カテゴリ:齢の決算書( 2 )

齢の決算書/マイナス100度の太陽みたいに#2

 
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1989年の暮れだった。「泡劇場」は最終幕に入ろうとしていた。

「おまえが高校生の頃、おれは30歳で、すでにして人生に起こりうるあらかたは経験済みだった」

私に大きな仕事をもたらしたちょうどひとまわり年上の画商はそう言って私の瞳をしげしげとのぞきこんだ。「いま限界ぎりぎりまで膨らんでいる泡はいずれ弾ける。おまえも30歳だ。この先、泡が弾けたあとにどう生きていくか覚悟だけは決めておけ」

しかし、時すでにおそし。1989年の暮れの段階ですでに手のほどこしようがないほど私を取り巻く事態は悪化していた。敗戦処理さえできない状況だった。

数ヶ月後、画商の言葉どおり、泡は大音響とともに弾け飛び、私は泡の時代に手に入れたもののすべてを失い、画商は253億円の巨額の負債を抱えて自己破産した。画商の破綻のことは日経にもでかでかと記事が載った。

見事なほどの弾けっぷりだった。救いは当の画商が大笑いしていることだった。私も一緒に大笑いしたかったが、大笑いするには私にはまだ人生経験、踏んだ修羅場の数、通りすぎた門松、喰った餅の数が少なすぎた。笑い話にできるようになったのはここ最近だ。

銀行、金融機関は手加減容赦なくありとあらゆるものを差し押さえ、ゼニカネの亡者となった債権者たちは鍋釜の果てまで、めぼしい金目のもののあらかたをトラックを乗りつけて持ち去っていった。そして、予想どおり、「泡劇場」の最終幕、大団円には裏街道、闇社会の修羅、下衆外道どもが津波のように押し寄せてきた。勿論、画商のところにもだ。

泡の時代の最中には米つきバッタよろしくすり寄ってきていた雑魚三下奴どもは恥も外聞もなく手のひらを返し、蜘蛛の子を散らすように私と画商のまわりから消え去った。そして、私は学んだ。金輪際、人間を信用してはならないと。肝心かなめのことは経験を通してしか学ぶことはできないし、身につかないということだ。

以後、今日に至るまで、私は誰憚ることのない人間嫌いになった。ただし、実際に目の前にいる人物を信用しないというのは精神的にとても疲れるので、極力、生身の人間とは会わず、関わりを持たないようにすることでかろうじて精神の均衡を保っている。実際、生身の人間と会ってしまえば情がうつり、しがらみが生じる。そうなればいやでもその人物を信じるようになり、親愛の情も湧く。猜疑心に苛まれ、疑いの目で他者と接することほど不幸なことはない。会うことがなければ信じることはなく、疑うこともない。よって、私は滅多なことでは人と会わず、関わりを持たなくなった。

1990年の冬の初め。昼めしどきを過ぎた昼下がり。私と画商は麻布十番の永坂更科の小上がりにいた。

「死ぬしかないか?」と画商が言った。
「まだ死ぬときじゃありません。死ぬのは裏切り者どもを見返し、葬ってからです」と私は答えた。画商は黙ってうなずいた。
「樽よ。おまえ、ずいぶんとおとなになったな。いい男に。面構えもたいしたもんだ」
「授業料はいささか高くつきましたがね」

二人して同時に静かに笑い、鰤のあら煮を肴に冷やのコップ酒を3杯ずつ飲んだ。ひさしぶりに飲む酒が五臓六腑にしみわたった。うつむいた画商が声を殺して泣いているのがわかったが気づかぬふりをした。男にはだれにも見られたくない涙の幾粒かがある。女こどもにはわからぬたぐいのことだ。

死は決して敗北ではないが、罵声を浴びせかけられ、針の筵を歩きながら、それでも生きつづけることの意味を考える絶好の機会だった。その頃の私には「死のリアリティ」は薄く、不思議なことに「生のリアリティ」だけは手づかみ垢むけだった。しかしながら、私がしたような経験などはできうればしないに越したことはない。マイナス100度の太陽が決して沈まぬことを知らぬ者は。
 
 
*Illustrated by maki+saegusa http://makisgs.exblog.jp/
 
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by enzo_morinari | 2013-12-05 05:24 | 齢の決算書 | Trackback

齢の決算書/マイナス100度の太陽みたいに#1

 
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「齢の決算書」をつくる過程で、泡の時代の「もうひとつの貸借対照表」のための参考資料として1990年前後の自分自身のテクスト、世に出たあまたのテクスト、楽曲/音楽を読み、聴きなおしている。

1990年の夏の盛りに出たサザンオールスターズの『真夏の果実』を聴いていたら無性に泣けてきた。『真夏の果実』の中に出てくる「マイナス100度の太陽みたいに」という言葉が突き刺さった。それは実体をともなってわが身を貫いた。マイナス100度の太陽は、当時もいまもかわらず微動だもせずに頭上にあり、私と世界を灼きつくし、凍りつかせながら輝いている。

1990年夏。天国と地獄と残酷と冷酷と冷淡が嵐のように吹きすさんでいた。1990年の春には置き場所に困り、唸るほどあったゼニカネはものの見事に消え失せていた。あのときあったゼニカネはいったいどこに消え失せてしまったのか。すでにして20年以上が経過している現在もすべては解明できていない。これからここに書き示すのはマイナス100度の太陽のごとき日々の記録となるはずだ。
 
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by enzo_morinari | 2013-12-03 06:49 | 齢の決算書 | Trackback