<   2013年 03月 ( 37 )   > この月の画像一覧

神宮前ストリート・バケーション#1 ホームレス・ソルジャー

 
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東京は路地と廃墟と騒ぎと笑いと涙と痛みと怒りの街だ。


渋谷道玄坂から神宮前へ。まともには行かない。路地があれば侵入する。廃墟があれば対峙する。騒ぎがあれば見物するか騒ぎに加わってさらに騒ぎを大きくする。笑っている者がいればいっしょに笑う。歌っている者がいればいっしょに歌う。食べている者がいればすぐ横で指をくわえるか涎を垂らすか分け前を要求するか横取りする。泣いている者がいればいっしょに泣くか涙をぬぐってやるかさらに泣かせるかする。痛みに顔を歪めている者がいれば介抱するか塩を塗りこむかさらに抉るかする。怒っている者がいれば怒りの理由をたずねてみるか理由などおかまいなしにさらに怒らせる。それが吾輩の神宮前ストリート・バケーションだ。

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宮下公園下をくぐり、明治通りに出る。野武士のごとき御面相のホームレス・ソルジャーに一瞥をくれてやる。腹のすわったいい面構えだ。テリトリーを示すのでもあるのか、膨大雑多な物件が植え込みに並べてある。中に真新しいキャップやスヌークなどのストリート系ものがいくつかある。黒地に白い刺繍で「STREET4LIFE」と縫いこまれたキャップを手に取る。ホームレス・ソルジャーがぎろりと吾輩を睨む。

「触るな」
「触られたくなけりゃ隠しとけ」
「ふん。おもしろそうな野郎だ。取って喰っちまいてえぜ」
「ふん。喰えるもんなら喰ってみな。おまえさんのやわな顎で俺様が噛み砕けるかな? おれの歯ごたえはちょいとばかりタフでクールでハードボイルドだぜ」
「気に入ったぜ。欲しけりゃくれてやる」
「おれは乞食じゃねえよ」
「おれもだ。人様に施しなんか受けない。おれは兵士だ。ストリートの兵士なんだ」
「こりゃ、たまげたぜ! 極楽とんぼばかりだと思ってた東京に兵士がいるとはな!」
「ホームレス・ソルジャーと呼ぶがいいさ」
「それならおれはストリート・ソルジャーだ」
「ほっほっほ! ますますおもしろい野郎だ」
「どうだ? これから花見と洒落こまねえか?」
「花見? どこもかしこも腑抜けどもであふれかえってやがるぜ」
「一カ所だけ誰もいない花見の特等席があるぜ。見てみな」
吾輩はホームレス・ソルジャーにそう言って明治通りにかかる歩道橋を指差した。
「おお! あんた、おもしろいだけじゃなくて頭もいいな!」
「まあな」

吾輩とホームレス・ソルジャーは連れ立って歩きだした。途中、セブン-イレブンに寄ってビールと日本酒とウィスキーとマイヤーズ・ラムとビーフィーター・ロンドン・ドライジン47度を買った。歩道橋の真ん中に立つと路地の奥に光のひとかけらさえも射さない小さな公園が見える。若造が3人、桜の木の下で酒盛りをしている。悪だくみもしているにちがいない。吾輩とホームレス・ソルジャーは手始めにビールで乾杯した。プルリングを引き上げるときの音がこれからストリートを、世界をステンシル・ステルス爆撃機で絨毯爆撃する合図とも聴こえた。

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ホームレス・ソルジャーはフラップ・ポケットから認識票をごっそり取り出し、両手の上に広げて見せた。そして、「おまえの認識票だ。好きなのを選べ」と言った。吾輩は「STREET4LIFE」と刻印のある認識票を取った。その瞬間から吾輩は本物のストリート・ソルジャーになった。すでにして戦友も一人いる。古強者の戦友はすぐ横でビールをうまそうに飲んでいる。
 
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by enzo_morinari | 2013-03-31 11:23 | 神宮前ストリート・バケーション | Trackback

概念の洪水#1

 
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 天命は人間再生のために何度でも反転する。

 ギリシャ大使館のある坂道の途中で天命反転ビルヂングの概念工事に出くわして以来、吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質は概念の洪水で溢れかえっている。概念は次から次へと溢れてくる。養老院孟司博士に相談したが答えは実に素っ頓狂なものだった。

「天命反転だ。諦めるしかない。漱石は諦めて則天去私居士となった。そして、『吾輩は猫である』を書いた。君は『吾輩は犬である』を書けばいい。ディオゲネスの犬でもある君にはぴったりだ。素晴らしい整合性だよ。そんなことより、ザザ虫のいいのが手に入ったんだが、今夜あたり一杯どう? 羅生門で」
「羅生門って南麻布のですか?」
「いや、そうじゃなくて。お酒の羅生門。紀州の」
「ああ。あれはいい酒だ。ぜひ」

