<   2012年 11月 ( 17 )   > この月の画像一覧

冬のはじまりに考える「世界が孕むある種のやさしさ」

 
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不遇にある人々にその暖炉のぬくもりのひとかけらとそのあたたかい食事のひとすくいが届けばいい。


冬のニューヨークは厳しい。ニューヨークにおでましの冬将軍様の傍若無人ぶりは凄まじいの一語につきる。秋のニューヨークは死ぬまでに一度は経験しておくべき素晴らしさにあふれているが、「最高のシーズン」も長くはつづかず、駆け足で冬がやってくる。

そのニューヨークから心あたたまる話が舞いこんできた。ニューヨーク市警の若い警官が厳しい寒さに震えて街角にうずくまる年老いた裸足のホームレス男性にポケット・マネーで冬用のブーツと防寒ソックスをプレゼントしたというのだ。この場面を偶然通りかかった観光客がデジカメにおさめ、即座にFacebookとTwitterで発信した。

警官とホームレス男性をめぐる「美談」はFacebookとTwitterを通じて瞬く間にネットワーク上に拡散し、多くの人々の共感と讃辞をえた。世界がいつもこのようなやさしさに満ちていればいいのだが。

いまや善意と美談は悪事、醜聞同様、インターネットによって千里どころか万里を走る。地球の裏側までリアルタイムで一瞬にして届く。その分、底の浅い善意、薄っぺらな美談までもに尾鰭がついていつのまにやらまったく別の「お話」「うそ」に変わってしまうこともあるから注意が必要ではあるのだが。ただし、「拡散してください!!!」という無意味に「!」マークのついたスパム絶叫だけは御免蒙りたい。大きなお世話だ。「拡散してください連呼ちゃん」にかぎって翌週には涼しい顔で「オサレ・ランチさん」に大変身するものと相場は決まっている。

ネットワーク就中インターネットは「個人の武器」、「自分のドス」としてならなにがしかの有意なことどもをもたらしはするが、「数の論理」「数に頼む」という姿勢はマルチ商法に血道をあげる愚劣卑劣な腐れ外道どもと同じ穴の狢になる危険を秘めていることの自覚はつねに持っているべきだろう。

人の数や図体の大きさはそれほど重要ではない。なにをしてきたか、なにをしているかもどうでもいい。本当に重要なのはたった一人で炎の中心に立てるか否かということだ。まさにその一点こそがホンモノかただのカスかの分かれ目になる。

過去の「栄光」やら「実績」やらにしがみつき、あるいはその上に寝穢く居座り、胡座をかいてふんぞりかえっているようなポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウにできることなどたかが知れている。錆つき、煤け、カビが生えていることに当の御本人様はお気づきにはならないだろうが。そして、そのような御仁は例外なく「ライフ・スタイル自慢」と「お幸せな家族家庭自慢」というステレオタイプの御開陳に及ぶという次第だ。「じょうずに焼けたノアレザン」や「カワイイくてオサレな雑貨・小物」や「おいしくてヘルシーなオーガニック・ランチ」や「エシレのクロワッサン」で世界がよくなるなら神さまも苦労はしないのだがね。

貧困、貧富の格差、ホームレス、ショッピングバッグ・レディ、無縁社会。それらの問題の背景、奥にあるもの、根っこ、根本問題を解決しないかぎり意味がないと訳知り顔で「正論」らしき御高説をふりかざす「進歩人」を自認する輩どもに言いたいのはただひとつ。「目の前にいる寒さと飢えに震える者に毛布一枚、スープ一杯差しださぬ輩がなにを言いやがる」と。そこで思い出されるのが『シンドラーのリスト』の中に出てくる言葉だ。

一人を救える者が世界を救える。

ひとがひとを救うなどとはおこがましいことこのうえもないが、少なくとも「無関心」を装わず、「見て見ぬふり」をしないくらいの仁義は世界に対してつねに切りつづけていたいと思う。さらに宮崎駿の『もののけ姫』の中でサンの君がアシタカに言う次の言葉。

黙れ小僧! お前にあの娘の不幸が癒せるのか! 森を侵した人間が、わが牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。お前にサンを救えるか!

「オサレ」なおランチもお品のおよろしい「午後のお茶の会」も仲良しさんたちが雁首そろえてお出かけにあそばす「美味しいものまみれの温泉旅行」も引きつった笑いとぎこちないジョークと知性のかけらもないつまらぬギャグと脇の下からぬるい汗の出る合コンとやらも個人の自由ではあるし、天下太平楽ニッポンの極楽とんぼぶりが垣間見えてたいへんにけっこうなことではあるが、他者の困憊困難にまみえたときくらいは無関心を装わず、見て見ぬふりもせず、一瞬でもいい、立ち止まってなにごとかを考えても罰は当たるまい。立ち止まり、考えをめぐらしたからと言って、そのわずかのあいだに「オサレ」なおランチもお品のおよろしい「午後のお茶の会」もなくなりはしないのだから。「歳末助け合い」も救世軍の「社会鍋」もまったく信用してはいないが。3.11震災以後に声高にあちこちから聴こえていた「絆」やら「友愛」やらにも眉に唾をつけて見聞きしていたが。

ところで、あれほどの「絆」と「友愛」の大合唱はいったいぜんたいどこにお隠れあそばしたのだ? ユーラシア・プレートの下にでももぐりこんだか?

はっきり言ってしまうが、グロテスクな親和欲求にまみれた「絆」と「友愛」の大合唱よりも、真鍮とチタニウムの合金でできた数センチの「小さなコビトの大きな世界」に、あるいは、わずか65cm×50㎝の小さなコラージュという沈黙の一表現方法を通じ、個として3.11の事態を受け止め、向かい合い、記憶にとどめつづける者の中にこそ「本物」があるように思える。広報宣伝部仕切りの「100億円」の義援金、寄付もそれはそれでご立派なことではあるが。ちろちろと熾火の燃える暖炉を囲んであたたかなカフェ・オ・レを飲みながら食べる『エシレ』の無塩発酵バターを練り込んで焼いたクロワッサンはさぞやおいしかろうが。

世界は「ユークリッド幾何学かつリーマン幾何学平面上にあるニュートン力学が支配する空間」にいくぶんかの混沌が織りこまれた「ユークリッド幾何学並びにリーマン幾何学またはニュートン力学によって大方の説明がつく非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」でできあがっているが、いつの日か、そう、きっといつの日か、「お住まいは?」と尋ねられて、「非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」と大手を振って答えたいと思う冬のはじまりに、遠い日の冬の夜、「世界が孕むある種のやさしさ」についてある若者が話していたことを思いだす。

銀座線の車内で外国人観光客と打ちとけたホームレスとおぼしき老人が、彼らとの記念撮影を求められたときに寂しそうな笑いを浮かべながら野球帽で顔を隠す場面に若者は遭遇する。若者は思う。「老人が顔を隠した事情についてその日出るはずだった月のように世界にやさしさが満ちていればいい」と。

思い出し、なぜかはらはらと涙が出た。聴いていたキース・ジャレットの『My Wild Ilish Rose』のせいでもないし、回収できなかった「すっかり冷えきった爪先」のせいでもないし、「森のひと」と30年早く出会えていたらと考えていたからでもない。涙の理由らしい理由がみつからないので、今日のところは「世界の共同主観的存在構造」のせいであるということにしておこうと思う。


そして、疲れた心に『ダニーボーイ』はやさしい。
2002年、キース・ジャレット東京公演のラスト。遠い夏の日の丹沢で母親といっしょに歌った『ダニーボーイ』をのぞけば、わたくしにとってのいまのところの最高の『ダニーボーイ』である。1996年、コンサートの最中に激しい疲労感に襲われたキース・ジャレットは、音楽家としてのすべての活動を停止し、その後2年にわたって「慢性疲労症候群」という原因不明の病いとの壮絶な格闘の日々を送った。

