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天国からカミナリ、天国にアローハ!

 
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IZはひとつ年下だった。IZは1997年6月26日午前0時18分に死んだ。38歳になったばかりだった。春の終りに天上界からやってきたIZは夏の初めに天上界へと帰っていった。

IZが死んだとき、まちがいなく世界は軽くなった。370kgぶん。そして、宇宙の涙の総量が2パーセント減った。吾輩はIZを悼んでチャンティングした。ポリネシアンたちが集まってきて最後は大合唱のようなチャンティングになった。

「そんなふざけた話があってたまるか」と思った。生きていなければならないやつが死に、死んでしまったほうが世界が2パーセントくらいよくなる吾輩のような者が生き残る。まったく世界はふざけた話ばかりで出来あがっているものだと思ったぜ。

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IZよ。おまえがいなくなって世界は確実に2パーセントくらいつまらなくなった。HAPAの『Pau 'Ole Ka 'I'ini』とテレサ・ブライトの『Hula Heaven』がなぐさめてくれた時期もあったけど、所詮、焼け石に水だ。長続きはしない。やっぱり、おまえがいないとな。そんなことは初めからわかりきってはいたんだ。F1にアイルトン・セナが欠かせなかったように、音楽、少なくともハワイアン・ミュージックにはIZが欠かせないんだ。少なくともこのおれの世界においてはな。

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IZよ。世界はますますつまらなくなっていくぜ。地上の楽園なんてとんでもない。そんなものはこの広い宇宙のどこにもありゃしない。地上の楽園があると言う奴やあると信じている奴は救いようのないバカか大うそつきかオニヒトデか野村沙知代か田嶋陽子だ。

地上の楽園なんかとっくに消滅しちまったんだ。地上の楽園があって、そこでは人間も動物も森の樹々たちも仲がよくて、毎日毎日、朝から晩まで笑い転げて暮らしていられたのは、おまえがまだ地上にいたころの話、昔々の大昔、神さまがまだヘソを曲げる前の話だ。

いまここは陰険で冷酷で姑息で臆病で狭量で鈍感で狡いやつばかりがおおきな顔をしてのさばる世界だ。息をするのさえ苦しいぜ。おれだけじゃない。大勢のやつが「息もできない」「居場所がない」って、落下傘も蝙蝠傘もなしでエンパイア・ステート・ビルヂングから飛降りてみずから死を選ぶ始末だ。中にはマリアナ海溝の一番深いところにスクーバ・タンクもレギュレーターもBCDもウェイトもフィンもマスクすらもなしで潜って、最期はスルメイカみたいにぺしゃんこになって死ぬやつもいる。

これもエンパイア・ステート・ビルヂングから落下傘なし蝙蝠傘なしで飛降りたやつらとおなじだよな? なんでこんなことになっちまったんだろうな。おまえはいい時期に逝ったのかもしれないぜ、IZ。

ん? カミナリが鳴ったな。聴いてたんだな、IZ。天国からカミナリとはな。いかにもおまえらしい。え? 「情けねえぞ、兄弟」って? そりゃね、歳も歳だしね。うんうん。そうか。いやなことばかりじゃないって? そうだ。そのとおりだ。

ついこのあいだの明け方、おれもそう思ったよ。いやなことばかりじゃない。いやなやつばかりじゃないってね。うんうん。オーケイ。アローハだよな。おまえの言うとおりだ。Akahai/やさしさと思いやり、Lokahi/調和と融合、Oluolu/よろこびをもって柔和に、Haahaa/ひたすら謙虚に、そして、最後にAhonui/忍耐と我慢だな。

オーケイ。わかった。もうすこしだけがんばってみることにするよ。お? またカミナリだ。うんうん。「そうだ。それがいい。もうすこしだけがんばるんだ、兄弟。アローハ!」ってか? わかったよ、IZ。天国に「アローハ!」のお返しだ。アローハ! 何度でもアローハ! どこにあるのかも、あるのかどうかさえわからない虹の彼方にも、このろくでもない素晴らしき世界にもアローハ! また夜が明けてきた。

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Israel "IZ" Kamakawiwoʻole


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by enzo_morinari | 2012-10-31 05:00 | 天国にアローハ! | Trackback

沈黙ノート#666

 

生まれ変わることはできない。
少しずつ変わることはできる。



 
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by enzo_morinari | 2012-10-30 17:30 | 沈黙ノート | Trackback

背中#1 後姿のしぐれてゆくか

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 もうじき一年が終わる。百代の過客の後姿もしぐれゆく。青二才だった頃のある年の瀬が思い出される。中学二年の秋に母親が死に、一人の生活が始まり、六度目の正月を迎えようとしていた。私は二十歳で、それが人の一生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせぬ日々を生きていた。貧しかった。いつも腹を空かしていた。そんな私にも容赦なく年の瀬はやってきた。
 大晦日の夜。生物学上の父親が訪ねてきた。ジョニ黒をひと瓶ぶら下げて。母親が死んだときに会って以来、六年ぶりだった。めっきり老けこんでいた。額のしわが驚くほど多く、深かった。頑強だった体の線はすっかり細くなっていた。生物学上の父親は私の前にジョニ黒の細長い瓶を置くなり、くぐもった声で言った。
「銭湯へいこう」
 私は黙ってうなずいた。洗面器と石鹸と大小のタオルの二組を支度した。銭湯への道すがら、私も生物学上の父親も無言だった。お互いに言いたいこと、聞きたいことは山ほどもあるのに。吐く息は白く、冬の夜空の星々が音もなくさんざめいていた。窓辺に映る市井の人々の暮らしの灯火が眩しかった。新しい年は数時間ほどにまで迫っていた。

