カテゴリ:Orilla del Mundo( 2 )

哀しくせつなくあてどなく儚い世界の終り

 
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スキーター・デイヴィスの『The End of the World』はナイーヴさがナイーヴなまま保たれていた季節、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しく哀しくせつなくあてどなく儚げに輝いていた世界とつながっている。 E-M-M


インターネット・ラジオで戯れにDJの真似事をしていた頃。番組の最後には必ずスキーター・デイヴィスの『The End of the World』をかけた。リスナーどもは若造小僧っ子小娘ばかりだったからスキーター・デイヴィスを知る者はいなかった。生まれて初めて『The End of the World』を聴く者がほとんどだった。

普段はBBSやSkypeで憎まれ口を叩いている若造小僧っ子小娘が、『The End of the World』をかけると急におとなしくなり、神妙になり、中には泣き出す者までいた。「なんだなんだなんなんだ! 涙が止まらねえ! わけわかんね!」とBBSに書き込む小僧もいた。似たような書き込みがいくつもあった。

「おまいら生ゴミに毛の生えたような輩の心、性根、魂にも届く本物の歌があるんだ。おぼえとけ! だが、今、おまえはいいことを言った」と突き放すように言ってやった。どいつもこいつも大馬鹿野郎だったが、大馬鹿野郎である分、かわいくもあり、会うこともなく互いの人生が終わるのだという冷徹な事実を思い、いとおしくもあった。常連リスナーのほとんどは『The End of the World』をiTunes StoreでDLしたらしい。ちょっとだけうれしかった。

トーク、くっちゃべりが佳境にあるときでも気分次第で突如番組を終了したし、『The End of the World』を一人で聴きたくなれば、やはり番組を終わらせた。リスナーどもも心えたもので、『The End of the World』が番組の終了を意味し、そのことに異議を唱える者はいなかった。スキーター・デイヴィスの死を知ったのはそんな「RADIO DAYS」の真っただ中だった。

スキーター・デイヴィスの死を知ったのは、彼女が死んでから4年も経ってからだった。スキーター・デイヴィスの近況を知ろうと思ってググってみたら、彼女は2004年の秋に死んでいた。その死を知らぬまま流れた4年の歳月。『The End of the World』を1日に少なくとも1回は聴いていたというのに ── 。

臨終の地はテネシー州ナッシュビル。72歳。乳癌。インターネットがもたらした死の知らせ。インターネットがなければ訪れなかった死の知らせ。

茫然とした。右の耳たぶが熱くなり、心臓がどきどきし、立ち上がれず、しばらくはキーボードに触れることすらできなかった。

吾輩にとってスキーター・デイヴィスはつねに『The End of the World』を歌う若く美しいスキーティであり、哀しくせつなくあてどなく儚い世界を象徴していた。

彼女の歌も歌声も吾輩にとってはある種の「世界観」の礎だった。そんな彼女が吾輩のあずかり知らぬ事情を抱えこみ、3度も離婚し、吾輩が足を踏み入れたことのない場所で、吾輩が気づかぬうちに死んでいたという事実に激しく動揺し、混乱した。大切ななにものかが失われたみたいだった。深い闇が際限もなく広がる宇宙のただ中に自分ひとりだけが取り残されたような気がした。

敗戦処理を言い渡されたピッチャーが無意味なビーンボールを投げつづけるような気分で42回つづけて『The End of the World』を聴いた。聴き終えてiTunesを終了し、コンピュータをシャットダウンしてから少しだけ泣いた。いや、「少しだけ」というのはフェアじゃないな。42回分の『The End of the World』にふさわしい量の涙を流した。

スキーター・デイヴィスが死んでから今日までおれはいったいなにをしていたんだろう? スキーティだけではない。三島由紀夫が自裁してから、ジョン・レノンがIMAGINE HEAVENしてから、小林秀雄がみまかってから、マイルス・ディヴィスがBye Bye Blackbirdしてから、アイルトン・セナが春のイモラ・サーキットでタンブレロ・コーナーの壁に激突して流星になってから、数えきれないほどの朝と夕焼けはなぜなにごともなかったようにおれに訪れたんだ? なぜ心臓は動いているんだ? なぜ太陽は昇った? なぜ星は輝きつづけた? なぜ波は打ち寄せる? なぜ鳥たちはさえずる? なぜ涙は涸れないんだ? なぜきょうはきのうのつづきなんだ? わからない。吾輩にはわからない。わかりたくもない。

スキーター・デイヴィスの歌はナイーヴさがナイーヴなまま保たれていた季節、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しく哀しくせつなくあてどなく儚げに輝いていた世界つながっている。なんの前触れもなく、その「季節」と「世界」は失われてしまった。そのようにして世界は終り、何度でも終り、いつか本当の終りを迎えるんだろう。いまはただ静かにスキーティの死と世界の終りを思おう。すぐそこまで来ている「世界の終り」の足音に静かに耳をかたむけながら。


Skeeter Davis - The End of the World (1962)