疲れ果てた男は帰ってきた。そして、一音一音を抱きしめるように、頬ずりするように、慈しむように奏でた。途中、2箇所でミス・タッチするが彼はこともなげにリカバーした。会場でこの瞬間を目撃したわたくしは背筋が凍りついた。キース・ジャレットが2年の「沈黙」のあいだに数えきれぬほど『ダニーボーイ』を演奏したにちがいないことが見てとれたからだ。そうでなければあのミスのリカバーはできるわけがない。

『ダニーボーイ』を繰り返し繰り返し奏でることでキース・ジャレットは疲れ果てたみずからの魂を解放したのであることに思いいたったとき、わたくしは人目も憚らずに泣いていた。見れば、わたくしの周りのオーディエンスのだれもが泣いていた。2002年東京公演におけるキース・ジャレットの『ダニーボーイ』。これ以上の『ダニーボーイ』をわたくしは知らない。そして、世界はささやかではあってもなにかしらの「やさしさ」を孕んでいるということを知った。


そして、ダニーボーイは帰還した。「失われた23年」を取りもどすために。
わが人生の同行者である虹子は彼女の青春期の真っ只中にわたくしと出会い、以後、23年間、今日まで、放蕩放埓にかまけるわたくしを支え、かならず待っていて、かならず帰ってきて、見守りつづけてくれた。

口数少なく、つねに控えめで、二歩も三歩もわたくしの後ろを歩き、わたくしを支えつづけた女。金輪際、うそをつかず、裏切ることはもちろん、なにひとつ隠し事をしなかった女。23年前の冬からはじまったジェットコースター・デイズをともに生きてきた戦友でもある女。

虹子が人知れず流した涙と味わった孤独と困難と困憊と不安と悲しみと痛切と嘆きの総量をわたくしは知る由もない。知ろうとさえしない23年であった。虹子の損なわれ、傷つき、失われた23年 ── 。

わたくしは帰ってきた。パット・メセニーの『Travels』とゴンチチの『いちばん大事なもの』とキース・ジャレットの『My Wild Irish Rose』と『ダニーボーイ』を繰り返し繰り返し聴いた。本当の旅はこれからだと思った。虹子の「失われた23年」を取りもどすための虹子との旅だ。

旅の果て、旅の終わり。わたくしの死に際の枕元での『ダニーボーイ』は虹子にこそ歌ってほしい。その『ダニーボーイ』は生涯最高の『ダニーボーイ』となるにちがいない。

火灯し頃。黙々と晩めしの支度をする虹子の細く薄い背中に声をかけた。

「おれがくたばるときは、枕元でずっと『ダニーボーイ』を歌いながら手を握りしめていてくれ」

虹子は包丁を動かす手を止めてこちらを振り返り、満面の笑みを浮かべ、「はい。もちろんです」と言ってうなづいた。そのあと、声をあげてその場に泣き崩れた。わたくしの好物である大根と人参と油揚げの煮物のにおいが家中に漂いはじめた。
 
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by enzo_morinari | 2012-11-30 18:00 | 沈黙ノート | Trackback

2B OR NOT 2B #1 柑橘系世界におけるある種の完全性

 吾輩は冬がこわい。恐怖と言ってよろしいと思う。冬将軍のやつに借りたまま返していない一般ピーポー風の件と又三郎の風邪薬をくすねた件もさることながら、毎冬、吾輩はみかんをはじめとする柑橘系どもの食いすぎによる「黄疸症状」を呈するからである。吾輩はふだんは赤鬼のごとくに烈火の炎のごとくに赤い。ホピ族の盲目の長老が吾輩のあまりの赤さに驚いて炎の中心から飛び出したほどだ。浅草芸者の胡徳と豚八でめしを食っていたいとうせいこうなどと来た日にはビビって糸井重里と浅草小学校の教頭に「もう二度と自宅闘争なんかしませんから助けてください」とおかっぱ前髪を振り乱して泣きついた。そのときにいとうせいこうが限りなく透明な「禿毛」に近い「薄毛」であることが露呈したのである。高橋源一郎にいたっては元女房のバカ女、室井佑月こと八戸蕪島子の舌を引っこ抜き、マーズ合衆国大統領の口の中に放り込んで暗殺を謀った。室井佑月が舌足らず脳味噌のしわ足らずなのはそのせいである。
 さて、毎冬みかんをはじめとする柑橘系どもの食いすぎによって「黄疸症状」を呈する吾輩に救世主が現れた。マルセル・プルーストを読んだ物言う猫だ。マルセル・プルーストを読んだ物言う猫はふだんはときどき行方不明、たまに消息不明になるていどのファンキーぶりで周囲を木天蓼の煙りに巻くこととキース・ジャレットのパートタイム愛人をしているほかはいたって普通の女子刑務所の看守である。風にそよぐ斎藤こず恵の三段腹を見上げているときと喫茶室でおだやかな周囲のファム・ファタールどものさんざっぱらな罵詈雑言を聞いているときと100億円分のナメクジに全身を這いずりまわられる自分を想像しているときに「生きててよかった。JAL123便に乗り遅れてよかった」とモフモフするような人物である。マルセル・プルーストを読んだ物言う猫は猫だがついでに人間でもある。その証拠にマルセル・プルーストを読んだ物言う猫には人間の配偶者と人間の子がいる。「だからどうした?」と問われれば、「八百屋の五郎だ」と答えるしかない吾輩なわけではあるが。
 マルセル・プルーストを読んだ物言う猫の周りにはいつもチャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調『悲愴』の第四楽章が聴こえている。うらやましい。しかも、指揮はセルジュウ・チェリビダッケでオーケストラは松脂をビチビチ飛ばしまくるチェコフィルである。それだけではない。マルセル・プルーストを読んだ物言う猫のまわりでは実に不思議な出来事が日常茶飯事、加藤TEAの女癖のように頻発する。枕からグレン・グールドの1955年と1981年の『ゴルトベルク変奏曲』が交互に聴こえる。これは毎週月曜日。火曜日はディヌ・リパッティのJ.S. バッハ『パルティータ No.1 in B Flat Major』、水曜日はエリック・ドルフィーの「音は虚空に消えてゆく」というつぶやき、木曜日はアルチュール・グリュミオーのパガニーニ『超絶技巧協奏曲』、金曜日は棟方志功による高橋竹山『津軽三味線ひとり旅』の朗読、土曜日はサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院聖歌隊による『グレゴリアン・チャンチキオケサ』、そして日曜日はサマンサ・タバサの『日曜は奥様は魔女はダメよ』が枕に頭をのせているあいだ中聴こえてくるのだ。腰枕にするとビミョーな振動がお役立ちらしい。ほかにもマルセル・プルーストを読んだ物言う猫の不思議な出来事は山ほどある。そのようにも類まれな幸運にめぐまれていながら、マルセル・プルーストを読んだ物言う猫は炬燵でわびしく「ピカピカみかん」の制作に没頭してwktk(和歌山とてもかても気になる樹)する旧財閥日立系の日々を生きる者でもある。侍月の半ばに卑怯にもいきなり飛びかかってきた仕事人中村ル・モンドに組みしかれ、ル・フィガロされ、ヴォーグされ、J.P. サルトルされ、デコンストリュクシオンされ、パロール・エクリチュール・ディスクール・ラングされ、シニフィエ・シニフィアンのバゲットされ、振りまわされ、頭突きをかまされたことを差し引いたとしてもうらやましい。裏山で待ち伏せしてやる。そして、マルセル・プルーストを読んだ物言う猫のこの冬に向けた剥けまくりの会心作がこれだ。

