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オメガ・ポイントに向かってまっしぐら#2

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 宇宙の渚はとても静かだった。私とジャーマン・シェパードは宇宙の渚を歩きながら、「真実以外のなにものも語らなくなってしまった男の不幸の重量」と「人間が有史以来歩いてきた道の数」について話し合い、ビッグバン・ビッグクランチ・ビッグスクラッチ8億丁目のはずれ、ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド・オブ・ドリームス137億地区を目指した。路傍の石の集団がそこかしこで重力の虹の叩き売りをはじめた。遺伝子の虹を反重力反物質低反発枕につけあわせる輩まで現れたときにはいくぶんかげんなりだった。まあ、いい。こういう不心得者がのさばっていられるのも全日本カエルだけれども人間の手協会理事長のスラッガー・ピンチョンが船の舵を取る者に対する損害賠償請求訴訟を提起する来週の金曜日までだ。
「『断層図鑑殺人事件』とやらを解決したいのかね?」とジャーマン・シェパードが突然言った。驚いてジャーマン・シェパードを見た。にやついている。「もちろんさ」と答えた。
「解決のめどは?」
「解決のめどもなにも、とっくに時効が成立した事件だよ。42年も前に」
「私を誰だと思ってるんだ? 太陽系第3惑星一のタイム・ダイバーだぜ。時効の壁くらい簡単に突破する」
 私は黙ってうなずいた。「断層図鑑殺人事件が解決しないかぎり、あんたはいい記憶士にはなれないし、あんたがいい記憶士にならないかぎり、世界の終焉がすぐにやってきちまう。それは私にとっても都合が悪い。まったくよろしくない」

『風に吹かれて』をC言語で歌っているとき、突如、強い太陽風が吹きつけてきた。ニュートリノがからだを通り抜けるたびにジャーマン・シェパードは奇妙で悲しげなうめき声をあげる。太陽風がおさまるとタキオン・スコールがものすごい勢いで降りはじめた。タキオン・スコールの猛烈な雨粒で横浜伊勢佐木町オデオンが崩壊する音が世界中に響きわたったにもかかわらず、白とピンクのマシュマロでできた宇宙の渚時計台を守る黙狂士は存在の永久運動実験に余念がない。

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 さんざっぱら世界中をドンゴロされた宇宙がなにごともなかったように晴れ上がり、私とジャーマン・シェパードはあまりの呆気なさにしょんぼりした。私は42エクサ・パーセク先に聴こえるていどのごく小さな溜息をつき、ジャーマン・シェパードは42恒河沙阿僧祇那由他ccの涙を流した。そして、『ディラックの海』の赤色矮星3個分くらいくそ重い扉を押した。

『ディラックの海』のレセプションの壁にはウラン・クラブの会員証書が額に入れて飾ってある。それに並んでマックス・プランク物理学研究所からの感謝状もあった。一番目をひくのは上半身裸で腰蓑をつけたアインシュタインとシュレディンガーとハイゼンベルクの3人が満面に等差級数的極微小を浮かべてフラダンスに興じている写真で、思わず持って帰りたくなるほど魅力的だった。その写真の額縁には「踊る物理学者」と記されたチェレンコフ・ブルーのプレートが貼られていた。天井はハッブル宇宙望遠鏡がとらえた超深宇宙の高解像度画像で埋めつくされている。渦巻き銀河や楕円銀河やスターバースト銀河やリング銀河やレンズ状銀河に混じって、いくつもの奇妙な形をした銀河が映っている。
 湯川秀樹を因数分解したようなディレクトールと朝永振一郎を剰余代数で量子化したようなメートル・ド・テル、そして、フィネガンズ・ウェイクの妻、マダム・キュウリがわれわれを迎えた。「ようこそ、ムッシュ・エンゾ」とマダム・キュウリがラジウム臭い息をふりまきながら言った。当然、私は無視した。無視しただけではなく、マダム・キュウリの顔面チャネルをラジオ・アクティビティにチューンしてやった。チューンするやいなやデタラメ・ハルキンボ&テプコ・アトミック・ワンダーランドの愉快な仲間たちの歌う『虱の歌を聴け』が大音量で流れた。私は慌ててマダム・キュウリの右の頬をひっぱたいた。同時に『虱の歌を聴け』は終わった。『虱の歌を聴け』が終わったとたんに『核をめぐる冒険』が聴こえた。私はマダム・キュウリの左の頬をひっぱたいた。『核をめぐる冒険』がサビの途中で切れ、今度はTEPCOピープルの『2Q11』がはじまった。このようにして滞りなく『ディラックの海』の通過儀礼は済んだ。ディレクトールにうながされて私とジャーマン・シェパードはテーブルに向かった。