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 銭湯はやけに騒々しかった。父と私。湯船に並んでつかってはいても、互いに口をきこうとしないばかりか、顔さえ合わせなかった。沈黙に耐えられなくなって、とうとう私は「背中流そうか?」と切り出した。生物学上の父親はやや間を置いたあと、ゆっくりとうなずいた。
 眼の前に父の背中がある。それまでに数えきれないほど見送り、憎しみやら怒りやらをぶつけ、眼をそむけ、焦がれた背中だ。細い。曲がっている。背骨がくっきりと浮き出ている。力一杯こすれば壊れてしまいそうな父の背中。涙と湯気とで視界はみるみる曇ってゆく。言葉にならない思いのたけを込め、無我夢中でこすった。気づくと、父の背中が小刻みに震えていた。父が泣いている。私はこのとき、初めて父と対話したのだと思う。新しい年がすぐそこまでやってきていた。
 父は父である前に一人の男だった。母も母である前に一人の女だった。そして、二人とも人間だった。そんなあたりまえのことに、そのとき初めて気づいた。私に背中を向けていたと思っていた父は、実は私と同じ方向を見ていたのだということにも。
 部屋にもどり、湯飲み茶碗でジョニ黒を一杯ずつ飲んだ。言葉もなく飲みおえ、父は大晦日の夜ふけの街を一人帰っていった。父の背中は冬の街明かりの中にしぐれゆき、やがて消えた。父もいまやなく、その背中を流すことも、撫でることも、見送ることすらもかなわないが、それでも、そうであってさえ、しぐれゆく父の背中はいまもある。


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by enzo_morinari | 2012-10-30 07:00 | 背中 | Trackback

蘭奢待の女

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 どうしても解せない女が一人だけいる。その女は伽羅と名乗った。薄桃色の名塩雁皮紙でできた名刺には楷樹明朝体で「古木静香」とあった。名刺には伽羅の香が薫き込められていた。名刺の裏には所属する句会の名がみえた。たいそう名の知れた句会だ。そこで何度も賞を取ったことが見てとれた。「伽羅」は雅号の類いだろう。
 伽羅は蘭奢待のひとかけらを持っていた。入手の経緯については最後まで口を閉ざしつづけた。最後までというのは伽羅はすでに死んでこの世にはいないからだ。伽羅を写した画像が2枚だけある。すべてを吾輩にさらしきったにもかかわらず、伽羅は写真を撮るとなると顔が映ることをかたくなに拒んだ。
 吸いつくような肌をした女だった。化粧は頬紅を薄くさしているだけなのに匂い立つように美しく映えていた。快楽快感への探究心がきわめて旺盛で、まだ三十前だというのに四十女のように熟れた乱れ方をした。それがこちらの気をさらにかき立てるので責めかたにも熱が入る。伽羅はこちらの責めかたしだいで実に色々のさまをみせた。嗚咽のような声を長く細くあげつづけるかと思えば、腹をすかせた獣のように獰猛でおそろしげな声を部屋中に響かせる。そして、いくらでも果て、いくらでも求めてきた。伽羅の中は造りも具合もすこぶる複雑にできていて、一種名状しがたい動きと吸いつき方をした。一度伽羅を抱けば、大方の男は伽羅の虜になることは容易に想像がついた。まあ、はやい話が「魔性の女」とでもいうことだ。
 伽羅とはある新月の集まりで会った。退屈きわまりのない集まりで、あくびをひとつふたつしたとき伽羅のほうから声をかけてきた。
「わたくしももうみっつあくびをかいてしまいました」と伽羅は涼やかでいながら、どこか深い淫蕩を感じさせる面差しをあえかな月あかりに照らして言った。吾輩は生唾を飲み込んだ。「よろしければごいっしょに悪さをいたしませんか?」
「悪事は大好物だ」と吾輩は答えた。

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 伽羅と初めて会ってから交わるまで一時間と経っていない。そして十五日間、吾輩と伽羅はひたすら交わりつづけた。旅館の女将とは馴染みだったのでなにひとつ問題はなかった。交わりつづけ、腹がへると店屋物をとって喰った。喰いながらも吾輩と伽羅は交わった。ずっとつながっていたいと思った。伽羅もおなじことを言った。
 三日目にいっしょに風呂に入った。ならんで鏡をのぞいたら、そこには亡者の顔がふたつならんでいた。ふたりして笑った。「鬼まではまだまだだ。もっとやりまくらなきゃな」と吾輩は伽羅のかたちのいい乳房をもみしだきながら言った。
「ええ、そうね。鬼になりませんとね。もっともっといたしましょうね。なんなら、死ぬくらいまで」
「おまえ、イクときは死ぬ死ぬって何遍も言ってるぜ」
「あら。そうでした?」
 そう言うと伽羅は乳白色の喉元をみせてとても品のいい笑い声をあげた。寝物語に吾輩は伽羅にたずねた。
「おまえさんが入っている句会の爺さんどもとは懇ろになっているのかね?」
「ええ。ほとんど。猩猩爺さまばかりであちらのほうは満足させていただけないんですけどもね。わたくしに狂っていく姿をみているのがたいそうおもしろくって。中には田畑家屋敷を処分してわたくしに貢いでくださるおばかさんもいらっしゃいます」
「ふん。みずから首をくくったような爺さんもいるんだろう?」
「ええ。なんでもお見通しですのね」
 なんとも恐ろしげな女だと吾輩は思った。