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 総論剥き御鎮座みかん、各論一列縦隊みかんともにすばらしい。ここには柑橘系世界におけるある種の完全性がある。「この猿剝き、ちょっとC1000タケダでしょ?」というエア・キャプションがいかにもマルセル・プルーストを読んだ物言う猫らしく奥ゆかしい。空っとぼけてはいるがなかなかどうしてその言語表現レベルがただごとでないことはお見通しだ。「ふつうのプールでおおおおおおおおおたくさんおよいでみたい」とディスクールする小学校1年生の女の子といい勝負ができると吾輩は思う。弟子が若輩にしてすでにみかんの皮剝きに「起承転結」を取り入れているというのであるから、小学1年生の秋の終り、自然が持つ二面性のうちに時間の経過を読み取った吾輩に通ずるものがあると言わざるをえない。この発見のよろこびは高円寺純情商店街裏手の愛人マンション屋上、ねじめ正一民具屋店主副業脳膜メンマ・カフェで無農薬栽培された紅玉りんごによる苺1a号パフェを見つけて心が躍ったときのF-1, F-2, F-3, F-4同時「ハーイ♪(©シーベルトくん)」心的現象論本論42ページに似ている。オレンジがかったローズピンクの中にほんのりしたチェレンコフ・ブルーかつ低線量被曝の明るさがこもったベクレルの森のラジオアクティブな不思議さとでも言おうか。あるいは、「夕焼け色のジャンバラヤ」とも「早起きジム・ジャームッシュ」とも言いうる。これで、吾輩は「黄疸症状」など少しもこわくなくなった。どんどんじゃかすか柑橘系世界の王として世界を真っ黄色にしてやるのだ。冬よこい。「春よこい」はマットンヤ・ユミーンに任せてある。とにかく、春の前に、その全然前に冬よこい。まかりまちがって春の奴めが先に来ようものなら吾輩はおかどちがいに花粉症について心を痛めなければならない。それはまったくもって困りものだ。こまどり姉妹の右のほう、リリーズのやっぱり右のほう、ザ・ピーナツのポンコツ沢田研二と結婚していたほう、ついでにリットン調査団のつまらないほう(つまり両方)でさえもんどりうってしまう。そして、あさってからついに「ナット・キング・コール・クリスマス」が始まるのだ。

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by enzo_morinari | 2012-11-30 02:00 | 2B OR NOT 2B | Trackback

Memories of You #1

 
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夏の思い出
あまりにも寒いのでずっと夏にまつわることを考えている。夏のにおい、夏の色、夏の音、夏の風景、そして、夏の思い出。

『夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)はすごく好きな歌だ。メロディも歌詞もすこぶるよい。夏の盛りがやってきて入道雲がわき上がった空を見ると『夏の思い出』を口ずさんでいる。

こどもの頃、夏は苦手だった。夏の暑さがだめなのだ。いまでは信じられないことだが吾輩はどちらかと言えば腺病質のこどもで、同級生が夏の訪れを心待ちにしてはしゃいでいるのを横目で見ながらだれにも気づかれないように溜息ばかりついていた。夏休みが来てもちっともうれしくなかった。エアコンなどまだ普及していない時代。窓を開け放し、扇風機をつけっぱなしにして部屋にこもり、本を読んだり考えごとをしているうちにいくつもの夏が過ぎていった。

そんな吾輩がひと夏の冒険旅行に出たことがある。小学校5年の夏休みのことだ。吾輩はその当時、あるよんどころのない事情で母親から離れ、一時的に生物学上の父親のもとで暮らしていた。生物学上の父親はそのころ羽振りがよく、元麻布の有栖川公園の近くに豪邸をかまえ、「闘う家長」として彼の両親、彼の妻の両親、兄弟姉妹、そして子供たちとともに暮らしていた。

居心地は最悪のはずだったが彼らは吾輩を大歓迎し、愛でた。それでも、子供心にも自分が場ちがいなところに転がりこんでいることはわかっていた。吾輩は極力彼らと顔を合わせぬために食事や入浴のとき以外は「図書室」のある地下に逃げこんでいた。「図書室」は内側から鍵がかけられるようになっていたので好都合だった。そしてなにより、蔵書の質と量がすごかった。学校や町の図書館の本はあらかた読んでいたので新しい本に飢えていた。そんな中で小田実の『何でも見てやろう』をみつけ、夢中で読んだ。『何でも見てやろう』を読み進みながら一刻も早く旅に出なければならないと吾輩は思うようになっていた。

吾輩が「冒険旅行」を宣言したとき、生物学上の父親とその家族どものほとんどは猛反対したが、いつも吾輩をからかってばかりいた腹ちがいの兄公だけが味方についてくれた。その当時、腹ちがいの兄公は東大の仏文科の学生で、東大全共闘の一員としてきな臭い日々を送っていたように記憶する。

顔は青ざめ、頬はこけ、眼だけがぎらついていた。長めの前髪がいつも顔にかかっていた。おおかた、『異邦人』のムルソーだか『罪と罰』のラスコリニコフだかを気取っていたのでもあろうが、男っぷりはそこそこのもので、家に連れてくるガールフレンドは美人ばかりだった。そんな兄公は吾輩の冒険旅行をめぐる「家族会議」のあいだ中、吾輩のすぐ横にいてずっと吾輩の背中に手を置き、さすってくれた。そして、「負けるな」「やっつけてやれ」と小声で吾輩を励ました。

やると決めた以上、だれが反対しようが決行するという吾輩の気質はこの頃にはすでにでき上がっていて、綿密な旅程表と装備品リストと「旅の目的」をもとに吾輩が反論するともはや異を唱えられる者はいなかった。大のおとなどもを説き伏せたときのうれしさ。そして、兄公の満足げな表情はいまも忘れることができない。出発の朝、兄公は吾輩の手にそっと数枚の1万円札を握らせた。「がんばれ」とひと言だけ言って。

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吾輩の「冒険旅行」はひと夏をかけて北海道を一周するというものだった。フェリーで苫小牧に上陸し、あとはユース・ホステルを泊まり継ぐ。旅はもちろん面白かったし、たのしかった。多くの発見やたくさんの人々との出会いがあった。新冠のユース・ホステルでは仲良くなった高校生のグループやヘルパーのひとたちと競走馬の牧場までハイキングに行った。馬たちは茶目っ気たっぷりで、柵のそばまで行くと鼻息を猛烈に荒くしながら近寄ってきた。

別れの夜、判官館の浜辺に出て焚火を囲んでいろんな話をし、歌をうたった。『今日の日はさようなら』をみんなで歌ったときには涙が止まらなかった。襟裳のユース・ホステルではオートバイで日本全国を旅している大学生と仲良くなった。オートバイの後部座席に乗せてもらい、次のユース・ホステルまで送ってもらった。あのときの大学生がいまもオートバイで日本中を駆け巡っていたらうれしい。

土砂降りの雨の中でバスを待っているとき、長距離トラックが急停車し、「乗ってきな」と言ってリーゼントのあんちゃんがドアを開けた。吾輩は少し迷ったが、彼の顔色がすごくよかったので助手席に飛び乗った。吾輩が札幌で降りるまでカーステレオからはエルビス・プレスリーの曲がずっと流れていた。

それらはなにがしかのかたちで、吾輩の現在の財産になっている。しかし、あの遠い日の夏のいちばんの思い出は、「論理」によっておとなたちを説き伏せたという経験だった。

夏。それはまぎれもなく「経験」の季節だ。経験の数だけ、ひとはなにごとかを獲得し、同時に、同じ数だけなにごとかを喪失する。ひとはそれを成熟と呼ぶ。青い空、石楠花色の黄昏。はるか遠い夏の思い出である。