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 駅前で別れたはずのフィネガンズ・ウェイクがデボニアン・ボーイズとオルドビス・ガールズを従えてテーブルにやってきた。デボニアン・ボーイズのうちの一人が恭しくメニューを差しだす。「全部。食い物も酒も全部」とジャーマン・シェパードは言い、ぶっきら棒にメニューを突き返した。ああ、なんてことだ。なんてひどいぶっきら棒さなんだ。こんなところにも前田敦子クリソツの心的外傷ストレス明太子くちびる症候群で頓死したダウソ・タウソの浜口雅功の悪貨は良貨を駆逐するセオリーの影響が出ていたとは    。チキンライス世界の松本人志のハードボイルド・ワンダーランドぶりも偉大だったが、なかなかどうして、明太子くちびる浜田雅功のインフルーエンスも捨てたものではない。こんなことなら浜田の傍若無人なリクエスト、エヴィアンもアイフ・モーフェーもオーヤン・フェーフェーも無理をしてでも調達しておけばよかった。しかし、すべては遠い時間の彼方、フォーブル・サントノーレな流線型をした未来の霧に霞んでいる。霞町交差点そばのラ・ボエームの明太子パスタのランチ(ガーリック・トースト&クラムチャウダー付き)を無性に蹴り飛ばしたかった。そして、店の階段の途中で鈴木保奈美の尻に食い込んだパンツを盗撮したかった。
 ジャーマン・シェパードが口のまわりをカンタム・パウダーだらけにして前菜のコズミック・ストリングを食べている姿は微笑ましかった。宇宙卵のスープはどう見てもただの玉子スープである。カンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、カーボニフェラス紀、ペルム紀の六代にわたって遺伝子操作された宇宙卵はゴンドラの上で午睡を貪るゴンドアとパンゲアのドープ兄弟のように凶悪冷酷な静寂をたたえていた。厨房では元大工のフィネガンズ・ウェイクがエリック・ドルフィーの『カンブリアン・エクスプロージョン』を口笛で吹きながら愛くるしい表情のクォーク地鶏の首を力任せにねじり、調理台に叩きつけていた。クォーク地鶏は死の間際、「クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク、クォーク」と21回鳴き、「飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで」と円広志そっくりの声で42回叫び、アップ、ダウン、チャーム、ストレンジ、トップ、ボトムの6個のボールを吐き出した。そのようにしてクォーク地鶏の内部構造は完全に崩壊し、失われた。
「クォーク地鶏のニュートリノ風香草焼きベクレル茸添え」と「フクシマ産小女子のシーベルト蒸し原子炉建屋仕立て」が運ばれてきた。マトリックス運動理論と不確定性原理によって育成されたクォーク地鶏の肉は引き締まっていて、繊維の一本一本からいくらでもうま味がにじみ出てきた。フィネガンズ・ウェイク自慢の料理だ。フクシマ産小女子は噛むたびに口の粘膜がぴりぴりと痺れた。低線量被曝の醍醐味だ。口の中でチェレンコフ放射が起きるのはごきげんである。デセールはフィルミクテス・ディヴィジオ。ただのヨーグルトだ。うまくもなんともない。犯罪と言ってもいいほど退屈なしろものである。なんの脈絡もなくバウムクーヘンが運ばれてきた。私とジャーマン・シェパードはバームクーヘンを少しずつ食べ、フィルミクテス・ディヴィジオに何度もフォークを突き立てた。ジャーマン・シェパードの「バームクーヘンを食する際のコペンハーゲン解釈と多世界解釈の対立点」に関する解説はとてもわかりやすくおもしろく心地よかったが、私にはコペンハーゲン解釈よりもバームクーヘンよりもヨックモックのシガールが必要だった。たばこを切らしていたからだ。

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 青山通りから12本目の銀杏の木の下で拾われた孤児のコム・デ・ギャルソンによって乾燥重量1 グラムのDNAと煮えたぎった浮動小数点で満たされたケンブリッジ大学のコーヒーポットが置かれた。宇宙を支配する巨大な意志の力はいまだ沈黙をつづけている。レモン色のいまにも指の間から滑り落ちそうな平行四辺形はハシバミ色のいまにも空から降ってきそうな双曲線と駆け落ちしたまま音信不通だ。ケンブリッジ大学のコーヒーポットから徹底的にお湯でうすめられたメリケン・コーヒーが注がれているあいだ、ジャーマン・シェパードは虚空を睨みつけ、呪文めいた言葉を吐き出した。呪文は「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とも「エリー・マイ・ラブ・ソー・スウィート」とも聴こえた。「 シュレディンガー・キャットのエクスペリメントでは、箱をあけた観測後も無限個の状態が存在しつづける。多世界だ。しかし、この無限個の世界は完全に線形に枝分かれしていて、ほかの状態をわれわれは知覚できない。情報交換もね。つまり別の世界はこの世界にはないということだ」とジャーマン・シェパードが突然言った。まったく突拍子もないやつだ。前後の脈絡、つながりなどおかまいなし。困ったものだ。すべては論理的に筋道立てて。突き詰めれば論理は美しいのだ。それに、いま私に必要なのはヨックモックのモク、シガールだ。セガールでもセーガンでもホーキンスでもフォン・デンケンでもなく、シガール!