 吾輩と伽羅はけっきょく、十五日間おなじ旅館のおなじ部屋でひたすら交わった。昼間でもろくに陽の射さない部屋が夜には月あかりがよく入ってきた。月あかりに照らされる伽羅はこの世のものとは思えぬほどに妖しく美しかった。
「そろそろ、仕舞いにいたしませんこと?」
「そうだな。今夜は十五夜だしな」
「おなじことを考えておりましたよ。次はまた新月の夜にでも」
「いや、次はない。おまえとはこれでおしまいにする」
「あら。よろしいの?」
「まだ死にたくはないんでね。おまえはいっしょに死ぬ相手をさがしていたんだろ?」
「ええ。よく御存知で。では、これでしまいにいたしましょう。これ、おしるしに差し上げます」
 伽羅は懐から渋茶色の黒谷和紙に丁寧にくるまれたものをよこした。濃密な香りがあたりに立ちこめた。
「なんだ?」
「蘭奢待でございます。わたくしと思っておそばにおいてやってくださいませな」
「蘭奢待? なんでおまえのごとき魔性の者、物の怪が持っているんだ?」
「それだけは申し上げられません。堪忍してくださいませよ」
「どうにも解せない女だな、おまえは。この吾輩としたことがあやうく取り殺されるところだった」
「うひょひょひょひょ。まあ、あなたさまも似たようなものじゃございませんか。蛇の道は蛇でございますよ」
「たしかにな。ところで、ひとつだけたずねるが、おまえの御先祖は足利か? それとも   
 吾輩が言うと伽羅はそれまでみせたことのない禍々しい顔つきになった。鬼の貌だ。伽羅が神田和泉町の数寄焼屋の若旦那と無理心中したのはそれから三日後のことだった。伽羅がくれた蘭奢待は長い年月のうちにどこかにまぎれてしまったが、家の中にあることだけはわかる。いつも当時のままの妖しく甘く濃密な香りが家の中に立ちこめているからだ。伽羅。それにしても解せない女だ。


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by enzo_morinari | 2012-10-30 00:00 | 蘭奢待の女 | Trackback

R U Still Down Gun 4?/SUBMERSION OF JAPAN

 
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日本国を襲う四つの災害・災厄
民主党・鳩山政権発足時に廃止された「事務次官会議」は「全省庁連絡会議」と名を変えて復活した。官僚=木っ端役人のお得意常套手段である「看板の付け替え」が臆面もなく行われたのだった。閣議前日に行われる「全省庁連絡会議」で決定されたことが翌日の閣議で承認、最終決定する。

この国を動かしているのは内閣ではない。官僚である。木っ端ひとつさえも生み出すことのない木っ端役人どもが国家の中心に寝穢く居座り、甘い汁を貪り吸うという構図。国の最高法規である憲法第72条には内閣総理大臣は行政各部を指揮監督することが明記されているが、これはいまや死文も同然だ。

実質的に木っ端役人に「指揮監督」されているのはほかならぬ内閣総理大臣である。先の内閣改造における閣僚人事はすべて官僚の思惑どおりのものとなった。国権の最高機関たる国会において選ばれた者をも操る傲岸不遜。

「政治主導」などとはまったくのお笑いぐさである。日本国は「官僚主導」どころか「官僚支配」の国である。官僚どもの主たる眼目は自らの保身と利権の確保をいかに国の仕組みの中に持ち込むかだけにある。国家公務員法と地方公務員法を盾に木っ端役人どもはやり放題である。虫酸が走り、はらわたが煮えくりかえる。

さて、いま日本国は四つの災害によって存亡の危機にある。ひとつは先の東日本大震災。だが、これはいずれ時間の経過とともに乗り越えることができる。ふたつは現在進行形で発災中である福島原発事故。みっつは官僚災害である。

官僚は害虫である。シロアリどころではない。害獣、害悪そのものである。世界はこの害虫、害獣、害悪を駆除する方法も技術も思想も哲学も持たない。

官僚、木っ端役人は日本国の隅々にまで網を張りめぐらし、日々、時々刻々と血税と人的資源と国と国民の資産を貪り食っている。木っ端役人が真面目で地味で地道だなどとゆめゆめ思ってはならない。木っ端役人どもは虎視眈々と「利権」の確保を狙い、すでに確保済みのものについてはその蜜を音を立てて吸いつくしている。

税収の95パーセントが木っ端役人どもの「給与」に消え、それでも飽き足らずに、発行した国債の中から毎年20兆円超のカネが木っ端役人どもの天下り先の維持に使われているという現実。国民は生まれたばかりの赤ん坊からお迎え間近の爺さん婆さんまで一人残らず「国債」という名の借金を背負わされ、木っ端役人どもに貢がされている奴隷状態の現実に一体どれほどの者が気づいているか? 官僚/木っ端役人どもの「家畜」とされていることに。

国と国民はみるみるうちに痩せ細っていくが、当人はそのことにまったく気づかない。それほど木っ端役人どもの手口、やり口は巧妙狡猾なのだ。程度の差こそあれ、霞ケ関を頂点として日本全国津々浦々の県庁で市役所で町役場で村役場で木っ端役人どもによる甘い汁吸い、貪り喰いは日常茶飯事で行われている。例外はただのひとつもない。被災地でさえもだ。

「予算執行のための予算」とは一体全体どういう理屈なんだ? まさに木っ端役人どもの「焼け太り」の目論見そのものだ。おまけに予算はついたが現場にはその半分も下りてこないという呆れ果てた怠慢。性根の腐った輩らしいと言えばまさにその通りなのではあるが。

日々悪巧みに余念のない木っ端役人どもにそろそろ回復不能なほどのお仕置きをし、あとには枝も木っ端も残らず、ぺんぺん草ひとつさえも生えないような究極の鉄槌を下す時期が来ているのではないのか?

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そして最後は、これがもっとも厄介なのだが、団塊世代災害である。40年以上も前の「政治の季節」に「革命だ、反乱だ」「連帯を求めて孤立をおそれず」「止めてくれるなおっかさん。我々は世直しの渡世人である」「神田を日本のカルチェ・ラタンに!」等々の威勢のいいかけ声の元に参集した団塊世代の爺さん婆さんのあさましさと来た日には思わず目を背けたくなるほどだ。

団塊老人どもの口から出るのは二言目には「年金、年金」だ。心を入れ替えて「粘菌研究でもしたら?」と言いたくなるが、所詮、無駄だ。団塊老人どもこそが「官僚支配」「官僚ファシズム」を生み、容認し、維持した張本人であることを思えば、彼らがその自ら作り上げたシステム、仕組みを否定するのは自己否定、自己矛盾に陥ってしまう。

もっと現実的、つまりは目先の問題として、団塊老人の明日は、日々の生活、暮らしは官僚支配、官僚ファシズムが生み出し、もたらす「破綻した年金システム」に支えられているから彼らは根本的には「官僚NO!」とは決して言わないのだ。

彼らに責任を取らせなくていいのか? 40年以上前の「政治の季節」に国家に「NO!」を突きつけたのは若気の至りで、いまは子も孫もいる好々爺・好々婆であるからゆるしていいのか?