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また別の夏の思い出/コルトレーン、痛みの場所、単独者、次なる聖者
ジョン・コルトレーンを初めて聴いたのは横浜・野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」でだ。まだ名物店主の吉田衛さんがお元気だった頃である。「ちぐさ」へは腹ちがいの兄公に連れていかれた。夏の盛りだった。もしかしたら7月17日、ジョン・コルトレーンの命日だったかもしれない。コルトレーンは兄公のアイドルだった。

夏の容赦ない陽射しの中を兄公の運転するぼろいホンダCBナナハンの後部シートにまたがり、必死で兄公の背中にしがみついていたことはいまでも鮮明に記憶している。第一京浜から国道16号線を経て、桜木町の駅前を右折し、野毛商店街の路地を入ると「ちぐさ」があった。店の左手奥の巨大なスピーカーが鎮座まします壁にかかっていた写真がとても印象に残っている。楽屋らしき一室で机の上に腰かけ、頬をぱんぱんにふくらませてトランペットを吹く日野皓正の横でうつむきかげんに眼を閉じ、聴き入っている吉田のオヤジさんをとらえたナイスなショットだ。

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やけに深刻そうな面持ちの兄公がリクエストしたのがコルトレーンの『至上の愛』だった。「a love supreme, a love supreme, a love supreme・・・」と呪文のような呟きに続いて演奏がはじまった。途中、兄公が「痛えな」とぽつりと言った。あのときはどこが痛いんだろうと不思議だったが、いまなら兄公の痛みの場所くらいはわかるような気がする。痛みの理由まではわからないにしてもだ。

家に帰ってから、兄公のコレクションの中からコルトレーンのLPレコードを引っぱり出し、片っ端から聴いた。『バラッド』『ブルー・トレイン』『ジャイアント・ステップス』『ソウル・トレーン』『アセンション1・2』『テナー・マドネス(ソニー・ロリンズとの共演盤)』『クレセント』『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』『クル・セ・ママ』『マイ・フェイヴァリット・シングス』── 。

あれはコルトレーンとともにはじまり、コルトレーンにハマり、コルトレーンとともに過ぎていった重苦しい夏だった。夏が終わる頃、兄公は忽然と吾輩の前から姿を消した。

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コルトレーンとの出会いは、吾輩の生涯のアイドルとなるにちがいないマイルス・ディヴィスへの入り口となった。ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』が吾輩をこのうえもなく勇気づけ、かき立てるヴァイタル・シングになったのだって、実はコルトレーンという「道標」があったからこそだ。あるいは、アルバート・アイラーという「彷徨える魂」の咆吼に耳を傾けることができるようになったのも、それはやはりコルトレーンという「痛みの場所」があったればこそなのだ。

コルトレーンはあるインタビューに答えて、「ジャズもヘチマもない。コードだろうとモードだろうとアヴァンギャルドだろうとフリーだろうと、あるのはいい音楽と悪い音楽だけである」と言い放った。コルトレーン自身はひとところに停滞することを嫌って、つねに変貌しつづけた表現者だ。彼の音楽はやがて「神との対話」という孤高のスタイルへと至る。能天気なアリスなんぞにたぶらかされなければ、あるいは早すぎる死なかりせば、やがてコルトレーンはエルビン・ジョーンズとのデュオへ、そして、ついにはソロへ、単独者へと表現のかたちを変えていったのではないかと思う。

聖者死して45年 ── 。聖なる骸を踏み越え、ジャズを、音楽を、音そのものを、そして時代を喰いやぶる次なる聖者はいつ出現するのか?

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by enzo_morinari | 2012-11-29 21:30 | Memories of You | Trackback

君の瞳に乾杯 #1 世界には何百万の酒場があるというのに

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 世界には何百万の酒場があるというのに、よりにもよって、なぜ彼女はこんな地の果てにある私の店に来なけりゃならないんだ?(Rick's Cafe Americain の店主の酔いどれたすえの独白)

 酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、「本物の酒飲み」を志してから30年以上が経つ。30年。長い年月だ。そのあいだに数えきれないほど「君の瞳に乾杯!」と言ってきた。酒の味はさまざまで、酒の飲み方はいまだ身につかず、幾度となく口にした「君の瞳に乾杯!」はとうの昔に手垢にまみれた。それでもなお、「本物の酒飲み」への道は長く遠い。酒飲みのとば口に立っているにすぎないとさえ感じる。

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 映画の『カサブランカ』はわたくしにとって酒と服飾と友情と愛についてのバイブルである。とりわけて酒の飲み方については多くを学んだ。このところ群れて飲むことが多くなっているので、自戒の意味で朝から『カサブランカ』をみた。ハンフリー・ボガート演じる主人公が遠い日に別れた恋人との思いがけない再会のあと、閉店し、人気の失せた酒場の片隅で過去の痛切を思い返しながら飲むシーンは格別である。腹にこたえる。

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 男はだれもみな心に疵を隠し持っている。おそらくは女も。女は泣けばいいが、男はそういうわけにはいかない。だから、男の涙はダイヤモンドなのだ。やせ我慢。そう。たいていのまともな男はやせ我慢をして生きつづけている。このろくでもない、素晴らしき世界で。戦場で。そして、きょうも杯をあげる。

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 As Time Goes By. 時の過ぎゆくままに。昨日のことは忘れるにかぎるし、明日にはなにひとつ期待しないが、遠く過ぎ去った日々を思いながら一人静かに飲む酒は悪くない。今宵は裏通り、場末にいい飲み屋を探しに出かけようと思う。思い出し、悔やむ過去なら手持ちはいくらでもある。
 
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by enzo_morinari | 2012-11-29 10:10 | 君の瞳に乾杯! | Trackback

「よい眠りに導く羊」をめぐる日常生活の王権#1

 
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私はこどもの頃から不眠症だ。15時間に一度くらいのペースで50分ほどしか眠れない。そんな私のもとに先週の水曜日の夕方、「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きがやってきた。「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きは42歳。しかも永遠の42歳。42歳なのに見た目は7歳だ。

「ぼくは永遠の42歳だけどが見た目は7歳。見た目は7歳だけどが不思議な力を持った見た目は7歳の42歳です。願いごとがあるなら言いな。いますぐ」
「眠りたい。42時間ぶっとうしで」
「オーケイ。42時間でいいだがな?」
「いや。100年にする」
「オーケイ。100年だがな」
「いや。永遠に」
「オーケイ。永遠に眠らせてやるがだ」

見た目は7歳だけど永遠の42歳で不思議な力を持った「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きはそう言ってリノリウムの床にごろんと横になった。そして、「よい眠りに導く羊の数えうた」を歌いはじめた。

羊が一匹、ヒグマが二匹、火の玉がみっつ、キンタマはふたつ、猫のタマはサザエさんちの飼い猫、『さよなら人類』のタマのランニング・シャツのデブは西荻窪で雑貨を売ったりビミョーなアートをつくったりしてる、『さよなら夏の日』の山下達郎の顔面力は野村沙知代クラス、山下公園のベンチは座り心地がいい、代々木公園のバラはきれい、代々木体育館と千駄ヶ谷の東京体育館なら千駄ヶ谷の東京体育館の勝ち、勝鬨橋の真ん中で毎週水曜日の夕方5時から6時まで『新撰組のうた』を歌っているのはぼくの叔父さん、『新鮮』の記者をやっていた末次安里さんはJAZZ TODAYの編集長になったけどある水曜の午後にJAZZ TODAYは廃刊になりました、水曜の午後の野毛山動物園の海獣のブースでアザラシとオットセイとアシカの区別がつかなくて目をまわした目的語のない女のひとはミツユビナマケモノとマンドリルと三角関数関係、三角貿易で儲けたトアルコト・トラジャさんは午後の最後の芝刈りのバイトを途中で投げ出して死ばかり考えるようになりました ──