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「粘滑というのは滑らかで粘っこいことである。この言葉は旅行鞄のようだろう? ふたつの意味がひとつの言葉に詰め込まれておる。年金亡国! 粘菌弥栄!」と褌一丁のミナカタ・クマグス翁がフィンガー・ボウルから現れて言った。玄孫のノダグスこと銀杏ボーイとその同居人の演説青年こと六本木ヒルズけやき坂長距離走者のスミジル・スミスはミナカタ・クマグス翁の後ろで戸田村の真性キ印境界のボート屋おやじを踏みつけていた。そのようにもんどりうった状況下、私とジャーマン・シェパードのコヒーレントな午後にも終わりがやってきた。
 ジャーマン・シェパードは旅行鞄をあけ、A4サイズのコピー用紙の束を取り出した。コピー用紙にはびっしりと文字が印刷されていた。ジャーマン・シェパードはコピー用紙にすばしこく眼を走らせた。そのあいだ、私は「ビッグバンの際のすべての原子の有向線分」について暗算していた。ジャーマン・シェパードは読み終えたコピー用紙の束を無造作に旅行鞄に放り込み、かわりに一冊の古ぼけた本を取り出した。タイトルは『オメガ・ポイントに向かってまっしぐら』。「読め。ここにあんたの知りたいことはすべて書いてある」とジャーマン・シェパードは言った。
「さて、おれは行くぜ。オメガ・ポイントに向かってまっしぐらだ。あんたもおれもな」
 ジャーマン・シェパードはそう言うと、Model-CHGELG420 Gravity Distortion Time Displacement Unit を起動させ、瞬時に跡形もなく消え失せた。私は『ディラックの海』を出て宇宙の渚に向かった。宇宙の渚には人っ子一人いなかった。

 Not a soul was to be seen on The Cosmic Shore in the middle of the night.

 そう口に出してみた。宇宙にただ一人取り残されたような気分だ。体中の血が-273.15度まで凍りつく。冷血だ。冷酷漢だ。タフでクールでハードボイルドだ。こうなったら宇宙の渚で朝飯とシャレこむ手だってなくはない。いまや私は宇宙の渚で朝めしを喰える御身分になったんだ。ニューヨーク五番街を大股で闊歩し、シャンゼリゼ大通りで恋するダニエル・ビダル人形を肩車して猛ダッシュし、自由気ままな能天気娘のホリー・ゴライトリーにティファニーで断食破りのポール・オースター風リアル・アメリカン・ブレッククファーストをおごってやることだってできない相談じゃない。インゲンと馬鈴薯のポルペットーネとポロねぎと馬鈴薯のポタージュの朝食なら狂った血の女、モニカ・ベルッチを呼んでやる。鮪とアボカドのスパイシー丼なら鈴木京香だが鼻梁の巨大ホクロがあれだな。朝めしを食べているときもやっぱり隠しながらなのかな、巨大ホクロ。それだとちょっといやだな。

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 ハワイアン・ブレックファーストなら天国からカミナリさまといっしょに IZ=イズラエル・カマカヴィヴォオレを呼ぼう。そして、食べているあいだ中、カミナリさまにはゴロピカゴロピカやってもらって、IZ には虹の彼方にあるという「このろくでもない、すばらしき世界」について小一時間トミー・リー・フジティブ・イン・ブラック・ジョーンズを問いつめてもらう。めしはさぞかしうまかろう。さらに、インカ・コーラ付きの肉だらけのペルー式朝めしの場合はカミカゼ・タクシーの運転手を全員呼ぶ。そんで、食後の腹ごなしにヤクショコウジ印の金属バットで通りすがりのニューヨーカーどもを片っ端から始末してしまうのだ。とても気分がよさそうだな。ブルックス・ブラザースのゴールデン・フリースのスーツを着てウォールストリート・ジャーナルを小脇に挟んでマスタード抜きのホットドッグなんかかじってる奴からやっつけてやる。

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 だが、もうなにも考えまい。思うまい。Okey-dokey, Think of nothing things, Think of night wings だ。カポーティみたいでかっこいいじゃないか。いや。みたいじゃない。カポーティそのものじゃないか。いや。じゃないかじゃない。ジャマイカでもないジャマイカ。カポーティそのものだ。いや。私は本当はトルーマン・カポーティなんだ。そうなんだ。ニューヨーク5番街の Tiffany & Co 本店お得意様特別室でマイク・ハマーとフィリップ・マーロウとコンチネンタル・オップとエルキュール・ポワロとシャーロック・ホームズとアガサ・クリスティとサマンサ・タバサとアニエス・ベーとマックス・マーラと杉下右京と法水麟太郎と明智小五郎とエルモア・レナードと酔いどれの誇り高き酔いどれの名無し探偵と矢作俊彦とエドガー・アラン・ポーと江戸川乱歩と江戸川コナンとコナン・ドイルの「チーム・キャプテン・ネモ」の奴らに取り囲まれて訊問されたときのようにダウニング街10番地でジョージ・ウィンストンでAKB48でアゴなし秋元康で楽屋落ち楽屋ネタで寝穢く生き延びている石橋貴明で自宅闘争なんぞと開き直ったうえに50づら下げておかっぱ髪型で薄毛をごまかす花川戸のパークサイド在住のいとうせいこうでサブカル・ネタの腹話術師泉麻人な哀しい気分でジューク・ボックスにコインをちゃんと入れたのに『THE END OF THE WORLD』も『EVERYBODY LOVES SOMEBODY』も『人間の証明』も『LOVING YOU』もかからない19歳の春の横浜クラークの閉店間際の気分だ。つまり、もうなにがなんだかわけがわからない。きっと私の知らないところか知らない時間軸上でとてもたいせつなものが失われたか変形変質してしまったにちがいない。あるいはドルジェル伯爵の葡萄の会でレイモン・ラディゲの野郎に決闘を挑まれた挙げ句に屋根裏部屋の王、史上最高のキャビノチェ、アブラアン・ルイ・ブレゲの最高傑作懐中時計【成熟する時間】を盗まれて、執筆中の生でダラダラ逝かせて日記のタイトルを『失われた時を求めて』から『盗まれた時計を返して』に変えてしょんぼり気味のマルセル・プルーストがスパゲティ野郎の村上春樹とバビロニストのフランシス・スコット・フィッツジェラルドの2人組に、雨の朝のテルトル広場かリュ・カンボンとリュ・カプシーヌがぶつかるT字路でリスもピエも栗と栗鼠もガナッシュもフランツ・リストの大練習曲もないインチキうそっぱちまがいものまやかしのマカロン・パリジャンを紅茶に浸したマドレーヌだと騙されて七つの大罪分腹に詰め込まれたのが原因かもしれない。「マカロンと神学」「マカロンと地動説」「マカロンと天動説」「マカロンと人的抗弁の切断」「マカロンの艶と滑らかさと足または脚の誘惑と蠱惑問題」「マカロンとシャンパン」「パティシエとパティシエールとパティスリーの危険な二等辺三角関係」「バラとフランボワーズとライチのマカロンの特許権をめぐる最高裁判所第3小法廷における判決の言い渡し期日」が相馬馬追い歌のように頭の中を駆け巡った。駆け巡る速度はオルフェーブルに騎乗位したマダム・プレヌリュンヌのように激しい。金細工師と満月夫人。いやらすぃぃぃ!