はっきり言ってしまおう。日本国をダメにしたのは団塊世代及びポスト団塊世代である。

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日本国はもう潰れる。霞ケ関の官僚どもはもう何年も前にそのことに気づいている。霞ケ関の木っ端役人が英知と人的資源を結集して作成した「日本国破滅のシナリオ(仮題)」はタイム・テーブル付きで日本国がどのように衰退し、ついに破滅・破局を迎えるかを政治・経済・財政等々の重要項目について個別具体的な事例と数値とともに述べている。

吾輩はその超極秘一級資料を読み終えたとき、「やはり」と思うと同時に、キッズどもを海外移住させることを決意した。当該資料についてはいずれボンクラヘッポコスカタン・メディアにPDFファイルにでもして送ってやろう。海外のメディアには翻訳しなければならないから多少時間がかかる。弟子どもは今、まさに寝食を忘れて翻訳作業に取りかかっている。なにしろ、A4サイズで2000ページにも及ぶ膨大な資料である。

この「日本国破滅のシナリオ(仮題)」を吾輩にもたらしたキャリア官僚は朋友でもあるのだが、この9月で退官した。国家公務員法違反を覚悟の上の「快挙」にはなんらかのかたちで報いなければならない。親しき仲にも礼儀ありだ。

裁判になればそれこそこちらの思う壷である。黙っていてもメディア、マスコミが飛びつく。海外メディアもだ。さらに日本国債の金利は上昇、日経株価は大暴落、破滅のシナリオはさらに加速するはずだ。ざまあない。これが国家と国民を食い物にし、我が物顔でお手盛り行政をやってきたことに対するツケ、決算書、スカして言うならばデウス・エクス・マーキナーということである。

年金頼みの団塊世代のおじいちゃんおばあちゃん、悪いけど往生際を考えてくださいね。あなたたちは官僚ファシズムのお先棒担ぎ、共謀共同正犯なんだから文句は言えないよ。「おれはなにもしていない」「あたしゃ共産党にいつも投票してたよ」と言っても通用しないよ。「責任は世代で負うもの」と相場は決まっているんだからね。

団塊世代のあとの「ポスト団塊世代」の老人の新米さんたちにもなんらかの天誅・天罰は下るだろうな。それも致し方あるまい。すべては「世代の連帯責任」だ。責任を取らない、無責任を決め込むというなら海外移住しか手はないよ、おじいちゃんおばあちゃんの新米さんたち。

「私有財産の没収」「金融資産の一時凍結」等々、木っ端役人どもは恥も外聞も義理も人情もへったくれもなくやってくるからな。全財産を風呂敷に包んでニュー・カレドニアにでも行くがよろしいよ。あそこは「天国に一番近い島」らしいからお迎えの手間と交通費を多少なりとも節約できる。おすすめです。ガーデニングも日向ぼっこも思う存分できるしするしね。ただし、「おひさま依存」「トロピカル・ジュース依存」にはくれぐれも注意してくださいね。「依存」はどこにでもついてまわるんだから。

「依存」という厄介者はマリアナ海溝の一番深いところだろうとでっかい帝国林檎の樹の根元だろうとイオン石岡店の文房具売り場だろうと40年ぶりのクラス会会場だろうと北欧家具と雑貨に埋めつくされたワールド・ヘルシンキ・アパートの甘い生活部屋だろうとアレクサンダー・ザ・グレイト・ドッグとダレイオスの犬のイッソスの荒野の決闘の場だろうと地獄の8丁目だろうと天国の階段だろうと天国の扉の前だろうと天使の厨房だろうとついてまわるものなんだよ。たのしいね。(はあと)

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石原慎太郎なり橋下の坊やが政権をとったとしても、事はそう簡単ではない。待っているのは「官僚ファシズム」との全面戦争か、巧妙狡猾、用意周到に準備された「懐柔策」で骨抜きにされるのがオチだ。はっきり言えば、顔面土左衛門操り人形となれ果てた野田佳彦のごときボンクラになるということである。それほど木っ端役人どもはしたたかに計算・計画を立てている。

どこのどいつが政権をとろうと対応するためのシナリオはすでにできている。木っ端役人どもにとってはすべて「想定内」なのだ。それでも、「対官僚ファシズム戦争」に打って出る蛮勇の持ち主が現れたとして、その兆候は「秘書官人事」にあらわれる。内閣総理大臣をはじめとする各閣僚にそれぞれつく秘書官どもこそは「官僚帝国」が送り込む精鋭部隊だからだ。その人事にいささかなりとも「官僚排除」の兆候をみることができるなら、その内閣は程度の差は別として「対官僚ファシズム戦争」について本気であると言ってよい。木っ端役人どもは常に政権に「宣戦布告」しつづけてきたのだから、そろそろ、その売られた喧嘩を買う「大バカもの(某財務官僚談)」が現れてもいいし、おもしろくはあるんだがね。

*「団塊世代及びポスト団塊世代の災害・災厄」については機会を改めてたっぷりじっくりとことん手加減なし容赦なしでやることにする。

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by enzo_morinari | 2012-10-29 03:30 | 沈黙ノート | Trackback

秋霜烈日#1 仇討ち/やられたらやりかえせ

 
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埼玉少女連続誘拐殺人犯・宮崎勤の死刑が執行されたのは判決確定から2年4ヶ月後のことであった。刑事訴訟法に照らすならば遅きに失すると言わなければならない。

やられたらやりかえせ ── やくざの世界にはそのような不文律がある。昨今の性根の腐った輩どもによる悪行非道を見聞きするにつけ、「やられたらやりかえせ」という単純明快さがやけに説得力をもってくる。