 そして、吾輩と養老院孟司博士は薄暗く黴臭い研究室を出て天命反転シティの概念工事42工区の視察に向かった。途中、青山1丁目交差点で流行通行止めに遭い、Uターンしたときに荒川修作の死を知らせるメールが入ったが、もはや心はピクリとも動かなかった。当然、涙も出なかった。「これでやっと荒川修作は阿修羅になれたんだ」と思った。意味のメカニズムをまとった切っ先鋭い紡錘形が世界を貫き、薙ぎ倒してしまえばいいとも思った。天命反転シティ概念工事の遠い太鼓とも弾ける泡とも重金属の大洪水とも思える音が少しずつ近づいてくる。

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by enzo_morinari | 2013-03-30 04:32 | 概念の洪水 | Trackback

虹子のトランク/燐の火のような青く美しい光になって#1

 
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 虹子は隠しごとをしない。うそをつかない。秘密もない。しかし、例外がひとつだけある。「虹子のトランク」だ。虹子は「虹子のトランク」をだれにもさわらせない。さわらせないだけではなくて、見せることもない。吾輩は一度だけ「虹子のトランク」を見たことがある。虹子を尾行し、「虹子のトランク」の隠し場所を探りあてたのだ。

 東京港。品川の海の近くの倉庫街コバルト地区。虹子はコバルト・ブルーだらけの街のひと際コバルト・ブルーな巨大なビルヂングに入っていった。吾輩がいままでに見たこともないような軽快なステップで。吾輩は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死でこらえた。なにかある。これは絶対になにかある。逢引き? まさか。コバルト・ブルーな場所で逢引きするなど聞いたこともない。被曝の危険を冒してまで快楽を得ようとする者などいない。秘密の会議? それもありえない。「会議」の類いがいやでハイパー遺伝子工学研究者として将来を嘱望されながら虹子は東大の医科学研究所を辞めたんだから。妄想は次から次へと膨らんでくるが、吾輩はそれらのひとつひとつを叩きつぶした。叩きつぶすたびにコガネムシを踏んづけたような悲鳴が聞こえた。一番ひどい悲鳴を上げたのはエイハブ船長だ。今頃はモービー・ディックに喰いちぎられてバラバラになった死体は冷たい海の底だろう。白いマッコウクジラの大群がそのまわりでスペルマ・ダンスを踊っているのがみえる。

 通りを挟んで向いの陰湿きわまりもない群青色の建物の陰に身を隠して虹子が出てくるのを待った。虹子は正確に42分後に出てきた。ビルヂングに入ったときよりもいくぶんか顔が輝いているように見えた。足取りはさらに軽快になっている。
 吾輩は電信柱の陰から通りを遠ざかる虹子の背中が見えなくなるまで見送り、薄闇の中に虹子が消えるのを確認してからコバルト・ブルーのビルヂングに入った。守衛の爺さんは「内閣情報調査室特別調査官」の身分証をみせ、名刺を一枚くれてやるとすぐに虹子のトランク・ルームに案内してくれた。ある種の権威を振りかざせば、この世界にはプライバシーも個人情報も存在しないも同然だ。「ごゆっくりどうぞ。ぐへへのへ」と言って守衛の爺さんは守衛室に戻って行った。肉付きのいい背中とやや丸めた姿勢と歩き方を見て、爺さんは元刑事であることは容易にわかった。

 エイドリアンニューウェイ・ブルーの扉を押すと錆粉がぱらぱらと落ちてきた。「虹子のトランク」はトランク・ルームの真ん中にあった。「虹子のトランク」が放つ輝きのせいで照明をつける必要はなかった。吾輩は生唾を飲み込んだ。江ノ島のさざえ売りの涙のような味がした。吾輩はしばらく「虹子のトランク」の様子を観察した。コバルト・ブルーの輝きを放っているほかは「虹子のトランク」はいたって紳士的でジェントリーでホワイト・ナイトでエボナイトだった。吾輩はゆっくりと「虹子のトランク」に近づき、つま先でつんつんしてやった。吾輩がつんつんするたびに「虹子のトランク」は「ワンツン、ワンツン」とうれしそうな声をあげた。
 トランクをあけた。「虹子のトランク」の中からはあちこち傷ついたり凹んだりカビが生えたり色褪せてとても年老いてくたびれ果てた「賢治のトランク」が出てきた。そうだ。正真正銘、宮沢賢治のトランクだ。宮沢賢治の法定代理人である吾輩が言うのだからまちがいはない。
「賢治のトランク」は初めのうちじっと吾輩をみつめるだけでぴくりとも動かなかった。1時間ほどのあいだにまばたきを3度しただけだ。「賢治のトランク」が最初に発した言葉は「腹へった。億年兆年億兆年なんにも食べてない。凡愚でスモーク・オン・ザ・ウォーター。キシキシキシ」だ。
 