Released: 1962
Recorded: 1962
Genre: Country/Pops
Length: 2:33
Label: RCA
Writer: Arthur Kent, Sylvia Dee
Producer: Chet Atkins

The End of the World - Skeeter Davis


The End of the World/世界の終り
Why does the sun go on shining
And why does the sea rush to shore
Don't they know it's the end of the world
Cause you don't love me anymore

なぜ太陽は輝いてるの?
なぜ波は打ち寄せてるの?
あなたがわたしの元を去ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

Why do the birds go on singing
Oh why do the stars glow above
Don't they know it's the end of the world
It ended when I lost your love

なぜ鳥は歌ってるの?
なぜ星は瞬いてるの?
あなたの愛を失ったときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

I wake up in the morning and I wonder
Why everything's the same as it was
I can't understand, no I can't understand
How life goes on the way it does

朝が来て目覚めると不思議よ
いつもどおりのさわやかな朝が訪れているのが
わからない わたしにはわからない
どんなふうに人生がつづいていくのか

Why does my heart go on beating?
Why do these eyes of mine cry?
Don't they know it's the end of the world?
It ended when you said goodbye

なぜわたしの胸はまだときめいてるの?
なぜわたしの心の眼は泣いているの?
あなたが別れを告げたときに
世界の終りが来ていたのだとも知らずに

 

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by enzo_morinari | 2014-06-07 15:13 | Orilla del Mundo | Trackback

世界の果ての岬で考えるいくつかのこと

 
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アルバトロス王の孤独、あるいは世界の果ての岬で考えること


どこにも行きたくない者にとってはどこであろうと世界の果てだ。E-M-M
1秒たりとも生きていたくない者にとってはどこであろうと地獄だ。E-M-M
なぜ鳥は歌ってるの? なぜ星は瞬いてるの? 世界の終りが来ていたのだとも知らずに。S-D


朝からずっとチャーリー・ヘイデン & ゴンサロ・ルバルカバの『En la orilla del Mundo(At the Edge of the World/世界の果てで)』を聴いている。エンドレスで。世界の果てをエンドレスで。世界の果てを終わりなく。遠い日の夏のツール・ド・ケープ・ホーンの日々を思いながら。

遠い日の夏のツール・ド・ケープ・ホーンの日々がおぼろげによみがえる。

ツール・ド・ケープ・ホーンの参加者は3人だった。ホーン岬をめぐる旅が終わり、われわれは言葉もなかった。言葉など必要なかったと言ったほうが事態をより正確にあらわしている。

われわれは世界の果ての岬にたたずみ、ただ水平線と空の空隙と海の群青をみていた。激しい雪が降ってくれることを願ったが、われわれの願いは聞き届けられなかった。それでいい。願いがあるうちはまだ生きつづけられる。

世界の果ての岬は静寂が支配的だが、勿論、風の音もする。波の砕ける音もする。風の音はわれわれの心をかき乱し、波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にした。

風の歌も潮騒も聴きたくはなかったが、旋律もリズムもない風の音は疲れ果てたわれわれの心をいくぶんか慰めないこともなかった。手加減も容赦もない波の砕ける音はわれわれの魂を木っ端微塵にしたあとにわれわれの中にある塵埃を洗った。そして、考えた。

世界は朝めしや昼めしや晩めしを記述することでは解明されないし、「記憶」は常に/いつも歪で跛行的で曖昧だし、故障した日本語を撒き散らすポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが文章教室の講師とはお笑いぐさのうえに腹立たしいし、ワンセグなど知ったこっちゃないし、コストコでひと山いくらで売っているコストのかからない「感謝の言葉」には反吐が出るし、趣味と実益が両立してえられるものなどただ貧乏臭いだけだし、MJはすでにオワコン/スリルなしだし、謎は謎のままにしておけばいいし、古本/古書にしがみつく亡者どもの舌を閻魔大王はどんなふうに料理するのか気がかりだし、お高くとまった雨傘やいけ好かないレインブーツをひけらかす暇があったら異形ベイビーと災害/災厄のさなかにある人々に思いをいたしたほうがよほどスマートだし、小雨降る窓に向かって蕎麦味噌をつつきながら熱燗の盃を傾けても世界はちっとも良くならないし、何百万回「標高1260メートルの朝」を迎えても本当の答えはみつからない。

しかし、世界はそのようなガラクタどもの集合体である。ガラクタはガラクタのままでいい。大いに好きにするがいい。サリンジャー・ウォールの壁厚を厚くし、壁高を高くすればいいだけの話だ。なるほど。そういうことだったか。


世界の果てだと思っていた場所は実は自分の心の闇と翳だった。世界の果ての岬と心の闇と翳の間隙を縫うようにアルバトロスの王は飛翔しつづける。

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En la Orilla del Mundo (At the Edge of the World/世界の果てで)/Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba
 
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by enzo_morinari | 2014-06-06 16:28 | Orilla del Mundo | Trackback