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現代のベン・ジョムシーをめぐる大諧謔曲 "耳がきこえる" 第1楽章

 
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現代のベン・ジョムシーをめぐる大諧謔曲 "耳がきこえる" 第1楽章 変タヒタヒネC調 - 悪徳の栄え或いは美徳の不幸


【プレリュード】
音楽の話ではない。そもそも、現代のベン・ジョムシー/佐村河内守をめぐる種々は「音楽」としてとらえるようなシロモノではない。言わば、クロモノ。あるいはゲテモノ。マガイモノ。ニセモノ。マユツバモノ。ワルモノ。つまりは、「詐欺」「騙し」「悪徳」「欲得」といったタームでとらえるべきものだ。

悪魔的スケルツォとなるか交響的スケルツォとなるか。佐村河内守が例の獺祭グラサンを外し、外界からの「雑音」「雑言」に反応していかなる眼の玉の動きをみせるかによって調性も旋律も律動も和声進行も変化する。ポリフォニーの次第によってヘゲモニーは変化する。コンダクトは混濁まみれのコンフリクトとなることもありうる。だが、まちがってもリスペクトもリコメンドもない。なにがどう転がろうとも、すべてはダ・カーポだ。そこに「悪徳の栄え或いは美徳の不幸」がないことだけは確かである。

楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンも HIROSHIMA型運命の扉の前でHIROSHIMA型原爆頭 Opus 1をさらにかき毟り、振り乱し、さぞや苦虫を噛み潰していることだろうが、この際、ハイリゲンシュタットしていただくしかない。(マエストーソなグランディオーソ・エスクレメントはちゃんとファト・ラバーボへ行って、ウン・ポコだけコン・ブリオしたまえよ、ルートヴィヒくん)

さて、コーヒー豆を60粒数え終えたら、グラーヴェでポッシービレでラルゴでアダージョでアンダンテでアレグロモデラートでアニマートでプレスティッシモでトランクィッロでマエストーソでコン・ブリオでスピリトーゾでアパッシオナートでカンタービレでラメンタービレでグラツィオーソでフェローチェでスケルツァンドでアマービレでドルチェ・アンド・ガッバーナでグランディオーソでリゾルートでコモドでカプリチョーソでアッサイでレガートでフェルマータにピッツィカートしよう。無論、メッテルニヒ・ミュートしようとしなかろうと、心の耳を失った現代のベン・ジョムシー/佐村河内守にはおなじだ。
 
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by enzo_morinari | 2014-02-07 15:04 | Umbra Viventis Lucis | Trackback