 私は宇宙の渚のひんやりとした砂浜に腰をおろした。それから、『オメガ・ポイントに向かってまっしぐら』を膝の上に置き、啓示と福音を待った。いくら待っても啓示と福音はやってこなかった。武藤敬司格闘家と鈴木福糞餓鬼すらこない。足元の砂に指で「42」と書いてみた。合計42回。42個の「42」が私の足元で震えている。プレアデス星団の方角からハイゼンベルクの弾く『I Loves You, Porgy』が聴こえてきた。極上のカンタム・エンタングルメントだ。量子のゆらぎが踊る物理学者の指先に宿り、予測不可能なふるまいをみせている。キース・ジャレットの『My Wild Irish Rose』と『Be My Love』が聴こえてきたときには涙がいくらでも溢れた。事象の地平線までもが泣いていた。宇宙のすべてが見渡せた。

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 人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間に思いを馳せた。そのとき、彼の心はふるえていただろうか。それとも千々に乱れていたのだろうか。彼の指先は大地の鼓動を感じとったろうか。原始の土塊がこびりついた指先は幾星霜を経て木版にたどりつき、グーテンベルクに宿る。さらには文選に行き会い、職人技の組版に出合い、電算写植、製版、DTPを経て、ついに文字は0と1で出来上がったデジタルの海へと溶け入った。早晩、文字は印刷され、大量消費され、与えられるものではなく、ただそこに置かれ、引っ張りだされ、奪い取られるようになるだろう。文字言語が無制限無制約に集積されたもの。それは人類の知の大伽藍でもあって、かのアレクサンドリア図書館をさえ軽々と飲み込むスケールを持つ。このことは文字言語にとどまらない。音声も音楽も映像も、すべてが人類史上最大にして最速の知の大伽藍に集積集約される。ひとはいつかその知の大伽藍を「神」あるいは「極楽浄土」と呼ぶようになるかもしれない。身体は本来の意味を失い、精神は0と1に変換されてデジタルの海を自由自在に泳ぎまわる世界。このとき、ついに「永遠の生命」は実現する。私はそうすることがあらかじめ決められていたように『オメガ・ポイントに向かってまっしぐら』のページをゆっくりとめくった。ページをめくった瞬間にタイトルが『アルファ・ポイントに向かってまっしぐら』に変わった。

 私が仮想クラウド・ストレージ・サーバ上で運営するフェルマー-タニヤマ-モチヅキ-タイヒミューラー宇宙際型のヴァーチャル・バーベキュー(VBBQ)に『アルファ・ポイントに向かってまっしぐら』というアリメンタムがサービングされたのは水曜日の午後の動物園がイトカワ帰りのハヤブサの襲撃を受けた日だ。サーブしたのはミニチュア・セントバーナード・ショー。彼はみずからを Tiffany & Co とのダブルネームの「タイム・エクスプローラー」であると言い、タイム・エクスプロールの仕組みと様子やポータブル・グラヴィティ・コントローラーについて詳細に述べた。マルチ・サーブのたぐいかと考えてアリメンタムの一部を抽出し、徹底的に検索をかけたがヒットはなかった。第一、私が運営するフェルマー-タニヤマ-モチヅキ-タイヒミューラー宇宙際型VBBQはネットワークからは完全にクローズドされており、一般にはいっさい公開していない。検索にヒットしないように制限もかけてある。なにより、アリメンタムをサーブできるのは世界にただ一人、私だけだ。BB420-OTP方式の量子暗号、音声認証、指紋認証、虹彩認証、カンタム・トンネリング・ゲート、ジョセフソン・エフェクト・キャッチャー、カーボン・ピコチューブ・プロキシで何重にもセキュリティがかけてあるのだ。もちろん、完全はない。過去に一度だけ、「アエラリアン」を名乗るフリーのジャーナリストが果敢に攻撃をしかけ、ROMすることには成功している。私の部屋に忍び込んだのだ。彼はいま、マンスリー・ウェブ・マンション『キムラカエラ』の副支配人として活動中である。私は訝しく思いながらもミニチュア・セントバーナード・ショーのアリメンタムを摂取した。アリメンタムはこうだ。

