カテゴリ:QUO VADIS?( 9 )

吉田松陰のうた/憂国の夢草莽に果つるとも 松の雫は久坂に宿り 花は桂の枝に咲く

 
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── 益荒男ぶりなき長州人・安倍晋三に与う


親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん 吉田松陰永訣句
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 吉田松陰辞世句

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし 高杉晋作への書状

死の一年前、ある弟子に贈った言葉
志を立てるためには他者と異なることを恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてもいけない。死んだのちの業苦を思い煩うな。また目前の安楽は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように。



吉田松陰 (1830年9月20日 - 1859年11月21日)
江戸時代末期の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵法学者。江戸で佐久間象山に学ぶ。伊豆下田港に来航中のペリー艦隊艦船に密航を試みるも失敗。野山獄に幽囚される。獄中で『幽囚録』を著す。ときに松陰23歳。解放後、私塾の松下村塾で「知行合一」を旨とし、心技体にわたる教育を行う。門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)らがいる。日米修好通商条約締結に憤激し、先鋭的急進的な討幕の意志を内外に向けて鮮明にする。別件で拘束中に老中首座の間部詮勝暗殺計画を告白。自ら死罪を申し出る。井伊直弼らが断行した尊王攘夷派弾圧政策と一橋派の粛清一掃(安政の大獄)の過程で刑死。享年三十(満29歳)。墓所は東京都世田谷区若林にある。//主著『講孟余話(講孟箚記)』『武教全書講録』『幽囚録』『留魂録』



吉田松陰

時と命のすべてを賭けた吉田松陰
憂国の夢草莽に果つるとも 松の雫は久坂に宿り 花は桂の枝に咲く

口で言うより行うことが志士の志士たる誇りなら
覚悟の罪の踏海忌 下田港の弁天島の波も讃える男意気

何も持たない若者たちの無欲無限の赤心が日本の明日を創るのだ
松下村塾 長州魂 いまも生きてる萩の町



吉田松陰 - 尾形大作
 

*次回: 司馬遼太郎はなぜ「ノモンハン事件」を書かなかったか?
 
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by enzo_morinari | 2013-12-08 20:24 | QUO VADIS? | Trackback

『モヒカン族の最後』と世界の終り/戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!

 
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モヒカン族は滅んでいない。最後のモヒカン族はまだいない。最後のモヒカンになるのはだれだ? E-M-M


アステカ族の末裔であるナッシュ・タヴェワからもらったネイティブ・アメリカン・フルート(Native American Flute/インディアン・フルート)で『Promontory』を吹いている。映画の『The Last of the Mohicans』の主題曲だ。

大地とともにあり、大地とともに生きた者のみが生みだしえた魂の音楽のための道具。魂の奥深くまで届き、心ふるわす音色。届く。ふるえる。アボリジニの誇り高き赤茶けた大地の戦士たちが奏で、バリングラ/カタ・ジュタ/ウルルをさえ揺るがすディジュリドゥにも匹敵する強度で。

小田実が『HIROSHIMA』の中で書いていた。ネイティブ・アメリカンは大地とともに生き、大地とともに死ぬと。おそらくは小田実の言うとおりだろう。そして、「大地が死ぬとき人も死ぬ」という風の谷のババ様の言葉も。

マイケル・マン監督の『The Last of the Mohicans (モヒカン族の最後)』からもう20年が経つか。そのあいだに世界はずいぶんと変わったものだ。

いい方向に? まさかね。吾輩の知りうるかぎりにおいて、この20年で世界は悪い方向にばかり歩みを進めた。信じがたいほどの愚劣と卑劣と下衆外道と恥知らずが我が物顔で幅をきかせ、肩で風を切っている。恥も知らぬげに。いけしゃあしゃあと。

このまま世界は腐り、悪くなる一方のまま終わるのか? そして、死ぬのか? このまま、「戦うにはいい日」も「死ぬには手頃な日」も来ないのか? まあ、いい。それもまた世界がみずから選んだ道だ。どう歩みを進めようと、どう転ぼうと、いずれ血塗られた道であることに変わりはない。

鷹の眼ダニエル・デイ=ルイスももう56歳か。『ガンジー』から数えると30年。『眺めのいい部屋』からは28年。『存在の耐えられない軽さ (The Unbearable Lightness of Being)』からは26年。『My Left Foot: The Story of Christy Brown (マイ・レフトフット)』からは25年。2012年には『リンカーン』で3度目のアカデミー主演男優賞を獲った。コーラ役のマデリーン・ストウは貫禄のおばちゃん道まっしぐらだし、アリス役のジョディ・メイは匂い立つような成熟したレディになった。監督のマイケル・マンはすっかりおじいちゃんだ。愛娘のアミ・カナーン・マンは『Texas Killing Fields』(2011)という派手さはないが才気を感じさせる作品を監督した。

