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東京の午睡#2 転がる石のように

 
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いまさらながらではあるが、ボブ・ディランはいい。ついきのうのことだが、ディランのアメリカの田舎町におけるライヴ音源、『The Rolling Thunder Revue』をじっくりと聴いてみて、その志やよしとせざるをえなかった。手垢にまみれた言い方だが、ボブ・ディランはすごい男だ。この男のガッツ、この男の反骨、この男の哀しみは腹にくる。本物だ。『風に吹かれて』、『激しい雨』、『Knockin' On Heaven's Door』、『ミスター・タンバリンマン』、そして、『転がる石のように』。いずれの楽曲も自分自身をかき立てたいとき、魂に弾丸をこめたいときに聴いてきた。そのときどきで聴こえ方がちがった。静かに目立たぬように闘志を燃え上がらせたいときはまるでグスタフ・マーラの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」のようにも聴こえるし、あからさまな、これみよがしの「蛮勇」をたかめたいときにはワグナーの『ワルキューレの騎行』とも聴こえた。

ボブ・ディランはかつて「新しさ」ばかりを盲目的・無自覚に追いつづける人びとに警鐘を鳴らした。

「現代文化をすべて忘れ去って、キーツの詩やメルヴィルの『白鯨』を読み、音楽はウディ・ガスリー、ロバート・ジョンソンを聴くべきだ。現代人はいまだに19世紀すら消化できていないのだ」

この警鐘はもちろんいまも有効である。ディランの鳴らす鐘の音が聴こえない者はよく耳の穴をかっぽじるがよかろう。

ボブ・ディランにかかわることで印象深いのは、ボブ・ゲルドフが提唱した「バンド・エイド・ムーヴメント」に触発され、自分たちも負けてはいられないとばかりに厚顔無恥にもそっくりそのままパクり、「アフリカの貧しい人びとを救おう」という大仰・御大層な旗印のもと、豪華ご立派な顔ぶれをこれでもかというくらいに呼び集めて行われた「We Are The World」の収録現場におけるボブ・ディランの表情だ。アメリカ合衆国の五木ひろしこと、コモドアーズのライオネル・リッチーやショタ公マイケル・ジャクソンや自己啓発セミナーの伝道師ことブルース・スプリングスティーンや三流三下おちゃこちゃ小娘シーラ・Eらが上っ調子に「薄っぺらな善意」をふりまく中、ディランだけはその場のすべてに対して戸惑い、異和を感じ、首を傾げ、距離を保っているようにわたくしには見えた。

あのときのステージで、はにかみ、いやがるディランを無理矢理、正面中央にひっぱりだした大うつけ者、たわけ者どもは、いまごろ、ふかふかのベッドで惰眠を貪り、脂肪たっぷりのファックな豪華ディナーに舌鼓を打ちながら、「今夜のお相手」の耳元に歯の浮くような戯言を囁いているんだろう。ことほどさように世界はうそっぱちと愚鈍と放蕩とに満ちあふれている。考えただけで虫酸が走る。疲れる。

ボブ・ディランの戸惑い、異和は「We Are The World」「われわれは世界そのものだ」をカルト宗教のイヴェント、馬鹿騒ぎ、お祭り騒ぎにすぎないと苦々しく思っていたわたくし自身の戸惑いでもあった。そういえば、当時、さんざっぱら「We Are The World」はすごい、すばらしいを連呼し、アフリカの飢えた子供たちのためにできることをなにかしようと吹聴しまくっていた軽佻浮薄なやつが、数年後、後輩の女房を寝取り、その後輩を自殺にまで追い込むという出来事があった。「もって瞑すべし」である。その軽佻浮薄男はいま、ベテラン消防士として汲々としてつつましやかに暮らしていると風の便りに聞いた。いつか「We Are The World」のDVDでも贈ってやろうと思う。

それまでにボブ・ディランはいやというほど聴いてきたし、感銘もし、好きな表現者の上位にいたが、「We Are The World」のときのボブ・ディランの「表情」を見たときにはじめて、わたくしは「この男は本物だ」と確信した。転がる石のように生きたい。いや、ありたい。いつも、つねに、ココではないドコカへ、コチラではないアチラへ、イマではないイツカへ、転がりつづけたい。転がりついた先が草木一本、土塊ひとつない荒野のただ中だったとしても、2000tの激しい雨となにがしかの答えを孕んだ風を待てばいい。もしかしたら、そこが天国のドアのすぐ近くでないともかぎらない。