 私はタイム・エクスプローラーだ。2026年から来た。SONY VAIO PCV-T4200MR を手に入れるためだ。タイム・エクスプロールに使用したのは Model-PSPGC4200 KAMEYAMA/SON+MOLINARI+JHWH Type2 である。2024年に日本理化学研究所が開発に成功し、SOFT BANK SONY UNIQLO SHARP & ENZO Company が実用化したポータブル・グラヴィティ・コントローラーである。Model-PSPGC4200 KAMEYAMA/SON+MOLINARI+JHWH Type2 は重力場を形成する。重力場を作りだす技術は「量子異常による対称性の破れ」の研究の過程でヒッグス粒子とグラヴィトンが発見されたことによって確立さ  




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by enzo_morinari | 2012-11-09 14:00 | Go! Go! OMEGA Point | Trackback

オメガ・ポイントに向かってまっしぐら#1

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 私はリコレクター、記憶士だ。記述士、分析士、修正士、計数士、管理士、消去士、統合士を加えた8人でチームを組んでいる。完全なSOHO。形式的な健康診断と思想調査を除けば、出社に類するものはいっさいない。すべてはネットワークを通じて行う。
 記憶士は宇宙のすべてを記憶する。それが仕事である。ひたすら記憶すること。考えなくてもよい。答えは求めない。答えを求めようとするとデータに誤差がでるからだ。
 記憶は無数の忘却の集積である。記憶したデータは記憶の宮殿の最深部に鎮座するアレクサンドリア・ストレージ・サーバ(ASS)に送る。記憶をASSに送信するのは祈りにも似た行為だ。ASSはいずれ「神」と呼ばれて崇められるようになるのだから、私の考えもあながちまちがいではない。
 記憶士として仕事をしているときは常に頭部搭載型ディスプレイ(HMD)を装着する。3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素がともなってはじめて正確な記憶が可能だからだ。メタバースの住人たちによって結成されたメモリー・ウォーリアーズから攻撃を受けることもあるが、そのときはアカシック・レコード・プログラムを起動してフラッシュ・クラッシュし、撃退する。メモリー・ウォーリアーズの攻撃を受けたときは3週間の休暇を取ることが認められている。大脳辺縁系を休めて冷却するためである。HMDから解放されるのは去年のクリスマス以来だ。

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 目覚めたときからずっと奇妙な空腹感がまとわりついていた。その空腹感はまるで理不尽に1週間も深い井戸の底に閉じ込められたむく毛の老犬の空腹感に似ていた。絶望と孤独と怒りに支配された空腹感だった。
 起き抜けに冷蔵庫をのぞく。きゅうりとレタスと熟れすぎて黒く変色したアボカドが2個ある。ほかには賞味期限のきれた食パンが2枚。私は歯も磨かず、顔も洗わず、ヘミングウェイ・ツリーに水やりもせず、南側の壁でおどけて舌を出すアインシュタイン先生に挨拶もせず、水槽の虚数魚iに声をかけることすらしなかった。普段ならありえないことだ。
 賞味期限がきれてかさかさした食パンをトースターで焼き、レタスの葉を2枚怒りと渾身の力をこめて剥ぎ取り、きゅうりを極限までうすくスライスした。そして、アボカドの中心に切れ目を入れ、G.マーラーの『交響曲第5番 嬰ハ短調』の第四楽章アダージェットを口ずさみながらアボカドをまっぷたつに割った。目が覚めたときより気分はずっとよくなっていた。
 アボカドの果肉をスプーンですくっているあいだも私はアダージェットを口ずさむことをやめなかった。というよりも、アダージェットを口ずさむためにこそアボカドときゅうりとレタスのサンドウィッチを作っているような気さえした。3回目にアダージェットを口ずさんでいるとき、アボカドときゅうりとレタスのサンドウィッチはみごとに完成した。想像以上の出来映えだった。そして、ドアベルが鳴った。真っ黒に変色した巨大なアボカドがドアの前に恥ずかしそうに立っていた。彼の正体は鰐肌男。「やあ」と巨大なアボカドは言った。「やあ」と私も言った。私は巨大なアボカドにリビングのソファに座るように勧めたが、彼はそれを事もなげに断り、無言のままキッチン・テーブルの窓側の椅子に座った。
「きみの法律顧問として言う。さあ、アボカドときゅうりとレタスのサンドウィッチを食べさせてもらおうか。この100年、ずっと待っていたんだ」
 巨大なアボカドはさらに黒さを増しながらそう言った。まったく傍若無人なやつだと私は思った。だいたい、法律家、弁護士にろくなやつはいないものと相場は決まっている。私たちはキッチン・テーブルを挟んで向い合い、ひと言も口をきかぬままアボカドときゅうりとレタスのサンドウィッチを食べた。時間が100年くらい経過したような気がした。