「よい眠りに導く羊の数えうた」はこんな具合に今朝までつづいた。もちろん、私は眠れなかったが、「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きは「よい眠りに導く羊の数えうた」を歌いながら気持ちよさそうに眠っていた。そんな「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きを見ているとすこしだけ幸せな気分だった。幸せな気分だったけれども眠い。(「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きがいなくなるまで眠気眼でつづけます)

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Illustrated by nodeq/eric-aceaeこと「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きさん

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「よい眠りに導く羊」を名乗る絵描きさんへのさりげないお願い。
あの「よいねむりに」をこのブログの『「よい眠りに導く羊」をめぐる日常生活の王権』のメイン・ヴィジュアルに使わせていただけると「よい眠り」と出会えそうなんですが…。 もちろん、クレジットは入れさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。眠ります。
 
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by enzo_morinari | 2012-11-27 15:00 | よい眠りに導く羊 | Trackback

東京幻食紀行(第一回) 西麻布「ひらまつ亭」

 
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東京幻食紀行はいまはなき料理、料理人、料理屋・食堂・レストランを幻視する。第一回目は西麻布の通称「ビストロ通り」にあった「ひらまつ亭」だ。店名が変わっておなじ場所にいまもあるようだが、それは吾輩にとっての「ひらまつ亭」ではない。

単身パリに乗り込み、日本人初のミシュランの星を獲得して、一躍、料理界に名を轟かせた平松宏之がまだ無名に近かった頃。当時、平松宏之は「ビストロ通り」と呼ばれる西麻布の裏通りで小さなビストロ(安食堂)をやっていた。かわいらしい奥さんといっしょに。

平松は若々しく初々しかった。吾輩自身も若かった。名もなき小僧っ子、若造の一人にすぎなかった。3年半、ほぼ毎日昼めしを喰いに通った。うまかった。腹いっぱいになった。「ひらまつ亭」は吾輩が「食」にかかわる味覚、嗅覚、視覚、聴覚を鍛える数少ない修練場のひとつだった。

吾輩は「ひらまつ亭」で、高橋徳男が生きていた頃の全盛期の「アピシウス」で、カミソリのような切れ味を持つ料理人、勝又登の「ビストロ・ド・ラ・シテ」と「レストラン・オー・シザーブル」で、鼻持ち野郎のジャック・ボリーがいた頃の「ロオジェ」で、ベルナール・パコーの片腕として名作名品の『牛のしっぽの赤ワイン煮込み』と『エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソース』と『赤ピーマンのムース』で世界中の美食家をあっと驚かせた斉須政雄の「黄金の丘」で、店主が「おいしいねーおいしいねー」を連発する「北島亭」で、パンクでパンクラス並みのド迫力料理を喰わせる五十嵐保雄全開の「クラブNYX」で、舌を鼻を眼を耳を鍛えた。磨いた。吾輩の「食」の鍛錬はほぼ成功した。

ほかにも何軒か修練場はあったが、店じまいするか店主が鬼籍に入るか様変わりするかして、ほとんどが「幻の味」になってしまった。当時のまま残っているのは三田の「コート・ドール」と四谷三栄町の「北島亭」くらいのものか。

ムッシュ勝又は東京に愛想をつかして繁盛店をさっさと引き払い、箱根の山奥でオーベルジュをはじめた。最近、丸くなったと風の便りに聞くが、棺桶に足を突っ込んでいても切れ味鋭くあってほしいものだ。また、勝どきの「クラブNYX」で鮮烈強烈な料理を出していた五十嵐安雄は銀座に「ル・マノアール・ダスティン」をオープンした。

「オサレ・ランチ、ステキ・ランチ、オサレ・カフェ、イケメン・カフェ」なんぞという故障した日本国語を恥ずかしげもなくさらすボンクラ・ポンコツを筆頭に、「きょうは○○でランチ♪」だの「今夜は●●でディナー!」だのという鼻持ちならないバカ主婦どもとは経験も哲学もレベルも桁外れに異なる本筋のグルマンどもの舌を五十嵐安雄はいまもうならせている。

五十嵐保雄の「豚のファルシー」を初めて目にしたときは目玉が飛び出し、鼻がふくらみすぎて裂けそうになり、舌が悦んで踊りだすくらいにびっくりした。途轍もない料理人が現れたものだと思った。食後、勝鬨橋の欄干にもたれて号泣するほどだった。「こんなにすごい食い物があるなら、世界はまだ捨てたものではない」と思った。五十嵐安雄の成功は当然のことであるし、まことに喜ばしい。問題は平松宏之だ。

泡の時代の末期、広尾に「レストラン ひらまつ」をオープンし、「ガラ・ディナー」などという大仰御大層なイベントをやるようになってから平松宏之の料理には距離を置くようになった。西麻布のビストロ時代、「おいしいものを安い値段でお腹いっぱい食べてもらいたい」とことあるごとに言っていた平松とは別の顔の平松がそこにはいた。画商をやっている胡散臭いことこのうえもない実兄にでもたぶらかされたか。

料理をムニュ(定食)ではなくスペシャリテ、アントレ(単品)で、肉魚野菜、調理法の別を問わずに気合いの入っていそうな料理はためらいなく注文し、ワインを2本ばかり飲んで二人で約10万円。これを高いとみるか安いとみるか。吾輩は高いとみる。

ミラノ・スカラ座を鑑賞すればほぼ同額のカネがふところから飛んでいく。それと同レベルの感動と悦びはある。それ以上かも知れない。「食」をたのしむというシーンを日常の「ケ」とは異なる人生の「ハレ」の場としてとらえ、料理のうまさ、サーヴィングの質の高さ、食をたのしむための総合的な演出のすばらしさに対してなら10万円を出して「レストラン ひらまつ」ですごす2時間なり3時間は決して高くはない。それでも一回のめしに10万円を払える者がいったいどれほどいるか? いるとしたら、それはよほどの能天気かゼニカネの置場に困っている者くらいのものだろう。吾輩は脳内に花畑が広がってはいるが能天気ではない。雨が好きであるし。ゼニカネの置場に困る御身分にはやくなりたいものだ。

ミラノ・スカラ座は年に1度、もっと言えば10年に1度、あるいは一生に1度みればいい。しかし、「喰うこと」は日々、毎朝、毎昼、毎夜ついてまわる。1回10万円の「めし」は庶民、普通の人々には一生縁がないということだ。

軽やかにラディション・シルブプレし、1回のめし代に10万円をぽんと支払い、ギャルソンとすれちがいざまにほかのだれにも気づかれないようにプルボワを握らせることのできるおセレブさまに主眼を置いた商売。それはそれでひとつの道だろう。好きにやるがいい。だが、吾輩はコミットメントしない。

広尾の「レストラン ひらまつ」には何度か相手の「おごり」で足を運んだが来ている客は鼻持ちのならない輩ばかりだった。先週は「ロオジェ」、ゆうべは「分とく山」、来週は「銀座 久兵衛」とあっちこっちで宣わっている。虫酸が走り、はらわたが煮えくりかえった。みれば、どいつもこいつも小学生レベルのテーブル・マナーだ。ナイフとフォークの使い方さえなっちゃいない。

「ナイフを何度も何度も往復させて肉を切るんじゃない!」
「フォークは添えるだけにしろ。ナイフとフォークの交点で肉を切れ!」
「フォークを肉に突き刺すんじゃない!」

店が一流でも客が二流ならいつかその店は二流になる。三流以下にさえなり、消えてなくなる。いまの「レストラン ひらまつ」からは本物一流の「喰い手」は育たない。客層は羽振りのいい成金野郎や乙にすましたおセレブさまがたやそれにお追従するおっちょこちょいやライフ・スタイル自慢に日も夜もないポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウばかり。そんなような輩は腐るほどいるが、どう贔屓目にみても本物の一流はいない。