だれもかれもが齢をとった。一人の例外もなく。物静かに表舞台からの退場を果たすのが美学ということでもあるか。出演作品を吟味しつくすダニエル・デイ=ルイスの次回作をみられるのはいつだろうな。そのときまで The Other Side への道行きの途についていなければいいが。腐っていようと死んでいようと、世界がまだあればいいが。

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ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ! 戦うにはいい日だ! 死ぬには手頃な日だ!
モヒカン族は滅んでいない。最後のモヒカン族はまだいない。最後のモヒカンになるのはだれだ?



Hoka Hey! Ya Ta Hey!
The Last of the Mohicans - The Complete Original Soundtrack
Promontory (The Last of the Mohicans Final Battle)
Five Spirits - Apache
The Indian Road: Dreaming and Sound of Native Americans
The Last of the Mohicans - Native American Flute
 
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by enzo_morinari | 2013-10-25 11:18 | QUO VADIS? | Trackback

スタジアムの夕暮れ/陽が昇り、陽が沈むまでの人生の刹那になにをプレイできるか?

 
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 スタジアムは生きている。生きて、不思議に親しげな息づかいで、プレイする者たち、それを見る者たちにしきりに問いかけている。スタジアムは陽が昇り、陽が沈みきるまでの短いうつろいの中に生き、問うている。


 その頃、私は恐ろしい悲運の連続する熱病のような困憊のただ中にあった。夕闇迫る神宮の森をさまよい歩きながら、日々の生活の困難に押し潰されつつある自分に思いがけず凶暴な感情が膨れ上がっているのを知った。気持ちの昂ぶりを鎮めるために、私は神宮第二球場の薄暗がりの中へ忍びこんだ。夕闇のスタジアムへ紛れこんでいった私を待ち受けていたのはざらざらした盲目の鏡のような土だった。私はその土の上へそっと頬ずりし、暗がりの左打席にしばしたたずんだ。そして目を閉じ、前の晩にスタジアムを埋めつくした観衆を思い描き、シーズン前の疎らな見物客を思いだし、古代の円形闘技場で血の儀式に熱狂する人々を夢想した。

 天使たちの戯れの争い。
 天使たちのやわらかな息づかい。
 天使たちのほのかな汗の匂い。
 万国旗を奪われたまま風に唸りをあげるポール。


 それらをやさしく包み込み、スタジアムはゆっくりと呼吸を続けている。そして、突然の闖入者である私さえをも、そのふところ深く抱きとめてくれているように思われた。

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 スタジアムの魅力は設備の豪華さとは比例しない。同様に、グラウンドはただ美しく整備されているだけでは完結しない。表面に現れない不可視の影の部分と、現実に眼前にあるスタジアムとグラウンドがせめぎ合いながら作りだす不均衡の迷宮の中にこそ魅力も美しさもある。

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 スタジアムは人工的でありながら原始的だ。われわれ現代人がスタジアムに足を運ぶのは、都市がとうに失ってしまった「原始」にまみえたいという欲望のあらわれでもあるだろう。

 スタジアムは古代ギリシャの距離の単位、「スタジオン」に由来する。1スタジオンは約200メートル。沈む太陽が地平線に触れ、完全に没しきるまでのあいだに人が歩くことのできる距離だ。
 不安と孤独と哀しみの200メートル。道を急ぐ旅人がその日の宿りを求めて歩くときの不安とせつなさに似た気配がスタジアムに漂うのはそのせいでもあろうか。選手たちがプレーのさなかに垣間みせる哀しげな表情は古代ギリシャの旅人たちのそれであるのか。

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 ひととき、夕暮れのスタジアムに身をゆだねると、熱病のような困憊はいつしか心地よい疲労感に変わっていた。天使たちの束の間の休息に立ち会いながら、スタジアムがいったいなにを問いかけているのか理解できたような気がした。そして、来たときとはまた別の種類のステップでスタジアムをあとにした。スタジアムが問うているのは陽が昇り、陽が沈むまでの人生の刹那におまえはなにをプレイできるかということだった。

 夏休みが終わる残りの数日のあいだに、世界中の大小取り混ざったスタジアム、グラウンドではいったいどのような種類の汗が流されるのだろうか。世界の果てからまだ見ぬ未来のイチロー、メダリスト、Jリーガー、小さな天使たちにささやかな声援を送ることにしよう。
 
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by enzo_morinari | 2013-08-29 16:13 | QUO VADIS? | Trackback

世界中のドロシーは虹の彼方にたどり着けたのか?