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by enzo_morinari | 2013-03-29 14:18 | 虹子のトランク | Trackback

最後の春休みのロッカー室に「桜の栞」を盗みにいく

 
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朝起きるとベランダの隅に20センチほどの桜の花だまりができていた。ゆうべの強い風が散らせたのだ。今が盛りだというのに。「盛る花もあり、散る花もあり」ということでもあるか。根方に死体の埋まった桜から散った花びらでもあるまいが、かすかに狂おしいような眺めだった。

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暗鬱で悪意に満ちた冬が終わり、待ちに待った春。梅が盛りを迎えたあと、桜の蕾がほころびはじめて卒業シーズンが近くなると松任谷由実の『最後の春休み』と『卒業写真』を繰り返し聴いてきた。聴きながら別れの朝を迎える人々のことを思った。

明けてぞ今朝は別れゆく人々。明けてぞ別れゆく朝。かれらはその朝をどのような気持ちで迎え、次の朝からはそれぞれの道を別々に歩まなければならないことの痛みをどのように受け止めるのか。春のそよ風がやさしければやさしいだけ、かぐわしければかぐわしいだけ、かれらが感じる痛みはさらに痛みを増すにちがいない。その「痛み」は吾輩もかつて何度か経験したことがある。

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太宰治のようなヘッポコポンコツボンクラなどは金輪際認めないが、「さよならだけが人生である」というのは本当だ。別れが待ち受けているからこそ今の出会いを愛おしもうという「心映え」が生まれる。

「心映え」のない人生は味気なく、殺伐とする。そして、この春、世界中の幾千億の春、かけがえのないさまざまな思い出と痛みと心映えをかかえて数えきれぬほど多くの人々が別々の道を歩みはじめるこの季節に聴く曲が1曲加わった。AKB48の『桜の栞』だ。もう3年も前の曲だがつい最近になって知った。

秋元康一味の「やり口」にはさんざっぱらうんざりさせられ、虫酸を走らせてきたが、『桜の栞』はいい。いいものはいい。わるいものはわるい。話は簡単だ。

「一枚の桜の花びら」を栞に見立てて過去の思い出から未来への希望までをヴァリエーションをつけてひとつの「物語」にしたのはみごとだった。

金切り声、カーカーキーキー声ばかりの日本の音楽シーンの中にあって、「乙女たちの合唱」というのも新鮮だ。『桜の栞』を聴いていて、40年近くも昔に母校のロッカー室に忘れ物を取りにいった「最後の春休み」のにおいやら音やらがよみがえりもした。桜の栞。これから先も春がやってくるたびに聴くだろう。

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春がやってくるたび、生まれきた新しい「いのち」の輝きのまぶしさに心ふるえる。吾輩はかれらより先にこのちっぽけな世界からオサラバするはずだが、吾輩のような無頼の徒でも、これから生まれくる「お子」たち、「ひとりぼっち」の新米くんたちが、細々でも、ヤットコサットコでも、オッツカッツでもいいから生きつづけることができ、かなうならば、決して、断じて、まちがっても、「死にたい」などとは思わず、言わず、ときどきは気の合う仲間と大笑いしたり、ドキムネの相手と手を握りあい、みつめあい、慈しみあうことのできる世界であってほしい、ありつづけてほしいと願う。

人間はひとりでは生きてはいけない。人間だけでなく、アフリカ象もキリンも呪われたアルマジロも虹のコヨーテも冬眠を忘れた熊も苦悩するビーバー・カモノハシも黄金の蛙もミツユビナマケモノもサボテンミソサザイもゴイシツバメシジミも、そしてローランド・ゴリラも、ひとりぼっちではあまりにさびしい。ゴリラくんだって言うはずである。「もう、ひとりはコリゴリだ」と。

ひとりでは生きてはいけない。だからこそ、だれかを愛し、だれかに愛されろ。

親が子に教えてやれるのはそれくらいのことだ。あとは勝手に自由におおらかに、育つように育てばいい。へたな手出し、口出しは無用である。すこしだけ先を歩き、その姿をさりげなく見せてやり、ときどきふりかえり、小声で、しかも簡潔端的に声をかけ、「いつもそばにいるよ」と語りかけ、見守っているだけでいい。

なにも足さない。なにも引かない。 ── これが子育て、新しい命と接するときの極意である。

やがて時がたち、生まれたての「ひとりぼっち」の新米くんが喪失と成熟を繰り返しながら、成就する恋と成就しない恋のふたつみっつを経験し、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、一人前一丁前になり、御託やら能書きやら「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!」やら「逝ってよし」やら「ウザい」やら「氏ね」やらをほざけるようになったとき。それだけではない、この先ずっと、想像すらできないほど遠い未来、世界のありとあらゆる場所に訪れる幾千億の春が芽吹き、匂い満ちあふれ、緑滴ってくれたなら、吾輩にもやっと本当の春がくる。

