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天使の厨房#1

 
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最高の料理人は恋をしている料理人である。F.=R. de C.


凡庸な料理人はとびきりの恋をし、最高の料理人になった。
料理旅団誕生のはるか昔のこと。その凡庸な料理人は目立たない魚介担当の一人にすぎなかった。古株の肉切り職人や賄い係や前菜調理人にあごで指図され、罵声を浴びせかけられることすらあった。実際、厨房での凡庸な料理人の眼には輝きのひとかけらもなかった。彼になかったのは自信であり、希望であり、愛し愛されることだったろう。

厨房で毎日毎日馬車馬のように魚のウロコを取りのぞき、さばき、切りわけ、調理する。これとて、総料理長が決めたとおりのことを単純になぞっているにすぎない。そこには「創造」のかけらもない。そして、仕事を終えると疲れ果てたからだを引きずってアパルトマンに帰り、薄暗く湿った階段を上り、屋根裏部屋にたどりつくのだ。料理人を待っているのは回転網の中で走りつづける年老いたハムスターとマンサード・ルーフから見える街の灯りだけだ。

「なんて不甲斐ない人生なんだ」

通りひとつ隔てた小さなマルシェで買った安物のブルゴーニュ・ワインを鍋であたためながら料理人は薄汚いしみの浮きでた壁に向かってつぶやく。「まったく。なんてこった。なんて不甲斐ない人生なんだ。老いぼれのハムスターのほうがまだいきいきしてやがる」

凡庸な料理人はマグカップに注いだ生あたたかい赤ワインをひと息で飲みほす。そして、マンサード・ルーフの外に広がる街を見る。いまにも消え入りそうな街の灯りが物憂げにまたたく。通りに目を落とす。ミモザの花束を抱えた娘が通りすぎる。彼女のまわりだけやわらかい光がともっているように見える。

「花売り? こんな時間に?」

凡庸な料理人がそう思うと同時に、彼女のまわりにだけやわらかい光がともった。

「まさか。そんなことがあるはずない。幻に決まってる」

光が強さを増す。光を受け、あたりは確かに明るくなっている。建物の壁、エレーヌ・ジュグラリスとシルヴィ・ギエムが共演する舞台のポスター、そのとなりにはダニエル・ヴィダルのポスター、螺旋階段、ごみ箱、電柱、電柱に貼られたモンサントの農薬の広告、1970年代の古いロードレーサー、フレンチ・ブルュのCITROËN 2CV、クリーム色のPEUGEOT 401 ECLIPSE、モス・グリーンのRENAULT JUVAQUATRE、シルバー・メタリックの1955年式Mercedes-Benz 300SL Gullwing Coupe、ポリッシュ・ブラックのMAYBACH 57S Exelero、そして、トスカーナ・ブルーのBUGATTI VEYRON 16.4。すべてがミモザの娘の発する光に照らされている。

ロードレーサーのフレームはコルナゴだ。クローバーのロゴと COLNAGO の文字がはっきり読みとれるくらいに光は強い。エレーヌ・ジュグラリスとシルヴィ・ギエムはグラン・パ・ド・ドゥとグラン・パ・クラシックを踊りだし、ダニエル・ヴィダルはスポットライトを浴びて『オー・シャンゼリゼ』と『カトリーヌ』を繰り返し歌いはじめる。シルヴィ・ギエムの弓型にしなった足の甲に青く浮き出た静脈さえはっきりとみえる。グラン・ジュテのときの開脚の角度はまちがいなく200度を超えている。

「あの光はいったいどこから?」

料理人の視線は光の正体を探ろうとミモザの娘に釘づけだ。まぶしい。目映い光のただ中でミモザの娘は微かに身震いする。

「啓示だ!」と料理人は叫ぶ。細く筋張った料理人の貧弱な体もミモザの娘とおなじように震えだす。料理人は部屋を飛びでて階段を駆けおり、通りに出る。そして大声でミモザの娘を呼びとめた。