 
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世界中のドロシーたちは虹の彼方にあるという「約束の地」「PROMISE LAND」をみつけることができたのか?


「世界中のドロシーは虹の彼方にたどり着けたのか?」とまず問うてみる。そしてそののち、「世界中のドロシーたちは虹の彼方にあるという『約束の地』『PROMISE LAND』をみつけることができたのか?」とも問うてみる。さらに「吾輩は、あるいは人間は何処に行こうとしているのか?」とも問うてみる。この問いを発してからかれこれ50年になる。この「問い」はいまも有効である。この春、ようやくにして、この「問い」に対する解答のごときものはみつかった。みつかったが他者に教えることはできない。「宇宙を支配する巨大な意志の力」との契約があるから。この契約については解約も解除もできない。事情変更の原則の適用もなければ無効の訴えを提起することもできない。「在りて在るもの」との契約を解除できるのは「約束の地」「PROMISE LAND」においてのみである。

思えば、星に願いを託し、虹の彼方を夢み、「この素晴らしき世界」とつぶやきつづける人生だった。星はずっと沈黙したままで、虹の彼方にあるはずの夢は粉々に砕け散り、世界は素晴らしくも輝いてもいなかった。手に入れることができたのは、夜ふけ、世界にただ一匹のミニチュア・セントバーナードの老犬にフルーツ・オブ・ザ・ルームのプレミアム・バナナをひときれくれてやる程度の、数少なくかけがえのない幸福を感じる日々だ。それとても、いつ突然の終焉を迎えるかわかったものではない。そして、さらに厄介で剣呑で狷介な問いが頭を擡げている。

数。涅槃寂静、阿摩羅、阿頼耶、清浄、虚空、六徳、刹那、弾指、瞬息、須臾、逡巡、模糊、漠、渺、埃、塵、沙、繊、微、忽、糸、毛、厘、分、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、??、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。10のマイナス24乗から10の88乗まで。ヨクトからヨタまで。10のマイナス24乗から10の24乗まで。極大と極小。極小における一致。東西の分断は極小世界において統一されている。これらのそれぞれには、いかなる冒険者であろうとも征服しえない闇あるいは光がある。不可思議無量大数ヨタの虹と世界と星々さえも。

世界中のドロシーよ。虹の彼方への道のりは不可思議無量大数ヨタKmよりさらに遠く、「約束の地」「PROMISE LAND」の扉は針の穴どころか涅槃寂静ヨクトmmほども小さい。それでも、それであってもなお、おまえたちは虹の彼方を目指すか?

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天国からカミナリ、天国にアローハ!

IZはひとつ年下だった。IZは1997年6月26日午前0時18分に死んだ。38歳になったばかりだった。春の終りに天上界からやってきたIZは夏の初めに天上界へと帰っていった。

IZが死んだとき、まちがいなく世界は軽くなった。370kgぶん。そして、宇宙の涙の総量が2パーセント減った。吾輩はIZを悼んでチャンティングした。ポリネシアンたちが集まってきて最後は大合唱のようなチャンティングになった。

「そんなふざけた話があってたまるか」と思った。生きていなければならないやつが死に、死んでしまったほうが世界が2パーセントくらいよくなる吾輩のような者が生き残る。まったく世界はふざけた話ばかりで出来あがっているものだと思ったぜ。

IZよ。おまえがいなくなって世界は確実に2パーセントくらいつまらなくなった。HAPAの『Pau 'Ole Ka 'I'ini』とテレサ・ブライトの『Hula Heaven』がなぐさめてくれた時期もあったけど、所詮、焼け石に水だ。長続きはしない。やっぱり、おまえがいないとな。そんなことは初めからわかりきってはいたんだ。F1にアイルトン・セナが欠かせなかったように、音楽、少なくともハワイアン・ミュージックにはIZが欠かせないんだ。少なくともこのおれの世界においてはな。

IZよ。世界はますますつまらなくなっていくぜ。地上の楽園なんてとんでもない。そんなものはこの広い宇宙のどこにもありゃしない。地上の楽園があると言う奴やあると信じている奴は救いようのないバカか大うそつきかオニヒトデか野村沙知代か福島瑞穂か辻元清美か和田アキ子か田嶋陽子だ。

地上の楽園なんかとっくに消滅しちまったんだ。地上の楽園があって、そこでは人間も動物も森の樹々たちも仲がよくて、毎日毎日、朝から晩まで笑い転げて暮らしていられたのは、おまえがまだ地上にいたころの話、昔々の大昔、神さまがまだヘソを曲げる前の話だ。いまここは陰険で冷酷で姑息で臆病で狭量で鈍感で狡いやつばかりがおおきな顔をしてのさばる世界だ。