「仇討ち」は国家が殺人を容認したシステムである。武士が「仇討ち」を果たせなかった場合、厳罰をもってのぞむ藩さえあった。原則としては武士階級にのみ「仇討ち」は認められていたが、例外的に一般市民にもゆるされることがあった。古典落語にも『宿屋の仇討ち』『芝居風呂』『花見の仇討ち』『役者息子』など市井の民による仇討ちを題材にした噺がいくつかあるほどだ。

「仇討ち」というと「忠臣蔵」が典型のように思われているが、これは事実誤認である。いわゆる「忠臣蔵」として扱われている美談は被害妄想の愚か者による「いわれなき衝動殺人未遂事件」に端を発しているのであって、巷間伝わるような吉良によるいじめ、仕打ちは客観的事実としてなかったことがあきらかになっている。真に仇討ちを果たすべきは吉良一門なのだ。

吉良上野介は名君の誉れ高く、その行政手腕は抜きんでていた。吉良上野介は浅野内匠頭長矩という「バカ殿」の被害妄想の犠牲者であると言ってよい。天下太平楽気分の時代への警鐘として「忠臣蔵」を読みとるときにはじめて大石内蔵助と幕府の裏の丁々発止がみえてくる。だが、それはまた別の話である。

さて、言うまでもなく、「仇討ち」は現在ではゆるされていない。法治国家という制度に飼いならされているわれわれは自明のこととして「仇討ち」の禁忌を受け入れているが、ことはそれほど単純ではない。「仇討ち」がタブーとされたのはたかだか近代以降100年あまりのことにすぎないのだ。

制度としては禁じられても、文化、あるいは、われわれの感情、心性はこれをすみやかに受け入れてはいない。実際、仇討ち的な殺人はおなじ殺人でも刑事裁判ではおおむね情状酌量による減刑がなされる傾向がある。法定減刑と併せれば執行猶予付き判決がくだされるケースもある。

親子兄弟、夫婦の情愛からほとばしりでた無念の思いを晴らさんがためのやむにやまれぬ行為をだれも裁くことはできない。鬼畜のごときたわけ者に被害者の遺族が一矢を報いたとしてだれもそれを糾弾することはできない。これがわたしの第一の立場である。「復讐の連鎖の不毛」などという青臭いことを持ち出してもわたくしには通用しない。実現の道筋なき絵空事はおとといだかあさってだかの方角にある極楽とんぼ長屋で花見の相談でもしながら議論でも討論でもディベートでも好きなだけやるがよかろう。

すべてのことどもに大切なのは、暮らし、生活実感、生きざまに根ざしたリアリティである。聖人君子づらして「実現の道筋なき空虚な言辞」を弄したければピースボートにでも乗り込んで暢気な船旅をたのしみながら、「アフリカの飢えた子どものために文学はなにをなしうるか?」といった類いの極楽とんぼ議論を夜っぴてやるがいい。そのうち、福島瑞穂やら辻元清美やら田嶋陽子やらあたりが歯をむき出しにし、けたたましく首を突っ込んでくるにちがいあるまい。壮観である。

さて、わたくしの第二の立場は、第一の立場であってもなお「国家」「秩序」といった否応のない理念を食い破れない以上、その余は実現の道筋なき空虚な言辞にすぎなくなってしまうというものだ。

本来的には国家などないほうがいいに決まっている。しかし、否応なく国家はある。否応なくある国家があからさまになってくるのは秩序を乱したときだ。国家は犯罪を「秩序を乱すもの」としてこれを取り締まる。「暴力装置としての国家」が顔をあらわすときだ。

乱された秩序を回復するために法の名のもとに裁き、刑罰が執行される。弁証法的に言えば刑罰は「止揚」としてこれをとらえることができる。国家となし崩しに契約を結ばされたわれわれは国家による「止揚」に「怨」やら「憤」やらをすべて委ねなくてはならない。しかし、妻、夫、子供、親といった対幻想の領域を国家という共同幻想がなりかわることはできない。

被害者遺族の対幻想を国家が簒奪し、おまけに「被害者の人権侵害」をする構図。それに荷担する夜郎自大なメディア。「加害者の人権」という言葉をこのごろよく耳にするが、お笑いぐさである。

わたくしは罪刑法定主義者ではあるが、それは国家が網をかけている範囲でのことにすぎない。網を逃れる方法はいくらでもあり、いくらでも編み出される。それもまたひとつのリアリティだ。

「被害者の(もしくは被害者の遺族の)人権」についても言われることが多くなってきた。いずれも、お先棒担ぎの脳天気な夜郎自大メディアがあるいはジャッキをまき、あるいは蹂躙しているのだが、かれらの錦の御旗は唯一、「人権」というメルクマールである。「人権」といえばなんでもまかりとおるという短絡的かつ低次の志がかれらをして大手を振って「人権」を蹂躙させている。もちろん、脳天気メディアに巣くう輩どもはその「皮肉」に気づくはずもないし、気づこうともしない。「品格」とは無縁なかれらに露ほども期待してはならない。

さて、「仇討ち」はどのようにして果たすのか? 仇討ちの場はいくらでもあり、方法もいくらでもある。だが、それを具体的に記すことは法に抵触するのでここではしない。万感の思いをこめて知恵をしぼれば、かならずみつかるとだけ言っておくことにしよう。
 
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by enzo_morinari | 2012-10-27 23:30 | 秋霜烈日 | Trackback

『討論 三島由紀夫 VS 東大全共闘』を読む。

 
【檄】澄まし顔、したり顔で愚にもつかぬ能書き・御託を並べ立てる団塊老人どもに「1970年11月25日、あなたはどこでなにをしていたか?」と訊ねよ! 視えない自由を射抜く矢を射れ!