かくして、本日も東京は転がる石のように天下太平楽である。

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by enzo_morinari | 2012-01-02 07:15 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#1 序・前口上

 
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東京の午睡」と書いて「とうきょうのひるね」と読む。『東京の午睡』は東京に生きるわたくしの寝言やら独り言やら繰り言やら小言やら諫言やら暴言やら失言やら遺言やらを、できうれば「東京事(とうきょうごと)」乃至は「東京事態(とうきょうじたい)」を踏まえつつ、ほぼ自動書記で、ということはつまり、思うまま考えるまま感じるまま見たまま聴いたまま推敲やら加筆やら訂正やらなしに書き殴り、書き飛ばし、書き放ち、書き捨てといったかたちで記述される。風狂明快なることこのうえもない戯れ言遊びとなるはずである。

わたくしは東京の空気などいっさい読まぬし、わたくしの知ったことではないが、『東京の午睡』はグレート&ファックに汚れた東京の空気を思うぞんぶん吸いこんだうえの、ある種の「東京の現在」ともなろう。それはすなわち、「のっぴきならないわたくしの現在」をもあらわすものであって、永井荷風『シ墨東綺譚』を母とし、作者不詳『江戸午睡』を父とする。けっして、孤児ではない。

サブカルなど糞喰らえの立場はかわらぬし、堅持するが、否が応でもサブカル臭は漏れ出すに相違ない。サブカルチャーはもちろん、カウンターカルチャーさえ飲み込んで、ついには「トキオクールチュール」のとば口あたりまでたどり着けるならば望外の収穫である。さらには、これは些末なこだわりの類いであるけれども、東京「に」生きるほかに、東京「を」生きる、東京「で」生きる、東京「は」生きる、東京「の」生きる等々をも試みていく予定である。

いずれにしても、わたくしにとっては、「生きること」はすなわち「東京すること」でもあるから、当然に処世訓、人生論、人間学に加えて、政治論、経済論風なフレバも醸すことが予想される。その場合、「なんでもわかっているお見通し」な御仁は、さっさと、しかも、物静かに退場するがよかろう。以後は、『東京の午睡』が本欄の中心となっていく。(「ある事情」によって、今後、「小説」のスタイルをとっている類いのテクストを本欄で発表することができなくなってしまったことを、言い訳がましく付記しておく。いずれ、未完のテクストどもは、「別のかたち」で諸兄の目汚しの栄に浴すこともあろうが、それはそれで、ある種の風狂、御愛嬌である。もって、瞑すべし。)

『東京の午睡』は範を元禄の頃に世に出た『江戸午睡(えどごすい)』にとっている。作者不詳のこの戯作本は「匿名」の体裁をあえてとって、自由闊達、放埒自在に「江戸」の森羅万象を俎上に載せ、解体しまくり、調理調味しまくり、刺身にし、煮付けにし、唐揚げにし、炒め物にしといった具合に江戸を骨の髄まで味わい、しゃぶりつくしている。まさにアノニマス・ガーデンで時さえ忘れて無心に一心不乱に遊ぶ真の自由人、幼子のこころを『江戸午睡』の中にわたくしは読み取った。『江戸午睡』は当時、空前絶後のベストセラーとなり、ブーム後は長屋という長屋の路地、入口、ゴミ捨て場に、文字通り山のように積まれていたとモノの本にある。わが『東京の午睡』もまた、かくありたいものである。

なお、西沢一鳳の『皇都午睡(みやこのひるね)』は寡聞にして存在すら知らず、もちろん、読んだこともなく、このたび『東京の午睡』をはじめるにあたって、基礎資料の収集のために吉里吉里国国会図書館、東京帝國主義大學歴史文庫、早稲田圃大学演劇博物館ほかで江戸期の戯作本、黄表紙の類いを片っ端から読み飛ばしているうちに偶然発見した。発見したときは嬉しいやら悔しいやら、不思議な心持ちであった。西沢一鳳翁の慧眼に敬意を表しつつ、ゆっくりのんびりたっぷり天下太平楽に午睡のごとく朦朧茫漠茫洋としてすすめる次第である。


かくして、本日も東京は天下太平楽である。

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by enzo_morinari | 2012-01-01 00:00 | 東京の午睡 | Trackback