息をするのさえ苦しいぜ。おれだけじゃない。大勢のやつが「息もできない」「居場所がない」って、落下傘も蝙蝠傘もなしでエンパイア・ステート・ビルヂングから飛降りてみずから死を選ぶ始末だ。中にはマリアナ海溝の一番深いところにスクーバ・タンクもレギュレーターもBCDもウェイトもフィンもマスクすらもなしで潜って、最期はスルメイカみたいにぺしゃんこになって死ぬやつもいる。これもエンパイア・ステート・ビルヂングから落下傘なし蝙蝠傘なしで飛降りたやつらとおなじだよな? なんでこんなことになっちまったんだろうな。おまえはいい時期に逝ったのかもしれないぜ、IZ。

ん? カミナリが鳴ったな。聞いてたんだな、IZ。天国からカミナリとはな。いかにもおまえらしい。え? なんだって? 「情けねえぞ、兄弟」って? そりゃね、歳も歳だしね。うんうん。そうか。いやなことばかりじゃないって? そうだ。そのとおりだ。ついこのあいだの明け方、おれもそう思ったよ。いやなことばかりじゃない。いやなやつばかりじゃないってね。うんうん。オーケイ。アローハだよな。おまえの言うとおりだ。Akahai/やさしさと思いやり、Lokahi/調和と融合、Oluolu/よろこびをもって柔和に、Haahaa/ひたすら謙虚に、そして、最後にAhonui/忍耐と我慢だな。

オーケイ。わかった。もうすこしだけがんばってみることにするよ。お? またカミナリだ。うんうん。「そうだ。それがいい。もうすこしだけがんばるんだ、兄弟。アローハ!」ってか? わかったよ、IZ。天国に「アローハ!」のお返しだ。アローハ! 何度でもアローハ! どこにあるのかも、あるのかどうかさえわからない虹の彼方にも、このろくでもない素晴らしき世界にもアローハ!

また夜が明けてきた。雨が降っても降らなくても、やんでもやまなくても、世界に、世界中に、世界のありとあらゆるところに虹がかかったらばいいな。涅槃寂静の極小世界から無量大数の極大宇宙まで。ヨクトもギガもテラもヨタまでも。朝から晩まで。夜明けでも夕暮れでも真夜中でも。ピョンヤンでもヨハネスブルクでもパリでもニューヨークでもミラノでもトーキョーでも。エストリルのローズガーデンにもリエのたたずむマグノリアの花影にもガジンが立ちつくすメニエール・ダンスの舞台にも「我の風」の吹きつけるリンゴの国にもシリアをめぐる政情不安に心も散り散りの地中海の感傷にもまごうかたなきラオスとモンクとイカセンセンな三枝点にも甲斐の山奥でパリッモチックマッなセ・シ・ボン熊ん子ちゃんにもあまたの困難と困憊と剣呑と狷介を抱えつつもビーズするマーチャノワにも梅干しシート・デイズを生きるココペリキリギリスのボーイ・リョージにもシュレディンガー・キャット・ラボラトリーズ研究員ノラEIの猫にこんばんはな日々にもトーキョー・ジェットコースター・デイズの戦友であり、同行者でもある虹子と一番弟子のポルコロッソと二番弟子のダニーボーイにも。その日喰うめしのあてもない不遇の人々と「オサレなおランチと豪華絢爛豪勢大仰なディナー」まみれのおセレブさまがたにすらも。そして、だれの心にも。

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Somewhere over the Rainbow - Israel "IZ" Kamakawiwoʻole
Somewhere over the Rainbow - Keith Jarrett
Somewhere over the Rainbow - Eric Clapton
Somewhere over the Rainbow - Eva Cassidy
Somewhere over the Rainbow - Kenny G
Somewhere over the Rainbow - Les Paul
Somewhere over the Rainbow - Tuck Andress
Somewhere over the Rainbow - Judy Garland
 
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by enzo_morinari | 2013-05-14 04:29 | QUO VADIS? | Trackback

QUO VADIS? われわれはどこから来てどこへ行くのか?