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1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室。三島由紀夫(平岡公威)、森田必勝ほか「楯の会」構成員による「東京事変」勃発。テラスから「檄」を飛ばす三島由紀夫をだらけきった姿で見上げる自衛官。飛び交う怒号と下衆な野次。

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私はこの日、一報を知るや、ランドセルを教室に放り投げ、市ヶ谷駅まで地下鉄を乗り継ぎ、そこから靖国通りをひた走りに走って市ヶ谷駐屯地前にたどり着いた。途中、赤信号を突破しようとした市ヶ谷本村町の交差点で都バスに轢かれそうになったがぎりぎりで回避し、「ばかやろう!」の定番捨て台詞をくれてやるというおまけつきである。もちろん、「現場」に立ち入ることはできず、外から「三島死ぬな、三島死ぬな」とつぶやきながら、現場の修羅を想像した。

「三島死ぬな」と思いつつも、死ぬことはわかっていた。三島が『豊饒の海』を書きはじめた時点でそんなことはわかりきっていた。わからぬほうがおかしい。だが、どうしても、なんとしても、三島由紀夫には死んでほしくなかった。生きて、私の思いを代弁するがごとき「物語」を書いてもらいたかった。

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さて、「東京事変」を遡ること1年半。1969年5月13日。文武両道軒・三島由紀夫は東京大学教養学部900番教室で東京大学全学共闘会議、いわゆる全共闘の若造青二才どもと対峙していた。五月祭の呼び物イヴェントに三島由紀夫がやってきたのだった。

「近代ゴリラ」と記された三島由紀夫のパロディ立て看板を指差し、苦笑する三島。会場入口前の立て看板をみる三島由紀夫の顔には、その日の対論が戦いにはならないことへのあきらめの表情が浮かんでいる。

「諸君がひと言、天皇と言ってくれたら、私は共闘する」と三島由紀夫は誘い水をかけたが、東大全共闘のポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもはへらへらと半笑いを浮かべるのが精一杯だった。

中でもとりわけて不愉快なやつが、学生結婚し、子供がいることをひけらかすべく赤ん坊を抱いて参加し、無礼無作法にも「おれ、つまんねえから帰るわ」とほざき、途中で戦線離脱した「学生C」、つまりは現在、うさん臭く鼻持ちならないことこのうえもない前衛劇団を主催してふんぞり返っているゴミアクタマサヒコである。このたぐいの輩の遺伝子が現在の2ちゃんねるあたりに象徴される「下衆外道臆病姑息小児病」を生んだと断言しておく。

東大全共闘の小僧っこ猿どもが近代ゴリラに必死で「楯突こう」とする姿は滑稽でさえあるが、勝負は近代ゴリラに軍配である。相手は醜の御楯として出立たんとする者だ。志なき小僧っこ猿どもの鈍ら刀など鼻から刃が立つはずもない。

三島由紀夫 VS 東大全共闘
エクリチュールの巨人 VS エゴイズムの群れ
覚悟性 VS 逃走性乃至は放棄性
近代ゴリラ VS 小猿集団
憎悪する母性 VS キャラメル・ママ


この討論集をこのようにとらえ、さらに勝ち/負けという単純な二項対立図式で読み解くのも一興で、あきらかに「志」のちがいがディベートの中身に出ている。

日本国語とも思えぬ未消化の言葉、「砂漠のような観念語」を吐き出す小僧っこ猿どもと、少なくとも「痛みとしての文化」を含めた、たおやめぶり/ますらおぶりの言葉の森を渉猟してきた者との戦いは戦闘がはじまる前から勝敗はわかりきっている。というよりも、そもそも小僧っこ猿どもは土俵にのぼることすらできていないのだ。

たとえそれが「時代錯誤」「勘ちがい」「情死」と下衆外道どもに評されたとしても、三島由紀夫の「行動」はふやけた日本社会に衝撃を与えた。高橋和己をして、「しおからを覆して哭く」と言わしめた「市ヶ谷の自裁」は40年以上を経過したいまも、たとえ市ヶ谷駐屯地が現代建築の粋を凝らした防衛省に変貌を遂げたとしても、その衝撃の意味を失わないし、色あせない。そのことに気づかぬポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもは深く反省せねばなるまい。(と、煽っておく。)

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さて、三島由紀夫は四部作『豊饒の海』を書き終えてのち、楯の会会員とともに市ヶ谷に向かったわけだが、私は直前に靖国神社に詣でる彼らと拝殿へとつづく石畳ですれちがっている。

こども心にも圧倒的ななにごとかを嗅ぎとり、特に三島由紀夫本人から蒼白い炎のようなものがゆらゆらと噴き出していたのをおぼえている。そのことを同行の母親に言ってもまともに相手にはされなかった。あのとき、三島から噴き出ていた「蒼白い炎のようなもの」の意味をこそいつの日か解読したいものだ。

ところで、夏の日盛りを浴びてしんとしていた「豊饒の庭」はいま、どのような時間、どのような記憶をたたえているのだろう。縁があれば飯沼勲君あたりに案内してもらいたいと思う。


飯沼勲よ、君はいま、どの滝で水垢離をしているのだ?

【再檄】澄まし顔、したり顔で愚にもつかぬ能書き・御託を並べ立てる団塊老人どもに「1970年11月25日、あなたはどこでなにをしていたか?」と訊ねよ! 視えない自由を射抜く矢を射れ!


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by enzo_morinari | 2012-10-27 18:00 | 沈黙ノート | Trackback

紐育と昏睡#1

 
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 真冬の本牧PXの映画館、グリニッジ・ヴィレッジの青春、ワシントン広場の夜はふけて。
 ニューヨークのマンハッタン島にグリニッジ・ヴィレッジと呼ばれる一画がある。ソーホーやトライベッカとともに人気のスポットだ。いまはなきWTCとおなじマンハッタン島のダウンタウンに位置する。グリニッジ・ヴィレッジは作家や芸術家などの漂泊者、寄辺なき人々が好んで住んだ街だった。エドガー・アラン・ポーやマーク・トウェイン、フランシス・スコット・フィッツジェラルド、ユージーン・オニールなどだ。あまたのビートニクたちが闊歩した街でもある。彼らがグリニッジ・ヴィレッジを住処に選んだのは家賃が安いからだった。
 夜ふけのワシントン・スクウェアで『ワシントン広場の夜はふけて』を聴くこと。それがグリニッジ・ヴィレッジ行きの目的のひとつだった。14th ストリートの外れにある閉店セール中のポーン・ショップで15ドルで買ったSONYのオンボロのラジカセでヴィレッジ・ストンパーズの『ワシントン広場の夜はふけて』を聴いた。夜の10時を過ぎていて危険きわまりなかったが目的は達せられた。