「ねえ、きみ!」

娘はふりかえり、ミモザのような笑顔をみせた。ミモザの娘の輝きは変わらない。料理人はまぶしくて少し眼を細めた。娘は目の前にいるのに光の正体はわからない。

「突然、ごめん」
「いいえ。いいのよ」
「あの、なんといったらいいのか、あしたの昼、ぼくの店でごはんを食べないか?」

凡庸な料理人は彼が働くレストランの名を告げた。

「よろこんで。でも、わたしはあなたのお店で食べるほどお金を持っていないのよ。まともな服もないし」
「もちろん、ぼくのおごりだよ。服はいまきみが着ているのでじゅうぶんだよ。席に着いたらギャルソンにぼくの名前を言えばいい」

ミモザの娘はとても礼儀正しく頭をさげ、通りを歩いていった。凡庸な料理人は彼女の後ろ姿を見送りながら、生まれて初めて心が浮き立つのを感じた。

翌朝。いつもどおり不機嫌そうな総料理長に凡庸な料理人は意を決して言った。

「ムシュ。きょうの昼、ガール・フレンドが来るんです。私に一皿だけ料理を作らせていただけませんか?」
「おれの料理をか? それともおまえの?」
「私の考えた料理をです」
「余分な食材はなにひとつない。あるとすればエイの切れっぱしくらいのもんだ」
「それでじゅうぶんです。あと、春キャベツを少々」
「いいだろう。で、なにを作るんだ?」
「エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソース」
「なんだそりゃ?」
「一世一代のラブレターです」

12時きっかりに娘はやってきた。白いシャツと黒のスカート。シンプルそのものだ。飾りけと言えば、唯一、髪にミモザの小枝をさしているだけである。

「かわいいお嬢さんがおまえをご指名だ」と気のいい給仕長が凡庸な料理人に耳打ちをする。凡庸な料理人はうなづく。そして、あらかじめそうすることが決められていたように包丁をふるい、ソースをアレンジし、味見をし、皿に盛りつけた。

料理ができあがると厨房に鮮烈で清々しい香りがあふれた。厨房で忙しく働いていた者たちが手をとめ、凡庸な料理人をみた。ミモザの娘が座る隅のテーブルに凡庸な料理人の「一世一代のラブレター」が怪訝な表情の給仕長によって運ばれるとき、通りすぎるテーブルの客たちは驚きの表情で顔を上げ、去ってゆく皿を見送った。そして、給仕長を呼び、口をそろえて尋ねた。

「いったい、あの料理はなんなんだ?」

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凡庸な料理人の恋心が本当に伝わったのかどうかはわからない。しかし、「エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソース」という一皿の料理をきっかけに、凡庸な料理人は「最高の料理人」と呼ばれることとなった。そして、数年後、自分のレストランをもった。テーブル数わずか5席のちいさな店だが、客足が途切れることはない。彼の店、『黄金のエイ亭』に行けばミモザのような笑顔のマダムがいつでもわれわれを迎えてくれる。

陽が落ち、夜がやってきても、『黄金のエイ亭』だけは昼間のように明るい。日を追うごとに明るさを増している。あの光が『黄金のエイ亭』をいつも包んでいるからだ。初めのうちこそ不思議な「光」のことは話題になったが、カミュ・エトランジェー街の最長老ムッシュ・ムルソー・シジフォスの「街が明るくなったんだからいいじゃないか。まぶしくたってだれか死ぬわけではあるまいし、殺人が起こるわけでもない」というひと言で光のことが話題にのぼることはなくなった。それどころか、『黄金のエイ亭』の前を通るたびにだれもが「ごくろうさん」と声をかけるようになった。

声をかけられた光はまんざらでもない様子だ。名前もつけられた。黄金のミモスくん。とてもぎこちないけれど、パントマイムの真似事をするようになった。いまのところはなにもしゃべらないが、しゃべるようになるのも時間の問題だろう。そのとき、黄金のミモスくんがいったいどんなことを話すのか、「オジギソウとフサアカシアの闇の闘争」の真実は語られるのか。おおいに興味をそそられるが、それはまた別のお話である。

(Bon appétit!)
 
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by enzo_morinari | 2013-01-30 17:55 | 天使の厨房 | Trackback