春、爛漫。
桜花爛漫。


桜の散る頃を見計らってどこぞの高校だか中学に忍び込み、散り落ちた「桜の栞」を盗んでこよう。「花ぬすびと」ならいくぶんかは大目にみてくれるだろう。世界が光り輝き、芽吹き、匂い満ちあふれ、緑滴るのはもうすぐである。

桜の栞 - AKB48

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by enzo_morinari | 2013-03-28 18:54 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

黄金の蛙の墓碑銘

 
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 初代黄金の蛙の墓碑にはヴォラピュク語とロンゴロンゴ語とトレーン語で次のエピタフが刻まれている。

 漂いつつも決して沈まず、やせ我慢の果てについに〈蛙の王〉となりし宇宙一の大馬鹿蛙ここに眠る。冬眠ではない。

 黄金の蛙の四十二代目の直系の子孫である吾輩が初代黄金の蛙の墓碑の存在を知ったのはまったくの偶然だった。15歳の春のことだ。コバルト・ブルーのルーン・ストーンでできた墓碑は、ある時代には冥王星までにも達するような「宇宙を支配する巨大な意志の力」が宿る不倒不変のモノリスとも崇められ、またある時代にはカンテレを奏でるワイナミョイネンの横で不貞寝するカレワラ・カーリング・ストーネとして氷上を滑走し、またある時代にはペトログリフ/ヒエログリフ兄弟愛用のルーン・ナポリタン・マスティフ・ストーンとして悪事に手を貸し、またある時代にはブリテン市ソールズベリー大通り42番地にある声をかけてもろくに返事もしないような輩どもばかりが集積した不思議石愛好会の全国組織ストーン・サークル・ユニオン本部本館ヘンジ棟の礎石となり、またある時代にはマイルス・デイヴィスが鳥の饒舌に対抗して敷設した里程標、「帝王の沈黙の石」となってポンコツヘッポコスカタンどもを華麗に黙殺してスルーし、またある時代には二擦り三擦りすると充血して青筋が立ってどっくんどっくんになっちゃって所有する者をアレアレモーモーにしてくれるカトリシンゴナイト・エボナイト・スットーーーーンとして地学教室の午後を地味めから派手めに変え、またある時代にはニューエイジ・ピープルの信奉を集めるガネガネ・ウソッパチマヤカシインチキ・セドナ・ストーンとしてゼニゲバの片棒を担ぎ、またある時代には九州地方の伝統郷土料理ボボブラ汁を調理する際に器の中に投げ込まれる真っ赤に灼けたデトックス・ストーンとなってウンマーし、またある時代にはギガサイズのブルーマリーン・セイルフィッシュにもキリマンジャロのダイアモンド・ダストにも誰のためにでもなく自分のためだけに鳴り響く鐘にも視えない自由を撃ち抜くための視えない銃が保管されている武器庫に別れを告げるジーン・パチェットにもなれるヘミングウェイ・ストーンとしてアドリアンニューウェイ・ブルーマリーン・セイルフィッシュを手なずけ、またある時代には戦国大名の使いっ走り足軽三十八人衆の38番目だったピース缶ボム・ケースの真犯人千石38としてコッコーショー・コガを恫喝した。そして現在はスナドリネコさんがコレクションしているしまっちゃうおじさん石としてぼのぼのやらアライグマくんやらシマリスくんやらに朝から晩まで石蹴り遊びで蹴り飛ばしまくられ、クモモの樹と一面に赤い花が咲き乱れるダニーボーイ断崖のあいだを往還している。

 初代黄金の蛙の墓碑は巨大だ。高さは正確に42メートル42センチ42ミリあり、22ヶ条に及ぶ戒めが刻まれている。

 汝、黄金の蛙以外の蛙を崇めるなかれ
 汝、黄金の蛙の偶像を作るなかれ
 汝、黄金の蛙の名をいたずらに口にするなかれ
 汝、冬眠日を守るべし
 汝、深く静かに父母を敬え
 汝、殺蛇するなかれ
 汝、長きものを殺すなかれ
 汝、蛇淫するなかれ
 汝、盗むなかれ
 汝、偽証するなかれ
 汝、嘘を言うなかれ
 汝、隣人の御玉杓子を貪るなかれ
 汝、隣人の妻と接するなかれ
 汝、乾涸びるなかれ
 汝、いたずらに合唱するなかれ
 汝、痩せるなかれ
 汝、雀と戯れるなかれ
 汝、がま口となるなかれ
 汝、黄金水を浴びるなかれ
 汝、ひっくり返るなかれ
 汝、帰るきっかけとなる鳴き声をあげるなかれ
 汝、カエル・コールするなかれ

 
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by enzo_morinari | 2013-03-27 19:38 | 黄金の蛙 | Trackback