上っ面上っ調子おべんちゃらきれいごとで塗り固められたツラはまちがいなくめしをまずくする。平松宏之の本物一流の料理が台無しである。

CEO? それってうめえのか?「キュイジーヌ・エグゼクティブ・ディレクトール」の略でもあるのか? ちがうだろう。CEOとやらの椅子に座ってふんぞり返っていたところで、うまいソースができるわけでもあるまい。

東海の小島の猿がヨーロッパのクラース、文化に食い込み、対等の勝負をするのにCEOなどという肩書きと看板はいささかも必要ない。必要なのは「たった一人で炎の中心に立つ仕事」をする覚悟である。そこがホンモノかただのカスかの分かれ目だ。料理人には銀座テーラーで誂えたスーツも要らなければ、ジョン・ロブのエラスティック・サイデッドを履くことも無用にして不要である。

いまの段階で吾輩は断言しておく。「レストラン ひらまつ」は莫大な負債を抱えてつぶれる。そして、期待する。「おいしいものを安い値段でお腹いっぱい食べてもらいたい」と言って幼子のように眼をキラキラ輝かせていた平松宏之の復活と復権を。

料理人の王道を外れてゼニカネに血道を上げるのは山出しグラン・ペゾンの三國清三と舶来かぶれのサザビー爺さんに誑しこまれて「売れりゃあいい」とばかりにおスウィーツ屋、甘味処、菓子屋に商売替えした漁師小倅の熊谷喜八に任せておけばいい。

いまのままでは「天使の厨房」の皿洗いさえやらせてはもらえまい。料理の神サマの眼をごまかすことはできない。たとえアントナン・カレームやオーギュスト・エスコフィエであってもだ。

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by enzo_morinari | 2012-11-27 10:30 | 東京幻食紀行 | Trackback

1993年秋のロン・カーターとナンシー関と鼻行類的世界

 
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1973年の冬は横浜・本牧の小港にある船員相手のゲーム・センターでスリー・フリッパーのスペース・シップに合計17630円をつぎ込み、春までのあいだに73回のTILTを出した。15歳を3ヶ月ばかり過ぎたころのことだ。マスターベーションのベテランになりかけていて、陰毛がほぼ生えそろい、背筋力は180kg近くだった。私の数少ないヒーローだった近代ゴリラは私になんの断りもなく、1970年の秋の終りに市ヶ谷の軍隊の砦でみずから腹をかっさばき、情死を果たしていた。

人生が馬鹿馬鹿しいことにうすうす気づいたのもこのころだ。おまけに、しかも具合の悪いことに、私は母親ほども年のちがう理科の教師に恋をしていた。このことはリトマス試験紙の青/赤の意味を理解するより私を混乱させた。その混乱が実験室で母親ほども年のちがう理科の教師とひと冬のあいだ、ほぼ毎日セックスする事態を招いたのだと思う。問題は1993年のロン・カーターだ。

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1993年の秋の盛り、私はたしかにブルーノート東京にいた。ロン・カーターとジム・ホールのデュオを聴くために1週間酒を断ち、3日間臓物を断ち、さらには開高健に脅迫文まで送りつけた。私が間抜けだったのは開高健がすでにこの世界とオサラバしていたことを知らなかったことだ。正確には知っていながら知らないふりをしていたことだ。

1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターとジム・ホールより開高健の死は悲しかった。『アメリカの鱒釣り』の死より悲しかった。あえて言えば、村上春樹が自分より先に文壇デビューしやがったことより悲しかった。「神戸がなんぼのもんじゃい!」と私は青山墓地の1-イ街区あたりで叫んだような気がする。修行がなってない。すべては記憶力と集中力だと遠い日の夏に一人誓ったのに。

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1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターはずっとニヤついていた。われわれオーディエンスの前に姿を現したときから消えるまでずっとだ。ふだんあらゆることどもに寛容な私も、『I Remember Clifford』のときさえふやけた笑い顔をみせるロン・カーターには腹を立てた。腹を立てていたのは私だけではなかったはずだ。私の右斜め前に座っていた消しゴム料理人のナンシー関は巨体を激しく揺らせながら「チッチッチッ」と立て続けに舌打ちをして不快感をあらわにしていたほどである。もっとも、暖房の効きすぎた店内においてはナンシー関こそが他のオーディエンスの不快感と嫌悪の中心だったことはまちがいない。そのときのオーディエンスの不快感と嫌悪がもとでナンシー関は9年後に心臓麻痺を起こして死んだのだと思う。

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南米のギニア高地に鼻行類という不思議奇天烈な生き物がいる。新生代鮮新世ザンクリアン期の地層から多数の化石が見つかっていて、マンモスの直接の祖先ではないかとの説もある。

鼻行類は手足のたぐいがなく、巨大な鼻を器用に使ってテリトリーを歩きまわるのだが、歩いているあいだ中、鼻行類はあたりになんとも言いがたいぬるく弛緩しきった笑いをふりまく。明け方の青山通りのカナダ大使館の前あたりで一度だけ鼻行類の一行に遭遇したが、リーダーとおぼしきとりわけて鼻のおおきなやつを中心に正17角形を描きながらかれらはぬるい笑いを私に投げかけてきた。もちろん、私はきっぱりと鼻行類どもの笑いを拒絶した。

私の毅然とした態度に驚いたのか、かれらは鼻を揺すり、グーグーと不満そうな音を発しながら高橋是清翁記念公園の森の奥へと消えていった。そのグーグーという奇妙な音はケルン・コンサートのときのキース・ジャレットの唸り声によく似ていた。次に鼻行類と再会するのは2012年の秋、神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下になることを当時の私はまだ知らなかった。

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1993年の秋の盛りのブルーノート東京におけるロン・カーターのニヤついた笑顔は鼻行類そっくりだった。もっとも彼の鼻行類的笑いになんらかの思惑があったわけではない。単にロン・カーターは人がよく、温厚で、指が宇宙から来た生物学者のように長く、そして原始100万年のDNAの螺旋階段を駆け下りる不思議がもたらした「鼻がでかい」という単純きわまりない形質上の問題が横たわっているにすぎない。それでも私はロン・カーターの鼻行類的笑いがゆるせなかった。彼の鼻づまりを起こしたようなベースの音色よりもだ。そして、私はいっさいの温厚さに憎しみを抱くようになり、1994年の春には3人の女の子の父親になった。以来、きょうまで私は鼻行類的世界にがっちりとつかまれている。
 
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by enzo_morinari | 2012-11-25 23:00 | TOKYO STORIES | Trackback

彼女のパピエ・コレ#1

 
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「死ねば紙くず同然よ」

それが彼女の口癖だ。彼女は1960年代後半のフランス映画に出てきそうな美人だ。

「紙くずを拾い集めて汚れを取ったり、もっと汚したり、しわを伸ばしたり、もっとしわくちゃにしたり、丸めたり、破いたり、貼り合わせたり、焼いたり、濡らしたり、擦ったり、踏んづけたり、放り上げたり、色をつけたり。そうやって、わたしは紙くずたちに新しい命をあたえるの。それがわたしの仕事よ」

彼女のアトリエは殺人現場だ。彼女は有能な検死官であり、凄腕の捜査官であり、そして、冷徹な殺人者だ。

彼女はとてもじょうずに人を殺す。殺された相手は自分が殺されたことに気づかない。血一滴でない。うめかない。彼だか彼女の「魂」だか「精神」だかが肉体から抜け落ちるだけの話だ。手際がいい。

彼女によれば、生まれてから今日までに4242人の人間を殺してきたそうだ。殺したのは人間だけ。彼女は人間のほかには虫けら一匹殺さない。草木一本さえもだ。そんな彼女に、今日、僕は殺される。3度目だ。殺す理由を尋ねても教えてくれない。

「殺す理由くらいつまらないものはないからよ」

彼女は実にクールに言ってのける。クールすぎて部屋の温度が2度くらい下がる。窓に霜がつくことさえある。

「あなたももうすぐわたしの作品になるのね」

僕は死んで彼女のパピエ・コレになる。彼女の作品の一部。わくわくする。ときめく。うっとりする。もうすぐ、彼女の作品は完成する。本望だ。

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「マクドナルドとディズニーランドとスカイツリーで幸福が手に入れられるなら神さまだって苦労しない」

老練な理髪師のように手際よくカミソリを研ぎながら彼女が言った。

「だから、わたしは無駄な苦労をしなければいけないの。それとね、これだけはおぼえておいて。殺人にはね、ある種のエンジニアリングが必要なの。不器用な人や大雑把な人は殺人に手を染めるべきじゃない」

僕は彼女の部屋の壁に貼ってあるアインシュタインのポスターをちらっと見た。アインシュタインはおどけて舌を出している。舌に少し苔が生えている。アインシュタインは胃が悪かったのか?