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 食べ終えてから私と巨大なアボカドはストコフスキーとチャーリー・パ-カーとマイルス・デイビスとグレン・グールドとロストロポーヴィチのCDを聴き、アボカドときゅうりとレタスのサンドウィッチの出来具合についていくつか言葉を交わした。私が抱えている法律上の案件のいくつかはきわめて事務的に簡潔に解決することができた。知的所有権に関するいくぶんか厄介な問題の解答を彼はきわめて明瞭にだし、その途端に巨大なアボカドはまっぷたつになると巨大な種をリビングの窓際に吐き出した。
「100年後にまたくる。この種で極上の吾輩の子孫を育てておいてくれたまえ。契約書はのちほど起案のうえ、送付する。いいね?」
「すべては承知した」
 種が抜けて半分くらいに痩せこけた巨大なアボカドはマイケル・ヘッジスの『ザ・ファンキー・アボカド』を口笛で吹きながら帰っていった。私はリビングに横たわる巨大なアボカドの種に見とれながら窓から差し込む夕陽にこれまでにないほどの憎しみをおぼえていた。このようにして、私のアボカドの長い一日は終わり、ついにジャーマン・シェパードがやってきた。

 私が仮想ストレージ・サーバ上で運営するメビウス-クライン型のヴァーチャル・ビルテイン・ボード・システム(VBBS)に『オメガ・ポイントに向かってまっしぐら』というメッセージがポスティングされたのは月曜日の明け方のことだ。ポストしたのはジャーマン・シェパード。彼はみずからを「タイム・ダイバー」であると言い、タイム・ダイビングの仕組みと様子やタイム・ダイビング・マシンについて詳細に述べた。マルチ・ポストのたぐいかと考えてメッセージの一部を抽出し、徹底的に検索をかけたがヒットはなかった。第一、私が運営するメビウス-クライン型VBBSはネットワークからはほぼクローズドで、一般にはいっさい公開していない。検索にヒットしないように制限もかけてある。なにより、メッセージをポスティングできるのはこの世界にただ一人、私だけだ。BB420-OTP方式の量子暗号、音声認証、指紋認証、虹彩認証で何重にもセキュリティがかけてあるのだ。もちろん、完全はない。過去に一度だけ、「時代者」を名乗るフリーのジャーナリストが果敢に攻撃をしかけ、ROMすることには成功している。私の部屋に忍び込んだのだ。彼はいま、マンスリー・ウェブ・マガジン『時代』の記者として活動中である。私は訝しく思いながらもジャーマン・シェパードのメッセージを読んだ。メッセージはこうだ。

 私はタイム・ダイバーだ。2036年から来た。「APPLE Lisa 4200」を手に入れるためだ。タイム・ダイビングに使用したのは Model-CHGELG420 Gravity Distortion Time Displacement Unit である。2034年にヨーロッパ素粒子物理学研究所が開発に成功し、Hyundai General Electric & LG Company が実用化した重力制御装置だ。Model-CHGELG420 Gravity Distortion Time Displacement Unit は重力場を形成する。重力場を作りだす技術は「量子異常による対称性の破れ」の研究の過程でヒッグス粒子とグラヴィトンが発見されたことによって確立された。
 タイム・ダイビング中は上昇するエレベーターに乗っているような感覚が継続する。装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、紫外線が爆発的に放射される。次第に暗くなり、完全な闇の世界が訪れる。設定した「時空間」に転移すると景色は元に戻り、タイム・ダイビングは完了する。出力最大で10年間分の時空間転移をするのに1時間かかる。タイム・ダイビングが可能な範囲は前後約60年だ。それ以上の過去や未来に時空間転移しようとすると、世界線のずれが大きくなりすぎてまったく異なる世界に時空間転移してしまう。そこは我々が知る歴史とは異なった歴史を持つ世界だ。
 60年以内の時空間転移であっても世界線にわずかなずれが生じることは避けられず、タイム・ダイバーは「限りなく似通った並行世界」に時空間転移することになる。銀河系も太陽系も高速度で宇宙空間を移動しているから、タイム・ダイビングが成功したとしても、そこに地球はなく、宇宙空間に投げ出されてしまう可能性がある。この問題は技術的にもっとも困難な部分だ。現在地における重力の正確な測定を行うことによって地球上での空間座標を特定し、この問題に対処している。タイム・ダイビング中、可変重力ロックンロール機能によって空間座標は一定に保たれ、プルトニウム時計の発信周波数を基にエラー修正プロトコルを用いて制御する。可変重力ロックンロール機能の動作限界は60年間である。
 エヴェレットの「多世界解釈」はほぼ正しい。エヴェレットの多世界解釈における「世界」は時間の異なる別の世界線上にあり、無限に存在する。異なる世界線を移動するのがタイム・ダイビングだ。過去を訪れたタイム・ダイバーが自分の親を殺しても、自分がいた世界とは別の世界の親を殺したことになるのでタイム・ダイバーは消滅しない。「親殺しのタイム・パラドックス」は起こらないということだ。同様に、異なる世界線の自分を殺しても世界線が分岐するだけである。タイム・ダイビングを行うことに起因して世界線が分岐するのか、あるいはタイム・ダイビングをする以前からその世界線は存在していたのかという問題は私のいた世界でも議論になっている。
 帰還の際は往路で収集した重力の測定データを基に時空間を遡らなければならない。潮汐力が地球の重力に影響を与えているため、帰還するタイミングは一年に2回しかない。しかし、まったく同一の世界へ帰還できるわけではない。誤差は非常に小さいものの、そこは「よく似た別の世界」であることに変わりない。 世界線は無限に存在し、そのどれかにピン・ポイントで時空間転移する方法が見つかっていないためだ。ピン・ポイントの時空間転移は光速を超えないかぎり不可能である。アインシュタインの呪縛から逃れることはできていないのだ。もっとも、確率的には低いが、自分の望む世界にたどりつく余地はある。世界線のずれがない世界(同一の時間軸上にある世界)に帰還したタイム・ダイバーは少数だが存在する。
 APPLE Lisa 4200 の入手があなたの世界に来た目的である。APPLE Lisa 4200 にはマニュアルにはないコンピュータ言語の翻訳機能がある。イースター・エッグの一種だ。私の使命は2年後に迫っている「2038年問題」に対応することであり、過去から受け継いだコンピュータ・プログラムをデバッグするために、どうしても APPLE Lisa 4200 が必要なのだ。どうか記憶士であるあなたの力を貸して欲しい。