人生のエアロダイナミクスとプラネタリウム・デイズ

 
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 人生でもっとも重要なのは空力だ。人生のエアロダイナミクス。そのことを証明したのがF1宇宙の空力大王、エイドリアン・ニューウェイである。エイドリアン・ニューウェイはことあるごとに言ったものだ。

 人間には一枚のシールもタグもステッカーもレッテルも必要ない。必要なのは風と翼とほんの少しの勇気と冒険心、そして、「ベルヌーイの法則」だ。それ以外のものはきれいさっぱり剥ぎ落とさなければならない。

 なるほど。まさにエイドリアン・ニューウェイの言うとおりだ。しかし、たいていの人間は風の谷の小さな村に住む風使いの少女をのぞけば風をまともに使いこなすことはできず、巨大で重い金属でできた喧しいうえに大めし喰らいの翼しか持たず、勇気は古臭い合い言葉として流通しているのみで、冒険心はティファニーとのダブルネームのロレックスのオイスター・ケースの中に閉じ込められしまった。熟練の牡蠣打ち職人がこじ開けようと試みても無駄だ。頑なになってしまったオイスター・ケースの心を開かせることは野村沙知代に品性品格を求めるのと同じくらい困難を極める。つまり、不可能である。「ベルヌーイの法則」に至っては「ベルヌーイの法則」以前の「エネルギー保存則」すらも理解していない者がほとんどである。吾輩のまわりを見渡しても「ベルヌーイの法則」について正確に説明できるのは虹子とミニチュア・セントバーナードのポルコロッソをのぞけばキクラデスの空飛ぶパン屋くらいのものだ。だから、人間は無駄なことばかりをするのだ。吾輩がそのことに気づいたのはエイドリアン・ニューウェイを知るずっと前、まだ世界やら人間やらにいくぶんかの信頼を置いていた昔々の大昔だ。
「同一流線上のエネルギーの保存則」を知らずに生き、呼吸し、摂取し、排泄し、生殖行為をし、眠り、飛行機に乗っていることが吾輩には驚異である。夕暮れの野毛山動物園に行きさえすれば容易に分け隔てなく「同一流線上のエネルギーの保存則」を理解できるというのにだれも夕暮れの野毛山動物園に行こうとしないばかりか、「夕暮れの野毛山動物園」の存在すら知らない者がほとんどだ。嘆かわしいかぎりである。

 吾輩はかつて、「夕暮れの野毛山動物園における幸福論」のための日々を生きた。「幸福」とはとんと縁のなかった吾輩が「幸福」について考えるのはとても厄介だった。それはマカロン・パリジャンを食べたことも見たこともない者が「マカロンとアマレッティのちがい」をピエール・エルメやダヴィド・オルデーに説くくらい厄介なうえに馬鹿げている。
夕暮れの野毛山動物園における幸福論」のための日々を生きても吾輩はひとかけらの「幸福」とも出会えなかった。しかし、吾輩は「夕暮れの野毛山動物園における幸福論」のための日々を生きることによってアシカとアザラシとオットセイのちがいがわからずに目をまわす不思議な少女と出会うことができた。彼女と出会えたことが吾輩の人生において最大にして最高の幸運であり幸福だったのだと気づくのはずっとあとになってからだった。アシカとアザラシとオットセイのちがいがわからずに目をまわす不思議な少女こそが虹子だ。

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 遠い日、小学校3年生の吾輩は1年間、毎日欠かすことなく桜木町駅から歩いて15分ほどのところにある紅葉ヶ丘の神奈川県立青少年センターに通った。そして、センター内のプラネタリウムで横浜の季節ごとの夜空を眺めた。休館日をのぞけばかならずだ。毎日見たところでたいしたかわりばえがないのはわかっていても、紅葉坂をのぼり、座り心地の悪い椅子に座り、作り物の星空を繰り返し繰り返し見る。愚かしく、滑稽で、馬鹿げているが、それが「こども」という得体の知れない生き物の愚直さであり、真摯さであり、特権である。いまから思えば、プラネタリウムはお粗末きわまりないものだったが、当時はみるたびに心ときめいた。
 吾輩が夢中になっていたのは、現在のハイテク満載のプラネタリウムのように全自動で制御されたものではないし、あらかじめ録音された声優による自動音声でもなかった。白衣を着た解説者がマイクを片手にリアルタイムで星のことや銀河のことや星座のことや宇宙のことを解説するのだ。解説者の話は実に巧みで、夢やら好奇心やらをかきたてられた。星に魅入られはじめていたその頃の吾輩にとって、彼は星博士であり、ヒーローであった。また、横浜の街並の360度パノラマの影絵などは、(縮尺率、スケールにひどい矛盾があったとはいえ)こども心にもせつなく感じられた。
 プラネタリウム観賞後はセンター内の科学ものの遊具、実験器具で遊んだ。フレミングの法則やベルヌーイの法則やアルキメデスの法則など、物理の基本法則を簡易に視覚化立体化した器具は好奇心の塊のような吾輩には実に魅惑的だった。そして、この経験によって吾輩は自然科学に関する基礎知識を身体でおぼえた。札付きの悪童、筋金入りの不良どもとの出会いとかかわりによって自然科学よりも人間学のほうがよりダイナミックで複雑でたのしく、刺激にみちていると知ることがなければ科学者を目指していたかもしれぬと思うこともあるが、そうはならなかった。悪童、不良どもとの出会いは精妙不可思議な「縁」がもたらしたのであり、その出会いが、吾輩の人生とやらのわかれ道となった。まことにけっこうなことであった。星々はめぐり、因果もまためぐるのだ。そして、そのような日々のただ中、プラネタリウムの帰りがけに立ち寄った夕暮れの野毛山動物園で吾輩は「人生のエアロダイナミクス」と出会った。