 
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名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ
冷めやらぬたちの悪い微熱に困憊辟易しながらおそい午睡から醒めた。窓の外を見ればすでに黄昏どきを過ぎ、夜の帳が降りはじめている。そこここの街の灯りの瞬きが熱をもった目にはすこし眩しい。

虹子はポルコロッソの毛繕いに夢中でこちらには無関心を決め込んでいる。冷水で顔を洗い、たばこを立てつづけに3本吸う。まずい。なにゆえにこれほどまずくてくさいものと訣別できないのであるか? たばこの先端の小さな熾を見ながらしばし考えてみる。考えながら煙りを吸い込み、吐き出す。答えは出ない。答えなど出なくてもいっこうにかまわない。なぜなら鼻から答えを求めていないからだ。答えを求めない者に解答は用意されないものと大方の相場は決まっている。

手持ち無沙汰につけたインターネット・ラジオから聴こえてきたのは鮫島有美子が歌う『椰子の実』だった。豊かで透明感のあるソプラノが心地よく、しばしのあいだ微熱の不快を忘れた。

それにしてもこの微熱のやつめが! もう1年以上もつづいている。いったいどこからきているんだ? まあ、いい。死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。そのことはすでにして十分すぎるほど学んできたじゃないか。いつくたばってもいいようにすべての段取りはつけてある。ぬかりはこれっぽっちもない。残るは当事者がボタンを押すか押さないかを決めるだけのようにしてある。話は簡単だ。よほどの臆病者か愚か者でないかぎり、失敗も敗北もない。それより、『椰子の実』だ。

名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ
故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月
旧の樹は生いや茂れる枝はなほ影をやなせる
我もまた渚を枕孤身の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば新なり流離の憂
海の日の沈むを見れば激り落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々いずれの日にか国に帰らむ


「文化」としての感受性
なつかしい。琴線に触れる歌のひとつである。島崎藤村作詞、大中寅二作曲。歌が終わり、名残り惜しいので iTunes Store にアクセスして『椰子の実』を何曲か購入した。生憎、鮫島有美子のものはなかった。

「椰子の実」「童謡」「唱歌」をキーワードにスマート・プレイリストを作り、リピート・プレイ設定。以後、繰り返し聴く。聴きながらふと思う。『椰子の実』を欧米人が聴いたとして吾輩と同じ種類の感懐を持つだろうか? 持たないというのが吾輩の出した結論である。彼らは南方の地を資源の調達先、植民の地、リゾート地としてはとらえても、決してみずからの起源の地とは考えないから平然と踏みにじってきた。文化としての感受性の対立点はみずからがよって立つところ、「起源」にこそある。

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『椰子の実』をめぐる物語
『椰子の実』には誕生秘話とでもいうべきものがある。日本民俗学の泰斗柳田國男が若き日の夏、愛知県渥美半島伊良湖岬の恋路ヶ浜に漂着した椰子の実を拾うところからこの物語は始まる。このとき、柳田23歳。柳田は『海上の道』の中で次のように述べている。

舟の出入りにはあまり使はれない四五町ほどの砂浜が東やゝ南に面して開けて居たが、そこには風のやゝ強かつた次の朝などに椰子の実の流れ寄つて居たのを三度まで見たことがある。一度は割れて真白な果肉の露はれ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えてまだ新らしい姿で斯んな浜辺まで渡つて来て居ることが私には大きな驚きであった。この話を東京に還つて来て島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。

東京帰還後、柳田が友人である島崎藤村に椰子の実の話をすると、藤村は「君、その話を僕にくれたまえよ、誰にも言わずにくれたまえ」と柳田に頼みこむ。柳田自身の感想は『遊海島記』の中に「嵐の次の日に行きしに椰子の実一つ漂ひ寄りたり。打破りて見れば梢を離れて久しからざるにや、白く生々としたるに坐に南の島恋しくなりぬ」とある。柳田がここで言う「南の島」とは個別具体的な場所ではなく、「海の彼方の世界」という幻想を含むものだったろう。椰子の実を契機とした柳田の「南の島」、「海の彼方」への思いは『海南小記』を経て、64年後に『海上の道』として結実する。

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QUO VADIS? われわれはどこから来てどこへ行くのか?
柳田國男が生涯を通して追い求めたのは「日本人はどこから来てどこへ行くのか」ということにつきるが、その出発点は東海の小島の浜辺でみつけた椰子の実であった。名も知らぬ遥か遠き南の島から黒潮に乗って流れ着いた椰子の実とその香りに若き柳田國男はめくるめくような陶酔を感じ、さらには、日本人の原形を読み取ったことだろう。日本人の起源に思いをいたし、また、遥かなる海の彼方の世界に恋い焦がれもしたろう。ここにこそ柳田國男の天才がある。