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 現在、ジャーマン・シェパードは私のすぐ横にいる。ジャーマン・シェパードはナポリタン・マスチフに似たウクライナ人である。キエフ出身。先祖にはチェルノブイリ原子力発電所の所長がいるという。ジャーマン・シェパードは部屋の南向きの窓際、スローン・グレート・ウォールの縁に腰かけ、廃墟同然となったAKB48劇場の真裏にある中古PC屋で手に入れたシーラカンスのように武骨な APPLE Lisa 4200 でコンピュータ・プログラムをデバッグ中だ。ジャーマン・シェパードのかたわらには装飾のいっさいない黒い旅行鞄がある。旅行鞄には『ジャバ・ザ・ハットのうた』が古典ポートマンチュー語で記されている。

 わが息子よ。ジャバ・ザ・ハットには用心せよ! むしゃぶりつく顎!
 引き裂くかぎ爪! ねじまき鳥にも用心せよ! それにつけてもおやつどき、
 怒り狂うカール・スナック・フォルマージュのそばには近寄るべからず!


 ジャーマン・シェパードはときどき私のほうに顔を向け、アップルのシネマ・ディスプレイに眼を凝らす。そのたびに、「くだらん」とひと言つぶやく。ジャーマン・シェパードは作業の手を止めた。クラウド・コンピューティングの可能性とリスクについてひとしきり自論を展開したあと言った。
「あんたがやっているのはSNSのたぐいか? くだらん。実にくだらん。SNSのおかげで世界は何度も何度も破滅の危機に直面することになるんだぞ。人間の真の堕落はSNSがもたらすんだ。無責任と臆病と怠惰とまやかしと薄っぺらな善意と親和欲求と認知欲求がな」
「そんなにSNSはだめかい?」
「だめの42乗だよ。ミクシィのカサハラは小物も小物、大小物だ。もうじき潰れる。一番の悪党はフェイスブックのマーク・ザッカーバーグだ。いずれ暗殺されるがな。おっと、これ以上は言えないぜ。それはそうと、おれはものすごく腹がへった。タイム・ダイビングは極めつけのステイ・ハングリー&ステイ・フーリッシュをもたらすんだ」
「ステイ・ハングリー&ステイ・フーリッシュ? なんだそりゃ。スティーブ・ジョブズそのまんまじゃんよ」
「細かいことは気にするな。とにかくなにか喰わせてくれよ。おれの1Q84Qビットの胃袋になにか詰め込ませてくれ」

 私はジャーマン・シェパードを宇宙の渚に連れていくことにした。宇宙の渚には私が42年のあいだ通いつづけている良心的で野蛮でスノッブでマス・イメージかつハイ・イメージでデコンストリュクシオンでグラマトロジーでアルケオロジーでデオキシリボヌクレイック・アシッドで固有時との対話ができて世界認識の方法が学べてすべての悲劇を解読することが可能な文句のつけようがないレストランがある。『ディラックの海』だ。『ディラックの海』は KOBE-COLORS のムッシュ・クニヤスこと國安太郎伊右衛門とその一味が2009年10月1日から3年がかりで活けこんだ万願寺唐辛子と木曽杉を基礎とするフラワー・オブジェで埋めつくされている。『ディラックの海』の店内に流れている音楽はいつだってセロニアス・モンクの調子っぱずれなピアノ・ソロか、ぺんぺん草も枯れてしまいそうなジョン・コルトレーンの『クル・セ・ママ』。バレンタイン・デーとクリスマス・イヴとイースターには2008年の秋に壮絶な死を遂げたデオキシリボヌクレイック・アシッド・ミュージックの旗手、ジャン・ミシェル・ミゴーの『HIP-HOP Existence』と『L'espace Musique』と『La Musique Infini』がヘビー・ローテンションで流れる。モンクもコルトレーンもミゴーも食事を徹底的にまずくするが、『ディラックの海』へは食事のために行くのではないからモーマンタイだ。私は「生命、宇宙、そして万物についての答え」をえるために『ディラックの海』に42年間も通いつづけているのだ。問題は『ディラックの海』が同じ場所に3日とないことである。ここかと思えばあそこ、あそこかと思えばあちらという具合だ。『ディラックの海』にたどりつくのはダーク・マターをみつけるくらい困難と忍従と淪落をともなうのだ。