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「ヴィレッジ」と親しみを込めて呼ばれるこの街を舞台にした映画がある。ポール・マザースキー監督の自伝的作品、『グリニッジ・ヴィレッジの青春』だ。1953年のグリニッジ・ヴィレッジを舞台にした「彷徨える青春」を哀感ゆたかに描いた宝石のような映画だった。『グリニッジ・ヴィレッジの青春』は真冬の本牧、PXのだだっ広い映画館でみた。ポップコーンおばさんにたっぷりとかけてもらったポップコーンの溶かしバターがダッフル・コートの袖口を汚すことさえ忘れて映画に夢中になった。2階席ではヨーハイ(Yokohama International School)のハイティーンたちがネッキングやらペッティングやらに夢中だった。いずれも、二度と取り戻すことのできない遠い日の思い出である。

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 役者志望の主人公レニーが真冬の駅のプラットホームにたたずみ、真っ白な息を吐き出しながら台詞の稽古をするシーンは30年以上の歳月を経ても忘れえぬ。ポール・デスモンドのシルクのようなアルト・サックスも秀逸だった。主人公がマーロン・ブランドの物真似やオスカー授賞を再現するシーンも素晴らしかった。鼻持ちならない詩人役でクリストファー・ウォーケンも出てたっけ。もちろん、わたくしがグリニッジ・ヴィレッジを訪れたときには、『グリニッジ・ヴィレッジの青春』で描かれていた街の面影は再開発によってほとんど失われていたが、それでも、かつて数多くの寄辺なき人々、漂泊者たちを惹きつけた「街の匂い」は残っていた。たとえば、裏通りの煉瓦の壁やカフェのテーブルの痕に。アーネスト・ヘミングウェイは『移動祝祭日』の中で、「青春時代の一時期パリに暮らした者には一生涯パリがついてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」と書いていたが、グリニッジ・ヴィレッジもまたそのような忘れがたい街だ。

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 わたくしがグリニッジ・ヴィレッジで過ごしたのは秋の初めから冬の終りにかけてのわずかな時間にすぎないが、それでもなお、雨上がりのワシントン・スクウェアの匂いや日曜日のヴィレッジ・マーケットのざわめきはいまもなつかしくあざやかに刻まれている。そして、本牧はすさまじい開発の波に飲み込まれ、わたくしの思い出にかかわるほとんどが失われた。思い出にすがって生きつづけることはできないが、それでも、リキシャ・ルームやゴールデンカップやイタリアン・ガーデンに行けばなにがしかの慰めはある。腹が減ったらシーメンズ・クラブかオリヂナル・ジョーズか山田ホームレストランで飯を喰えばいい。時間は残酷だが、ときとしてひとを慰め、癒さないこともない。

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by enzo_morinari | 2012-10-24 04:30 | 紐育と昏睡 | Trackback

巴里で午睡#6 昼下がりのワラビー・モーリな件。

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 ワラビー・モーリが吾輩の前にそのあまりにもなトラッド、ラルフ・ローレンぶりで往年の名MF、アソシエーション・フットボールの上手な愚か者ポール・ガッザ・ガスコインがオーナー・シェフとして厨房に立つ安食堂『ガスコーニュ&コリン・スゲット・サンダーランド・マッケム・ニューカッスル・ユナイテッド』に姿を現したのは日曜の昼下がりのことだった。ワラビー・モーリはクラークスの焦茶のワラビー・ブーツを履いていた。そこまではよかった。初対面のときから『石と氷晶としてのマグリット世界』講義をロハで吾輩がやってやったまではよかったが時間の経過とともにまったくいただけない点が次々と露呈した。
 まず、ブレザー・コート。ラルフ・ローレンのエンブレムがこれみよがしに胸のパッチ・ポケットについている。それは厳密な紋章学的解釈からすればまったくのスットコドッコイ、物静かに退場コース、「そりゃなかろうよ」100連発、大審問官の人定質問以前の問題であった。しかも、着ているブレザー・コートは綿製で(この季節に?!)、力石透が矢吹丈の「明日のためにその42:バレなきゃ肘打ち」をもろにくらったときのごとくにヨレている。それだけではない。袖口の金ボタンの数が4個。そこは3個だろうが! 1個むしりとってやったのはいうまでもない。燕脂色と海軍青色のレジメンタル・タイもコーディネートとしてはまったくいただけないし、第一、そのようなレジメンタル柄は大英帝国服飾コード規則集B地区9696のどこをさがしてもない。つまりはインチキ。つまりはまがいもの。つまりはパチモン。

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 最悪なのはワラビー・モーリがクラークスのワラビー・ブーツについて鼻高々なことであった。「あのね。吾輩はもう靴はテストーニかジョン・ロブの誂えしか履かない地点まできちゃってるんだよね。その意味わかる?」と言ってやりたかったが、モーリの右手首(左手首じゃなくて?)にどんよりと巻かれた中国製のクオーツ腕時計を見たとたんになにを言っても無駄、徒労に終わると思った吾輩はセーヌ左岸めがけてかっとんでいくV42エルスケン・バイクに飛び乗ってワラビー・モーリの前から消えた。その後、ワラビー・モーリがどうなったかについては吾輩の知ったことではない。ラ・プリュ・ベラベニュ・デュ・モンド・ラヴェニュ・デ・シャンゼリゼ川にこのごろよく出没する北極イトウの化け物クラスに喰われたとしたらちょっとかわいそうな気もするが、やはりそれも吾輩の知ったことではない。
 ワラビー・モーリよ。企画書の件、きっちりやれよ。企画書の具合によってはエトランジェーなトキオ物件にかかわる運用をすべてきみに任せてもいいと考えているんだからな。わかるな? 吾輩のハードルはきわめてスコブル高いが越えられないこともない。企画書の立案に苦闘苦悩七転八倒するワラビー・モーリの姿を思い浮かべながらウヒヒムヒョヒョするのは当然のこととして、貴君にヨハン・アウグスト・ストリンドベリィ先生の次の言葉を贈ることとする。心して読み、肝に銘ぜよ。貴君の立ち位置はいついかなるとき/いかなる境遇であろうと、高座で眠りこけることでもなく芝浜で皮財布を拾って拾得物横領罪を犯すことでもなく炎の中心に立つことだ。それはさておき、解放的なエッセー童話を書くのはとてもむずかしい。へたをするといのちを落とすことにもなりかねない。まあ、いつ死んでもよしとする覚悟はすでにしてできてはいるが。