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  エイドリアンニューウェイ・ブルーの真実へ。そして、よみがえるプラネタリウム・デイズ
人生のエアロダイナミクス」は野毛山動物園のミツユビナマケモノの檻の前でゆっくりと揺れながら佇んでいた。出会った頃の「人生のエアロダイナミクス」はいまよりずっと痩せていて食べものにもほとんど手をつけなかった。「人生のエアロダイナミクス」はすべてにおいて無駄がなかった。人生のエアロダイナミクスのエイドリアンニューウェイ・ブルーに輝くからだはあざやかだったが、からだのまわりには趣味の悪いモスグリーンのBPエアがいつもまとわりついていた。人生のエアロダイナミクスの不幸はまちがいなくBPエアがもたらしていた。
 BPエアは本当に悪いやつだ。BPエアは20世紀世界において、少なくとも人生のエアロダイナミクスを不幸にし、多くの海の生き物たちを殺した。21世紀になったいまもだ。BPエアはいまも世界中にたちの悪い不幸をばらまき、世界を汚し傷つけ、眉ひとつ動かさずに殺戮をつづけている。「 エイドリアンニューウェイ・ブルーの真実」についてはEliane Eliasの弾く『Blue in Green』が夕暮れの野毛山動物園に聴こえはじめる頃に明らかにしようと思う。「エイドリアンニューウェイ・ブルーの真実」が明らかになり、世界に向けて解き放たれたとき、再び吾輩のプラネタリウム・デイズは夢の墓場からよみがえるのだ。

 TRUTH - T-SQUARE
 
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by enzo_morinari | 2013-03-27 04:13 | 人生のエアロダイナミクス | Trackback

8丁目75015番地の朝/彼女のコルドン・ブルー

 
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 パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンの『Cinema Paradiso - Love Theme』が静かに終わり、天野清継の『AZURE』がかかる。天野清継の『AZURE』はアジュア・キングフィッシャーが飛翔するアジュール海岸8丁目75015番地の朝にこそふさわしい。部屋には肉の焼けるにおいとさまようオリンポス山の山頂からやってきたさまざまの果実が熟れて放つ濃密なにおいが漂い、舞い踊っている。そして、彼女は思う。
「また失敗だわ。フォアグラとオレンジなんか挟むんじゃなかった。イチジクだけにしておけばよかったのよ。いったい、わたしの本当のコルドン・ブルーはどこ? 第一、朝から肉なんか食べるべきではなかったのよ。まったくあなたはなにもわかっていない。わたしのコルドン・ブルーが消えたのは全部あなたのせいよ。いいこと? 肉はね、肉は追悼と追憶の夜に食べるものと神様が決めたのよ。おぼえておいて!」
 もちろん、いまや彼女のコルドン・ブルーは跡形もなく消えてしまった。もう何年にもなる。

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 彼女のコルドン・ブルー。砂漠をゆく王女と王子の夢の旅路を照らすペルシャン・ブルーでもなく、世界のすべてを焦がし、灼きつくすコバルト・ブルーでもなく、F1大宇宙にひと際まばゆく輝いたエイドリアンニューウェイ・ブルーでもなく、天国へと誘う Pau 'Ole Ka 'I'ini HAPA BLUE でもなく、メローなロスト・ワールドの週末を満たす Ode-To-A-Kudu-Blue でもなく、彼女自身のコルドン・ブルー。

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 それでも、いつかの遠い日の夏、最終の桜木町行きを待つ幻の渋谷駅の1番線ホームからは渋谷川のせせらぎと五島プラネタリウムのときめきが聴こえ、視えるはずだ。アジュア・キングフィッシャーが飛翔するアジュール海岸8丁目75015番地の朝にふさわしい彼女のコルドン・ブルーとともに。それまでは天野清継の『AZURE』を小さな音で、ごくごく小さな音で繰り返し繰り返し聴こう。彼女のコルドン・ブルーなアジュア・キングフィッシャーが飛翔するアジュール海岸8丁目75015番地の夏の朝を追悼し、追憶するために。天野清継は横浜山手・外人墓地前の「絵の樹亭」のクレープが大好きだ。酒は飲めない。