最晩年、柳田はこのときにえたインスピレーション、モチーフを『海上の道』として結実させる。64年の歳月を経て、柳田國男の感動はようやく実を結んだのだ。『海上の道』出版の翌年、若き日に見た幻、夢を後世に託すようにして柳田國男は世を去った。『海上の道』は柳田國男の遺言とも読める。伊良湖岬恋路ヶ浜に漂着した椰子の実は島崎藤村の『椰子の実』と柳田國男の『海上の道』というふたつの傑出した言霊へと開花した。われわれはこのふたつを羅針盤として、いつでも、どこへでも漕ぎだすことができる。綴る航海日誌からは芳醇馥郁たる香りが立ちのぼってやまないはずだ。

まだおそくはない。まだまにあう。煌めく海へ、あふれる思いに胸を熱くする航海へ、星屑とのランデブーへ、うつろいゆく宇宙のかけらの旅へ向けて出航する時間はすぐそこに迫っている。
 
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by enzo_morinari | 2013-02-25 22:00 | QUO VADIS? | Trackback

タイガーホールにエンターせずんば

 
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 なにごともまず独創茶である。それが小さなコビトの大きな世界における掟、流儀、作法、タイガーホール・ルールだ。海峡を挟んでホームランをかっ飛ばしたお隣りさんのタイガーバーム・ガーデンのあまりにもなフェイク、キッチュ、レディス4ぶりに日本橋三越本店屋上ショボクレ・ガーデンな吾輩なわけではあるが、怪しさ満載のタイガーバーム・ガーデンの財務状況の深刻さについてはマウスをつぐみ、ついでにクリッククリックして独創茶を濁すこととする。
 さて、黒い皇帝一族によって結成された山崎エンペラー党分派の毒掃サークルが、ココ山岡一番抜けがけしたいときに抜群の効果を発揮するといわれている蕺草のフェイクもの漢方物件、「ドクダミー」を薬事法ぎりぎりぎっちょんにぶちこんで秘密裏に開発した「独走ティー」が特許庁に特許申請されたことをきっかけとして「虎ノ門」を「タイガーゲート・シティ」に町名変更しようという動きが出始めている。そのホース・ヒップに便乗するかたちで虎の門病院もここぞとばかりに「タイガーゲート・ホスピタル」へ名称変更しようと虎視眈々、アイ・オブ・ザ・タイガーバーム・ガーデン状況という次第にあいたマウスがクローズドしない吾輩をよそに、そうはさせじと虎仮面(伊達直人)になりすましたカン・チョクト元首相は国立界隈をお遍路行脚しながら密かに集票集金組織であるところの「タイガーバーム・ガーデン・ゴールデンボール・ホール」を関係代名詞的に立ち上げ、掘り進んだ揚げ句、「震度7でもビクともしない予算委員会室のシャンデリア」の開発に飯田橋・竹書房第3編集部の編集者全員を投入すべく、新型点数計算機で2013年春のピーチクパーチク合戦に余念がない。 虎の威を借りて「虎の尾を踏む」とはまさにこのことだ。

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 先のオール・アバウト・ザット・ジャズのエレクション結果をなんと心えておるのか吾輩としては甚だスナドリネコさん乃至はしまっちゃうおじさん的に「そこでクエスチョンです」とも言いうる新疆ウィグル自治区な気分である。いくらクラスターの小さな水であるからと言って無条件で独創茶に用いるわけにはいかないことは小さなコビトの大きな世界の王、リトル・ウィロー・ウィープ・フォー・ミー・ホーミー3世とも意見の一致をみているマイ・フーリッシュ・ハートな吾輩である。なにごともタイガーホールにエンターせずんば成就しないというのはリアル・シットな KISS MY A●S HALL である。この件についての「ギミアブレイク!」系の申し出については淀殿を投入してでもはらたいらに4200デュラス的におティーティーを濁す所存である。maki + saegusa の声の代理人、モンクさんもゲッソリである。

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 いつの日か、タイガーバーム・ガーデンにはニーチェ爆弾に次ぐ威力を持つ虎爆弾をぶちかましてやりたい衝動を如何ともしがたい吾輩である。斯くなる上はタイガーバーム・ガーデンはタイガーボム・ガーデンとしてリニューアルだ。まことに虎の皮一枚にこだわるグレン・ハーバート・ゴールドも納得の事態である。バンツマ小倅タカヒーロ・タムーラがニセ関西弁で「トラ! トラ! トラ!」のかけ声も勇ましく御登場とあいなれば「虎をめぐる物語」「虎をめぐる冒険」は大団円を迎えるという次第だ。
 休息所で髭も剃ってサパーリ(ニチャー語で「明瞭」)し、ケコーケコー(エウスカラ語で「良好」)、それしてもモンクさんの鮮やかな代赭色が目にシミーズ(トレーン語で「釘づけ」)だ。きわめて、スピリトゥス・レクティフィコヴァニにシミチョロ(ヴォラビュク語の古諺「洪水はわが魂に及び」)である。
 虎麦酒をば掻っ食らって大立ち回りの大虎のあとには海峡を越えたホームラン級の虎退治でもしてやろう。とらぬ狸の皮算用とならないことを祈るのみだ。さて、独創茶をトラックバックしながら飲んで吉野石膏の株主総会でタイガーボードに蹴りを入れる仕度だ。旦 つ。
 