 苦しみつつなおも働け。安住を求めるな。この世は巡礼である。

付記:このストリントベリィ先生の言葉は若き日の海音寺潮五郎先生を絶望の淵からすくい上げ、困難と困憊の日々を乗り越えるための支えとなった。のちにそのことを知った山口瞳はやはりこの言葉を心に深く強く鋭く刻みつけて広告文案家から作家へと転身するための文学修行に打ち込んだ。大原麗子もイチコロのはずだ。


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by enzo_morinari | 2012-10-22 03:00 | 巴里で午睡 | Trackback

巴里の空の下、人生は流れる。#1

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 世界の天井に降る雨。雨の朝に死んだのはだれだ? 大勢いる。大勢いるうちの一人がヴァニタス・スカルラッティだ。死のにおうかなしみを静かにたたえた優雅と優美。チャコール・グレーのカシミアの膝掛けのように憂鬱で静寂に満たされたやさしさ。ヴァニタス・スカルラッティの夢を語り継ぐ者はいまやいない。

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 雨の朝、巴里に死す。この冬はどんな夢をみるとしようかな。ろくでもない夢でも悪い夢でもこわい夢でも巴里でみる夢ならいい。千年に一人の大食わせ者事務次官に操られる木偶の坊操り人形である顔面土左衛門が国のトップにいるような国のどこでみる夢よりもいい夢だ。悪夢機械のアブラカダブラだらけのオイル・ヒーターのほうがまだましだ。
 それにしても冷たい雨だった。容赦なく冷たかった。ポルコロッソは寝床から出てこようとすらしない。熱く濃くいれたカフェ・オ・レを2杯。ゆうべ訪ねてきたマダム・プレヌリュンヌが土産に持参してくれたデメルのビター・チョコレートをかじり、彼女の残り香をさぐった。マダム・プレヌリュンヌの残り香はひとかけらもない。ポンピドー・センターにのぼって雨の巴里の街をみた。雨脚は強くなるいっぽうだった。心とからだが芯から冷えた。

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 雨あがりの巴里は疲れた心に少しだけやさしい。そのことを知るのはこの世界で吾輩とジュリエット・グレコだけだ。ジュリエット・グレコ。帝王マイルス・デイヴィスが生涯でただ一人だけ本当に愛した女。
「あたしがどうあがいてもエディット・ピアフにはかなわないのよ。おなじ巴里の空の下で呼吸してるのにね」
 そう言って肩をすくめる彼女の肩越しに雨あがりのエッフェル塔がみえた。

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 ジュリエット・グレコを『ル・ドーム』の前まで送り届けたあと、マダム・ラ・ツール・エッフェルの足元に潜りこんだ。脛を蹴飛ばしたり、腿に2Bのファーバー・カステルを突き立てたり、足の甲を踏んづけたり、膝カックンしたり、股ぐら目がけて火炎放射器をぶっぱなしたりした。なにをしてもマダム・ラ・ツール・エッフェルは表情をかえない。眉ひとつ動かさない。毅然とし、凛とし、堂々としている。気品さえ漂わせている。さすが鉄の貴婦人と呼ばれるだけのことはある。その強靭な意志でピエール・ド・ボローニャ伯爵の横恋慕をはねつけたのは伊達ではなかったということだろう。鉄の貴婦人マダム・ラ・ツール・エッフェルはきょうもモンマルトルやモンパルナスやカルティエ・ラタンやアヴェニュー・デ・シャン=ゼリゼやオペラ座や人生や恋や涙を見守りつづける。マダム・ラ・ツール・エッフェルは本当にいい女だ。

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 寝ぐらのあるカンボン通りを北に行くとカプシーヌ通りにぶつかる。右折。しばらく歩いているうちにいいワインバーとカフェをみつけた。どちらもまだ真新しく初々しい。清潔感の極み。一発で気に入った。二軒とも朝からやっている。朝酒と軽い食事。吾輩のような気まぐれ自由気ままな者にはとてもありがたい。カフェのほうはテイクアウトもできる軽食喫茶というところだな。イタリア人がやっている。初め、「ムッシュ・ボンジョルノ」と声をかけたら無視された。次に「フォルツァ・フェラーリ!」と叫んだら白髪まじりの店主が仕事の手を止めてにっこり微笑んだ。

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 東京は酔いどれずにはいられない街だったが、巴里は酔いどれるというような無頼、破滅、荒廃は金輪際似合わない。「無頼や破滅や荒廃はこどものやることよ。シャルル・ボードレールもドリアン・グレイもエルンスト・テーオドール・ アマデウス・ホフマンもとっくの昔に死んじゃったのよ。この街には『悪魔の美酒』は一滴も残っていないのよ」とたしなめられる。カプシーヌ通りでみつけたワインバーは清潔で明るい。酔いどれ・酔っぱらい・酒ぐれはいっさい似合わない。2杯。多くとも3杯。そのときどきの気分で赤にするか白にするか。銘柄もお好み次第。ピンからキリまで。酒飲み修行の場がまたひとつ増えた。


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by enzo_morinari | 2012-10-21 18:00 | 巴里の空の下、人生は流れる。 | Trackback