カテゴリ:オルタナティブ・ヒューミント( 1 )

オルタナティブ・ヒューミント#1 暗号名: 法王庁の抜け穴

 
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ポール・ギヨームの『シンフォニー・パストラーレ』の最終楽章が流れる中、メールの着信を報せるアラームがけたたましく鳴った。ヘッダーを見ると馴染みのないアドレスが目に飛び込んできた。

tarcisio_bertone@vatican.va

ヴァチカンの国務長官からだった。なぜ? なぜヴァチカンの国務長官が私のメールアドレスを知っているんだ?

メールのサブジェクトにはNome di Codice: I Sotterranei del Vaticanoとある。暗号名: 法王庁の抜け穴? なにかの冗談か? 本文にさっと目を通す。

なるほど。そういうことか。これは少しばかり厄介なことになりそうだ。私は弟子長の松平を呼び、事の次第を手短に説明し(ただし、のちに松平にいささかの累も及ばないよう核心部分にはいっさい触れずに細心の注意を払いながら)、しばらく留守にすることを告げた。松平はすぐに事態の深刻さを理解した。さすが私が見込んだ男だ。頭脳明晰なだけでなく、腹も度胸もすわっている。

「あとは頼んだ」と私は最後に言い、松平に手を差し出した。松平は私から片時も目を離さず、まばたきすらしない。そして、とても強い力で私の手を握った。松平の目が赤く充血している。

「泣くところじゃねえぞ、マツ」
「わかっております」
「だが、今生の別れだと覚悟は決めておけ。いいな?」
「わかっております」

松平の背中を見送る。ドアが閉まると外から松平が号泣する声が聞こえた。この期に及んで私はまたもや泣かせ屋一代というわけか。

メーラーの受信フォルダにある「機密」「極秘」「マル秘」のフラグがついたメールを Mac Mini の中にある重要案件ファイルとともにすべて iCloud にコピーし、iCloud のセキュリティ・コードを5重に設定しなおした。そして、Mac mini のHD上にあるすべてのデータを合衆国国防総省規則5220-22M準拠の最高度のセキュリティ・レベルで消去した。7度の上書きによって Mac mini は赤児同然のうぶな状態に戻った。

11月1日、諸聖人の日(Sollemnitas Omnium Sanctorum)に法王庁宛に最終解答を提示するようにそのメールは指示していた。いや、指示というよりも半ば強制強要していた。

私は手早く身支度を整え、弟子どもに留守中の注意を与えてからメールの指示通りに「南西に向いた窓の下から13番目の羽目板の右側」を13回叩いた。錆ついたプレス機が発するような音がして「法王庁の抜け穴」が姿を現した。

「法王庁の抜け穴」は縁に手のこんだ彫刻が施され、奈落に向かって螺旋を描きながら急激に落ち込んでいる。私は螺旋の穴を覗きこんだ。奈落の底から赤と代赭色と青の光が規則的に点滅している。私にはその光の点滅の意味がすぐにわかった。

「イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ。イマスグダイヴセヨ・・・」

私は「さらば!」と弟子どもに声をかけ、ポルコロッソを抱き、ゼロ・ハリバートンを脇に抱えて「法王庁の抜け穴」の中心にダイヴィングした。『シンフォニー・パストラーレ』の最終楽章のトランペットが高らかに鳴り響いた。

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奈落へと落下していく速度は意外なほど緩慢だった。私のふところに抱えられたポルコロッソははじめのうちこそ震えながら鼻を鳴らして怖がっていたがすぐに落ちつきを取り戻した。

エヴァンゲリオン・マチュウのチャプター15-14「盲人が盲人の道案内をすれば二人とも穴に落ちる」という魚のしるしを持つ者の言葉がふと脳裏をかすめる。しかし、今回ばかりは見えなかったからという理由でお咎めなしということにならないのは明らかだった。

私がいま対峙しているのは生易しい相手ではない。血も涙も容赦も手加減もない「裏法王庁」、すなわちイルミナティだ。へたをすれば自分ばかりか私に関わりのあるすべての者の命と人生と財産を賭け金として要求される。しかも、その勝負はとんでもないイカサマがあちこちに仕掛けられている。プレイヤー側の勝率は高く見積もっても100対1。勝つ確率は1/100だ。50年以上生きてきてこれほど分の悪い勝負は初めてだった。

私は8回つづけて舌打ちした。舌打ちを終えると愉快なことを思いついた。それは私の初めての弟子、スミジル・スミッティ・スミスと「パスタを茹でつづける者はなにを考えるべきか」に端を発した人類の前に立ちはだかる諸問題(絶望のパスタ=スパゲッティ・アーリオ・オリオ・ペペロンチーノに刻んだベーコンを入れるべきか。ベーコンはイベリコ豚のものでなくてもいいのか。隠し味にペスト・ディ・アッチューゲを使うのは是か否か。われわれが囲むファイストス円盤を模したテーブルはなにゆえにウォールナットでもヒッコリーでもホワイト・オークでもなくホンジュラス・マホガニーを素材としているのか。われわれはいったいいつ『哲学的お尋ね者問題』の張本人、ソバージュ・ネコメガエルのエクリチュール・ロゴスとの決着をつけつることができるのか。われわれ人類はいったいどこに向かっているのか)について2週間にわたってスパゲティ・バジリコとペペロンチーノを交互に食べながら侃々諤々の議論をしたときに私の口から思いがけずこぼれた「名言」だった。すなわち、「いかなるサイコロの目も裏目を足せばすべてラッキー7である」というものだ。