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by enzo_morinari | 2013-02-13 04:49 | QUO VADIS? | Trackback

たたかうシニフィエ、かいくぐるシニフィアン

 
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今般、ある実験を行った。アクセス・ブロック実験だ。予告なく実験台にされた方々には謝罪したい。なにひとつ、これっぽっちも届くまいが。もちろん、反省など微塵もないが。

実験の眼目はかれらがアクセス・ブロックをかいくぐり、かれらに向けて放たれたダブルスピークを読み取れるかどうかというきわめて野心的独創的樽犬的なものであった。これは戦場で2000tのナパームの雨をよけながらアルファ・ブラボー・チャーリー・デルタ作戦を成功させたハンバーガーの丘の男たちの挽肉2000tの難解さと困難に匹敵する。

足を踏み入れずにシニフィエを読み取り、手に入れること。足跡を残さずにシニフィアンに関係すること。そして、姿なきシニフィアンが待ちかまえる「ゴディバの戦場」の中心に立ちつくすこと。ダブルスピークの弾幕に尻込みせぬこと。

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吾輩の悪意と愛情と預金通帳の残高と贈与と交換と音象徴を満足させたのは1名。あとは全滅である。反応なし。即座に「イイネしないリスト」から外したのは言うまでもない。しかも、永遠のアクセス・ブロックのオマケ付きである。

おめでとう。チャーリー・オスカー・ノヴェンバー・ゴルフ・ロメオ・アルファ・タンゴ・ユニフォーム・リマ・アルファ・タンゴ・インディア・オスカー・ノヴェンバー! 再度、言う。合格者は1名。その者の名は東京シニフィアン! おめでとう! 吾輩! ブラボー! 東京シニフィアン!

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by enzo_morinari | 2013-02-05 02:34 | QUO VADIS? | Trackback

『Amazing Grace』という奇蹟/別れゆく朝のために

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『Amazing Grace』はずっと昔から好きな楽曲だったが、真の意味でその「癒す力」を実感したのは9.11後のグラウンド・ゼロで行われたセレモニーの折り、ニューヨーク・バグパイプ・バンドによって『Amazing Grace』が演奏されるのを目撃したときだった。
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 よく知られているとおり、『Amazing Grace』は奴隷商人の男がみずからの半生を悔い、絶望と悲しみと恐怖のうちに死んでいった者たちへの鎮魂として誕生した讃美歌である。祖国を追われるようにして新世界にやってきたピルグリム・ファーザーズの苦闘と数々の過ち、独立戦争から奴隷制の深い闇を経て近代国家建設のための産みの苦しみ中で身悶え、のたうち回るアメリカの沸騰する蒸気機関のような社会が『Amazing Grace』を産んだと考えてよい。
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 アメリカ社会はホワイトとカラードという分け方で理解されてきたが、事はそう単純ではない。ホワイトの中にもめまいをおぼえるほどの格差、クラースがある。いわゆる「WASP」に属さないイタリア系、アイルランド系、ユダヤ系等々の人々は陰に陽に数々の差別と弾圧を受けてきている。「9.11」という人類史の転換点ともなるような強烈な事態に直面して、初めてアメリカはWASPであるか否か、白人であるか有色人種であるかを問わずに現実と向きあわざるをえない経験をしたというのが吾輩の考えだ。そして、そのときに傷つき、苦しみ、悲しむ彼らの魂を癒したのが『Amazing Grace』だったろう。
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「素晴らしき神の恩寵」が果たしてアメリカ社会だけでなく、人種、民族、宗教を超え、生きとし生けるもののすべてを包みこむことができるか否かをこの両の眼で目撃するのはとうていかなうまいが、それでも、『Amazing Grace』にはあらゆる世界、あらゆる時代に無数にある死や悲劇や飢餓や困難困憊の一端を癒す役割を担ってもらいたいと、別れゆく朝をあと数時間後にひかえ、強く思うものである。
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 旧い年と別れゆき、出会う新しい年が健やかな1年であることを祈ります。
 
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by enzo_morinari | 2012-12-31 16:00 | QUO VADIS? | Trackback

ラカンの鏡

 
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浅田彰が『構造と力/記号論を超えて』という名の哲学カタログを大売り出ししてから、すでに30年の歳月が経とうとしている。

当時の「知」の大安売りに便乗した者たちは今どうしているのか? へっぽこスカタン瀕死頓死寸前の朝日ジャーナルの部数拡大戦術にうまうまと乗せられて軽薄表層上っ面おっちょこちょいにも「ニュー・アカデミズム(ニューアカ)」なる珍妙奇天烈な「立場」「立ち位置」を標榜していたボンクラポンコツどもは?