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 Azure - 天野清継
 Ode to a Kudu - George Benson
 Cavatina - HAPA
  
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by enzo_morinari | 2013-03-26 12:33 | 彼女のコルドン・ブルー | Trackback

なにごとかから卒業する世界中のすべての「きみ」へ

 
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 J.P.サルトルは『存在と無』の中で感受性や思考がステレオタイプの人間を「くそまじめな精神」とそやし、もっとも軽蔑唾棄した。「くそまじめな精神」は自己や他者の本質のあらゆることどもを引きずりだそうとする。Aは「信用のおける男」だから信じていい、Bは「卑劣な男」だから付き合ってはならない、Cは「軽薄な男」だから用心しなければならない、という具合だ。

 一人の人間があるときある行為をすることについての仕組みは、実はよくわかっていない。ある行為の「原因」はほぼ無数にあり、追跡不可能であるにもかかわらず、われわれは行為のあとでわずかばかりの要因を「動機」として都合よく抽出し、「それらの動機が行為に駆り立てた」という「お伽噺」をでっちあげて得々としているにすぎない。
 動機ばかりではない。この世界において「解決済み」とみなされている因果律、意志、善悪、自由、存在などの諸概念がいったいなにを意味するかについてはいまだにわかってはいない。哲学することの「善きこと」は世界のほぼすべての事柄、事物、事態、事象は厳密にはなにもわからないのだということを知ることにあるとも言いうる。
 成長し、世界や社会や世間の冷厳冷徹な風雨荒波にさらされていくうちに「善く生きること」「哲学すること」はどうでもよくなり、「とにかく生き延びなくては」というお決まりの文句がすべてを薙ぎたおす。そうならないよういまのうちに気を引き締めておくがいい。得体の知れない不安にさいなまれ、震えているきみに「Bon Voyage!」の言葉とともに、持ち時間に比例して広がる可能性の素晴らしさときみの手中にあるものの大きさと深さと豊かさをいくぶんかの羨ましさとともに告げる。

 サルトル流にいうならば誰でもが否応なく「自由」のただ中に投げ出されている。禍福を他者のせいにするのも自由である。面倒なあれやこれや、あれか・これかを考えずに、あたかも「物」のように自身を固定化していくのも自由である。しかし、そういった類の選択はきみの精神を痩せ細らせる。貧しくする。つまらなくする。きみから真の意味の「自由」を奪ってしまう。「不幸」とはそういうことだ。
「自分はダメ人間なんだ」ときみは嘆く。そして、自分の本質を「ダメ人間」として意識・無意識のうちに決定し、それがきみ自身の「だれにもなりかわりようのない人生」を決定する。その責任はまぎれもなくきみ自身にある。つまり、きみは自分自身で自分を「ダメ人間」として選択したのだと言っていい。そのようなきみは未来永劫にわたって「ダメ人間」だろう。しかし、いったいなにが人間のやり方や行為を決定するかは「そのとき」にならなければわからないとも言いうる。まさに「一寸先は闇」なのだ。だからこそ、「いままで」を完全に絶ち切ってまったく新しいことを選択できるとも言える。

 おとなになるための条件は端的に言って二点である。ひとつは一人立ちすることだ。すなわち、親やその他の保護者の庇護の元から独立することである。社会的に認められる仕事に就き、経済的に独立することだ。もうひとつは他者に依存しない生き方を実現することである。これは自戒の意味もこめて言うが、自分と異質な人々を切り捨てるのではなく、大切にすることはいずれ人生の宝になる。もちろん、きみと異質な彼らは理不尽不条理に敵対もするだろう。彼らとの交流はいくぶんかの困難と困憊をもたらすかもしれない。そうであってもなお、彼らとの関わりはきみを宝石にする。これは経験則だ。

 いつかの遠い日の夏、285714285714粒/secの雨が降る七里ガ浜駐車場レフトサイドで「善きおとな」となったきみに会えるのをたのしみにしている。
 
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by enzo_morinari | 2013-03-26 00:00 | 沈黙ノート | Trackback

空飛ぶ復活スティグ・リンドベリが残した問題点と春の葉っぱ

 
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 グスタフスベリ色の包装紙に包まれていたのはアジュア・キングフィッシャーが飛翔するアジュール海岸8丁目75015番地の朝にこそふさわしいコルドン・ブルーの頑丈な箱だった。箱をこれ見よがしにあけると中から復活スティグ・リンドベリがやや年老いた白夜を背負って出てきた。出てきたとたんに復活スティグ・リンドベリは「やっぱりSPISA RIBBだよにゃあ」と言った。
「BERSAは? ADAMは? SALIXは?」
「BERSAでもADAMでもSALIXでもなくて、やっぱりSPISA RIBBだよにゃあ」

