/Johnny Cash/Eric Clapton/Elvis Presley/Tom Waits/Keith Jarrett/美空ひばり/Harry Connick Jr.
 
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by enzo_morinari | 2013-10-23 15:58 | 真言の音楽 | Trackback