A( )Cの代表格である中沢新一は相も変わらず施錠済み密室状態の研究室で脳味噌のしわの足りないJDのうなじに息を吹きかけ、尻を撫で、追いかけまわしているのか? あまたの空間プロデューサーは? 往年の新人類たちも、いまや中年もしくは老人初期の真っ只中を生きている。

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ジャック・ラカン先生が死んだとき吾輩は22歳だった。ラカン先生のセミネールはいつもハラハラドキドキの連続だった。

吾輩がラカン先生のセミネールに初めて参加した頃、セミネールはサンタンヌ病院の消毒液と糞尿とナポリタン・マスチフの肉球の匂いのする部屋で行われていた。ジャン・イポリットやユリア・クリステヴァやルイ・アルチュセールを何度かみかけた。

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ユリア・クリステヴァは当時から胡散臭かった。インチキとまやかしと色仕掛けのにおいがした。鼻持ちならなさは野村沙知代豚クラス。嘘臭さは軽々と辻元清美を凌駕していた。辻元清美が「真実の口」の番人にさえ思えるほどである。あんなろくでもない女がもてはやされる時代がかつてあったのだ。

雇われ社長のポンコツ成田兄弟がへっぴり腰でやっていた麻布十番の「マハラジャ」VIP ROOMに出入りする能天気な坊やたちまでもが「刷り込み」だの「フラクタル」だの「パラダイム・シフト」だのといった言葉を誇らしげに口にしていた。『構造と力/記号論を超えて』とともに、『逃走論/スキゾ・キッズの冒険』を片手にナンパすることがいけしゃあしゃあと行われていた。ふざけた時代があったものだ。

総じて言えば、80年代は「スカ」だったということにでもなるのだろうが、同時にそれは、のちの「失われた十年」を生き抜くための準備運動の時代であったようにも思える。

あの「泡の時代」「バブル・フェスティバル」の意義は、現代ニッポンや現代ニッポン人や現代ニッポン文化がどこまでおめでたいかを知り、計測する絶好の機会になったということにつきる。

ニッポンおよびニッポン人ならびにニッポン文化の底の浅さとおめでたさはさらに拍車がかかったというのが吾輩の感想だ。大震災、原発事故以後、それはさらに顕著になり、恥も外聞もなくなり、露わになり、あからさまになった。

「絆」だの「友愛」だのが実現の道筋なき空虚な言説によって語られ、そのいっぽうで、「オサレなカフェ」やら「午後のお茶の会」やら「女子会」やらの極楽とんぼタームがふんぞりかえりながら臆面のひとかけらすらもなく大手をふって街を闊歩している。驚くべきことにそれらの事態に喝采を送るおっちょこちょいのお追従者、有象無象が山のようにいるという事態、現実。有終の美のかけらもなくニッポンは終わるという次第でもあるのか?

さて、ラカン先生のそばにはいつも鏡が置いてあった。大小様々。デザインも色々。中国の前漢時代の青銅鏡もあった。あれは本物だったのか? 本物だとしたらラカン先生はなにかしらの犯罪に与していたことになるな。もはや真相を究明することはほぼ不可能だし、究明したところでえられるものなどポンコツどもの「依存談義」ほどの価値もあるまい。

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1980年代から90年代にかけて影響を受けた思想家、哲学者、文学者のほとんどは死んでしまった。それもたてつづけに。なしくずしに。生きているべき者や死んではいけない人が死に、とっとと死んでしまったほうがいいような輩がごまんと生き残り、いけしゃあしゃあと生き延びる。

腹立たしかった。「鏡像段階」をさえ乗り越えることのできないニッポン国。「寸断された身体」のイメージ(Image morcelée du corps)の中にしか生きることができず、自分が一個の身体であることの自覚なきニッポン大衆。ラカンの鏡はこの国にはなく、あるいはあっても瞬時に木っ端みじんにされる。ラカンの鏡に自己を映したければよそを当たるしか手はあるまい。さもなくば、世界のどこであれ「午睡」「昼寝」を決め込むかだ。

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by enzo_morinari | 2012-12-28 11:30 | QUO VADIS? | Trackback