カテゴリ:カワセミ・ジョニーの帰還( 1 )

カワセミ・ジョニーの帰還/帰りたい河が見えた。帰れない河だった。

 
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10月の朝。世界は健やかで、まっすぐな光に満ちている。瀬音は軽やかに澄みわたり、風はひとかけらのけがれもない。何者も清流に生きる者たちの躍動を止めることはできない。そんな時間だ。

一羽の若いヒメミツユビカワセミが手入れの悪い自転車のブレーキ音のような鋭い鳴き声を3回発し、ひと際まばゆい輝きを放ちながら清流を飛翔してくる。その速さ、躍動は他を圧倒する勢いだ。カワセミ・ジョニー。3年前に追放されたオスのカワセミである。

清流に生きる者のだれもが我が目を疑った。マガモのガウなどは驚いた拍子にくわえていたパンくずを喉に詰まらせたほどである。また、カワセミ・ジョニーの帰還を清流の王である黄金のカエルに御注進に及ぶ者もいる。スジエビのエピだ。どの世界にも姑息な輩はいるものである。

カワセミ・ジョニーは大場川の下流から河の流れに沿って進路を変えながら速度を上げる。富士おろしが去ったあとの風の流れは自由度を増している。長時間にわたって河を遡って飛翔するには絶好の時間帯だ。

カワセミ・ジョニーは鮎返しの滝の滝壺から轟音とともに吹きあがる飛沫のまっただ中に飛込む。瑠璃色に輝く翡翠の弾丸は水飛沫を浴びて輝きを増す。カワセミ・ジョニーは轟音を発する瀑布の上を飛びまわり、俊敏な動きで旋回を繰り返す。

「おれは帰ってきた。帰るべき場所に。帰るべき場所にはいつか帰らなければならないんだ」

そして、カワセミ・ジョニーは思う。

おれはこれまでの人生でいくたびかの「追放」「放逐」の憂き目に遭遇してきた。それはおれ自身に帰すべき原因がある「追放」もあれば、不条理きわまりない理由による「追放」もあった。裏切り、嫉妬、欲得。理由はいくらでもあり、いくらでもつくられる。

季節のうつろいとともにあまたの「友人」を名乗る者たちがやってきてはおれを通りすぎ、すこしの友だちが残った。それでいい。すべては終わったことである。いずれにしてもそうした経験はおれの心を石ころにした。

おれの飛翔する速度は下がり、太陽はまぶしすぎて息をすることさえも苦しかった。おれの心を手のひらにのせて揺すればコロコロカラカラと乾いた音がするはずである。

「経験」によるものかどうかはわからないが息をすることはすこし楽になった。 飛ぶことは楽しいほどではないが気持ちのよい羽ばたきや空気を切り裂くときのときめきや滑空の快感はよみがえりつつある。なにも考えずに飛ぶコツは少しだが身についた。

おれにはいくつかの「帰りたい場所」がある。すぐにも飛んで帰りたかった。おれの飛翔力をもってすれば3日も飛びつづければ帰りつける。しかし、そこは「帰れない場所」でもあって、遠くから、はるか遠くから思いを寄せつづけるしかない場所だった。追放からきょうまでの旅のあいだにその場所はいつの日か「帰るべき場所」でもあることをおれは学んだ。

そして、おれは帰ってきた。帰るべき場所に。心配ない。まだ息ができる。まだ翔べる。どこまでも飛べる。まだ生きられる。まだ帰ることができる。そして、いまおれはようやくにして帰るべき場所に帰ってきたのだ。なにがどうあれ、世界中が敵にまわり、身も凍るような凶事が待ち受けていたとしても、たとえ命を失うようなことがあっても、「帰るべき場所」には帰らなければならない。



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黄金のカエルによる追放、邪悪と恐怖。
カワセミ・ジョニーが大場川の水辺から追放の憂き目に遭ったのは3年前のことだ。

「速すぎる」

それが追放の理由だ。カワセミ・ジョニー追放の口火を切ったのは大場川の王、黄金のカエルだった。

黄金のカエルは飽食と怠惰のために水掻きひとつまともに動かせぬほどに肥満し、精神は傲岸と不遜と邪悪と冷酷と嫉妬に蝕まれていた。怪物だ。

目のまわりは浮き出た脂肪によって黄色く変色し、醜く膨らんだ腹は呼吸のたびにおぞましい音を発した。背中は肉割れを起こしてひび割れ、ときどき膿のような液体が滲み出る。

ものすごい悪臭が大場川の水辺に漂う。その液体は触れれば死をもたらす。匂いを嗅いだだけで死ぬ者さえいる。黄金のカエルが大場川を支配できるのはこの「不吉と邪悪の液体」があるからだった。大場川に生きる者のほとんどが黄金のカエルをおそれ、心の中で憎んでいた。側近の者たちでさえもだ。

恐怖と邪悪。黄金のカエルは恐怖と邪悪そのものだった。

「カワセミの小僧と親しくした者は大場川で生きていけないようにしてやる。わしに逆らう者はのたうちまわり、もがき苦しみ、最後はむごたらしく死ぬ。手加減なし、容赦なしで殺す。殺したあとは跡形もなくしてやる」

黄金のカエルはそう宣言した。そして、カワセミ・ジョニーは大場川から追放された。大場川から自由と変化と躍動のほとんどが失われた瞬間だった。

以来3年。大場川に笑いや喜びやときめきはひとかけらすらもなくなった。水はどす黒く濁り、異臭を放つ澱みがいたるところに憎悪の口を大きくあけている。生き物の数はみるみる減っていき、生き残った者の「いのちの力」は日ごと弱っていった。その様子をじっと息をひそめて見つづける者がいた。カラスミ・タローだ。


カラスミ・タローの独白とその世界観
瑠璃色のハンターが帰ってきたようだな。カワセミ・ジョニーがひどい仕打ちを受けて水と生き物の王国から追放されて3年。この3年はいやなことばかりだった。

3年前の秋の終わり。カワセミー・ジョニーが夕焼けに赤く染まる東の空へ向かって飛び去っていく様子を鮎返しの滝の滝壺の大岩、五郎兵衛岩の割れ目から見送った。カワセミー・ジョニーは青い点になり、そして、ひとくれの茜雲の中に消えた。以来、おれは五郎兵衛岩の割れ目から出ていない。

遠い森の湖から解き放たれた毎秒2000tの水が10メートルの落差を落ちてくる。いつも。つねに。その轟々とした大音声に耳を澄ませながら、おれは五郎兵衛岩の割れ目を通して世界をただ見つづけた。ただ耳を澄まし、ひたすら見ることだけがおれの3年間のすべてだった。とうの昔に塩漬けにされて死んだおれにはお似合いの日々だ。

いま大場川は死んだ世界だ。恐怖と邪悪と臆病と姑息と我慾が渦巻いている。いずれ、大場川は本当に死んでしまうだろう。生き物のいない世界になるのだ。大場川を救えるとすればカワセミ・ジョニーの翼、速度、飛翔だけだ。


カワセミ・ジョニーよ、どうする? どうするんだ?

 
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by enzo_morinari | 2013-05-17 02:50 | カワセミ・ジョニーの帰還 | Trackback