感激したスミジル・スミッティ・スミスはその場で暇乞いを宣言し、私に有無をいわせる暇もあらばこそ、演説商人として世界中を旅しはじめた。いまではフォーブスの表紙を飾るほどの成功を収め、私に毎春、領収書不要にして「足のつかない重宝なゼニ」にするために何重もの仕掛けが施された1億ユーロほどの「上納金」を納めるために会いにやってくる。

私はスミジル・スミッティ・スミスに会うたび、「小銭をためて背中が錆びたり煤けたりしたらただじゃおかねえぞ。いいな? 血管はいつも、つねに浮かび上がらせておけ。いいな? ”いい日計画”は毎日でも立てるんだぜ」と言ってやる。

私が言うとスミジル・スミッティ・スミスはこれ以上ないくらいの気持ちのいい笑顔をみせ、私におでこを差しだす。私は渾身の力と慈愛と感謝と感動をこめて差しだされたスミジル・スミッティ・スミスのおでこにデコピン42連発をくれてやる。

1発ごとにスミジル・スミッティ・スミスは歓喜のうめき声をあげる。42発目は特に力をこめて一撃する。スミジル・スミッティ・スミスの額は真っ赤に腫れあがり、血がにじむ。額のど真ん中に不釣り合いな瘤がある人物を見かけたらそれは私の弟子だと思っていい。さもなくば敬虔なイスラーム教徒だ。

またある人物のことが思い出された。冬眠を忘れた熊だ。冬眠を忘れた熊は正体不明の人物だった。冬眠を忘れた熊の本当の名前を知る者はいない。この私ですらも知らない。八方に手をつくしたものの結局わからずじまいだった。冬眠を忘れた熊とはある土地取引をめぐる騒動を収める交渉の過程で知り合った。

冬眠を忘れた熊とは互いに「双方代理」をやって法外の報酬を得た。交渉の最中の「ディーラーとプレイヤーを同時にやれば勝利は100%だ」という私のひと言を冬眠を忘れた熊は聞き逃さなかった。その夜に冬眠を忘れた熊が訪ねてきた。冬眠を忘れた熊は開口一番に言った。

「組もう。俺がディーラーでプレイヤー。あんたもディーラーでプレイヤー。ほかのやつらは全員プレイヤーだ。賭け金はすべていただく」

身震いが起こる。

「ディーラーとプレイヤーを同時にやれば勝利は100%だ。賭け金はすべていただく」

そう口にしたとたんに燃えたぎるがごとき闘志が身の内から沸き上がってきた。私は緩慢な落下に身を任せつつ、ボンクラ自民党が大敗北を喫し、スカタン民主党が政権奪取した2009年夏から遡ること数ヶ月前の春の初めのある出来事を思い浮かべた。

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オルタナティブ・ヒューミント
名刺には「内閣情報調査室 調査官三谷秀喜」とだけあった。

「内調さんがなんの御用で?」

私は三谷から片時も眼を離さずに言った。

「樽さんに是非ともお力添えいただきたいことがありまして」

三谷は左手の親指を右手の親指の腹で擦りながら言った。三谷は一見すると身なりに隙がなかった。スーツの仕立ては良かったし、シャツとネクタイのコーディネートもクールでスマートだった。眼鏡はサヴィル・ロウの SR Executive で気品と知性があった。時計がロレックスというのはいただけなかったがぎりぎりで許容範囲だ。しかし、靴がすべてを台無しにしていた。合成皮革のゴム底靴で戦うことはできない。たとえ相手がコソ泥であってもだ。

「ギャラは高くつきますよ」
「承知しております」
「事と次第はいっさい問いませんがね」

三谷の顔にわずかだがやっと光が射した。

「さて、お話をうかがいましょう」

私は膝の上のポルコロッソを撫でながら言った。

「端的に申し上げます。樽さんのお父上は大戦中、梅機関で諜報活動をされておられましたね?」

私は答えるかわりにポルコロッソを膝からおろし、座りなおした。三谷の眼が SR Executive の奥でかすかにほくそ笑んだのがわかった。

「お父上が残された資料の類をすべて引き渡していただきたい。すべてです。譲歩はありません」
「拒否したら?」
「拒否はできません。国家意思ですから」
「血みどろの戦いになるぞ。少なくともあんたの時計と靴では引金に指をかけることすらできない戦いだ」
「覚悟はできております」
「わかった。では、戦場で会おう」

三谷はうなずき、立ちあがった。そして、一礼すると踵を返し、出口に向かった。背中には揺るぎなき意志の力があった。「しんどい戦いになるな」と私は独りごち、傍らで不安そうに私を見上げるポルコロッソに声をかけた。

「だいじょうぶだ。心配するな。私は負け戦はやらない」

(影佐禎昭の魂は魔界都市・上海に宿る)
 
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by enzo_morinari | 2014-06-09 18:47 | オルタナティブ・ヒューミント | Trackback