「アインシュタインは本当はめったに笑わない人だったんだってね」
「そうよ。アスペルガーだもん。わたしと同じ」

境界水槽の幻の虚数魚 i が街外れに狩りにやってきた古代人のジョン・ドーン・バンクシーの肉片に食らいついている。大食漢である幻の虚数魚 i の餌を確保するのは僕の役回りだ。彼女の言いつけなので必ず守らなければならない。

ただの肉の塊になったジョン・ドーン・バンクシーは冷凍庫の中で日に日に小さくなっていく。もう落書きはできない。両手の指は最初に幻の虚数魚 i に与えてしまったからだ。めぼしい肉がなくなったら骨を細かく砕いて幻の虚数魚 i にやる。

骨を砕く作業は好きではない。ひどい音がするからだ。骨を砕くときのことを考えると胃が痛んだ。ジョン・ドーン・バンクシーがなくなったら、次に餌にするのは第4の無名氏、ソルシエ・トマテュルジュだ。

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by enzo_morinari | 2012-11-25 00:00 | TOKYO STORIES | Trackback

谷中びとの時間/ある若い友人との「再会」

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 五月。三社祭の頃だった。浅草寺観音堂裏の洋食屋、『グリル グランド』で昼飯を食べた。パン・コキーユがこの店の名物にして一番人気である。芸者遊びにうつつを抜かしていた時代、いまはなき「治乃家」の離れの座敷でよく出前した。当時、売り出し中だった胡徳やまいこや千晶や香名恵の芸者衆とともになつかしい。

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「パン・コキーユ」は食パン半斤の中身をくりぬき、できた空間に絶品のベシャメル・ソースにからまったマカロニや海老やその他もろもろの具をしこたま詰め込んである。そして、焼く。外はカリッカリのサックサクで、中はとろ~りである。ここにもまごうことなき「幸福」のカタチがある。パン・コキーユとともにプレーン・オムレツをケチャップ抜きでオーダーし、岩塩のみで喰う。なんと通な吾輩であることか。当然のごとくビールをグビる。さらにグビる。尿酸値上昇覚悟で毒喰らわばとグビる。痛みをともなった幸福はさらに加速する。幸福は痛みをともなっているくらいがちょうどよろしい。「ハッピー♪」と言うな。「ラッキー!」とも言うんじゃない。「ランチ♪」ではなく「昼めし」もしくは「昼餐」と言え。「カフェ」ではなく「喫茶室」のほうが品がある。「ドライケーキのウエストでございます。」だ。

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『グリル グランド』で「幸福」を痛いほど味わった吾輩は哲の馬の王、チネリ・スペシャル・コルサで谷中を目指す。半年ぶりだった。半年前に谷中を訪れたときは虹子と一緒だった。その日は単独行である。谷中    そこは時間が止まった街だ。広大な墓地とたくさんの寺で谷中の街はできあがっている。墓と仏に挟まれて申し訳なさそうにひっそりと人々の暮らしが営まれている。実際、谷中の住人の表情はどこか遠慮がちだ。タフでパワフルでエネルギッシュな浅草っ子と対局にあるのが谷中びとである。世捨てびとのようでもある。谷中の路地を行き当たりばったりに走り回っているうちに、いつしか、自分の中から「時間」の感覚が消え失せていることに気づく。それはとても奇妙な感覚だった。悪くない。吾輩はこの街の路地から路地へいつまでもいつまでも漂い流れてゆきたかった。吾輩はあのときたしかに「谷中びと」になっていたのだといまにして思う。

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 谷中の路地を完全制覇してから上野桜木町もついでにやっつけ、東京芸術大学に向かう。ある若い友人が奏楽堂で演奏するのをみるためだ。彼女は絶対音感の持ち主で、吾輩の知るかぎり、「音」に関しては圧倒的な天才であった。
 彼女の演目はリストの『ペトラルカのソネット 47番』、同じく『ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲~』だった。彼女のピアノ演奏を聴くのは二年ぶりだったが、天才は二年の歳月を経て普通の秀才へと変貌していた。技巧そのものは格段に進歩していたが、それだけのことにすぎなかった。ひらめきや情念といった要素がなくなり、クレゾールで消毒されたように衛生的で味気ない演奏だったのだ。
 演奏を終え、彼女が客席に顔を向けたとき、吾輩は思わず目をそむけてしまった。彼女の表情からは生気が消え失せ、眼のまわりには痛々しいほどに大きくて濃い隈ができていた。憔悴しきった老婆のような姿が舞台の真ん中に立ちつくし、焦点の定まらぬ眼差しをこちらに向けている。二年の間に彼女にいったいなにがあったのか。吾輩には知る由もないが、きっと「よくないこと」が彼女に起こったのだろう。ひとはだれもなにかしら問題をかかえて生きつづけているということだ。一瞬、彼女と眼が合い、吾輩はゆっくりと二度うなずいてから席を立った。奏楽堂を出て、芸大生の行き交うキャンパスの真ん中に呆けたように立ちつくした。そして、眼を閉じ、耳を澄ました。東京は春の盛りの陽を浴びてしんとしていた。胸の奥に幸福でもハッピーでもラッキーでもないかすかな痛みがあった。「元気で。ずっと元気で」と若い友人に向けてつぶやいた。彼女に届いていればいい。痛みのともなわないリムスキー=コルサコフ『シェヘラザード』第3楽章アダージェット「若い王子と若い王女」のようにおだやかな幸福がいつも彼女とともにあればいい。

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by enzo_morinari | 2012-11-24 04:00 | 東京の午睡 | Trackback

「フランツ株価有料化」の衝撃、宇宙に走る!