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 復活スティグ・リンドベリはあいかわらすっとぼけた髪型をしていて、やはり、あいかわらずすっとぼけたメガネかけていて、右肩にはチェシャ猫によく似たニーチェ猫が乗っていた。オリジナルのスティグ・リンドベリとちがう点はくわえているパイプがSPISA RIBBとSALIXの模様が交互に描かれた凡愚に変更されているところだ。あんた、作品はマーベラスでインクレディブルでジャギュワ並みにイカしてるけど、やることはジャンク野郎になっちゃったわけ? いくらなんでも筋子でも、凡愚はなかろうよ、凡愚は。吾輩が思うまもなく、スティグ・リンドベリはスウェーデン・コープのKFオリジナルの枯れ葉柄のキッチン・クロスをスーパーマントのようにまとい、あっという間にプチ・フルーツトマトのリゾット地区方面に飛び去った。あとにはやや年老いた白夜とニーチェ猫が残った。やや年老いた白夜はぺしょぺしょと泣き、ニーチェ猫は「ニー」と鳴いた。仕方ないのでニーチェ猫には「チェッ!」と言ってやった。ニーチェ猫は権力への意志を剝きだしにして唸った。

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 吾輩はこれでまたふたつ、厄介事を孕んだ問題を抱え込んでしまった。春はまことに椿事が起こるのに事欠かないシーズンお麩の心にこんにゃく問答の季節だ。問題解決の前に、次の週末はフォーシーズンズに予約を取ることにしよう。額にBERSAのタトゥーを入れたコンシェルジュのマドカちゃんには空飛ぶBERSAのフライング・カップソーサーをお土産に持っていってあげよう。うまくいけばこの春初めての強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場レフト・サイド会議にいっしょに行ってくれるかもしれない。iPod Touchでヘッドフォンをわけあって聴く音楽のリストはすでにつくってある。最新の「M'S FAVORITE SONGS BOOK TAPE」「Mのテープ」だ。タイトルは「葉っぱ」だ。

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by enzo_morinari | 2013-03-25 17:34 | Poisson D'Avril | Trackback

星を継ぐ者の系譜#4 悠々として急げ

 
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 Festina Lente. 悠々として急げ。
 Fluctuat Nec Mergitur. 漂えど沈むな。


 賢者は日々死にゆく。宝玉のごとき賢言を残して。なにもかもが今のうちだ。あとの祭りと気づくのは胸の真ん中あたりがかなり痛む。


 あなたがなにで生計を立てていようとわたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたがなにに心を痛めているか、そして、憧れとの出会いを夢見る勇気を持っているかどうかだ。

 あなたが何歳であろうとわたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえであえて愛を、夢を、生きるという冒険を求めるかどうかだ。

 あなたの星座が何座だろうとわたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか、そして人生の裏切りによって心を開かれたのか、それとも縮みあがり、さらなる苦痛を恐れて心を閉ざしてしまったかどうかだ。

 わたしの苦痛だろうとあなたの苦痛だろうとかまわない。あなたが苦痛に耐えられるかどうか、その苦痛を隠したり、薄めたり、取り繕ったりするためにじたばたせずにいられるのかどうかを知りたい。

 わたしの喜びだろうとあなたの喜びだろうとかまわない。あなたが喜びとともにいられるのかどうかを知りたい。あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて、わたしたちに用心せよとか、現実的になれとか、人間の限界を忘れるななどと警告せずにいられるのかどうかを知りたい。

 あなたの話していることが本当かどうか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが他人を落胆させることを恐れずに自分に正直になれるのかどうか、そして裏切ったと非難されても耐え、自分自身の魂を裏切らずにいられるのかどうかだ。あなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうかを知りたい。日常的なものの中に美を見いだすことができるのかどうか、そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたい。

 あなたが失敗に耐え、湖の縁に立って銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたい。あなたがどこに住んでいようと、どのくらい財産を持っていようとわたしには興味はない。知りたいのはむしろ、悲嘆と絶望の夜のあと、疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、それでも起きあがり、こどもたちのためにせねばならぬことをなしうるかどうかを知りたい。

 どこで誰といっしょになにをあなたが学んだかわたしには興味がない。知りたいのはむしろ、すべてが崩壊したとき、なにがあなたを内側から支えているかだ。ひとりぼっちでも平気でいられるかどうか、そして孤独なときの自分を本当に好きかどうかを知りたい。

 あなたが何者なのか、どうやってここに来たのかわたしには興味がない。わたしが知りたいのは、あなたがわたしといっしょに炎の中心に立ち、尻込みしないかどうかだ。
 
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by enzo_morinari | 2013-03-23 05:20 | 星を継ぐ者の系譜 | Trackback