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 結界量子線の古びた車両に揺られているあいだ、ジャーマン・シェパードは揺れにあわせて「プサイにファイ、プサイにファイ」と口ずさみながら揺れていた。ψとφが周囲をぐるぐるぐるぐる回る。「宇宙もこんなふうに揺れているんだ」と私は思った。思ったとたんに、「宇宙の揺らぎ」とジャーマン・シェパードが寝言を言った。寝言は寝て言わなければならないことの見本だ。気がつけば、ジャーマン・シェパードの膝の上ではお尋ね者のシュレディンガー・キャットがトライアングラム銀河と二辺比夾角相等で丸くなって眠っている。私はとても幸せな気持ちになった。このまま宇宙の終焉がやってきてもいいくらいだった。
 われわれは超空洞第三象限駅でいったん下りた。駅前のロータリーには「宇宙は空っぽである。トランス・ルーセント・クラブ超空洞第三象限支部」と書かれた巨大な看板が聳え立っている。「映像の世紀末書店」という風変わりな名前の書店でコズミック・フロント社の無理難題の新刊、『謎のスプライト』を買い、店の脇にこれみよがしに並んでいるプラズマ・ディスプレイ付き自動販売機でスプライトを2本買った。
「あんた、それシャレかなんかのつもり?」
「うん」
「つまんねえシャレ。チャン・グンソクの役にも立たないぜ」
「なんだよ、チャン・グンソクの役にも立たないって」
「2036年の世界ではマッコリのソーダ割りを飲んでおねいちゃんとモッコリしてばかりいる役立たずをそう呼んで馬鹿にするのさ」
「マッコリのソーダ割りは飲まないし、もう何年もモッコリなんてしてないよ。ぼくがおねいちゃんとモッコリするとV2ロケットが墜落することを知って以来ね」
「細かいことは気にするな」

 宇宙の渚駅に着いてすぐに iPhone 2000GTR で『ディラックの海』を検索した。『ディラックの海』に関する情報はすぐにヒットした。だが、コールしても「お客様がアクセスを試みたナンバーズ・ロトLevel42は現在、おもいっきり恥も外聞もなく閉鎖されております。総背番号庁にお問い合わせになるか、ハシズム・ファミリーのHPにアクセスの上、フェイク・リストを御覧ください。なお、このアナウンスはフェルプスくんのたってのリクエストによりM:Iクルーズされます」というアナウンスが流れるだけだった。総背番号庁もハシズム・ファミリーもM:Iクルーズもうんざりだったので諦めた。諦めたとたんに強い力で肩を叩かれた。ふり向くと『ディラックの海』のオーナー・シェフ、フィネガンズ・ウェイクがユリの種を満載した笑顔をエミュレートしてきた。
「エンゾさん、あなた鼻持ちですか? 店来るですか? 意識流れてるですか? 失われた時求めてるですか? マドレーヌ現象してるですか? はい、これもらうです」
 フィネガンズ・ウェイクはそう言って1枚のフライヤーをよこした。フライヤーは『ディラックの海』の人気料理、「クォーク地鶏のニュートリノ風香草焼きベクレル茸添え」と「フクシマ産小女子のシーベルト蒸し原子炉建屋仕立て」をメイン・ビジュアルにしていた。キャッチ・コピーはきわめて簡潔だった。フランス伝統色のDIC-F42の明るい紫がかった青でたったひと言。ボディ・コピーなし。

 喰え。

 私は感心した。「スモカ」も「おいしい生活」も「おててのしわとしわをあわせて、しあわせ。 なぁ~むぅ~」も「ベンザ・エースを買ってください」も軽々と凌駕しているように思われた。「ごっつガキの使いのクエもあるでよ」とフィネガンズ・ウェイクが首を地軸の傾きと同じ角度に傾けて言った。このとき、フィネガンズ・ウェイクの大工仕事とマスターベーションで無意味に太くなった右腕に両界曼荼羅DNAが螺旋状に巻きついているのを私は見逃さなかった。迷宮入りした「断層図鑑殺人事件」の最重要証拠である両界曼荼羅DNAをフィネガンズ・ウェイクが隠匿していたとは……。だが、後の祭りである。「断層図鑑殺人事件」の捜査は戸田ツトムと杉浦康平の二人の名刑事の引責辞職というかたちで42年前に幕を閉じていたのだ。私は取調べのときの戸田ツトム警部の鮮やかなデバイダーさばきと、TPOもTPPもAKBもおかまいなしに  検死中にさえ  「コンマ1ミリの仕事を!」と叫ぶ杉浦康平警視の秀英社明朝体なデコマスぶりを思いだし、少しデジタル・ノイズな気分になった。「先に店行ってることな。私、あとからクリッククリックな」とフィネガンズ・ウェイクは言い、フライヤー配りに戻った。私とジャーマン・シェパードは宇宙の渚に向かった。


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by enzo_morinari | 2012-11-09 05:00 | Go! Go! OMEGA Point | Trackback