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 グレゴール・ザムザ氏がカブト町2丁目1番地先、カブカの海辺の蕪の家の株価下から追証惨殺体で見つかった事件を受け、フジョーリ政府はけさ、フランツ株価の全面有料化に踏み切る方針を示した。なお「グレゴール・ザムザ殺人事件特別捜査本部」はグレゴール・ザムザ氏殺害の重要参考人として、株の先物取引をめぐるトラブルからグレゴール・ザムザ氏にがぶり寄りをくらわせ、もってこれまた同氏に全治2週間のけがを負わせたうえ、同氏経営の株式会社ブンダンから多額の資金を持ち逃げした元サッカー選手、ハルキンボ・ムラカーミ(昨年、授業中にスパゲティ・バジリコを盗み食いした不祥事で渡瀬恒彦早稲田圃大学付属ノーベル小学校を除籍処分)について強盗、傷害、横領、詐欺、羊男の脳味噌をちゅるちゅるしたあげくに全身の皮膚を剝いでジンギスカンした蒙古罪、加納クレタと加納マルタ及び208と209の両姉妹との双生児姦通罪、不全感、ナイーヴなロースハム、中国行きの貨物船、街とその不確かな壁、午後の最後の芝生、蛍、その他の短編、納屋を焼いた連続放火の容疑で逮捕状をとるとともに、グレゴール・ザムザ氏殺害に関してもなんらかの事情を知っているものとみて、その行方を追っている。

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「フランツ株価有料化」の衝撃、M16星雲にも飛び火。ウルトラマンタローも実体解明に乗り出す。
 M16星雲の最大の仕手集団、NGO法人超人一家を率いるウルトラマンタロー氏は「フランツ株価有料化」の推移を見守り、時期をみて「3分間ルール」を遵守したうえで本格的な仕手戦に打って出る模様。この際、ABCマート安売下足予想の証明で名を馳せた兄弟船大学哲学の小径査読要員の望月新一氏を特別顧問としてサイエンティフィック・ネイチャリング・チャネリングし、「宇宙際タイヒミュラー理論(Inter-universal Teichmuller Theory)」を駆使した最新のデリバティブ、リスクヘッジ手法を投入するという。フジョーリ政府も超人一家の動きを注視し、警戒を強めている。
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 フランツ株価の全面有料化決定を受け、経済界に戸惑いの声。
 フジョーリ政府が11月16日午後、「フランツ株価の全面有料化」を閣議決定した旨発表したことを受け、経済談合連合屋(経談屋)は次のような談話を発表した。
「まことに強い驚きをもって受けとめている。経済の軸足が安定化の兆しをみせつつあるなか、政府がこのような措置をとるにいたった背景と経緯について可及的速やかに情報収集につとめ、慎重に分析のうえで経談屋としても今後の対応を決めたい」
 経談屋の米倉(最近、息の臭さが一段と増した上に息づかいも荒くなってきて老い先も長くなさそうでよかったよかった)弘昌居座り会長はこの事態を受け、さらに品性が劣化方向に下方修正されることを余儀なくされた。米倉会長の周辺では「枯れ葉剤被害者の怨念の影響が出始めているのでは」との声が強い。また、「ゴム屋の倅ごときが経談屋の会長とはおこがましい。とっとと長田に帰るべきだ」との声も聴かれる。

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 フランツ株価有料化の衝撃で、オヅラのヅラも吹っ飛ぶ!
 ドイツ・ドルトムントからの情報によれば、ブリトニー・インベスターズ(愛称ブリブリッちゃん)と浮き名を流したことで世間をあっと驚かせたオヅラトモアキさん(タレント? 万物評論家?)もフランツ株価有料化問題で損失をこうむったうちの一人だという。
 オヅラさんはウジテレビの会見室でブリブリッちゃんとの交際を認めたうえで次のように語った。
「あざーす! ブリブリッちゃんの件はプライヴェートな問題ですのでカンベンしてください。あー、それと今回のフランツ株価有料化で相場は大暴落。ボクも大損害ですよお。実家の食堂を処分して追証の資金を手当しなきゃなりまっせん! え? 特ダネですか? もちろんつづけますよ! 生命線ですから! では、これでしつれしゃーすっ!」
 そして、ものすごい勢いで一礼をしたときに「事件」は起こった。例のヅラがぶら下がりのマスコミ関係者のほうへ吹っ飛んでしまったのだ。オヅラさんの消息とともにヅラの消息もいまだ不明である。

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 続報! オヅラトモアキ氏失踪の裏で謎のズラ師軍団が暗躍!
 LFBS(LIE-FIELDS-BROADCASTING-SYSTEM)はヅラ問題に詳しい関係者から独占情報を入手した。関係者によるとオヅラ氏のヅラ吹っ飛び事件とその後の失踪はズラ師軍団なる不良外国人集団により巧妙に仕組まれた罠であるというのだ。ズラ師軍団の活動が活発化したのはミナミへの対抗意識をむき出しにするキタ新地のチャン・グンサマが敵対的大量株保有を宣言して以来といい、さらには、国際社会の非難を無視して戦略的株実験を強行したことをきっかけに、一部の株部強硬派がチャン・グンサマの指導力強化を狙ったものという。
「ズラ師はなんでもかんでもずらします。だれにも気づかれないうちにテレビの位置もずらします。国境線もずらしてしまうんです。ですから、ヅラをずらすくらいお茶の子さいさいなんです。オヅラさんが毎朝、”あざーす!”と叫んでいたのがチャン・グンサマの逆鱗に触れたのだというのがキタの政府高官からえた情報です。ほかにも何人か、ズラ師軍団の標的になっているかたがいます。日本音響研究所の鈴木松美所長、神田神保町正輝、加山(言っちゃうよ言っちゃうよ)雄三、田原俊彦、職場ファックでフグスマに飛ばされた経産省官僚の西山(環太平洋村)英彦、軍事評論家の江畑憔悴の各氏です。この方々は今後じゅうぶんな注意と警戒が必要です。え? 江畑さんはとっくに亡くなってる? ズラ師軍団の仕業です。まちがいありません」
 このように語った関係者の額には汗がにじみ、生え際からリーブ21のタグがはみ出していた。

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 フランツ株価有料化問題急展開! 現職総理のインサイダー取引き疑惑発覚
 フランツ株価有料化問題で大揺れに揺れたナガタ町に衝撃が走った。なんと、フランツ株価の有料化は木偶野田土左衛門首相が市場の株を安値で買い占めるための「手段」だったというのだ。官邸サイドはこれを真っ向から否定。しかし、与党幹部の中には木偶野田首相の進退も含め、党としての態度を早急に決めなければ難局を乗り切れないと指摘する声が多数上がったという。木偶野田内閣の今後の政権運営が注目される。

 フランツ株価有料化問題に関する機密文書流出。木偶野田土左衛門首相辞意も。
 フランツ株価有料化をめぐる問題で現職総理のインサイダー取引き疑惑につづいて、あらたな火種が飛びだした。「フランツ株価の当面の推移と予想される市場の反応」と題された文書の存在があきらかとなったのだ。この文書の詳細については不明だが、おおよその内容はフランツ株価が有料化された場合に市場がどのように反応するかが述べられており、さらに、株価の下落にともない、どれくらいの資金を調達すれば株式市場を独占できるかについてタイムテーブル付きで分析しているという。実際、株価についてはほぼ全面安の展開をみせており、ある証券市場関係者によれば、フランツ株価有料化によっていったいどこまで株価が下落するのか予想もつかないと落胆の色をかくせない。同関係者は「まるで中世暗黒時代に逆戻りしたような気分だ」とつけくわえた。いっぽう、フランツ株価有料化問題でインサイダー取引きが取りざたされた木偶野田土左衛門首相は11月20日未明、周囲に辞意を漏らした模様だ。事態はますます混迷の色を濃くしている。

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 山本リソダ、リソダ・ロソシュタットと「フランツ株価有料化問題」をめぐり乱闘!
 歌手で美容整形評論家の山本リソダさんが11月19日、ロサンゼルス空港の出発ロビーで歌手で失恋問題研究家のリソダ・ロソシュタットさんとつかみ合いの乱闘をしていたことが、現地在住の裏ねとらじDJウォッチャーからのチクリでわかった。二人はSGI(創造学会インターナショナル)ロサンゼルス支部婦人部長の座をめぐって以前からことあるごとに対立しており、それに加えて今回の「フランツ株価有料化問題」によって資金源を失ったかたちの二人が年甲斐もなく暴れはっちゃくしたものとロサンゼルス在住の裏ねとらじDJウォッチャー、チンコロヌス西村氏は語った。[ロイシャイダー電]

注:写真と本文は大いに関係があります。

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by enzo_morinari | 2012-11-20 02:00 | Poisson D'Avril | Trackback